学び!と美術

学び!と美術

【親子インタビュー】後編:作品を通じて存在そのものを受け入れてもらえる
2025.02.10
学び!と美術 <Vol.150>
【親子インタビュー】後編:作品を通じて存在そのものを受け入れてもらえる
鈴木由理先生・鈴木藍さん

子どもたちは「図工の時間」に何を表し、先生や友だちのいる空間でどんな時間を過ごしているのでしょうか。

図工の先生として働く鈴木由理先生と長男・藍さんに聞く親子インタビュー。前編では、藍さんが小学生のときに表した作品と由理先生の授業で子どもたちが表した作品を見ながら、「図工の時間」に藍さんの中で、子どもたちの中で起きていたことについてお聞きしました。

由理先生は、「図工の時間に子どもたちに願うことを自分の子にはできなかった」と振り返ります。後編は、成長した藍さんと由理先生の間に生まれた確執と、その現実をどのような方法で、どう受け止めたのかについて話をうかがいます。

安全で安心な道を歩むよう操作していた

由理:図工では、子どもをありのままに受け止めてあげたいとか、自由に表現してほしいと言っておきながら、実はわが子にはそれができていませんでした。

藍が高校生になると、息子の将来がリアルになってきて。好きなことをさせてあげたいと思いながらも、結局は、親が思う安全で安心な道に進むように操作していました。まずは、自分の力で生活していかれる力を身に付けることが先決で、本当にやりたいことは就職してからやればいいと言っていました。そうしたらある日、突然、藍が爆発してしまいました。

藍:父親に勧められて高等専門学校に行ったのですが、自分がやりたいこととは違っていて。在学中に両親に何度もやめたいって言っていたんです。でも、実際にやめるとなると今まで頑張って積み上げてきたものがなくなるという恐怖で、結局は卒業しました。親には「働いてから好きなことをやれ」って言われていたので、就職したいと言ったら今後は大学に行けって。

由理:「より専門性を高めろっ!」ってね。本人がやりたくないことをやらせているので、だんだん親子の間に確執が生まれ関係がすさんでいきました。藍から、自分が不幸なのは親のせいだとストレート言われ、傷つき、落ち込みました。それでも息子には、幸せになってほしいからいろんなアドバイスをしましたが、当時の藍にはまったく響かず。もうどうにもならないとなったときに、ふと、こんなときこそ今の思いを絵で表現してはどうかと思ったんです。藍に、今、どんな感情をもっているのか、どうしたいのか、一度自分と向き合ってもらいたくて「絵をかいてみない?キャンバスあるよ」って提案しました。初めは、全然乗り気ではなくて、「こんな状況で絵がかけるか!」と言っていましたが……。

藍さんが21歳のときに表した作品──「格差社会」

藍:かなり暗い絵ですね。黄色い部分は木やへその緒のイメージで、この木から生まれたものが胎児になるんです。今の時代、SNSを見れば、人生うまくいっている人や幸せそうな人が目に入ってくる。半面、現在進行形で紛争や貧困があり、そこに生まれてくる人がいる。大きい木から生まれれば最初から高いところにいるのでもっともっと上に行ける。逆に未熟な木から生まれた人は、どんなに頑張っても大きい木から生まれた人を追い越すことは難しい。生まれた時からランク付けがされている世の中に嫌気がさしていて、それを表現しました。

絵を介したコミュニケーションで見えてきたもの

由理:この絵をかいているところを間近で見ていたのですが、小学校でかいていたときと同じように、手に絵の具をつけて暗い色を何度も塗り重ねていました。その後に黄色い木のようなものをかいていたので、明るい絵なのかなって思っていたら、胎児をかきはじめて……。ぞっとしてしまった。胎児ってへその緒から離れたら生きていけないではないですか。胎児がこんなふうに放出されちゃって、なんて残酷なんだろう、なんてつらい状況にあるんだろうと切なくなるとともに、藍の中に一体何が起きているのかとすごく不安になりました。

かき終えた後に私が「これ、親への反抗の絵だね。私たちこっちの小さい木だよね?」と聞いたら、藍は笑いながら「なんでわかったの!?」って。ああ、藍は絵でしっかりと親に反抗することができたんだなって。

言葉で反抗されると正直ダメージが強すぎて受け止められなかったんですけど、絵だと、自分の心情に合わせて見たり、受け止めたりすることができる。それでいて言葉よりも、今、藍が置かれている状況が本当につらく、追い込まれていることが伝わってきました。それまではどこか藍に対して、文句を言ってやるべきことをやらない、努力が足りない、そんなふうに思ってしまっていました。でも本当につらいんだな、親としてひどいことをしたんだなとこの絵を見て感じました。

藍:自分の中では遠回しに伝えたつもりだったんですけど、親に汲み取ってもらえたときはすごい達成感がありました。6年生のときもそうですけど、絵から思いや意味を汲み取ってもらえた時のうれしさというものがあって、今でもちょくちょく絵をかいているんですが、母親に突然絵だけLINEでポンと送ったりしています。こんなふうに絵で表現してコミュニケーションを取るという手法をもてるようになったのは、小学生のときの経験が大きいように思います。

由理:小さい頃から藍が絵をかくところ見ているので、息子が何を表そうとしているのか、どういう心境にあるのか、だれよりも分かってしまいます。この格差社会の絵をかき終えた後は、藍は清々しい表情だったので、何だかほっとしました。問題が解決したわけではないけれど、お互いに思っていることを絵という媒体を通して伝えられたことで、わだかまりがなくなったというか。今となっては、アートが私たち親子のコミュニケーションツールの一つになっています。

体を使ってかくことで自分の心を呼び覚ます

藍:そうだね。楽しかったね。久しぶりにキャンバスに手でかいて自分を表現したときに、小学校のときに戻った感じがした。図工の楽しい記憶や、完成したあとに自分の悩みが大したことなかったって感じたこともよみがえってきた。図工の授業の延長線のような感じでかいた絵でした。

小学生のときと同じように何も見ずにかきました。見るとそれに寄せちゃうので。木も胎児も実際にはこういう形ではないですが、その時の自分の引き出しの中のもので表現しました。

由理:「今の自分」から湧き起こってくるものを表したのかな?

藍:そういう感じ。ものを見てかいた絵はその工程を思い出せないけど、自分の感情と向き合って、自分をさらけ出してかいたものは、今見返しても当時のことを鮮明に思い出せる。どちらの絵もそう。一種のアルバムみたいな感じで、大切なものです。

由理:絵をかくことって、画面に向かったときには何も思い浮かばなくても、手を動かしていると何となくつかんでくるんですよね。子どもたちには、頭だけで考えるんじゃなくて、体を使ってかいていくことで、自分の心を呼び覚ましてほしいと思っています。呼び覚ますことで、本当の自分の気持ちに気付くことがあるからです。自分の感情を大事にして、豊かな人生を送ってもらいたいという気持ちがすごくあります。

豊かって、楽しいだけでは生まれないかもしれない。苦しいことがあるから楽しいことが際立って、喜びを感じたりするのかもしれない。つらい思いをしているかもしれないけれど、それを乗り越える過程でいろんなことを考えたり感じたりすることがすごく大切な時間なのかもしれないですね。私は藍がいなければ、藍の作品に触れなければ、藍の図工の授業を見に行っていなければ、図工の教員になっていませんでした。

子どもたちの作品は、好奇心とか意欲がそのまま線と色に表されていてすごいパワーがあるんです。私は、職業柄、得体のしれない本当に美しいものとたくさん出会うことができます。図工の授業をつくることはすごく大変なことですが、それ以上に、子どもたちが表したものを見ると疲れが吹き飛ぶくらいに素晴らしい世界があります。そういうものに触れて、美しさに圧倒される瞬間があれば、いろんな悩みがどうでもよくなってしまうことがあります。それくらい子どもの感性は素晴らしいのだと思います。

「うまい絵=すてきな絵」ではない

藍:僕は図工によって救われたんですけど、母親もそういう面があるのかな。僕の最終的な夢は、みんなが絵をかいてくれることなんです。SNSでの誹謗中傷などが問題になっているなかで、自分が考えている絵の魅力の一つが「伝達スピードの遅さ」なんです。文字や言葉ってよくも悪くも思ったらすぐに伝えることができる。でも絵ってすぐには完成しない。だからいったん冷静になって考えられるし、振り出しに戻ったりもできる。みんなが絵で表現できれば、一人ひとりがもっと豊かに思いを伝え合える平等な世の中になるんじゃないかな、という希望を思い描いています。それを世に広めたい。

「うまい絵=すてきな絵」という概念をなくしてほしい。へただと絵にならないというわけではなくて、その人の意思が伝わっていればそれはいい絵であって。不特定多数に受けなくてもいい。親であったり、友人であったり、身近な人に理解してもらえる絵であれば、それは立派な作品。だから母さんには、今の子どもたちに絵で自分を表現できる可能性を伝えていってほしい。俺は絵をかいて、大人や同世代の人たちに伝えたい。

由理:思いや意図を汲んでもらえるのって、その人の存在そのものを受け入れてもらえるような感じになるよね。だからこそ、うまいへたではなくて何をどう感じたのかを拾ってあげてほしいよね。

――保護者から子どもの作品の見方がわからないという声も聞かれますが。

由理:見方というよりも聞けばいいのでは。「何を表そうとしたの?」「これはなあに?」って、質問をしてあげるだけでいいと思います。評価する必要はまったくなくて、何をしたかったのか聞いて、共感する。何を表したのかはその人の考えそのものなので、それを拾ってあげるだけで子どもは守られているというか、温かい気持ちになれるかもしれないですね。

鈴木由理(すずき・ゆり)
足立区立弘道小学校 教諭。専業主婦から教員へ。港区で講師を経て現在は東京都図画工作科専科教員。児童一人ひとりの生まれもった感性を大切にしながら、その子ならではの表現を引き出せるよう日々の実践を通して研究をしている。

鈴木藍(すずき・あい)
山形大学 建築・デザイン学科卒業。学生時代は建築デザインを専攻。学内の設計課題では山形の豊富な自然を生かしたランドスケープデザイン設計に取り組んでいた。現在は、不動産コンサルタント営業職として学生時代に力を入れていた現地調査力を生かし、ニーズに合った土地活用方法を提案している。

Instagramで発信している藍さんの作品
──「私の人生」
https://www.instagram.com/lororo_lororo/

photo: Kazue Kawase