学び!とPBL
2026.05.20 <Vol.98>
SDGsを「自分ごと」にするための翻訳
新年度が始まり、五月の連休が終わる頃になると、探究学習への取り組みに向けて本格的に動き出す学校も多いのではないでしょうか。
この時期、私も多くの学校から年間を通じてどのように探究学習に取り組んでいくべきかという相談を受けます。その中で改めて感じるのは、SDGsやウェルビーイングの概念を手がかりにした探究学習がとても多いということです。
SDGsは児童・生徒にとって身近なテーマか?
これらの概念を探究学習に取り入れること自体には、大きな意義があると感じています。ただし、そのまま提示するだけでは、児童・生徒にとって少し遠いテーマになってしまうこともあります。昨年4月に探究学習の課題設定について取り上げた際にも触れましたが、私は学校の先生方と話をする際に、「その課題は児童・生徒にとって身近ですか?」という問いを常に共有するようにしています。
SDGs(持続可能な開発目標)は、世界的なキャンペーンが功を奏し、それまで取り組まれてきたMDGs(ミレニアム開発目標)に比べ、誰もが知る国際的な開発目標になりました。各地の探究学習においても、SDGsを活用したテーマ設定や、その後に続くアクションが数多く行われています。探究学習とSDGsの間には、とても強いつながりが形成されてきたと感じています。
その一方で、SDGsは開発途上国の開発を大きな柱の一つとした国際目標でもあります。そのため、日本の学校や地域の状況にそのまま当てはめようとすると、すぐには実感しにくい表現や目標もあります。それは、児童・生徒たちにとっても同じではないでしょうか。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
私は、SDGsやウェルビーイングといった大きな概念を、生活者の景色や地域の文脈に「翻訳」していくことが、とても重要になるのだと思います。SDGsには17の目標と169のターゲットが設定されていますが、それぞれの国や地域が置かれている状況によって受け止め方やアプローチの仕方は異なります。だからこそ、私たちが生活している場所でそれらがどのように捉えられるのかを考えることが、「翻訳」の大切な入り口になります。
私はSDGsの講演やワークショップを行う際に、宮沢賢治さんが残した「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉を紹介しています。私にとってこの言葉は、SDGsの意義をとてもシンプルに伝えてくれる表現です。
私たちの日常は、ウクライナや中東における戦争、他国での災害や紛争などからも大きな影響を受けています。ガソリンの価格や日用品の価格高騰も、私たちの暮らしに関わる深刻な問題です。私たちはもはや、一つの国や地域だけで完結して暮らしているわけではありません。世界のどこかで起きている出来事が自分たちの暮らしにもつながっていることを実感しながら、身近な課題に向き合い、みんなで豊かになる未来を描いていく必要があります。
グローカルな視点を活用していくことの大切さ
グローバルな視座とローカルなアクションの両方を一緒に考えていく考え方として、「グローカル」という表現があります。SDGsを探究学習で用いる場合にも、このグローカルな視点はとても有効です。地球規模の課題と日常の生活を結びつけるきっかけをつくることができれば、学びはより豊かなものになります。
東京都品川区では、SDGsのゴールを踏まえたフードロス(食品ロス)削減の取り組みに力を入れています。品川区には、都内で最も長い商店街として有名な戸越銀座商店街をはじめ、68ヶ所の商店街があります。フードロスにどのように取り組んでいくかは、多くの商店街にとっても身近な課題です。
そこで私たちは、一つの商店街を舞台に、中高生が商店街とコラボレーションしながらフードロスについて考える機会の創出を試みました。SDGsが掲げる地球規模のフードロスの問題と、中高生たちが日常を過ごしている商店街をつなぎ合わせる。そのような取り組みを通じて、多くの中高生がフードロスを「自分ごと」として捉え、SDGsそのものを身近なものとして考えるきっかけになりました。
また、この取り組みは商店街にとっても意味のある機会となりました。消費者でもある中高生と一緒に課題に向き合うことは、単に学校や生徒たちから学習への協力を頼まれる関係性にとどまりません。地域にとっても、生徒にとっても、互いに学びや気づきのあるフェアな関係性を構築するきっかけになります。
学外のプレイヤーと連携したり、グローカルな視点で探究学習を設計したりする際には、まず「このテーマは、子どもたちにとってどのように身近なものになるのか」、そして「関わる人たちそれぞれにとって、どのような意味があるのか」を考えるところから始めてみるとよいかもしれません。SDGsを地域の文脈に翻訳することは、探究学習を「自分ごと」にしていくための大切な一歩なのだと思います。

