障害がある教育職員の雇用と共生社会の形成

 共生社会とは、「これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。このような社会を目指すことは、我が国において最も積極的に取り組むべき重要な課題である。」文部科学省特別支援教育の在り方に関する特別委員会による報告「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」にはこのように記されています(*1)
 これまで、本欄では、学齢段階の幼児児童生徒の観点から「基本的な方向性としては、障害のある子どもと障害のない子どもが、できるだけ同じ場で共に学ぶことを目指す」ことを主眼に置いた「共生社会」の実現について話題にしてきました。しかし、学校もまた小さな社会であることからすると、「障害者の権利に関する条約」で求めている障害のある人とない人が共に生きる社会を実現していくためには、子どもだけでなく学校で働く人々も含めて学校の在り方を考えていく必要があります。そこで、今回は、障害がある教職員の実態について探ってみたいと思います。

障害者雇用制度と法定雇用率

 障害者の雇用に関しては、「障害者雇用制度」が定められています。これは、民間企業や国・地方公共団体に一定以上割合で障害者を雇用するように義務づけた制度のことです。この制度によって、企業や国・地方公共団体には法定雇用率(障害者雇用率)の達成が義務付けられています。平成30年には、国や地方公共団体における法定雇用率の水増し問題が大きく報道されました。教育委員会を含めて地方自治体等の公的機関において、障害者手帳の交付に至らないなど障害者に該当しない者を障害者として雇用し、障害者の雇用率が水増しされていた問題です。これは、雇用の問題であると同時に共生社会の形成に向けた取組に対しても水を差すものでした。

教育委員会における障害者雇用に関する実態調査から

 文部科学省では、この水増し問題の直後の令和元年に「教育委員会における障害者雇用に関する実態調査」を実施しています(*2)。平成31年4月に公表された「教育委員会における障害者雇用推進プラン」に基づいて、都道府県・指定都市教育委員会を対象に、障害者雇用の実態把握やその課題の洗い出しを行うとともに、取組事例の展開等を通じて各教育委員会における障害者雇用の取組を促進することを目的として取り組まれたものです。
 この調査から、令和元年6月1日現在の都道府県教育委員会における障害者雇用の状況について、実雇用率が教育職員の事務職員の全体で1.87%と、法定雇用率を満たしていないことが明らかになりました。職種別に見ると、事務職員の実雇用率が7.39%に達しているのに対して、教育職員の実雇用率は1.27%にすぎませんでした。職員の構成比はほぼ1:9になっていますので、障害がある教育職員がいかに少ないかがわかります(表1)。さまざまな理由が考えられますが、事実として、共生社会の実現を抱えて取り組んでいる学校の職員の雇用率が、2.4%の法定雇用率を満たしていなかったということになります。

教育職員

事務職員

全体

対象職員数の構成比

90.20%

9.70%

実雇用率

1.27%

7.39%

1.87%

表1 職種別の雇用状況(*2より)

 表2は、学校種等別の雇用状況を示しています。障害がある教職員の雇用率は、当然のことながら、教育職員については、特別支援学校が最も高く、中学校、小学校は1%以下となっていました。事務職員についても小学校、中学校では雇用率が低くなっている傾向が認められました。

教員職員の実雇用率

事務職員の実雇用率

教育委員会事務局

5.47%

小学校

0.69%

4.05%

中学校

1.00%

3.92%

高等学校

1.33%

11.49%

特別支援学校

4.23%

15.17%

その他

0.60%

6.45%

全体

1.27%

7.39%

表2 学校種等別の雇用状況(*2より)

 都道府県ごとの状況も公開されていて、図1に示したようになっていました。どの自治体も教育職員については、軒並み2%以下になっていることがわかります。

図1 職種別の実雇用率(*2より)

 このように、この調査が実施された令和元年において、教育委員会関連では法定雇用率が達成されていませんでした。こうした状況は長年にわたって続いていたわけですが、こうした障害者が教員になることを阻む要因については、社会構造や学校教育特有の文化等に起因するところがあるのかもしれません。共生社会の実現を目指してインクルーシブ教育の理念を実現していくためには、教職員の雇用の拡大や合理的配慮への対応も含めてドラスティックに捉えなおしていく必要があるのかもしれません。

近年における障害者雇用の動向

文部科学省「障害者雇用推進プラン」

 文部科学省では、共生社会の実現に向けた取組を加速し、より積極的に障害者の活躍の場の拡大を図るため、平成31年1月に文部科学副大臣のもとに省内の関係課で構成される「障害者活躍推進チーム」を設置しています。そして、同年4月に学校教育、生涯学習、スポーツ、文化芸術の各分野において、より重点的に進めるべき6つの政策プランを示しました。その中の6番目として、「障害のある人が教師等として活躍することを推進する~教育委員会における障害者雇用推進プラン~」という施策が盛り込まれています。概要には次のように記されています(*3)

6 「教師の養成、採用、入職後にわたる総合的な取組により、障害者が教師等として活躍できる環境整備を推進。
❶教師に係る障害者雇用の実態把握
❷教職課程における障害のある学生の支援に係る好事例の収集・発信
❸教員採用試験の改善
❹相談支援体制の構築や支援スタッフの配置などの好事例の収集・発信
❺障害のある教師が働きやすい環境整備
❻教師以外の職員の障害者雇用の推進

厚生労働省「新たな障害者雇用率の設定」

 ホットな情報として、厚生労働省が令和5年1月18日に、企業等が雇用すべき障害者の割合(障害者雇用率)を現行の2.3%から2.7%に引き上げることを決めたことが報じられています。令和6年度から段階的に引き上げ、令和8年度に2.7%とするということです。企業の障害者雇用率引き上げに合わせ、国と地方公共団体、教育委員会もそれぞれ雇用率を段階的に引き上げ、令和8年7月以降の雇用率は国と地方公共団体が3.0%、教育委員会は2.9%とするということです(*4)

まとめ

 本稿では、文部科学省の調査から、教育委員会における障害者雇用において、法定雇用率を満たしていない実態が明らかになったこと、そのことや社会の動きを踏まえて、学校教育の場における障害者の採用をより増やしていくことが施策として示されるようになってきていることを紹介しました。このことは、障害者雇用の観点からだけでなく、共生社会の形成という観点から大変望ましいことだと言えます。しかし、障害がある人が教育職員、とくに小学校、中学校、高等学校の教育職員として働く際には、さまざまな壁や容易には解決できない難題、課題が待ち受けているのが現実です。単に法定雇用率の充足ということだけでなく、合理的配慮への対応も含めて、障害がある人が働きやすい環境を整えていくことや学校等で学んでいる幼児児童生徒にとってもプラスになるように学校等の在り方の見直しを進めていくことが求められているように思います。そうしたプロセスを丁寧にたどっていくことにより、法定雇用率も満たされ、障害の有無にかかわらず教育職員にとって働きやすい職場へと変貌し、共生社会の形成へと進んでいくことが期待できるのではないでしょうか。

*1:文部科学省 特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/houkoku/1321667.htm
*2:文部科学省 「教育委員会における障害者雇用に関する実態調査」
https://www.mext.go.jp/content/20210326-mxt_kyoikujinzai01-000011998-1.pdf
*3:「文部科学省 障害者活躍推進プラン」概要
https://www.mext.go.jp/content/20200731-mxt_kyousei02-000010642_2.pdf
*4:令和5年度からの障害者雇用率の設定等について
https://www.mhlw.go.jp/content/11704000/001039344.pdf

「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒の実態調査」から

 この12月13日に、文部科学省から「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒の実態調査」の調査結果が公にされました。「通常の学級に在籍する児童生徒の8.8%に発達障害の可能性がある」という内容の記事が、新聞などでも広く報道されました(*1)
 この調査は、今後の施策の在り方等の検討の基礎資料とするために、「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒」の実態と支援の状況を明らかにするために初等中等教育局特別支援教育課によって調査されたものです(*2)
 同様の調査は平成24(2012)年にも実施されています。その時の結果は6.5%でした。単純に比較することはできませんが、10年間で2.3ポイントほど上昇したということになります。
 この間、発達障害者支援法の改正(2016)、高等学校における通級による指導の制度化(2018)、平成29(2017)・30(2018)年に小・中・高等学校学習指導要領における特別支援教育に関する記述の充実などの発達障害を含め障害のある児童生徒をめぐる様々な施策等の変化もありました。
 今回はこの概要を紹介するとともに、調査が意味することについて考えてみたいと思います。

調査の概要

調査方法

 文部科学省発表の資料によると調査の方法は、以下のとおりです。
 この調査は令和4年1月から2月にかけて実施されています。母集団は、全国の公立の小・中・高等学校の通常の学級に在籍する児童生徒で、対象児童生徒数88,516人(小学校:35,963人、中学校:17,988人、高等学校:34,565人)で、そのうちの74,919人について回答(回収率84.6%)が得られました。
 回答は、調査対象の学級担任等が記入し、特別支援教育コーディネーター、教頭(副校長)のいずれかによる確認の後、校長の了解の下で為されたということです。従って、「本調査の結果は、発達障害のある児童生徒数の割合を示すものではなく、特別な教育的支援を必要とする児童生徒数の割合を示すものである」(*2)ということに留意する必要があります。

調査内容

 調査内容は、「Ⅰ.児童生徒の困難の状況」と「Ⅱ.児童生徒の受けている支援の状況」の二つの観点から整理されていますが、今回は「Ⅰ.」の状況についてのみ紹介します。
 なお、この調査の「児童生徒の困難の状況」については、「学級担任等による回答に基づくもので、発達障害の専門家チームによる判断や医師による診断によるものではない。従って、本調査の結果は、発達障害のある児童生徒数の割合を示すものではなく、特別な教育的支援を必要とする児童生徒数の割合を示すものであるということと、平成14年調査、平成24年調査と対象地域や一部質問項目等が異なるため、単純比較することはできないこと」という留意事項が付記されています(*2)

調査結果の概要

 学習面又は行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒数の割合が、平成24年に行った調査においては推定値6.5%でしたが、今回の調査では、図1に示しているとおり、小学校・中学校においては推定値8.8%で、単純に比較することはできませんが、平成14(2002)年6.3%、 平成24(2012)年6.5%、令和4(2022)年8.8%と増えてきていることが認められます。なお、今回初めて調査した高等学校(公立の全日制又は定時制に在籍する1~3年次のみを対象)においては推定値2.2%だったということです。小学校及び中学校について、学年別に集計した結果は図1及び図2のようになります。

図1 小学校における「学習面、各行動面で著しい困難を示す」とされた児童生徒(グラフは筆者作成)

図2 中学校における「学習面、各行動面で著しい困難を示す」とされた児童生徒(グラフは筆者作成)

調査結果から

 この結果については、会議の座長であった宮崎英憲氏は、「増加の理由を特定することは困難であるが、通常の学級の担任を含む教師や保護者の特別支援教育に関する理解が進み、今まで見過ごされてきた困難のある子供たちにより目を向けるようになったことが一つの理由として考えられる。そのほか、子供たちの生活習慣や取り巻く環境の変化により、普段から1日1時間以上テレビゲームをする児童生徒数の割合が増加傾向にあることや新聞を読んでいる児童生徒数の割合が減少傾向にあることなど言葉や文字に触れる機会が減少していること、インターネットやスマートフォンが身近になったことなど対面での会話が減少傾向にあることや体験活動の減少などの影響も可能性として考えられる。」と考察しています(*2)

海外の状況

 「学習面、各行動面で著しい困難を示す」児童生徒の増加傾向は、海外でも広く認められます。ここでは、データが入手できたフィンランドと英国(イングランド)の状況を紹介しておきたいと思います。

フィンランド

 フィンランドでは、小学校6年間と中学校3年間が一貫した総合学校で義務教育が施されていますが、障害等があると認定された児童生徒だけではなく、全ての児童生徒に合理的配慮が受けられる前提で学校教育が展開されています。そこには3段階の支援体制が設けられています。General support(一般的な支援)は全ての子どもが持っている権利で、Intensified support(強化された支援)になるとより丁寧で長期的な支援が提供され、Special support(特別な支援)では保護者や児童生徒を交えて個別の教育計画が作成され、一層充実した支援を受けることができます。
 図3は、フィンランドの2000年から2020年までのすべての総合学校(小・中学校)の児童生徒のうち、特別な支援を受けた児童生徒及び強化された支援を受けた児童生徒の割合を示したものです(*3)。これらのデータは、フィンランド統計局の教育統計に基づいています。2011年から特別なニーズのある(強化の対象となる)児童生徒への対応が開始され、その割合が年々増加していることがわかります。2020年を見ると、総合学校の児童生徒の9.0%(51,100人)が特別支援を受け、12.2%(69,300人)が強化の対象となっています。よりインクルーシブな支援体制の下で、総合学校の生徒の21.3%、約5人に一人が強化または特別支援を受けているということになります。

図3 フィンランドの総合学校における特別な支援及び支援(強化)の対象となる児童生徒の割合の推移

英国(イングランド)

 図4は、英国(イングランド)における2007年から2020年までの特別な教育を必要とする生徒(SEN)数の推移を示したものです(*4)。近年連続で増加傾向にあり、2020年1月にはその対象が137万人になったということです。なお、グラフでは、ピークが2010年ごろになっていますが、これについては、2010年以前は過剰診断されていた可能性があり、それが見直された結果として減少傾向をたどることになったこと、2014年に特別な支援の在り方が改革されたことなどに起因していると分析されています。この数年の着実な増加は、子どもたちが適切に再評価され、システムが追いついたことを示していると捉えられています。いずれにしても、特別な支援を定めた文書(ステートメント)にもとづいて支援されている児童生徒の数(SEN with a statement)の数は3.3%前後で変動幅が小さいのに対して、支援が必要とされている児童生徒の数は、変動が激しく、近年再び増加傾向にあるということが読み取れます。

図4 英国(イングランド)における特別なニーズのある児童生徒の割合の推移

 ここでは2か国を例示しましたが、「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒」の増加傾向は日本だけの傾向ではないことが理解できます。フィンランドでは、移民の問題などもあり、全ての子どもに特別支援の視点に支援体制を築く、学級規模を小さくする、担任を複数制にするなど、通常の学級のしくみの見直しもなされています。当然、通常の教育にかかる教育予算も増やされています。
 英国(イングランド)については、「学び!と共生社会<Vol.23>」でもすでに紹介しましたが、ティ-チングアシスタント(TA)の導入、ナショナルカリキュラムの工夫、コーディネーターの配置と専門性の質の向上など、通常の学級の改善が進められてきています。

まとめ

 今回の文部科学省による実態調査は、通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒の実態と支援の状況を明らかにし、今後の施策の在り方等の検討の基礎資料とするために実施されたものです。その結果、「知的発達に遅れはないものの学習面又は行動面で著しい困難を示す」児童生徒は増大傾向にあり、一学級に35人在籍していると仮定すると、通常の学級にニーズのある児童生徒が約3人在籍しているということが示されました。こうした状況に対応するためには、管理職のリーダーシップや担当する教員の専門性の向上や努力だけではなく、抜本的な対応を講じていく必要もありそうです。今後、この調査結果が多方面から検討され、適切な対応策が示されていくことが期待されます。

*1:主な新聞記事
読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20221213-OYT1T50101/
朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/DA3S15501395.html
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20221213/k00/00m/040/018000c
日経新聞
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20221213-OYT1T50101/
*2:文部科学省:通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について
https://www.mext.go.jp/content/20221208-mext-tokubetu01-000026255_01.pdf
*3:Intensified or special support for every fifth comprehensive school pupil
https://www.stat.fi/til/erop/2020/erop_2020_2021-06-08_tie_001_en.html
*4:Department Education: Special educational needs and disability : an analysis and summary of data sources
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/1082518/Special_educational_needs_publication_June_2022.pdf

「超福祉の学校2022@SHIBUYA」に学ぶ

 今回は、11月4日から6日まで、渋谷のヒカリエ8階で開催された、令和4年度の「超福祉の学校2022@SHIBUYA」について紹介します。

「超福祉の学校@SHIBUYA」とは

 このイベントは、障害の有無にかかわらず、共に学び生きる共生社会の実現と障害者の生涯学習の推進を目指して、ピープルデザイン研究所主催、文部科学省、渋谷区共催で開催されているものです。もともと「超福祉」の日常を体験しようと、障害のある方、支援者、教育関係者、教育関係者などがシンポジウムやトークセッションを通じて思いを発表し学び合う場として2019年から開催されていたのですが、2021年からは、文部科学省と渋谷区の共催となり「超福祉の学校@SHIBUYA」としてリスタートしたということです。

「超福祉の学校2022@SHIBUYA」の概要

 今年のテーマは、「超福祉の学校2022@SHIBUYA~障がいの有無を飛び越えて、つながる学び舎~」でした。概要については、文部科学省のサイト(*1)や特別サイト(*2)から確認していただけます。
 障害の有無にかかわらず、共に学び、共に生きる共生社会の実現を目指し、全国各地の共生社会の実現に向けた具体的なアクションや障害者の生涯学習などに関する13のプログラムがオンライン、オフラインで渋谷から全国に発信されました。そのプログラムは以下の通りでした。

  1. 留学?移住?海外では知的障がいのある人はどう学んでいるの?
  2. 豊かに生きるための生涯学習
  3. インクルーシブ社会や文化の構築~大阪・関西万博に向けた動き(お茶や音楽を通じた協奏社会)
  4. 生涯に学ぶ。生涯で学ぶ。~それぞれの学びのデザイン~
  5. 超福祉の学校プロジェクト成果報告会
  6. 共に生きる?共に学ぶ?~共に生きるための学びをどうつくるか~
  7. 共に学び、共につくるハッピーな未来~これからの超福祉教育~
  8. ココロとカラダにちょうどいい、未来のインクルーシブを語ろう!
  9. 人と性の多様性から学び、育む。子どもたちが輝ける未来社会へ
  10. アートでおしゃべり~サイレント~
  11. 読書支援の最先端~よむことが困難な人のために~
  12. 視覚障がい者と表現するよろこびを探求する
  13. 神奈川発!みんなにとっての「学び」の意義・可能性を考えよう

 これらのプログラムのうち、いくつかはYouTubeでも配信されています(*2)。視聴いただけると共生社会の実現に向けた学校での対応についてのヒントが得られるのではないかと思います。

「超福祉の学校2022@SHIBUYA」のセッションから

 どのセッションも興味深かったのですが、その中でも共生社会の実現と学校教育との関わりで特に印象に残った2つのプログラムについて、紹介しておきたいと思います。

1.留学?移住?海外では知的障がいのある人はどう学んでいるの?

 このセッションは、古市理代さん(NPO法⼈アクセプションズ 代表理事、NPO法⼈ピープルデザイン研究所 理事)の司会で進められました。ダウン症のあるお子さんを育てているニューヨーク在住の町塚聖⼦さん(総合内科専⾨医、オンライン参加)と⻑⾕部真奈⾒さん(経済キャスター、NPO法⼈アクセプションズ理事)のお二人からご経験とアメリカの⼤学の障害のある学生向けのプログラムが紹介され、知的障害のある⼈の学びの可能性について語られました。
 町塚さんからは、アメリカのSpecial Educationが紹介されました。アメリカの教育ではソーシャルエモーションラーニングが重視されていること、また近年は、Diversiy(多様性),Equity(公正),Inclusion(包含)も重視され、多くの学校や企業がこの「DEI」を組織のポリシーと掲げるようになってきていることが示されました。平等と公平ということが学校教育にも反映され、その上にインクルーシブ教育が成立していることも示されました。つまり公正(equity)が担保されてこそ平等(equality)が成り立つということです。日本では公正と平等の捉え方が明確でなく、それがニーズのある子どもの教育にも影響を与えているところがあるのではないかと受け止めました。
 また、アメリカの「知的障害者向け大学プログラム」の紹介も目を見張るものがありました。具体的にはジョージ・メイソン大学の「Mason LIFEプログラム」で、知的障害がある学生向けの高等教育プログラムです。このプログラムの特徴は『共に学び、共に働き、共に生活するという経験は、全ての学生に相互に利益をもたらす』ということが基礎になっていること、入学した学生は学問だけでなく、自立した生活を送り、社会と関わり、働くためのトータルスキルを学ぶこと、単位を取得しなければ卒業資格は得られないが、ダウン症で学士号を取得した学生も出てきていることなどを知ることができました。
 また、Think College(*3)というインクルーシブな高等教育における研究と実践の開発、拡大、改善に取り組んでいるサイトが立ち上げられていることも紹介されました。知的障害がある学生の大学進学に関するリソースなどが提供されており、2022年時点で全米の313校が登録しているそうです。
 日本では、一般学生の7割以上が高等教育機関に進学しているのに対して、障害がある学生の進路は大きく異なっています。過半数が社会福祉施設に入所・通所し、3割が就職しています。大学等への進学は2%ほどに過ぎません。アメリカの教育については、批判的にとらえる声も聞かれますが、通常の教育における障害がある生徒の受け入れが進み、それが知的障害がある学生の大学進学にまでに達しているというファクトについては、多くの教育関係者に知っておいてほしいものです。
 長谷部さんからは、ダウン症のあるお子さんのハワイでのサマースクール体験が語られました。保育園までは一緒に生活していたお子さんが、特別支援学級に入学することになったら、入学式は別々に入場、集合写真も別に撮影と入学初日から日本の特別支援教育に大きな衝撃を受けたということです、その後にインクルーシブな対応もお願いしたものの定着することはなかったということから、長谷部さんは海外の学校で教育を受けられるような選択肢を作ってあげたいと思われるようになりました。また、障害の有無にかかわらず、多様性を受け入れる、辛抱強くなるなど海外経験で学べることがあるのではないかという思いもあったそうです。
 「障害がある子どもが海外留学できるのか」という不安からスタートしたものの、現地の学校は大歓迎で付き添いも求めず、「ノーバリア」で一般の子どもと同じように過ごすことができた5週間だったということです。長谷部さんは、ハワイまで来てやっとインクルーシブ教育を体験することができたと語っておられました。
 昨今、障害がある子どもの将来を考えて海外への留学や移住などを視野に準備をする家庭も増えているということですが、改めて共生社会の実現への道のりの厳しさについて考えさせられました。

6.共に生きる?共に学ぶ?~共に生きるための学びをどうつくるか~

 このセッションは、⻘⼭鉄兵さん(⽂教⼤学⼈間科学部)の司会で、そもそも共に生きるとは、共に学ぶとはといった、よくあるスローガンを問い直すというチャレンジングな目的で開催されました。障害がある人が地域で共に楽しむ、遊ぶ、ありのままに暮らす活動に取り組んでいるNPO法⼈クリエイティブサポートレッツ理事⻑の久保⽥翠さん、NPO法⼈ポラリス代表理事の⽥⼝ひろみさん、⼀般社団法⼈みんなの⼤学校代表理事の引地達也さんの3人からそれぞれの活動が紹介されました。
 それぞれの組織での活動は、学ぶことが予定調和的に考えられ進められている学校教育には大変厳しく、多くの学校教育に携わる人々には受け入れがたいと思われる取り組みもありました。
 久保田さんは、いわゆる重度の障害があるお子さん、たけしさんの保護者でもあるのですが、現在26歳になるたけしさんのこれまでの学びを次のように振り返っておられます。

 「特別支援学校の12年間、本当にいい先生に恵まれていたが、獲得できたものは何もなかった。身辺自立もできないし、排泄もできない。唯一、入れ物に石を入れてたたきつける行為だけが残った。特別支援学校では、それが問題行動とされてすごした。そのように決めつけてはいけないのではないか。」

 そうした親の気持ちから、久保田さんはたけしさん中心のプロジェクトを開始されます。

 《重度の障がいのある「くぼたけし」という一個人の示す「やりたいことをやりきる熱意」を新たな文化創造の軸ととらえる考え方です。その個人が熱心に取り組むこと(それが教育分野で言われる問題行動だとしても)に敬意を示し、受け入れていくことは、職業、経験、経歴、地位、名声、障がいの有無、収入、住居、家族といった、人々が持つ固定観念や、価値観を変えていく機会となります。たけし文化センターはその人の「存在」を全面的に肯定することからはじめます。》

 文部科学省は「特別支援教育」について、「障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うもの」であるとしています。
 しかし、すべての児童生徒に対して、「その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行う」ことは、現状のままの学校教育のシステムでは難しいことです。久保田さんのたけしプロジェクト宣言は、インクルーシブ教育システムの構築のためには、学校教育全体の仕組みを土台から見直していく必要があることを言外に示しているように受け止めました。

 このセッションで提起された内容を整理すると以下のようになるかと思います。
 真の共生社会を実現するためには障害がある人を隠さないことが大切であり、山の奥の施設や、学校、施設の中にいるだけでは、誰にも何もわかってもらうことはできない。何でもオープンにし、コミュニケーションを豊かにすること、物事や特性を一つの物差しで測ろうとしないこと、一方通行ではなく互いに学び合い支え合うことなどにより理解が深まり、互いの距離も縮まっていく。そこには、摩擦が生じざるを得ない。インクルーシブな社会の実現のためには、常に摩擦や「もやもや」が付きまとうことを覚悟しなければならない。優しさも必要だ。そして、障害がある人が外に出ていくためには、既存の道を歩かせようとするのではなく、それぞれに合った道を作っていくという努力も大切である。そのプロセスが共生社会の実現、共に生きることにつながる。

まとめ

 文部科学省のサイトには「超福祉の学校~障がいの有無をこえて共に学び、つくる共生社会フォーラム~」について、次のように記されています(*4)
 「文部科学省は、障がいの有無にかかわらず、共に学び、生きる「共生社会」の実現を目指しています。
 本フォーラムでは、「共生社会」の実現に向けて、障がいのある人、支援者、教育関係者等が日頃の活動や思いを発表・表現し、学び合います。障がいのある人もない人も、ちがいを超えて交流・対話し、共生社会の実現に向けて考える機会です。」
 共催している文部科学省の担当部門が、「総合教育政策局男女共同参画共生社会学習・安全課障害者学習支援推進室」になっているように、このイベントは、学校教育に焦点を絞ったものではありません。しかし、共に学び、共に生きる共生社会の実現を目指して、各地で取り組まれている優れた実践事例は、学校教育とも密接に関係し、学校教育での現実的な対応や今後の展望に示唆を与えてくれるものと思います。

*1:令和4年度「超福祉の学校2022@SHIBUYA~障がいの有無を飛び超えて、つながる学び舎~」
https://www.mext.go.jp/a_menu/ikusei/gakusyushien/1419088_00003.htm
*2:飛び超えて学ぼう。学んでつながろう。
https://peopledesign.or.jp/school/
*3:Think College
https://thinkcollege.net/
*4:「超福祉の学校~障がいの有無をこえて共に学び、つくる共生社会フォーラム~」について
https://www.mext.go.jp/a_menu/ikusei/gakusyushien/1414119.htm

児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)とインクルーシブ教育

 前回、国連の「障害者権利条約」の日本における履行状況に関する審査の結果について取り上げました。審査で示された内容が、日本の障害者施策全般にわたって厳しいものであったこと、とくに教育の分野については、分離された特別な教育を廃止してインクルーシブ教育へ移行することについて国としての行動計画を示すことなどの要請が盛り込まれていたことを紹介しました。
 大変厳しい内容であり今後の動向が気になるところですが、障害がある子どもへの対応という観点から見ると、「障害者権利条約」以前にも、日本は別の条約を批准しています。「児童の権利に関する条約(子ども権利条約)」です。この条約にも、「障害がある子ども」についての規定があります。この条約が採択されたのは1989年で、日本は1990年に署名し、1994年に批准しています。この条約でも批准後にその履行状況に関する審査が行われます。すでに5回の対日審査が行われているのですが、「障害がある子ども」への対応については、いずれの回でも厳しい審査結果を受け続けてきています。そこで今回は、「障害者権利条約」との関連で「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」について取り上げてみたいと思います。

児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)

 「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」(*1)は、子どもが一人の人間として基本的人権を所有し、行使する権利を保障するための条約です。なお、この条約については、外務省による仮訳では「児童の権利に関する条約」となっていますが、「子どもの権利条約」という表現も併用されています。原文のchildが未成年者=18歳未満の者となっていて、「児童」の枠組みでは収まりきらないことから「子ども」という用語が使われるようになったのです。1993年8月の国会において、条約名称として「児童」と「子ども」との用語の併用が確認されています。

児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)における「4つの原則」

 「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」では、18歳未満を子どもとして定義しているのですが、年齢にかかわらず、すべての子どもが大人と同じ人間として平等であり、主体的には生きる権利を持つ存在として定めています。
 しかし、大人への成長段階にある子どもは身体的・精神的に未熟であり、経済力が備わっていません。弱い立場の子どもが自立できるまでに十分な配慮や保護が必要なため、子どもの権利条約には子どもならではの権利も盛り込まれています。unicefの「子どもの権利条約」のサイトでは、子どもの権利条約における根源的な理念として、下記の「4つの原則」を示しています。(*2)

 ●生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)
 すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。
 ●子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)
 子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。
 ●子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)
 子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。
 ●差別の禁止(差別のないこと)
 すべての子どもは、子ども自身や親の人種、性別、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)と「障害を有する児童」

 障害がある「子ども」に焦点を充てると、とくに「差別の禁止」の原則がクローズアップされるのですが、この点において、この条約の履行状況を審査する「児童の権利委員会」の日本での取り組みに対する見解は大変厳しい内容になっています。すでに、この条約については児童の権利委員会から5回の審査を受けているのですが、2019年の「第4回・第5回政府報告に関する総括所見」において、障害を有する児童に関しては次のような記述が認められます。(*3 太字は筆者による)

障害を有する児童
32. 委員会は,合理的配慮の概念を導入した2011年の障害者基本法改正及び2013年の障害者差別解消法の採択を歓迎する。障害を有する児童の権利に関する一般的意見第9号(2006年)に留意し,委員会は,前回の勧告(CRC/C/JPN/CO/3,パラ59)を想起し,締約国が,障害について人権を基盤とするアプローチをとり,障害を有する児童を包含するための包括的戦略を確立し,以下を勧告する。
(a)障害を有する児童に関するデータを恒常的に収集し,効率的な障害診断システムを発展させること。これは,障害を有する児童のための適切な政策及びプログラムを整備するために必要である。
(b)統合された学級における包摂的教育を発展させ実施するために適切な人的・技術的資源及び財源に支えられた施策を強化すること,また,専門教員及び専門家を養成し,学習障害のある児童に個別支援やあらゆる適正な配慮を提供する統合された学級に配置すること。
(c)学童保育サービスの施設及び人員に関する基準を厳格に適用し,その実施を監視するとともに,これらのサービスが包摂的であることを確保すること。
(d)障害を有する児童が早期発見介入プログラムを含む保健サービスにアクセスできることを確保するための即時措置をとること。
(e)教員,ソーシャルワーカー,保健,医療,治療やケアに従事する人材等,障害を有する児童とともに働く専門スタッフを養成し,増員すること。
(f)障害を有する児童に対する汚名及び偏見に対処し,こうした児童の肯定的なイメージを促進するために,政府職員,公衆及び家族を対象とする意識啓発キャンペーンを実施すること。

 これらの内容から、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」においても、学校教育段階におけるインクルーシブ教育(inclusive education、仮訳では「包摂的教育」)の充実を求めていることが理解できます。
 このことについては、これまでの審査でも指摘されてきていて、引き続き取り上げられていることになるわけですが、マスコミなどによって国内で大きく取り上げられることはありませんでした。改めて、インクルーシブ教育への取り組みが、「障害者権利条約」以外でも課題となっていたことを確認しておきたいと思います。
 また、国連の委員会から回を重ねて勧告され続けているということは、国連条約が批准するだけでは済まないということを改めて認識させられます。次回(第6回・第7回)の報告書の提出期限は2024年11月21日となっているということですので、引き続き今後の動向を注意深く見守っていきたいものです。
 いずれにしても、インクルーシブ教育の充実については、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」の関連では国連の児童の権利委員会による審査がこれからも続きますし、さらに「障害者権利条約」の関連でも、国連の障害者権利委員会の審査が継続していき、その履行が引き続き求められていくことになります。
 「共生社会」の実現という観点から、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」及び「障害者権利条約」の審査で指摘されていることについては、国や政府の問題ということだけでなく、社会の構成者自身の問題でもあるという認識をもって注視していくことが大事ではないかと思われます。

*1:「児童の権利に関する条約」
(全文) https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html
(概要) https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h24honpenpdf/pdf/ref6.pdf
*2:「子どもの権利条約」
https://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/
*3:「国際連合 児童の権利委員会日本の第4回・第5回政府報告に関する総括所見(仮訳)」
https://www.mofa.go.jp./mofaj/files/100078749.pdf

障害者権利条約の履行に関する審査結果とインクルーシブ教育

 日本が、国連の障害者権利条約を批准したことについては、これまでも紹介してきましたが、この8月に国連の権利委員会によって、日本におけるこの条約の履行に関する審査が行なわれました。そして、9月9日にその審査結果が報告されました(*1)。審査内容は、日本の障害者施策全般にわたって大変厳しいものでした。いわゆるインクルーシブ教育についても大変厳しい要請が示されました。この要請に拘束力はないものの、尊重することが求められます。そこで、今回は、急遽このホットニュースを取り上げることにしました。

障害者権利条約について

 障害者権利条約は、障害者の⼈権や基本的⾃由の享有を確保し、障害者の固有の尊厳の尊重を促進するため、障害者の権利の実現のための措置等を規定し、市⺠的・政治的権利、教育・保健・労働・雇⽤の権利、社会保障、余暇活動へのアクセスなど、様々な分野における取組を締約国に対して求めています。
 障害者権利条約の内容と日本の批准に至る経緯については、平成28年版障害者白書(内閣府)(*2)に記されていますが、それらを基にして整理したものが表1になります。

表1 「障害者の権利に関する条約」関連年表

平成18(2006)年12月

第61回国連総会本会議においてコンセンサス採択

平成19(2007)年9⽉28⽇

我が国が同条約に署名

平成20(2008)年5⽉

条約が発効。障害者に関する初めての国際約束

平成21(2009)年12⽉

内閣総理⼤⾂を本部⻑、全閣僚をメンバーとする「障がい者制度改⾰推進本部」を設置。政府は、条約の締結に先⽴ち、国内法の整備をはじめ諸改⾰を進めるべく集中的に国内制度改⾰を進めていくこととした

平成23(2011)年8⽉

「障害者基本法」の改正

平成24(2012)年6⽉

「障害者の⽇常⽣活及び社会⽣活を総合的に⽀援する法律」(「障害者総合⽀援法」)の成⽴

平成25(2013)年6⽉

「障害者差別解消法」の成⽴及び「障害者雇⽤促進法」の改正

平成25(2013)年10⽉

様々な法整備等により⼀とおりの国内の障害者制度の充実がなされ、条約締結に向けた国会での議論が始まる

平成25(2013)年11⽉19⽇

衆議院本会議において障害者権利条約の締結を承認

平成25(2013)年12⽉4⽇

参議院本会議において障害者権利条約の締結を承認

平成26(2014)年1⽉20⽇

⽇本が障害者権利条約の批准書を国連に寄託

平成26(2014)年2⽉19⽇

日本について、障害者権利条約が発効

平成28(2016)年6月

初回報告提出

令和2(2020)年8月

予定していた障害者権利委員会による初回審査が、コロナ感染拡大のため延期

令和4(2022)年8月

障害者権利委員会 初回審査

令和4(2022)年9月

障害者権利委員会 総括所見採択・公表

 我が国は、本条約の起草段階から参加し、条約の締結に先⽴ち、障害当事者等の意⾒も踏まえ国内法の整備をはじめとする国内制度改⾰を進めてきました。これを受けてひととおりの国内の障害者制度の充実がなされたことから、条約締結に向けた国会での議論が始まり、衆議院本会議及び参議院本会議において障害者権利条約の締結が承認され、平成26年1⽉20⽇、⽇本は障害者権利条約の批准書を国連に寄託、同年2⽉19⽇に発効しました。

「条約に基づく義務履⾏」に関する政府報告の作成

 障害者権利条約の第35条は、各締約国が「条約に基づく義務を履⾏するためにとった措置及びこれらの措置によりもたらされた進歩に関する包括的な報告」を国連に設置されている「障害者の権利に関する委員会(以下「障害者権利委員会」)」に提出することを定めています。特に、初回の報告については、条約発効後2年以内に、それ以降は少なくとも4年毎に報告を提出することが求められています。条約第36条により、提出した報告は障害者権利委員会によって検討され、提案や勧告が⾏われることとなっています。つまり、この委員会は、障害者権利条約の実施に関する国際的監視の役割を果たしているといえます。我が国においても、条約の規定に従い、条約の実施状況に係る最初の政府報告を障害者権利委員会に提出することが求められており、新型コロナウイルス感染拡大の影響で遅れていましたが、本年になって、その手続きが進められたということになります。

「教育」に関連する審査の内容

 9月9日に公表された審査報告は、冒頭で障害者差別解消法、バリアフリー新法、読書バリアフリー法、障害者文化芸術活動推進法、障害者雇用促進法等の法整備が進んだ点を評価しています。しかしながら、個別の政策面での評価は大変厳しいものでした。
 教育分野については、分離された特別な教育を廃止してインクルーシブ教育に移行する国としての行動計画を示すこと、障害のある子どもの通常の学級での教育を保障し、それを拒否しないことを保証する「拒否禁止」条項を示すことなど6項目にわたる要請が盛り込まれています。詳細は、審査報告の仮訳を参照してください。(*3)

今後の展開

 我が国のインクルーシブ教育への取り組みは、「インクルーシブ教育システムの構築に向けた特別支援教育」ということで進められてきています。特別支援教育の枠組みからインクルーシブ教育に迫るという動きが強く感じられます。
 それに対して、国連の障害者権利委員会の審査報告は、通常の学級の側からの体制整備や教員研修の充実などの取り組みを求めています。インクルーシブ教育を実現するためには、例えば学級規模を小さくする、教育課程の在り方を検討するなどの根本的な条件整備に関する議論も不可欠だと思われますが、いずれにしても、国連の障害者権利委員会が求めているインクルーシブ教育と日本の「インクルーシブ教育システムの構築に向けた特別支援教育」の方向性に齟齬があるようにも受け止められます。
 条約は本来、国際法上の法形式ですが、日本国憲法の第98条第2項において、条約を誠実に遵守することが定められています。このことから、条約は国内の法律に優位すると解されています。その点で今回の国連の障害者権利委員会の審査報告を無視することはできません。いずれ、公式の日本語訳が示され、それに基づいて分析・検討が進められ、きちんとした見解が示されることと思いますが、その推移を見守っていきたいものです。

*1:障害者権利条約履行に関する総括所見(英文)
https://tbinternet.ohchr.org/_layouts/15/treatybodyexternal/Download.aspx?symbolno=CRPD%2fC%2fJPN%2fCO%2f1&Lang=en
*2:平成28年版障害者白書 第2章 障害者権利条約批准後の動き
https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h28hakusho/gaiyou/h02.html
*3:「障害者の権利に関する委員会第27回セッション 日本の第一次報告書に対する最終見解」仮訳
http://porque.tokyo/_porque/wp-content/uploads/2022/09/CRPD_C_JPN_CO_1_49917_E-ja-2.pdf

理科と共生社会

 今回は理科教育について取り上げます。

学習指導要領の記述

 理科における障害のある児童への対応については、通常の学級においても,発達障害を含む障害のある児童が在籍している可能性があることから、他の教科と同様に「【理科編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説」(*1)に次のように記されています。

 理科の目標や内容の趣旨,学習活動のねらいを踏まえ,学習内容の変更や学習活動の代替を安易に行うことがないよう留意するとともに,児童の学習負担や心理面にも配慮する必要がある。
 例えば,理科における配慮として,実験を行う活動において,実験の手順や方法を理解することが困難であったり,見通しがもてなかったりして,学習活動に参加することが難しい場合には,学習の見通しがもてるよう,実験の目的を明示したり,実験の手順や方法を視覚的に表したプリント等を掲示したり,配付したりするなどの配慮が考えられる。また,燃焼実験のように危険を伴う学習活動において,危険に気付きにくい場合には,教師が確実に様子を把握できる場所で活動できるようにするなどの配慮が考えられる。さらには,自然の事物・現象を観察する活動において,時間をかけて観察をすることが難しい場合には,観察するポイントを示したり,ICT 教材を活用したりするなどの配慮が考えられる。

 また、各学校においては、こうした点を踏まえ、個別の指導計画を作成し、必要な配慮を記載し、翌年度の担任等に引き継ぐことなどが必要であると念押しされています。

通常の小学校での取組

 発達障害等、特別なニーズのある児童の増加傾向は留まることがなく、各学校においては、理科教育についてもさまざまな工夫が求められてきているわけですが、渡辺(2021)は、東北地区の学校を対象にその実態を調査しています(*2)
 その調査では、「障害のある児童が在籍している通常の小学校の先生方も障害の状態に応じた配慮や工夫を行いながら理科教育を行っていること」、しかしながら、「障害のある(又は疑いのある)児童への指導を難しいと感じていること」ことを明らかにしています。
 具体的には以下のような結果が示されていました。

障害のある児童たちが教科として「理科」を行っているかどうかについて
  • 同じ特別支援学級に在籍していても情緒障害のある児童は理科を行っている一方で、ダウン症のある児童は行っていないなど、障害によって異なっている。
  • 普通学級に在籍している障害のある児童は全員理科を行っていた。
  • 理科を学んでいる児童は普通学級に在籍している児童と一緒に授業を受ける児童や、実験活動のみ一緒に受ける児童がいて、障害のある児童のみで理科を行うケースはなかった。
障害のある児童が理科を行ううえで配慮していることや工夫していること
  • 指示が通りにくかったり、分からなかったりすることがあるために、端的な指示や図や絵を用いるなど分かりやすい発問や指示を心掛ける。
  • 二人目のチームティーチングの方についてもらう。
  • 個別に声掛けする。
指導するうえで課題と感じている点
  • 習熟に時間がかかることや指示が通らなかったり、分からなかったりすることによって学習意欲の低下に繋がってしまう。
  • 教材をどのように工夫すればいいか分からない。

 この調査は東北地区が対象でしたが、発達障害等の特別なニーズのある児童が増加し続けている現状から、こうした傾向が全国的に認められるのではないかと推察されます。

少ない実践事例の報告

 渡辺は、理科教育の教材や実践事例を紹介しているサイトにおける特別支援教育に関わる小学校理科教育の教材や実践事例の掲載状況についても調査しています。令和元年12月末現在で37件と公表件数が限られていました。現状では、教員を含めた一般の人がインクルーシブ教育に関わる理科の実践について知る機会が限られていると言えます。報告では、その理由について、「障害の状態により個々に対応が異なる児童に対し,指導法や教材が一般的に確立しづらく,公表しづらいことは容易に予想される」と記されています。
 理科教育には、観察・実験、飼育・栽培などの指導が伴い、専門的な知識や指導技術等が求められます。また、小学校は担任業務や他教科の教材研究等も多く、他の教科に比べ準備や後片付けに時間がかかってしまうという傾向もあります。また、高学年になると、より専門性が必要な学習内容となり、実験で多くの器具や薬品を扱うようになります。そのため、理科は指導しにくいと感じる先生方も少なくないようです(*3)
 こうしたことも公表件数の少なさに影響しているのかもしれません。

 理科には、特有の指導のしにくさがあり、それに加えてさまざまなニーズのある児童にも配慮していくとなると、理科を指導する先生方の苦労は並大抵のことではありません。より根本的な対応が必要なのかもしれませんが、現状を少しでも打破して理科の充実を図っていくためには、より積極的に日々の実践事例を公表し、互いに共有し合って、状況改善を図っていくことが何よりも大切なことのように思われます。

*1:【理科編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説
https://www.mext.go.jp/content/20211020-mxt_kyoiku02-100002607_05.pdf
*2:渡辺 尚・櫻井美月 渡辺特別支援教育における理科の実態~小学校理科へのインクルーシブ教育導入を目指して~.宮城教育大学紀要,第55巻,2020.
https://mue.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1201&item_no=1&page_id=13&block_id=66
*3:群馬県総合教育センター 小学校理科教育に関する研究についての実態調査報告(平成26年度実施)
https://center.gsn.ed.jp/wysiwyg/file/download/1/1780

社会科と「共生社会」

「障害の社会モデル」の理解

 2006年に国連総会において「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」が採択され、日本は、8年後の2014年に批准しています。この条約には、障害の社会モデルの考えが示されています。障害の社会モデルとは、障害やマイノリティの不利益や困難は、個人に責任があるのではなく、障害がない人を前提に作られた社会に原因があるという考え方です。
 この考え方に基づく対応が法的にも求められていることから、日本はその法整備を待って批准したということになります。そして、この考え方に基づいた「障害者差別解消法」が2016年4月から施行されています。
 また、この考え方を推進する政府主導の取組も進められています。例えば、パラリンピックを契機として、2017年には、 “ユニバーサルデザイン2020行動計画”(ユニバーサルデザイン2020関係閣僚会議)(*1)が示されました。そこには、心のバリアフリーを推進するための重要な柱が次のように示されています。

障害のある人への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるという「障害の社会モデル」を理解すること。
障害のある人(及びその家族)への差別(不当な差別的取扱い及び合理的配慮の不提供)を行わないよう徹底すること。
自分とは異なる条件を持つ多様な他者とコミュニケーションを取る力を養い、すべての人が抱える困難や痛みを想像し共感する力を培うこと。

「共生社会」の実現と社会科

 このように国として、障害の社会モデルを踏まえた共生社会の実現を目指した取組が展開されているのですが、学校教育においても様々な形で取組が進められていることについてはこれまでも紹介してきたとおりです。
 教科について見ると、こうした内容に最も密接に関係しているのは、社会科ではないかと思われます。
 学習指導要領では、社会科の目標を次のように掲げています。

「第1 目標
 社会生活についての理解を図り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て,国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。」
(小学校学習指導要領第2章各教科第2節社会)

 そこで、平成29年(2017)に改訂された学習指導要領には、共生社会の実現に向けてどのような記載があるか確かめてみました。
 小学校学習指導要領(平成29年告示)解説を見ると、「共生社会」という記述は認められませんでした。「障害」という記述は6か所に登場しています。そのうち内容に関わるのは1か所のみで、以下のように示されています。「障害の社会モデル」に直結するものではありませんでした。

「社会保障の取組を取り上げる場合には,例えば,高齢者や障害者の生活支援や介護,医療の充実,子育て支援などに関わる具体的な事業を選択して取り上げ,市役所,県庁が地域の実態や住民の意見を取り入れながら政策を決定し,国と協力して計画的に実行していることなどを具体的に調べるようにすることが考えられる。」
(小学校学習指導要領解説社会第3章2内容の取扱い(1)のウ)

 中学校学習指導要領では、「障害」が24か所登場していましたが、内容に関連するものは0で、「共生社会」や「障害の社会モデル」にまで言及した記述は認められませんでした。
 このように学習指導要領に具体的な記述は認められないものの、社会科教科書では様々な形で取り上げられています。
 例えば、久保(2020)の調査によると(*2)、2008年版の中学校社会科の公民的分野と歴史的分野の文部科学省検定済教科書21冊を調べた結果、「障害解消のアプローチ」が合計85か所で扱われていたということです。
 2008年の時点でこれだけ扱われているということは、現行の教科書ではより多く、丁寧に扱われているものと推察できます。したがって、学校現場における社会科の授業では、「共生社会」や障害の「社会モデル」に関連する事項の扱いが進んできていると考えてよいのではないかと思われます。

「障害の社会モデル」とICF

 長期的展望に立つと、共生社会への実現に向けた内容が社会科の学習指導要領にも反映され、広く学校教育の中で扱われていくようになるものと思われます。しかしながら現状では、通常の学校の先生方にも「障害の社会モデル」ということが十分に膾炙されていないのではないかと思われます。以下にその骨子を紹介しておきたいと思います。
 内閣府では、「障害」は個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって創り出されているものであり、社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるという「障害の社会モデル」をすべての人が理解し、それを自らの意識に反映していくことが重要としていますが、かつては、障害を個人の問題としてとらえる考え方が主流でした。医学モデルとも言われています。つまり、障害は、病気・外傷などの個人の健康状態から直接的に生じるものであり、障害への対処は、治癒あるいは個人のよりよい適応と行動変容を目標になされるというものです。「心身機能」や「健康状態」を過大視し、それによって「活動」も「参加」も決まってしまうかのように考え、また環境の影響も一部しか考えない見方であると言えます。
 それに対して、社会モデルは障害を個人の特性ではなく、主として社会によって作られた問題ととらえ、社会が作り出している「障害」を解消するのは社会の責務ととらえるものですが、こちらも気を付けないと社会的な「参加」と「環境因子」が強調されすぎるということが生じてしまいます。こうしたことから、社会モデルを取り入れていくためには、ICF(国際生活機能分類)の考え方を熟知しておくことが大切ではないかと思います(*3)
 ICFは、2001年5月、世界保健機関(WHO)総会において、人間の生活機能と障害を分類する方法として採択されたものです。それまでの国際障害分類(ICIDH)は、障害の側面からマイナス面を分類するという医学モデルの考え方が中心であったのに対し、ICFは、障害の有無にかかわらず一人の人間として生きるという観点に立って生活機能というプラス面から見るように視点を転換しました。さらに環境因子や個人因子の観点が加わり、「人間全体」を見ようとするところに特徴があります。また、ICFは「共通言語」の機能を有していて、例えば「障害の程度」等を教育、福祉、医療の枠を超えて共有できるようになるため、領域間に立ちはだかる障壁を超える役割も果たせるようになることが期待できます。
 社会科で障害の「社会モデル」をより深く扱っていくためには、ICFに関する知見も深めていただきたいと思います。

*1:ユニバーサルデザイン2020行動計画
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/ud2020kkkaigi/pdf/2020_keikaku.pdf
*2:久保美奈「社会科教科書は「障害」をどのように解消しているのか」. 障害学会第17回大会報告, 2020.
http://www.arsvi.com/2020/20200919kh.htm
*3:「国際生活機能分類-国際障害分類改訂版-」(日本語版)
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html

国語からインクルーシブ教育を考える

学習指導要領に見る国語における障害のある児童などへの配慮

 今回は、国語という教科からインクルーシブ教育への対応について考えてみたいと思います。
 先月の「算数・数学からインクル―シブ教育を考える」でも確認しましたが、最新の小学校・中学校学習指導要領では、その総則において「特別な配慮を必要とする児童(生徒)への指導」(第1章第4)に言及しています(*1)

 それを受けて、国語に関しても、「障害のある児童への配慮についての事項」については、「小学校学習指導要領解説【国語】」(*2)の第4章「指導計画の作成と内容の取扱い」の(9)により具体的な留意点が記されています。
 そこには、「国語科の目標や内容の趣旨,学習活動のねらいを踏まえ,学習内容の変更や学習活動の代替を安易に行うことがないよう留意するとともに,児童の学習負担や心理面にも配慮する必要がある。」ことを踏まえたうえで、次のような配慮事項が例示されています。

表1 小学校国語(小学校学習指導要領解説【国語】159-160ページ)

例えば,国語科における配慮として,次のようなものが考えられる。

文章を目で追いながら音読することが困難な場合には,自分がどこを読むのかが分かるように教科書の文を指等で押さえながら読むよう促すこと,行間を空けるために拡大コピーをしたものを用意すること,語のまとまりや区切りが分かるように分かち書きされたものを用意すること,読む部分だけが見える自助具(スリット等)を活用することなどの配慮をする。

自分の立場以外の視点で考えたり他者の感情を理解したりするのが困難な場合には,児童の日常的な生活経験に関する例文を示し,行動や会話文に気持ちが込められていることに気付かせたり,気持ちの移り変わりが分かる文章の中のキーワードを示したり,気持ちの変化を図や矢印などで視覚的に分かるように示してから言葉で表現させたりするなどの配慮をする。

声を出して発表することに困難がある場合や,人前で話すことへの不安を抱いている場合には,紙やホワイトボードに書いたものを提示したり,ICT機器を活用して発表したりするなど,多様な表現方法が選択できるように工夫し,自分の考えを表すことに対する自信がもてるような配慮をする。

 ちなみに、中学校の国語については、中学校学習指導要領(平成29年告示)解説【国語編】第4章第4の1の(4)の「障害のある生徒への指導」の中で表2のように示されています(*3)

表2 中学校国語(中学校学習指導要領解説【国語】136-137ページ)

例えば,国語科における配慮として,次のようなものが考えられる。

自分の立場以外の視点で考えたり他者の感情を理解したりするのが困難な場合には,生徒が身近に感じられる文章(例えば,同年代の主人公の物語など)を取り上げ,文章に表れている心情やその変化等が分かるよう,行動の描写や会話文に含まれている気持ちがよく伝わってくる語句等に気付かせたり,心情の移り変わりが分かる文章の中のキーワードを示したり,心情の変化を図や矢印などで視覚的に分かるように示してから言葉で表現させたりするなどの配慮をする。

比較的長い文章を書くなど,一定量の文字を書くことが困難な場合には,文字を書く負担を軽減するため,手書きだけではなく ICT 機器を使って文章を書くことができるようにするなどの配慮をする。

声を出して発表することに困難がある場合や人前で話すことへの不安を抱いている場合には,紙やホワイトボードに書いたものを提示したり ICT 機器を活用したりして発表するなど,多様な表現方法が選択できるように工夫し,自分の考えを表すことに対する自信がもてるような配慮をする。

 以上のように、現行の学習指導要領では、国語という教科においても障害がある児童への配慮が言及されています。その記述を見ると、主として通常の教室に在籍する発達障害があると認められる子どもたちを念頭に置いたものが多く、内容についても国語科だけに特有の配慮事項は限定的であるように思われました。発達障害のある子どもたちへの指導や配慮について記された類書は数多く出版されています。それらの多くには、学習指導要領に示されている配慮事項への対応について、参考になる内容が具体的に詳しく記されています。また、発達障害については国語教育に特化した書物も数多く出版されていて、有用な情報が入手しやすい状況にあると言えるのではないでしょうか。

言語に着目した国語教科書の点字や手話に関する題材の扱い

 他方、通常の学級で学ぶ発達障害以外の障害がある子どもへの配慮も大事なことです。学習指導要領解説の記述だけでは十分ではありません。
 特に国語科の目標には言語教育が含まれていることに注意を向けてほしいと思います。国語では日本語という言語を扱っているのですが、それは視覚を使って「読むこと」・「書くこと」、音声を使って「話すこと」・「聞くこと」が大前提となっています。当然のことながら、学習指導要領の記述もその範囲にとどまっています。
 しかしながら、それに当てはまらない言語があります。点字や手話です。現在の特別支援教育体制では、点字や手話を使わなければ学校生活や学習活動に制約が生ずる児童生徒等の多くは視覚特別支援学校(盲学校)や聴覚特別支援学校(聾学校)で学んでいます。しかし、実際には、インクルーシブ教育の広がりの中で点字や手話を常用する場合であっても、通常の学校に在籍するケースは全国的に見ると少なくありません。
 視覚特別支援学校(盲学校)や聴覚特別支援学校(聾学校)の現状を見ると、児童生徒の少人数化、重複化、多様化が進んでおり、教科学習が可能な場合は、地域の小学校や中学校を就学先として選択するケースが一層増えていくのではないかと筆者は推測しています。
 こうしたことを鑑みると、言語教育を担っている小学校の先生や中学校の国語科の先生には、日本語以外に日本で使われている言語についても興味関心をもち、基礎的な知識を有しておいてほしいと思うのです。そうした備えがあれば、実際にそうしたケースに出会ったときに、適切な判断ができるのではないでしょうか。そこで、以下に筆者が日頃、通常の学校の先生方に知っておいてもらいたいと思っている点字や手話に関することを記しておきたいと思います。

言語としての点字、手話

 点字は触覚を使って「読み・書き」する「言語」です。かな書きですが、点字を使えば、日本語を読み書きすることができます。また、世の中に存在するほとんどの文字は点字で表すことができます。日本語の点字は基本的にかな表記で、規則性の高い文字になっています。かな表記のために分かち書きの原則が細かく定められています。また、点字は表音主義の基に誕生したため、現在の日本語表記と異なっているところがあります。筆者はそれらが点字を馴染みにくくしている一因ととらえています。
 対して「手話」は少しばかり複雑です。本稿では深入りできないのですが、一口に手話といってもいくつかの種類があります。日本で使われている手話は、大きく「日本手話」と「日本語対応手話」に大別できます。「日本手話」は当事者の間で自然に生まれた自然言語で、日本語とは別物の言語ということになります。「日本語対応手話」は、聴覚障害者と聞こえる者との間でコミュニケーションツールとして使われるようになった人工言語で、日本語をしゃべりながら、それに合わせて手話の単語に置き換えていくものです。こちらは日本語に準じているということになります。ただ、手話には助詞の表現がないため、それを補うために、助詞等を指文字やキュードサインで示すことを取り入れた手話もあります。聴覚に障害がある人の状況は一人一人異なっていることもあって、手話にはさまざまな種類があるということになります。また、口の動きで音声言語を読み取る方法もあります。口話法といいます。こうしたさまざまな手話、口話、指文字などすべての方法を活かして使おうというトータルコミュニケーションという考え方もあります。

言語としての点字教材の扱い

 近年、国語の教科書に点字や手話を扱った題材が掲載されるようになってきています。それらの多くは、障害理解の観点から点字や手話及びそれらにまつわる逸話が掲載されているのですが、言語教育という面から深く扱っているものは多くないように思います。
 例えば、点字を扱った教材では、点字習得の大変さや活用の意義を学んだり、疑似体験を通して、見えないことの制約を実体験したりするなどの活動には熱心に取り組まれていますが、点字の構造や文法、さらには点字の表記法等にまで踏み込んだ言語に直結する指導にまでには至っていないようです。実際、大学や短大の学生に接する機会がありますが、小中学生時代に国語で点字について学んだことをしっかり覚えている学生は例外的な存在です。学んだことを失念しているものも少なくありません。少なくない時間数をかけて学んでいるはずです。残念なことです。
 私の経験から、点字の基礎を身に付けさせるのはそれほど大変なことではありません。視覚障害関連の講義では、できるだけ点字を紹介するようにしているのですが、週1回90分の内の10~20分程度の点字に関する講義と毎日5分程度の課題を2か月続けるだけで、ほとんどの学生は基礎的な点字文の読み書きができるようになっています。工夫次第では、小学生や中学生にも十分可能ではないかと思いますし、手話についても同様の対応ができると思います。
 国語の目標は、「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。」となっています。ぜひとも点字や手話の題材についても、「言語」という側面を大切にして、少しでもそれを理解し、表現できることの喜びを味わってもらえたらと願っています。

*1:小学校学習指導要領
https://www.mext.go.jp/content/1413522_001.pdf
中学校学習指導要領
https://www.mext.go.jp/content/1413522_002.pdf
*2:小学校学習指導要領(平成29年告示)解説【国語編】
https://www.mext.go.jp/content/20220606-mxt_kyoiku02-100002607_002.pdf
*3:中学校学習指導要領(平成29年告示)解説【国語編】
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387018_002.pdf

算数・数学からインクルーシブ教育を考える

 今回は、算数・数学という教科からインクルーシブ教育への対応について考えてみたいと思います。
 最新の小学校・中学校学習指導要領では、その総則において「特別な配慮を必要とする児童(生徒)への指導」(第1章第4)に言及しています(*1)。それを受けて、学習指導要領解説各教科編では、「障害のある児童(生徒)などの指導に当たっては,個々の児童(生徒)によって,見えにくさ,聞こえにくさ,道具の操作の困難さ,移動上の制約,健康面や安全面での制約,発音のしにくさ,心理的な不安定,人間関係形成の困難さ,読み書きや計算等の困難さ,注意の集中を持続することが苦手であることなど,学習活動を行う場合に生じる困難さが異なることに留意し,個々の児童(生徒)の困難さに応じた指導内容や指導方法を工夫すること」を示しています。この概要については、すでに第25号で紹介しました。
 具体的に見ると、算数については「小学校学習指導要領解説【算数】」の第4章「指導計画の作成と内容の取扱い」の「(5)障害のある児童への指導」にその記述が認められます。算数における困難さの状態や指導上の工夫の意図、手立ての例は、表1のように示されています。(*2)

表1 小学校算数(小学校学習指導要領解説【算数】327-328ページ)

例えば,算数科における配慮として,次のようなものが考えられる。

「商」「等しい」など,児童が日常使用することが少なく,抽象度の高い言葉の理解が困難な場合には,児童が具体的にイメージをもつことができるよう,児童の興味・関心や生活経験に関連の深い題材を取り上げて,既習の言葉や分かる言葉に置き換えるなどの配慮をする。

文章を読み取り,数量の関係を式を用いて表すことが難しい場合,児童が数量の関係をイメージできるように,児童の経験に基づいた場面や興味ある題材を取り上げ,場面を具体物を用いて動作化させたり,解決に必要な情報に注目できるよう文章を一部分ごとに示したり,図式化したりすることなどの工夫を行う。

空間図形のもつ性質を理解することが難しい場合,空間における直線や平面の位置関係をイメージできるように,立体模型で特徴のある部分を触らせるなどしながら,言葉でその特徴を説明したり,見取図や展開図と見比べて位置関係を把握したりするなどの工夫を行う。

データを目的に応じてグラフに表すことが難しい場合,目的に応じたグラフの表し方があることを理解するために,同じデータについて折れ線グラフの縦軸の幅を変えたグラフに表したり,同じデータを棒グラフや折れ線グラフ,帯グラフなど違うグラフに表したりして見比べることを通して,よりよい表し方に気付くことができるようにする。

 中学校の数学については、中学校学習指導要領(平成29年告示)解説【数学編】第4章第4の1の(4)の「障害のある生徒への指導」の中で表2のように示されています(*3)

表2 中学校数学(中学校学習指導要領解説【数学】165ページ)

例えば,数学科における配慮として,次のようなものが考えられる。

文章を読み取り,数量の関係を文字式を用いて表すことが難しい場合,生徒が数量の関係をイメージできるように,生徒の経験に基づいた場面や興味のある題材を取り上げ,解決に必要な情報に注目できるよう印を付けさせたり,場面を図式化したりすることなどの工夫を行う。

空間図形のもつ性質を理解することが難しい場合,空間における直線や平面の位置関係をイメージできるように,立体模型で特徴のある部分を触らせるなどしながら,言葉でその特徴を説明したり,見取図や投影図と見比べて位置関係を把握したりするなどの工夫を行う。

 小学校・中学校の学習指導要領において、「障害のある児童生徒」への具体的な対応の工夫例が記述されたこともあって、算数・数学の指導に関連して、ユニバーサルデザインやインクルーシブ教育を扱った書物も多数出版されています。具体的に、通常の学級での授業において個別的な対応や配慮が必要な児童生徒を含めたインクルーシブ教育の実践に関する知見については、こうした書物を大いに参照していただきたいと思います。近年発行された類書の中では、とくに松島充・惠羅修吉著による『算数授業インクルーシブデザイン』(明治図書刊)(*4)は、巻末に国内外の文献が充実しており、指導法の開発や教材研究に役立つのではないかと思います。

 さて、このように算数・数学に関しても、インクルーシブ教育への対応が着実に進められているわけですが、その枠組みは、学習に困難がある児童生徒に補足的な指導や配慮をすることにより、通常の学級において効果的な一斉指導ができるようにするという方向で考えられています。現状の「インクルーシブ教育システムの構築」がこの論理の上に立っているので仕方のない面もあるのですが、そこには、いわゆる「健常な」児童生徒とインクルーシブ教育を結び付ける記述は認められません。
 2012年に示された「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」では、「『共生社会』とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。このような社会を目指すことは、我が国において最も積極的に取り組むべき重要な課題である。」(傍線筆者)と提言されています。
 こうした観点に立つと、インクルーシブ教育は、「障害がある子ども」のためだけでなく、全ての子どものためにもあるものだととらえる視点も大切にしていきたいものです。とくに、いわゆる「落ちこぼれ」を生みやすいといわれる算数・数学では、「障害のある児童生徒」のために工夫された指導法や配慮が、「健常な」児童生徒にとっても有効な場合があるのではないかと思います。双方向での活用とそれをきっかけとしての相互の学び合いをより推進していきたいものです。
 また、算数・数学に関して言えば、「障害」があると思われる児童生徒の中には「特異な才能」を有しているケースもあります。こうした存在を学校や学級で認めることは、互いに育ち合うという機運の情勢にもつながります。
 さらに、筆者の専門領域で言えば、算数・数学は、必ずしも視覚障害者にとって制約の大きい教科ではありません。視覚を使わないで算数・数学を指導する方法や教材の開発も進んでいます。ところが社会一般ではそうはとらえられていません。筆者が国立特別支援教育研究所に勤務していた頃、算数教育で活躍している数人の先生と懇談する機会がありましたが、視覚障害教育の立場から小学校の算数教育について提言しても門前払いに近い形で相手にされなかったという苦い経験を思い出します。恐らく、視覚障害教育のノウハウなど意味がないと思われていたのでしょう。しかし、大学の数学科に進学する視覚障害学生は少なくありませんし、数学教師や数学者として活躍している人も一定数存在します(*5*6)。それは、視覚を活用しなくても算数・数学が極められることの証左でもあります。筆者は、視覚障害教育における算数・数学のノウハウが、通常の教育に寄与でき、これを追究することは、様々な「違い」を有する子どもたち一人一人が、教科の学習においても互いに刺激を受け、充実した学びができるようにするという「インクルーシブ教育」の双方向性の理念の実現にもつながっていくのではないかと感じています。

*1:小学校学習指導要領
https://www.mext.go.jp/content/1413522_001.pdf
中学校学習指導要領
https://www.mext.go.jp/content/1413522_002.pdf
*2:小学校学習指導要領(平成29年告示)解説【算数編】
https://www.mext.go.jp/content/20211102-mxt_kyoiku02-100002607_04.pdf
*3:中学校学習指導要領(平成29年告示)解説【数学編】
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387018_004.pdf
*4:松島充・惠羅修吉著『算数授業インクルーシブデザイン』(明治図書刊)
https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-422628-9
*5:佐藤将朗・田中仁『全盲の数学者事例から考える触覚的技能と特別支援教育』
https://juen.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=8501&item_no=1&attribute_id=22&file_no=2
*6:広瀬浩二郎『バリアフリーからフリーバリアへ 近代日本を照射する視覚障害者たちの“見果てぬ夢”』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcanth/70/3/70_KJ00004582384/_pdf/-char/ja

教科教育とインクルーシブ教育(3) 図画工作、美術教育をめぐって②[対談:跡見学園女子大学教授 茂木一司先生]

 この欄では、新たにインクルーシブ教育と教科教育について探っていくことにいたしましたが、その第一弾として、前回から「図画工作」、「美術」の教科を取り上げています。
 跡見学園女子大学(前群馬大学)の茂木一司先生が編集代表としてまとめられた『視覚障害のためのインクルーシブアート学習 基礎理論と教材開発』(*1)という書籍では視覚障害からスタートして、小学校、中学校のアートにかかわる教育や学習につながる様々な提案がなされています。
 そこで、この書籍の紹介とともに図画工作及び美術教育とインクルーシブ教育について考究するために、茂木一司先生をお招きして対談を行い、その内容を、2回にわたって紹介させていただくことにしました。今回のその後編となります。

「視覚障害から美術教育の改革する!?」

【大内】 本書の出版コンセプトの一つとして、「アート/教育は共生社会構築の基礎になるべき!」ということで、本書は、視覚障害教育におけるアート/教育について書かれた書物であると同時に、通常の学校も含めてインクルーシブ教育とアート/教育の在り方についての提案型の書物にもなっています。次にこの点について伺いたいと思います。茂木先生は、「視覚障害から美術教育の改革する!?」と提起されています。このことについてお話しいただけますか。

跡見学園女子大学教授 茂木一司先生【茂木】
 「インクルーシブアート教育/学習」の提案
 この本のタイトルになっている「インクルーシブアート教育/学習」は私の造語です。私は美術教育を専門的に取り組み始めて40年以上になりますが、学校の教育の中で美術教育の置かれている状態は、必ずしも良いわけでありません。その改善のためにいろいろ工夫してきたのが自分の研究や実践ということになります。学校教育の中での美術教育が全体的に縮小されていく中で、学校だけではとてもやっていけないだろうなと思っています。美術館をはじめ社会教育や生涯学習と呼ばれる分野など学校外にも学習の場を広げ、生涯に渡って、アートを通して、みんなが共に学び豊かに生きていくことが必要なのではないかと思っています。
 今、ロシアがウクライナに侵攻していますが、(周知のように)ハーバード・リードは(美術教育を)『平和のため教育』と特徴づけました。リードが描いていた世界観は芸術が人を優しくするという考え方です。蛇足になりますが、(ヒットラーやロシアの指導者など)芸術のそういう特性を逆利用している例も見られます。芸術が人を幸せにするのは、美しいものが心を穏やかにして優しくするからです。そういうことを考えていくと、共生社会と呼ばれるもの、社会をインクルーシブ化していく、そういう社会をつくっていくときに、私たちはアートを基盤にした方が良いのではないかと非常に強く思うのです。
 でもその時のアートというのは、今、アートの業界の人たちが言っているものとは、ちょっとイメージが異なっています。アート業界や周辺の人たちは、たぶんアートをモノと技能だと(意図的に)定義しているのではないかと思います。うまい/へたですね。でも、アートは、そういうものではない。本当のアートはそこにはない。私たちがアートだと言うのは、少なくとも私がアートだととらえているのは、モノでなくコト(出来事)をつくることでもっと身近なものですね。生活の中、あるいは自分の頭や心や手足から生まれ、その中にあるもので、言ってみれば生きることそのもの、アートは生きることの身体技法なのです。それが美術教育を支える本当のアートだと思うのですけれど、そういうものとしてアートをとらえなおす必要があるのではないかと思うのです。
 今後の共生社会において、アート教育に何ができるのだろうかと考えた時に、差異や多様性、(近代以降の人間が獲得した)自分の考えを表現し、人に伝え、自分が発信源になって生きていくことができる(自己同一性、自己原因性)感覚、そういうものを活かすことができるアートこそ、これからのインクルーシブな社会の基盤になるべきなのではないか、それを言語化したのが「インクルーシブアート教育」ということばです。
 だから、これは研究でもあるのですが、ある種のプロパガンダ、実践を伴う改革運動のスローガンだと自分では考えています。
 美術はモノだけではなくて、考え方、コトでもあるということ
 視覚に障害がある、特に見えない人というのが、実際に美術を学ぶって何をすることなのかと考えた時に、美術教育をその人たちが学ばなければならないことがもし苦痛だとしたら、そうではない美術を提供しなければいけないわけですよね。そうすると、当然ですけれど、見えないわけですから、触れるものしかわからないとなった時に、さっき言った「美術は考え方だ」、「考えること」だということが生きてくると思うのです。美術=コンセプト、つまり、美術はモノだけではなくて、考え方、コトなのだということ、そのことを美術教育に携わっている人たちがもっときちんと考える必要があるのではないかと思うのです。
 現行の教科書を見ても、やはり、当然ですけれど、見える人だけのものになっています。見えないアートの奥に潜んでいるものは何なのかを、もっと想像できるような内容にするべきではないかなと思いす。美術の専門家(作家や理論家、ギャラリストなど)だけではなく、私たちがもっと身近なものとして美術をとらえられるようなアートの教育というのが、教科書に見える化されるべきなのです。そんなことを考えて、実際に、見えない人向けの教材研究をしてみると、非常に見落としてきていたことが多いのです。例えば、混色というのは、絵具だけでなく光(の混色=加法混色)なんだということ。(見える人の美術教育だと)あまり意識しないのですが、(見える・見えない人が共に学ぶ)インクルーシブアート教材研究を通して多く発見がありました。つまり丁寧に(美術/アートとは何かという探求を)やっていかないと、(その教育は)見えるものも見えてこない。視覚は、サーッと表面を撫でて理解したつもりにさせるのですが、触覚やその他の感覚というのは、もっと奥にあるものをつかんで理解しようとする、この違いをしっかりとらえて美術教育を改革していく、アートの教育を深く理解していく、そのことがこの教育を広く届けるために役立っていくのではないかと考えました。
 しかし、これはなかなか難しいですよね。もともと美術とか芸術というのは見えないものを見える化することにその意味があるし、その奥にあるユングが言うような集合的な無意識の世界、私たち人間が輪廻転生を繰り返し、地球を命あるものにしていく時に生まれる広大な無意識の世界を耕すために美術教育、あるいはアート教育があると仮定する時、学習指導要領のレヴェルがそこまで踏み込むことは難しい。やっぱり、他教科と区別するための(見える)色と形の教育が精々かな。でも、色・形で見る観点が強調されすぎているのは誤解を与えるのではないかと私は思っています。そんな表面的な見方をしたら、その色・形の奥に隠れているものが見えなくなってしまうのではないでしょうか。ハーバード・リードが『平和のための教育』で言ったところの本当の教育の意味が、色・形にあるのだったら、とっくの昔に問題解決できているはずです。それが分からないから、なかなか平和が訪れない……。言い過ぎたか(笑)。
 与えるアートから揺さぶるアートへ
 それから、障害児教育とか福祉には、アクセシビリティという言葉がありますけれども、現場では、その人たちのためにやりやすくするようにあらかじめお膳立てするという考え方が非常に強いですよね。特別支援教育と呼んでしまっているせいもあるかもしれませんが、障害児教育は、支援性が非常に強くなっています。支援性をもうちょっと弱くしないと、障害児がアクティブに学ぶことがなかなかできにくいのではないかということもあります。
 アートを使う意味は、そこに揺さぶりをかけることなのではないかと思います。簡便さを求めるだけではなくて、正しいのか正しくないのかということも含めて、価値観を揺さぶっていく、そのことにアートの意味がある、あるいは、アート学習の意味があるんじゃないかなと思うわけです。これが、私がインクルーシブアートという言葉をつくった意味であるし、ある種の目的なんですね。しかし、この「インクルーシブアート」という用語の普及が目的というわけではありません。それでは本末転倒になってしまいますから。
 (美術教育のこれからについて)3月上旬に美術科教育学会のシンポジウムがあり、そのテーマは「社会の変化、アートの変容、美術教育はどこへ」でした。千葉大の神野伸吾さんが全体のコーディネートをし、「アートが変わっているのに、美術教育も時代を反映し、色・形だけで考えようとするのは物足りないのではないか」という論旨でした。結構な反応があって、非常に面白かったです。短時間に子ども観、学習指導観…などの論点が提出され、(自分には学習指導要領を中心に置いた論点に照らして)守旧的な考えを炙り出したように感じました。
 アートの在り方というのは、上から何かを押しつけて、全体を築くために指針を与えていくものではありません。個人が持っている小さい価値観、かけがえのない価値観みたいなものを深く追求していくことによって、それが地続きに大きな物語につながっているのだということを現在多くのアートが表現しようとしていますが、そこにこそアートの意味があると言えます。今、個人が自由に生きられる時代を、アートはよく表しているわけです。そういうことを美術教育の方でも、拾っていく必要があるのではないか。こんなアートがいいんだよと、見本みたいなものを見せてしまうのはとても危険だなと思うし、貧しくなってしまうのではと思うのです。アートを丁寧に考えていく活動は、つまり個人の外面と個人のカオスモスというのか、内と外が一体化するような世界観みたいなもの、すなわち常に全体を意識したような学習というのが必要なのではないか、そういう感覚を持つべきなのではないかと考えています。
 私たち人間は現在まで多くのことを獲得してきましたが、自分たちの思い込みを学び直す、アンラーニングする必要に迫られています。それこそがアートの教育/学習の意味です。既存の枠をこわして新しくつくり直し、自分たちが進むべき道を模索していく、そういう力をアート教育/学習が産み出すのではないか、そのためのアートは自由を基盤とした個人の活動、それが地続きで社会につながっているというプロジェクトになっていくべきなのではないか、ということです。
 私は「インクルーシブアート学習」の本の前に、『とがびアートプロジェクト』(*2)という本を造ったのですが、ここでも長野県で中平千尋という一人の中学校美術教師が同じ理念/実践で取り組んだことを紹介しています。もっと教育は自由であるべきだし、子どもたちは安全な(はずの)学校の中でもっと自由の練習をすべきということですね。自由の練習をして社会に巣立っていかないと社会の中で自由は得られない、そのためには学校教育はもっとカオスの場で良いのではないか、という提案がこの中にあります。心地よい学びの場をどうやってつくるのかその実践の中には、学習の中に入ったり離脱したりすることが自由にできる場所がもっと必要なのではないか、そんなことを考えました。

「障害当事者が主体的に自分の学びを自分でつくる」ということ

【大内】 本書のもう一つのコンセプトとして、「障害当事者が主体的に自分の学びを自分でつくる」ということもかかげられています。先ほども触れられていましたが、このことについてもご紹介いただけますか。

【茂木】
 支援性からの超克
 これまでにも触れてきたことですが、私が見てきた特別支援教育は非常に支援性が強いと感じています。つまり、先回りしていろいろなものをやってしまう。題材の流れに従って、子どもはこういうふうに動くだろう、だからその流れの上に道具や材料をおいておこうという発想になっている。そうすると子どもが順番に素材を食べていき、モルモットのようにその題材をやることになってしまいます。私はそれはやめてほしいと思います。こどもが迷わないような教育は危険だと。
 面白い題材を子どもたちにと考えるのは悪いことではもちろんありませんが、考え方がきちんとしていれば、題材ははっきり言えば何でもいいのです。(子どもも大人も)自分で考えろ、ということです。本書はこんないい題材がありますよ、指導法はこうですというお膳立てはしていません。方法優先主義的なHow to本をやめたいなということです。
 いま、お手軽なものが受けているので、仕方がない面もありますが、あらゆるものが簡便化されていますよね。実際、そういうものに人気があります。色彩の本で言えば、レシピ集のようなものがものすごく売れています。パッと見てすぐ使えるものが、やっぱりこの時代求められているのです。それを全部否定はしませんが、そこに至るまでのプロセスがどうなっているのかが、なかなか見えないところに問題があると思っています。食べる人たちは、出てきたものしか食べないので、つくった、開発した人たちの思いが届けられることはないのです。
 マニュアル化できない教育
 美術の教科書で危険なのは、少し文字は増えてきたのですが、メニューの絵しか載っていない、レシピがあるが意味づけがほとんど載っていないというところではないでしょうか。他の教科の教科書はまだ多少字が多くて、それらしきものがあるのですが、美術はメニューしかない、(料理のレシピ集)クックパッドは便利ですがそれだけだということです。
 日本人はマニュアルが好きで、美術教育でも○○式というものがあって、絵をうまく描くパターン化した指導法があります。描くのが不得手な子にとっては、それでその子が救われるというところにあります。これは一見良いことのように見えますが、では、その子は何を学んだのでしょうか。私はそこに結構問題点が潜んでいると感じます。効率、スピード、生産性など近現代社会が基盤にしているモダニズムは見えないものを否定します。しかしわかったことしか理解しようとしない、消費主義的な教育論に問題はないのか。(当然ですが)本当は、教育はマニュアル化できないのです。(達人と呼ばれる)先人の教育の遺産がなかなか引き継がれないのは、表面だけ真似してもうまくいかないことが実際には多いからです。結局教え方の上手下手ではなく、先生の子どもたちを思う心の問題になるのではと思います。
 もう一つは(繰り返しますが)方法優先主義という日本の教育ですね。学習指導要領と教科書がセットになっている強固な仕組みは美術教師の教材開発力を奪っています。現実的には、美術は週2時間にも満たないので、効率的にやらなければとてもやっていけないという仕方のない面もあるのですが。
でも、効率的にやっただけでは学べないことも多い。といっても、先ほど紹介した「とがび」(*2)の実践は3年間115時間の中である程度やろうとしたことの本質に至るということができています。
 一つの正解を求めない美術教育、アート教育
 だから、バラバラに考えないで、本人が学びたいように学ぶことができる、そういうものができてくれば、美術教育は変わっていくのではないかと期待されます。美術教育、アート教育に不正解というものはなく、たくさんの答えがあります。その一つひとつを全部認めていく必要があるのです。こういうことはわかっていることなのですけれども、私たちは、学校教育の中で正解を求めるという身体知を身につけてしまっているので、どうしても正解があると思い込んでしまう。そうすると、別の答えが出てきた時には受け入れられにくくなってしまいます。先生たちは自分の経験に基づいて、先ほどお話ししたように先回りして準備してしまう。そうすると、いわゆる導かれた成功(佐藤学)というものが起きてしまうことになります。先生が予知した方法論が、良し悪しが学校教育では良い教育の判断基準と思われていて、それが良しとされているところも結構あります。障害児教育ではそれが非常に強いのではないでしょうか。
 子どもたちは何で勉強するのかというと、先生に気に入られるためにやっているところもあるわけです。好かれて先生と一緒に何かやっていきたい。そういう善意と結びついて、学びが構築されていくわけですが、そこにやはり問題点もあるということを、もう一回きちんと自覚していくことが必要なのではないかと思います。言い過ぎかもしれませんが、そういう構造を理解する必要があるのではないかと思っています。

インクルーシブ教育の推進と多様性

【大内】 これまで、お話しいただいたことから、インクルーシブ教育の時代におけるアート/教育の役割も変わっていかなければいけないということが理解できました。お話しの中で、多様性につての誤解に注意しなければいけないということをおっしゃっていました。インクルーシブ教育を推進していくためには、この多様性の意味をしっかりとらえておく必要があるかと思います。このことについて詳しくお聞かせいただけますか。

【茂木】 私たちはアート活動によって、固定化された複数のイメージを解体し、関係性の中で学びます。ただし、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本を著した伊藤亜紗さんが指摘するように、“多様性”という言葉の氾濫には注意が必要です。伊藤さんはボストンに留学されて、その経験から次のようなことを紹介されています(*3)

「私は半年間、アメリカに住んだ経験がありますが、ダイバーシティ(=多様性)という言葉はほとんど耳にしませんでした。なぜなら、多様性は当たり前のことであり、多様性を前提に「ではどのような社会を構築していくか」が課題だからです。一方、日本では昨今あらゆる場面で「多様性」や「共生」といった言葉が謳われています。私は、それが、逆効果になっているように感じています。「みんなちがってみんないい」と言いながら、結局、お互い干渉しないようなバラバラな現状を肯定する言葉になっているのではないか。…重要なのはむしろ、一人の人間の中にある多様性です。視覚障害者であっても、家庭ではお父さんかもしれない、仕事上では先生かもしれません。「視覚障害者」という側面は、その人を構成する要素の一つにすぎません。多様な面があると思えば、関わり方の選択肢も増えるし、自分には見えていない面があるということで、相手を尊重できるようになります。」

 社会包摂(social inclusion)は、最初に分けてそれをあとで一緒にするというのではないということです。我々はもともと多様なのだととらえる考え方を強調していかなければいけないのでは、ということです。
 障害者と健常者を最初に区別して、マジョリティのなかにマイノリティを取り込んでいくという考え方だと、いつになっても交わることができないですね。お互いが勿論いろいろな意味で違うのですが、視覚障害者とひとくくりにしてしまった時に、視覚障害者の誰々さんにレッテル付けがされるわけです。そうすると見える○○さんと見えない□□さんとなった時に、それ以外の属性が消えてしまうわけです。
 伊藤さんは、半年間のアメリカ生活で経験したことは、ほとんど、ダイバーシティを耳にしなかったと言います。なぜなら、多様性を前提にどんな社会を構成していくのかということが当たり前というのがアメリカ社会だったからです。一方で、日本はこれだけ多様になっているのに、単一民族であると考える人がまだ多いのでは? 日本ではあらゆる場面で、多様性、共生ということが謳われているのに、それが逆効果になっていないか? みんな違ってみんないいといいながら、結局、互いに干渉しないようなバラバラの状態を構成するようなことになっているのではないでしょうかと、伊藤さんは指摘します。
 むしろ、一人の中にある多様性、つまり障害というのはその人を構成する要素の一つに過ぎないということです。だから、障害者だから一方的に何か助けなければいけないと考えるとそこにいつも上下関係が生まれてしまう。でも、本当はそうではなく、関係性はフラットなのですね。フラットな中でお互い助けたり助けられたりしているわけです。それはどんな人でも同じ、寝たきりで、全くしゃべることができない動かない人でも同じだと思うのです。私たちは、生きるエネルギーを交換しながら生きているわけです。そう思える、そういう社会をつくらなければいけないのにもかかわらず、何か「世界に一つだけの花」という歌に象徴されるように、多様性が商業ベースに乗って商売になってしまい、非常に表面的なことにすり替えられてしまった。本当の多様性はとても難しい、わかり合えないわけだから。わかり合えないけれど一緒に生きていかなければいけないのだから、お前だったら何ができる、できることをちゃんと言える社会にならなければなりません。もめ事になっても人間同士後でまた変わったとしてもその時々に結論を出して前向きに進む、そういうふうなことを練習する場が学校なのだ、教育の場なのだというのが私の考え方です。それはワークショップから学んだことです。
 多様性とは安易な「レッテル付け」を最初からしないことです。人々がばらばらになって分断(断片化)されてしまった社会を再統合するには、あえてそこに波風を立て、問題に注目させ結果的にカオスをつくりだし、全体性を回復させ自分なりの居心地のいい場所を創出させる。アートを社会化するためには、学校だけに閉じ込めないことも必要になると思います。そのためには、美術館などの社会でアートを学ぶ場所との連携が必要になってきています。

「インクルーシブ教育システムの構築」と「分けない」ということ

【大内】 最後の質問になりますが、「実践編:インクルーシブアート教材・題材開発」のポイントとして「分けない」というキーワードが強調されていて、インクルーシブアート教育の観点からは良く理解できました。いわゆる通常の教育や特別支援教育の枠組みを超えて「インクルーシブ教育システムの構築」という大きな枠組みでも「分けない」ということは、とても大事なキーワードだと言えます。改めて整理してお話しいただけますか。

【茂木】
 「インクルーシブ教育システムの構築」と分けないということ
 なかなか難しいですよね。逆説的に言えば、「インクルーシブ教育システムの構築」を障害児教育の側が推進しているところに、まず、問題があるのではないかと思います。本来「インクルーシブ教育システムの構築」は通常の学校の教育改革だということですよね。通常の学校の先生たちの考え方、マジョリティである通常の学校にいる大半の教師たちをインクルーシブ化する必要が「インクルーシブ教育システムの構築」の本質の中にあるわけです。障害児教育を担っている先生方はそんなことは最初からよくわかっていることです。
 「分ける」ことを深く理解した上での「分けない」
 わかっていてもできないということもあるのですが、分けないといったのは、それは象徴的にいったことなのであって、私たちは科学の時代を作ってきたわけで、分けてるに決まってる、分けることによっていろいろなことをつくり上げてきました。ここは否定できません。ところが、分けすぎてしまったために起きている弊害が多くなってきているということですね。現在、益々断片化(分断)が進んできてしまっているのです。私はこの考え方をルドルフ・シュタイナーから学びました。彼は、このことがルネサンス以前から起こっていると言っています。近年それが強まっていることを感じています。問題が起き、改善のために規則を厳しくします。物事というのは、どんどん細かくなっていっています。きちんとしようと思うと細かくなるんです。規則が新しい規則を生み出し、私たちは自分がつくった規則に苦しめられることになる。(有機体であれば)部分には全体的な性質が含まれているはずです。つまり、本質的なことを考えると、もっと全体を見る必要があるのです。発達障害という新しい障害児が生まれています。それは、「昔からあった「事象」が、新しい「問題」として顕在化している」(*4)。つまり「現実は変わっていないのに、私たちが現実に対処する柔軟性を失い認識や態度が画一化しために、何でもないことが「病気」と判定されるようになった」(吉岡洋 *5)というわけです。分けることが物事の全体=本質を見えなくさせています。
 「分けない」ということの大事さをわかりながら分けていくという科学的な世界観の中で、私たちがいかにバランスをとっていくのかというのが、私が言っている「分けない」ということです。
 分けているのに決まっているのですが、分けることがベースになっている社会の中で、全体を見るということをもう一回見直そうということです。癌細胞を退治することができても、人間が死んでは意味がないということです。そういうことが現実に起きているわけですね。全体を見るのか部分を見るのか、部分と全体は小宇宙と大宇宙の照応関係に在る、これが「分けない」の基本理念ということになります。
 「分けない」ことと教材開発
 教材開発を具体的に進めていく中で、やはり、先ほど言った、美術がコト(出来事)であるということ、コンセプトであるということをおさえて理解してもらう、体験してもらう、腑に落ちてもらうことが必要だと思ったんですね。そうででないと、見えない人は触れないものは全部わからないことになってしまいます。そうではなくて、感じる/考えることの両方が美術なんだということが理解されると、それは見えても見えなくても同じなのではないかということです。たとえば、去年のみんぱくの「ユニバーサルミュージアム展(広瀬浩二郎)」で触れる大きな日本画がありましたが、あれはすごくいい体験でしたけど、でも本当の日本画が岩絵の具のざらざら感だけから伝わるもので絵が成り立っているわけではない。荒々しい作品の表面の裏(奥)にどんな作家の魂が入り込んでいるのかということを理解する必要があります。言葉も含めて、あらゆる感覚=情報を総動員して作品の魂=熱量を伝えること、それが鑑賞ということです。
 それで、私が考えたのは、美術の世界を大きく変えたといわれるマルセル・デュシャンの「泉」という作品です。男性用の既成の便器を、言ってみればホームセンターから買ってきて、偽のサインをして展覧会に出したところ、それが20世紀の美術を大きく変えてしまいました。つまり、(アートは)モノではなくてアイデアなんだ、コンセプトなんだということです。それを見えない人たちに理解してもらうことがとても重要だなと思って、その題材開発をしました。
 触るのは簡単です。便器を触るだけですから。だけど、それだけでは何だかわからない。それに至ったデュシャンの思考プロセスを反芻するというか追体験してもらいました。兄弟で作家だったデュシャンは兄貴たちに乗り遅れたために、短時間で急速に現代アートを学び、様々なイズムをいわばスクーリングしながら反芸術に至ります。例えば、現代美術の始まりがどこからかは難しいのですが、印象派は光を粒としてとらえ、赤青黄の基本色をドットとして併置混色するという絵画ですが、丸シールで教材化しました。次はキュビズムです。ピカソやブラックは一つの画面の中に、右から見た視点と正面から見た視点を同時に描くという方法を開発しました。「黄色の背景の女」(1937)を触図化・パズル化しました。次は、動くキュビズムでデュシャンの新しい芸術です。(連続写真で運動を表現した)マイブリッジの「階段を降りる女性」を触図化して触ってもらったりとか、デッサン人形を歩く格好にして触ってもらったりとか、歩く運動を理解し、デュシャンの「階段を降りる裸体、No.2」(1912)の作品鑑賞のための教材化を試行しました。このとき開発した首胴体と手足が動くパズル教材はとても好評でした。線画の蝕図ではわかりにくいことがパズル化によって少し解消されたようです。このようにデュシャンの思考を反芻する触る教材学習を丁寧にすることによって、最終的に「泉」=便器という反芸術(ダダイズム)に至ったという道筋を理解してもらうことに取り組んだのです。そうしたら再度便器を触ってもらった時に、全盲の参加者から「すごくすっきりした」という声が上がりました。何ですっきりしたのかって聞いたら、「見える人にもわからないことがあるんだ。それは私たちと同じなんだ。」見える人にもわかったりわからなかったりすることがある、それは見えても見えなくても美術は同じなんだ、そういうすっきり感があったと、言ってくれたのです。この言葉によって、自分は「アートは見えない」を明確にできたと実感しました。こうしたことをもっときちんと丁寧に研究していけば、美術/教育は根本的に変わるのではないか、そういう可能性を見た瞬間でした。

まとめ

【大内】 今回は、インクルーシブ教育と教科教育を考えるシリーズの第一弾として、アート/教育について取り上げました。ご紹介させていただいた『視覚障害のためのインクルーシブアート教育』という新刊書は、視覚に障害がある児童生徒のアート/教育について著した書物ではありますが、図工・美術教育の改革につながる視点が散りばめられていて、通常の教育の在り方の変革をも展望していることがご理解いただけたのではないかと思います。
 アート/教育は、共生社会を構築していくための基礎として重要な役割を担うことができるのではないでしょうか。興味を持たれた方には、ぜひ本書を手に取っていただけましたら幸いです。
 茂木先生、本日はありがとうございました。

*1:茂木一司(編集代表)、大内 進、多胡 宏、広瀬 浩二郎(編)『視覚障害のためのインクルーシブアート学習 基礎理論と教材開発』 ジアーズ教育新社、2022.
*2:茂木一司(著、編集代表)『新版増補とがびアートプロジェクト』‎ 東信堂、2021.
*3:伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 光文社新書、2015.
伊藤亜紗准教授が考える“本当の多様性”とは;
https://www.titech.ac.jp/public-relations/research/stories/next02-ito
*4:発達障害は病気ではなく「脳の個性」治すべきものではない
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00369/092400001/?P=2
*5:吉岡洋Facebookより
https://www.facebook.com/hyshk/posts/5137353606317194