対談:「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ ひらめきの生まれるところ」(後編)

日本体育大学 教授 奥村高明 先生筆者

 9月にご紹介した「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ」をめぐる対談の後編です。なぜ今「ひらめき」なのかといったことや、図画工作・美術における「ひらめき」といったことについて話を深めていったお二人。今回は、いよいよ本書の重要なキーワード、「縁起」についてのお話です。
 前編はこちらから。

縁起の共同性


筆者:次に、本書の到達点である「縁起」についてです。有元先生が言うように「ひらめき」は人と人との間にあって、一人が考えるのではなく、人と人との関わりのなかで様々なアイディアが生まれると述べられています。それは分かるのですが、それをあえて「縁起」と称する意味は何ですか?「縁起」とはどのようなものでしょうか?
奥村:う~ん……「ひらめきが縁起だ」と断言したいわけではないのです……。私たち編著者が「ひらめき」について考えたり、対談したりしていたら「縁起」にたどり着いたというのが正直なところかなあ。
 少々、おおげさな言い方ですが、編著者自身が縁起という概念を獲得して「開眼(ひらめいた)」したので、縁起という言葉を用いていると言ってもいいかもしれません。「あえて」縁起と言う理由は、まさにその縁起を体験し、実感したからでしょうね。
 「縁起」というのは、「()りて起こること」、もろもろの現象が相互依存の関係にあるということです(※1)。「ひらめき」だけでなく、全ての物事は縁起の中にあって、因果だけでは語れないと言ったのはお釈迦様ですね。修行しながら最初にひらめいたのが縁起で、「世の中ってのは『縁起』であって、実存というのは『空』だ」というのが仏教のおおもとらしいです(※2)
 世界最高の名画モナ・リザもそうでしょう。Wikipediaにも掲載されている盗難直後の写真を見ると、この時、モナ・リザは他の多くの絵の一枚にしか過ぎないことがよく分かります(※3)。その後の盗難やパロディなどの「縁起」がモナリザを世界一の名画に仕立てたことは多くの人が指摘しています。まあ、そもそも盗難されたままだったら名画になり得てないわけですから、名画が縁起であることの一つの典型かもしれません。
筆者:人間は社会的な生き物ですので、その中での人との出会いや新たな気付きによって、それぞれの考えが更新され、新しい人として生まれる。名画もしかりで、即興性の繰り返しなのだというのは分かります。一方で、本書に示されている「ひらめきストレッチ」というエクササイズは、即興的なものというより、かなり計画性の匂いがするんですね。これまでのものと何が違うのでしょうか?

ひらめきストレッチ「カウントアップ」(本書p.130-131)

奥村:「縁起」が、計画性や即興性を否定しているわけではないのです。計画は必要だけど、計画的でないことも大事で、「ひらめき」はその間にあると考えています。
 おそらく何か一つエクササイズをやってみれば分かると思うのですが、どれも簡単なんですが、たぶん思うようにいかないはずです。方向として計画はあるけど、実際に取り組むと計画的にはことが進まないわけです。そこを感じてほしいというのはあります。
 指導案もそうですよね。指導案は、どれだけ綿密に準備するか問われますが、指導案に書いた通りに授業が進むわけではありません。私たちは、クラスが違うと成果は異なることや、ほんの一つの言葉や出来事が授業の流れを変えてしまうことを知っています。だから、私たち教師は、指導案という「案」、つまり計画は「因果律」を準備するけれども、いざ、授業が始まったら「縁起律」の流れに身を投じます。それは、その場に身をゆだねているような、緩やかな、自分自身が「ほどよく流されている感覚」というか、そうしながら子どもを感じるというか、そういうのが授業ですよね。
 結局、「因果」には限界があって、「縁起」は「修行」というか、ワークショップでこそ実感できる性質がある。そこで「ひらめき」を感じるために「ひらめきスケッチ」というエクササイズを取り入れました。
 同時に、「ひらめきストレッチ」は大事な側面も担っていて、本書のもう一つの到達点、<私>より<みんな>を味わってほしいということです。
 おそらく、多くの人は、創造性を個体主義でとらえてしまって、蛸壺にはまっているのでしょう。創造性が誰かの頭の中で起きた閉じた出来事だと仮定しているわけです。すると「この子の創造性ってなんだ?」「独創性をどう評価するんだ」と考えただけで、頭が痛くなります。でも、「ひらめき」がたった一人ではなく、他者がいてはじめて獲得できるものだとしたらどうでしょう?
 教育の現場に立てばすぐ分かることですが、図画工作だけでなく、算数でも、国語でも、実際は、<みんな>ひらめいているし、みんな<で>ひらめいています。それを、エクササイズを通して、「すごいぞ私」ではなく「すごいぞ私たち」を味わう、IよりもWeを体感するという感じです。
 結果的に、私たちが本の中で示した理屈にそって実行するというよりも、縁起と共同性の働く「ひらめきストレッチ」を通して、その理屈を問い直してほしいというというか、それもこれまでの本のつくりとは違うかなと思います。

縁起と授業

筆者:「ひらめき」がたくさん生まれる社会の「作り方」などというのはないと思っているので、この本がそういうノウハウ本、啓発本でないことは分かって、安心しました。本書の主張「実がなることよりも耕すのが大事」もその通りだと思います。その上での「あえて」ですが、「こんな成果を出すために、これだけの準備をするので、予算をください」「この成果(失敗)は、過程の分析結果から、この様な因子があったから」などが猛烈に求められる社会です。そんな世の中で本書をどう伝えますか?
奥村:今日は「あえて」が連続しますね(笑)。そもそも我々は因果を否定しているわけではなく、因果律の中だけに閉じ込められてしまうことの恐ろしさ、つまり果実だけ求める「がっつき」の危険性を訴えたいのです。世界は因果律だけでは動きません。縁起律が働いているのです。そうであれば、因果は認めつつも、縁起的な姿勢で実践を進める方が大事だと思うのです。
 でも、実際は「先生方は縁起を自覚するのが結構苦手」(※4)です。例えば指導案に書いたことはうまく話せるけど、実践報告となるとうまく書けない傾向があります。その先生が大事にしているのは、何でも言い合える子ども同士の心理的安全性や遊びように取り組める雰囲気などで、それが授業の成立に欠かせなかったりするのに、それを語ってくれないのです。それは指導案というトートロジー(※5)やPDCAの因果につかり過ぎているからかもしれませんね。
 「自分としては、完璧で綿密な指導案をつくったつもりなのに、うまくいかない、、、」その<うまくいかなさ>こそ大事なんです。完璧に資源を配置した指導案という計画性は大事かもしれないけど、何が起こるか分からない現場に身をゆだねながら、何とか授業をよりよいものにしようと縁起と格闘している姿が実際の先生たちの姿だろうと思います。それこそが教師の正直なあり方で、人々が織りなす学びの貴重な側面だと思います。本書はそんな人々への応援歌かなと思っています。
筆者:最近は子どもたちの学習を確かなものにしながら、学習状況をより正確に知るために、「ワークシート」がどの教科でも用いられています。確かに子どもたちの学習を通した変化や気付きを、少しでも多く知ることは大切なことです。でもそのワークシートに頼りすぎではないかと危惧しています。私たち教師は、授業中に「この子はOKだ!」「この子は大丈夫かな?」と、作品だけでなく子どもたちの姿からも学習の状況をとらえています。これは教師だからこそできることであって、一番大切にしたいことですね。きっとこれも大事な縁起の一つなのだと思います。対談を通して、子どもたちの「ひらめき」は、その学習状況を教師がどのようにとらえるかにかかっていると思いました。
 もう一つは、最近、授業が指導案にしばられてまったく柔軟性がない、台本をなぞっているだけのような人と人とのやりとりになっていることが気になっています。もう、最初にめあてを書くのはやめたらどうかとさえ思います。図画工作で題材という世界に誘う時に「はい、こっちですよ!」と教師が出過ぎたら、ずっと「教師が子どもにさせる授業」で終始してしまいます。もちろん授業はどこまでいっても教師の計画だとは思うのですが、あるところにくると、子どもはそんなこと忘れて「私が僕がやりたかったこと」になっていきます。先生の姿はどこかに消えて「先生、これみて面白いよ」と教師に子どもが題材を紹介する状況が生まれます。結局のところ、授業は教師と子どもがやりとりを楽しみながら、いっしょに作っているのだと思っています。そのことを本書を読んで感じた次第です。今日はありがとうございました。

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コミュニティ・オブ・クリエイティビティ ~ひらめきの生まれるところ~

編著:奥村高明、有元典文、阿部慶賀
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<学び!と美術 関連リンク>
■奥村高明先生と有元典文先生との対談
Vol.98 対談:生存価としての図画工作・美術
Vol.99 対談:ともにかなでる教育実践
■奥村高明先生が阿部慶賀先生の書籍を紹介
Vol.103 「ひらめき」が生まれる授業

西村 德行(にしむら・とくゆき)
東京学芸大学教職大学院准教授
1971年、京都市生まれ。都内中学校、筑波大学附属小学校を経て、2014年より現職。専門は美術科教育学、鑑賞教育。日本文教出版小学校図画工作科教科書編集委員

※1:水野弘元「仏教用語の基礎知識」173p 1972
※2:前掲註1 224p
※3:Wikipedia「モナ・リザ 盗難と破損」
https://ja.wikipedia.org/wiki/モナ・リザ#盗難と破損

※4:前掲註1 225p
※5:前掲註1 238p

Webマガジンまなびと:「学び!と人権」Vol.19

Webマガジン:「学び!と人権」Vol.19 “LGBTQとSOGIESC(その1)……基本的概念” を追加しました。

LGBTQとSOGIESC(その1)……基本的概念

ブラジルのリオデジャネイロで開かれたLGBTQ文化をたたえるプライドパレードに参加する人たち(2022年11月)

 今回から数回にわたってLGBTQをめぐる課題を取り上げます。別な言い方をすれば、SOGIESC(ソジエスク)に関わる課題ということになります。これは、Sexual Orientation and Gender Identityに、ジェンダー表現(Gender Expression)および性的特徴(Sexual Characteristics)を加えた言葉ということになります。この領域について国際的には、2006年に「ジョグジャカルタ原則 」が出され、それを更新するかたちで2017年には「ジョグジャカルタ原則プラス10 」という文書が発表されています。これらは、国際人権基準を土台にLGBTQの人権を整理・発展させたものです。日本学術会議も、日本の現状に即して2017年に提言 を発表し、さらに2020年にも提言 を出しています。
 これらの文書からもわかるように、この領域はとくに問題の捉え方がどんどん発展しています。そこで、まずは概念についての整理をしておきたいと思います。いずれの概念も急速に変化してきており、ここでの紹介内容も変化することは必至なのですが、それでも取り上げることには意味があると考えています。それは、以下に挙げる諸要因により差別を受けやすい人たちがおり、しかも偏見やバイアスを含んだコメントがさまざまに出されているためです。状況をできるだけ的確に理解する上で、概念の的確な把握は不可欠です。ここでは、誤解が発生することのないよう努めつつ、できるだけ簡単にまとめようと試みています。
 なお、LGBTQは性的マイノリティとも言われます。このときの「マイノリティ」という言葉は、「少数派」と訳されることもありますが、より正確には「被差別者」のことをさします。たとえば、かつてアパルトヘイト下の南アフリカでは、白人が2割ほど、黒人が8割ほどを占めていましたが、数で言えば多数派の黒人の側がマイノリティグループと呼ばれました。差別されてきたのは黒人の側だからです。同様に、男性との対比で女性が「マイノリティ」と呼ばれることもあります。ここでも、女性がマイノリティとされるのは女性が被差別側にあるからです。また、「マイノリティグループ」(被差別集団)の対になる反対概念は「ドミナントグループ」(支配的集団)です。「マジョリティグループ」と呼ばれる場合もありますが、これも「多数派集団」という意味ではなく、「支配的集団」や「主流派集団」という意味です。

①ジェンダー(gender)とは何か?

 女性差別に関わってジェンダーという言葉がよく使われます。ジェンダーの辞書的定義は、多くの場合次のようになっています。
 第1にあげられるのは、欧米などの言語における文法上の性別システムのことです。欧米の多くの言語では、名詞の性別が決められています。しかも、それは生物学的なオスやメスとは関係なく定められています。そして、名詞の性別がどう定められているかによって、さまざまな文法的要素の変化が発生します。たとえば、ドイツ語では「太陽」は女性名詞とされ、「die Sonne」と綴ります。dieというのは女性名詞につく主格の定冠詞です。この定冠詞は、文のなかでの位置などによって主格・所有格・目的第1格・目的第2格(=1格・2格・3格・4格)と変化しなければなりません。女性名詞なら、これがdie/der/der/dieと変化するのです。一方、「月」はドイツ語では男性名詞とされ、「der Mond」と綴ります。derというのは、男性名詞に付く主格の定冠詞です。女性名詞と同様に、格によってこれもder/des/dem/denと変化します。英語なら、定冠詞は名詞の性別に関係なくtheで、格による変化もありませんからドイツ語ほど面倒はありません。英語は、ドイツ語などの言語が抱えているさまざまな文法的規則からある程度自由になった言語です。
 定冠詞の変化 というのは、ドイツ語文法のなかでも初歩中の初歩です。他にも言語におけるジェンダーの影響はさまざまにあります。ドイツ語などのヨーロッパ言語を学べば学ぶほど、この文法的な意味でのジェンダーに振り回されることになります。
 ドイツ語に対して、フランス語では、「太陽」のことを「soleil」というのですが、これがドイツ語とは逆に男性名詞になるのです。他方の「月」は「lune」で女性名詞です。つまり、ドイツ語とフランス語とで、「太陽」と「月」の性別が逆になっているのです。この二つの言語を比べるだけでも明らかですが、太陽や月の性別など、本来無用なものです。もしも太陽や月に人格があってドイツ語やフランス語ではこうなっているなどということを知ったら、おそらく「ほおっておいてくれ」と言うのではないでしょうか。
 ジェンダーとはこのように、性別についての決めつけであり、言われている側にとっては自由を束縛するものです。
 この意味から派生して、もしくはそれと並行して、人間の男性や女性についても「あなたは男なのだから○○しなければならない」などと決めつけていくことをジェンダーと呼ぶようになりました。たとえば「男は外で働き、女は家で家事育児をする」「男はたくましく指導力があり、女はやさしく人をケアする」「男らしい色は黒、女らしい色は赤」などということです。こうしてジェンダーのふたつめの意味が出てきます。それは、社会文化的な性のあり方をさすのです。
 1975年に国連により国際女性年が設定され、そのさいに「性別役割分業こそが女性差別の土台なのだ」という主張が広く発信されました。社会文化的な性の在り方という意味でのジェンダーという概念とその問題性は、この取り組みをきっかけに世界に広く受け入れられるようになったといえます。

②性的指向(sexual orientation)とは何か?

 性的指向とは、性的欲求を抱く相手が異性なのか同性なのか、などを指す言葉です。自分の性自認が女性で、同じ女性に性的欲求を抱く人をレズビアン(Lesbian)と呼びます。自分の性自認が男性であり、同じ男性に性的欲求を抱く人をゲイ(Gay)と言います。また、男性と女性両方に性的欲求を抱くという人は両性愛者(Bisexual)と呼ばれます。LGBTQなどというときの最初のLGBはこの三つを指しています。GLの順ではなく、LGの順になっていることについては、社会的な男性優位を問うという問題意識があるのだと聞いたことがあります。なお、異性に対して性的欲求を抱く人は異性愛者(heterosexual)です。
 このほかにも、相手の性別にかかわらず性的欲求を抱く可能性のある人をパンセクシュアル、誰に対しても性的欲求をほとんど(あるいはまったく)抱かない人をアセクシュアルと呼んでいます。同様に、誰に対しても恋愛感情をほとんど(あるいはまったく)抱かない人をアロマンティックと呼びます。
 性的指向という問題一つを取ってみても、このようにさまざまな人たちがいます。

③性自認/性同一性(gender identity)とは何か?

 生まれたときに社会的に割り当てられ登録された性別と、自分自身の性別についての主観的捉え方とのあいだにはズレが発生する場合があります。社会的に割り当てられた性別とは、日本に即して端的に言えば戸籍上の性別です。戸籍には女性と登録されていても、自分自身は男性だと感じているような場合があるということです。
 社会的に登録された性別と、自分の性別についての感じ方、という二つの間にずれが発生していることを性別違和(gender dysphoria)とよびます。性別違和は、生まれたときに割り当てられ社会的に登録された性別(assigned gender)と性自認(gender identity)の不一致を指します。アメリカ精神医学会のDSM-5-TR(精神障害の診断・統計マニュアル第5版のテキスト改訂版)によると、性別違和とは、「経験/表現された性別と割り当てられた性別との間の顕著な不一致として定義し、少なくとも6か月続」く場合を指します。「表現された性別」ということばについては、次の項目で説明します。
 割り当てられた性別と性自認とのずれはさまざまなかたちで発生します。そのうち、割り当てられた性別が男性で、性自認が女性であるという人をMale to Female(MTF)、逆に指定された性別が女性で性自認が男性という人をFemale to Male(FTM)と呼んでいます。また、指定された性別に違和感があってなおかつ男性と女性のいずれか一つの性自認に収まらない人をXジェンダー(ノンバイナリー)と呼んでいます。出生時に割り当てられた性別と異なる性別の性自認をもって生きている人々の総称がトランスジェンダー(transgender)です。なお、トランスジェンダーに焦点を合わせて日本学術会議が2020年にふたつめの提言を発表 しています。この提言は、2017年に出された「ジョグジャカルタ原則プラス10 」という文書を下敷きにしています。

④ジェンダー表現(gender expression)とは何か?

 「ジェンダー表現」もしくは「表現された性別」とは、服装・髪型・装飾品・化粧などの外観をどのように表現するか、動作・話し方・振る舞い方・名前・身分証明で自己のジェンダーをいかに表現するかをさしています。たとえば、社会的に割り当てられた性別や性自認がともに男性であっても、ジェンダー表現は女性であるという人もいます。このように、ジェンダー表現は個人の性自認と一致する場合もあれば一致しない場合もあります。

⑤セックス(sex)とは何か?

 では、セックスとは何を指すのでしょうか。ジェンダーが社会文化的性別であるとすれば、セックスというのは生物学的な意味での性別を指すといわれます。生物学的性別と言えば、男女という二分法の固定的イメージにとらわれるかもしれませんが、実際には男女それぞれに多様です。染色体レベルで、「xxの組み合わせが女性で、xyの組み合わせが男性」とされてきましたが、これ自体が間違いであるとわかってきました。実際にはxyの女性もいますし、xxの男性もいます。x染色体とy染色体だけによって性別が決められるわけではなく、さまざまな染色体と遺伝子によって性別が定まっていくのです。外性器についても、胎児として母体内で生きている間のどの段階でどのようなホルモンの照射を受けるかなどによって、さまざまな事柄が違ってきます。女性にも男性にも、さまざまな生物学的な特徴をもった人がいるということです。
 生物学的に身体面でさまざまな性的特徴(Sexual Characteristics)をもった女性や男性がいることを、英語ではDSDs(Differences of Sex Development:身体的性のさまざまな発達)と呼んでいます。
 DSDsと性自認は別物です。DSDsの人のほとんどは「自分は男である」とか「自分は女である」などの明確な性自認をもっているのであり、「性のグラデーション」や「第3の性」などという捉え方とは異なることに注意が必要です。DSDsの人たちについて「性のグラデーション」や「第3の性」といった説明を加えること自体に批判があります。同様に、以前は、「インターセックス」や「両性具有」などの概念が使われていましたが、これらはいずれも、誤解にもとづいており、偏見や差別を広げる恐れが大きいため、当事者団体はDSDsという概念を使うよう求めています

⑥SOGIESCとは何か?

 性的マイノリティを指す言葉としてLGBTQなどが使われてきましたが、この概念はそれぞれの当事者が自分たちのことを主張するうえで重要な役割を果たしてきました。一方で、それ以外の人たちにとっても、当事者としての意識を持ちやすくするために、SOGIという概念が提唱されるようになりました。SOGIとはSexual Orientation and Gender Identityの頭文字を並べたことばです。つまり、「性的指向と性自認」という意味となり、これであればすべての人がジェンダーに関わる自分の特徴を述べることができます。性的指向で言えば、自分の性自認とは異なる性別の人に性的欲求を抱く人は異性愛者ということになります。性自認で言えば、割り当てられた性別と性自認が一致している人のことをシスジェンダーという概念で呼びます。異性愛者でシスジェンダーの人は、自分のことを「ふつう」だと思ってきたかもしれません。自分たちを指す概念を自覚することによって、自分にも関わる課題として捉えやすくなる面があります。
 たとえば、同性愛者だという人に対して「いったいいつごろあなたは自分が同性愛者だと気づいたの?」などと質問を出す異性愛者がいたりしますが、そもそもそう質問している人自身は、いつごろ自分は異性愛者だと気づいたのでしょう。自分が異性愛者だと気づいた時期やきっかけを自覚せず、あるいは言わないまま相手に質問するのは、対等性を欠きますよね。同様に、性別違和のない人は、いつごろ自分には性別違和がないと気づいたのでしょう。異性愛者でシスジェンダーの人にとっては、現在の社会制度や文化の下ではそのようなことに気づかずとも過ごしていけることが多いのではないでしょうか。なぜなら、現在の社会制度や文化が異性愛者やシスジェンダーの人だけが存在するという前提に立って組まれていることが多いためです。日本でも同性同士の結婚はまだ裁判所によって認められていません。結果として、異性愛者やシスジェンダーの人は、恋愛や結婚に関わって、「自分にはできないのではないか」と悩まずにすみやすくなっています。このように、考えずにすむ状態にあることそのものが、支配的集団に属しているということによってもたらされています。
 SOGIという概念を前に出すことによって、すべての人が当事者としてLGBTQや性的マイノリティに関わる問題を議論しやすくなるでしょう。
 SOGIと言う概念から発展して、SOGIESCという言葉が使われるようになりました。すでに述べたとおり、このなかの性的特徴(Sexual Characteristics)という概念は、DSDsに重なるものであり、LGBTQとは独自に論じられていることをご承知おきください。

 以上のように、さまざまな観点から性について語られるようになってきました。このような視点を持って現代の日本社会を捉えた調査によると、1割近い人たちがLGBT だということになります。1クラスに40人いたとすれば、そのうち3-4人はLGBTだったとしても不思議ではないということです。
 性的マイノリティにとっていまの社会はどういう点で生きづらいものとなっているでしょう。学校ではどのような課題があるのでしょうか。

※本稿は、12月5日に公開した原稿を一部修正したものです。

【参考・引用文献】

  • ジョグジャカルタ原則、ジョグジャカルタ原則プラス10文書
  • 日本学術会議「提言 性的マイノリティの権利保障をめざしてー婚姻・教育・労働を中心にー」(2017.9.29)、「提言 性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ)―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けてー」(2020.9.23)
  • ドイツ語チャンネル: Galaxie AZ「【ドイツ語の定冠詞】der, des, dem, denの歌!男性、女性、中性、複数名詞の1格~4格までを完全暗記!歌で覚える!」(youtube)
  • 日本性分化疾患患者家族会連絡会 ネクスDSDジャパンウェブサイト
  • We Think (Shibuya).ウェブサイト「自分らしく生きる」「LGBTの割合は?日本と世界でグラフ化。[2020年最新の調査結果]」(2020.5.18)