時間も人も超えて「つながる」美術の授業 ~これからの図工・美術の先生(第1回)~

連載「これからの図工・美術の先生」では、各地の大学で図工・美術の教師を目指す学生たちを指導している先生方に、「いま、どんな授業をしているのか?」についてうかがいました。授業に込められた、「将来、こんな図工・美術の先生になってほしい」という願いをひも解いていきます。

第1回は、茨城大学の小口あや先生の授業です。

教員養成の重要性

私は現在は大学に勤務していますが、その前は15年間小学校教員をしていました。教員になる道を選んだのは、小学校6年生のときの担任の先生や中学校の美術の先生のようになりたかったからです。

小学校6年生のときの担任の先生は、図工の時間に私の絵をよく褒めてくださいました。自分が失敗したと思っていた風景画の色塗りも、「こういう塗り方もいいものだ」と感心したように眺めてくださっていました。そういう見方もあるのか、と意外に思ったことを覚えています。

また、あるときは黒板に「一筆一色」と板書されて、「難しいかもしれないけれど、一筆ごとに少しずつ色を変えて塗るようにしてごらん」とおっしゃいました。

当時の私には確かに難しかったのですが、一生懸命にそのように色をつけていくと、今までの自分の絵にはなかった豊かな表情が生まれました。

描き方によって、豊かな世界を生み出すことができることを先生は教えてくださいました。自分の表現の可能性を広げてくださる方でした。

その先生の影響で、中学校では美術部に入りました。顧問の美術の先生もたいへん一生懸命に見てくださる先生でした。大学を出てそれほど経っていない、お若い先生でした。

部活の時間になると、先生はご自身の大学時代のお話や美術についてのいろいろなお話をしてくださいました。

私が家で毎日してくるデッサンを丁寧に指導してくださいました。また、あるときは休日に希望者を集めてスケッチ遠足に連れて行ってくださったりしました。お忙しかったでしょうに、美術が好きになり始めた我々に、本当によく寄り添ってくださったと感謝しています。

今思い返すと、世界には美術という価値あるものがあるということを、小学校や中学校の先生方は私の人生の初期に実感させてくださっていました。こうした個人的な経験もあり、図画工作科や美術科を指導する教師を育てることは非常に重要だと考えています。

つながる授業

昨年末、長年共に過ごした我が家の愛猫とお別れをしました。老衰だったようで、私を含めた家族に見守られながら旅立ちました。

命が尽きる少し前に、私は愛猫が生きている最後の姿をスケッチブックに刻み付けるようにボールペンで描きました。悲しいけれど大切なときを自分の手で残すことができました。おかげで、大好きな存在に最後までしっかり寄り添えたように思います。

それは、私に描く力をつけ、描くことの意味を見いだせるように指導してくださった小学校以降の先生方のおかげでした。先生方が教えてくださったことが、ずっとあとに私の人生の大変な場面で出現し助けてくれたのです。

学生には、自分が行った授業が教え子の未来や人生につながっていることを意識して教壇に立ってほしいと思います。

数年前から、私のいくつかの授業では「美術の専門家としての教員」と対話する授業を1回入れています。授業科目によって異なりますが、最も多いときは画家、彫刻家、平面デザイン作家、ユニバーサルデザインの開発者・研究者・デザイナー、美術史家の先生が、ご自身の作品やご研究を携えて参加され、学生と向かい合います。

もちろん学生は、大学教員としてのその先生方とはすでに顔を合わせているのですが、この授業では作品や研究をしている美術の専門家としての先生方に出会うことになります。

授業では、学生は美術の専門家やその作品や研究と対話したあとに、指導案の作成や模擬授業などの美術科授業づくり、その発表(口頭発表や模擬授業)を行います。授業の終わりには「自分が出会った美術の意義をつかみ、学生自身の考えによって、美術科授業の計画から実践、評価までを一通り自力で行うことができる」ことを目指して行っています。

この授業は、美術の専門家が人生の長い期間をかけて真剣に取り組んできた美術に対する姿や考え、そして何よりも目の前で生きている美術の専門家に触れることで、より広い視野で美術を捉えることを最大のねらいとして行っています。

例えば、彫刻家の島剛先生は、ガラスを溶かしてつくったご自身の作品を見せ、学生からの感想や問いに対して応える形で対話を進めていきます。

対話は表現の根源に触れられるように進められます。人生を通して真剣に制作に取り組んできた芸術家の表現の根源に触れることは、1回の授業では難しいものがあります。とはいえ、島先生とその作品に触れたあとで学生がつくった題材には、島先生との対話が反映されています。

芸術家と、芸術家が本気で追究してできた作品を体験した学生は、教師となったときに、そのときの自分の想像を超える美術の深さや広さが存在することを知った上で現場に立つことができると思います。

また、美術には人と共にあるという側面もあります。例えば、ユニバーサルデザインの研究者であり開発者でありデザイナーでもある齋藤芳徳先生は、介護用の浴槽やいすを開発してきました。学生は、その開発経緯を齋藤先生の論文を読んだり齋藤先生と話をしたりしながら聞きます。

齋藤先生の授業を聞いた学生がつくった題材や授業には、「その場に行って確認する活動」が入っています。それは、齋藤先生が浴槽やいすを開発するために、実際にさまざまな介護現場に行って調査を行う姿と重なります。

学生は美術で学ぶことは自分のためだけではなく、他の人の人生に寄り添うためのものにもなることを学ぶのです。

学生が将来教壇に立ったときには、教科書の背後にあるこうした芸術家や研究者、それぞれの作品や研究があることを意識して授業ができるようになっていてほしいと思います。

大学の授業は最後に成績が出てひと段落します。ただ、私はそこを全てのゴールとはしていません。それはどの校種の先生も同じではないでしょうか。

卒業後しばらくして、あるいはずっと先のどこかで「あのときのあの先生の話(作品・研究)とつながった!」「そういうことだったんだ!」と気づくことがあります。

学んだことが私が愛猫の最後の姿を前にしたときのように、教室での授業を超えた「ここぞ」というところで現れるかもしれません。教壇に立って教えることは、教室の外の、過去にも未来にも、自分以外の誰かにもつながっているのです。それを学生が少しずつ実感できるように、私は授業をしています。

小口 あや(こぐち・あや)

茨城大学教育学部(教育学野)美術教育教室講師。茨城大学教育学部学校教育教員養成課程美術コース卒業、同大学教育学研究科教科教育専攻美術教育専修修了。茨城県公立小学校教諭勤務、茨城大学教育学部助教を経て現職。
鑑賞教育、美術科授業づくりについての研究を行っている。日本文教出版令和6年度版小学校図画工作科教科書著者。

【studio COOCA】「自分を生かす、社会で生きる」を考えられる居場所 ~突撃! 図工な企業(第2回)~

図工力(※1)を発揮して活動している(と編集部が感じた)企業などを訪問し、働く方々のお話を聞きながら、図画工作や美術を学ぶ意義を捉え直すシリーズの第2回目。

今回の「図工な企業」は、株式会社愉快(ゆかい)。生活介護・就労継続支援(B型)施設、studio COOCA(スタジオ クーカ)を運営している企業です。「どうやって食うか?」を旗印に、創作活動を前面に出し、ギャラリーでの積極的な発表・販売や企業とのライセンス契約を行ったりしながら就労支援を提供しつつ、さまざまな障がいを抱える方々が「自分を生かすこと、社会で生きること」を考える場所となっています。施設長の関根祥平さんに、studio COOCAの活動と株式会社愉快が目指すものについて聞きました。

◎お話を聞いた図工な人々

  • 関根 祥平さん(株式会社愉快 代表取締役、studio COOCA 施設長)

課題は「新しい可能性」と捉える

関根:studio COOCAのいちばんの特徴は、ここで何をするのか先に決めず、まず利用者の方と面談をして、その方が何をしたいかというところから始めることです。利用する曜日は決まっていますが、本人のペースで活動を始めて、本人のペースで終わっていい。

――「何をするか」を決めていくときに、関根さんが意識していることはありますか?

関根:とことんポジティブにその人を見て、捉え直すことです。

うちに、段ボールの封をしている透明なテープをはがして、ひたすら三角形に折る方がいるんです。彼は、誰かが注意されていると自分事として捉えてしまったり、大きな声に反応してパニックになってしまったりして、その集団にいられなくなってしまうことが度々あったようで。以前から保護者の方がアートに可能性を感じていらして、居場所を探して最近うちに来たんです。

で、三角形がそこら中に生まれるんですね。「これ、どうする?」ってなりますよね。ぼくは、そういうのになんか燃えちゃう(笑)。できれば、そのまま、彼のこだわりのいちばん強いところを生かしたくて、つくった三角形をひたすら段ボール板に貼ってもらうことをぼくから提案しました。

三角形の段ボールを並べて作品にする試み。まだ模索中。

――その提案に対して、彼は?

関根:「うん、やる」って、意外とすんなりOKしてくれたんですよね。「え、やってくれるんだ!?」みたいな(笑)。

苦手なことを無理やりやらされるのではなく、好きなことをやって、それを受け入れられている状況では、わりとスムーズに対話できるような気がしています。頭ごなしに「それはだめ」っていうことに対するリアクションが問題行動として現れてきちゃうのかなって。

強いこだわりや問題行動に対して、その施設での共同的な営みを保つことが難しいと判断されると、その行為を禁止したり施設の利用を制限したりする方向になるケースが多いのではないかと思います。

ぼくたちは、こだわりの行為を通して出てきたものに注目して、アウトプットする中で、そこに収益性を見出すことができるということを示し続けていくことで、その人の居場所を守る。あくまで福祉施設っていう機能を最大限に生かすというか。

鉛筆を最後まで使い切らないと気が済まないとか、芯を尖らせるために削りまくっちゃうとか。こだわりっていうのは、個を表現する創作活動においては絶対に必要な要素なんです。

常に新しい課題は新しい可能性を示唆してくれるものって捉えています。積極的にはみ出す人に出会えたら「きたー! これだー!」ってなる(笑)。絶対、うちに必要な人であり、社会を変えていくヒントをくれる人だって思う。

小さくなった色鉛筆で表すことにこだわり、創作活動する方の鉛筆入れ。
(作品はこちらからご覧いただけます⇒ https://www.studio-cooca.com/reonahirai

ここが図工力!

☞ はみ出した「こだわり」を捉え直す。

作品を価値付け、その人の居場所をつくる

――障がいを抱えた方々が食べていくことと創作活動を結び付けたのは、どのような経緯からでしょうか。

関根:段ボールなどをずっとちぎっている人がいて、それは具体的な生産活動ではないけど、単純にその人の行為自体がすごくかっこいいって思って、そこに可能性を感じたっていうのが始まりです。

それは30年以上前にぼくの父が考えていたことですが、当時の就労支援はボールペンや箱を組み立てたりするというのがメインで、選択肢があまりなかった。そこで父はstudio COOCAの前身となる「工房絵(こうぼうかい)」を開き、そこにデザイン室を置きました。studio COOCAはデザイン室のメンバーが中心になり立ち上げたので、ある種アート、デザインに特化した形で始まりました。

――その当時、利用者や保護者の方の反応は?

関根:全く理解は得られていなかったそうです。保護者の方も、できれば子どもには企業に就職してほしいと思っている方がほとんどで。「そもそもアートって何?」っていう雰囲気の中で立場を勝ち取っていくために、都内で展示をするなど、積極的に発表を続けてきました。

ただ作品って、それで生計を立てていくほどには、簡単に売れないんです。日本ではそもそもアートを買って部屋に飾る、あるいはコレクションするという文化は根付いていないと思うし、どこまでいっても好き嫌いの世界なので。社会に訴えかける上で展示は有効だけど、それが生産活動、持続的に売れることにつながるっていうのは、なかなかなくて。結局、海外から来た人が買ってくみたいな。それでもまず「自分たちがつくった作品が売れるんだ」ということから本人と周囲の意識を変えていかなければ活動が認められなかった30年前の状況があります。

そういう当時の状況を越えて、この活動をさらに広げていくためにオリジナルグッズの販売を福祉施設のバザーの範囲だけでなく、雑貨屋や有名デパートへの卸なども含めて、studio COOCA開設当初(15年前)から行ってきました。あとは企業の商品デザインに使ってもらって、デザイン使用料を工賃に還元していくといった取り組みを続けています。

studio COOCA内のギャラリー兼ショップ

福祉の中でも「福祉×アート」っていうジャンルができつつある気がしていて、グッズをどう販売していくかなどの道筋は何となく見えてきてはいます。ただ、福祉があんまりアート化して、プロダクト化していくのは、それはそれで危惧しているところです。一つのルートができちゃうと、そこに従事できない人の受け皿はどうなるんだろうって。「福祉とは何か?」という視点に立って考えないといけないと思います。

――創作活動が収益に結び付くことを、作者ご本人はうれしいと受け止められていますか。

関根:人それぞれです。つくったあとに作品がどうなるか興味ない人もいれば、お金が入ったときに「欲しいものが買える!」といって初めて喜ぶ人もいる。

どちらかというと、本人のためには、周囲(社会)の偏見をまず取り払っていかなきゃいけなくて、そっちにアプローチしているんです。いちばんそばで支えてくれている人たちの眼差しを変えていくというか。「この人、すごいじゃん!」って思ってもらえたらなって。

――他者が価値を認めて、初めて我が子の作品や行為を認められる?

関根:全員がそういうわけではないですが、やっぱりうれしいと思うはずです。銀座などで展示して海外の人とか作品を買ってくれて、保護者の方も「あー、捨てるようなものじゃなかったんだ」って思えるようになる。「この作品、すごいですよ」って言ってくれる人が必要です。

言葉で素晴らしいって言われることも大事で、その先には、やっぱり作品を買ってくれるとか、商品デザインに採用されるとか、言葉以上に認められている感があるというか、社会にその人が存在しているっていうのを視覚的にも認識できるのがすごく大きいんじゃないかと思っています。

だから「絵を入れる額からつくる」など見せ方にこだわり、「素晴らしい!」って思ってもらえる状況をつくって、創作物に価値を見出し、価値を付けていくという活動でもあります。

作品をよりよく見せるために、スタッフが工夫して展示に向けて準備している。
(作品はこちらからご覧いただけます⇒ https://www.studio-cooca.com/kentarooomi

ここが図工力!

☞ 「こだわり」から生まれた価値が他者に認められて、その人の思いが生きてくる。そのための工夫は惜しまない。

ただ、創作物を「売ること」だけに寄ってしまうと冷たい世界になっちゃう。そういう意味では施設での活動は絵画表現だけじゃないという視点をもつというのも大切だと思っています。一方向に寄ると、結局、そこに寄れない人を排除してしまうことになるのではないか。うちでは音楽やヨガをやったり、晴れた日に畑に足を運んだり、手をとめて休む時間もあるし、物思いに耽る、創作に向き合う時間もある。そういう幅が必要だと思っています。

「立ち止まって、考えて、自分で選ぶ」という豊かな時間

関根:何かしらの生産活動を通して収入を得て食うことにつなげるのは重要だと思っていますが、ぼくがいちばん大切だと思っているのは「考える」ということです。

「どうやって食うか」って考えられるっていうのは、ものすごく豊かなこと。

studio COOCAの名前の由来は、「どうやって食うか」からきています。現代社会の生活の中で「どうやって食うか」って立ち止まって考えることは難しい。仕事を休むなり、あるいは進路を変えるなりでもしないと、日々の忙しさの中で忘れてしまう。家賃や生活費を稼ぎだすのでほとんど精一杯。

障がいを抱えて育つ人の多くは、特別支援学校などを出てすぐに社会に出なきゃいけないんです。大学進学や専門学校、生活訓練施設という選択肢もあるけど、場所も限られているし、金銭面の条件とかいろいろ出てきて、大半の人が18歳で社会に出ざるを得ない。そこで不適応を起こして、うつ病とか適応障がいと判断されたり、引きこもってしまったりすることもある。

ぼくは大学時代に自分の生きる道とか全然分かってなくて、ある種のモラトリアム期間というか、社会に出る前にいろんなアルバイトをしながら、経験を通して考える時間があった。モラトリアム期が用意されていない人に、うちは福祉施設として、そういう機能をもたせることができるんじゃないかと思っています。

――ちょっと立ち止まるっていう時間って、全ての人の人生にあったら有意義ですね。

関根:そうだと思います。

どうやって食うかっていうのを、ここで立ち止まって考える。ここでの経験を通して、自分で選んでいく。ここは通過点でもいいし、生涯の居場所になってもいい。

大げさな話、20年のモラトリアム期があってもいいと思うんです。成長するスピードはみんな違う。スローペースな人だっていると思う。じっくり、その人のペースで人生を探っていくっていうのもありなんじゃないでしょうか。だから、そういう人たちのために「どうやって食うか」を考える場所として存在している。そこを大切にしたい。

ここが図工力!

☞ 実体験を通して、自分で考える、自分で選ぶ。そのための場所と時間を保障することが大切。

多様性は、自分自身を受け入れることから始まる

――最後に、関根さんにとって「多様性を認め合う」とはどういうことかお聞かせください。

関根:それは他人に求めることじゃなくて、自分の中にいろんな自分がいることをまず認めることかなって思います。

例えば、ぼくは「大人である」「男性である」「施設の管理者である」とかそういう外枠の肩書があって、でも実は頑張れる日と頑張れない日があって、苦手なこと得意なこと、好きなこと嫌いなこともある。まずは自分の中にあるいろいろな要素を受け入れないと、人を受け入れるのは無理。

ぼくも含め、自分自身を知るのはそんな簡単なことではないと思います。客観的に俯瞰的に自分を見つめるって難しいですよね。鏡を見ているときだって、かっこつけてますよ、絶対。不意に撮られた自分の写真を見ると、「え、こんな顔だったっけ?」ってなるし(笑)。性格とかもそう。自分ができないことを認めるのってけっこうしんどいけど、それをまずは気づいて、受け入れようって思うことが大切。

――苦手なことを受け入れるのは難しいことですよね。

関根:順番としては、苦手を受け入れる前に「自分のここは誰にも負けない」とか「自分はこれが好きだ」とか、自分の得意な部分を受け入れること(気づくこと)が先かもしれない。

大好きなマカロンを紙粘土でつくったり、すごろくをつくったり。

段ボールや紙の端材で動物園をつくったり、電車のスタンプをつくって訪問者が塗り絵を楽しめるようにしたり。

自分の好きなことを思う存分やっていい時間が1週間のうちに1時間でもあれば、そしてそのことを受け入れてくれる人が自分の周りに一人でもいてくれれば、人生がだいぶ楽になると思います。

もちろんその人が置かれている状況でやむを得ないことは多々ありますが、「自分の好き」やこだわりが問題行動と捉えられて制限されるのか、個性と捉えて「まずはとことんやってみよう」って言ってもらえるのかで、全然違うと思う。それが受け入れられたら、苦手なこととかはどっちでもよくなるのかもしれない。

だから、大切なのは環境ですよ。家になければ学校、学校になければ他の第三の場所とか、そういう関わりの支援や理解が社会に必要だと思います。

取材後記

studio COOCAに入った途端、利用者の方々が楽しげに迎え入れ、作品のことを聞くとうれしそうに語ってくださいました。関根さんのお話を聞いて、自分の好きを生かし生かされる環境は人を豊かにすることを学ぶと同時に、自分自身との向き合い方について考えさせられる取材でした。

※1:本シリーズでの図工力とは、図画工作や美術など造形活動を通して培われる「自ら考える力 決める力 やり抜く力」「多様な他者と協働する力」「よりよい未来を創造する力」です。図工力は「もの」をつくるときだけに発揮されるのではなく、社会の潤滑油となって楽しさや希望をつくりだせる原動力になるものだと信じています。そんな図工力を備えた人がいて、図工マインドが垣間見える活動をしている企業(組織)をここでは「図工な企業」と呼びます。

関根 祥平(せきね・しょうへい)

1987年神奈川県藤沢市で出生。愛知県立芸術大学 美術学科彫刻専攻修了。在学時に中・高教員免許取得。卒業後、神奈川県内の養護学校(現・特別支援学校)で非常勤講師、臨時任用教諭として勤務。アーティストとして海外進出を目指しジュエリーの専門学校に通い講師の資格を取得。語学留学で渡米。車で各地を放浪しARTの世界共通性を体感する。現在、株式会社 愉快 代表取締役 兼studio COOCA施設長。

子どもの表現には理由がある

大人の目には不思議に映る行動でも、子どもの表現にはちゃんとした理由があります。子どもの思いを知ることで、どんな支援を必要としているかが見えてくるはずです。子どもへの支援について、竹井史先生にお話を伺いました。

子どもの「思い」に気付く

子どもって、大人にとっては不思議な色を塗るときがありますよね。ぼくが2年生の担任をしたとき、授業でニワトリを見たあと、学校に帰って図工でニワトリの絵をかくことにしました。そのときある女の子が、羽と尾を色鉛筆で水色と緑色と赤色に塗っていたのです。

当時は、2年生だしなんとなく色を付けたくなるのはしょうがないのかなと思ったんです。でもやっぱり気になって「なんでこんなふうに塗ったの?」と聞くと、その子が言うのです。

先生がじっくり見なさいって言ったから、じーっと見ていたら、ニワトリの足に輪っかが付いているのに気付いた。それで図工の時間、その輪っかのことを思い出したら、なんだかかわいそうになってきた。なんとかして楽しい気分にさせてあげたくて、「そうだ、羽をキレイな色にしてあげれば、ニワトリさんも楽しくなる!」と思って塗った、と話してくれました。

色を塗ったのは幼いからなんかじゃない。ちゃんと、7歳の子なりの理由があったのです。ニワトリさんを励ましたいという思いがあって、その子なりの表現が生まれた。表現に向かうってこういうことだと、はっとしました。

こんなふうに子どもは自分なりの世界の見方をもっているのだから、図工の時間はそれを引き出してあげればいい。その子なりの「こうしたい」という思いが出てくるような仕掛けや手立てを考えることが大切だと思います。

思いに合った描画材を選べるように

例えば、低学年でクワガタの絵をかいていた子がいて、よく見ていると、この子はクワガタのメカニックな感じというか、足や触角の細かいところまでかきたいのかなってぼくは思った。別の子はザリガニをかいていて、甲羅の色に興味があるような気がする。

そうすると、クワガタの子はパスだけだと細かな線は難しいからペンも必要かな。ザリガニの子は甲羅の色合いを表現するのに絵の具が必要かな、と思えてくる。

その子の思いやこだわりがあって表現の方法は決まっていくので、それに対してどう支援するかを考えることが大切です。子どもが自分の思いを基に表現できるよう、環境を整えることが先生の役割ですね。

子どもの「したい」はどんどん変わる

声かけも大切です。

ある学校で、砂場で造形遊びをしたとき、子どもが初日はツルツルのお団子を丁寧につくっていたのに、次の日は雑につくっていたらしいんです。担任の先生は、どうして雑なのか不安になったそうです。

そこで子どもに聞いてみると、「昨日はきれいな団子をつくりたくてつくって達成感があった。でも今日はお団子屋さんごっこをしたいから、たくさんつくりたい」と話してくれたそうです。その子のしたいことが、前日とは違ったんです。もし子どもの思いに気付かず、先生が「どうして昨日みたいにつくらないの」と丁寧につくらせようとさせてしまったら、意味がないですよね。

特に造形遊びは、したいことがどんどん変わっていくものです。その子のしたいことに寄り添って、その気持ちを感じることが支援につながるはずです。

そういう意味では、「図工が苦手」と思っている先生は、子どもの「図工が苦手」という気持ちを感じられる、いい先生です。子どものつまずきポイントに気が付けるのですから。

※今回は、「図工のみかた(08号)」で連載した「図工ってなんだ?」の記事を抜粋し、再編集して掲載しています。元記事はPDF、または電子ブックでご覧いただけます。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/zuko-mikata/zuko-mikata08/


竹井史(たけい・ひとし)

1959年、大阪府生まれ。富山大学、愛知教育大学教授、愛知教育大学附属名古屋小学校長等を経て、現在、同志社女子大学 現代社会学部 現代こども学科教授。愛知教育大学名誉教授。ものづくりによる地域活動を継続し、これまでに7万人の親子と触れ合う名古屋市造形研究会顧問を担当するなど、美術教育の発展に努める。令和6年度版日本文教出版小学校図画工作教科書の著者の一人。

図工は人生を生きやすくする

図工の時間、子どもは何を楽しんでいて、教師は子どもにどう寄り添えばよいのでしょうか。そして、子どもたちは図工でどのような力を育んでいるのでしょうか。水島尚喜先生に伺いました。

子どもが楽しんでいるのは「発見」

3歳くらいの子どもがかいたキリンの絵を見たのですが、キリンの首は長いということを一生懸命表そうと、四角をいっぱい組み合わせてかいていたんです。

たぶんその子がかけたのは丸や四角だったんだろうと思いますが、「どうすればキリンをかけるだろう。あ、こうすればかけるぞ!」というその子の発見がその絵にはあって、ものすごく感動的でした。

それって、知識をかいたんじゃなくて、表現だから。「自分なりの方法でキリンを表現した自分自身と出会えた」という楽しさが伝わってくる絵だから、感動したんです。

もしそこで大人が「キリンはこうやってかくんだよ、ほら上手にかけたね」と口を出してしまったら、おいしいところを根こそぎもっていってしまうことになる。

子どもに、おいしい思いをさせなきゃ!子どもたちが楽しんでいるのは、「すごいことを思い付いた!素敵なものを見付けた!」という発見であり、そんな発見をした自分自身をも見付けているのです。

子どもの「!」を一緒に楽しむ

子どもたちって、本当にいろいろなものを見付けますよね。タンポポの綿毛、ぽっかり雲、シャボン玉の表面にできた虹色。

令和6年度版教科書「ずがこうさく」1・2下p.7より

まど・みちおさんが、世界は「!」と「?」でできているとおっしゃっていましたが、本当にその通りで、まさに子どもたちはたくさんの「!」と「?」を発見しています。

世界を驚きのまなざしで見るセンス・オブ・ワンダーを、子どもたちはみんなもっている。でも、大人になるとだんだん自分の中にあるセンス・オブ・ワンダーを忘れてしまう。

センス・オブ・ワンダーを保つ秘訣は、先生が一緒になって子どもの見付けたことを「すごいね」って共感してあげることです。子どもの隣で、大人が鏡になって返してあげる。

そのためには、先生の「内なる子ども」を呼び覚ます必要があります。子どもたちが目を輝かせて世界にのめり込んでいる様子を、先生も一緒になって楽しんでください。

自分なりのやり方でいられるのが図工の時間

効率的、合理的であることが求められる場面が多い学校の中で、図工はそうではないあり方が許される時間です。

図工の時間、子どもたちはよくお話をつくっていますよね。それはとても自然なことなんです。

材料を何かに見立てたり、組み合わせたり、つながりを探したりという、その場にあるものをブリコラージュすることで新しい物語や価値をつくりだす。

そんな「野生の思考」ができるのが図工の時間です。「野生の思考」は、人間本来の思考方法なのです。

子どもたちが「野生の思考」を発揮し、新しいことをどんどん思い付くような時間にするためには、先生が「何をやってもいいんだよ」という構え、「図工の身体」のようなものをもつことが大切です。

そもそも絵って、自由なんです。自由に自分を表現できる。鼻歌を歌いながらかいてもいいし、寝そべってかいてもいい。鉛筆の持ち方だってそう。かき方はいろいろあっていい。

令和6年度版教科書「ずがこうさく」1・2下p.7より

「絵をかくのが上手になりましょう」なんて学習指導要領では言っていません。上手い下手は一つの見方。「こんなすごいことを思い付いた!という見方があるよ」と示してあげれば、子どもは「やり方っていろいろあるんだ」ということを身に付けていく。

図工は、人の数だけやり方があり、生き方があることを理解するための教科と考えてみてはどうでしょう。「こうしなきゃいけない」と思って生きるのはつらいですよね。

図工を身に付けると、生きやすくなるんです。

※今回は、「図工のみかた(01号)」で連載した「図工ってなんだ?」の記事を抜粋し、再編集して掲載しています。元記事はPDF、または電子ブックでご覧いただけます。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/zuko-mikata/zuko-mikata01/
※水島先生との出会いに大きな影響を受けたとお話されるカメラマン、池田晶紀さん(株式会社ゆかい代表)のインタビュー記事はこちらから。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art139/


水島尚喜(みずしま・なおき)

1957年、富山県生まれ。東京学芸大学附属竹早小学校を経て、現在聖心女子大学文学部教育学科教授。文部科学省の学習指導要領に携わり、美術教育の発展に努める。令和6年度版日本文教出版小学校図画工作教科書の監修者の一人。

子どもの作品の見方 ~保護者の方へ(後編)~

学校公開日や校内展などで、展示された図画工作でつくった作品を子どもと一緒に見るとき、保護者のみなさんはどんな言葉を発しているでしょうか。「『上手』くらいしか言う言葉が浮かばない」「他の子どもの作品と比べてしまう」など複雑な思いをもっている人も少なくないのではないでしょうか。今回は、家庭内での子どもの作品の見方、子どもへの声かけについて、前編(Vol.138)に引き続き名達英詔先生にお話をうかがいました。

まずは、下の写真を見て、みなさんも想像してみましょう。

令和6年度版教科書『ずがこうさく1・2上p.24』

きょうは学校公開の日。学校に行くと、子どもたちの絵が廊下にたくさん飾ってあります。
子どもとその保護者らしき二人が、お話ししています。

子ども「ねえ、あのチョウチョの絵、わたしがかいたんだよ。」
大人「へえ。……」

みなさんなら、このあと、どんな言葉を子どもにかけますか?

素直に、恐れず、多様な形容で

①「すごいね!」「上手だね!」

――子どもの作品を前にすると、反射的に「すごいね」「上手だね」って言いがちです。

大人は子どもに対して「うまいね」「上手だね」「すごいね」って、けっこう無意識に言っちゃいますよね。「すごいね」「うまいね」って声をかけてもらったら子どもはきっとうれしいと思うんです。

だけど、「上手」の反対には「下手」が隠れてる。これって二元論っていうか、評価が二つしかないんですよね。

でも実際に保護者のみなさんが感じていることは、もっと多様だと思うんですよね。「このお花の色、暖かい感じだね」「チョウチョがキラキラしてるね」とか。そうすると子どもも、「暖かい色ってこういうことなんだ」とか「キラキラしてる?そういえば確かにキラキラさせたかったんだよね」とか、「わたしはうまい」という単純な価値観だけで終わらないんですよ。

「暖かい」「キラキラ」のほかにも、すてきな表現を構成するさまざまな要素があるわけだから、一つの価値観を子どもに押し付けているわけじゃない。だから、多様な形容を通じて、子どもの捉え、価値観をひらく。そういう声かけを大切にするといいのかなって思います。

「すごい」「うまい」を言ってはいけないというわけではなくて、問題は作品をよく見ないで言うとか、お世辞とか、無理して言っているとか、そういうことです。ちゃんと自分の作品を見て受け止めてくれているかどうかを、子どもは敏感に感じ取りますからね。

②「……(間違いを恐れて口を閉ざしてしまう)」

これは、ぼくの個人的な見方ですが、「子ども主体」はもちろん最も大事。ぼくもそう思います。だけど、それを子どものことだけを大事にすることと思って、そのために大人が自分の思いを伝えられなくなっているとしたら、それはどうなんだろうって思っちゃうんです。だって、子どもは子どもだけの世界で育つわけじゃない。大人や地域や社会といったさまざまな環境の中で育っていくんです。そうなると、いろいろな人や物事、そういう多様なこととの出会いの中で自分軸が成立していくと思うんです。

だから、大人も楽しんで、大人も素直に自分の感想を伝える。そうすることで、子どもとの人間的対等が生まれるのではないかなって思うんです。子どもも主体、大人も主体、お互いに尊重するということではないですかね。

「これ、ゾウさんなの?」って聞いて、「違うよ、ワンちゃんだよ」って言われると、声をかけたほうとしては、「失敗しちゃったー!」って思いますよね。でも、ケースバイケースですが、ぼくは、そんなに子どもって弱くないと思うんです。だから、間違いを恐れずに子どもに聞いてみたりして、絵をきっかけにお話ししていいと思います。

間違っちゃうってことは、表現されたものが、大人が考えるそのものに見えないってことで、それは大人の尺度での評価を基にしているということでしょう。

ゾウと思ったけどワンちゃんだと言われたら「そうなんだ、ワンちゃんなんだねー」って子どもの尺度にも寄り添えればいいんです。問題は、いきなり「違うでしょ、どう見てもゾウでしょ」って大人の尺度や価値観を押し付けてしまって、子どもがその尺度で自分のことを見て「あー、わたしはだめなんだ」って思っちゃったり、逆に間違ったことで言葉がかけられなくなったりして、子どもとのやりとりに悩んだりすることではないかと思います。

子ども同士でも「ゾウなの?」「ワンちゃんだよ」「ゾウかと思った」って柔らかくやり取りして面白がっていることもありますよ。だから、大人も柔軟に構えて、感じたことを素直に伝えてみながら、子どもと楽しくやり取りしていいと思います。もちろん、言葉選びは大切です。

③「もっとここ、色を塗ったら?」

これも大人の尺度なのかもしれませんが、余白の多さが気になる人もいます。

以前ぼくが受け持った2年生の児童で、真っ白な四つ切の画用紙の真ん中に、ちっちゃなバッタを原寸大で一匹だけかいた子がいたんです。

「これでいいの?」ってなるじゃないですか。でも、話を聞いてみると、そのバッタはその子がその年に初めて出会ったバッタで、自分で捕まえたバッタだって言うんですね。その子は虫が大好きでね。だから、そのバッタをサイズも色も模様もそのままかきたかったんです。

紙の大きさは関係なくて、バッタに集中しているんです。だから真ん中にかいたんですよ。むしろ、その余白がね、このバッタにどれほどその子の思い、眼差しが焦点化したかということを表している。だから余白はまったく無駄じゃない。

「余白はないほうがいい」「色はたくさん使ったほうがいい」「視覚的に写実的なほうがいい」って大人的な尺度で見ようとするから、子どもの思いとずれちゃう。素直に子どもの思いを受け止めるということがポイントだなって思うんですよ。そのほうがお互いに幸せになれますよ(笑)。

子どもの表現の価値で幸福感に浸る

――先生はこれまでにたくさんの子どもの作品をご覧になってきました。作品を見るとき、どんなふうに読み取っているのでしょうか。

しっかり向き合って細かく丁寧に見るというのが大切なんです。その子の意識・無意識にかかわらず、絵ならやっぱり気になったことをえがこうとしている。だから、形ひとつ、色ひとつ、配置、表し方のさまざまなところで、その子の思いが全部出ている。

令和6年度版教科書『ずがこうさく1・2上p.24』

例えば、この絵をパッと見たときに、ぼくは大量に恐竜をかいてあるところに目が行きます。たぶん、真ん中の大きいのがいちばんのお気に入りなんでしょう。大好きな恐竜を対角線いっぱいにかいて、そのしっぽと頭のところに人を配置しているのが、また、にくい!(笑)。この子にとっては、画面いっぱい恐竜や人をみっちりかくことに意味があったんですね。

ある人は「しっかりかいてある恐竜」、ある人は「真ん中の大きくかかれた子ども」が真っ先に目に入るかもしれません。どちらから見ていってもいいんです。「骨をすごくがんばってかいたんだね」と問えば「そうなの、恐竜大好きだから」って話し始めてくれるかもしれないし、「この真ん中の子、うれしそうだね」と問えば、「○○に行ったときなんだ」って気持ちを語ってくれるかもしれない。

――気になったところから素直に順番に問いかければいいんですね。

そうなんです。保護者の方は作品解説をするわけでも成績をつけるわけでもないですから。

「ここ、どこ?」「なんて名前の恐竜?」「骨は何本くらいあるのかな」って。そうすれば、この子は喜んで「この恐竜は○○で、全部で○本の骨があるんだよ!」って答えてくれるかもしれません。

大人はどうしても評論家的な見方をしがちじゃないですか。それをやっちゃいけないとは言わないけど、子どもにとっての喜びや価値がそこにない可能性はありますよね。

まずはその子の表現、「表し」「現れ出た」ものの価値を互いに喜びましょう。そして互いに幸福感に浸りましょうって言いたいです。

保護者の方も、子どもと作品について話すのが楽しみって思えるようになるといいですね。


名達英詔(なだち・ひであき)

小学校教諭での実践をもとに北海道教育大学教授を経て現職となる。子どもの造形活動の理解やそれをもとにした援助・指導など、子どもの主体的な学びを応援する保育・教育について造形・表現の視点から研究。日本文教出版小学校図画工作科教科書著者。『<感じること>からはじまる 子どもの造形表現』(教育情報出版)等執筆。

※本記事は令和6年度版小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。

【三菱鉛筆】カタくて、やわらかい、芯のある会社 〜突撃! 図工な企業(第1回)~

 図画工作や美術を通して培われる力(図工力)は、生活や社会の中でどのような力として発揮されているのでしょうか。シリーズ「突撃!図工な企業」では、図工力を発揮して活動している(と編集部が感じた)企業や組織を訪問し、働く方々のお話を聞きながら、図画工作や美術を学ぶ意義を捉え直していきます。

図工力とは

 ここでの図工力とは、図画工作や美術など造形活動を通して培われる「自ら考える力 決める力 やり抜く力」「多様な他者と協働する力」「よりよい未来を創造する力」です。図工力は「もの」をつくるときだけに発揮されるのではなく、社会の潤滑油となって楽しさや希望をつくりだせる原動力になるものだと信じています。そんな図工力を備えた人がいて、図工マインドが垣間見える活動をしている企業(組織)をここでは「図工な企業」と呼びます。

 今回の「図工な企業」は、三菱鉛筆株式会社。学校でもおなじみの筆記具をつくっている会社です。長く親しまれ続ける商品を開発するために、図工力はどのように関係しているのでしょうか。商品企画や開発に携わっている3人の方にざっくばらんに話していただきました。

◎お話を聞いた図工な人々

  • 鈴木 秀享さん(商品開発部 商品第三グループ グループ長/写真左
  • 福田 千絵さん(商品開発部 商品第三グループ 係長/写真中央
  • 寺杣 緑さん(経営企画室 広報担当 課長代理/写真右

商品の価値について振り返らざるを得ない状況からの……

――弊社問い合わせ窓口経由で、福田さんから小学校図画工作科編集部あてに「意見交換したい」という熱いメッセージをいただいたのは昨年8月です。そこから、みなさんと交流するうちに、「図工な企業だな」と感じ、今回お話を聞きに来ました。

福田:最近ようやくここにたどりついたって感じですよ(笑)。
寺杣:3年前だったら「図工な企業」って言われても、ぴんと来なかったと思います。
鈴木:2020年ごろは今と全然違うよね。
福田:その頃だったら問い合わせ窓口からコンタクトなんてしていなかったです。

――変わったきっかけは何だったのでしょうか。

福田:ひとつのきっかけとして、コロナ禍はあると思います。わたしはその間に産休と育休を取得していたこともあって、家にいないといけない時間がよけい長くて。だから、復帰後は走り出さないとどうにかなっちゃいそうだった。そこで向かった先が問い合わせ窓口(笑)。
寺杣:コロナ禍で常識は崩れましたよね。今までできていたものができなくなるっていうのが現実としてあると、「今、やっちゃおう」ってなりますよね。コロナ禍はわたしたちの変化に勢いをつけてくれたかもしれない。
鈴木:社会も変わったし、ユーザーも、自分たちも変わっていったよね。

――いいほうに変われたんですね。

鈴木:結果的に、です。今だから言えることであって、当時は真っ暗闇を歩いている感じでしたよ、やっぱり。売り上げも実際下がりましたし。
福田:学校に行かないと鉛筆もペンも使いませんからね。
寺杣:タブレット端末をはじめとするデジタル機器もますます普及しましたしね。書くことの意味もきっと変わってきたと思います。
鈴木:たぶん、ぼくらが小さいときは、筆記具のいちばんの価値って「記録」することだったと思うんです。だけど、「記録」がいちばんデジタルに置き換わりやすいということもあって、その役割が減ってきました。
寺杣:デジタル化が進み、社会が大きく変わる中で、「わたしたちが提供するものってなんだっけ?」って振り返らざるを得ない状況でもありました。2020年3月に会社のトップが変わり、わたしたちがこれまで提供してきた価値を見直そうという動きが出てきたんです。いろんなことが変わっていったんです。

もがきつつ、楽しみつつ、変わっていく

寺杣:未来の予測が困難な時代で、デジタル化、サステナビリティといった新しい価値、購買行動の変化など、混沌とした不安がありました。当社は創業以来、高品質の商品をお届けすることにこだわってきました。わたし自身も、お客様にはその点を評価していただいているのだと思っていました。でも、実際に商品を使っていただいている方々にお話を伺うと、品質だけでなく、商品を使うことを通じて喜びとか特別感を感じていただいていたんだという気付きがありました。そういった情緒的な価値をもっと重要視していきたい、という気持ちがだんだん強くなりました。会社全体でも、トップの掛け声で、提供価値を再定義しようという大きな動きになって、2022年に新しい企業理念「違いが、美しい。」とありたい姿2036(長期ビジョン)「世界一の表現革新カンパニー」を公表しました。
福田:「違いが、美しい。」って聞いたとき、わたしたちの部署ができることとか、個人的にわたしが目指したいこととか、そういう想いを応援された気持ちになりました。社員の内から出てくる一つひとつのタネを育てようという想いが強まった気がしますね。
鈴木:それはあるよね。たぶん商品価値を、みんなが深いところまで見つめ直した瞬間があったと思うんです。今は商品価値と社会的価値を結び付けて考えるようになっている。それは本質的なことなので、「これが正解なのか」ってみんな、ものすごくもがいてはいますけど(笑)。

寺杣:トップは、「ありたい姿2036(長期ビジョン)」のことを「北極星」と説明していますね。「こっちのほうへ進む」っていう方向性を示すから、あとは自分たちで考えてどういうふうに実現するかは試行錯誤しながらやってみなさい、と。
福田:「毎回同じような話ししてない?」って言いながらね(笑)。でも、その時間がきっと大事だと思います。
寺杣:そうそう。同じところをぐるぐる回って。これって、人生も同じですよね。わたし自身はそのときどうありたいか、それと会社のありたい姿をどういうふうに紐づけていくかみたいなことが積み重なって、いろんな社員の声が最終的な「ありたい姿」のかたちになるのだと思います。
福田:うちの部署ではとりあえず、みんなでどんどん楽しいことを発信していこうって言っていて。もがきながら楽しむ(笑)。
寺杣:「正解かは分からない、でもやってみよう」みたいな感じですよね(笑)。
福田:「むだなことなんて、きっとない」みたいな感じでね。
寺杣:失敗も大事ですよね。やってみて失敗したらやり方変えて、また挑戦すればいいと思います。
福田:この数か月、よく図工の授業を見させてもらうんです。そこで「思っているのと違う!」ってやり直している子どもの姿とか見て、とても励まされています。図工の授業でやっていることが、わたしの仕事に振り返りを与えてくれるんです。トライアンドエラーしていい、ありのままでいい、まずはやってみて次に行けばいい。そういう考え方でいいんだよって。私自身わりと「~しなければ」っていう考えが強かったんですが、どんどん柔らかくなるきっかけを図工の授業が与えてくれている気がします。

ここが図工力!

☞ 自分の「こうしたい」を実現するために、もがき試行錯誤する。それすら楽しむ!

若手社員や社外からの刺激が新しい価値につながる

鈴木:ぼくらは3人とも、営業部の出身なので、いろいろな商品を一生懸命売ってきたんですよ。たぶん、その頃のぼくらには、商品たちはお金に見えていたんだと思います(笑)。
福田:本当にそう(笑)。
鈴木:どれだけお金になるのかっていう視点でした。だけど、今の部署に来て、寺杣が広報でいろんな人との接点をつくってくれて初めて、商品の本質な価値を知ったというか。ようやくお金に見えなくなってきました(笑)。
寺杣・福田:(笑)
鈴木:営業のときは売れるものって「ぼくらが売りやすいもの」っていう観点でしたけど、今はお客様にとってどんな価値があるとか、お客様にこういう気持ちを感じてもらえるとか、そういう視点で商品を考えるようになりましたね。
寺杣:当社は、技術を強みとしてきた会社です。代表的な商品である鉛筆uniも、世界で唯一の鉛筆をつくりたいと最高の品質にこだわって生まれたものであり、会社の歴史の中で品質向上と技術革新に努めてきました。それが会社を強くしたのは間違いないです。しかし、大きな社会変化の中で、技術や品質だけでなく、お客様の体験価値や情緒的価値も大事にしていこうと舵を切ったのが、ここ数年の話ですよね。

――社外のいろいろな人に会うようになったのはいつごろからですか。

福田:以前から調査はしていたんです。だけど、もっとアクティブに商品のファンの方々の声を聞きに行こうってなったのはここ数年です。部内に若い世代のメンバーが増えたこともあって、若手社員が結構自由にお客様の話を聞いていて、部全体に刺激を与えてくれました。わたしも感化されたんです。
寺杣:SNSの存在も大きいですよね。以前であれば、メーカーからお客様に一方的に情報を出すというのが一般的な広告のあり方でしたが、今はお客様同士がSNSの中でつながって情報共有するようになって、そこに様々な情報がある。若い世代からしたら「そこに情報を取りに行くのは当たり前」っていうことですよね。
福田:社外の人の話を聞いていると、あらためて自社製品を好きになったりしますよね。
鈴木:最近だよね、そう思えるようになったのって。
福田:みんなわりと実体験をエネルギッシュに話してくれるのが特徴的で。お世辞じゃなくて本心だから、「あ、そんないいところ、あったんだ」って思えます。

ここが図工力!

☞ 人から受けた刺激を受け止め、よりよい商品や新しい価値を創出していく。
☞ 自分がつくったもので他者が幸せになることを知り、自分も幸せを感じられる。

こだわりと考え抜く力

――貴社の鉛筆やペンは学校でも長年にわたり使われています。

寺杣:POSCA(ポスカ)は2023年に40周年を迎えました。プロッキーも、もうすぐ40歳です。鉛筆uniは60年を超えて使い続けられています。
福田:この子たち(商品)がいるから、体験価値を大事にしていこうって思えました。品質にこだわり続けた力が認められているからこそ、じゃあこれからどうしようって考えられます。
寺杣:「ありたい姿2036」が策定されて、自分たちで考える機会が増えたんですよね。社長の言葉をそのままお借りすると「考えるための指標として「ありたい姿2036」をつくった。ぼくよりみんなのほうがずっと分かっていることがあるでしょ。だからみんなでもっと考えてやってくれたほうが絶対いいものができる」って。商品の傾向が変わりつつあるのは、「考えて」って言われるからじゃないですか。「なんで?」って聞かれると、自分で納得していることしか提案できないですよね。
福田:ここ数年、「なんで?」「どうして?」「この場所はどうなの?」「だれが?」とか自分の想いや考えの整理の仕方を訓練してきた感じがありますね。
 それって図工の振り返りシートで「なんでそれを思ったの?」「なんでそうしたの?」とか記述する欄と少し似ている気がしていて。次の打ち合わせまでに「こうしたい」「こうする」といったタスクをまとめるのは、図工の「なんで」「どうして」っていう気持ちや、前回までの振り返りとかとすごく似ていると思います。そういう考え方は図工力だってひしひしと感じています。

ここが図工力!

☞ 「なんで? どうして?」と自問しながら、こだわりをもって自分の納得する形に落とし込む。

福田:そういうことを、小さい頃から図工とか美術で当たり前のようにやっているって、たぶん子どもも保護者も意識してないと思うんですけど、今、仕事の視点で授業を見ているとけっこうびっくりします。子どもたちがこんなすごいことをやっているんだと、鈴木さんと二人でニヤニヤして会社に戻ってくるんです(笑)。
鈴木:「日本の未来はまだ明るいね」って言いながらね(笑)。

鉛筆:シンプルゆえの表現の広がり

――鉛筆は描画材としてもよく使われます。鉛筆の魅力って何でしょう。

鈴木:鉛筆はどちらかというと個人で使うものです。個人で思考するときにストレスなく使えるもの

寺杣:たしかに。鉛筆を使われているアーティストの方にインタビューすると、自分の内面を出すことを鉛筆を通じてやっているとか、鉛筆は自分の一部というようなことをおっしゃる方が多いですね。一方で、プロッキーなどのサインペンとかは、だれか相手がいるようなときに使うことが多いかもしれませんね。
福田:前に色鉛筆を社員のお子さんに使ってもらったとき、「この色鉛筆は濃淡が出せないけど、濃くかけるよ」ってその子が言ったんです。そしたらお母さんが「でも力をうまく加減すれば、濃淡がすごく出るよ」って。「濃淡が出ない」って気付いたお子さん。それに対して新しい気付きを与えたお母さん。それによって「濃淡が出せるのかも」って次のチャレンジにつなげたり、達成感を得られたりすると思うんです。単に使いやすいものを与えるんじゃなくて、ちょっと気付きがあったりする、そういうきっかけを与えられるのも鉛筆という文具の面白さかなって思います。シンプルな道具だからこそかもしれません。
寺杣:シンプルって大事ですよね。この間、幼児保育を専門にしている方にお話を伺ったんですけど、画材っていろんな使い方があるじゃないですか。その使い方を自分で見つけるということもすごく大事っておっしゃっていました。鉛筆はシンプルだからこそいろんな表現ができるので、いろいろ試して「あ、こういうこともできる」っていうのを自分で発見してもらいたいなって思いますね。
鈴木:ティッシュでこするのもいいよね。やってみて初めて分かったけど。
寺杣:ですよね。そういったことも、いろいろ気付いてほしいです。こすると見え方が変わるんだ、影がかっこよくなるんだとか。ほかの画材でもできるけど、鉛筆ってそういうのが多い気がします。

3人に鉛筆で自由にかいていただいた
(左:鈴木さん、右上:寺杣さん、右下:福田さん)

寺杣:え、ふたりとも影つくってる!?わたしだけ方向性、違うんですけど。
鈴木・福田:いいじゃん(笑)。

取材後記

目を輝かせ、本当に楽しそうに話す3人からは、生み出した商品への愛、ユーザーへの愛、ユーザーから生み出される表現への愛があふれていました。試行錯誤しながらつくり、思いや作品を人と共有し、自己肯定感を形成していく。図画工作や美術で育まれる力が、働く人の幸せを生み出すのだなと感じた取材でした。


鈴木 秀享(すずき・ひでたか)

サインペン・鉛筆・色鉛筆を担当するグループのリーダー。営業部門や生産部門を経て現部門へ。商品企画や分析を通じて、自社商品への見方や愛着にも変化が起きる。また、学校等の現場にも訪問する機会があり、プライベートで子どものスポーツ指導に携わっており、子どもの成長や学びに興味をもっている。しっかり社会とつながる企業や仕事を実現することを志している。


福田 千絵(ふくだ・ちえ)

サインペン・鉛筆・色鉛筆の企画を担当。学校の図工・美術の授業や幼児の造形遊びに興味があり、先生方のお話や子どもたちの取り組みにいつもワクワクしている。最近、自分が子どもの頃に好きだったモノを思い出して魅力を再発見する活動を開始した。


寺杣 緑(てらそま・みどり)

広報担当として、会社の中と社会とをつなげる役割を担っている。2022年に策定・公表した企業理念「違いが、美しい。」という言葉と日々向き合い、「世界中あらゆる人々の個性と創造性を解き放つ会社」を実現するために鋭意活動中。表現を通じて、人々の生活に彩りを添えられたらと思っている。

写真家から見た図画工作の世界 ~「ぼくにもできる!」って喜べることがえらいんだ~

 平成27年度版、令和2年度版、そしてこの4月から使われる新しい日文の図画工作科教科書には、写真家の池田晶紀さんと同氏が率いるフォトグラファーの方々が撮影した写真がたくさん掲載されています。授業中の子どもたちの自然な姿や表情が切り取られた写真からは、材料に出会ったときの驚きや好奇心、つくりだす喜びなどがあふれ出ています。見る人を魅了する写真を撮る池田さんの目には、図画工作の授業や子どもたちがどのように映っているのでしょうか。

令和6年度版教科書「ずがこうさく」1・2上p.54から
撮影:池田晶紀(ゆかい)

イメージを超えることが写真の力

――池田さんたちが撮る写真からは、その瞬間の子どもたちの声が聞こえてくるようです。

そう言ってもらえるのは、ほんとうにありがたいです。

――編集部の「こんな写真を撮ってほしい」をはるかに超えてきますよね。

それは、超えないと意味がなくて(笑)。「イメージを超える」がいちばんの仕事のテーマなんですよ。

撮影の現場では偶然が重なって、自分たちが予測できていない、絵ではかけないことをビジュアルで捉えないと、写真で撮る意味がないってことなんですよね。

写真って、よくもわるくも「一発勝負」なんです。

令和2年度版教科書「ずがこうさく」1・2上p.42から
撮影:池田晶紀(ゆかい)

子どもって予測ができない。思いどおりにならない。そこを楽しまないと写真撮れないですよ。絵をかいているのと一緒になっちゃう。イメージを超えるって、そこなんですよね。

写真には撮影した人の思いが写る

――そういう写真を撮る秘訣ってありますか。

ぼくの父は写真館で学校写真を撮っててね。高校生くらいのころ、お手伝いしたときに「どうやって撮るの」って聞いたら、「『かわいい』って思ったときに撮ればいい」って言われて(笑)。それは「親から見てかわいい」って思ったときなんですよ。大人が見てかわいいって思ったとき。

それと、父は、子どもと同じ目線になって低くなって撮ってたなぁって。

――それが池田さんの原点?

そう。だからぼくも最初に撮影に入るときは、子どもたちと同じ目の高さで話す。

低い目線で近付いていって、「で、きょうはなんなの?」ってなんでもない話の続きを突然おじさんが話し始めるみたいな(笑)。「ちょっとずうずうしいけど面白いおじさんが来たな」みたいな感じでやってます。

子どもが見ている目線の高さじゃないと、子どもの視野に気付けないので、目線が低いのは鉄則なんですよね。

令和2年度版教科書「ずがこうさく」1・2下p.6から
撮影:池田晶紀(ゆかい)

さっきの「親が見てかわいい」って言うのは、「あ、こんな写真撮っておいてくれたんだ」みたいな、その瞬間だと思うんですよね。子どもの目線で写っていると、なんかこう、コミュニケーションできるんですよ。状況が写ってるんじゃなくて、撮った人の気持ちが写っているんですよ(笑)。

――池田さんはすぐに子どもたちと仲良くなりますよね。

カメラがあることで、緊張したりするじゃないですか。それをさせないで、自然に撮るというのが、一つの技術なのかもしれないんですけど。

でも、それってぼくには楽勝なんですよ(笑)。簡単なんです。説明はつかないんですけど。

令和2年度版教科書「ずがこうさく」1・2上p.52から
撮影:池田晶紀(ゆかい)

たぶん、「なめられてる」ってことだと思います。校長先生が来たら、ビビるじゃないですか。あきらかに、この人は校長先生じゃないって感じを出す(笑)。そういう「なめられる」っていうのは大事かもしれないですね。だから撮るときはね、絶対にスーツ着て行っちゃだめですよね、ぼくの場合。

でも、修学旅行みたいに長く一緒にいると、なめられ過ぎちゃうんですよ。なめられ過ぎもダメなんです。撮るのたいへんになっちゃう(笑)。だから、ほどよい「なめられ感」で(笑)。

人生を変えた「図工のみかた」

――撮影していて「この授業、いいな」って思ったことありますか。

全部の授業、ぼく好きです。いつも感動して撮影から帰ってくるんです。

その原点は、「図工のみかた(*1)に関わったことなんですよ。

「図工のみかた」01号

「図工のみかた」の取材で、辻政博先生や水島尚喜先生に会ったことが、本当にぼくの人生を変えちゃったくらい大きなことだった。それからのぼくらのクリエイティブが、なんか、そこに向かうようになったんですよ。

ちょうど自分の育児と重なったのもあるんですけど、子どもの教育にリアルに興味が沸いた。子どもが潜在的にもっている能力があって、それをどう伸ばすのかが学校教育だとすると、野性的思考とか、素材から何かイメージするっていう図工は、本当に入口だなって思って。

面倒くさがらないってうらやましい

例えば、子どもが木材と針金を組み合わせて何かつくろうとしたとして、針金をぎゅっぎゅっと回しながらつなげればしっかり固定されるんだけど、そのやり方を知らないで、ゆるいまんまでつなげていくとバラバラになってしまう。

「これ、ぎゅっとやると強くなるよ」っていうのを大人が教えてあげると、それまでやったことをばらして、もう一回やる。

そのときに「面倒くさい」という思いが走るのか、「ぼくにもできた!」という思いが走るのか、どちらかだと思うんです。

「ぼくにもできた!」っていう喜びが強いことがえらいんですよ!それが図工とか子どものプラスのエネルギーって感じがして。

令和6年度版教科書「ずがこうさく」1・2上p.34から
撮影:池ノ谷侑花(ゆかい)

面倒くさがらない。それに感動するの(笑)。

――大人は先を読んで面倒くさくなるんですよね。

そうそう。大人になっていろんなことを知っちゃうと「面倒くさい」が勝っちゃうから、うらやましいですよね。先のことを考えずに、とにかくがむしゃらにやっていく姿がね。

図工という「場」

――子どもの「もっとやりたい!」を引き出したいけど、うまくいかなくて悩んでいる先生もいます。

図工って、領域を越えて、本来の生きる楽しみを学べるものだと思うから、そのへんをうまく利用できるといいんじゃないかな。

最近思っているのが、もっとみんなが楽になる方法を知りたい。ちょっと楽になる。生きづらい人もちょっと楽になる。「楽」って「楽しい」っていう字にもなるので。

そういう自己啓発本はベストセラーで何年も売れ続けていて、それは本の中での著者と読者とのコミュニケーションなんだけど、組織とかグループの中でそれがないと思うんです。

――組織の中で「楽している」というのはあまりいい意味では使われないですよね。

そうそう。それを共感とか共有するには多少時間がかかると思うんだけど、それをぼくらは「なんだかんだ(*2)でやろうとしているんですね。

いろんな人が集まってきて、なおかつ、そこに上下関係がなくて、みんなが対等な場ができたらなって思ったときに、それって図工じゃないかなって。

「なんだかんだ」は2023年3月と11月に東京・神田で開催された、くらしをちょっと楽にする「おもしろさ」を考えるアートプロジェクト。池田さんも実行委員としてイベントのクリエイティブディレクションを担当。写真は道路に敷いた畳の上でバスタオルに包まれ、顔に載せたハーブの香りでリラックスする催し(ウィスキング)の様子。
撮影:池田晶紀(ゆかい)

図工って、先生がいたとしても教えるんじゃなくて、子どもがやってるのを見守るくらいじゃないかなと思ってて。「素材に出会って、あとは自分で考えなさい」っていうことなので、それは対等ですよね。危ないから助けるっていうのは大人の役割としてありますけど。

図工っていうのは一つの教科なんだけど、授業という時間の枠ではなくて、「場」なんだっていうことが分かった。場の力を使った時間をどう過ごすのかっていうのが、図工的であるっていうふうに思ったんですよね。

だから、図工やってるんですよ、「なんだかんだ」は。実は。

――「なんだかんだ」は図工だったんですね!

図工です(笑)。

子どもの常識を壊してあげる

「なんだかんだ」では、ヨガとかダンスとか、車いすで街歩きとか、いろんな企画を全部で30くらいやったんです。そこでは、対等な場をどう面白くしていくのかを、つくりながら考えようとしてた。

つくりながら考える、「問い」とセットになっているような、「問いを生み出す」みたいな場所。それが図工なんですよね(笑)。

大人は、問いをいかにつくるかってところが大切。「なんで、これが、こうなったんだろう」っていうことにもっと敏感にならないと。常識まみれになりすぎちゃってるところに、「なんなんだろう」って問い直す気持ちをもっともたないといけないと思います。

子どもは逆に壊さないといけない。

――壊す?

子どものマインドを、です。子どもはすでにYouTubeやテレビからいろんな情報を得ているから、そういうのを壊してあげる時間をつくらないともったいないなって思ってて。

――ちょっとピンときてなくて…。

まず、「完成させなきゃいけない」と思っていることとか。

――「作品を完成させる」という考えを壊す?

そう、壊す(笑)。

あと、これは「段ボールだ」とか「土」だとか思うことを壊す。段ボールじゃなくて、「これで何ができるのか」っていうのから始まる。

令和6年度版教科書「図画工作」3・4上p.5から
撮影:池ノ谷侑花(ゆかい)

だって、砂場遊びでは泥団子がハンバーグになるわけですから。「はい、あなたのハンバーグよ」っていうのがないと、子どもの遊びにならないと思うので。

唯一、先生が教えることって、「遊び方」なんですよ。遊びの仕方を知りたいんですよ、子どもは。それが勉強なんだと思うんですよね。どう遊ぶかは自分で考えればいい。

――それが教科書の役目でもあるんですね。遊び方が載っているっていう。

そう、そういうこと。遊び方を伝えたら、あとは「みんなで、いい時間過ごしてね」でいい。

子どもへの敬意がある!

ま、でも、いちばん伝えたかったのは、「図工のみかた」によって人生が変わりましたっていうくらい、ぼくには大きな影響があったってことです。

福祉に関心をもったっていうのもここからですね。障がいのある方と関わり合いをもつようになったのも、そう。「あ、そんな考えもあったのか」っていうことを受け止める。それが図工と同じなんですよね。

――いろんな違いを受け入れられる。そのきっかけが図工であったのがすごくうれしいです。

ほんとにそうだと思います。

あと、そうだ、分かった。図工は敬意がある!子どもに対して敬意がある!

素材だけ渡して「あとはみんなで考えて」っていうのは、先生が教えてつくったものよりも子どもたちがつくったほうがいいに決まっているからなんですよ。

令和6年度版教科書「図画工作」5・6上p.26から
撮影:杉山亜希子(ゆかい)

見本でつくったものを超えてきてくれる、そんなこと先生は百も承知なので。子どもに対して敬意をもっている時間っていうのは、ほかの授業では分かりにくいですよね。

それだよ、図工がいい時間だなって思えるのは!(笑)

*1:「図工のみかた」は2017~2019年に日本文教出版が発行した教授用資料。池田さんはクリエイティブディレクターとして参画。取材から紙面デザインまで編集部と話し合いながら全10号を制作した。
*2:「なんだかんだ」では、池田さんは実行委員(クリエイティブディレクター)を務めた。路上実験イベントと称し、さまざまな参加型のコンテンツを用意。サウナやヨガなどのほか、車いす体験スタンプラリーなど福祉的な側面にも力を入れているとのこと。

池田晶紀(いけだ・まさのり)
写真家。
1999年、自ら運営していた「ドラックアウトスタジオ」で発表活動を始める。2003年よりポートレイト・シリーズ「休日の写真館」の制作・発表を開始。2006年写真事務所「ゆかい」設立。クリエイティブディレクター、映像ディレクターとしても活動する。2010年馬喰町にてオルタナティブ・スペース「ドラックアウトスタジオ」の運営を再開。2021年スタジオを神田ポートビルへ移転し、同ビルのクリエイティブディレションを担当。神田への移転を機に、神田の社会実験及びまちづくりを計画した路上企画や地域情報のWebサイト「オープンカンダ」のディレクションなども行なっている。国内外での個展・グループ展多数。一般社団法人フィンランドサウナクラブ会員、かみふらの大使など。主な著書に、写真集『SAUNA』(ゆかいパブリッシング)、『いなせな東京』(コマンドN)がある。近年の展覧会は、2023年「池田晶紀写真展 写真でつながる街と街〜大手町・神田〜東京ビエンナーレはじまり展〜」、2018年「池田晶紀 Portrait Project 2012-2018 いなせな東京」(3331 Arts Chiyoda メインギャラリー、東京)、2017年池田晶紀展「SUN」(スパイラルガーデン、東京)など。

※本記事は令和2年度版および令和6年度板小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。

子どもの表現が中心にある家族のコミュニケーション ~保護者の方へ(前編)~

 今回は、家庭の中での子どもの作品の扱い方を基に、子どもとのコミュニケーションのあり方を考えます。

 年度末、子どもたちが家に図画工作の作品を持ち帰ってくる季節です。保護者の方からの「子どもの作品って、どう扱っていいのか分からない……」「たまっていく作品をどうすればいいの?」といったお悩みについて、小学校教諭を経て、現在は大学で子どもから始まる教育と造形表現について研究されている名達英詔先生に解決の糸口を聞いてみました。

作品は子どもそのもの

令和6年度版教科書『図画工作3・4下p.39』

――学期末や学年末、図画工作でつくった作品を子どもたちが家に持って帰る時期です。作品の扱い方に悩まれている保護者の方も少なくないようです。

 「子どもが持ち帰った作品をどうしたらいいの?」という相談はよくありますね。でも、子どもたちにとって大切なことは、保護者もちゃんと作品に向き合ってくれることです。かける言葉だけでなく、作品を見る無言の時間も含めて、どう受け止められているかを、子どもたちは思っている以上に敏感に感じ取っています。

①話を聞く構えを見せる
 子どもが作品を持って見せに来てくれたら、忙しくても一度その子のほうを向いてあげてほしいです。そして、「これ、どうやってつくったの?」「何をかいたの?」といったように聞いたり、一緒に見たりするなどしてほしい。
 そうすると、子どもは「あ、この人はわたしのことをちゃんと受け止めてくれた」って思える。話を聞こうとしているよといった構えを伝えるだけで子どもの気持ちは全然違ってくると思います。
 そして子どもの答えを聞くなどのやり取りのあと、もし忙しければ、例えば「ごめんね、今、お仕事しているから、あとで続きを聞かせてもらうね」といったように伝えてみてはいかがでしょう。わずか10秒程度ですよ。それをやるかどうかなんです。
 何より、いちばんつらいのが無視や放置です。大人だって、自分が時間をかけてつくったものは受け止めてほしい、見てほしいことってあるじゃないですか。それは自分の時間や思いをかけた自分の分身だからでしょう。つまり、「これは、わたしだよ」と言って渡しているんです。それをぞんざいに扱われたら、自分の存在を否定されているようなものですから。きついですよね。

②問いかける
 仕事がひと段落して、作品をじっくり見させてもらう時間になれば、また質問をしてみるとよいでしょう。「どんなふうにつくったの?」「どのくらい時間がかかったの?」とか、聞くことが大切。そうすると、子どもは「語れる、やったー!」ってなる(笑)。
 もちろん、中には「もう眠いよ」とか「面倒くさいよ」っていう子もいるかもしれない。そうしたら「分かった、じゃ、また今度ね」でいい。大切なことは、大人が関わろうとしてくれている、その姿勢を伝えることだと思うんです。
 よく分からないときは「なんて題名なの?」などと聞いて、そこから話に入っていいんですよ。作品を見るときに、大人にとっても「これはどうしてこうなった?」っていう好奇心って大事だと思うんです。そこを「何これ。下手ね」って決めつけて終わると子どもはつらいんです。

③置き方は子どもと相談しながら
 作品の扱われ方が醸し出していることの影響って、ものすごく大きいと思います。その子が表現した作品がどこに置かれるのかによって、どれほど大切にされているか、どれほどの人と共有できているのか、子どもたちは察知します。そういうことが幸福感につながるってことはあると思います。
 例えば、飾り方が分からなかったら、素直に子どもと相談すればいいと思います。「これ、飾りたいんだけど、どこがいい?」「額に入れたほうがいいかな?」って。「あそこに飾って」と即答する子もいれば、「分かんない。どうしよう?」って聞き返す子もいるでしょう。そうしたら「じゃあ、お姉ちゃんやおじいちゃんにも聞いてみよう」って言ったり、そんな膨らみをもちながら「ここに、こんなふうに飾ろう」ってなったら、家族の中心に子どもの表現がある。作品はその子そのものなので、「わたしがいる」という所属感や帰属感が常にあって、安心感が生まれますよね。

④写真や動画での保管も
 ご家庭の事情もあるので、作品が増えてどうにかしないといけないこともあるでしょう。その場合も、まずは子どもに相談する。「もういいよ」っていうことであれば廃棄するということになるでしょう。写真や動画に撮っておいてもいいでしょう。中には部品だけ取っておいて、そういうのを集めた宝箱をつくるということもあるかもしれません。
 収納場所があるのであれば、取っておけるとよいと思います。余裕があれば、衣替えのように季節ごとに「今回は○年生のころの作品を飾ってみよう」とか、けっこう楽しいと思います。
 大切なのは、作品を通して「そこにある意味や価値をやり取りする」ということなんです。「こういう表現が喜ばれた」とか「この作品は、自分はそんなに好きじゃないけど、親は好きみたい」とか、そういう価値のやり取りです。だから「飾ってなくても大切に写真には撮ってあるよ」といったことはまさに、「わたしの存在を認めて、一緒にいてくれる」ということになるじゃないですか。

教師の「大切に思っている」気持ちが伝わる

――持ち帰った作品を大切に扱われていないという児童は、図画工作だけでなく他の教科でもやる気の低下が見られるという話も聞きます。

 家庭で安心感や幸福感が得られる中で、積極性とか非認知的な能力の部分も高められると思うんですね。
 だけど、保護者の方々にしてみれば、だれからもどうすればいいか教えてもらえないですからね。なので、ぜひ先生方には、保護者の方に作品の扱い方などについてお話ししていただきたいです。
 その上で、教師側でもまず大事なのは、子どもの表現を「大切に扱っている」ということだと思います。「保護者のみなさん、子どもの作品を大切にしてくださいね」と伝えることはもちろんですが、それだけじゃなくて、教師がそもそも子どもの表現を大切にしている。それがメッセージになります。
 ぼくは、小学校に勤めていたときは、一人ひとりに段ボールでカルトン(絵を折らずに収納できる紙ばさみ)みたいなものをつくっていました。買うと高いから。二枚重ねて片方をテープでふさげばすぐにできます。そこに子どもの絵を大切にしまって持ち帰ってもらうと、家庭でもそのまま保管できます。
 あとは、保護者会とか面談で保護者の人にお話をしていくことがとても大切です。少なくとも、「どうやって子どもと向き合っていけばいいんだろう」って悩んでいる、困り感のある保護者の方には、教師から声をかけさせてもらうとよいですよね。
 短い時間しかとれないのであれば、上述したようなことを「おうちに作品を持ち帰ったときには、どうぞこうしてみてください」ってお伝えする。
 長めの時間をとれるのであれば、実際に子どもたちの作品を一緒に見ながら「こんなふうに見ていくといいですよね」「こんな問いかけをしてみるといいですよ」と教師が解説するといいと思います。
 釘打ちの立体作品とか面白いけど、よく分かんないって人も多いですよね。教科書でもいいので、そういう作品を一緒に見るといいんじゃないでしょうか。

令和6年度版教科書『図画工作3・4上p.23』

「『思いっきり打ち込んでいるね』とか『これ、何本釘打ったの?』とかでもいいんですよ」ってお伝えしてください。こういう表現の面白さを共有する、そういう会があってもいい。保護者の人も自分一人じゃないので、仲間が増えていきますよね。そうなればいいなと思います。

(後編は子どもの作品の見方と声かけについて深掘りしました。5月10日に公開予定です。)


名達英詔(なだち・ひであき)

小学校教諭での実践をもとに北海道教育大学教授を経て現職となる。子どもの造形活動の理解やそれをもとにした援助・指導など、子どもの主体的な学びを応援する保育・教育について造形・表現の視点から研究。日本文教出版小学校図画工作科教科書著者。『<感じること>からはじまる 子どもの造形表現』(教育情報出版)等執筆。

※本記事は令和6年度版小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。

新年のご挨拶にかえて

 本年1月1日に発生した令和6年能登半島地震により、犠牲となられた方々に心よりお悔やみ申し上げますとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地の皆様の安全と一日も早い復興をお祈りいたします。

 みなさま、旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 令和5年、日本文教出版・秀学社はpurposeを公開しました。

 purposeは一般的には「目的」などと訳されますが、ビジネス用語としては「存在意義」という意味で使われるようです。日文・秀学社では「私たちの志」としています。それは、このようなものです。

 ここは「学び!と美術」ですので、図画工作科や美術科に引き寄せてお話しします。

 図画工作科や美術科では材料に触れたり、対象と出会ったりして、心が動くことから学びが始まります。

 そんな心の動きから生まれた一人ひとりの「思い」や「願い」が大切にされ、今までの自分自身や、学級や学校、地域と混ざり合って新たな意味や価値が生みだされていくような学びの時間。

 これが、私たちの提供したい図画工作科や美術科の時間です。

令和6度版教科書『図画工作5・6下p.6-7』

 まさに「心が動く、その先へ」誘うことができるような教科書をつくることが、私たちの「存在意義」なのだと思います。

 実は、昨年秋には、ロゴマーク、ロゴタイプも更新しました。

 ロゴマークには「モーションロゴ」というものもあります。

 日文のNとBの文字に重ねられたイメージは、つながろうとする手と手、贈り合い受け取り合う手と手です。

 互いにつながり、「思い」や「願い」を贈り合うことに喜びを感じられるような子どもたちがいれば、世界は豊かに混ざり合い、きっとカラフルですてきなものになると思います。私たち自身もまた、子どもたちや先生方、保護者の皆さんとつながり、「思い」や「願い」を贈り合える存在になりたいと考えています。

 教科書や教材にできることは限られているかもしれませんが、子どもの学びに常に寄り添い「心が動く、そのそばで」、ともにカラフルな未来を育みたい。それが、今年も変わらぬ、私たちの志です。

 皆様にとって、本年もより混ざり合うカラフルな一年になることをお祈り申し上げます。

 ※本記事は令和6年度板小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。

「造形的な見方・考え方」と「社会的な見方・考え方」はクロスオーバーするのか ~そぞろみ部(小学校図画工作科×小学校社会科) in 横浜~

 ことの発端は、社内での小学校社会編集部(小社編集)と小学校図画工作科編集部(小図編集)の会話。「社会科って、見えることから見えないことを考える教科なんですよ」と小社編集者。「え、そうなんですか。図工も見たことから想像を広げていくことを大切にしてるんです」と小図編集者。そこから言葉を交わすうちに、「社会と図工って、実は、もっといろいろなところがつながっているのかも?」という思いが芽生えてきました。「今度一緒に何か企画しませんか?」と勢いで提案したところ、小社編集からも「ぜひに!」との返事。それが今回の「学び!と美術」です。

教科のイメージから生まれる無意識の壁

 教科書をつくるときには学習指導要領で定められている「教科等における見方・考え方」を基に教材(題材)を考えていきます。常にその教科の見方・考え方を念頭に企画を練るあまり、編集者は「社会ならこう考える」「図画工作だからこうなんだ」と無意識にある種の凝り固まった思考に陥りがちです(自戒を込めて……)。

各教科等における見方・考え方とは

【社会】社会的事象の見方・考え方
社会的事象を、位置や空間的な広がり、時期や時間の経過、事象や人々の相互関係などに着目して捉え、比較・分類したり総合したり、地域の人々や国民の生活と関連付けたりすること

(引用「小学校学習指導要領(平成29年告示)
解説 社会編」/太字・マーカーは編集部)

【図画工作】造形的な見方・考え方
感性や想像力を働かせ、対象や事象を、形や色などの造形的な視点で捉え、自分のイメージをもちながら意味や価値をつくりだすこと

(引用「小学校学習指導要領(平成29年告示)
解説 図画工作編」/太字・マーカーは編集部)

 しかし、学習指導要領では「児童が各教科等の特質に応じた見方・考え方を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり」とありますし、実際に子どもたちは学校での学びを総合的に、あるいは取捨選択しながら、生活や社会の中で生かしていきます。教科を分断して考えるのではなく、その特性を理解してクロスオーバー(領域を越えた混じり合い)させる試みをしてみたい。そうすることで、一つの事柄をもっと広く深く学べる視点を養えるのではないか。そんな思いから、小学校社会著者の先生と図画工作著者の先生とで「そぞろみ部」を開催しました。

今回の企画に快く参加いただいた先生お二人。
市川寛也先生(写真左/日文教科書「図画工作」著者)
笠谷直人先生(写真右/日文教科書「小学社会」著者)

そぞろみ部とは

形 forme』No.309~320で市川先生が連載されたシリーズで、現在は日文図画工作科ブログ「図工のあるまち 」に引き継がれている。先生いわく「いろいろな場所をそぞろ歩きながら造形的な見方や考え方を使って身の回りのあれこれを眺めてみる、まったり系部活動」。

横浜のまちをそぞろ見る

 今回は、テーマを「港町」に設定し、場所は横浜を選びました。出発は馬車道駅。
 笠谷先生と市川先生が一緒にそぞろ歩くことで、「社会的事象の見方・考え方」と「造形的な見方・考え方」の両面から、いつもの場所やよく知られている観光地を捉え直すことができそうという期待半分、全くそりが合わなかったらどうしようという不安半分……。
 とにかく、二人のあとをついて行ってみましょう。

↑ 今回そぞろ見た軌跡

社会も図工も「まず見る」から

 テーマ「港町」ということで、馬車道から港のほうに向けて歩き始めました。海が見えてきたところで、朽ちた係船柱(ロープを使って船舶を岸壁につなぎとめるもの)を発見。

市川先生
市川先生

これ面白いですね。こういうの、わざわざ残しているんですね(写真を撮る)。

笠谷先生
笠谷先生

ほんとだ(写真を撮る)。

市川先生
市川先生

ここから先が新しい埋め立て地になるんですかね。

笠谷先生
笠谷先生

どうなんでしょう。ちょっと確かなことは分からないですね。

 そこから少し歩くと、地図がありました。すると、笠谷先生から横浜に関するいろいろなお話が。

笠谷先生
笠谷先生

横浜に赴任したときに学習したのですが、むかしは大岡川に沿ってずっと南太田のほうまで海岸になっていたらしいです。そこにあった浜が、横に長かったことが、「横浜」の由来らしくて。

(一同 「へぇ~。そうなんですね~!」)

笠谷先生
笠谷先生

江戸前期、まだ横浜村だったときに、吉田勘兵衛さんという方が私財をなげうって水路を引き、埋め立てをしたそうです。

市川先生
市川先生

相当な埋めっぷりですね(笑)。

笠谷先生
笠谷先生

ですね(笑)。当時は食料難で、米をつくるための土地が欲しくて埋め立てたらしいです。それから、だんだん居住地として使われるようになりました。

そこから時を経て、幕末から明治初期にかけて、横浜港の開港に伴い、日本人の出入りを取り締まるために関所が設けられて、海側が関所の内側で「関内」、陸側(伊勢佐木町側)が「関外」とされたということです。

(一同 「へぇ~。なるほど~!」)

 「横浜」「関内」の地名の由来に一同納得し、吉田勘兵衛さんの偉業に思いを馳せながら、さらに港のほうへそぞろ歩きます。

ハンマーヘッドパーク

桟橋の浮き輪

比較的新しい係船柱

駅のプラットフォームらしきものを発見。
説明板を読む笠谷先生。横浜港駅跡とのこと。

 大きなクレーンのあるハンマーヘッドパークを経て、桟橋を横目に、赤レンガ倉庫へ向かう途中で、少し違和感のある場所にたどりつきました。

 なんだか遺跡っぽい。

 そう思ったときには、笠谷先生と小社編集がどこかに向かって走り出していました。
 一方、市川先生と図工編集は「なんでしょうね、これ?アーチ型が残ってますね」とゆっくりじっくり見ています。

 すると、向こうから笠谷先生の声が。

笠谷先生
笠谷先生

ありました! ありましたよ!

市川先生
市川先生

説明板を探してくださってたんですね~。

笠谷先生
笠谷先生

ないはずはない、と思って(笑)

市川先生
市川先生

さすが(笑)。

笠谷先生
笠谷先生

税関事務所だったんですね。関東大震災で崩れて焼けてしまったみたいですね。

市川先生
市川先生

これを「花壇として利用しよう」って考えた人のセンス、すごいですね。

 ここまでのお二人の様子を見ていると、気になったものを「まず見る」ところは同じです。対象との出会いを大切にするのは、社会でも図画工作でも同じなのでしょう。
 「まず見る」のあとの行動は少し違う印象です。市川先生は「もっとじっと見る。そして妄想する」、笠谷先生は「それが何かを考える。根拠を確認する」という感じでしょうか。

笠谷先生
笠谷先生

どうしても「事実」を確認したくなりますね。

市川先生
市川先生

わたしはまず、そのものを愛でる。もう職業病ですね(笑)。愛でることが大切。

笠谷先生
笠谷先生

そういうことなんですね。

市川先生
市川先生

図工・美術の鑑賞でも、「こういう見方をしよう」っていうのではなくて、よく見て自分の見方を見出していくということが重要なところなんです。想像するとか妄想するとかに近い。

社会の教材で、例えば日本の絵画を取り上げるときは、おそらくそれがどの時代の作品か、だれがかいたのかとかがけっこう大事になるんですよね。

笠谷先生
笠谷先生

そうですね、そうなりますね。だれがかいたかって話にはなりませんか?

市川先生
市川先生

だれがかいたのかっていう鑑賞の仕方もありますけど、特に図画工作では、必ずしもそこを出発点にしないということがけっこうあります。

笠谷先生
笠谷先生

そういえば、さっき立ち寄ったJICA横浜海外移住資料館で、市川先生は四つ並んだ時計に注目されてましたね。

市川先生
市川先生

わたしは「そぞろみ状態」で見てました(笑)。あー、横浜らしい時計だなって。

笠谷先生
笠谷先生

「そぞろみ状態」って(笑)。でも、たしかに横浜らしいですね。
ぼくはそれを見て日本とサンパウロはちょうど12時間違うって気付いたんです。同じ時間を指しているのに、こっちは昼で、向こうは夜なんだって。時差を学習につなげられないかなぁって、そんなことを思っちゃうんですよね。

市川先生
市川先生

たしかに。サンパウロは夜で、みんな寝てますね(笑)。

まちの魅力を社会的・造形的に考えてみる

 同じものを見ていても、感じ方やその先の興味のもち方が違うのは想定したとおりですが、二つの見方が交わることはないのでしょうか。
 そういえば、「サークルウォーク」という歩道橋を見て、お二人とも「どうしてこういう形なのかな」って興味を示されていたような。ここをもう少し掘り下げて聞いてみましょう。

サークルウォーク

笠谷先生
笠谷先生

サークルウォークを見たときに、なんでこういう構造なんだろう、市民がよりよく生活できるような構造になっているのかなって考えましたね。6年の政治の単元で、交通機能とかそういうことを考えるときに使えないかなって。

市川先生
市川先生

わたしも、どうしてこの形なのかなって思ってたんです。それで、歩きながら桟橋の浮き輪を見て、「あ、これに似てる!これを模したのかも」って考えた(笑)。

笠谷先生
笠谷先生

あ、そういうこと!?

市川先生
市川先生

たぶん、違います(笑)。

笠谷先生
笠谷先生

(笑)でも、その考え方、いいですねぇ。

市川先生
市川先生

横断歩道にしちゃうと、ここは交通量が多いから、かなり待たなくちゃいけないんじゃないかな。無理やり渡ろうとした人がいっぱいいたかもしれないし。円にすることで、人の動きがスムーズになるのかも。しかも歩道橋にはエスカレーターも付いてましたよね。階段だと上るの嫌だなって思うけど、エスカレーターなら上まで行こうかって気になる。

笠谷先生
笠谷先生

たしかに。あと、この辺りは、緑を大切にしている感じもしました。そういうのもまちづくりのコンセプトがあるのかなって。

市川先生
市川先生

美術でも、中学校だと景観とか建物とかデザインの領域でやるんですよね。

笠谷先生
笠谷先生

建物の左右対称性、シンメトリーとかですか?

市川先生
市川先生

それもあるんですけど、過ごしやすいまちを考えるとかですね。コンビニの看板を景観に合わせるとか、まちの調和ということですね。文化の継承というか、文化財的な観点が含まれたりもしますよね。

笠谷先生
笠谷先生

使わなくなった係船柱やハンマーヘッド、さっきの花壇や鉄道跡など、壊さないで生かしておくというのが、横浜っぽいのかなって思いました。

市川先生
市川先生

新しい建物もわざとレンガ調にしてますよね。

笠谷先生
笠谷先生

そういうの、かっこいいですよね。まちとして魅力があります。

市川先生
市川先生

それは、海を埋め立てて広げていけるからなのかな。周りを囲まれた土地だと、新しいものをつくるときには古いものは壊さないといけなくなるんじゃないかな、やっぱり。港町の面白さですね。海に向かうにつれて時間が進んでいくというか。横浜村だったころから、令和に向かって、「時間の地層」みたいですね。

 なんだか、歴史と地理と造形が混ざり合ってきた気がします。

線路跡からレンガ調の建物などを愛でる一同。

「深めて広がっていく」社会と「広げて深まっていく」図画工作

 お昼過ぎから歩き始め、すっかり夕暮れになりました。このあたりで、今回の「そぞろみ部」を振り返ってみましょう。

笠谷先生
笠谷先生

なんだかいろいろ勉強になりました。ぼくは、どうしても、いつも目的地に向かって歩くというところがあって。すぐ説明板を探しちゃうし。

市川先生
市川先生

それも大事。わたしのほうは、見て、妄想して、終わりということもあったりして(笑)。今度は「説明板」っていうそぞろみテーマもいいかも(笑)。

笠谷先生
笠谷先生

(笑)。社会は教材ありきというか、教材開発のためにまち歩きをするので、どうしても史跡とかを探してしまったりするんですよね。教材を求めて歩いて目に入ることと、そぞろ見ながら歩いて目に入ることが違うんだなって思いました。教材開発を意識しないからこそ、新たな教材のアイデアが生まれるというか。

そういえば、市川先生は妖怪採集をされているんですよね?

市川先生
市川先生

そうですね。東北とか徳島とかよく行きます。横浜のような新しい町では、なかなか見付けるのが難しいですよね。

笠谷先生
笠谷先生

ほんとうに集めてるんですか!?

市川先生
市川先生

(笑)。まちを歩いていて、「なんか違和感あるな」って思ったところには、何かあるんですよ、きっと。その違和感を大切にして「ここ、なんだか面白そう」って、そこから想像を膨らませて考えるんです。
以前に、「そぞろみ部」で岡山 に行ったときは、黄色と黒の組合せを見付けるたびに、みんなで「ここに鬼がいる!」って盛り上がってました(笑)。

笠谷先生
笠谷先生

その違和感というか興味をひいたところから、ある子は事実を調べて歴史的や地理的な興味を深掘りしていくかもしれないし、ある子は造形的な興味を広げるかもしれないし、ある子は妖怪を見付けるかもしれない(笑)。

市川先生
市川先生

そうなんです。社会科の教科書でも妖怪、取り上げてみませんか?

笠谷先生
笠谷先生

いやぁ、それは・・・・・・(苦笑)

 まず見て、そのものの形や色から想像を広げて、造形的な視点を根拠にまちの成り立ちや魅力を掘り下げていく市川先生。まず見て、事実を確認したうえで、社会事象的な視点からよりよいまちづくりや社会に思いを広げていく笠谷先生。ときに離れつつ、ときに近づいて、らせんをえがくように絡み合って新しい発想が生まれていく。最初に感じた不安は解消され、「やっぱり根っこはつながっていた!」という手ごたえを感じた取材となりました。
 次はどの教科の先生と、どこをそぞろ見ようかしら……。

取材後、それぞれの思い

笠谷先生

 まちのところどころにある古い係船柱が横浜の沿岸部の歴史の手掛かりになる…。普段、通勤や通学で歩いているだけでは目に留めることがないものでしたが、とても興味深い発見ができました。
 煉瓦づくりの建物や街灯など、開港当時の雰囲気を漂わせる中にも、新しい建物もたくさんある横浜。歴史的価値を考えながら、新しいものとの融合を図る横浜のまちづくり。そんな横浜の魅力を垣間見ることができた一日となりました。

☆お気に入りの一枚

旧税関の跡地を利用したガーデン。古いものを排除するのではなく、融合・共存を図ろうとする横浜のまちづくりのイズムを少し感じた気がしました。

笠谷先生の見方・考え方は、「学び!と社会 <Vol.19>」でご覧いただけます。

市川先生

 久々にグループでの「そぞろみ部」、しかも社会科の先生とご一緒ということで、わくわくしながら当日を迎えました。美術業界では「横浜トリエンナーレ」などが開催される文化創造都市として知られる横浜ですが、そぞろ歩いてみると改めて「美術作品」ではない造形に気付かされます。その一つひとつが地域の歴史を背負っているようでもあり、「まち」を舞台に教科の見方がつながっていくプロセスを共有することができて刺激的でした。

☆お気に入りの一枚

港町らしい造形です。空を飛ぶカモメのようにも見えてきます。

市川先生の見方・考え方は、「図工のあるまち」でご覧いただけます。

市川寛也(いちかわ・ひろや)
群馬大学共同教育学部准教授。博士(芸術学)。
地域と芸術をテーマにアートプロジェクトの理論と実践についてリサーチしています。これと並行して、芸術学の観点から妖怪研究も進めてきました。「そぞろみ部」7年目です。

笠谷直人(かさや・なおと)
神奈川県秦野市立本町小学校 総括教諭。
第6学年社会科担当。趣味はアウトドア、キャンプ、旅行など、浅く広く……。