図画工作科・美術科の改訂、どんな感じ?

1.はじめに

 「論点整理」を踏まえ、中央教育審議会教育課程部会芸術ワ-キンググループで美術、音楽、書道など芸術教科における改訂作業が進行中です。4月現在、7回の会議が行われています。本稿ではその議論や資料等から現段階における図画工作・美術の改訂のポイントを検討してみましょう(※1)。

2.全教科等を貫く「三つの柱」

図1

 今回、学校教育において重視すべき三要素(※2)などをもとに、育成すべき資質・能力が「三つの柱」として整理されています(※3)。各教科等の資質・能力は「三つの柱」から構造的に見直され、その実現のためのアクティブ・ラーニングやカリキュラム・マネジメントなども提案されています(※4)<図1(※5)>。芸術ワーキンググループにおいても同様です。例えば小学校図画工作科では以下のように提示されています(※6)。

①形や色、材料や用具などについて理解することや、創造的な技能を身に付けることができるようにする(個別の知識・技能)。
②豊かに発想や構想することや、作品などからよさや美しさなどを感じ取ることなど、創造的に思考・判断できるようにする(思考力・判断力・表現力等)。
③主体的に表現や鑑賞の活動に取り組み、つくりだす喜びを味わうことや、生活の中の様々な造形に親しむことができるようにする(学びに向かう力、人間性等)。

 まだ最終形ではないようですが、教科目標や学年目標、〔共通事項〕、評価の4観点などを踏まえて、すっきりと整理されていると思います。小学校の先生にとっては、図画工作科で育てる資質や能力が分かりやすくなることでしょう。学校で教科横断的な実践を行う場合も、立案や計画などが容易になると思われます。また、これから教員になろうとする学生は共通の枠組みで各教科等の資質や能力をとらえることができて助かるでしょう。

3.実は同じ! 4観点と3観点

図2

 ただ、これまで4つだったものが3つになることに対する戸惑いはあるでしょう。学校や地域によっては「せっかく現場で定着したのに」という思いがあるかもしれません(※7)。しかし、継続性を無視しているわけではないのです。
 なぜなら、前回の改訂において、すでに鑑賞の能力は「知識」と「思考・判断」の二つの要素でとらえるように変更されています。表現の能力については従来通り「技能」と「思考・判断」です。つまり図画工作科や美術科の学力を全体として見れば、すでに「知識・技能」「思考・判断」「主体的に学ぶ態度」で構成されているわけです<図2(※8)>。この図を前述の小学校図画工作科の「三つの柱」と比較してみれば、大きく異なるものではないことが分かると思います。厳密には相違点もありますが(※9)、4観点と3観点は基本的に示し方の違いということができるでしょう(※10)。

4.各教科等の特質に応じ育まれる「見方や考え方」

 ただ、共通化で危惧されるのが各教科等の固有性です。これについては、アクティブ・ラーニングの三つの視点「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」の中で、特に「深い学び」を実現するために提案されている「見方や考え方」がポイントになります。「見方や考え方」は「様々な事象等をとらえる各教科等ならではの視点や、各教科等ならではの思考の枠組み」とされています(※11)。筆者が注目したのは、芸術系教科(※12)の「見方や考え方」に「感性を働かせて」という文言が入っていることです(※13)。
 感性を働かせるという言葉は、前回の改訂で小学校図画工作科の教科目標に導入された用語です。これは「学習過程の最初から最後まで、子どもは自らの感性を働かせながら活動していること」と「その過程を通して技能の獲得や新たな発想などをしていること」などを意味しています。図画工作科では単に「予定の内容を順序通りに消化したから目標が達成される」とはなりません。子ども一人一人が自らの感性を働かせる学びの過程を通してこそ、知識・技能の獲得や表現力の伸長などが実現するのです(※14)。もちろん、子どもの感性といっても、それぞれの時点で子どもたちは文化的な感性を身に付けています。発達や内容によっては感性そのものについて学習することもあります。そのようにして育まれた感性は、芸術の意義や文化の多様性などを理解する上で欠かせない資質や能力となるでしょう(※15)。
 まだ各教科等で検討している段階なので、どのようにまとめられるのか分かりませんが、「感性を働かせて」が、このまま芸術系教科の共通の「見方や考え方」になるとしたら、学習のプロセスでこそ成長する芸術教科の固有性が明確になるのではないかと期待できるというわけです。

5.おわりに

 これまでの改訂では、まず学習指導要領で「目標と内容」、次に指導要録で「評価」、そして様々な報告書等で「学習方法」など数年かけて示されていました。今回これらが一度に議論されています。そのため「この力を育てるために、この学習方法がある。それをこの観点で評価する」ということが鮮明になっています。以前から図画工作・美術では、目標や資質・能力を不問にしたまま、〇〇式、〇〇型などの学習方法だけを論じるという問題がありました。今後は、育てたい能力、学習方法、評価を一体的に考えた上で、その妥当性を議論する方向に進むでしょう。
 いずれにせよ、小学校、中学校、高等学校それぞれの現状と、法的な継続性や安定性などを考慮しながら作成するのが学習指導要領です(※16)。どのように表されるとしても、子どもたち自身が活躍する20年~30年後の未来を見据えた上で、現時点における最も妥当な提案が行われると思います。

 

※1:本稿は会議資料、議論の傍聴等に基づく筆者の考えです。資料は会議の議論を反映し、毎回、変更や修正が行われます。
※2:学校教育法30条2項で定めるいわゆる学力の三要素「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「主体的に学習に取り組む態度」
※3:平成27年8月26日教育課程企画特別部会「教育課程企画特別部会における論点整理について(報告)」
※4:「三つの柱」はバランスよく相互に関連させながら教育課程全体で構造的に考えることがポイントです。
※5:論点整理の補足資料(1)27p
※6:中学校美術科は以下。
①形や色彩などの特徴について、創造活動を通した造形的な視点として理解したり、美術作品や文化遺産などについて造形的な特徴などから理解を深めたりすることや、発想や構想したことを基に、意図に応じて創意工夫して表す創造的な技能を身に付けることができるようにする。
②豊かに発想や構想することや、造形的なよさや美しさを感じ取り味わったり、美術文化を伝統的かつ創造的な側面からとらえたりするなど、創造的に思考・判断できるようにする。
③主体的に表現及び鑑賞の活動に取り組み、美術の創造活動の喜びを味わい、生活や社会の中の美術の働きや美術文化と豊かに関わり、美術を愛好する心情をもてるようにする。

平成28年4月26日教育課程部会芸術ワーキンググループ資料3-2(案)「図画工作科、美術科、芸術科(美術、工芸)における教育のイメージ」
※7:前回の改訂では平成21年から22年3月にかけて児童生徒の学習評価の在り方について初等中等教育分科会教育課程部会「児童生徒の学習評価の在り方に関するワーキンググループ」で話し合われました。ぎりぎりまで3観点に変更するか、4観点を継続するかまとまりませんでした。主に研究者側は妥当性や信頼性などから3観点を主張しました。教育委員会や校長会会長等の学校関係者は「ようやく学習評価が定着してきたのだから」と4観点の継続を主張しました。結果的には4観点となりましたが、それは、まとめ役をしていた委員の言葉を借りれば「研究者的には3観点だが、現場があれだけ言ってるんだから今回は4観点でいこう」という現実的な決着でした。
※8:筆者作成
※9:今回の改訂の議論では「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に学ぶ態度等」のとらえ方が深まっています。例えば「知識・技能」は「静的な知識・技能」というよりも「アクティブな知識・技能」です。「事実的な知識のみならず、学習過程において試行錯誤をすることなどを通じて、新しい知識が既得の知識と関係づけられて構造化されたり、知識と経験が結びつくことで身体化されたりして、様々な場面で活用できるものとして獲得される、いわゆる概念的な知識を含むものである」「一定の手順に沿った技能のみならず、変化する状況に応じて主体的に活用できる技能の習熟・熟達に向かうことが重要である」平成28年4月26日教育課程部会芸術ワーキンググループ資料5(案)
※10:平成20年の改訂で図画工作科・美術科は、資質能力ベースで目標と内容を構築しています。
※11:平成28年3月14日総則・評価特別部会資料1-1「アクティブ・ラーニングの視点と資質・能力の育成との関係について~特に「深い学び」を実現する観点から~」
※12:小学校音楽科、中学校音楽科、小学校図画工作科、中学校美術科、高等学校芸術(音楽、美術、工芸、書道)
※13:例えば、中学校音楽科「音楽に対する感性を働かせて、音楽を形づくっている要素とその働きの視点で音楽をとらえ、音楽的な特徴と、音楽によって喚起されるイメージや感情、生活や社会、文化などとの関わりについて考えること。」中学校美術科「感性や想像力を働かせて、形や色彩などの造形的な視点で、対象やイメージをとらえるなどして、自己や他者との関わりや、生活、社会、文化などとの多様な関係の中で、心豊かに生きることと美術の関わりについて創造的に考えること。」平成28年4月26日教育課程部会芸術ワーキンググループ資料2(案)「芸術系教科・科目における見方・考え方(案)」
※14:そこには「一方的に大人の感性を押し付けることに慎重でありたい」という願いも込められています。
※15:「小学校ではもっと子どもたちの「感性」を働かせてほしい、それを踏まえて中学校では文化に関わりながら「感性」を自らの力としてほしいという願いがありました。」 学び!と美術<Vol.22>「感性の理由」
※16:安定性と妥当性については、『学び!と美術<Vol.03>「子どもの学力が伸びる」という「言説」』を参照。

アール・ブリュットの鑑賞実践報告

 今回はアール・ブリュット(※1)の鑑賞についての実践報告です。

1.はじめに

 まず、アール・ブリュットで気を付けたいのは「まなざし」です。個人的な反省を一つ紹介しましょう。2008年、あるポスターを見た時のことでした。目に入ってきた画像に驚きました。いくつもの棘によって構成された顔で、感情が迫ってくるような圧力に惹かれました。「いったい何という作家なんだ?」と思い、ポスターの文字を読むと「アール・ブリュット-交差する魂-(※2)」とあります。滋賀県の知的障害者施設で作陶する澤田真一(※3)さんの作品でした。それが分かった瞬間、作品の見え方がスッと変化したのです。まるで目が曇ったようでした。おそらく「芸術家の作品」から「障害者の作品」という文脈で見たのでしょう。以前からエイブル・アートなどに着目し、「まなざし」を問い直そうと話している本人が「まなざし」にとらわれているのです。「まなざし」の強固さを改めて自覚させられた出来事でした。

2.アール・ブリュット鑑賞会の依頼

 アール・ブリュットを鑑賞する際に配慮すべきは、特定の「まなざし」から固定的に見ることでしょう。だからといって、「まなざし」を否定するのも変ですし、筆者自身も悩みつつ実践しているのが現状です(※4)。今回紹介するのも、その一例としてお聞きください。
 「障害のある方々の創作活動を支援する人々に、作品や作家を見る新たな視点をつくりだす機会として対話による鑑賞体験のナビゲーターをしてもらえませんか。」
 東京中野で活動する「社会福祉法人愛成会」からのお誘いでした(※5)。二つ返事で快諾しましたが、なかなか難しい話です。
 「障害を支援する人々に新たな視点、、、」
 「対話だけで視点の転換に成功するかな、、、」
 いろいろ考えて、今回は「探求的活動を基盤とする美術鑑賞」を用いることにしました。テーマをもとに「ギャラリートーク」と「アクティビティ(簡単なゲーム、鑑賞ツールを使った活動など)」を組み合わせて行う方法です(※6)。テーマは「大切なもの」にしました。「作者が何を大切としているのか探ること」は「自分との関わりをもちやすい」と考えたからです。アクティビティには、大切なものを交換して説明し合う「物々交換」(※7)、好きな作品を選ぶ「持って帰るとしたらどの作品?」(※8)などにしました。また、作品にまつわる知識や作家の人生などについては流れの中で適宜紹介することにしました。

3.参加者の声

 恐る恐る始めたものの、始めてみると参加者は積極的に発言しました。その多くは「好きを追求する活動」や「行為や感覚」などに対する共感的な意見でした。例えば「粘土にいくつも小さな穴を開けている作品(写真1)(※9) 」には「私も、粘土に指を突き刺すのが好きで、、、」、「セロハンテープと紙で作られた戦士や怪人の群れ(写真2)(※10)」には「私もヒーローにはまったんですよね、、」などです。
 確かに、アール・ブリュット作品の多くは日常世界を対象とし、身近にある材料や用具、方法などでつくられています。分かりにくい対象を選んだり、美大でこそ身につく特別な技法や用具を用いたりはしません。どの作品にも、ある種の親しみがあり、それでいて「すごいなあ」という驚きをもっています。それが、共感を生んだのでしょう。
 また、探求活動自体が面白かったという感想もありました。
 「作品の背景にある物語を、沢山の人と一緒に作品に入り込みながら探していく感じが、とても心地よかったです。」
 これは一般的な鑑賞活動でもよく聞かれる言葉です。ということは、今回の鑑賞活動が特殊ではなかったということかもしれません。

写真1

写真2

4.おわりに

 当初は「障害や病気」などから「作品を見る」という特殊性を際立たせるような鑑賞になるのではないかと心配していました。でも参加者は自分自身にある欲求や感覚、行為性などを語り合っていました。また「障害とは何か」「芸術とは何か」など難しい話にもならず、むしろ作家に対してリスペクトに近い感情が生まれていたように思います。「大切」というテーマが功を奏していたのかもしれません。今後も継続しながら検証していきたいと思います。

 

○社会福祉法人愛成会とは
 東京都中野区にて、昭和33(1958)年に設立された社会福祉法人です。施設入所支援をはじめ、生活介護事業や就労継続支援B型、相談支援、共同生活援助、アトリエなどを展開し、障害のある方々の創作活動の支援と発信も行っています。

 

※1:生(brut)の芸術(art)。1945年に画家のジャン・デュビュッフェが考案しました。伝統的な美術教育を受けていない人が既成の芸術の流派や傾向にとらわれずに表現した絵画や造形のことで、アウトサイダー・アートはその英訳です。障害というニュアンスは本来ないのですが、施設等で表現された行為が取り上げられることが多いようです。他に障害者芸術をとらえ直す運動としてエイブル・アートという概念もあります。
※2:http://www.no-ma.jp/artbrut/
筆者が見たのは「パナソニック汐留ミュージアム」で2008年に行われた展覧会のポスターです。企画を担った「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」(滋賀県近江八幡市)とは、その後、ご縁が生まれました。例えば2013年の「対話の庭 Dialogue of Garden―まなざしがこだまする」では、『アール・ブリュットから鑑賞教育を考える』というギャラリートークを実施しました。
http://www.no-ma.jp/?p=4803
※3:海外の美術館に収蔵されたり、展覧会に出品されたりするなど、今や日本を代表する作家として活躍されています。
※4:人は文化的、社会的な生物で、そもそも「まなざし」から自由ではありません。むしろ「まなざし」から見るのが自然な在り様なので、難しいところです。
※5:厚生労働省の補助で平成26(2014)年度に始まった『障害者の芸術活動支援モデル事業』の研修プログラムの一環として行われました。会場は同じく愛成会が福祉医療機構からの助成を受けて実施する「なかのZEROホール」での日本のアール・ブリュット作家の展覧会にて実施されました。本展は「アール・ブリュット 人の無限の創造力を探求する2016」(2016.1.12~3.27」の一つで、他に中野サンモール商店街などでの「街角アール・ブリュット展」中野サンプラザでの「アール・ブリュットフォーラム」、「パフォーマンスアーツイベント」など中野駅周辺がアール・ブリュット一色となる企画です。
※6:詳しくは「学び!と美術」<Vol.34>
※7:詳しくは「学び!と美術」<Vol.34>。以前は自分の時計で行っていましたが、今はグッゲンハイム美術館のシャロン学芸員に教えてもらったこの方法が気に入っています。
※8:アートカードを用いたアートゲームでもよく行われます。
※9:吉川秀昭さんの作品
※10:古賀翔一さんの作品

フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性

 今回は、筆者が協力することになったNPO法人「ソルト・パヤタス」(※1)が取り組む「貧困地域における鑑賞教育を通した能力開発」について報告します。第1回は現地の状況や活動内容の概要です(※2)。

1.「ソルト・パヤタス」とは

写真1

 「ソルト・パヤタス」は、1995年からフィリピンのパヤタス地区やカシグラハン地区など、貧困地域で教育支援を続けるNPO法人(事務局長:小川恵美子さん〔写真1〕)です。主な支援活動は次の3つです。
 (1)奨学金や学用品配布などの就学支援
 (2)ライフスキルやコミュニケーション力など子どもの能力を高める事業
 (3)商品開発や販売による女性への収入向上支援
 これまでに、高層化したゴミ山の崩落事故(※3)や大規模洪水(※4)で支援を行うなど20年にわたる活動の歴史があります。注目されるのは、2012年から「ソルト・パヤタス」の収入向上支援の受益者だった母親たちが刺繍製品の製作所を引き継ぎ、NPO法人「LIKHA」として自立したことです。2016年からは「ソルト・パヤタス」が支援していた地元の子ども図書館の経営も引き継ぎ、名実ともに、地域の教育支援を担うNPOとなります。今後、「ソルト・パヤタス」は、活動の拠点をパヤタス地区からカシグラハン地区の「チルドレン・エンパワメント・センター」に移し、そこで図書館やワークショップを行う計画です。

2.パヤタス地区の現状

 パヤタス地区のゴミ山は公的な廃棄処分場です。皮肉にもゴミ焼却によるダイオキシンやCO2の発生を防ぐ「大気浄化法」を契機に高層化、巨大化しました〔写真2〕。そこを囲むように床面積20m2程度の簡素な家々が、格子のような細い道に沿って幾重にも並んでいます〔写真3〕(※5)。人口は11万人(※6)。大人や青年のほとんどは建設作業員やジープニー(※7)、トライシクル(※8)等の運転手、スカベンジャーなど限られた仕事にしかつけません。スカベンジャーとは、ゴミ山から再利用できるものを回収して業者に売り、生計を立てている人々です(※9)。パヤタス地区の15%から30%がスカベンジャーと言われています。貧困から学校をドロップアウトする学童も多く、奨学金などを通して、まず子どもたちを学校に行かせることが最優先でした。
 しかし、訪問で実感するのは、ゴミ山が「産業」だということです。パヤタス地区の居住区域に至る道では、1日500台以上と言われるトラックが行きかいます。道沿いには道具屋、中間業者、運搬トラック関連工場などが延々と並んでいます。構造化された「産業」が相手ですから支援は単純ではありません。学費や学用品などを提供すれば終わる話ではなく、子ども自身のライフスキルの向上やパヤタス地区の家族、コミュニティそのものに働きかける必要があるのです。

写真2

写真3

3.カシグラハン地区の子どもたち

 建築中の「チルドレン・エンパワメント・センター」ができるカシグラハン地区は、パヤタス地区のゴミ山崩壊の被災家族が移り住んだ地域です。マニラなど都市部から立ち退きさせられた家族も住み込んでおり、ここ2年で爆発的に人口が増えています。「ソルト・パヤタス」が活動する地域は4万人、パヤタス地区と同様の貧困地域です。「チルドレン・エンパワメント・センター」が完成したら近接する公立小学校と連携しながら支援事業を進める予定です(※10)。
 今回の調査では小学校4年生の図画工作の時間を視察しました(※11)。図画工作は「MAPEH(※12)」という時間の中で週一回ほど実施されます(※13)。訪問当日は音楽の日だったので、急遽4年生だけに図画工作を実施してもらいました(※14)。A4用紙に「線の表現を工夫しながら行きたい場所の絵を描く」という内容でした。海、都会、パリなど思い思いに描いていましたが、ふと見ると描き始めない子どもが10人以上います。その理由は鉛筆がないからです。その子たちは多めに持っている子どもから鉛筆、消しゴム、クレヨンなどを借りながら描いていました。ただ、スムーズに描き進められなくても、子どもたちが絵を描くことが大好きであることは伝わってきました〔写真4〕。
 その姿に筆者は前日のカシグラハン地区で子どもたちの遊ぶ様子を思い出しました〔写真5〕。彼らは、食事用の燃料に使った小さな炭の残りを葉で包み、それを使って地面に絵や文字を描いていました。子どもたちは目の前にあるもの、使えるものを使って最大限に遊ぶのです。事務局長の小川さんは「子どもたちはあるものを使って遊ぶ天才だ」と話していました。子どものつくる行為に国境はありません。子どもたちは材料や道具を使いながら、何かを創り出し、能力を高めているのです。

写真4

写真5

4.「ソルト・パヤタス」の可能性

 今回の調査から筆者の感じた「ソルト・パヤタス」の魅力は大きく三つです。
 一つは、地域の教育力やコミュニティの発展を目指していることです。「文房具や学校などが足りないから提供する」は大事なことですが、一過性に終わってしまうことが多いのも事実です(※15)。「ソルト・パヤタス」は、地域のコミュニティや人・モノ・コトなどの教育資源そのものに働きかけ、これを改善しようとしています。
 二つには、子どもの能力開発を目指していることです。「ソルト・パヤタス」のミッションは子どもが自分自身の能力を発見し、その向上を通して自信と希望を持ち、自己肯定感を高めることなどです。そこに美術教育や鑑賞教育は貢献できるだろうと思います。
 三つには、実践の成果を統計的調査で明らかにし、貧困地域の子どもたちの能力開発をモデル化したいという挑戦です(※16)。今回のプロジェクトには統計や経済学の研究者が関わっています(※17)。確実なエビデンスを示すことで、ただの美談や感動物語に終わらせない意志が感じられます。
 実践するのはまだ先の話ですが、探求的な鑑賞活動、論理的な思考力の育成、コミュニケーション力の向上など、鑑賞教育の知見が役立つかもしれません。一方で、貧困自体が近代化や学校化(※18)の産物だということに配慮する必要もあるでしょう。先進国の目指すリテラシーや鑑賞教育のノウハウをそのまま持ち込むことには慎重でありたいものです。教育を問い直す姿勢を持ちつつ、現実との折り合いをつけながら実践していくことが求められます(※19)。
 次回の報告は「チルドレン・エンパワメント・センター」完成後になりますが、授業の実際やワークショップについて報告したいと思います。

 

※1:詳細は http://www.saltpayatas.com/
※2:
※3:死者行方不明300名と言われ、「ソルト・パヤタス」の奨学生も死亡した悲惨な人災でした。
※4:被災総額8000億円にもなった2009年の台風16号でカシグラハン地区も2000世帯が水没しました。カシグラハン地区にあるソルトセンターも水没したのですが、「ソルト・パヤタス」は翌日から飲み水の支給や食料支援、学用品配布などを行いました。
※5:昭和のような風景につい懐かしさを感じてしまいます。しかし「昔の日本」ではありません。おそらく「昭和20年代~30年代の日本」と「現在の日本」が同時に成立しているのがフィリピンでしょう。
※6:正確な戸籍はないのですが2012年の推計です。現在は急増しています。
※7:小型貨物自動車を主に16人乗り程度に改造した乗り合いタクシー。
※8:小型オートバイを屋根付サイドカーに改造した3人乗り程度の三輪タクシー。
※9:スカベンジャーには差別的意味合いが含まれるので、ウェスト・ピッカー(Waste Picker)と言い換えることもある。
※10:母親や教員に対する研修も予定しています。
※11:1クラスの児童数は45~76人、各学年3~6クラス、全校児童1729人の学校でした。
※12:「Music」「Arts」「Physical Education」「Health」の頭文字をつなげています。
※13:週ではなく、一日で時間割が決められています。午前クラスは6:00~12:00、午後クラスは12:00~18:00、その間に「English」「Mathematics」「Science」「MAPEH」「Edukasyong Pantahanan at Pangkabuhayan (EPP)」「Araling Panlipunan」「Filipino」「Edukasyon sa Pagpapakatao (EsP)」などが行われます。
※14:クラスは学業成績のよい特別クラスとその他のクラスで分かれています。今回の実施は特別クラス(児童数54名)が対象でした。
※15:施設や機械、ノウハウなどを提供しても数年たったら「やってません、動きません」はよく聞く話です。2016年3月2日夜発生したマグニチュード(M)7.8の地震で、2004年のスマトラ沖地震・インド洋大津波の後に外国の支援を得て設置された津波早期警戒システムが作動しなかったことはその例の一つでしょう。破壊行為、保守のための資金不足などが原因で海面の高さの変化を観測するブイが機能しなかったと発表されています。
※16:JICAによって始まった地方行政と地域住民(=コミュニティ)による学校運営という支援モデル「みんなの学校プロジェクト」は有名です。 http://www.jica.go.jp/60th/africa/niger_01.html
※17:「ソルト・パヤタス」は開発経済学や教育経済学の分野の先生に協力を依頼中です。
※18:ここでは「学校化」は学校で証書や資格を得る事が富につながるという意味で使っている。
※19:現在建築中の「子ども支援センター」も4年後は地域に委ねられる予定です。

アートクラブグランプリ中学校美術部の甲子園「思う存分に格闘した中学生にしかできない表現がある」

 「甲子園で負けると涙を流します。それは、その子の成長につながる『いい涙』だと思います。その『涙』を大人が寄って集ってつくり出しているのです。『甲子園』は社会的な『学校』だと言えるかもしれません。美術にもそんな場があっていいと思います」
 2005年、堺市のある教育関係者から“政令指定都市に移行する記念事業”について相談されたときに話したことです。今回は堺市から生まれた「美術部甲子園」についてお話ししましょう。

1.全国的な展覧会状況

 当時は、全国規模の児童画展が減っていく時期でした。主な理由は出品数の減少による事業の見直しです。背景には児童生徒数の減少や図画工作・美術の時数減があります。学校で絵を描くこと自体が減っていたのです。以前は学校に複数いた中学校美術の先生は一人以下になり(※1)、中学校美術部の活動も停滞気味でした。子どもが図画工作や美術で活躍する場や美術に対する社会的な認知も弱くなっているようでした(※2)。
 一方で「まんが甲子園」(※3)「俳句甲子園」など(※4)地方主催で文化的な全国展を開く動きもありました(※5)。多くは「地域づくり」と結びついていますが「甲子園」と称するところがポイントです。高校野球のように大人とほぼ同じルールで競い合い、頂点はたった一つ、負けたら泣きます。涙を流すほど本気で、それを通して生きる力を身につけるということでしょう。
 「甲子園」には賛否両論ありますが、莫大な予算と大人が関わってつくりだされた「成長の場」であることは間違いありません。そこで「中学生の美術でも甲子園のように実力を発揮する場があってもいい」と助言したのです。

2.美術的な期待と課題

 美術に対する期待もありました。美術は本来先鋭的で私たちの価値観や概念を広げてくれます。時に哲学を可視化し、美や科学を現前させます。芸術家は自らと社会を問い直し、身を削るように作品をつくっています。それが彼らの「生き様=作品」だとすれば、その発露はすでに中学生にあるはずです。
 中学生は大人と社会の狭間にいます。自分と社会、文化などがせめぎ合う中で、考えたり、悩んだりしています。中学生が生み出す作品は彼らと世界のコミュニケーションです。同時に、社会の課題を切り出してくれる鏡でもあるでしょう。そうだとすれば「中学生の作品は、私たちの『今』を見せてくれるのではないか」「彼らにしかできない表現が『世界』を見つめ直すきっかけになるのではないか」そういう思いです(※6)。
 ただ、普通の全国展では勝手悪さが残ります。なぜなら全国展は数多くの児童生徒を対象とするので、製作時間や紙の大きさ、技法などに一定の制限がかかるのです。発達にそぐわない「達者な絵」は避けられる傾向があります(※7)。それは一つの作品を何十時間もかけて描く美術部員にとっては不都合です。中学生が思う存分に表現できる場、彼らにしかできない作品を発表する展覧会があってもよいと思ったのです。

3.堺だから生まれる意味

 「美術部甲子園」はどこでも可能というわけではありません。堺には、20年以上の「堺市中学校美術作品展」いわゆる「部展」の伝統があります(※8)。大会開催のノウハウや教員組織、教育委員会や地域的な支援はすでに成立しており、これを発展させればできるというのが原点です。
 そこに「全国」という高い環境を持ち込めば、堺の子どもたちは今以上の力を発揮することでしょう。同時に全国の子どもも育てることになるでしょう。「堺の子どもを全国と競わせ、どちらも大きく育てる」「子育て文化を地方からつくりだす」実に志の高い事業になります。また、線香に自転車など「ものの始まりなんでも堺(※9)」にはぴったりです。政令指定都市への移行記念にこれほどふさわしい事業はありません。
 また、「美術部甲子園」が開催されれば、中学校美術全体が元気になるだろうと思いました。全国の中学生が大きさや技法、時間などを気にせずに描いて競い合うのです。先生たちは自分の専門性を活かし、学習指導要領に縛られることなく指導できます。子どもたちの才能や能力だけでなく、美術教師の指導力も高められるのです。
 しかし「言うは易し、行うは難し」。関係者にとって実現は容易ではなかったと思います。コンクールは審査員でその「格」が決まります。高名なアーティストを選ぶ必要があります。また文部科学大臣賞が出ることは必須条件です。参加校や参加都道府県の数も大切です。他にも予算をどうするのか、協賛企業は、メディアは、審査方法は、出品や返却は……具体化するほど難問は増えていきます。でも関係者は「部展」と堺の伝統を基盤に、これらの難題を次々と解決していきました(※10)。

4.アートグランプリの現在

実行委員会の審査風景

 全ての問題を乗り越えた2007年。第1回「アートグランプリin SAKAI~堺から発信するアートの甲子園『全国中学校美術部作品展』」が開催されました。大きさは50号(116.7×116.7cm)以内、油絵やコラージュなど表現方法は多様で自由です。何十時間、何百時間かけてもよく、1年生か3年生かも関係ありません。中学生が思い切り自分の表現を追求できるのです。大人と同じように作品だけが勝負、「美術部甲子園」の誕生です。
 審査員は芸術家や美術評論家、教育関係者です。学校教育の文脈だけで審査は行われません。例えば、教育関係の審査員が「丁寧に時間をかけて描いています」と言うと、美術関係の審査員が「まとまり過ぎ、ここまで完成した作品はつまらない」と反論します。同一校の重複や出品者再受賞(※11)も妨げないので「この子、昨年の方がいいわ」と出品者の成長が求められることもあります。児童生徒作品展で最も厳しい審査だと思います(※12)。
 第1回は375校,2363点、当初は何回続くだろうと心配していましたが、関係諸氏の努力もあり、2016年は記念すべき第10回を迎えます。埼玉、長岡、長野、福井と通算17か所の全国巡回展を開くまでに発展しました(※13)。2015年の出品は511校から4598点、ほぼ全国の都道府県政令市から参加しています。「あの展覧会に入賞するのが夢なんです」と熱く語る美術の先生もいます。今ではすっかり全国の美術部教師の目標になっています(※14)。
 これに歩調を合わせるように、600人台だった堺市の美術部員の数は1000人を超え、男子生徒の姿が目立つようになってきたそうです。同じようなことが各地でも起きていると伝え聞きます。当初の目論見通り「堺市の子どもたち」と「全国の子どもたち」が切磋琢磨しながら同時に育つ展覧会になったといえるでしょう。

5.中学生の表現する姿(保護者の声から)

 保護者の声を最後に紹介しましょう。2015年「アートクラブグランプリ」第3席入賞者から実行委員会に寄せられた声です(※15)。世間では、スポーツの努力ばかりもてはやされますが、絵を描くことにも、こんな壮絶な姿があるのです。

神奈川県東海大学付属相模高等学校中等部2年 遠藤 一
「優しい時間(もやい)綱」堺市議会議長賞(第3席)

 アートクラブグランプリの事務局の皆さま
 日々益々ご清祥のことと存じます。この度は息子が堺市議会議長賞を頂きまして誠にありがとうございます。息子共々嬉しい限りでございます。
 ある日、2人でゴールデンウィークにアートクラブグランプリの画題を港へ探しに行きました。本当は港湾の美しい風景を描こうか?と辺りを散策していたところ、廃船が息子の目に留まりました。
 「このロープは何なの?」
 ここからこの絵を描くことが決まったのです。
 しかし、その後、絵画を制作する約4ヶ月の間に、指、腕、足首と三度の骨折に見舞われました。ギブスと松葉杖生活、往復3時間の登下校が精一杯。部活で絵を描く体力気力など残っていない様子でした。
 「部活をやめる。もう、絵は描けない。」
 「ならば絵などやめてしまえ。」
 荒れ狂う息子に手を焼く日々が続きました。
 痛みがひどく夜泣いていた時、一番使いやすいと大切にしていた熊野筆を放り投げてへし折りました。よほど悔しかったのでしょう。
 二度目の骨折の時は先生から「鉛筆画で出そう。色は無理だろう」と勧められたそうです。でも、翌日、船体にサビ色を塗ってしまったと聞きました。息子は「色を塗らないで出したら一生後悔する」と言ったそうです。その後、締め切りに間に合わせるため、夜、自宅で自分のパレットで色合わせをして、翌日このパレットを学校へ持ち込み同色をつくる、こんなことを毎日やっていたそうです。
 息子はいろいろコンクールに出展していますが、この全国アートクラブグランプリが最高峰と思っているようです。

 「この『もやい綱』は、ここの審査員の先生にみてもらうんだ。他のコンクールではだめなんだ」と始終口にしておりました。
 そして完成。梱包・発送を1人でやり遂げた後、息子は生徒会役員に立候補し、なんと当選しました。そうして作品も入賞です。息子の自信がみなぎる様子には、目を見張るものがありました。
 このコンクールがなかったら、このような成長が遂げれなかったかもと考えると、皆さまに感謝してもしきれない気持ちになり、思わずメールした次第です。
 息子は「頑張れば夢は叶う、諦めたらそこで終わる」ということをアートクラブグランプリから学んだのだと思います。
 「今しか描けない絵を描く」
 このコンセプトが胸にささります。本当にありがとうございました。益々の貴コンクールのご発展、祈念しております。

 

※1:昭和の頃は一つの中学校に美術の先生が2名はいたものです。今は一校に一人いるかいないか、あるいは数校掛け持ちで一人という状況になります。専任から非常勤に代わることも多くあります。
※2:展覧会の意味や効果についてはこちらを参照してください。『学び!と美術<Vol.39>児童画コンクールQ&A』 『学び!と美術<Vol.40>「展覧会」は面白い!』
※3:「全国高等学校漫画選手権大会」(主催:高知県、「あったか高知」まんがフェスティバル実行委員会、財団法人自治総合センター)第1回は1992年
※4:「全国高校俳句選手権大会」(主催:社団法人松山青年会議所、NPO法人俳句甲子園実行委員会)第1回は1997年、第8回大会から文部科学省より学びんピックに認定されています。
※5:同時期に生まれたコンクールに愛媛の「書道パフォーマンス甲子園」「スイーツ甲子園」「はんが甲子園」「花の甲子園」などありますがほとんど高校生対象で、中学生だけを対象としたものは聞きません。小学校対象としては京都の「至高の動くおもちゃづくり」トイ・コンテスト グランプリ in KYOTO(主催:京都こどもモノづくり事業推進委員会、京都市図画工作教育研究会、京都理科研究会、京都市教育委員会、第1回は2006年)があります。
※6:ネオ・ジャポニズム、環境問題、災害など審査員の間では毎年作品と時代や社会と作品の関わりについて話題になります。
※7:「教室で生まれた作品」「子どもらしい表現」が前提になるため、例えば中学2年生の美術は年間35時間、完成に20時間かかる作品はちょっと…となるわけです。また、上手だといって選ぶと大人や先生が手を入れた作品ほど入賞することになってしまいます。悩ましい問題です。
※8:2006年時点ですでに23年間続いていました。
※9:貿易都市・商業都市として栄えた中世の堺、堺で生まれた多くのものが、堺の職人・商人によって全国各地に広がっていきました。伝承も含めて堺が発祥の地として、鉄砲、自転車、タバコ、包丁、線香、私鉄-阪堺鉄道、木造洋式燈台、瓶づめの酒、学生相撲、三味線、堺緞通、金魚、水練学校、傘、チベット探検、商業定期 航空、ショベル・スコップ、鳥毛・菱垣廻船、謡曲、機械縫製足袋、堺更紗、医書大全、セルロイド工場、足踏み回転脱穀機、江戸浄瑠璃、隆達節、銀座、大筒、国道第一号、鉛丹、朱座、頼母子講、紙箱などがあります。参照「ものの始まりなんでも堺」
※10:これまでの実績や志の高さが認められて本展では第一回から文部科学大臣賞が出ることになりました。文部科学大臣賞は数年の全国展実績や実施母体の信頼性が求められるので極めて異例です。またこの時期文部科学大臣賞自体を減らす動きもありました。
※11:展覧会では、できるだけ多くの子どもたちに機会を提供する意味で慣習的に行われます。
※12:ある審査員は「毎年、子どもたちに会いたくなる作品展」だと述べています。子どもたちの本気と今が見えるのが楽しいのでしょう。
※13:巡回展まで含めると7000名以上の来場者になります。
※14:筆者のFacebookでは美術教師同士が本展への出品について語り合っています。全国の図画工作・美術の指導主事が集まる場でも本展について話し合う指導主事の姿が見られます。美術教師の全国的なつながりが生まれています。
※15:プライバシー保護の観点から一部校正や簡略化をしています(掲載許諾済)。

【インタビュー】2020東京オリンピックは芸術の祭典?!

 新年おめでとうございます。今年はリオ・オリンピックの年、「オリンピックはスポーツの祭典!」いえいえ、実は芸術の祭典でもあるのです。「芸術競技」がオリンピックで行われていた時代もあります。秩父宮記念スポーツ博物館の新名佐知子学芸員にインタビューしてみました(※1)。

1.スポーツと芸術の融合

著者「オリンピックで『芸術競技』が行われていたのはいつですか。」
新名「1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会までです。建築、彫刻、絵画、文学、音楽の部門において、スポーツを題材とした作品により競い合うコンペティションでした。日本は、1932年ロサンゼルス大会と1936年ベルリン大会の芸術競技に参加しています(※2)。選外でしたが山田耕筰も出品しているんですよ。」
著者「現在も芸術分野で展覧会やコンクールで競い合いますが、オリンピックとはつながりませんよね。」
新名「現代の感覚からするとそうでしょうね。でも、近代オリンピックの祖であるクーベルタンは古代オリンピックの考え方を理想として精神と身体の調和が取れた教育をめざし、『スポーツと芸術の統合』を提唱していたんですよ。」
著者「なるほど、そもそもオリンピック自体が教育なんですね。」
新名「はい。現在のオリンピック憲章においても『スポーツを文化、教育と融合させ生き方の創造を探求する』(※3)と定められています。オリンピック大会では、スポーツが持つ精神性や美を表現し発信することが重要な取組みなんです。」
著者「スポーツと芸術が融合してはじめてオリンピック精神が達成されるというのは、興味深い話ですね。」

2.芸術の祭典としてのオリンピック

著者「1964年の東京オリンピックでは『芸術競技』は行われていませんよね。」
新名「『芸術競技』は1952年ヘルシンキ大会から『芸術展示』となってコンペティションの性格はなくなります。開催国の文化を展示や公演などで発信することになるんですね。1964年の東京オリンピックでは、日本古美術や日本の近代美術、また、能などの伝統芸能などが上野を中心とした美術館、博物館あるいはホールで公開されいているんですよ。」
著者「2020年の東京オリンピック・パラリンピックでも文化プログラムが用意されていますね。」
新名「現在は、自国の文化だけでなく国際的な文化芸術のイベントで各国の文化を紹介することになっています。1992年のバルセロナ大会以降、前回のオリンピック大会終了後から次の大会開催までの4年間で文化芸術に関わるパフォーマンスや展示、舞台公演、伝統的スポーツなどを行うのが慣習です。2020年の文化プログラムは、リオ・オリンピック終了後からスタートというわけです。」
著者「オリンピックは今も芸術を含めた祭典なんですね。」

3.スポーツと芸術文化のこれから

著者「でも、現実はエンブレムや建築のような話ばかり盛り上がっています。」
新名「はい。残念ですがスポーツと芸術文化をつなぐ意識が欠如していると思います。スポーツをイベントで終わらせるのではなく、文化として成立させないといけません。例えば、秩父宮記念スポーツ博物館に1936年ベルリン大会の芸術競技作品が収蔵、展示されていたことも知られていないでしょう。」
著者「初めて来館したときに知りましたが、面白かったです。今は休館中で見ることができませんが。」
新名「私たちも反省しないといけないんです。作品の背景がわかるように解説していなかったし、大きな油絵は展示スペース不足のために収蔵庫で保管したままでした。日本が出品した芸術競技作品の行方も十分確認されていないんです(※4)。海外のスポーツ文化に対する取組みに比べれば、学芸員や研究者も含めた日本の研究体制は不十分です。」
著者「私自身も美術の方向ばかり向いて美術教育を考えていた気がします。もう一度クーベルタンの精神に戻って考えてみたいと思いました。今日はありがとうございました。」

 新名学芸員の話は、日本が海外の受賞作品を日本へ持ち帰るなど戦前からスポーツと芸術文化をつなごうとしていたこと、クーベルタンのスポーツと文化の融合の思想に立ち返ってスポーツ史、美学、社会学などジャンルを超えた教育や研究が必要であることなど興味深い事例ばかりでした。中央教育審議会で教科の本質的な意義が問われている現在、示唆を与えてくれるように思います(※5)。

■1936年ベルリン大会芸術競技 会場風景(※6)

日本会場の展示風景

※1:秩父宮記念スポーツ博物館は、独立行政法人「日本スポーツ振興センター(JSC)」によって運営される日本で唯一の総合スポーツ博物館。スポーツの振興に尽くされ、「スポーツの宮様」として広く国民に親しまれていた秩父宮雍仁親王ゆかりの博物館で、オリンピックと日本のスポーツ史に関する資料、芸術作品、本や雑誌などを収蔵し、展示や展覧会を行っていた。収蔵品の中には1940年の幻の東京オリンピックの招致活動資料や、1964年東京オリンピックのポスター等、1936年のベルリン大会の芸術競技に出品された作品など貴重な資料がある。現在は、国立競技場取り壊しにともなって休館中。
※2:日本の参加について、1932年ロサンゼルス大会は、総出品数、約1100点のうち47点の出品。長永治良「蟲相撲」(版画)が銅メダルの下に設けられた選外佳作を獲得。1936年ベルリン大会は総出品数810点のうち79点の出品。藤田隆治「アイス・ホッケー」、鈴木朱雀「古典的競馬」の絵画2点が銅メダルを獲得、また、長谷川義起「国技(押せば押せ)」(彫刻)、江 文也「台湾舞曲」(音楽)が選外佳作を獲得。
※3:「オリンピズムの根本原則」『オリンピック憲章』国際オリンピック委員会 2014年 p.11
※4:大分県立美術館には1932年ロサンゼルス大会に出品された日名子実三「ラグビー」、秩父宮記念スポーツ博物館には1936年ベルリン大会の畑正吉「スタート」、須坂版画美術館には1936年ベルリン大会の小林朝治「スケート」山口進「鉄槌投」が所蔵されている。
※5:本稿は、栗原祐司(東京国立博物館)新名佐知子(秩父宮記念スポーツ博物館)「東京オリンピックにおける文化プログラムの歴史と展望」全日本博物館学会第41回研究大会口頭発表(2015.6)に基づいている。
※6:ORGANISATIONSKOMITEE FÜR DIE XI. OLYMPIADE BERLIN 1936 E. V. “XITH OLYMPICGAMES BERLIN,1936 OFFICIAL REPORT”,1937,pp.1106-1128

「展覧会」は面白い!

 前回に続き、児童作品の展示について考えます。取り上げるのは「展覧会」です。

「展覧会」って何?

写真1

 「展覧会」と言うと、まるで画廊の個展か美術館の企画展のようですが、児童作品展のことです(※1)。ただしコンクールではありません。東京では、ほぼ全ての小学校が2年に一回、図工や家庭科、書写など全校児童の作品を展示するのですが、これを「展覧会」と呼んでいるのです。時期は11月から12月、週末の二日間程度、学校を開放して体育館などで行われます。子どもたちだけでなく、多くの保護者や地域の方が作品を鑑賞します。
 「展覧会」の中心になるのは、図工専科の先生です(※2)。作品展示や会場設営、ワークショップなど大活躍です。特に会場全体のデザインは腕の見せどころです(写真1、2)。学校や体育館全体が大きな作品などで構成され、そのダイナミックさに子どもの作品展というイメージが覆されます。最近小学校の保護者になった知人も、こう話していました。

写真2

 「『アートの森』という全体のテーマが設定されていて、1年から6年まで体育館いっぱいに作品が展示されていました。高学年児童のガイドによる作品の説明がないと迷うほどです。ナイトミュージアムもやっているし、2日間限定なのがもったいない!」
 なるほど、我が子の作品だけでなく「子どもの表現」を味わい、普通の美術館のようにイベントを楽しんだということでしょう。参観日に作品を教室に展示することとは一味違うようです。保護者、地域全体で子どもの表現や成長を祝うような学校行事かもしれませんね。

「展覧会」は研修会?

写真3

 「展覧会」には、他の学校の図工専科の先生も来場します(※3)。「展示方法の工夫」「材料・用具の使い方」「題材の指導法」「新しい表現」「子どもの可能性」などを学べる絶好の機会だからです。本稿では、指導法という観点から「展覧会」の作品を見ていきましょう。紹介するのは、今年訪問した練馬区立光が丘秋の陽小学校の玉置先生の実践です。
 写真3を見てください。定番題材のボックスアートのように見えます。でも、縦15cm×横20cm×奥行15cmの中に、かなり広い「空間」が感じられます。玉置先生の指導をたどりながら考えてみましょう。

写真4

 まず、先生は子ども達に「自分の美術館を作ろう」と提案します。そして、まず「美術館の中」にいる自分の写真を撮ります(※4)。次に木箱をつくります。普通の四角い枠ですが、子どもは、箱の中の自分を想像しながら組み立てます。必要があれば天井や壁に穴を開けて光を取り入れます。箱が出来たら、その中の「空間」を形や色、材料などを工夫して表していくことになります。
 指導の流れを踏まえた上で、写真4を見てみましょう。作品は青一色です。柱が2本、壁を横切る形で収められています。上方に光窓があります。そこから複数の光がスポットライトのように空間を照らしています(※5)。作者は後ろ姿です。まるで空間全体を味わっているように見えます。おそらく写真の位置から、天井を見上げたり、壁を見つめたりしながらつくったのでしょう。高学年らしく吟味を繰り返し、あえてシンプルにした結果が、この作品だと思います(※6)。

写真5


写真6

 一方、写真5は、これでもかとばかりに幾重にも材料が重なり合い、上下が混沌としている作品です。一般に高学年になると、中学年の「作品の中で冒険や想像を繰り返す様子」が影を潜めます。メタ認知が発達して、作品を客観的に見つめながらつくる傾向が強くなるからです。でも、この子は、冒険心を取り戻したかのように、実験的な気持ちでつくったようです。
 写真4と写真5に共通するのは、「作品に入り込んで考える」というプロセスです。それは「私の美術館をつくる」という提案と「自分の写真を中に置く」というさりげない手立てによるものでしょう。それによって作品は複数の視点から検討され、立体性や多層的な空間を生み出したようです(写真6)(※7) 。指導の工夫によって、より子どもの資質や能力が発揮されたといえるのではないでしょうか。
 「どれだけ子どもが力を発揮したのか」の結晶が「作品」です。そのために材料や用具を工夫し、展開にそって学習のステージを組み込んだまとまりが「題材」です。「展覧会」では、題材ごとに数十点の子どもの作品が展示されています。そのため題材に対する子どものアプローチや先生の指導法がよく分かるのです。「作品」と「題材」の両方を学べる貴重な研修の場が「展覧会」かもしれませんね。

 

※1:全国的には「校内展」「学校展」「子ども展」などと呼ばれています。
※2:東京都の場合、図画工作は専科の先生が行うことが多いのです。平成25年東京都公立学校統計調査報告書によると1145名、これは全国の図工専科の70%以上を占める数字です。
※3:有名な先生の「展覧会」には多くの先生が集まります。筆者も毎年複数の「展覧会」を訪問し、最先端の題材や図工教育の動向を学んでいます。
※4:よくある不自然なポーズや直接関連のない自分の写真ではなく、壁を指差したり、じっくり見ていたりしている落ち着いたポーズが多かったです。
※5:体育館天井の光量の強いライトが差し込んでいるためです。
※6:一般に、ボックスアートで、このようなシンプルな作品は見られません。
※7:ボックスアートでは箱に材料を詰め込んだだけの平面的な作品が多く、複数の視点を感じさせるものや、多層的なものが少ないように感じます。自分と作品が対峙し、一つの視点だけから検討するからではないでしょうか。

児童画コンクールQ&A

 秋は児童画のコンクールが行われるシーズンです(※1)。読者の中には審査や出品に携わる人や児童画の審査に興味のある人がいると思います。今回は児童画コンクールについてQ&A形式で考えてみます。

Q1:児童画のコンクールって必要ですか?

 コンクールという制度自体は、すでに100年以上前から批判されています。「概念を生成、固定化するのがコンクールだ」というわけです(※2)。教育界でも「一人一人描いたその子らしい作品に賞を与えること」の是非について論争がありました。また、なぜ四つ切画用紙なのか、なぜ学年別なのかなどの意見もあります。
 これらを踏まえた上で、筆者は児童画コンクールが必要だと考えています。それは子どもをよりよく育てようとする社会的な仕組みだからです。まず児童画コンクールには、子どもだけでなく親や先生など、その応募作品数の数倍の人々が関わっています(※3)。さらには展覧会を主催する会社や官公庁など、様々な組織が連携しています。この仕組みは「子どもの育ちを可視化する場」であり、「大きな学校」と呼べるでしょう。児童画コンクールがなくなったら、それらが全て消えるわけですから、教育的な損失だと思うのです。海外ではあまり行われていないので、公教育の水準が全国的に保障されている日本のよさかもしれません(※4)。

Q2:児童画コンクールの現状は?

 大きく見れば縮小傾向にあります(※5)。「児童数の減少」「学校の多忙化」「図画工作・美術の時間の減少」「費用対効果による予算削減」など複数の原因が考えられます。一方で、60年以上続けている地域のスケッチ展(※6)や、10年以上かけて数千点から20万点まで出品者を増やしたコンクールもあります(※7)。新聞社や地域のスーパーを中心に活動を続け、50万点以上の出品数を誇る展覧会(※8)もあります(※9)。共通するのは、児童画を通して地域の社会関係の維持、発展に貢献している点です。コンクールは単純に子どもの育成の場だけではないのです。先生にとっては、児童画コンクールは大事な教員研修の場です。審査しながら子どもの発達について考え、指導法の妥当性を検討します。そこでは都道府県や市町村の教育研究会や造形教育研究会のような教育団体が重要な役割を果たしています(※10)。

Q3:何人くらいで審査するのですか?

 出展数が多い場合は一次審査、二次審査などが行われますが、最終審査では概ね4、5人の審査員が話し合いながら、半日から一日かけて審査を繰り返します(※11)。複数による審査は「偏った見方にならない」「一人の価値判断に流れない」という点で安心です。他の審査員の推薦理由を聞いて、気づかなかった子どものよさを発見することがよくあります。
 審査員は、教育関係者だけの場合もありますし、アーティストや会社役員など教育関係者以外が含まれることもあります。教育関係者はQ4をおさえてくれますが、教育関係者以外は新鮮な視点や感じ方を示してくれます。筆者も漫画家や宇宙飛行士の方などと一緒に審査していますが、その新鮮な見方、子どもを見抜く目、社会的な批判精神などに多くを学んでいます。

Q4:審査にポイントはありますか?

 欠かせないのは子どもの発達です。「クレヨンがしっかり持てるのは何歳か」「スクリブルの後に、丸を描き始めるのは何歳ごろか」「男女にはどのような違いがあるのか」「絵の具を使いこなすのは何年生か」「写実的に描写したい欲求が生まれるのはいつか」などです。発達を考慮に入れることによって、単純に上手な絵ばかり選ぶことを防ぎます。「どの子どもにも受賞のチャンスを開く」ことが保障されると言い換えてもよいでしょう(※12)。
 また、指導方法も大切なポイントです(※13)。教育系の審査員は「図画工作や美術の指導技術」「教科書に掲載されている作品」「現行学習指導要領のねらい」「新しい教育課程の改訂の方向性」などを知っています。そこから「子どもに描かせた先生の作品」と「主体的に子供が描いた作品」を見分けることができます(※14)。「教育的に妥当な作品」は児童画コンクールでは大事な要素でしょう(※15)。他には「児童画成立の歴史」「昭和と平成の児童の描画の変化」などの歴史的な観点、「海外の児童画」「地域固有の表現」「学校と塾」など地域や場所の観点も大切です(※16)。

図1 結晶を描いている

図2 粉雪、風の向きも分かる

図3 東京四谷の大雪、雪が玉になっているのが分かる

図1、2は北海道の雪の絵、図3は東京の雪の絵。北海道では氷点下なので固まり合わず結晶のまま降る。そのため子どもはよく粉雪や星形のように描く。ノルウェーなどの北欧でも雪を星のように描くケースが見られる(※17)。

Q5:どのように審査するのですか?

 審査員の多くは単純な上手下手では選びません(※18)。絵から、そこに表れているその子の能力を見ようとします。部分と全体、クレヨンの重なり、筆のタッチなどまで詳細に見ながら、「こんなことを感じたんだな」「ここに工夫があるな」など絵の作者になりきって考えます。いわゆる「絵から子どもの声を聞く」のです。
 もちろん絵からは先生の声も聞こえてきます。「はい、ここは大きく描きましょう」「近い部分と遠い部分をかき分けようね」などですが、それはそれで必要なことです。「学校に来ましょう」「絵を描きましょう」というのは大人の決めたことですし、何もかも「自由な絵」がよいというわけではありません(※19)。大事なのはバランスです。「子どもの声:先生の声」が「8:2」くらいでしょうか?
 そうやって、子供の声と大人の声を聞き分けながら、子どもの発想や構想、創造的な技能などを評価していくということになります。ただし、絵から何もかも分かるわけではありません。分かるといってもせいぜい1割程度でしょう。いくら経験を積んでも子どもに届かないことは多く、そのことに謙虚になることは大切なポイントです。

 

※1:一口に児童画コンクールといっても、一日だけで行われたり、一年かけて実施したり、その目的や内容も考えればその在り方は様々です。ここではある程度作品数を集めて審査する展覧会を取り上げました。
※2:例えば「児童画らしさ」、あるいは「美術とは」「名品とは」(学び!と美術Vol.33参照)。
※3:10万~50万点規模の展覧会だと50万~200万人くらいが関わっていることになります。
※4:国際的な児童画展の場合、海外からの出品はほとんど画塾で、学校単位は少ない。
※5:数万点規模の全国コンクールが近年、中止や縮小をしています。
※6:第64回所沢市子ども写生大会(2015)。所沢市内在住・在学の幼児・小学生・中学生と高校生・保護者を対象にした写生大会が西武園ゆうえんちで開催されています。
※7:第14回ドコモ未来ミュージアム(2015)。第一回は数千で始まりましたが、2014年に20万点を超えています。
※8:CGC 第34回全国児童画コンクール(2015)。CGCグループは全国のスーパーマーケットで構成する日本最大のコーペラティブチェーンです。地域のスーパーが作品を集めたり、展示したりするなど、地域の教育の場として活動している様子が報告されています。
※9:児童画ではありませんが「ゆうちょアイデア貯金箱コンクール」は毎年80万点以上の作品が出展されています。郵政省時代の貯金箱コンクールでは200万を超え、郵便局員さんが学校と家庭、地域を結んで作品の集荷や返却をしていたそうです。
※10:県単位の児童画コンクールを廃止したことで、造形教育研究会自体が弱体化した例が散見されます。
※11:最終審査では数百点程度にしぼられていることが多いようです。大規模な展覧会だと一次審査から関わる審査員数は数十人になります。
※12:発達が分かると「子どもの描いた線か、それとも大人か」も分かります。中学生になるとそれも難しくなりますが、幼児から小学生では大事です。
※13:文部科学大臣賞など特に教育課程との整合性が問われる場合は、文部科学省の教科調査官が最終的な判断を行うことが多くあります。
※14:題材、構図、塗り方等、最初から最後まで全て先生の指示通りに描かれている絵のことです(学び!と美術Vol.27参照)。教育関係者でも気づかないことがあるので、審査に図画工作や美術教育の関係者が入るのは大事でしょう。
※15:純粋に絵画的な水準を追求する展覧会もあります。「第9回アートクラブグランプリ in SAKAI」(2015)は、堺市が主催する全国中学校美術部の作品コンクールです。美術部の生徒が何十時間もかけた作品を出品し競い合う、まるで美術部の甲子園です。
※16:多様な視点で審査ができますし、Q1で述べた「児童画らしさ」がどのような歴史で構成されたかという問題にも自覚的になれます(学び!と美術Vol.7参照)。
※17:奥村高明『子どもの絵の見方』2010 東洋館出版
※18:幼児の絵に「この絵は絵画的に面白い」「斬新な構図だ」「色が新鮮だ」と大人の価値観を押し付ける審査員もいます。メタ認知しながら、絵画的な面白さや、構図の斬新さを考えて描く幼児が絶対にいないとは思いませんが……。
※19:まったく指導が入らないと「荒れた絵」になります。ほどよい支援や指導は大切です。

【対談】図画工作・美術は「第4の学力」?

今回は、美術教育に厳しい見方をしている友人、NPO法人アートリンク 宮島さおり氏(※1)と著者の対談です。

1.第4の学力?

著者「図画工作・美術は『第4の学力』だと思うんだよね。」
宮島「それどういう意味?」
著者「学校教育法上では、『学力』を構成する三つの要素として①知識・技能、②思考力、表現力等③主体的な学習態度と示しているでしょう?」
宮島「うん、あれ学力論争を終わらせちゃったんでしょ?」
著者「そう、当時、百家争鳴の現場にいたからね。それが終結していく様子はダイナミックだったよ(※2)。でも、それ以上に教育課程上とても意味があることなんだ。すべての教科がここに帰結することが明確になったからね。もう自分たちの教科だけが大事という姿勢はとれなくなったわけ。」
宮島「各教科バラバラに学力を語っていたわけね。図画工作・美術の人で言えば、『美術は特別だ』みたいな雰囲気あるよね。難解さを有り難がるというか『分かってたまるか』みたいな。」
著者「まあ、それは失礼でしょう(笑)。それに、その主張は大事だと思うんだよね。それが『第4の学力』という部分にも関わるんだけど。」
宮島「よくわかんないな。第一、あなた自身が『図画工作・美術で学力が上がる』って言ってきた人じゃない。」
著者「うん。普通の人々が思っている以上に、図画工作・美術は論理的で高度な思考活動だと言いたかったわけ。<vol.04><vol.05>あたりかな。だって、子どもをじっと見ているとすごいことやっているわけじゃない。それを代弁したかったんだ。最近<vol.28>も書いたけど、『子どもをなめんなよ』みたいな……(笑)。」
宮島「でも、最近は学力に貢献しているっていう美術関係の本も出るようになったし、役割は終わったんじゃない?」
著者「そうであれば、うれしいんだけど……。学力や教育課程で語りきれないものがあるという姿勢は持っていないとね。それはプライドみたいなもので、無くなると大事にしてきたことも一緒になくなっちゃう。」
宮島「それが『第4の学力』なの?」

2.教科こそが育てる力

著者「う~ん……、子どもたちが実践しているプロセスを見れば、表現も鑑賞も、見事に現代的な学力向上に寄与している、それは多くの人が言うようになってきたと思うんだ。でも、図画工作・美術はそれだけじゃない。中教審の『論点整理』も、『この力はこの教科等においてこそ身につくのだといった、各教科等を学ぶ本質的な意義を捉え直していく』という言い方をしているよね。いわば教科固有の学力で、それは三つの学力や教育課程に内包されるのだろうけど、そこを超える性質はあると思うんだよ、どの教科もね。そこを見失ったら教科の意味はないかなと。」
宮島「どの教科もね。数学も国語も。」
著者「うん、これからは、そこを見つけていく作業が大切になってくると思うよ。子どもたちを見れば、『唯一の正答』がない多様な状況の中で、自分らしい作品や美術作品の意味や価値をつくりだす。同時に、かけがえのない自分や他者、環境、世界などをつくりだしている。『生きるをつくる』っていうか……、それは実感としてあるんだけど。それを教育に使える言葉にしようとしたときに……、何という言葉がいいのかなあ。」
宮島「ほら、また難しいことを言う。」
著者「う~ん、もう少し説明してみるか。」

3.創造性?

著者「ちょっと喩えがよくないけど、知識も思考力もある銀行員が、どこかの会社や旅館を再建するために派遣されても、成功する人と、そうでない人が出るわけでしょう?逆に、有名大学でなくとも、次々と問題を解決して地域起こしに成功する人は現実的にいるわけじゃない。」
宮島「まあね。」
著者「文字通り①知識・技能②思考力・判断力・表現力等③主体的な学習態度の3つを高度に身につけた人だけが社会で成功するわけではないよね。結局成功する人って、何か違う力を持っているわけでしょう。」
宮島「それって運とか人脈とかじゃないの?」
著者「また、身もふたもないことを……(苦笑)。あえて言えば、ものごとを再構築したり、新たな価値を生み出したりする『創造性』!」
宮島「出た、『創造性』。その言葉、もう美術のオリジナリティじゃないし。」
著者「うん、最近は成功したビジネスマンも『創造性を磨かないとダメだ』って言うんだよ。法的にも平成18年改正の教育基本法前文に『創造性を備えた人間性』って使われているし、今回の中教審の論点整理でも、図画工作・美術で言っていた『新たな価値を見つけ出す』とか書かれている。でも全部、図画工作・美術で使っていた言葉なんだよ。」
宮島「それ、我田引水すぎる。」
著者「ごめん、ごめん(笑)。」

4.直観力、感性、責任感…?

著者「じゃあ『知識技能や思考・判断・表現を統合的に動かし、自己を取り巻く世界の部分と全体を関係的に把握し、直観的に自分の進むべき方向を見つける能力』ってどう?」
宮島「ますます分かんない。」
著者「知的な駆動力というか、瞬時の直観力っていうか……。直観ってさ、山勘じゃなくって、自分の論理性を一瞬で統合して判断する力だと思うんだよね。」
宮島「まあ、それで命を救ったとかね、危機を脱したとか。」
著者「後から考えれば聡明な判断だったということなんだけど。でも、それは脳の高度な働きじゃないかなと。」
宮島「脳ねえ……、怪しい匂いがする。」
著者「うん、脳は分からないことの方が多すぎる。でも、環境との相互行為で変化する唯一の臓器であることは間違いないよね。」
宮島「確かに、胃腸が『本を読んだら次の日変化しちゃった』ってことはない(笑)。」
著者「アルツハイマー病に対して美術鑑賞が有効という実践もあるんだよ。環境との相互行為で成立している脳を覚醒するのが図画工作・美術というか……、知識や技能、思考力に、全身の感覚まで統合的に働かせる力というか、環境と脳をつなぎ合わせて一気に働かせる力!」
宮島「それ何も言っていないのと同じじゃない。」
著者「そうだね(笑)。脳科学者の小泉英明先生は『問題を発見して解決する力を身につけるために芸術は欠かせない。だから、海外の研究所の中心には音楽や美術を鑑賞できる施設が配置されていることが多い』と言ってるね(※3)。芸術的な感性は科学には欠かせないらしい。」
宮島「今度は『感性』と来たか~。」
著者「友人の社長はね『美術できる人は安心できる。彼らは自分の水準を下げない。最後まで仕事をやり遂げる』って言うよ。つくり遂げる責任感ってのは育つかも。」
宮島「なんでもありってわけね。」
著者「相変わらず厳しいなあ(笑)。」

5.結論は…これから?

宮島「だって『創造性』とか『感性』とか、言う割にはっきり答えてないじゃない(※4)。」
著者「反省します……。エビデンスが弱いよね。『語り』だけですませてしまっている。明確な評価手法を開発して、データに基づいた分析を行い、能力の相関や成長の構造を明らかにする必要があるだろうな。」
宮島「結局、説得力がないから美術教育の時間数が減った事に対して世論の手助けがないのよ。鑑賞もずいぶん流行っているけど、なんか内側に向かっている感じ。」
著者「そこも問題かな。今、求められているのは単なる教科の充実ではないからね。内側を突き抜けるというか、外側を向いて新しい現場を探すというか……、他教科や学校外も含めてね、そういう挑戦的な実践が必要なんだろうね。もちろん、教科や教育課程を一度脇に置いて、子どもにとっての意味から考える態度は欠かせない。」
宮島「それで結論は?」
著者「それら全ての実践を通して『第4の学力』は見つかるかなと。」
宮島「はいはい、結局、今回の「学び!と美術」は結論なしってことね。」
著者「残念ながら……、結論は、これからだ!(笑)」

 
◆本稿は電子メールのやり取りを対談風にまとめたものです。
 

※1:アートリンクFacebookアートリンクホームページ
※2:平成15年頃、国際的な学力調査結果が軒並みダウンして、学力論争が起きた。
※3:文部科学省「中等教育資料10月号」2006
※4:解説書では教育の道具として使えるように『感性』を限定的に定義している。

「できた!」さぁ、何と言いますか?

 子どもが「できた!」と絵を持ってきた時に困りませんか?「え…何これ!」「分からんし…とりあえず褒めとこう」「○○ちゃん、上手~!」「ん…(適当やな…)」みたいな(苦笑)。
 今回は、子どもが自分の絵を持ってきた時の話し方について考えてみましょう。

1.「できたね!」

 最も大切なのは、最初の一言です。「できた!」と絵を持ってきたとき、子どもは「自分の絵」を見ていません。相手の表情や目を見つめています。だから、子どもの目を見返して「できたね~!」と言いましょう。それによって子どもの「できた」が認められます。「できた喜び」がお互いに共有できます。それが、真っ先にやることだろうと思います。作品を見るのはその次の話です。

2.いきなり褒めない

撮影:西尾隆一

 すぐに褒めてはいけません。「上手~」「素敵~」のような褒め言葉には、いくつか問題があります(※1)。
 まず「上手」「素敵」などは「全体的な評価」です。どこが上手で、どこが素敵なのか、分かりません。具体性を欠くのです。「でも、絵を見たときに本当に素敵だと思ったんです…」ええ、それは素直な感情でしょう。でも、そう思うより前に「特定の色合い」や「何かの形」に惹かれたはずです。その次に「素敵」だと思ったはずです。自分が惹かれた場所、気になった部分の方が伝えるべきことです(※2)。
 効果という点でも疑問です。例えば「上手ですね!」と言われたら普通は戸惑います。なぜなら、それは絵の評価というよりも人格の評価だからです。それに、ピアノでも絵でも、だいたい上手と言われる人ほど、自分より上手な人が世の中にたくさんいることを知っています。「上手ですね!」「いやあ、そんなことは…」と困るのがオチです。小学校4年生あたりから「上手~」は通用しなくなります。
 また、褒め言葉は「上から目線」になりがちです。「馬にニンジン効果」のようなえげつない要素もあります。時には叱るよりも強力な指導になります(※3)。また、「おしまい」「打ち止め」というメッセージにもなるので、元気な子は「上手!」と言われたとたんに運動場に飛び出していくでしょう(※4)。
 ともかく、いきなり褒めることは控えるのが賢明です。湧き上がってくる褒め言葉を我慢して、「どれどれ」「なになに、よく見せて」と落ち着いて入りましょう。

3.「言う」よりも「聞く」

 まず、子どもに尋ねましょう。絵のどこかを指さして「ここは?」「これは?」で十分です(※5)。後は「成り行き」です。えっ…「それでいいの?」
 「いいんです!」
 なぜなら、「聞く」ことは「あなたのやったことに興味がある」というメッセージになるからです。次に、返ってきた答えに「へぇー」「ふーん」と頷けば、それは「あなたのやったことを私は理解した」ことになります。さらに子どもの発言を「繰り返し」たり、「なるほどね」と言ったりすれば、「あなたのやったことを認めた」という意味になるのです。
 子どもと作品は一体です(※6)。子どもの絵には、その子の思いや工夫がつまっています。大人の評価は脇に置いて、その子が何を感じ、何を考えているかをとらえましょう(※7)。それは、かけがえのない「その子らしさ」を確かめる大事な行為です。第一「聞く」だけでいいので、とっても楽です(笑)(※8)。

4.展開する

 とはいえ、単純に聞くだけでは先に進みません。話を展開するテクニックが必要です。
 「それで?」は、誘い水や「もっと話を聞きたいな」というメッセージです。無理のない程度に「突っ込む」ことで、子どもの思いが引き出されたり、工夫が分かったりします。
 「どこ?」は、子どもの言葉を、目の前の絵に根拠づけていく言葉です。国語の授業でも多用します。発言を文章や絵に戻すことで、子どもの工夫と、それによって生まれた効果をはっきりさせることができます。
 「具体化する」。子どもの語彙は限られています。そこで、「こういうことかな?」「○○で、○○なんだね」と大人が補ったり代弁したりします。「その子の事実」が明確になるでしょう。
 「事実と意見を分ける」。子どもは闇雲に絵を描きません。どの部分にも「その子がそうした理由」があります(※9)。でも子どもは事実と意見を混ぜて発言します。そこで「こう思ったから(意見)、こうしたんだ(事実)」のように、事実と意見を解きほぐすように進めます。
 「組み立てる」。「ここを塗って、こうなったので、こう感じたんだね」のように子どもの発言を、目の前の絵にそって、順序良く組み立て直しましょう。そうすることによって絵の論理性がお互いに整理できます。
 「伝える」。そのうちに、だんだんと、子どもの絵が分かってきます。「そうか、そういう理由でこう描いたのか」「これにはそんな工夫があったのか」。そのとき、うれしいような、驚いたような感情が湧いてきます。すかさず、その気持ちを素直に伝えましょう(※10)。「すごいなあ」「素敵だなあ」。あれ?「褒めるな」って言っていたのに……。
 「大丈夫です!」
 この段階で出てくる言葉は自然です。自分の気持ちがこもっているので説得力があります。何よりあなたはいつの間にか笑顔になっています。

5.楽しむ

 「できた」を共有し、「ここは?」と尋ね、自分の気持ちを素直に伝える。それが、子どもが自分の絵を持ってきた時の話し方です。それは本当に楽しい行為です。絵を描いた本人より、絵を見ている大人の方が楽しいかもしれません。子どもが「できた!」と持ってきた時、それは至福の時を味わうチャンスです。ぜひチャレンジしてみてください(※11)。

 

※1:ある先生が「小学校の先生は反射的にほめてしまう癖がある」と言っていました。
※2:人は、自分に生じた考えや気持ちをそのまま伝えることが上手くありません。例えば夜遅く帰ってきた子どもをつい叱ってしまいますが、それは二次的な感情で、一次的には「よかった、無事に帰ってきた」です。これを真っ先に伝えるだけで、その後の展開は変わってきます。
※3:学び!と美術Vol.12「ほめて育てる?」参照
※4:褒めたり、叱ったりすることが成績の向上(あるいは低下)につながったというのは錯覚にすぎないという研究もあるようです。
※5:子どもの思いや工夫は部分に宿るものです。どこか絵の部分を指さすだけで「そこはね…」とうれしそうに話してくれます(詳しくは、学び!と美術Vol.36「子どもの絵の見方」参照)。
※6:学び!と美術Vol.25「子どもの見方」参照
※7:学び!と美術Vol.06「『その子らしさ』の図画工作・美術」参照
※8:大人は児童画という「まなざし」を持っています。四つ切、クレヨン、絵具、定番の画材や紙、参観日などに展示されるという制度、私たちは児童画という枠組みから子どもの絵を見ているのです。「聞く」ことは、私たちの「まなざし」を、その子の実践にそって、問い直す行為です。
※9:学び!と美術Vol.36「子どもの絵の見方」参照
※10:以前、ピアニストに「褒められるより、『いい気持になった』『楽しかった』と自分の素直な気持ちを伝えてもらえた方がうれしくないですか?」と言ったことがあります。すると「確かにそうだけど、それ以上にうれしい言葉がある」と教えてくれました。それは「もっと聞きたい」だそうです。なるほど、だからプロでもアンコールの拍手がうれしいんですね。絵で言えば「もっと見たいな」「ほしいな、この絵」「飾りたいな」でしょうか。それは最高の褒め言葉、殺し文句でしょう。
※11:でも、毎回や始終は無理です。忙しければ「できたね!」だけでいいと思います。部分的でも十分でしょう。

子どもの絵の見方

 最も多く研修会で依頼されるのがこの演題です。現場の先生にとっては、古くて新しい、でも切実な課題なのでしょう(※1)。私は、誰でもできるように、3つのステップにまとめて説明しています。

1.近づく

 子どもの描いている距離まで近づいて、絵の「部分」を見ます。遠くからだけ見ていると「花かなぁ」「ビルかな」という全体的な主題、つまり「何を表したか」に意識が向きがちです(写真1)。でも近づくと、その子の「行為」に近づくことができます。左の筒の穴にはヘラの後が見えます(写真2)。右には丸く平たくした粘土を指先で器用に曲げた形があります(写真3)。すると、この子が「慎重に道具や指を使いながら丁寧につくっていること」が伝わってきます。

写真1

写真2

写真3

2.たどる

写真4

 子どもが描いた順番をたどってプロセスを再現します。ペンやクレヨンの重なり、画面の隙間などから結構分かります(※2)。人差し指でたどりながら、描いた順番を再現すると、その時、子どもが何を感じ考えたのか伝わってきます。この絵は、家族が砂場で遊んだ絵です(写真4)。誰がお母さんか分かりますか?。そうです。真ん中です。この顔だけ口が二重になっています。口紅です。真ん中が「大好きなお母さん」、左下の「おめめぱっちり」がかわいい私。右下が「やんちゃな弟」、右上が「お父さん」…うーん、お父さん、存在が薄い…。

3.考える

写真5

 近づいて、たどって、そこで分かったことをまとめます。この段階で題名なども参考にしましょう。この時「事実」と「解釈」を分けることが大切です。写真5で言えば、「真ん中の人物の青い線だけ、他の線よりもゆっくり描かれている」のが「事実」、「ずっと泣いていて顎や胸元まで涙で濡れたのだろう」が「解釈」です。「お泊り保育でお化け屋敷したよ、私は泣かなかったけど、友達はずっと泣いていたよ」という絵です。確かに泣かなかった右上の「私」と「友達」を丁寧に描いています。「ん?じゃあ左上は誰」「あ、男子、いた」。うーん、男子、そんな存在でしかないのか…。

 簡単な3ステップですが、いつの間にか、絵から子どもの声が聞こえてくるような気持ちになります。子どもが何を感じ、何を考えて描いたかが伝わってきます。そして、目の前の絵が、最初見た時とは全く別物に見えてきます。「なんでもない絵」が「かけがえのない絵」になるのです。ぜひ、身近なところで試してください。

 

※1:詳しくは奥村高明「子どもの絵の見方~子どもの世界を鑑賞するまなざし~」(東洋館出版2010)
※2:学び!と美術Vol.1020に具体例があります。
※画像引用元:奥村高明「子どもの絵の見方~子どもの世界を鑑賞するまなざし~」(東洋館出版2010)
 写真1~3:P64、写真4:P40、写真5:P36