美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第1回「文脈への着目」

 2010年以降の美術鑑賞の特徴をまとめます。第1回は「文脈」です。
 2000年代までに美術鑑賞は多様になりましたが、「型」的な方法論に固執したり、知識不要論が生まれたりした時期でもありました。その反動なのか、2010年代には「文脈」への注目が徐々に高まっていきます(※1)。ここでは2つの事例を取り上げて検討しましょう。

山口先生の「氷山モデル」

「美術作品の氷山モデル」山口敦士 「文脈」の説明で分かりやすいのは、甲陽学院高等学校の山口敦士先生の「氷山モデル」です(※2)。以下の3つで構成されています。

  1. 氷山の海の上に見えている部分が「造形の要素」です。形や色、質感、モチーフなど視覚的にとらえられるすべてでしょう。氷山を見ることと同じように、私たちが美術作品から最初に得られる物理的情報です。
  2. 氷山の海の中に隠れている部分が「主題」です。「何を表現しようとしたのか」「描かれたテーマは何か」など、作品から伝わってくるメッセージや概念に当たります。海の上の見える部分(造形の要素)から、見えない部分(主題)について想像したり、考えたりすることができます。
  3. 氷山をささえるのが海水で「社会的、地理的、文化的な背景」です。氷山は、海水や水温、環境など多様な資源があってはじめて成立します。美術作品にも、それが描かれた当時の社会的要素、地理的条件、政治的な問題、歴史や文化の背景などがあります。「文脈」にあたるのはこの部分です。

 山口先生は、この「氷山モデル」を学習の核となる重要なイメージとして考えており、生徒と共有したり、年間を通じて様々なシーンで活用したりしています。
 例えば、動的な作品サムネイルの集合体から、作品を選んだり、仲間分けしたりできる「デジタルアートカード(※3)」を用いた「アート界の“推しメン”発見(※4)」という鑑賞の授業では、生徒は「氷山モデル」を確認した上で学習に取り組みます。生徒は、お気に入りの作家や作品、つまり「推しメン」が決まったら、インターネットや図書などを用いてさらに詳しく調べ、最終的に「その魅力をプレゼンテーション」します。この活動の全体に「氷山モデル」という概念が流れているというわけです。
 山口先生は「文脈」が学習活動の重要なポイントになっていたことについて、次のように語っています。

 氷山モデルのポイントは、作品の造形的な要素や主題だけでなく、作品を成立させる背景(海水)も大事にすることです。生徒が記述したワークシートからは、ミレーの『晩鐘』に見られる宗教的な営みの価値と産業革命期の物質的な豊かさの関係、ベラスケスの『インノケンティウス10世像』と当時のカトリック教会の思惑、高橋由一が新年の贈り物である“新巻き鮭”を描いた『鮭』と明治維新、義務教育が6年制となった年に描かれた土田麦僊の『罰』、など作品の主題と当時の世界状況を関連付ける様子が見られました。

 高校生は、中学生までに形や色などから主題を探った経験を持ち、歴史的な知識や概念も豊富になっています。「文脈」を活用しながらより深く美術作品や作家について考えることが可能でしょう。また「氷山モデル」は、形や色、主題、歴史的背景などの要素が分断されず、氷山と海水がお互いに必要で不可分な関係が一目で分かるため、生徒にとって活用しやすい道具(※5)になっていると思います。

テート美術館「アートへの扉」

 「文脈」の大切さを分かりやすく説明しているのは、美術館を活用するためのカリキュラムやアクティビティなどを紹介するテート美術館編『美術館活用術~鑑賞教育の手引き』です。その中で学習の基盤として提案されているのが、文脈を踏まえた「アートへの扉」でした(※6)
 「アートへの扉」は探求的に美術鑑賞する視点を示したものです。「私」「対象(もの)」「主題」「文脈」の4つの扉で構成されており、扉を掛け替えたり、相互に参照したりしながら学習に活用します。それによって、美術鑑賞を単なる作品解釈に終わらせるのではなく、「私とは誰か」「私たちの世界の問題は何か」など、学習をより深めようとします。

「アートへの扉」(筆者がまとめた図を用いています)

  1. 「私からのアプローチ」~美術鑑賞は、他ならぬ私から始まります。しかし、それは友達や作品、学習活動などを通して拡張し、変化します。ここでの「私」は、探求的な学習共同体の中で尊重され、かつ「生まれ変わっていく私」という意味合いで用いられています。美術鑑賞は「私」自身の在り方を問い直す活動なのです。
  2. 「対象(もの)の扉」~氷山モデルの海上部分と同じです。形や色、線や明暗、色調、構図、大きさ、空間、量感、材料、設置場所の特徴、時間、制作プロセスなど認識できる「対象(もの)」で、「私」の身体と深く関係しながら、視覚や聴覚、空間感覚など様々な感覚を活性化して美術作品をとらえる視点です。「対象(もの)」を注意深く観察したり、特性や関連性を探ったりすることは美術鑑賞に不可欠な活動でしょう。
  3. 「主題の扉」~氷山モデルの海中部分と同じです。作品のタイトルや内容、作品が投げかけるメッセージ、作品に込められた概念など一般的に「主題」として取り扱われるものです。作品が何を語っているかについて考えることは、鑑賞学習で最も重要な部分でしょう。例えば、その作品は美術の制度を批判しているかもしれません。あるいは、私たちの見方や考え方に疑問を提示しているのかもしれません。
  4. 「文脈の扉」~「文脈」は「対象(もの)」のように作品から直接確認はできません。「主題」のような作品が語るメッセージでもありません。作品に関連する歴史、学問、社会問題などであり、作家自身が気づいていない場合もあります。「文脈」をふまえれば、作品はより広い世界と関連付くことになり、私たちは美術鑑賞を通して新たな問題に立ち向かう力を獲得することができるでしょう。例えば「名画」の現代社会における役割や働きを考えたり、科学や哲学、数学や生態学など創造性に関わる他の領域と関連付けて考えたりすることで、鑑賞学習は、より深く、より多様に展開できるでしょう。

 本書で「アートへの扉」を知った当時、多くの鑑賞学習は作品解釈に拘泥し、「対象」と「主題」の往還に終始していた記憶があります。「アートへの扉」の「文脈」に切り込む視点や、鑑賞を通して「私」や「世界」が変化するという考え方は新鮮でした。美術作品を美術科だけでなく教育課程全体で活用する可能性も感じました。日本にこのような本は見られず、美術出版サービスセンター(現美術出版エデュケーショナル)にお願いして、2012年に翻訳・出版した次第です。
 今では、美術鑑賞で知識を否定するようなことはなくなり、「文脈」も様々な場面で活用されるようになりました。近年、カリキュラムマネジメントやSTEAM、国際バカロレアなど、教育課程全体で子どもたちを育てようとする教育の流れもあります。美術作品をより拡張的に活用していくために、「文脈」はますます重要な概念となっていくでしょう(※7)

※1:学び!と美術<Vol.33>『これからの美術鑑賞~「文脈」と鑑賞教育』
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art033/
※2:山口先生に、どのように氷山モデルにたどり着いたのかと尋ねたところ、自分なりに考えていたことをまとめたときに、精神分析学者のフロイトの氷山モデル(意識は氷山の一角とする考え方)に出会い、それをヒントに考えを整理したそうです。
※3:本教材の監修や作品選定に関わりました。動的な作品サムネイルの集合体から、気になる作品を選んだり、仲間分けをしたりできます。『デジタルアートカード』
https://www.nichibun-g.co.jp/digital_artcard/
※4:デジタルアートカード指導のアイデアより。『アート界の“推しメン”発見』
https://www.nichibun-g.co.jp/digital_artcard/idea.html
※5:認知的道具の意味です。加藤浩、有元典文 編著『認知的道具のデザイン』金子書房(2001)
※6:ヘレン・チャーマン、キャサリン・ローズ、ギリアン・ウィルソン 編、奥村高明、長田謙一 監訳、酒井敦子、品川知子 訳『美術館活用術 鑑賞教育の手引き』ロンドン・テートギャラリー編、美術出版社(2012)。原著は2006年、森美術館の酒井敦子エデュケーター(現:国立西洋美術館学芸課研究員)から紹介されたのが2007年、首都大学東京の長田謙一教授(現:名古屋芸術大学教授、東京都立大学客員教授)の協力を得て、さっそく出版の準備に入りました。なお、あくまでも当時のテートの普及活動部が考えた理論であり、現在はテートで用いられていないようです。
※7:最も先端的な事例は台湾の北師美術館の実践でしょう。学び!と美術<Vol.81>『美術館を開く~台湾、北師美術館の挑戦~』
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art081/

Webマガジンまなびと:「学び!と人権」Vol.03

Webマガジン:「学び!と人権」Vol.03 “Society5.0により必要となる人権教育” を公開しました。

Society5.0により必要となる人権教育

1.Society5.0のユートピアとディストピアを左右するもの

 SDGsは、国連が提唱している取り組みの中でも、とくに世界が注目し、積極的に関わろうとしていると言えます。日本でもその点は同じで、最近では、企業をはじめ、SDGsへの関わりを表明している団体 がたくさん出てきています。
 文部科学省もその一つと言えます。しかし、最新の中教審答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申) 」(2021年1月26日)では、「SDGs」ということばが4回登場するのに対して、「Society5.0」ということばは21回登場します。文部科学省の問題意識がどちらにあるかをうかがえるかもしれません。また、AIが支配する社会について楽観的な見通しをもっていることも答申から感じられます。
 AIの支配する社会については、さまざまな危惧の声があります。2018年3月に亡くなったホーキング博士も、ゆくゆくは、人間とAIとの対立や戦争が起こりかねないと考えていたとのことです。それ以外の人たちの主張を読んでも、2030年代には特化型AI(特定領域をコントロールするAI)が広がり、2040年代になると汎用型AI(社会全体をコントロールするAI)が登場するといった予測があります。こうなってくると、映画の『ターミネーター』や『バイオハザード』などの世界が現実のものとなってしまいかねないということになります。すでに、マイクロソフト社がつくったAI「TAY」が、ツイッターとの対話を通して人種差別主義的反応を示すようになり、マイクロソフト社は「TAY」の電源を切ったと2016年3月に報じられています。
 この段階で重要になるのは、AIのプログラムの根底に人権擁護を組み込めるかどうかではないでしょうか。そして、そのためには、人間が人権についてしっかりと整理し、使いこなすことができるようになることが不可欠です。ここでも結局、人権や人権教育が人類の存続を左右するだろうということです。
 現に、日本政府は2018年12月13日に「人工知能(AI)に関する7つの基本原則」という文書を発表しており、その第1は「AIは人間の基本的人権を侵さない」と定めています。原則のトップに人権が置かれていることは重要です。しかし問題は、どういうふうにすればそれを具体化できるかという点です。ここでも、わたしたち人間自身が人権についてしっかりと整理し、人権をAIの土台の土台に組み込めるほど使いこなせなければ、到底それを望むことはできないということなのです。

2.人権に関連して整理されるべき課題

 では、人権に関わって整理されるべき課題として、どのような事柄があるのでしょうか。ここでは、いくつかをあげて論じることにしましょう。
 人権と関連して整理されるべき事柄はさまざまにあります。たとえば、「まだ死にたくない」と言っている人が老衰によって死んだなら、その人は「生命への権利」(世界人権宣言第3条)を冒されたと言うべきでしょうか。医師になりたかったのに、医師国家試験に落ちてなれなかった人は「職業選択の自由」(世界人権宣言第23条)を奪われたことになるのでしょうか。このように、人権に関わって重要なテーマでありながら、ふだんはあまり議論されていない事柄がいろいろとあります。こういう議論は、人権論にあっては初歩的なテーマなので、すでに整理はされているのですが、とくに子どもたちにとっては未整理感の強いテーマに止まっているのではないでしょうか。教員の間でも、ひょっとすると未整理な場合があるかもしれません。人権を天賦人権説のようにあらかじめ与えられ、疑問を差し挟む余地のない理念と考えていたり、文字面だけで人権を理解したりしていると、こういう議論が深まりにくいものです。こういうテーマで議論してみることによって、人権論の整合性や的確性がわかってくるようになる面があります。
 さまざまにテーマがある中で、近年特に大きな議論の的になっている問題として、ネット上の差別メッセージという問題があります。日本社会は、たとえば「言論の自由」や「営業の自由」と「差別の禁止」との関係を整理する明解な論理をどう持ち合わせているでしょうか。これまで、日本では、部落差別や民族差別などの差別を法的に処罰するという法律はありませんでした。その根拠となってきたのは、「営業の自由」や「言論の自由」です。
 一方、国連では、1965年に採択された「人種差別撤廃条約」のなかで次のように定めています。

第4条
 締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。
(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。
(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。
(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

 以上の引用からわかるように、国連では、人種差別行為だけではなく、人種差別を宣伝・扇動することも含めて法律的に処罰の対象とすべきだと主張しています。ここでは、「言論の自由」や「営業の自由」よりも「差別の禁止」を上に置いていることが明らかです。人種差別を宣伝・扇動するような「言論の自由」や「営業の自由」はないということです。
 近年、日本国内では、部落差別などに関連してネット上で差別的メッセージの広がりが問題として指摘されています。とくに、同和地区の住所を記した上で、その地域の映像を流しているという問題が大きく指摘されています。そのような問題も、人種差別撤廃条約の第4条に従うなら、法律的規制の対象とされるべきだということになります。
 日本も人種差別撤廃条約に1995年に参加しているのですから、条約に従って差別の宣伝や扇動を禁止してもよいはずです。ところがそうなってはいません。同条約に参加するにあたって日本政府は同条約第4条(a)及び(b)を留保し、現在に至ってもそれを継続していることに関わります。
 そもそも、日本政府は、部落差別は人種差別ではないという立場をとり続けています。この点は、人種差別撤廃条約の立場と対立しています。同条約の第1条1は、人種差別を次のように規定しています。

第1条
1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。

 この条文の中の「世系」ということばは、インドにおけるカースト制度などを想定しています。インドのカースト制も国連の文脈では人種差別の中に含められているということになります。国連では、当然のごとく部落差別についてもこの人種差別の枠組みに含まれると考えています。しかるに日本政府はそれを認めないまま4分の1世紀が過ぎました。国連の人種差別撤廃委員会は、2018年8月30日の総括所見 で日本政府に対して、次のように勧告しています。

人種差別に関する法的枠組み
7.委員会は,前回の勧告(CERD/C/JPN/CO/7-9, パラグラフ8-9)にもかかわらず,日本国憲法における人種差別の定義が,いまだ本条約第1条に沿うものではないこと及び人種差別を禁止する包括法が締約国に存在しないことを遺憾に思う。(第1条及び第2条)
8.委員会は,締約国が,人種差別の定義を,本条約第1条第1項に沿ったものとするよう確保し,民族的又は種族的出身,皮膚の色及び世系に基づくものを含むものとするべきとの過去の勧告を強調する。また,委員会は,締約国が,本条約第1条及び第2条に沿った直接的及び間接的な人種差別を禁止する個別の包括的な法律を制定することを要請する。

 人権に関わる問いは他にもあり得ます。
 このように、人権について考えることの重要性は、Society5.0を構想するうえでも欠くことはできません。それでは、わたしたち人間自身が人権をそれほど使いこなせるようになっているでしょうか。次回からは、個別の人権課題に即して考えていくことにしましょう。