頭の中やデジタルの情報だけで完結させない。身体を動かし変化を実感する学び ~これからの図工・美術の先生(第5回)~

連載「これからの図工・美術の先生」では、各地の大学で図工・美術の教師を目指す学生たちを指導している先生方に、「いま、どんな授業をしているのか?」についてうかがいました。授業に込められた、「将来、こんな図工・美術の先生になってほしい」という願いをひも解いていきます。

第5回は、上越教育大学の五十嵐史帆先生の授業です。

反省、そして試行

私が担当する「図画工作科指導法」は、本学の全学生が必修の授業です。この授業では、教職課程コアカリキュラム(※1)に対応しながらも、自分の身体を使って材料に触れ、活動や行為を通して理解することを大切にしています。そして、楽しんだり、面白がったり、集中したり、時には苦労したりすることで、「自分や周囲が変わっていること」に気がつく経験をしてほしいと考えています。

こうしたことを強く意識したのは、新たな教師の学びの姿(※2)として、知識伝達型の学習コンテンツにとどまらず、自らの経験や他者から学ぶといった「現場の経験」を重視した学びのスタイルが求められていることに加え、本学の卒業生の授業参観がきっかけでした。素敵な授業に出会うこともある一方で、「自分の感覚や行為を通した理解」や「つくる喜びを味わう」といった児童の姿が見られない授業もありました。その背景に、授業者自身がこのような経験、つまり、「つくること」「みること」を通して自己の変化を実感する機会がなかったのではないか、そして、その遠因に私の授業があるのではないかと考え、授業を見直し現在も試行を重ねています。授業内の3つの活動から、学生の様子を振り返ります。

感じて、意識する【活動①:凸凹探し】

コロナ禍以降、オンライン授業が増加したこともあり、多くの学生が授業中PCやスマホを机上に置いています。この授業でも同様ですが、授業の序盤にはまずそれらから離れ、色鉛筆と紙を持って教室の外へ「凸凹探し」に行きます。視覚と触覚で捉えられる世界が異なることや、これまで意識していなかった(見えていなかった)ものが認識されることを体験するのが目的です。

屋外では、タイルや樹木、マンホール、車のタイヤ(持ち主に確認済み)までも、色鉛筆でこすり出す学生の姿が見られます。見慣れた風景の中で普段とらない姿勢になって、わずかな凸凹を指先で感じ取りながら、身体で世界を捉え直しています。

集めた凸凹には、「5月の夜」「カメの行進」など、新たなタイトルをつけます。同じ凸凹から生まれたものでも、色や力の加減、筆跡の幅によってその跡は異なった見え方をします。それぞれが捉え直した世界を意識し、それが一人ひとり異なることに気がつきます。

◎学生が見つけた凸凹とタイトル

動いて、見つける【活動②:お花紙を窓に貼って】

この活動は、東京都図画工作科研究会などでも報告され、さまざまな形で実践されている、お花紙を使った授業(※3)を参考にしています。学生たちは廊下に出て、窓に向かって活動を行います。お花紙と水入りの霧吹きを手に取り、最初は少し戸惑いながらも、しばらくすると、大学の無機質な窓がカラフルに彩られ始めました。

学生たちは最初、「何をすればいいの?」と困惑しながら始めますが、次第に集中していきます。周りの友人の様子を見たり、「ここから見ると外の景色と重なって見える」と場所の面白さを共有したり、「つなげよう!」と協力したりする様子が見られました。また、「紙でも色が混ざるんだ〜」「影には色がつかないね」といった新しい気づきや発見も生まれていました。自分の働きかけによって、周囲の環境が変化する瞬間に立ち会い、さらに自分も周囲から影響を受けながら、やりたいことを見つけていきます。

〈正解〉を、つくりだす【活動③:飛び出す仕組みを使ったカードをつくる】

この活動は、想定した相手に渡すカードをつくります。条件は「飛び出す仕組みなど、相手が触れることで形が変わること」「相手が笑顔になること」の二つです。家族、後輩、ゼミの先生、(アイドルやキャラクターなどの)推し、といった相手を思い浮かべながらカードのイメージを膨らませます。仕組みを試し、実際に形にしていきます。飛び出す仕組みや画像はネットや資料等から引用も可能です。学生たちもまずはスマホで検索するところから始まります。

情報社会では、ICTを活用することでこれまでにない量・質のデータによる多様な方法から選択が可能になり、その中に「答え」があるようにも思えました。そして、Society5.0(※4)では、サイバー空間(仮想世界)とフィジカル空間(現実世界)の高度な融合が目指されています。だからこそ、さまざまな場面でリアルな体験を通じて学ぶことが重要になってきます。

学生たちもカードにするには、ネットの中のものを真似るだけではなく、主題に合わせてアレンジし、手元にない材料や思った通りにできないところは、別の材料や方法で工夫することが必要になります。具体的に何かをつくることは、その時その場にある材料と可能な方法を主体的に選び、自分の技量や気持ちに歩み寄ったり、時には妥協したりしながら、一人ひとりのかけがえのない〈正解〉を形にしていくことなのです。

出来上がったカードは動画にして発表しますが、カードに込めた相手への思いやこだわったところを語るときは熱がこもっています。カードだけでなく、話す言葉や表情に各自が見つけた〈正解〉が表れてきます。これが、この活動の面白いところです。

◎学生のコメント(動画より抜粋、一部編集)

おばあちゃんにあてたメッセージカードです。真ん中にいるのは私です。最近おばあちゃんに会えていなくて、私が元気だよと伝えたくてつくりました。
おばあちゃんは、私が花好きになったきっかけでもある人です。家の庭はいつも手入れされたお花畑のように、お花が本当にたくさん植えられていて、特に春は、このカードの下の部分のように、本当にお花畑みたいに、おばあちゃんがいつもきれいにしてくれていました。
私は春生まれで、私が生まれたときにお花を植えてくれたので、その感謝の思いも込められたらいいなと思いながらつくりました。
工夫したところは、折り曲げたときに、自分の顔が折れ曲がってしまわないように顔を少し左にかしげさせました。また、ちょうちょのお腹の部分やお花は材料を貼って立体的に表し、細部まで工夫しました。

自身の変化から、図工の学びを考える

図工の授業を考えるとき、まず自分自身で「やってみる」ことが大切だと言われています。しかし、それが形式的になってしまうと、「上手につくらせること」や「失敗しない方法」を見つけることに終始してしまいがちです。

授業での活動を通して、学生が材料と身体を結びつけ、「つくること」「みること」を通して自分自身や周囲が変化することを意識する機会を提供できることを期待するとともに、こうした経験が、図工における学びを考える手がかりになればと考えます。たとえ些細な変化であっても、それが積み重なることで今の自分を形づくっていると意識できれば、図工の授業が、子どもたちの学びや成長にどのように貢献できるのかが見えてくるのではないでしょうか。

※1:教員養成の全国的な水準の確保を目的にすべての大学の教職課程で共通的に修得すべき資質能力を明確化したもの。(「教育職員免許法・同施行規則の改正及び教職課程コアカリキュラムについて」、文部科学省、2017.7.24参照)
※2:中央教育審議会「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会(2021.11.15開催)より
※3:元東京都図工専科教員大森直子先生の授業を参観し参考にさせていただきました。
※4:内閣府の科学技術基本計画の中で提唱されている、「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」のこと。

五十嵐 史帆(いからし・しほ)
上越教育大学教授。兵庫教育大学大学院連合教育学研究科修了。博士(学校教育学)。専門領域は、美術教育。現在は、大学院専門職学位課程において、学校教育現場と連携しながら図画工作科・美術科の授業開発を行うとともに、地域の文化資源を活用した造形教育に関心を持ち、実践・研究に取り組んでいる。日本文教出版令和6年度版小学校図画工作科教科書著者。

考えて、伝えて、再び考える ~これからの図工・美術の先生(第4回)~

連載「これからの図工・美術の先生」では、各地の大学で図工・美術の教師を目指す学生たちを指導している先生方に、「いま、どんな授業をしているのか?」についてうかがいました。授業に込められた、「将来、こんな図工・美術の先生になってほしい」という願いをひも解いていきます。

第4回は、弘前大学の佐藤絵里子先生の授業です。

弘前大学教育学部には小学校や中学校の教員をはじめとする教職を目指す学生が在籍しており、2年次から自分の専門とする教科等の分野を選択するカリキュラムになっています。
私が担当している授業は以下です(表1)。

講義名

受講している学生

内容

・小学校図画工作教育法
・小学校図画工作講義

小学校の教員免許取得を目指す学生

美術教育の理念、学習指導要領、題材の実践、美術館との連携、学習指導案の作成、作品の見方 など

・美術科教育法
・美術科教育法演習Ⅰ

中学校美術の教員免許取得を目指す学生

上記から精選した内容に加えて、評価について(ルーブリックの作成を含む)、長期継続型実習に向けた話し合いや教材研究 など

表1 担当授業の内、教育学部の専門教育科目に該当するもの

講義では、美術教師としての判断力を磨き、多角的に物事を眺めながら、共同体感覚(共通感覚)と利他の精神をもって仕事を進めていくことができるように、学生が省察する機会をつくることを心がけています。

考えて、伝えて、再び考える〜美術教師としての判断力を磨いていく学び〜

美術教師としての判断力は、とりわけ授業の目標設定や評価に関わる力であることから、「美術科教育法」を受講している学生は、実際に協働で評価する試みを通して、個々の成果物の価値や可能性について判断したり、判断の根拠を言語化して他者に伝えたり、他者の意見を聞いて互いの立場を擦り合わせたりと、実践的なプロセスを経験します(※1)

2022年度と2023年度の「小学校図画工作教育法」の講義では、教科書題材「音の絵」(※2)のバリエーションとして、パステルを用いた描画を行いました。また2024年度には教科書題材「言葉から感じて」(※3)のバリエーションとして、やはりパステルを用いた描画を行いました(図1、図2)。そして「美術科教育法」の受講生5名が、50点近い彼らの作品を見て、モデレーション(※4)という協議のプロセスを通して一つのルーブリックを作成しました(表2)。

図1 「小学校図画工作教育法」でのパステルによる学生作品(2024年度)

図2 「小学校図画工作教育法」でのパステルによる学生作品(2024年度)

4点(S)

3点(A)

2点(B)

1点(C)

0点(D)

規準①
画材の積極性・理解度

画材を表現の意図に応じて使い分け、その特徴が生かされている。

複数画材が使われていて、画材の特徴が生かされている。

画材の特徴が生かされている。

画材を用いて描いている。

提出されていない。

規準②
技法

意図した表現を、描画材以外も用いて使い分けて描かれている。

描画材以外も用いて使い分けて描かれている

意図的に描画材以外も用いて描かれている。

描画材以外も用いて描かれている。

提出されていない。

規準③
構図

詩の印象が想像でき、画面が広く使われ強弱がある構図である。

詩の印象が想像でき、画面が広く使われた構図である。

詩の印象が想像できている。または、画面が広く使われた構図である。

画面が広く使われている

提出されていない。

表2 「美術科教育法」の学生が作成したルーブリック(2024年度)

さらに「美術科教育法」の受講生同士で互いの判断の根拠を伝え合い、評価規準を作成した後、彼らが作成したルーブリックと評価の結果を「小学校図画工作教育法」の学生に示し、ワークシートに文章で感じたことを書いてもらい、それを「美術科教育法」の学生が読む、ということを行いました。2024年度のワークシートでは肯定的な反応も多い中で、建設的な批判も寄せられました。それらを下記に紹介します。

学生のコメント(ワークシートより)

●評価規準の規準②には、「意図した」や「意図的に」という言葉があるが、対象の作品が抽象的な作品である場合、製作者が意図したポイントが見えづらく適切な評価が難しいのではないかと感じた。
●規準①や規準②は評価の観点が具体的でその通りだなと思った。規準③については、個人の主観によるものが大きいと思った。(作者が)作品にコメントを残せるのなら、それを踏まえての評価で、結果は変わったかもしれない。
●「この作品はもう少し点数が高いんじゃないか」と思った作品がたくさんあったので、評価規準を設けても感じ方は人それぞれだと思った。そもそも描く前に「強弱を」「描画材以外も用いて使い分けて」という指示はなかったし、時間も充分ではなかったため、自分の知らないところでこのように評価されるのはあまりいい気分ではないかなと感じた。評価される対象としての作品づくりと子どもが受け取ると、本当に表現したいことを抑えたり、諦めたりしてしまうのではと危惧する。

このような試みは、機械的な分類・管理に代替するものとしての美術教師の判断力を鍛えていくことを期待したものであり、さまざまな意見を通して学生の判断に揺さぶりをかけ、存分に再考することのできる機会を提供するものです。今回、学生によって作成されたルーブリックが、これ以上直す部分のない完璧な出来栄えであったとは思えませんし、実際に評価された学生からも疑問や批判のコメントが寄せられていました。しかし、今の自分たちがもつボキャブラリーの範囲内で納得解を導きだし、建設的な議論の叩き台をつくる経験として、一定の教育的な効果を感じることができました。

この種の活動を通して、自分の内奥に多くの他者の声を反響させることのできる深みのある人間を育て、硬直した反射神経で他者に応答するのではなく、何度も自己に問いかけることで認識の修正を繰り返していけるしなやかさ=タフさをもった教師を現場に送りだしたいと願っています。その際に鍵となるものが、個々の教師がこれまでの生活を通して鍛えてきた美的判断力と教育的鑑識眼です。分かりやすく言い換えれば、それは美術教師としての「感性」のことであり、「共同体感覚」としての共通感覚に与する能力として、大切に育てていかなくてはならないものです。

少人数のよさを生かして啐啄同時の交わりをめざした指導

「美術科教育法」や「美術科教育法演習Ⅰ」の講義は、3~5人程度の少人数体制での密な応答の場となっており、教員養成や教科教育全般についての相談や情報交換、合意形成の場となっています。

学生の様子を見ていると、実習を経験する前に座学で理論的な事柄を説明するよりも、むしろ実習の中で課題に直面し、悩んだり、反発したり、吸収したりしながら、自分の心と頭で考えた方が、少しずつ各々の美術教育観とでもいうべき何かが見えてくるようです。

「美術科教育法演習Ⅰ」は、3年次の夏に行われる「集中実習」で附属中学校の生徒を前に美術の授業を行うための準備としての役割も兼ねています。長期継続型実習である「Tuesda実習」(集中実習を挟む形で、前期・後期を通して、火曜午後に附属学校で行われる実習)の期間とも重なるため、実習での学びと連動させることを意識的に行なっています。「Tuesday実習」では毎年、前期に観察を、後期に「総合(美術)」を選択した生徒10〜12名程度を対象とする全5回の2コマ続きの授業をチームで行い、事前・事後指導や協議、教科ごとに成果を発表するプレゼンテーションも実施しています。

2024年度「Tuesday実習(後期)」では、「わたしと〇〇の世界〜ボックスアートで想像したことを表現しよう〜」という、自己表現をテーマとする授業を行いました(図3、図4、図5)。

図3 実習生による参考作品(2024年度後期Tuesday実習)

図4 生徒作品(2024年度後期Tuesday実習)

図5 2024年度後期Tuesday実習の様子

図6 2024年度後期Tuesday実習の様子

学生の実習日誌を読むと、主題の創出を促す指示の曖昧さ、教材研究の不備、時間が足りなくなったこと、立体を生かした表現上の工夫の余地などの具体的な反省点が縷々述べられています。実習の前に、何となく考えていたつもり、準備していたつもりであっても、実際の中学生の反応を見ると、想定が通用しなかったことに気づく場面は多いものです。また、学生の一人は次のように記しています。

学生のコメント(実習日誌より)

自己像の制作方法に関しては、材料の取り扱いや原則としての素材の組み合わせなど、事前の指示を最低限のものに留めておいたが、これによって制作の自由度を高め、各々が表したいものに応じて作り方を工夫する過程が生まれたのではないかと感じる。初めから全てを説明するのではなく、限られた情報から生徒が自分なりに考えて実践することで、体験的に理解し、実感を伴う学びに繋げていくことが、「為すことによって学ぶ」美術の教科特性上の教育的意義を果たす上で重要であると考えられる。

この実習生の場合は、実習の前に感じていた制作の自由度に関する仮説が実際に現場で有効であることを確認し、あらかじめ講義で学んでいた「為すことによって学ぶ」という理念の重要性を、中学生の姿と結びつけて実感することができたようです。

講義の時間だけでなく、空き時間の個別相談にも応じており、学習指導案に関する助言をしたり、人間関係や生活全般の話を聞いてケアしたり、学生の自主企画を軌道に乗せるためのサポートをしたりと、少人数体制のよさを生かして柔軟に対応しています。

こうしてみると、「考えて、伝えて、再び考える」は、日常を通して繰り返し直面する思索であることが分かります。その際、学生との啐啄同時の交わりを生みだし、必要な言葉を必要なタイミングで贈ることができるように、直感を大切にした指導を心がけています。

※1:理論的な背景としては、まずエリオット・アイスナーの「表現目標」や、「教育批評」・「教育的鑑識眼」の考え方を挙げることができます。また、美術教師の判断力は「美的判断力」に通じる能力であると捉えることも大切です。趣味判断のうちにはすでに他者との関係が含まれていることから、それは共通感覚という啓け(ひらけ)をもたらすと考えられます。
※2:「音の絵」:日本文教出版 図画工作教科書5・6下p.10
※3:「言葉から感じて」:日本文教出版 図画工作教科書3・4下p.36
※4:モデレーション(moderation)とは、「調整」を意味する用語であり、評価の過程・結果における評価者間の判断の差を縮小させるための協議の手続きのことです。これは既存のルーブリックに基づいて実施されることもあれば,その作成を目指して実施されることもあります。2024年度の「美術科教育法」では、実際にモデレーションを行う前に、教科書の朱書版や日本文教出版のHPに掲載されている題材別評価規準例を参照した後、自分たちの教育批評的言語表現を用いたルーブリックを作成しました。

佐藤 絵里子(さとう・えりこ)

弘前大学教育学部准教授。筑波大学大学院人間総合科学研究科芸術専攻博士後期課程修了。博士(芸術学)。専門は美術教育学。近年は、小学校図画工作科の「造形遊び」に関する理論的・実践的研究を行っている。これまでに、美術教育評価論、題材ルーブリックの開発過程に関する質的分析、中学校美術科の鑑賞教育、幼児造形表現に関する研究を行った。公立中学校教諭、専門学校講師、短期大学講師、私立大学講師を経て、2022年度より現職。

【いかす平塚農場】畑も人も多様であれば補い合える ~突撃! 図工な企業(第3回)~

図工力(※1)を発揮して活動している(と編集部が感じた)企業などを訪問し、働く方々のお話を聞きながら、図画工作や美術を学ぶ意義を捉え直すシリーズの第3回目。

今回の「図工な企業」は、株式会社いかす 。有機栽培で野菜を育てる「いかす平塚農場」を運営し、野菜の販売・宅配サービス、農業研修などを行う、食と農の会社です。代表取締役の白土卓志さんをはじめ、ここで働く人の多くはもともと他業種で働いていたとのこと。白土さんは「土の中にたくさんの命が生きている有機栽培ではおいしい野菜が育つ。会社もそう。個性ある人が集まったことがうちの強み」と言います。

◎お話を聞いた図工な人

  • 白土 卓志さん(株式会社いかす代表取締役)

「大地に立つと体に帯電されていたものがアースされて、めっちゃ元気になるんです。おいしくて栄養価も高い野菜も食べているから、風邪もひかない、じゃなくて“ひけない”(笑)」

勝ち続けることが幸せなのか、分かんなくなっちゃった

――会社勤めをやめて、なぜ農業を始めたのですか?

白土:人材サービスの会社に新卒で入社して、そのあと、仲間と起業しました。まぁまぁ勝ち続けていたと思うんです。仕事も起業もゲームだから、それはそれで楽しかった。競争自体は面白いし、いい仕組みだと思うけど、「なんかやり過ぎているな」っていう思いが、なんとなく自分の中に芽生えていたんです。「これ、幸せなのかな?」ってよく分かんなくなっちゃって。

そんなとき、大学時代に書いていた「未来日記」を見ていたら、「31歳 農業大作戦」って書いてあったんです。31歳になる年にそれを見たから、「あ、オレ、農業やらなきゃ」って。そこからのスタートです。

――大学生のときにもう農業を志していたんですか?

白土:いや全然(笑)。だけど農業をすれば「これ、幸せなの?」の答えがある気がした。

それで、当時農業をやっていた友だちに「オレ、農業やるっぽいんだけど」ってメールしたら炭素循環農法のことを教えてくれて、それがめっちゃ面白くて。

炭素循環農法をものすごくざっくり説明すると、ぼくら生き物って、水を除くとほとんど炭素でできている。命のサイクルって炭素のサイクルなんですよ。農業って水や窒素のことはすごく言われるけど、炭素のことはだれも注目していない。でも、命の循環そのものをやっているのに炭素を考えてないのは違うよねっていうので、炭素をたくさん畑に入れてやるというのが炭素循環農法です。

さらに別の友だちに相談したら、炭素循環農法を実践している農家の方に出会えた。その方に弟子入りして、しばらくはそれまでの仕事をしつつ、農業のことを学んでいました。そこからどんどんのめりこんで、いかしあう食と農の会社をつくりたくて「いかす」を設立しました。

会社のビジョンとして掲げている ”be organic” は、有機農業を指向していたこともあるのですが、organicの語源をひもとくと「大元のつながり」みたいな意味合いだと知ったときに「そうそうそう!」って思ったんです。

競争って、要は自分がやっているわけなんだけど、そこに振り回されているとしんどくなっちゃう。でも自分があって競争している分にはたぶん疲れもしないし無理もしない。「自分があること」がすごく大切。だから、「自分のあるがままに」「大元の自分である」という意味で ”be organic” というビジョンをつくったんです。

「畑に育っているソルゴー(緑肥植物の一種)を土にすきこみ、たくさんの微生物のエサになります。その結果、甘いダイコンができます」

ここが図工力!

☞ 「自分がある」を大切に。そうすれば無理をしない生き方ができる。

「いいところ」「できているところ」を答えだと思っていない

――農業には天候リスクがつきものです。思いどおりにいかないことも多いのでは?

白土:ぼくらは、サステナブルな農業を学ぶ場として「はたけの学校【テラこや】」という取り組みをしています。

そこではいちばん大切なこととして「自然が先生」と言っています。えてして人を先生にしがちだけど、農業においては全く同じことが起こることはほぼないので、その人の言っていることは仮説に過ぎないんですよ。「全てが仮説」、これは2番目に大切なこと。そして「出したものが返ってくる」が3番目に大切なこと。

要は「自分がやったことが全て」ということなんです。例えば何かを植えたとして、その2か月くらいあとに、あるいはそのプロセスで目の前で起きていることが答え。

「いいところ」あるいは「できている」ということをベースにしていると、できなかったときとの落差がしんどいから心のゆらぎが起きるのだと思います。ぼくらは「いいところ」「できているところ」を答えだと思っていない。ただ目の前にある状況が答えなので。それが思いどおりにいかない状況を乗り越える考え方なのかもしれないです。

もちろん期待値はあるから、「あれ、どうしてこうなったんだろう?」って思うこともあります。

「農業を学びたい人には、プロセスの中に答えがあるよと繰り返し伝えます」

――甘いトマトをつくりたいと思ったけど、酸っぱいトマトができた。それはそれで答えなんだよってことですか?

白土:そうそう。ただ、甘さとか酸っぱさとかはそれほど期待値からずれない。だけど、収穫量はけっこうずれるんです。

2024年はトマトの収穫量が前年の3分の2くらいになりました。同じ面積でつくっているのに。それはこの年は35℃以上の日が多くて、花芽が落ちまくって木が疲れて早くダメになっちゃったんですよね。そういう理由が分かるので、「じゃあ、もうちょっと前から植えようか」とか「後ろにずらそうか」という議論になる。目の前の状況から、次どうしようかっていう話になる。

ここが図工力!

☞ 決められた答えはない。プロセスの中に答えがある。

畑も人も、多様であれば強くなれる

――「いかす」では、いろいろな経歴の方が農業に携わっておられます。考え方も違うと思いますが、話し合ったりするときの難しさなどはありませんか。

白土:むしろ、いろんな人がいる、その強さをめちゃめちゃ感じるんですよ。

ブルーベリーのことをみんなで話していても、ぼくは「農園にコガネムシが来て、カラスが来た。カラスが来るようになったのはミミズがいなくなったからで、それはなんでかっていうと……」って、そういうシステムというか仕組みを自分で見付けるとすごくうれしくて、自分はその話ばかりしている。でも農業のリーダーはブルーベリーの木そのものを見て話している。

――見ているものが違うからこそ組織として成り立っている?

白土:そういう個性や好みの差が、結果、表出してくる役割の違いになっている。例えば技術責任者は期日を守ったりするのが苦手なんですけど、彼は植物を観察してめちゃくちゃ愛でる能力があるんです。それはぼくにはできないけど、期日を守るのはそれなりに得意(笑)。

だから、偏っていていい。自分に合っていることをすればいい。できないことがあってもよくて。むしろできないことを人に任せられるほうがいいんです。

大切なのは、考え方とか性格とかが同質であることではありません。それよりも「農業をうまくなりたい」「命の循環を知りたい」と向かっている方向が決まっているかどうか。だから、いろんな経歴の人が集まっていても、難しさっていうのはあんまりないです。

あとは気合と根性が足りないとか農業に対する甘さがありすぎるとかだと、農業研修生であっても絶対に入れないようにしています。たいへんなんです、農業って。希望をもって入ってきて、3年後に辞めましたっていうのは、本人にとってもつらい。だから最初に「厳しいよ!厳しいよ! 本当にやれる?」と聞きまくって。それでも来る人がここにいます。

ここが図工力!

☞ 個性や好みの違いはあって当たり前。違うからこそ補い合える。

「有機栽培の畑の場合、てのひらに載せた土には何万種類もの微生物がいるって大学の先生が言っていました。そしてうちの微生物たちは美しいらしいです。土壌診断に出すと顕微鏡とかで形がはっきり見えるらしくて。それはいいことらしくて。美しいものはなんでも強いですよね、感覚的に」

気付くこと、そこから変わっていくこと、それこそが人生

白土:これからは食べる人が農業に触れる機会が増えるといいなと思います。家庭菜園をする人が増えるとか。自分で食べ物をつくってみる。

ものづくりということにすごく価値があると思っています。今後、いろいろな仕事がAIに取って代わられる。最後に残るのが実はトマトの収穫とかクラフトワーク的な作業。機械ではできない、手でつくるということ。そう考えると、図工はものづくりの原点ですよね。

――でも、絵は画像生成AIでかけるっていう人もいます。

白土:それはそれ。仕事で使うアニメーションをAIにかいてもらうっていうのはいいと思います。

でも、「自分でかく」って全然意味が違うじゃないですか。ぼくは農家なのにニンジンとダイコンをかき分けられない。で、なんでかけないかを考えたときに「観察力がなさすぎるから」っていうことに気付くわけですよね。

――それって大切なことですか?

白土:めっちゃ大切。生きる意味がほかにあるんですかっていうくらい。

「全然観察できてなかった」って気付いて興味関心がある人は見るわけですよね。これ、行動が変わるってことですよね。生きるってそういうことじゃないの?気付いて行動を変える。その導かれた先に自分のやりたい何か、そこに「ありのまま」の答えがある気がする。

――気付くことから始まる行動の変化を繰り返すことが生きること?

白土:それ以外にないですよ。

あと、気付きってびっくりするくらい人によって違うんです。今、人と違うってことを言いづらい社会になっているんだけど、人との違い、それこそ大事にしたほうがいい。その一歩目が図工だって思ったんですね。

ぼくは本当に絵が下手だから、めちゃめちゃ図工は嫌だったんですよ。「見てないんだ」という気付きはあったけど、よく見ようとも思わなかったし、絵がうまくなりたいとも思わなかった。個々ではなくて、何人かでいる中で起こっている様が好きなんです。ぼくはシステムが好きなんですよ、人を含めたシステムが。それはぼくの個性。

ここが図工力!

☞ 「自分でつくる」ことから気付きが生まれ、行動が変化する。

「多様な社会では、だれがいたっていいわけです。いろんな側面から見れば存在理由があるんです」

取材後記

出会った瞬間から白土さんには「自然体」という印象を受けました。「ただ、あるがまま」を実践されているのだと思います。ブルーベリー畑で1時間ほど白土さんとおしゃべりをし、わたしもすっかりアースされたのか、取材した夜はぐっすりと眠りにつくことができました。

※1:本シリーズでの図工力とは、図画工作や美術など造形活動を通して培われる「自ら考える力 決める力 やり抜く力」「多様な他者と協働する力」「よりよい未来を創造する力」です。図工力は「もの」をつくるときだけに発揮されるのではなく、社会の潤滑油となって楽しさや希望をつくりだせる原動力になるものだと信じています。そんな図工力を備えた人がいて、図工マインドが垣間見える活動をしている企業(組織)をここでは「図工な企業」と呼びます。

白土 卓志(しらと・たかし)

株式会社いかす代表取締役、湘南オーガニック協議会 会長、NPO法人有機農業参入促進協議会 理事、一般社団法人次代の農と食をつくる会 理事など。未来の地球と子どもたちのために、つくる人、たべる人、社会、地球。みんなにとってbe organicな農と食が広まるよう活動中。まずは、湘南がオーガニックなサステナブルな街になるよう地産地消がつながる活動をしている。東京大学工学部卒業後、株式会社インテリジェンスにて300名だった社員が4000名になるところを経験。その後、仲間と人材サービスの会社を起業。31歳のときに、農業大作戦スタート。2015年に株式会社いかすを創業。現在にいたる。東京大学農学部や東京農業大学、帝京平成大学薬学部、湘南学園などでの講演実績多数あり。

【親子インタビュー】後編:作品を通じて存在そのものを受け入れてもらえる

子どもたちは「図工の時間」に何を表し、先生や友だちのいる空間でどんな時間を過ごしているのでしょうか。

図工の先生として働く鈴木由理先生と長男・藍さんに聞く親子インタビュー。前編では、藍さんが小学生のときに表した作品と由理先生の授業で子どもたちが表した作品を見ながら、「図工の時間」に藍さんの中で、子どもたちの中で起きていたことについてお聞きしました。

由理先生は、「図工の時間に子どもたちに願うことを自分の子にはできなかった」と振り返ります。後編は、成長した藍さんと由理先生の間に生まれた確執と、その現実をどのような方法で、どう受け止めたのかについて話をうかがいます。

安全で安心な道を歩むよう操作していた

由理:図工では、子どもをありのままに受け止めてあげたいとか、自由に表現してほしいと言っておきながら、実はわが子にはそれができていませんでした。

藍が高校生になると、息子の将来がリアルになってきて。好きなことをさせてあげたいと思いながらも、結局は、親が思う安全で安心な道に進むように操作していました。まずは、自分の力で生活していかれる力を身に付けることが先決で、本当にやりたいことは就職してからやればいいと言っていました。そうしたらある日、突然、藍が爆発してしまいました。

藍:父親に勧められて高等専門学校に行ったのですが、自分がやりたいこととは違っていて。在学中に両親に何度もやめたいって言っていたんです。でも、実際にやめるとなると今まで頑張って積み上げてきたものがなくなるという恐怖で、結局は卒業しました。親には「働いてから好きなことをやれ」って言われていたので、就職したいと言ったら今後は大学に行けって。

由理:「より専門性を高めろっ!」ってね。本人がやりたくないことをやらせているので、だんだん親子の間に確執が生まれ関係がすさんでいきました。藍から、自分が不幸なのは親のせいだとストレート言われ、傷つき、落ち込みました。それでも息子には、幸せになってほしいからいろんなアドバイスをしましたが、当時の藍にはまったく響かず。もうどうにもならないとなったときに、ふと、こんなときこそ今の思いを絵で表現してはどうかと思ったんです。藍に、今、どんな感情をもっているのか、どうしたいのか、一度自分と向き合ってもらいたくて「絵をかいてみない?キャンバスあるよ」って提案しました。初めは、全然乗り気ではなくて、「こんな状況で絵がかけるか!」と言っていましたが……。

藍さんが21歳のときに表した作品──「格差社会」

藍:かなり暗い絵ですね。黄色い部分は木やへその緒のイメージで、この木から生まれたものが胎児になるんです。今の時代、SNSを見れば、人生うまくいっている人や幸せそうな人が目に入ってくる。半面、現在進行形で紛争や貧困があり、そこに生まれてくる人がいる。大きい木から生まれれば最初から高いところにいるのでもっともっと上に行ける。逆に未熟な木から生まれた人は、どんなに頑張っても大きい木から生まれた人を追い越すことは難しい。生まれた時からランク付けがされている世の中に嫌気がさしていて、それを表現しました。

絵を介したコミュニケーションで見えてきたもの

由理:この絵をかいているところを間近で見ていたのですが、小学校でかいていたときと同じように、手に絵の具をつけて暗い色を何度も塗り重ねていました。その後に黄色い木のようなものをかいていたので、明るい絵なのかなって思っていたら、胎児をかきはじめて……。ぞっとしてしまった。胎児ってへその緒から離れたら生きていけないではないですか。胎児がこんなふうに放出されちゃって、なんて残酷なんだろう、なんてつらい状況にあるんだろうと切なくなるとともに、藍の中に一体何が起きているのかとすごく不安になりました。

かき終えた後に私が「これ、親への反抗の絵だね。私たちこっちの小さい木だよね?」と聞いたら、藍は笑いながら「なんでわかったの!?」って。ああ、藍は絵でしっかりと親に反抗することができたんだなって。

言葉で反抗されると正直ダメージが強すぎて受け止められなかったんですけど、絵だと、自分の心情に合わせて見たり、受け止めたりすることができる。それでいて言葉よりも、今、藍が置かれている状況が本当につらく、追い込まれていることが伝わってきました。それまではどこか藍に対して、文句を言ってやるべきことをやらない、努力が足りない、そんなふうに思ってしまっていました。でも本当につらいんだな、親としてひどいことをしたんだなとこの絵を見て感じました。

藍:自分の中では遠回しに伝えたつもりだったんですけど、親に汲み取ってもらえたときはすごい達成感がありました。6年生のときもそうですけど、絵から思いや意味を汲み取ってもらえた時のうれしさというものがあって、今でもちょくちょく絵をかいているんですが、母親に突然絵だけLINEでポンと送ったりしています。こんなふうに絵で表現してコミュニケーションを取るという手法をもてるようになったのは、小学生のときの経験が大きいように思います。

由理:小さい頃から藍が絵をかくところ見ているので、息子が何を表そうとしているのか、どういう心境にあるのか、だれよりも分かってしまいます。この格差社会の絵をかき終えた後は、藍は清々しい表情だったので、何だかほっとしました。問題が解決したわけではないけれど、お互いに思っていることを絵という媒体を通して伝えられたことで、わだかまりがなくなったというか。今となっては、アートが私たち親子のコミュニケーションツールの一つになっています。

体を使ってかくことで自分の心を呼び覚ます

藍:そうだね。楽しかったね。久しぶりにキャンバスに手でかいて自分を表現したときに、小学校のときに戻った感じがした。図工の楽しい記憶や、完成したあとに自分の悩みが大したことなかったって感じたこともよみがえってきた。図工の授業の延長線のような感じでかいた絵でした。

小学生のときと同じように何も見ずにかきました。見るとそれに寄せちゃうので。木も胎児も実際にはこういう形ではないですが、その時の自分の引き出しの中のもので表現しました。

由理:「今の自分」から湧き起こってくるものを表したのかな?

藍:そういう感じ。ものを見てかいた絵はその工程を思い出せないけど、自分の感情と向き合って、自分をさらけ出してかいたものは、今見返しても当時のことを鮮明に思い出せる。どちらの絵もそう。一種のアルバムみたいな感じで、大切なものです。

由理:絵をかくことって、画面に向かったときには何も思い浮かばなくても、手を動かしていると何となくつかんでくるんですよね。子どもたちには、頭だけで考えるんじゃなくて、体を使ってかいていくことで、自分の心を呼び覚ましてほしいと思っています。呼び覚ますことで、本当の自分の気持ちに気付くことがあるからです。自分の感情を大事にして、豊かな人生を送ってもらいたいという気持ちがすごくあります。

豊かって、楽しいだけでは生まれないかもしれない。苦しいことがあるから楽しいことが際立って、喜びを感じたりするのかもしれない。つらい思いをしているかもしれないけれど、それを乗り越える過程でいろんなことを考えたり感じたりすることがすごく大切な時間なのかもしれないですね。私は藍がいなければ、藍の作品に触れなければ、藍の図工の授業を見に行っていなければ、図工の教員になっていませんでした。

子どもたちの作品は、好奇心とか意欲がそのまま線と色に表されていてすごいパワーがあるんです。私は、職業柄、得体のしれない本当に美しいものとたくさん出会うことができます。図工の授業をつくることはすごく大変なことですが、それ以上に、子どもたちが表したものを見ると疲れが吹き飛ぶくらいに素晴らしい世界があります。そういうものに触れて、美しさに圧倒される瞬間があれば、いろんな悩みがどうでもよくなってしまうことがあります。それくらい子どもの感性は素晴らしいのだと思います。

「うまい絵=すてきな絵」ではない

藍:僕は図工によって救われたんですけど、母親もそういう面があるのかな。僕の最終的な夢は、みんなが絵をかいてくれることなんです。SNSでの誹謗中傷などが問題になっているなかで、自分が考えている絵の魅力の一つが「伝達スピードの遅さ」なんです。文字や言葉ってよくも悪くも思ったらすぐに伝えることができる。でも絵ってすぐには完成しない。だからいったん冷静になって考えられるし、振り出しに戻ったりもできる。みんなが絵で表現できれば、一人ひとりがもっと豊かに思いを伝え合える平等な世の中になるんじゃないかな、という希望を思い描いています。それを世に広めたい。

「うまい絵=すてきな絵」という概念をなくしてほしい。へただと絵にならないというわけではなくて、その人の意思が伝わっていればそれはいい絵であって。不特定多数に受けなくてもいい。親であったり、友人であったり、身近な人に理解してもらえる絵であれば、それは立派な作品。だから母さんには、今の子どもたちに絵で自分を表現できる可能性を伝えていってほしい。俺は絵をかいて、大人や同世代の人たちに伝えたい。

由理:思いや意図を汲んでもらえるのって、その人の存在そのものを受け入れてもらえるような感じになるよね。だからこそ、うまいへたではなくて何をどう感じたのかを拾ってあげてほしいよね。

――保護者から子どもの作品の見方がわからないという声も聞かれますが。

由理:見方というよりも聞けばいいのでは。「何を表そうとしたの?」「これはなあに?」って、質問をしてあげるだけでいいと思います。評価する必要はまったくなくて、何をしたかったのか聞いて、共感する。何を表したのかはその人の考えそのものなので、それを拾ってあげるだけで子どもは守られているというか、温かい気持ちになれるかもしれないですね。

鈴木由理(すずき・ゆり)
足立区立弘道小学校 教諭。専業主婦から教員へ。港区で講師を経て現在は東京都図画工作科専科教員。児童一人ひとりの生まれもった感性を大切にしながら、その子ならではの表現を引き出せるよう日々の実践を通して研究をしている。

鈴木藍(すずき・あい)
山形大学 建築・デザイン学科卒業。学生時代は建築デザインを専攻。学内の設計課題では山形の豊富な自然を生かしたランドスケープデザイン設計に取り組んでいた。現在は、不動産コンサルタント営業職として学生時代に力を入れていた現地調査力を生かし、ニーズに合った土地活用方法を提案している。

Instagramで発信している藍さんの作品
──「私の人生」
https://www.instagram.com/lororo_lororo/

photo: Kazue Kawase

教科書づくりで受け継がれてきた「思い」 ~過去の教科書を振り返って~

今回は、日本文教出版の70年以上にわたる図画工作科教科書の歴史を振り返ります。変わったこと、変わらないこと、そして、これからの教科書づくりで大切にしたいことを考えます。

◎話す人

  • K(図画工作科教科書の元編集担当)
  • N(図画工作科教科書の編集担当)
  • U(「学び!と美術」Vol.149担当)

表紙で伝えたかったこと

U:初めに、歴代教科書の表紙を見ながらお話ししたいと思っています。初期の教科書は現在のA4判とは判型も異なり、児童作品の扱い方も違っていますね。昭和38年度版は、シンプルでおしゃれな印象です。

昭和38年度版教科書。上下巻に分かれず、学年ごとだった。

K:児童作品を切り抜いてデザインしていますね。2年生は1年生より色を使っているとか、3年生のモチーフは身近なものから外に向かっているなとか、5年生は工場だから社会とのつながりですね。学年が上がるにつれて、子どもの興味関心の対象が広がっていくことを意識してモチーフを選んでいることが感じられます。
N:そもそも横長だったんですね。自分が子どものころに使っていたものや、入社したときにはすでに縦長でしたので、初めて見たときには驚きました。サイズも小さいですし。
U:初期はA5判でした。A5判からB5判(昭和55年度版)になって、A4判変型(平成23年度版)を経てA4判(令和2年度版)になっています。

判型のうつり変わり(昭和38年度版、昭和55年度版、平成23年度版、令和2年度版)。

K:昭和48年度版では、写真を複数ならべています。

昭和48年度版教科書(1・3・5年)。

N:作家作品も、けっこう載せていますね。
K:5年生、6年生はそうですね。作家作品の鑑賞。日本美術、西洋美術があって……。
N:あとは身の回りのものとか、お花、動物、昆虫……。
U:それと、子どもの作品。
K:子どもの作品と作家作品の割合は、学年によってかなり変えている。教科書の中で取り上げている要素からピックアップして見せているんでしょうね。平成8年度版の表紙は、全体の流れの中で印象が違いますよね。コンセプトが「子どもの造形宇宙」だから。
N:子どもの造形宇宙って、どんなイメージですか?
K:一人の子どもが、いろいろなものを発想するよねってことを表したかったんです。

平成8年度版教科書(1・3・5年)。

プロセスの重要性を伝える情景写真

U:いろいろな発想を大切にする題材を扱っていたということでしょうか。
K:そういう見せ方にしたということかな。例えば、この立体のページと工作のページは、どちらも教科書の題材を考えるときに大切にしていたキーワードである「材・行・想(材料・行為・想像)」の行為からの活動です。立体の「のせて みると」という題材は、最初に何をつくるか考えるのではなく、粘土をたたいたり丸めたりという行為をした上で何を発想できるかという流れになっています。工作の「おと みつけ、おと づくり」も同じで、さまざまな材料で音を出し、何を発想するか。プロセスの中で子どもがどういう発想をして、表現していくかが大事ということを見せたかったんです。
N:今は「図工は過程に学びがある」というのは共通理解されていますが、当時はどうだったのですか。
K:まだまだ作品主義が強い時代でしたね。プロセスの重要性を伝えるために必要だったのが、「情景写真(=子どもの活動風景の写真)」です。今だったら、こんなふうに教科書に情景写真が載っているのは当たり前だと思いますが、当時は「分からない」と言われることもありました。
N:当時はそれぐらい、新しい見せ方だったってことですよね。
K:「なんでこの写真がいるの?」「これより児童作品なんじゃないの?」って。多くの人に言われました。
N:でも一方で、「これが大事」という先生もいらっしゃったということですよね。
K:「この場面がないと、この題材をやる意味がない」と強くおっしゃって、ここには絶対に情景写真が必要だと考える先生もいらっしゃいました。でも、情景写真の意味がうまく伝わらない。
U:それでも、このあと、だんだん情景写真が増えているのは、どうしてでしょうか。
K:情景写真で子どもの姿を見せること自体を否定されたわけではないということでしょうね。これよりも前、昭和50年代に「造形遊び」が入ってきたことで、子どもたちの活動情景を載せることに違和感がなくなったというのはあるかなと思います。その傾向があって、さらに子どもが行っている活動の価値を伝えるために、子どもがどういう活動をしているのかが分かる写真を載せたわけです。そこから増えたのかなという気はしますね。
N:平成8年度版って、転機の改訂なんですね。

「造形遊び」をどう位置づけるか

N:造形遊びへの思い入れというのは、日文の図工の教科書でずっと強くありますよね。
K:日文としては、図工の領域・分野としての「造形遊び」の誕生にかかわった先生方を著者に迎えて、「造形遊びとは?」というところから何度も議論を重ねながら教科書をつくってきました。もともとなかった分野なので、学習指導要領で示された当初は分かりにくい部分もありました。例えば木片の大小を考えながら並べていく、並べながら、ああしたい、こうしたいと発展させていく……というのなら分かる。でも、この活動(共同でかいている様子=平成元年度版教科書)の意味やねらいを理解するのが難しい。
N:子どもたちがみんなで、地面にチョークでクジラをかいていますね。
K:そう。「これは絵のページじゃないの?」ってなりませんか。
N:確かに、一見すると絵に表す活動のように捉えられそうです。
U:目次を見ると、これは造形遊びと絵の両方の題材になっているんです。今では考えられないのですが、平成元年度版では、「造形遊びと絵」、「造形遊びと工作」が一つの題材の中に混ざっているような状態でした。
K:このころって、移行期……「造形遊び」をどう扱うのかを、著者の間でも何度も議論しました。造形遊びは最初、「造形的な遊び」といわれて、子どもの自然発生的な遊びの中から出てくるような造形活動として出てきた。それを教科書の中で位置づけようとすると、教科の体系から考えたときにうまくいかない。だから絵や工作につながる造形遊びならいいだろうと、教科書の中では複合的な扱いにしたということです。
N:例えば「立体」の題材でも、針金を手で曲げたりねじったりしながら考える……というように、造形遊び的な要素が含まれますもんね。こういう見せ方をしていた時代もあったんですね。

子どもの「思い」を大切にしていく

N:Kさんが編集担当をしていた頃の先生方は、図工の教科書づくりでどんなことを大切にされていましたか。
K:子どもの「思い」を大切にしていくと。それは強く言っていたかな。
N:今も大切にしていることですね。そのころから言われはじめたんでしょうか。
K:うーん。ずっと前から意識としてはあったけど、ようやく言語化されたということだと思います。例えばこの作品(お風呂で子どもが父親の背中を流している様子=昭和61年度版教科書)なんかは……。
N:いい絵ですね。
K:いい絵だと思うよね。それはやっぱり子どもの思いがあるから。
N:ああ、そうですね。お父さんが好きなんだろうな。
K:「楽しいとか嬉しいとかが、よく表されている絵だよね」とか。そういう会話というのは、いつの時代も当たり前のようにあるわけです。
N:会話というのは、先生との間や編集者どうしで、ということですね。
K:そう。たくさんの作品の中から選んでいく中で「これ、いい絵だよね」という話は出てきますよね。そういう時間は、著者と編集者の間でいつも共有していました。
U:先生方と編集者が「いい絵だ」と思う作品は共通していたということでしょうか。
K:そうですね。
U:ということは、みんなに「思い」が伝わってきたということなんですよね。
N:だから今、Kさんは私に「やっぱりいい絵だと思うよね」って、聞いたんですね。
K:そう、そう。
N:確かに、昔の子どもたちだし、選んでいる人も違うのに、教科書の、どの作品を見ても「いいな」「好きだな」と感じます。自分とは違う時代を生きていた子どもたちや先生と「思い」がつながったみたいに感じられて、うれしいです。
K:そのへんがもしかしたら、続いてきていることなのかもしれないね。著者の絵のみかた、会議のときに話されていたことは、僕の中にもあるし、それを引き継いだ著者の先生方がいて。そこから新陳代謝があって、編集メンバーは新しくなっていくけれども、しっかりと引き継がれているところはあるかなと思います。
N:関わってくださった先生方、編集部もそうですけども、脈々とこう。教科書づくりの過程で、実際に子どもの作品を目の前にしてたくさん話し合っていたから、それこそ「思い」が引き継がれたんだろうなと思います。

子どもの話が聞こえてくる作品

N:Kさんから見て、先生方が選ばれているいい作品の共通する点、方向性みたいなものって、ありましたか。
K:子どもがお話ししたいことがいっぱいあるんじゃないかな、と思える絵かな。
N:お話ししたいことがいっぱいありそうな絵、ありますよね(笑)。
K:ありますね(笑)。
N:以前、ある著者の先生が「子どもがいっぱいしゃべっている絵がいい絵です。けれど先生の声ばかりが聞こえてくる絵を見かけることがあります」という表現をされていたんです。子どもの「思い」を見取る大切さは、著者の先生どうしでも受け継がれたんだろうなと思いました。そうやって図工の世界ができているなと感じます。
K:言葉にすると、抽象的な「子どもの話がいっぱい聞こえてくる」というような表現にしかならない。私も最初からたくさんのお話が聞こえてきたわけではなくて、教科書編集にかかわる中でたくさんの子どもの作品に出会ううちに、だんだん聞こえるようになってきたんだと感じます。だから、子どもと接している人だったら分かるんじゃないかと、僕は期待しているんです。やっぱり作品の奥には子どもがいるので、作品を通して子どもを見ることができれば、図工の授業はもっと楽しくて素敵な時間になっていくんじゃないかと思います。

【親子インタビュー】前編:図工はありのままの自分を表現できる時間だった

足立区立弘道小学校の鈴木由理先生が「図工の先生」として働くきっかけとなったのは、長男・藍さんが小学6年生のときにかいた一枚の絵でした。

由理先生は、「それまで『自分の内面と向き合う絵をかく』という図工の授業があることを知らず、衝撃を受けた」と話し、現在、社会人1年目の藍さんは、「自分をさらけ出してかいたものは、今見返しても当時のことを鮮明に思い出せる」と語ります。

小学生であった藍さんは一体どのような図工の時間を過ごし、母である由理先生はそこから何を感じ取ったのでしょうか。「6年生の藍さん」と「21歳の藍さん」が表した二つの絵を見ながら、お二人に話をうかがいました。

子・鈴木藍(すずき・あい)さん:写真左
母・鈴木由理(すずき・ゆり)先生:写真右

小学6年生だった藍さんが図工の時間に表した作品──「心の中の植物」

藍:これをかいた当時は中学受験を控え、勉強や成績に追われてストレスを抱えていた時期でした。そんな自分にとって週に1回の図工は待ち遠しい時間。この絵は、手に絵の具をつけて、キャンバスの手触りを感じながらかいていったのですが、それ自体も「絵とはこうかくもの」という自分の中の常識が覆される体験でした。手や土を使ってかくという行為が楽しすぎて、気持ちよくて。最初はシンプルだったものにいろいろと付け足していったんです。

由理:例えばこのぼこぼこした岩肌は、何でこうしようと思ったの?

藍:岩を登っている黒い人のようなものは自分自身。今、自分は暗い冷たい場所にいて、将来どんな姿になるのかわからない不安を表している。一方で可能性も感じていて、何か一つ乗り越えたときに岩が一つずつ崩れて、不安要素が消えていくというのを表現しました。

由理:下の方は暗くて、上の方にいくにつれて色が明るくなるけれど、どこから塗っていったの?

藍:当時はポジティブには捉えられない状況だったので、背景から暗い色で塗っていった。一方で、幸せな未来があるという希望も表現したかったので上は明るく。つぼみから咲く花や扉の先をかかなかったのは、今の自分にはどんな未来があるのか分からないし、かかないほうがもっと自分に期待できると思ったから。

日々、不安な気持ちを抱える中で、図工の授業は、うまいへたではなく、ありのままの自分を表現できる時間だったんです。だからその表現を認めてもらえたときには、「自分自身を認めてもらえた」という今までにないうれしさがありました。

子どもは自ら育つ力をもっている

――由理先生は、藍さんの作品をどのように受け止めたのでしょうか。

由理:当時の藍は受験もそうですが、お友だちとのトラブルにも悩んでいました。息子が学校から帰ってきて泣いていることがありました。母親としては何とかしてあげたい。藍が傷つかないように、悲しい思いをしないように先回りをして、アドバイスをして……。私自身もまた悩んでいました。

ところが小学校の展覧会でこの絵を見たときに考え方が変わりました。私は、この子は何を表そうとしているのだろうかと、かかれているものを一つひとつ丁寧に見ていきました。実は絵を見ただけの時は何を表しているのかよく分かりませんでした。でも、作品に添えられた藍のコメントを読むと、「人と一緒に生きていく上では、コミュニケーションの難しさがある。それでも自分はたくさんの人と関わりながら生きていきたい」と書いてあったのです。

まだ子どもだと思っていた藍が悩み苦しみながらも自分の力で強く真っすぐに生きようとしていることに気づかされました。本当に感動して、涙が込み上げてきました。そうしたら、友人関係の問題が些細なことに感じられて、親が心配しなくても、藍は自分の力で育っていくことができるのだと思えたのです。

藍は、この絵をかきながら自分の中にある全ての感情と向き合い、全てを出し切ったのだと分かりました。この絵は藍そのものであり、分身のようなものだと感じて、愛おしくて抱きしめてあげたくなりました。

私が小学生のときの図工って、花や風景をよく観察して美しくかいてみるとか、生活に役立つものをつくろうとか、写実的で技能的なことを学ぶことが多かったように思います。でも、息子の図工を担当してくれた先生は、人の内面を表していく授業もされていました。そこには自分の思いを、ネガティブなものも含めてすべて形や色で表現することができる環境がありました。私は、子どもからこんな表現を引き出す図工があることに衝撃を受けました。

――藍さんご自身は、絵に表していくなかでどのような心境の変化があったのでしょうか。

藍:小学生ですし、それまでは自分を俯瞰したことがなかったんです。それが絵をかくことで自分の思いや状況が可視化されて、自分は意外としょうもないことで悩んでいたんだって感じて……。

由理:絵と向き合う中で、ネガティブだけじゃない感情があることに気づいたり、自分のことを客観的に見たりすることができたのかもしれないね。

藍:かいているときに先生が机を回って、いろんな子に「これはどういう意味があるの?」って聞いていました。問われて考える。その時の、表していることを言葉にして他人に伝えるという行動が、自分の中での解決や絵の表現にもつながっていったのではないかと思います。当時、図工は週に2時間。週ごとに心情もどんどん変わっていく。何度も何度も塗り直しました。絵は明るくなった時もあるし、暗さを増した時もあって、キャンバスでしかできなかった表現かもしれない。失敗したらどうしようではなくて、悔いなく思いをぶつけていく感じでした。

ネガティブな感情も吐き出して

――思いをぶつけるように表現したとのお話がありましたが、由理先生は、現在、図工の先生として日々、子どもたちと接しているなかで感じていることはありますか。

由理:図工の作品では、いわゆるだれが見てもじょうずなもの、きれいなもの、先生や親に「いいね」って言ってもらえるような絵をかくことが正しいと思っている子が割と多いように思います。でも、図工って、そうじゃなくてもいいのではないかと思っています。

教科書にある 「消してかく」(※1)という題材をアレンジして取り組んだ時に、5年生の一人の男の子が画面一面をピンクで塗りつぶした後に「呪」などの強烈な言葉を書き始めました。理由を聞いてみると「イライラしている。どうしても憎いやつがいる」というのです。では、憎しみの言葉を書いてみてどうだったか尋ねると「何も変わらないよ」と。そこで私は「じゃあ、気が済むまでかこうか。自分の思いをかいてもいいし、消してもいいし。とにかくぶつけてみよう」と提案すると、さらに激しく怒りの感情をぶつけてかいていました。

その子の様子に気づいた周りの子たちがざわつき始め、興味津々で遠くから眺める子、「おまえ、どうしたんだよ!」と声を掛けにいく子、「先生、○○君が大変なことになっています!」と報告しにくる子がいました。

そんな感情をむき出しにしてかいているその男の子の隣には、何をかいていいかわからない女の子がいました。二人は特に干渉し合うというわけでもなく、ただ隣り合ってかいていて、しばらくすると、手が止まっていた女の子が画用紙の真ん中に大きく「闇」と書きました。聞いてみると「自分がどうしたらいいかわからないから。今の気持ちは闇」だと。「勉強も好きじゃないし、お友だちと関わるのも好きじゃないし、夢があるわけじゃないし、表したいことが何もない」と言うのです。私は、彼女から何か表現に結び付けられるようなものを会話の中から探ってみましたが、かきたいものは何もないと。では、「好きじゃないものをかき出してみよう」と提案したところ、彼女は、本の絵をかいてバツをして、鉛筆やノートをかいてバツをするということを繰り返していきました。

しばらくすると今度は、男の子のほうがかいていたネガティブな言葉を塗りつぶし始めました。なぜ、塗りつぶしたのか聞くと、「ちょっと気が済んだ。あいつのことなんかいいや。とにかく俺は真っ黒にする」って言いながら、今度は全力で画用紙全体を真っ黒にし始めました。

隣で彼の姿を見ていた女の子は、こんなにも自分の思った通りにやっていいんだって気づいたみたいで、手が急に動き出して、一緒になって真っ黒にし始め、さっきまでかいていた好きじゃないものを塗りつぶしていました。その心境の変化を尋ねてみると、「今までは勉強が嫌いって言ってはいけない、お友だちと仲良くしなければいけないって思っていた。でも先生に思うままにかいていいって言ってもらって、『もうやだやだやだやだ』って思いながらかいていたら、ネガティブな感情も自分の中にもっていていいように思えてきた」と言っていました。

結局、この題材で彼女は自分が納得する作品をつくることはできませんでした。ただ、作品をかき終え、友だちの作品を見合う鑑賞の学習の中で、友だちから寄せられたコメントを読んでとてもうれしそうにしていました。そこには、「この気持ちわかる」「暗黒だな」「真っ黒ではなく、白いところもあるのがいいね。とてもいい!」「なんか暗いけど大人っぽくていいね!○○ちゃん、なんかあったらいつでも言ってね」とありました。

藍:自分の経験でいうと、普段はまったく絵に興味がない子でも図工の授業のときには絵に向き合っていた。その絵が周りに与えるパワーにはすごいものがありました。どんな子かわからなくても絵を見ると、何となくニュアンスを感じ取ることができる。

由理:この題材で、彼女は学校にはどんな感情も受け止めてくれる先生や友だちがいることに気づけたのではないでしょうか。私も教育現場で友だちと関わり合いながら学びを深めていくことの大切さを感じました。

学校生活の中で、常に自由奔放に生きている子がいる一方で、いい子でいなければいけないとか、ネガティブな感情は心に秘めておかなければいけない、そんな風に思っている子も多いように思います。自分自身もそういう子どもでした。でも、どこかで吐き出す場所は必要だと思っています。

絵の中の世界は自由です。だからこそありのままをぶつけていいんだと伝えていています。そうすることで子どもは作品や自分と向き合う時間の中で、生き生きと自分を表現することができるんです。私は、図工・美術の学びを通して、自分の感情を表現する術を身に付けてほしいと思っています。

由理:図工では、子どもをありのままに受け止めてあげたいとか、自由に表現してほしいと言っておきながら、実はわが子にはそれができなかったんです。

※1:コンテで塗りこめた画面を消しゴムで消して形を浮かび上がらせたり、かき足したりしながら表したいものを考え、表す題材。令和6年度版『図画工作』5・6上に掲載

鈴木由理(すずき・ゆり)
足立区立弘道小学校 教諭。専業主婦から教員へ。港区で講師を経て現在は東京都図画工作科専科教員。児童一人ひとりの生まれもった感性を大切にしながら、その子ならではの表現を引き出せるよう日々の実践を通して研究をしている。

鈴木藍(すずき・あい)
山形大学 建築・デザイン学科卒業。学生時代は建築デザインを専攻。学内の設計課題では山形の豊富な自然を生かしたランドスケープデザイン設計に取り組んでいた。現在は、不動産コンサルタント営業職として学生時代に力を入れていた現地調査力を生かし、ニーズに合った土地活用方法を提案している。

photo: Kazue Kawase

図工・美術のアン・ラーン ~これからの図工・美術の先生(第3回)~

連載「これからの図工・美術の先生」では、各地の大学で図工・美術の教師を目指す学生たちを指導している先生方に、「いま、どんな授業をしているのか?」についてうかがいました。授業に込められた、「将来、こんな図工・美術の先生になってほしい」という願いをひも解いていきます。

第3回は、明治学院大学の手塚千尋先生の授業です。

教員養成課程の学びでいかに「図画工作・美術」をアン・ラーン(学びほぐし)するか

私の所属する教員養成学科の学生たちは、1年生で「図画工作(教科内容)」を、2年生で「図画工作科指導法」を履修し、2年間で図画工作科の教科特性への理解と教育実装化に向けた知識・技能の基礎・基本の習得を目指します。

1年目の授業コンセプト

「自分なりの」モノの見方、とらえかた、考え方、イメージを「発見する」。

1年目は上記のコンセプトに基づき、造形遊び、絵や立体、工作の分野から7題材をかなりタイトに詰め込んでいます。

【1年目の授業で取り組む7つの題材】

1

<視点を変える1>
「なにが みえてくる?」

身の回りにある素材の色・形・質感を生かした組み合わせから考える

2

<視点を変える2>
「日常のリ・フレーミング」

自作フィルターによるスマホを使った写真撮影+エッセイによる表現

3

<色彩1>
「色水遊びから広がるイメージ」

減法混色・加法混色の原理・環境の特徴を生かした造形遊び

4

<色彩2>
「今年の1文字」

トーン配色・切り紙による表現

5

「ふしぎな ぼうし こうぼう」

「かぶる」工夫を考える

6

ことばからのイメージ

自分が好きな物語、歌詞、俳句、詩の世界観をミクスドメディアで表現する

7

動画編集によるムービー作成

高校生に向けて学科のプロモーションビデオをつくる

とにかくまずは現行の学習指導要領で育成が求められている「造形的な見方・考え方」や、それらを働かせることを通じて育成したい資質・能力とはどのようなものかを、様々な題材を通して体感することを第一のねらいとしています。

その上で、「アート」がどのような学びの機会を提供し得るのか、そして「アートの学び」とはどのような経験かということを体験ベースで思考できるようにすることを第二のねらいとしています。

受講生はセルフ・ドキュメンテーションによるポートフォリオ作成と、全ての題材のプレゼンテーション・相互鑑賞に取り組みます。「自分」が何に気づき、なぜ/どのようにしてその表現やコンセプトにたどり着いたのかを振り返ること、他の受講生が自分とは異なる考えをもち、表現しようとしていることに気づき、語りを聞くことを通して、図画工作や美術の学びで学習者は一人ひとりの「ラーニング・ストーリー」を紡いでいることや、個人の経験に立脚した「知識」が構築されていくことを理解していきます。

学生のポートフォリオより

↑色水遊び(題材③)の様子。

↑学生作品「花園ジェットコースター」(題材②「日常のリフレーミング」写真とエッセイ)

↑学生作品「夢現」(題材③「日常のリ・フレーミング」写真とエッセイ)

2年目の授業コンセプト

☞ 社会と美術(アート)/美術教育の関係性に触れながら、「なぜ図画工作科・美術科が義務教育に位置づけられているのか」を自分の言葉で説明できるようにする。

2年目は、上記の授業コンセプトに基づき、図画工作の授業設計の前提となる知識観や学習観を理解し、授業のデザイン原則について理解することをねらいとしたカリキュラム構成となっています。

具体的には、学習指導要領に示されている「知識」に関する以下の内容を、背景にある理論と指導案作成・模擬授業の実施による実践の双方から理解を深めていくということになります。

「なお、ここで言う『知識』とは、形や色などの名前を覚えるような知識のみを示すのではない。児童一人一人が、自分の感覚や行為を通して理解したものであり、(中略)児童が自分の感覚や行為を大切にした学習活動をすることにより、一人一人の理解が深まり、「知識」の習得となる。これは、図画工作科が担っている重要な学びである。」

(小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編p.13)

授業前半は演習を交えた座学を中心に行い、後半はグループで教科書題材の題材研究、指導案作成し、模擬授業に取り組みます。その後、作成した指導案、模擬授業動画、ふりかえり動画をグループ間で相互閲覧し、学生同士でフィードバックを行います。

この課題では、「自分たちで立てた指導案通りに導入を実践してみたけれどうまくいかない!」ということを経験し、改善策を考えられるようにすることを大切にしています。

2年目の共通コンセプト

図画工作科をアン・ラーン(Unlearn:学びほぐし)する。

上記が、2年間のカリキュラムに共通するコンセプトです。学習者自身の学びの履歴には、ポジティブ/ネガティブな記憶・思い出…と色々とありますが、まずは知らずしらずのうちに凝り固まった「図画工作科」のイメージや理解を一度壊してみる。壊して、スキマを開けてみる。「10年に一度、学習指導要領は改訂されているから(自身の学習観を)アップデートしてね」と伝えると妙に納得した様子を見せる学生もいます。

「小学生に戻ったかのように楽しんだ」という感想が「考察」へ変わる時

1年目の授業前半、ポートフォリオやプレゼンテーションには「久しぶりに取り組む図画工作がとにかく懐かしくて、小学生に戻ったかのように夢中になった」という感想が並びます。もちろん、こうした感情の動きも大切にしたいところですが、自らの取り組みを考察できるようするには、振り返りの視点が必要です。

そのため、制作途中でも「あなたはどう感じた?」「なぜその色を選んだの?」「どうしてそう思ったの?」と振り返りを促す声掛けをします。中には、質問攻めにたじろぐ学生もいますが、「今、話してくれたこと、すごくステキだったなぁ。ぜひポートフォリオに残して!」と伝えると、はにかみながらも、「そうか、こういうことが『学びの過程』」なのかと、はっとした表情でメモを取っていきます。

自分の学びを自覚することや、その積み重ねが「知識」として自己内に蓄積されていくイメージが実感と共に獲得されると、学生の学びはやがて自走していきます。

さらに、カリキュラムの2年目で取り組む指導案作成と模擬授業(導入)では、図画工作科に対する理解をパフォーマンスで見取ることができます。即ちそれは、これまでの2年間で私が学生へ提供してきた授業で形成された図画工作科への理解でもあることから、私自身への評価という意味で毎年緊張する課題でもあります。

学生がつくる授業の最近の傾向としては、「みんな違って、みんなよい」が到達点として設定されがちです。それは、あくまでも共有すべき図工の学習観・知識観であり、それを可能とする学習環境をいかにデザインするかを学生自身が説明できるようになれるよう指導を心がけています。迷いながらもグループで課題達成しようと取り組む学生の姿に頼もしさを感じています。

「令和の学校型教育」で求められる「新たな教師の姿」

令和4年の中教審答申(*1)では、「令和の日本型学校教育」を担う「新たな教師の学びの姿」として、「変化を前向きに受け止め、探究心を持ちつつ自律的に学ぶ教師」像が明文化されました。それは、「教師自らが問いを立て実践を積み重ね、振り返り、次につなげていく探究的な学びを、研修実施者及び教師自らがデザインしていくこと」によって実現されるとも示されています。

つまり、自分に必要な知識・技能とはどのようなものか、そのためにどんな手段で何を学ぶべきか、といったことをセルフ・マネジメントする態度とスキルが必要になるということです。

さらに、探究者としての教師には、児童・生徒と共に「問い」を生む学習者としての側面や、対話するパートナー、問題解決場面で新たな視点を提案するファシリテーターなど、複数の役割が求められていくことが想定できます。予定調和的な学習を越えた学びを共創する存在としても期待されているのです。

探究的な姿勢や学びの習慣といった探究者としての基盤を築くためにも、養成段階では多視点から事象を探ることや、「問い」を生み出すこと、仲間との協働的な問題解決過程で多様なスキルを発揮するなど、実際に探究的な学びそのものを経験することが必要と考えます。

図画工作や美術の学習活動や美術作品の制作は、自己の感性を軸に思考したり、試行的な造形行為の繰り返しから表現方法や他者や社会との関係性をとらえ直したりすることを通して、自己の考えを深めていく探求/探究的な側面を有しています。「芸術的省察(小松、2018)(*2)」は、探究者としての教師の基盤づくりへの貢献だけではなく、不確かな世界を生きるために必要なスキルと態度の獲得にもつながると考えています。

↑「ふしぎなぼうしこうぼう」(題材⑤)では、「ふしぎな帽子」の職人になりきって制作を進める。最後のプレゼンテーションでは、取扱説明書を元に、お客さん役の学生へ帽子の魅力をセールスする。「お客様、よくお似合いです!」の声にポーズをとる学生。

※1:「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について~「新たな教師の学びの姿」の実現と、多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成~(答申)(中教審第240号)/令和4年12月19日
※2:小松佳代子(2018)『美術教育の可能性―作品制作と芸術的省察』勁草書房

手塚千尋(てつか・ちひろ)
明治学院大学准教授。兵庫教育大学大学院連合教育学研究科修了。博士(学校教育学)。人とひととがよりよく生きることに貢献できる学びの環境デザイン原則の構築をめざして、広義の異文化理解アートワークショップや美術教育における協働的な学びの実践研究に取り組む。著書に、『色のまなび辞典』(編著、星の環会)、『子どもの表現とアートベース・リサーチの出会い:ABRから始まる探究(2)初等教育編』(編著、学術研究出版)がある。

先生になっていく自分をつくる ~これからの図工・美術の先生(第2回)~

連載「これからの図工・美術の先生」では、各地の大学で図工・美術の教師を目指す学生たちを指導している先生方に、「いま、どんな授業をしているのか?」についてうかがいました。授業に込められた、「将来、こんな図工・美術の先生になってほしい」という願いをひも解いていきます。

第2回は、千葉大学の佐藤真帆先生の授業です。

私が大学の教員養成コースで担当している授業の多くは、教科の指導法に関わるものです。美術を専門としていない学生が多いため、関心をもって授業に取り組めるように工夫しています。教師になっていく学生が主体的に考えられるように、実際に「つくること(美術の活動)」を取り入れています。

つくって語る

美術教育のゼミでは「なぜ、美術を学校で学ぶのか」について文献を読んで議論したあとに、それぞれが考える「美術教育」をコラージュなどで表現してもらいます。この活動は、つくることを通して自分なりの見方・考えを大切にする経験をしてもらうために行っています。

初めは「難しい」「え、どうしよう」と言いながらも、雑誌や広告などを広げて切り抜き始めると、集中して取り組み始めます。

↑雑誌や広告などを切り抜き、コラージュの素材をつくる。

↑同じ「美術教育」がテーマでも、思い浮かべるイメージがそれぞれ異なることが視覚化され、対話が生まれる。

この活動を実際に体験することで、視覚表現と言語表現は同じくらいにパワーがある大切な表現なのだと改めて気づかされます。

ニュアンス、曖昧さ、繊細さ、関係性なども視覚的に表現できるので、より学生各自の声(感じたことや考えたこと)が反映され、つくった本人さえも知らなかった自分に出会うのではないでしょうか。互いの真剣な声に触れることによって学習が活発になっていく瞬間がありました。

つくって「学び」を発見する

図画工作科教育法の授業では、先生にとって身近な教材である教科書に掲載されている題材を取り上げ、実際にみんなでつくってみる時間を設けます。

教科書には実際の児童作品が載っていますが、作品を単なるゴールイメージとして捉えるのではなく、それぞれの作品をつくる過程に多様な学びがあることを体験的に知ってもらうために行っています。

色紙を折ってはさみで切り取ってさまざまな形をつくる活動での例をあげてみます(「ちょきちょき かざり」令和6年度版図画工作科教科書1・2上p.14)。

ある学生が、色紙を四つに切り分けてしまいました。そのとき他の学生から「それは失敗ではなく、どうしてそうなったのかを考えるきっかけではないか」と新たな視点を教えてもらうことができました。ここでは、「失敗」が学びのきっかけになることに気づくことができたようです。

また、初めは少ししか切り抜けなかったのに、二つ目よりも三つ目と、より大胆に切り込みを入れて形がつくれるようになった学生がいました。新しいことにチャレンジするときの不安は誰にでもあるのだと気付き、学習者である子どもの気持ちに寄り添った指導を心がけようという意識につながったようです。

この題材では、色紙を開いて、つくったものを見て、再び折って切り抜くことができます。学生は「戻ることができる」と言っていました。いつもなら不安で仕方ないのですが、この活動では「何ができるか楽しみ」になっていきました。

振り返りのコメントには、自分ならどのような授業にするかという面白いアイデアがたくさん書かれていました。ここにも学生自身が主体的に図画工作科教育について学び始めた瞬間があったように感じます。

↑学生がつくった作品。全部で約90作品あるが、並べてみると同じものがないことに驚く。

先生になっていく自分をつくる

以前、「あなたはどう感じましたか」という問いかけに戸惑う学生の姿に考えさせられることがありました。彼らなりに感じたり、考えたりはしているものの、そのことに注意を向けていないように見えました。

これまでの学習の中で、自分の感じたことや考えたことを聞かれた経験が少ないのでしょうか。

これまで私が関わってきた教科総合のプログラム開発の研究を通して、他の学校教科に比べ、美術は「個人」が学びの中心に据えられる教科であることを知りました。

そして、美術を基盤としたカリキュラムは、たとえ同じゴールに行きつかなくても、多様な学びが生まれることを可能にするのではないかと考えるようになりました。

そのため、これから教師になっていく学生には、美術を通して、主体的に人やものに出会い、それまでの考えを変化させ、新たな意味を生み出していくという体験をしてほしいと思うようになりました。

前述の授業は、そのような学びをつくりだし、見いだせるよう、私が日々探究している一部を紹介したものです。

カリキュラムは学習指導要領や指導案のように事前に書かれたものだけを指すわけではなく、教師と子どもが未知のものを対話的につくっていくという側面があります。

あらかじめ決められた目標や内容だけでなく、開かれた可能性に目を向けることは、個別最適な学びを実現していく鍵となります。

教師として自分には何ができるかを考え、目の前の子どもと一緒に創造的に学びをつくっていく過程は、美術の経験と重なります。そして、これが私のスタートでもあり、今でも夢中になって取り組んでいることです。

美術の先生を目指す皆さんには、出会いを大切にし、先生になっていく自分をつくっていってほしいと思っています。

佐藤真帆(さとう・まほ)
千葉大学教育学部准教授。専門領域は美術教育。特に、工芸教育、創造性とデザイン思考、文化遺産教育、持続可能性と美術教育、幼児教育の総合プログラム、教師教育、アートベース・リサーチなどに関心をもって教育、研究を行っている。現在は、芸術を基盤とした教員養成カリキュラム、国際協働学習の開発に取り組んでいる。日本文教出版令和6年度版小学校図画工作科教科書著者。

時間も人も超えて「つながる」美術の授業 ~これからの図工・美術の先生(第1回)~

連載「これからの図工・美術の先生」では、各地の大学で図工・美術の教師を目指す学生たちを指導している先生方に、「いま、どんな授業をしているのか?」についてうかがいました。授業に込められた、「将来、こんな図工・美術の先生になってほしい」という願いをひも解いていきます。

第1回は、茨城大学の小口あや先生の授業です。

教員養成の重要性

私は現在は大学に勤務していますが、その前は15年間小学校教員をしていました。教員になる道を選んだのは、小学校6年生のときの担任の先生や中学校の美術の先生のようになりたかったからです。

小学校6年生のときの担任の先生は、図工の時間に私の絵をよく褒めてくださいました。自分が失敗したと思っていた風景画の色塗りも、「こういう塗り方もいいものだ」と感心したように眺めてくださっていました。そういう見方もあるのか、と意外に思ったことを覚えています。

また、あるときは黒板に「一筆一色」と板書されて、「難しいかもしれないけれど、一筆ごとに少しずつ色を変えて塗るようにしてごらん」とおっしゃいました。

当時の私には確かに難しかったのですが、一生懸命にそのように色をつけていくと、今までの自分の絵にはなかった豊かな表情が生まれました。

描き方によって、豊かな世界を生み出すことができることを先生は教えてくださいました。自分の表現の可能性を広げてくださる方でした。

その先生の影響で、中学校では美術部に入りました。顧問の美術の先生もたいへん一生懸命に見てくださる先生でした。大学を出てそれほど経っていない、お若い先生でした。

部活の時間になると、先生はご自身の大学時代のお話や美術についてのいろいろなお話をしてくださいました。

私が家で毎日してくるデッサンを丁寧に指導してくださいました。また、あるときは休日に希望者を集めてスケッチ遠足に連れて行ってくださったりしました。お忙しかったでしょうに、美術が好きになり始めた我々に、本当によく寄り添ってくださったと感謝しています。

今思い返すと、世界には美術という価値あるものがあるということを、小学校や中学校の先生方は私の人生の初期に実感させてくださっていました。こうした個人的な経験もあり、図画工作科や美術科を指導する教師を育てることは非常に重要だと考えています。

つながる授業

昨年末、長年共に過ごした我が家の愛猫とお別れをしました。老衰だったようで、私を含めた家族に見守られながら旅立ちました。

命が尽きる少し前に、私は愛猫が生きている最後の姿をスケッチブックに刻み付けるようにボールペンで描きました。悲しいけれど大切なときを自分の手で残すことができました。おかげで、大好きな存在に最後までしっかり寄り添えたように思います。

それは、私に描く力をつけ、描くことの意味を見いだせるように指導してくださった小学校以降の先生方のおかげでした。先生方が教えてくださったことが、ずっとあとに私の人生の大変な場面で出現し助けてくれたのです。

学生には、自分が行った授業が教え子の未来や人生につながっていることを意識して教壇に立ってほしいと思います。

数年前から、私のいくつかの授業では「美術の専門家としての教員」と対話する授業を1回入れています。授業科目によって異なりますが、最も多いときは画家、彫刻家、平面デザイン作家、ユニバーサルデザインの開発者・研究者・デザイナー、美術史家の先生が、ご自身の作品やご研究を携えて参加され、学生と向かい合います。

もちろん学生は、大学教員としてのその先生方とはすでに顔を合わせているのですが、この授業では作品や研究をしている美術の専門家としての先生方に出会うことになります。

授業では、学生は美術の専門家やその作品や研究と対話したあとに、指導案の作成や模擬授業などの美術科授業づくり、その発表(口頭発表や模擬授業)を行います。授業の終わりには「自分が出会った美術の意義をつかみ、学生自身の考えによって、美術科授業の計画から実践、評価までを一通り自力で行うことができる」ことを目指して行っています。

この授業は、美術の専門家が人生の長い期間をかけて真剣に取り組んできた美術に対する姿や考え、そして何よりも目の前で生きている美術の専門家に触れることで、より広い視野で美術を捉えることを最大のねらいとして行っています。

例えば、彫刻家の島剛先生は、ガラスを溶かしてつくったご自身の作品を見せ、学生からの感想や問いに対して応える形で対話を進めていきます。

対話は表現の根源に触れられるように進められます。人生を通して真剣に制作に取り組んできた芸術家の表現の根源に触れることは、1回の授業では難しいものがあります。とはいえ、島先生とその作品に触れたあとで学生がつくった題材には、島先生との対話が反映されています。

芸術家と、芸術家が本気で追究してできた作品を体験した学生は、教師となったときに、そのときの自分の想像を超える美術の深さや広さが存在することを知った上で現場に立つことができると思います。

また、美術には人と共にあるという側面もあります。例えば、ユニバーサルデザインの研究者であり開発者でありデザイナーでもある齋藤芳徳先生は、介護用の浴槽やいすを開発してきました。学生は、その開発経緯を齋藤先生の論文を読んだり齋藤先生と話をしたりしながら聞きます。

齋藤先生の授業を聞いた学生がつくった題材や授業には、「その場に行って確認する活動」が入っています。それは、齋藤先生が浴槽やいすを開発するために、実際にさまざまな介護現場に行って調査を行う姿と重なります。

学生は美術で学ぶことは自分のためだけではなく、他の人の人生に寄り添うためのものにもなることを学ぶのです。

学生が将来教壇に立ったときには、教科書の背後にあるこうした芸術家や研究者、それぞれの作品や研究があることを意識して授業ができるようになっていてほしいと思います。

大学の授業は最後に成績が出てひと段落します。ただ、私はそこを全てのゴールとはしていません。それはどの校種の先生も同じではないでしょうか。

卒業後しばらくして、あるいはずっと先のどこかで「あのときのあの先生の話(作品・研究)とつながった!」「そういうことだったんだ!」と気づくことがあります。

学んだことが私が愛猫の最後の姿を前にしたときのように、教室での授業を超えた「ここぞ」というところで現れるかもしれません。教壇に立って教えることは、教室の外の、過去にも未来にも、自分以外の誰かにもつながっているのです。それを学生が少しずつ実感できるように、私は授業をしています。

小口 あや(こぐち・あや)

茨城大学教育学部(教育学野)美術教育教室講師。茨城大学教育学部学校教育教員養成課程美術コース卒業、同大学教育学研究科教科教育専攻美術教育専修修了。茨城県公立小学校教諭勤務、茨城大学教育学部助教を経て現職。
鑑賞教育、美術科授業づくりについての研究を行っている。日本文教出版令和6年度版小学校図画工作科教科書著者。

【studio COOCA】「自分を生かす、社会で生きる」を考えられる居場所 ~突撃! 図工な企業(第2回)~

図工力(※1)を発揮して活動している(と編集部が感じた)企業などを訪問し、働く方々のお話を聞きながら、図画工作や美術を学ぶ意義を捉え直すシリーズの第2回目。

今回の「図工な企業」は、株式会社愉快(ゆかい)。生活介護・就労継続支援(B型)施設、studio COOCA(スタジオ クーカ)を運営している企業です。「どうやって食うか?」を旗印に、創作活動を前面に出し、ギャラリーでの積極的な発表・販売や企業とのライセンス契約を行ったりしながら就労支援を提供しつつ、さまざまな障がいを抱える方々が「自分を生かすこと、社会で生きること」を考える場所となっています。施設長の関根祥平さんに、studio COOCAの活動と株式会社愉快が目指すものについて聞きました。

◎お話を聞いた図工な人々

  • 関根 祥平さん(株式会社愉快 代表取締役、studio COOCA 施設長)

課題は「新しい可能性」と捉える

関根:studio COOCAのいちばんの特徴は、ここで何をするのか先に決めず、まず利用者の方と面談をして、その方が何をしたいかというところから始めることです。利用する曜日は決まっていますが、本人のペースで活動を始めて、本人のペースで終わっていい。

――「何をするか」を決めていくときに、関根さんが意識していることはありますか?

関根:とことんポジティブにその人を見て、捉え直すことです。

うちに、段ボールの封をしている透明なテープをはがして、ひたすら三角形に折る方がいるんです。彼は、誰かが注意されていると自分事として捉えてしまったり、大きな声に反応してパニックになってしまったりして、その集団にいられなくなってしまうことが度々あったようで。以前から保護者の方がアートに可能性を感じていらして、居場所を探して最近うちに来たんです。

で、三角形がそこら中に生まれるんですね。「これ、どうする?」ってなりますよね。ぼくは、そういうのになんか燃えちゃう(笑)。できれば、そのまま、彼のこだわりのいちばん強いところを生かしたくて、つくった三角形をひたすら段ボール板に貼ってもらうことをぼくから提案しました。

三角形の段ボールを並べて作品にする試み。まだ模索中。

――その提案に対して、彼は?

関根:「うん、やる」って、意外とすんなりOKしてくれたんですよね。「え、やってくれるんだ!?」みたいな(笑)。

苦手なことを無理やりやらされるのではなく、好きなことをやって、それを受け入れられている状況では、わりとスムーズに対話できるような気がしています。頭ごなしに「それはだめ」っていうことに対するリアクションが問題行動として現れてきちゃうのかなって。

強いこだわりや問題行動に対して、その施設での共同的な営みを保つことが難しいと判断されると、その行為を禁止したり施設の利用を制限したりする方向になるケースが多いのではないかと思います。

ぼくたちは、こだわりの行為を通して出てきたものに注目して、アウトプットする中で、そこに収益性を見出すことができるということを示し続けていくことで、その人の居場所を守る。あくまで福祉施設っていう機能を最大限に生かすというか。

鉛筆を最後まで使い切らないと気が済まないとか、芯を尖らせるために削りまくっちゃうとか。こだわりっていうのは、個を表現する創作活動においては絶対に必要な要素なんです。

常に新しい課題は新しい可能性を示唆してくれるものって捉えています。積極的にはみ出す人に出会えたら「きたー! これだー!」ってなる(笑)。絶対、うちに必要な人であり、社会を変えていくヒントをくれる人だって思う。

小さくなった色鉛筆で表すことにこだわり、創作活動する方の鉛筆入れ。
(作品はこちらからご覧いただけます⇒ https://www.studio-cooca.com/reonahirai

ここが図工力!

☞ はみ出した「こだわり」を捉え直す。

作品を価値付け、その人の居場所をつくる

――障がいを抱えた方々が食べていくことと創作活動を結び付けたのは、どのような経緯からでしょうか。

関根:段ボールなどをずっとちぎっている人がいて、それは具体的な生産活動ではないけど、単純にその人の行為自体がすごくかっこいいって思って、そこに可能性を感じたっていうのが始まりです。

それは30年以上前にぼくの父が考えていたことですが、当時の就労支援はボールペンや箱を組み立てたりするというのがメインで、選択肢があまりなかった。そこで父はstudio COOCAの前身となる「工房絵(こうぼうかい)」を開き、そこにデザイン室を置きました。studio COOCAはデザイン室のメンバーが中心になり立ち上げたので、ある種アート、デザインに特化した形で始まりました。

――その当時、利用者や保護者の方の反応は?

関根:全く理解は得られていなかったそうです。保護者の方も、できれば子どもには企業に就職してほしいと思っている方がほとんどで。「そもそもアートって何?」っていう雰囲気の中で立場を勝ち取っていくために、都内で展示をするなど、積極的に発表を続けてきました。

ただ作品って、それで生計を立てていくほどには、簡単に売れないんです。日本ではそもそもアートを買って部屋に飾る、あるいはコレクションするという文化は根付いていないと思うし、どこまでいっても好き嫌いの世界なので。社会に訴えかける上で展示は有効だけど、それが生産活動、持続的に売れることにつながるっていうのは、なかなかなくて。結局、海外から来た人が買ってくみたいな。それでもまず「自分たちがつくった作品が売れるんだ」ということから本人と周囲の意識を変えていかなければ活動が認められなかった30年前の状況があります。

そういう当時の状況を越えて、この活動をさらに広げていくためにオリジナルグッズの販売を福祉施設のバザーの範囲だけでなく、雑貨屋や有名デパートへの卸なども含めて、studio COOCA開設当初(15年前)から行ってきました。あとは企業の商品デザインに使ってもらって、デザイン使用料を工賃に還元していくといった取り組みを続けています。

studio COOCA内のギャラリー兼ショップ

福祉の中でも「福祉×アート」っていうジャンルができつつある気がしていて、グッズをどう販売していくかなどの道筋は何となく見えてきてはいます。ただ、福祉があんまりアート化して、プロダクト化していくのは、それはそれで危惧しているところです。一つのルートができちゃうと、そこに従事できない人の受け皿はどうなるんだろうって。「福祉とは何か?」という視点に立って考えないといけないと思います。

――創作活動が収益に結び付くことを、作者ご本人はうれしいと受け止められていますか。

関根:人それぞれです。つくったあとに作品がどうなるか興味ない人もいれば、お金が入ったときに「欲しいものが買える!」といって初めて喜ぶ人もいる。

どちらかというと、本人のためには、周囲(社会)の偏見をまず取り払っていかなきゃいけなくて、そっちにアプローチしているんです。いちばんそばで支えてくれている人たちの眼差しを変えていくというか。「この人、すごいじゃん!」って思ってもらえたらなって。

――他者が価値を認めて、初めて我が子の作品や行為を認められる?

関根:全員がそういうわけではないですが、やっぱりうれしいと思うはずです。銀座などで展示して海外の人とか作品を買ってくれて、保護者の方も「あー、捨てるようなものじゃなかったんだ」って思えるようになる。「この作品、すごいですよ」って言ってくれる人が必要です。

言葉で素晴らしいって言われることも大事で、その先には、やっぱり作品を買ってくれるとか、商品デザインに採用されるとか、言葉以上に認められている感があるというか、社会にその人が存在しているっていうのを視覚的にも認識できるのがすごく大きいんじゃないかと思っています。

だから「絵を入れる額からつくる」など見せ方にこだわり、「素晴らしい!」って思ってもらえる状況をつくって、創作物に価値を見出し、価値を付けていくという活動でもあります。

作品をよりよく見せるために、スタッフが工夫して展示に向けて準備している。
(作品はこちらからご覧いただけます⇒ https://www.studio-cooca.com/kentarooomi

ここが図工力!

☞ 「こだわり」から生まれた価値が他者に認められて、その人の思いが生きてくる。そのための工夫は惜しまない。

ただ、創作物を「売ること」だけに寄ってしまうと冷たい世界になっちゃう。そういう意味では施設での活動は絵画表現だけじゃないという視点をもつというのも大切だと思っています。一方向に寄ると、結局、そこに寄れない人を排除してしまうことになるのではないか。うちでは音楽やヨガをやったり、晴れた日に畑に足を運んだり、手をとめて休む時間もあるし、物思いに耽る、創作に向き合う時間もある。そういう幅が必要だと思っています。

「立ち止まって、考えて、自分で選ぶ」という豊かな時間

関根:何かしらの生産活動を通して収入を得て食うことにつなげるのは重要だと思っていますが、ぼくがいちばん大切だと思っているのは「考える」ということです。

「どうやって食うか」って考えられるっていうのは、ものすごく豊かなこと。

studio COOCAの名前の由来は、「どうやって食うか」からきています。現代社会の生活の中で「どうやって食うか」って立ち止まって考えることは難しい。仕事を休むなり、あるいは進路を変えるなりでもしないと、日々の忙しさの中で忘れてしまう。家賃や生活費を稼ぎだすのでほとんど精一杯。

障がいを抱えて育つ人の多くは、特別支援学校などを出てすぐに社会に出なきゃいけないんです。大学進学や専門学校、生活訓練施設という選択肢もあるけど、場所も限られているし、金銭面の条件とかいろいろ出てきて、大半の人が18歳で社会に出ざるを得ない。そこで不適応を起こして、うつ病とか適応障がいと判断されたり、引きこもってしまったりすることもある。

ぼくは大学時代に自分の生きる道とか全然分かってなくて、ある種のモラトリアム期間というか、社会に出る前にいろんなアルバイトをしながら、経験を通して考える時間があった。モラトリアム期が用意されていない人に、うちは福祉施設として、そういう機能をもたせることができるんじゃないかと思っています。

――ちょっと立ち止まるっていう時間って、全ての人の人生にあったら有意義ですね。

関根:そうだと思います。

どうやって食うかっていうのを、ここで立ち止まって考える。ここでの経験を通して、自分で選んでいく。ここは通過点でもいいし、生涯の居場所になってもいい。

大げさな話、20年のモラトリアム期があってもいいと思うんです。成長するスピードはみんな違う。スローペースな人だっていると思う。じっくり、その人のペースで人生を探っていくっていうのもありなんじゃないでしょうか。だから、そういう人たちのために「どうやって食うか」を考える場所として存在している。そこを大切にしたい。

ここが図工力!

☞ 実体験を通して、自分で考える、自分で選ぶ。そのための場所と時間を保障することが大切。

多様性は、自分自身を受け入れることから始まる

――最後に、関根さんにとって「多様性を認め合う」とはどういうことかお聞かせください。

関根:それは他人に求めることじゃなくて、自分の中にいろんな自分がいることをまず認めることかなって思います。

例えば、ぼくは「大人である」「男性である」「施設の管理者である」とかそういう外枠の肩書があって、でも実は頑張れる日と頑張れない日があって、苦手なこと得意なこと、好きなこと嫌いなこともある。まずは自分の中にあるいろいろな要素を受け入れないと、人を受け入れるのは無理。

ぼくも含め、自分自身を知るのはそんな簡単なことではないと思います。客観的に俯瞰的に自分を見つめるって難しいですよね。鏡を見ているときだって、かっこつけてますよ、絶対。不意に撮られた自分の写真を見ると、「え、こんな顔だったっけ?」ってなるし(笑)。性格とかもそう。自分ができないことを認めるのってけっこうしんどいけど、それをまずは気づいて、受け入れようって思うことが大切。

――苦手なことを受け入れるのは難しいことですよね。

関根:順番としては、苦手を受け入れる前に「自分のここは誰にも負けない」とか「自分はこれが好きだ」とか、自分の得意な部分を受け入れること(気づくこと)が先かもしれない。

大好きなマカロンを紙粘土でつくったり、すごろくをつくったり。

段ボールや紙の端材で動物園をつくったり、電車のスタンプをつくって訪問者が塗り絵を楽しめるようにしたり。

自分の好きなことを思う存分やっていい時間が1週間のうちに1時間でもあれば、そしてそのことを受け入れてくれる人が自分の周りに一人でもいてくれれば、人生がだいぶ楽になると思います。

もちろんその人が置かれている状況でやむを得ないことは多々ありますが、「自分の好き」やこだわりが問題行動と捉えられて制限されるのか、個性と捉えて「まずはとことんやってみよう」って言ってもらえるのかで、全然違うと思う。それが受け入れられたら、苦手なこととかはどっちでもよくなるのかもしれない。

だから、大切なのは環境ですよ。家になければ学校、学校になければ他の第三の場所とか、そういう関わりの支援や理解が社会に必要だと思います。

取材後記

studio COOCAに入った途端、利用者の方々が楽しげに迎え入れ、作品のことを聞くとうれしそうに語ってくださいました。関根さんのお話を聞いて、自分の好きを生かし生かされる環境は人を豊かにすることを学ぶと同時に、自分自身との向き合い方について考えさせられる取材でした。

※1:本シリーズでの図工力とは、図画工作や美術など造形活動を通して培われる「自ら考える力 決める力 やり抜く力」「多様な他者と協働する力」「よりよい未来を創造する力」です。図工力は「もの」をつくるときだけに発揮されるのではなく、社会の潤滑油となって楽しさや希望をつくりだせる原動力になるものだと信じています。そんな図工力を備えた人がいて、図工マインドが垣間見える活動をしている企業(組織)をここでは「図工な企業」と呼びます。

関根 祥平(せきね・しょうへい)

1987年神奈川県藤沢市で出生。愛知県立芸術大学 美術学科彫刻専攻修了。在学時に中・高教員免許取得。卒業後、神奈川県内の養護学校(現・特別支援学校)で非常勤講師、臨時任用教諭として勤務。アーティストとして海外進出を目指しジュエリーの専門学校に通い講師の資格を取得。語学留学で渡米。車で各地を放浪しARTの世界共通性を体感する。現在、株式会社 愉快 代表取締役 兼studio COOCA施設長。