学び!と美術

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【親子インタビュー】前編:図工はありのままの自分を表現できる時間だった
2024.12.10
学び!と美術 <Vol.148>
【親子インタビュー】前編:図工はありのままの自分を表現できる時間だった
鈴木由理先生・鈴木藍さん

【親子インタビュー】後編:作品を通じて存在そのものを受け入れてもらえる
2月10日公開予定

足立区立弘道小学校の鈴木由理先生が「図工の先生」として働くきっかけとなったのは、長男・藍さんが小学6年生のときにかいた一枚の絵でした。

由理先生は、「それまで『自分の内面と向き合う絵をかく』という図工の授業があることを知らず、衝撃を受けた」と話し、現在、社会人1年目の藍さんは、「自分をさらけ出してかいたものは、今見返しても当時のことを鮮明に思い出せる」と語ります。

小学生であった藍さんは一体どのような図工の時間を過ごし、母である由理先生はそこから何を感じ取ったのでしょうか。「6年生の藍さん」と「21歳の藍さん」が表した二つの絵を見ながら、お二人に話をうかがいました。

子・鈴木藍(すずき・あい)さん:写真左
母・鈴木由理(すずき・ゆり)先生:写真右

小学6年生だった藍さんが図工の時間に表した作品──「心の中の植物」

藍:これをかいた当時は中学受験を控え、勉強や成績に追われてストレスを抱えていた時期でした。そんな自分にとって週に1回の図工は待ち遠しい時間。この絵は、手に絵の具をつけて、キャンバスの手触りを感じながらかいていったのですが、それ自体も「絵とはこうかくもの」という自分の中の常識が覆される体験でした。手や土を使ってかくという行為が楽しすぎて、気持ちよくて。最初はシンプルだったものにいろいろと付け足していったんです。

由理:例えばこのぼこぼこした岩肌は、何でこうしようと思ったの?

藍:岩を登っている黒い人のようなものは自分自身。今、自分は暗い冷たい場所にいて、将来どんな姿になるのかわからない不安を表している。一方で可能性も感じていて、何か一つ乗り越えたときに岩が一つずつ崩れて、不安要素が消えていくというのを表現しました。

由理:下の方は暗くて、上の方にいくにつれて色が明るくなるけれど、どこから塗っていったの?

藍:当時はポジティブには捉えられない状況だったので、背景から暗い色で塗っていった。一方で、幸せな未来があるという希望も表現したかったので上は明るく。つぼみから咲く花や扉の先をかかなかったのは、今の自分にはどんな未来があるのか分からないし、かかないほうがもっと自分に期待できると思ったから。

日々、不安な気持ちを抱える中で、図工の授業は、うまいへたではなく、ありのままの自分を表現できる時間だったんです。だからその表現を認めてもらえたときには、「自分自身を認めてもらえた」という今までにないうれしさがありました。

子どもは自ら育つ力をもっている

――由理先生は、藍さんの作品をどのように受け止めたのでしょうか。

由理:当時の藍は受験もそうですが、お友だちとのトラブルにも悩んでいました。息子が学校から帰ってきて泣いていることがありました。母親としては何とかしてあげたい。藍が傷つかないように、悲しい思いをしないように先回りをして、アドバイスをして……。私自身もまた悩んでいました。

ところが小学校の展覧会でこの絵を見たときに考え方が変わりました。私は、この子は何を表そうとしているのだろうかと、かかれているものを一つひとつ丁寧に見ていきました。実は絵を見ただけの時は何を表しているのかよく分かりませんでした。でも、作品に添えられた藍のコメントを読むと、「人と一緒に生きていく上では、コミュニケーションの難しさがある。それでも自分はたくさんの人と関わりながら生きていきたい」と書いてあったのです。

まだ子どもだと思っていた藍が悩み苦しみながらも自分の力で強く真っすぐに生きようとしていることに気づかされました。本当に感動して、涙が込み上げてきました。そうしたら、友人関係の問題が些細なことに感じられて、親が心配しなくても、藍は自分の力で育っていくことができるのだと思えたのです。

藍は、この絵をかきながら自分の中にある全ての感情と向き合い、全てを出し切ったのだと分かりました。この絵は藍そのものであり、分身のようなものだと感じて、愛おしくて抱きしめてあげたくなりました。

私が小学生のときの図工って、花や風景をよく観察して美しくかいてみるとか、生活に役立つものをつくろうとか、写実的で技能的なことを学ぶことが多かったように思います。でも、息子の図工を担当してくれた先生は、人の内面を表していく授業もされていました。そこには自分の思いを、ネガティブなものも含めてすべて形や色で表現することができる環境がありました。私は、子どもからこんな表現を引き出す図工があることに衝撃を受けました。

――藍さんご自身は、絵に表していくなかでどのような心境の変化があったのでしょうか。

藍:小学生ですし、それまでは自分を俯瞰したことがなかったんです。それが絵をかくことで自分の思いや状況が可視化されて、自分は意外としょうもないことで悩んでいたんだって感じて……。

由理:絵と向き合う中で、ネガティブだけじゃない感情があることに気づいたり、自分のことを客観的に見たりすることができたのかもしれないね。

藍:かいているときに先生が机を回って、いろんな子に「これはどういう意味があるの?」って聞いていました。問われて考える。その時の、表していることを言葉にして他人に伝えるという行動が、自分の中での解決や絵の表現にもつながっていったのではないかと思います。当時、図工は週に2時間。週ごとに心情もどんどん変わっていく。何度も何度も塗り直しました。絵は明るくなった時もあるし、暗さを増した時もあって、キャンバスでしかできなかった表現かもしれない。失敗したらどうしようではなくて、悔いなく思いをぶつけていく感じでした。

ネガティブな感情も吐き出して

――思いをぶつけるように表現したとのお話がありましたが、由理先生は、現在、図工の先生として日々、子どもたちと接しているなかで感じていることはありますか。

由理:図工の作品では、いわゆるだれが見てもじょうずなもの、きれいなもの、先生や親に「いいね」って言ってもらえるような絵をかくことが正しいと思っている子が割と多いように思います。でも、図工って、そうじゃなくてもいいのではないかと思っています。

教科書にある 「消してかく」(※1)という題材をアレンジして取り組んだ時に、5年生の一人の男の子が画面一面をピンクで塗りつぶした後に「呪」などの強烈な言葉を書き始めました。理由を聞いてみると「イライラしている。どうしても憎いやつがいる」というのです。では、憎しみの言葉を書いてみてどうだったか尋ねると「何も変わらないよ」と。そこで私は「じゃあ、気が済むまでかこうか。自分の思いをかいてもいいし、消してもいいし。とにかくぶつけてみよう」と提案すると、さらに激しく怒りの感情をぶつけてかいていました。

その子の様子に気づいた周りの子たちがざわつき始め、興味津々で遠くから眺める子、「おまえ、どうしたんだよ!」と声を掛けにいく子、「先生、○○君が大変なことになっています!」と報告しにくる子がいました。

そんな感情をむき出しにしてかいているその男の子の隣には、何をかいていいかわからない女の子がいました。二人は特に干渉し合うというわけでもなく、ただ隣り合ってかいていて、しばらくすると、手が止まっていた女の子が画用紙の真ん中に大きく「闇」と書きました。聞いてみると「自分がどうしたらいいかわからないから。今の気持ちは闇」だと。「勉強も好きじゃないし、お友だちと関わるのも好きじゃないし、夢があるわけじゃないし、表したいことが何もない」と言うのです。私は、彼女から何か表現に結び付けられるようなものを会話の中から探ってみましたが、かきたいものは何もないと。では、「好きじゃないものをかき出してみよう」と提案したところ、彼女は、本の絵をかいてバツをして、鉛筆やノートをかいてバツをするということを繰り返していきました。

しばらくすると今度は、男の子のほうがかいていたネガティブな言葉を塗りつぶし始めました。なぜ、塗りつぶしたのか聞くと、「ちょっと気が済んだ。あいつのことなんかいいや。とにかく俺は真っ黒にする」って言いながら、今度は全力で画用紙全体を真っ黒にし始めました。

隣で彼の姿を見ていた女の子は、こんなにも自分の思った通りにやっていいんだって気づいたみたいで、手が急に動き出して、一緒になって真っ黒にし始め、さっきまでかいていた好きじゃないものを塗りつぶしていました。その心境の変化を尋ねてみると、「今までは勉強が嫌いって言ってはいけない、お友だちと仲良くしなければいけないって思っていた。でも先生に思うままにかいていいって言ってもらって、『もうやだやだやだやだ』って思いながらかいていたら、ネガティブな感情も自分の中にもっていていいように思えてきた」と言っていました。

結局、この題材で彼女は自分が納得する作品をつくることはできませんでした。ただ、作品をかき終え、友だちの作品を見合う鑑賞の学習の中で、友だちから寄せられたコメントを読んでとてもうれしそうにしていました。そこには、「この気持ちわかる」「暗黒だな」「真っ黒ではなく、白いところもあるのがいいね。とてもいい!」「なんか暗いけど大人っぽくていいね!○○ちゃん、なんかあったらいつでも言ってね」とありました。

藍:自分の経験でいうと、普段はまったく絵に興味がない子でも図工の授業のときには絵に向き合っていた。その絵が周りに与えるパワーにはすごいものがありました。どんな子かわからなくても絵を見ると、何となくニュアンスを感じ取ることができる。

由理:この題材で、彼女は学校にはどんな感情も受け止めてくれる先生や友だちがいることに気づけたのではないでしょうか。私も教育現場で友だちと関わり合いながら学びを深めていくことの大切さを感じました。

学校生活の中で、常に自由奔放に生きている子がいる一方で、いい子でいなければいけないとか、ネガティブな感情は心に秘めておかなければいけない、そんな風に思っている子も多いように思います。自分自身もそういう子どもでした。でも、どこかで吐き出す場所は必要だと思っています。

絵の中の世界は自由です。だからこそありのままをぶつけていいんだと伝えていています。そうすることで子どもは作品や自分と向き合う時間の中で、生き生きと自分を表現することができるんです。私は、図工・美術の学びを通して、自分の感情を表現する術を身に付けてほしいと思っています。

由理:図工では、子どもをありのままに受け止めてあげたいとか、自由に表現してほしいと言っておきながら、実はわが子にはそれができなかったんです。

(後編は、成長した藍さんと由理先生の間に生まれた確執と、その現実をどのような方法でどう受け止めたのかについて話をうかがいます。2月10日に公開予定です。)

※1:コンテで塗りこめた画面を消しゴムで消して形を浮かび上がらせたり、かき足したりしながら表したいものを考え、表す題材。令和6年度版『図画工作』5・6上に掲載

鈴木由理(すずき・ゆり)
足立区立弘道小学校 教諭。専業主婦から教員へ。港区で講師を経て現在は東京都図画工作科専科教員。児童一人ひとりの生まれもった感性を大切にしながら、その子ならではの表現を引き出せるよう日々の実践を通して研究をしている。

鈴木藍(すずき・あい)
山形大学 建築・デザイン学科卒業。学生時代は建築デザインを専攻。学内の設計課題では山形の豊富な自然を生かしたランドスケープデザイン設計に取り組んでいた。現在は、不動産コンサルタント営業職として学生時代に力を入れていた現地調査力を生かし、ニーズに合った土地活用方法を提案している。

photo: Kazue Kawase