ESDと気候変動教育 その1

 自然環境のみならず、人間の社会や経済をも包括するESDは、その守備範囲の広さの裏返しとして曖昧性が指摘されてきました。「国連ESDの10年」(2005-2014年)では、筆者もメンバーであったユネスコ本部内での国際事業の専門家会議でもこの問題が議論され、先行型の国際事業である「万人のための教育」EFA(Education For All)事業の「先輩」から具体的な領域にフォーカスを当てる戦略が必要であるとの助言を受ける場面もありました。その結果、地球規模課題の中でも深刻度を増している「気候変動」「生物多様性」「防災(災害リスク削減)」がESDの具体的な重点領域、つまり「ESDへと誘う扉」として位置づけられるに至ったのです。
 以上は上記の「10年」の後半に差し掛かった頃の話。その後、これらに加え、「10年」の最終年に採択された「あいち・なごや宣言」では「持続可能な消費と生産」及び「子どもの権利」も加えられました。さらに、ESD for 2030(「学び!とESD」Vol. 7 8 9 参照)では、SDGsのすべての領域を担う教育としてESDは位置づけられ、その領域は再び拡大する傾向にあるという見方もできるでしょう。
 今回取り上げるトピックは、「国連ESDの10年」で一貫してその重要性が強調されてきた気候変動に関する教育です。気候変動は常にESD傘下のトピックの「1丁目1番地」だったと言えます。その背景には上記の「10年」の時分から温暖化に関して不可逆的な事態になりかねない現状が続いており、それは特に近年深刻化しているという危機意識の高まりが指摘できます。新型コロナウイルス感染拡大のために昨年延期されたCOP26も今年は開催予定であり、気候変動教育はこれまでにも増してその重要性が指摘されるようになりました。
 そこで、今号以降、ESDならではの気候変動教育について幾度かにわたり取り上げます。第1弾として、いかにして学校全体で気候変動教育を実践するのかについて述べます。
 従来、学校で行われる気候変動教育は、理科や地理で温暖化について扱うものが主でした。ところが、ESDの影響のもとで構築されてきた気候変動教育は「ホールスクール・アプローチ」と呼ばれる手法をとります(図1)。
 次の図を見てわかるように、ユネスコは、「教授と学習」のみならず、「学校ガバナンス」「地域連携」「施設と運営」の各領域を学校全体で取り組み、その基盤として「持続可能性の学校文化」を浸透させる手法を提唱しているのです。

図1 気候変動に向けたホールスクール・アプローチ
出典)UNESCO (2016) Getting Climate-Ready: A Guide for Schools on Climate Action. p. 3.

ホールスクール・アプローチを経験した学校には次のような効用が見られると報告されています。

  • 生徒と職員は学校へのより強い帰属意識を持つようになる。
  • 生徒が意味を見出し、実感を持てるような学習機会が増える。
  • 専門的で新たな学びの機会を教師が持つようになる。
  • 学校生活における地球への負荷が目覚ましいほどに減る。
  • 効果的に資源を活用することで資金を節約できる。
  • 学校のキャンパスが緑化され、綺麗になる。
  • 教材や専門知、財政的な支援へのアクセスを得られるようになる。

 気候変動という地球規模課題を学校全体で取り組むことにより、気候変動のみならず学校活動全般への好影響が見られるというのです。そこでは、学校を構成するメンバーの誰もが演じる役割を持ち、各自の持ち場で同じ課題の解決に向けて行動することが求められています。実際には、表1に示すような役割がそれぞれに期待されています。

表1 気候アクション ― 学校の誰もが役割を担う

学校コミュニティ
のメンバー

役割の例

生徒

  • クラスやクラブで気候アクション活動を計画しリードする
  • 学校がサスティナブルになったかどうかの進捗を図るための評価を実施する(ゴミやエネルギーの査定)
  • 気候アクションに参加することを学び始めたばかりの年少児のメンターに年長児がなる

教師

  • 気候変動の知識を得る手助けとなる授業を行い、アクションの様々な可能性を探求し、解決に向けた行動を起こす
  • 学校コミュニティのメンバー全員に気候変動に関連した学校主導の活動に参加するように促す
  • 使っていない電気を消すなどの行動を褒めることを通して気候に優しい暮らし方への期待をより高めていく

校長
及び管理職

  • 気候アクションに向けた学校のビジョンや価値観を讃える
  • 教職員が効果的な気候アクションのプロジェクトをリードするのに必要な資源や専門性の向上、時間の確保などの機会を提供することにより支援する
  • 新たに教職員を雇用する際、気候アクションに関した知識や経験、価値観を持っていることを考慮する

用務員
及び建物管理人

  • 学校のエコロジカル・フットプリント(*)を減らすために校舎の運用に関して提案をする
  • 校内の庭の手入れやゴミの適切な分別を生徒ができるように教える
  • 学校の冷暖房や電気関連システムを節電型に変える

カフェテリア職員

  • 地域の食材で作られた健康に良いスナックや食事を用意する
  • キッチンから出るゴミを堆肥にできるものとそうでないものとに分別する
  • 校内庭園で育てて校内カフェテリアで使用できるような植物は何かについて提案する

事務職員

  • 両面コピーや必要な時だけの使用など、より持続可能な事務室での実践を採用する
  • 気候アクションに関して学校が達成したことや学んだことついてのメッセージを広める手助けをする
  • 訪問客に挨拶をする際、気候アクションに関する学校の価値観を示すようにする

家族

  • 節水や家庭菜園など、気候に優しい家庭内実践を採用する
  • 学校主導の気候アクション・キャンペーンにボランティアとして参加する
  • 学校の気候アクション・プロジェクトを支援するための募金や必要な物の収集をする

地域社会の人々
及び団体

  • 学校が取り組めるような、地域の持続可能な開発に関する課題を明らかにする
  • 気候変動に関する技術的な専門性や取り組み方を共有する
  • 気候変動に関して実際の世の中の文脈を提供するフィールド学習に来る生徒を受け入れる

出典)‘Involving the Whole School Community in Climate Action’. UNESCO(2016, p.7) 訳: 筆者.

 皆さんの学校でも、上記の項目の中で取り組みやすいアクションに着手してみてはいかがでしょうか。また、学校以外の組織でも参考になる項目は少なくないはずです。
 繰り返しになりますが、地球温暖化について理科や地理などの教科を通して教えてきたのが伝統的なスタイルですが、ESDの影響のもとでの気候変動教育はライフスタイル全般の変容へと大きく変わりました。気候危機と呼ばれる現代において気候変動教育に求められるのは、教室で教わる知識や技能を足元で実践することです。誰もができることから楽しみながら持続的に取り組み、ひいては学校のライフスタイルそのものを変容させていく ―― そんな実践が世界中で求められているのです。

*エコロジカル・フットプリント
私たちが消費する資源を生産したり、社会経済活動から発生するCO2を吸収したりするのに必要な生態系サービスの需要量を地球の面積で表した指標(『平成30年版 環境・循環型社会・生物多様性白書』より)

【引用・参考文献】

  • 『気候変動と教育に関する学際的研究:適応と緩和のためのESD教材開発と教員研修』(平成27-29年度科研費(挑戦的萌芽研究)研究課題 No.15K13239 研究代表者:永田佳之)2018年.(本稿の一部はこの報告書の記述に基づいています)
  • UNESCO (2016) Getting Climate-Ready: A Guide for Schools on Climate Action.
  • 永田佳之編著『気候変動の時代を生きる:持続可能な未来へ導く教育フロンティア』山川出版社

ESDを支える原則とは 「ハーモニーの教育」から学ぶ(その2)

これからのESDにとって重要な〈原則〉

 前号では、ESD for 2030の文脈で「原則」が重要視されていることを述べました。原則とは、ものごとを進めるに際して前提とされるべきルール、もしくはいざという時に立ち戻れる根本です。ポスト・コロナ時代の教育像がなかなか描けない中、ESDも持続可能な未来に向けて歩む際の羅針盤として原則を確認することは重要な作業であると言えるでしょう。
 「国連ESDの10年」の当初より、ESDは持続可能な未来に向けて既存の教育をシフトさせていく営みでしたが、どちらかいうと持続可能性というビジョンと参加型などの学習アプローチや批判的思考などの思考スキルが強調され、原則は検討されてきませんでした。そんな中、ここで紹介するアシュレイ小学校は一貫して持続可能性の原則のもとにブレない実践をしてきたESDの貴重な事例です。

「ハーモニー原則」が支える優良実践

 アシュレイ小学校は英国のサリー州にある中規模の公立小学校です。同校では公教育の体系にありながら、「サスティナビリティ革命」と呼ばれる刷新的なチャレンジが子ども主体で続けられてきました。ナショナル・カリキュラムに則りながらも、持続可能な未来につながる食やエネルギー等のプロジェクトを中心とした問題解決学習が展開され、生徒たちは好奇心旺盛に〈学びの旅〉を愉しんでいます。
 この実践は「6つのハーモニー原則」、つまり「多様性の原則」「循環の原則」「相互依存の原則」「適応の原則」「健康の原則」「ひとつらなりの原則」に支えられています。これらは森などの自然界に見出せる特徴です。自然を真の教師として捉えた末に見出された諸原則はナショナル・カリキュラムを根底から包み込むように学び全体の基盤を成しています。
 アシュレイ小学校では、持続可能性につながるこれらの原則と共に、人間界に調和をもたらす「公正」や「信頼」「ケア」等の価値観が全学年で体系的に織り成されています(図1参照)。

図1 出典:筆者作成

 こうした体系のもとで探究的な「問い」を中心に据えたプロジェクト学習が各学年で展開され、半期ごとに「グレートワーク」という発表会で子どもたちの学習成果が保護者や地域の人々と共有され、持続可能な未来の創り手はパブリックの場で「祝福」されるのです(図2参照)。実際に同校を訪問した時に筆者が目にした子どもたちの積極的な学びの姿勢や作品の質の高さや幸せそうな子どもたちの笑顔が忘れられません。ここでは紙幅の関係で伝えきれませんが、詳細は下記の参考図書をご覧ください。

図2 出典『ハーモニーの教育』

 冒頭で述べた「10年」で多くの課題も明らかになりました。ユネスコの専門委員会のメンバーとして各国のESDを評価する作業に15年近く従事してきましたが、そこで分かってきたESDの課題の一つは断片化や矮小化です。総合的な学習の時間で環境問題を扱っているからESDであるとか、グリーンカーテンを作ったからESDであるとか、問題解決学習に取り組んだからESDである、と各国で主張されてきました。
 しかし、1つのアクションやプロジェクトに挑戦すればよいというわけではなく、持続可能な未来につながる学びを学校全体の活動を通して定着させていくという使命をこれからの10年、ESDは帯びていると言えます。つまり、取って付けたようなESDではなく、それに取り組む人や組織全体にESDの価値観やビジョンが当然のものとして内在化し、全ての活動にそれらが反映されることを目指さなくてはなりません。「10年」の当初からの優先課題の一つであるホールスクールアプローチ(学校まるごとESD)が強調されるようになった背景には、こうした課題をどうにかしたいという想いがあります。ここで紹介したアシュレイ小学校は世界的に見てもホールスクールの代表的な事例であり、そこには「持続可能性の原則」が重要な役割を果たしているのです。

【参考文献】
リチャード・ダン著(永田佳之監修・監訳)『ハーモニーの教育―ポスト・コロナ時代における世界の新たな見方と学び方』(山川出版社)

ESDを支える原則とは 「ハーモニーの教育」から学ぶ(その1)

 「国連ESDの10年」(2005-2014年)を経て、ESDはセカンド・ステージに入りました。上記の10年間、持続可能な開発や教育について議論を重ねてきたので、次の5年はそれまでの知見を活かしてもっとアクションを起こしましょう、ということでGAP(グローバル・アクション・プログラム)が打ち出されました。その5年間も2019年に終止符が打たれ、今年からSDGsの実現を標榜したESD for 2030という新たな「10年」がスタートしています。
 ユネスコではGAPの終盤にポスト「10年」の段階を「スケールアップ」の時期であるという表現がよく使われていました。これまでの延長線上で拡充をしていくという戦略です。ところが、GAPを経た今、ESDは「スケールアップ」から「バージョンアップ」の時期を迎えたと言えます。すなわち、それまでとは異なる次元のフェーズに入ったということです。このことはESDの名称の一部ともなっている「開発」そのものを捉え直すというラディカルな姿勢が内包されたESD for 2030という文書の節々に現れています(詳細はこの「学び!とESD」シリーズのVol.7~Vol.9をご覧下さい)。
 上記に「バージョンアップ」と言いましたが、従来の制度や慣習を捉え直して新たな方向性へと進むときに重要となるのはバックボーン、つまり拠り所となる「原則」です。国連総会で決議された「持続可能な開発のための教育:SDGs 達成に向けて」(通称 ‘ESD for 2030’)という文書には次のくだりがあります(4.18項)。

重要なことですが、「伝統的」な持続可能性の価値観が今後も関連づけられるように批判的なものの見方が求められます。確かに、自動センサー付のビルでは電気を消すという行為そのものが不要となり無くなるかもしれませんが、エネルギーを節約するという価値はこれからも続きますし、重要であり続けるべきだと言えましょう。テクノロジーのお陰で持続可能性にまつわる問題の多くを解決してきたし、解決できるのだ ― このような幻想を私たちが抱くにつれて、皮肉にも、持続可能性の原則を教えるという使命はよりいっそう取り組むべき課題となるのです。

 ここで強調されているのは「持続可能性の原則」です。なぜ、とりたてて原則が強調されているのでしょう。それは、新型コロナウイルス感染による現況を見てもわかるように、たとえ科学技術が発達したとしても予測困難な時代に生きていく人間が右往左往するときに立ち戻れる原点が必要だからです。そこに戻れば、自分たちにとって本当に大切なことは何なのかを諭される ― そんな原点です。
 特にESD for 2030の第4項の後半で強調されているのはテクノロジーとの〈付き合い方〉です。私たちの予測を遥かに超えて急速に技術開発が進む現代社会であるからこそ、人類を持続可能な未来へと導く拠り所が必要になるのでしょう。では、どのような原理が求められているのか ― 残念ながら、ESD for 2030にはこの説明はありません。それは私たちに課せられた探究の課題なのです。
 興味深いことに、「ESDの10年」にはこうした原理は共有されなかったにも関わらず、実践知が重んじられたグローバル・アクション・プログラムの5年間をふり返ると、各国の優良事例には「持続可能性の原則」を見いだすことができます。
アシュレイ小学校 イギリスの公立小学校であるアシュレイ小学校は長年にわたり学校全体でESDを実践し続け、ユネスコ/日本ESD賞の候補として英国から選ばれた優良実践校であり、「ハーモニー原則」にのっとった「サスティナビリティ 革命」を展開してきました。「ハーモニー原則」とは、英国のチャールズ皇太子が提唱してきた原則であり、建築や都市設計のみならず、教育にも影響を及ぼしている原則です。サリー州にあるアシュレイ小学校は、見た目は英国にある「普通の公立校」ですが、その実践はまさにポスト・コロナ時代の教育のあるべき姿を示唆していると言えるでしょう(詳細は『ハーモニーの教育:ポスト・コロナ時代における世界の新たな見方と学び方』山川出版社を参照)。次回は、その具体的な原理と実践を紹介します。

中国におけるESDの動向

 ユネスコは1990年代半ばに「人間開発のための環境・人口教育と情報に関するプロジェクト」(Project on environment and population education and information for human development)を立ち上げました。これを受けて「中国ユネスコ国内委員会」は北京教育科学研究院に協力を依頼し、1998年からEPDプロジェクト(Project on Education for Environment Population and Sustainable Development in China)を開始しました。2003年までに北京、上海、広東、内モンゴルなどにおける約1,000校以上がこのプロジェクトに参加しています。
 そして2005年12月にはユネスコによる「持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」(2005−2014)に呼応する形で中国ユネスコ国内委員会は「中国EPDプロジェクト」を「中国ESDプロジェクト」(Project on Education for Sustainable Development in China)に改称しました。中国のESDは、「人口」という課題が中心であったEPDプロジェクトをより豊かに発展させる形で継承してきたという側面があります。
北京のESD実践校(写真:永田佳之) 「中国ESD項目全国工作委員会」によると、ESDの中国語の解釈では、「国の『科学的発展観』(*1)政策を体現しつつ、持続可能な発展のニーズに基づき実施される教育であり、持続可能な発展を志向する価値観の育成を中核とし、発展の過程で直面する問題の解決を目的とする。また、持続可能な発展に資する科学技術、価値観、生活習慣、生活様式の定着を支援することで、社会・環境・経済の持続可能な発展を促す教育である。」と定義されています(*2)。「科学的発展観」が国の主な発展方針となった現在、「持続可能な発展」を目指すことは中国においても現代教育(*3)の最優先課題であると言えるでしょう。
ESD実践校の作業室(写真:永田佳之) 中国におけるESDの領域の一つに環境と資源に関する教育があり、それに関連して「緑色学校(グリーンスクール)」での活動が全国で行われています。グリーンスクールには、以下の4つの指標を満たすことが求められます。

  1. 学生がすべての科目の教材を通して環境保護に関する内容をしっかりと把握すること
  2. 教師と生徒が高い環境意識を持つこと
  3. 広く社会に向けて、教師と生徒が環境教育の啓発活動に積極的に参加すること
  4. 学校の緑化、美化と衛生管理

 数年の努力を経て、中国のESDは大きな発展を遂げました。以下に2校の事例を紹介します。
 中国人民大学附属中学第二分校では、2004年に北京植物園をESDの実践拠点に指定し、「校本課程開発」(School-Based Curriculum Development)(*4)として多数の実践活動を行いました。現在ESDプロジェクトのカリキュラムは歴史・生物・語文(日本の国語科目に相当する)・物理の4科目のみで実施され、学校教育における必修科目の重要な構成部分となっています。毎年、中学1年生と高校1・2年生は科学技術館あるいは植物園に行き、プロジェクトに参加する機会があります。(*5)
 また広州市協和中学はユネスコ中国ESDのモデル校であり、広東省における緑色学校(グリーンスクール)でもあります。この学校は2003年から「生態学校」(ecological school)(*6)の研究と創設に取り組んできました。建築・園芸・管理・省エネに一貫してエコロジカルな理念が反映されています。例えば、学校の生活用水(雨、エアコンや洗面台などの排水、過剰な飲み水)を溜めて、木と芝生への水やりや、噴水・池などの水景物に利用していること等が挙げられます。(*7)
 経済の発展は、大気・土壌・水などの汚染を引き起こしました。それらはすべて私たちと次世代の暮らしに関わってきます。ESDに関する実践例の研究は、環境だけでなく、経済・社会の分野における取り組みも無視できません。例えば農村あるいは少数民族地域に導入し、さらに「素質教育」(*8)の展開とも組み合わせることで、「都市と農村部」或いは「東部沿海地域と西部少数民族地域」の教育格差を是正し、教育そのものの「持続可能な発展」の実現が期待できます。また、初等中等教育のみならず、高等教育、職業教育にもESDは導入されるべきです。そうした観点から見ると、中国におけるESDの研究はまだまだ長い道のりを歩んでいかなくてはならないと、筆者は思っています。

*1:「科学的発展観」とは中国の現代化を導く理念であり、「人を基本」とし、経済・社会・政治・文化など幅広く、なおかつそれらを調和させた「持続可能な発展」観です。
*2http://www.sdginchina.cn/esdzj/2020-05-12/979.html
*3:現代教育は現代社会の形成に伴い、人類の歴史上生みだされる新しい教育の形で人間社会と教育が一定の歴史段階に発展してきたものです。今までの教育の発展段階の最高です。中国の現代教育は19世紀の後半から始まりました。
*4:中国における2001年からの基礎教育改革は全国統一の教育課程を国家課程、地方課程と校本課程の三段階教育課程に移行しました。校本課程は学生のニーズと学校の特性に応じて開発するカリキュラムです。
*5http://www.hjjyzz.com/cydz/xy/2226.html
*6:生態学校は生態学の基本原理と方法で計画・設計・建設・管理・運営する学校です。人と自然を調和させ、全体の配置が合理的で、自然環境がよく、能率的に物質、情報を利用すると同時に環境に優しい特徴があります。
*7http://www.hjjyzz.com/cydz/xy/2464.html
*8:中国の素質教育は素質向上を目指し、学生の道徳・思想、能力の育成、個性、身体・心理の健全を大切にする教育です。

ユネスコ/日本ESD賞 ―ブラジルアマゾン発!新たな「開発」のあり方と人々の変容の物語―

ユネスコ/日本ESD賞とは

 ユネスコ/日本ESD賞は、2014年愛知県名古屋市で開催されたESDに関するユネスコ世界会議にてグローバル・アクション・プログラム(以下、GAPと略記)(*1)の枠組みの中で設立されました。日本政府によって資金提供されており、2015年から2019年まで毎年3団体が受賞してきました。2019年には、これまでの5年間(2015-2019)のレビュー(*2)が行われ、改定された新たなユネスコ/日本ESD賞がこれから始まります。(*3)
 この賞は革新的または影響力の大きな活動を行っている団体等に対して授与されます。賞の目的は「学習者に創造的で責任ある地球市民になれるようにエンパワーする」ことです。この目的はSDGsの達成および‘ESD for 2030’(*4)の貢献につながります。つまり、賞の受賞は各団体のこれまでの取り組みが評価されるだけでなく、世界各国でESDを実践している同志に向け、互いにそれぞれの活動をエンパワーさせる役割を担っているとも言えるでしょう。

写真1【2019年度ユネスコ/日本ESD賞の授賞式】
写真提供:永田佳之

 選考基準にはTransformation「変容」、Integration「統合」、Innovation「刷新」の3つが挙げられており、社会・経済・環境のバランスを保った上で、価値観・行動において個人および社会に変容をもたらす革新的かつ想像力に富むアプローチが期待されています。
 次にこれまでの受賞団体から一つ、伝統的な知と刷新的なアイデアを統合し、新たな価値を創出している団体を紹介します。

森の守り人のための組織:Fundação Amazonas Sustentável (FAS)

 2019年度のユネスコ/日本ESD賞の受賞団体である「持続可能なアマゾン財団」(Fundação Amazonas Sustentável:以下、FASと略記)(*5)は、環境保全を促進することを目的とし、アマゾン地域に住む先住民コミュニティの生活の質を改善しながら、コミュニティに持続可能な開発のための教育とトレーニングを行っています。民間企業や国際協力機関から資金提供を受け、2008年2月に設立されたブラジルのマナウスに拠点を置くNGOです。

写真2 出典:FASのホームページ

 FASによるプロジェクトは、これまで647の地域、41,808人のアマゾン地域に住むあらゆる世代に対し、各コミュニティの要望に応えるように実施されてきました(2020年10月1日現在)。FASのプロジェクトに参加した人々は、自身とコミュニティの変容について以下のように語っています。

“かつて、私は家族や集落を支えるために木を切り倒し、生計を立てていた。それは大変な仕事であり、犠牲を払い、価値もなく、地球を攻撃することで自らの生き残りをかけていた。プロジェクトは影響を与えた。多くのトレーニングを経て、「暗闇」が光へと変わった” (元材木商で、現在森の保全の大切さを伝えながら観光業を営む男性)
“私はとても恥ずかしがり屋で隅っこにいるような子でした。でもプロジェクトに参加し、一人の人間として自分の言いたいことを表現してよいことに気づきました。(中略)私は若者のリーダーです。私たちは小さいけれど、大きな心を持っています。いまでは輝かしい未来をイメージすることもできます”(女子学生)

 「森林を守って価値あるものにする」ことを目標に掲げ、伝統知と森との調和を重んじたプロジェクトは、自らのコミュニティへの愛着やアイデンティティ形成にとどまりません。プロジェクトに参加した人々は、変化の担い手として持続可能なコミュニティづくりに貢献しています。FASの活動は、搾取や破壊をともなう「開発」ではなく、多くの機会や価値を創出する新たな「開発」のあり方を提示しています。新たな「開発」の中核にあるFASが創造する教育と学びの機会は、森の保全を通してアマゾンに住む人々の可能性を拓き、人々に変容と希望をもたらしています。

*1:「ESDの10年」の後継プログラムとして掲げられました。5つの優先行動分野(政策的支援、機関包括型アプローチ、教育者、ユース、地域コミュニティ)に焦点を当て、2015年から2019年の5年間推進されました。
*2:ユネスコ/日本ESD賞は、GAPにおいても不可欠な役割を担い、これまでユネスコで実施された賞の中でも最も成功したプログラムであると称されています。
*3:ユネスコのホームページ(英語)(https://en.unesco.org/prize-esd)よりこれまでの受賞団体および今後の選考日程等、詳細の情報へアクセスできます。なお、これまでの受賞団体については文部科学省のホームページ(https://www.mext.go.jp/unesco/004/1370106.htm)からもご覧いただけます。
*4:本Webマガジン「学び!とESD」のVol.7-9をご参照ください。
*5:詳細はFASのホームページ(ポルトガル語)(https://fas-amazonas.org/)をご覧ください(Google翻訳機能を使用すると日本語で閲覧できます)。紙幅の都合上、ここでは一部しか紹介できませんでしたが、人々の変容の物語はFASのホームページから記事や動画でご覧いただけます。

ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その3~

 前回は‘ESD for 2030’を概説し、ESDもSDGsも共に目標として掲げる‘D’(開発)もしくは‘SD’(持続可能な開発)そのものの捉え直しが今後の重要な役割として示されていることを確認しました。これは、脱グローバル化が声高に叫ばれるウィズ・コロナの時代からすれば先見の明とも捉えられなくもないですが、グローバル化の負の側面に対する危機感がESD関係者につとに共有されていたことの現れであると言えましょう。野放図の開発の挙句に新型コロナウィルスと遭遇した人類に対しては、「その2」で紹介したスターリン氏が論じたように、教育の向かうべき方向性にも警鐘が鳴らされていたのです(スターリン氏は「ユネスコ/日本ESD賞」国際選考委員会の副委員長を務めたESDの論客であり、国際的にも知られるプリマス大学名誉教授です(写真の右から2番目))。
 では、そうした時代の教育にはどのような学習が求められるのでしょう。ESDは多義的で、その守備範囲は広く(「その2」の図1)、時代の趨勢の中で強調される側面はシフトしてきました。ここでは、ウィズ・コロナもしくはポスト・コロナの時代に求められる学習とはどのような性格の学びなのかについて考えます。

出典:ユネスコ本部ホームページ “Internatioanl Jury”(https://en.unesco.org/prize-esd/jury

ポスト・コロナ時代の学習の方向性

 「その2」でも述べたとおり、ESDは常に進化している概念です。ときには時代のニーズを受け入れ、ときには時代をも捉え直すようなダイナミズムの中で変容を遂げてきました。
 「ESDの10年」(2005-2014)はグローバル化が加速的に進んだ時期と重なり、当初はグローバル化に対応できるスキルの習得が強調されていました。ユネスコが策定した国際実施計画では「高次の思考スキル」として批判的思考や創造的思考、協働的思考、問題解決能力などが21世紀を生きる術(すべ)として強調され、これらを通してグローバル化の時代を生きる市民を育成しようとする実施計画がユネスコ加盟国で共有されていたのです。
 しかし‘ESD for 2030’では「10年」の当初から強調されていた批判的思考以外のスキルはトーンダウンし、「その1」で触れた「ヒューマニスティック・アプローチ」の系譜上に位置づけられる諸概念が強調されるに至りました。その背景には、冒頭で触れた「開発」、換言すれば、グローバル資本主義に対する疑念が高揚していたことが指摘されてよいでしょう。
 ‘ESD for 2030’では、上記のスキルを代替するかのごとく次のキーワードが登場しています。すなわち、これからは地球規模の課題と深い次元でつながることが重要であり、そうしてはじめて「共感(エンパシー)」が生まれ、「慈愛(コンパッション)」へと深化していく。さらに「本質的な問い」を通して課題を〈自分ごと化〉し、学習者を問題解決の行動へとエンパワーするような学びが求められるのです(詳しくは、参考文献の「‘ESD for 2030’を読み解く」を参照)。
 こうした一連の深い次元での学びの過程をユネスコは「変容的行動(トランスフォーマティブ・アクション)」と呼んでいます。つまり「国連ESDの10年」の頃はスキル習得が前面に出されていたのが、‘ESD for 2030’では習得されたスキルが上滑りして環境破壊や戦争などに活かされることがないように、常に「本質的な問い」と共に歩むような、より深い次元の変容が志向されています。
図1 持続可能な暮らしから持続可能性の文化へ 今後、「持続可能な開発」の代わりに目指されるべきキーワードを‘ESD for 2030’から挙げるとすれば、それは「持続可能性の文化(カルチャー・オブ・サスティナビリティ)」となるでしょう。これは、持続可能な環境のみならず循環型の経済と多文化共生型の社会の基層もしくは土壌であり、こうした文化を醸成するために、地球規模の課題を自身の暮らしと関連づけて捉えられる資質を備えた市民性の育成が求められているのです。つまり、身近な課題として持続可能性を捉え、変容的行動を通して社会全体で持続可能性の文化を醸成していくイメージです(図1参照)。
 また、学習者にとって創造的に伝統的慣習を変えていくようなディスラプティブ(破壊的)な着想を試すための「余白」が必要であることも強調されています。さらに、注記ではありますが、複雑な現実課題への気づきと理解、共感、慈愛、エンパワメントという順に直線的に学習が成立していくとは限らず、エンパワメントに至るまで多様なプロセスがあってよい、とも記されています。
 ここで留意したいのは、「思考スキル」が好ましくないというわけではなく、それが正義にも不正義にも使われ得るということです。安彦忠彦は、「実践的思考能力」は流行であり、その一方で不易は基礎基本と並んで人格形成であることを主張しています。また、知っている学力から知っていることを活用する学力はもちろん大切なものの、より重要なのは何のために活用するかであり、近年は人格的要素のうち学力の中に通用するものだけが重視され、そうでないものは価値のないものと見なされる危険性が見られる、と述べています(『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり』)。
 思考スキルが「持続可能な未来」へと活かされるか否かは、パンデミック後の社会の舵取りをする私たち次第なのだと言えるでしょう。そのために「本質な問い」をもって自分たちの社会の方向性を常に問い直すという不断の努力なくしては、持続可能な暮らし、ひいては持続可能な文化の実現は覚束ないと言えるでしょう。

【引用・参考文献】

  • 安彦忠彦『持続可能な社会と学力:現行および次期の学習指導要領をめぐって』みくに出版(オンライン版講演記録), 2015年.
  • 安彦忠彦「グローバル化時代の日本人の育成:カリキュラム開発の観点からの検討」『神奈川大学心理・教育研究論集』第46号 2019年, 5-20頁
  • 安彦忠彦『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり』図書文化社, 2014年.
  • セルジュ・ラトゥーシュ『経済成長なき社会発展は可能か?―〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学』(中野佳裕訳), 作品社, 2010年.
  • 永田佳之「‘ESD for 2030’を読み解く:「持続可能な開発のための教育」の真髄とは」『ESD研究』日本ESD学会, 2020年9月.

ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その2~

ポスト・コロナ時代を予見していた‘ESD for 2030’

 先月の「その1」でお伝えしたように、昨年の暮れ、SDGsを実現させる教育としてESDの新たな枠組みが国際的に認められました。教育を通して持続可能な社会を実現するための枠組みである「持続可能な開発のための教育:SDGs達成に向けて」(以下、通称の‘ESD for 2030’と表記)が2019年11月の第40回ユネスコ総会での決議を経て、同年12月、第74回国連総会で採択されたのです(*1)。副題に示されているように、ESDは国際舞台に登場してから20余年の歳月を経て、SDGsという一大ムーブメントと出会い、その実現を下支えする立役者(エネイブラー)として見なされるに至りました。
‘ESD for 2030’が採択されたユネスコ総会(筆者撮影) この国際的な意思が形成されるのと時を同じくして起きたのが新型コロナウイルスの感染拡大です。上記の決議がなされるのとほぼ同時期に中国の武漢でCOVID-19が見つかり、瞬く間に世界中の人間活動は持続不可能になりました。教育を通して持続可能な世界を構築しようというコンセンサスが得られた矢先のことで、皮肉としか言いようがありません。当然ながら、‘ESD for 2030’が策定されていた時は、新型コロナウイルスは予期されていませんでした。ところが、その内容を見ると、ポスト・コロナ時代を予見していたかのようなメッセージが散見されるのです。

SDGsの学びに深まりをもたらすESD

 上記の決議前の話ですが、SDGsという大きな潮流のなかでESDという名称は消失するのではないか、という懸念もありました。その名称が単に‘Education for SDGs’に決まるとしたら、「ESDの10年」とグローバル・アクション・プログラム(GAP)という15年間の歳月を経て培ってきた知見はどうなってしまうのか、という懸念です。実際、SDGsを知識として習得する旧態依然たる教育ではなく、国連の運動として醸成してきたESDのビジョンやアプローチを活かそう、という見解がその策定過程で強調されたのも事実です。
 特にGAPの後半から筆者はユネスコ本部の‘ESD for 2030’の担当職員と定期的に仕事をしてきましたが、‘ESD for 2030’には、ESDならではの特性を発揮することによって旧来の教育では実現されなかった持続可能性を実現させるという、ある種の気概が事務局側にあることをあらゆる場面で感じ取っていました。
 こうした気概のせいでしょうか、‘ESD for 2030’にはSDGsをも捉え直すような方向性も示唆されています。特記に値するのは「ESDの10年」当初では見られなかった開発そのものへの問い直しのくだりでしょう。SDGsもESDも‘SD’、つまり「持続可能な開発」が共通の目標として掲げられ、この目標のために教育を方向付けていこう、というのは強調するまでもない基本的なスタンスです。しかし、‘ESD for 2030’には「持続可能な開発に向けた真正な前進」のためにSDGsの諸目標の相互関連性を扱うことがESDへの期待として示され(3.10項)、さらに「ESDの活動の存在証明(レゾンデートル)は開発や持続可能な開発自体に批判的な問いを投げかける点に見出せる」(5.5項)と書かれています(*2)。一見、これは矛盾しているようにも捉えられます。というのも、自身が目指す目標すら相対化しつつ進もうという主張だからです。SDGsの実現に向けた教育として位置づけられつつも、SDGsが標榜する持続可能な開発自体を絶対視しないという、自家撞着(じかどうちゃく)ともいえる性格を帯びているのが‘ESD for 2030’の特徴です。しかし、よくよく考えてみると、野放図にグローバル化を進めた挙句の果てに人類はCOVID-19と出会ったわけですから、たとえ自身が目指している目標であろうとも、開発そのものを問い直すスタンスこそ、本来求められてしかるべき姿勢だったのでしょう。
図1 サスティナビリティ志向の教育の系譜
出典:Blewitt, J. et al (eds) (2004) The Sustainability Curriculum. Earthscan.
 実は、「開発至上主義」のトーンダウンは、ESDの世界的な論客であるS. スターリン氏によってつとに予見されていました。彼は、持続可能性にまつわる諸々の教育が環境教育からESDヘ、そしてESDからEFS(持続可能性のための教育)へ、さらにはSE(持続可能な教育)へと変遷を遂げるという系譜を「ESDの10年」が始まる直前に示しています(図1)。つまり、ESDから徐々に「開発」という目標が希薄になり、持続可能性が標榜される。さらに、教育の営みそのものが持続可能となる、換言するなら、経済発展という開発の物語に教育を合わせるのではなく、人間を含めた生態系に無理のない形で教育の営みを創っていくという方向性です。興味深いのは、ESDは環境教育やEFSやSEのいずれとも性格を重ねているということです(図中の太い楕円)。これは、曖昧性として批判されてきたESDの性格であり、他方で何でも包み込むようなESDの包摂性として評価されてきた特徴でもあります。ユネスコも当初から唱えていたように、ESDは時代の変遷の中でその性格、もしくは強調点を変える「進化する概念(エボルビング・コンセプト)」なのです。時代の趨勢の中で包摂性の強いESDという大きな概念のどの側面を強調するかは、その時代を生きる私たち次第なのだとも言えるでしょう。
 次回では、‘ESD for 2030’では学習のどのような側面がトーンダウンし、何がハイライトされるに至ったのか、について考えてみたいと思います。

*1:文部科学省「「持続可能な開発のための教育:SDGs達成に向けて(ESD for 2030)」について ~第74回国連総会における決議採択~」
https://www.mext.go.jp/unesco/001/2019/1421939_00001.htm
*2:ESD for 2030 全文(英文)
https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000370215

ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その1~

「変化に向かうまたとない好機」

 にわかに起きた新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄された世界のあり様をふり返り、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏は次のように語っています。

コロナ前の世界は瀕死の状態でした。地球温暖化や経済格差は悪化する一方で、人工知能(AI)によって失業した人々が職を求めて列をなしていた。私たちはコロナ前の誤った世界に戻してはならず、新しい世界をつくらなければなりません。政治指導者がまずやるべきは、コロナ前の世界に決して戻さないと誓うことです。今は変化に向かうまたとない好機です。(The Asahi Shimbun Globe. No. 231. 2020年7月5日)

 「瀕死の状態」をもたらした「誤った世界」とは常軌を逸したグローバル化が生み出した格差社会や気候変動に翻弄される社会です。こうした社会を支えてきた価値観の形成に大きな影響を及ぼしてきたのは教育ですから、教育にとっても「変化に向かうまたとない好機」であると言えましょう。
 ところが、ウィズ・コロナのいま、全国で夏休みを返上してまで授業や宿題で学習の遅れを取り戻す必要性が連呼され、多くの先生に焦りが見られるようになりました。もちろん、こうした努力は学力保障という意味においては重要かもしれません。ただ、制度内での努力だけでなく制度そのものを見直す努力、すなわち旧来の制度内での変化ではなく制度や枠組み自体の変化が求められているのではないでしょうか。
 今、問われなくてはならないのは、従来の就学(通学)主義、管理主義、形式主義、成果主義、評価主義、能力主義、教科主義、年齢主義、そしてこれらを支えてきた「学校文化」です。今月そして来月と、新型コロナウイルスの発生とほぼ同時期に産み落とされた国際的な教育枠組みである‘ESD for 2030’に注目し、従来の「学校文化」もしくは学校の「当たり前」を捉え直してみたいと思います。

古くて新しい課題

 ユネスコはユヌス氏と同様の危機感をつとに示していました。『教育の再考(Rethinking Education)』などのレポートには随所に行き過ぎた経済成長優先の開発のあり方への警鐘が鳴らされています(*1)
 このレポートでは「学習の4本柱」、すなわち「知るための学び」「為すための学び」「共に生きるための学び」「存在を深めるための学び」から成る学習の4類型の中でもグローバル化の時代においては特に「共に生きるための学び」と「存在を深めるための学び」が重要であり、今こそ「ヒューマニスティック・アプローチ」が重要であると主張されています。中でも「存在を深めるための学び(Learning to be)」は現代社会が常軌を逸脱した方向に向かおうとする時の警鐘としてしばしば登場してきた概念です。
 1972年に刊行されたLearning to Be: The World of Education Today and Tomorrow(邦訳『未来の学習』)で知られるようになった「存在を深めるための学び」の理解にはエーリッヒ・フロム著『生きるということ』(原題:To Have or To Be)が参考になるでしょう。「持つ様式」と「ある様式」は人間の二つの基本的な存在様式であり、前者は近代化を推し進め、グローバル化を下支えする消費社会を形成してきました。他方、後者は人がモノとして扱われたり処理されたりする消費社会の様式とは異なり、「世界との真正な結びつき」が築かれていくのに不可欠な様式です。
 こうした「ヒューマニスティック・アプローチ」の系譜は、グローバル化の荒波の中でもユネスコの諸事業を通して1970年代以後も連綿と受け継がれており、ESDの文脈においても見出させます。次号で詳しく紹介する‘ESD for 2030’のキーワードはまさにその延長線上に位置付けられ、ポスト・コロナの時代においてはいっそう示唆に富むメッセージとなって立ち現れています。

*1:『教育の再考(Rethinking Education)』(文部科学省仮訳)
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2015/07/09/1359574_05.pdf

ミャンマーにおける持続可能な開発のための教育(ESD)の道 ―持続可能な環境を目指すローカルビジネスの力―

 現在、持続可能な開発のための教育(以下、ESD)はアジア諸国でも注目され、教育を通して持続可能な社会を目指そうとする動きが加速しています。その認識は教育関係者だけでなく、政府関係者や研究者、事業家などにも広がっています。人々がようやく地球や社会の持続可能性に目を向け始めたのではないでしょうか。
 ESDは人間の考え方や行動を持続可能な未来を見据えたものへと変容させ、一人ひとりが多文化を尊重ながらも気候変動や生物多様性の損失などの問題解決に携わる、変化の担い手(change agent)を育みます。
 読者の皆さんはミャンマーという国はご存知でしょうか。人口が約5,400万人の途上国です。途上国ですので経済、教育、健康などの分野で他の国と比べると発展は遅れています。しかし、そのような国でもESDに関する動きが見られるようになりました。例えば、教師にESDについてのワークショップを行なったり、ザガイ大学がESDに関する意識調査を行なって研究をしたりしています。135の民族が暮らすミャンマーでは文化の多様性を尊重することはとても重要ですが、それは決してたやすいことではありません。ここに、ミャンマーでESDを推進することの重要性を見出すことができるでしょう。
 持続可能な社会に向けた人間の知識、スキル、価値観の変容にとって教育という視点はとても重要ですが、ミャンマーにおける教育の視点は学校教育だけに留まりません。子どもたちの中退率は、小学校でも約19% 近くあるため、学校教育だけではなくノンフォーマル教育も重要なのです。
 そこで重要な役割を果たしているのは、気候変動や地球温暖化などに関心をもち、環境教育を実践しようとしているローカル・ビジネスやボランティア活動です。現在ミャンマーでも環境問題に意識を向ける若者や事業家は増えています。その若者たちは、中退した子どもたちにリサイクル商品で創作した商品をマーケットで販売できるようになるまでサポートを行うボランティア・グループやNGO、NPOなども運営しています。
 また、持続可能な環境に向き合うビジネスも増えました。たとえば、レジ袋の代わりに紙袋を使うお店、リサイクルで作ったアクセサリーを販売するマーケットもできました。
 持続可能な環境に向き合うビジネスの1つにHLA DAY(ラディ)というローカルビジネスがあります。HLA DAYは職人の生活をサポートするための仕組みがあり、経済的な支援事業のトレーニングとともに、持続可能性に価値をおいた市場を提供する会社です。職人の多くは、障害をもつ人々や社会的に排除された人々、貧困の克服に苦労している人々などです。また、HIV患者やゲイの人々が集うマイノリティの人々もいます。HLA DAYはそのような人たちに教育や雇用の機会を提供しています。
 HLA DAYには約60のアーティスト・グループがあり、約700人のスタッフがいます。職人のニーズ、関心、アイデアがHLA DAY活動の中核です。優れた商品づくりは、彼らの仕事の誇りでもあります。商品を通して、彼らは困 っている人々のコミュニティに大きな力を与え、彼らの生活を変えることに寄与しています。過去数年にわたって、彼らは経済的な事業のモデルを設計し、機会を創出し、生み出すことに成功してきました。
 HLA DAYの製品はすべてミャンマー人によって作られています。彼らは地元の素材を調達し、使用することに誇りを持っています。また、持続可能性を促進するパートナーシップの構築にも注力しています。たとえば、織物担当のスタッフと協力して織工から直接購入する生産者を奨励したり、再生可能なプラスチック素材の使用など、環境の持続可能性に焦点を当てたグループと協力したりしています。また、オーガニックのコーヒー、ジャム、蜂蜜などの食物も販売しています。社員にもお客様さんにも環境への意識を啓発するようなビジネスは持続可能な社会になるために役立つと言えるでしょう。
 私たちは持続可能な社会への長い道のりを歩み始めたばかりですが、人々が一緒に力を合わせれば、一歩ずつ確実によりよい未来へ近づくことができると筆者は信じています。

【参考文献】
HLA DAYホームページ
https://www.hladaymyanmar.org/artisanstory/golden-queens
UNESCO Bangkok (2017): Training in Education for Sustainable Development Reaches 400 Teachers in Myanmar
https://bangkok.unesco.org/content/training-education-sustainable-development-reaches-400-teachers-myanmar

持続可能な開発のための教育(ESD)とは ―「祈りのこけし」に込められた想い―

「祈りのこけし」と緒方さんからのメッセージ

あなたはこのこけしにどのような表情を描きますか。
そして、どのように生きて、どのような社会を描きますか。

 いま世界は経済活動を牽引してきた大都市を中心に新型コロナウィルス(COVID-19)による未曾有の危機に直面しています。この危機は私たちに何を語りかけているのでしょうか。そして、このような時代にどのような教育が求められているのでしょうか。

「実生の森」がある「エコパーク水俣」から望む不知火海

 私たち永田研究室は2月下旬に水俣を訪問しました。冬が終わり、菜の花が咲き誇り、甘夏みかんがたわわに実る、いのちが芽吹き春の訪れを感じる季節でした。
 日本は戦後復興の中で急速な経済成長を遂げ、物質的な豊かさを享受してきた一方で、環境破壊、家族や地域文化の分断、そして社会の対立構造を生み出しました。その歪みは、あらゆる生き物の「いのちの叫び」として水俣の地で巻き起こりました。水俣病はグローバル化の波が押し寄せ、いのちや人々の健康よりも経済成長を優先する社会構造のゆがみから生じた問題だとされています。
 水俣病の原因は、日本窒素肥料(のちに「チッソ」)の水俣工場による排水に含まれていたメチル水銀です。1930年代から無処理の排水が水俣湾に排出され、1950年代には貝類の減少、魚や猫の変死が多発。その被害は人間へと及びました。1968年に政府が水俣病を公害病と認定してから半世紀以上が経ったいまも訴訟が続き、差別や補償をめぐる問題が終わっていません。

 私たちは語り部、緒方正実さんのお話を伺う機会を与えていただきました。緒方さんの語りにはESDの本質、教育のあり方、ひいては生きる意味を問う深甚なるメッセージが込められています。
 緒方さんは建具店を経営する傍ら語り部として12年間活動しています。過去の問題ではない今も続く水俣病問題を「人間は正直に生きる」という信念を貫き語り続けている緒方さんの言葉は、心の奥深く魂に響きわたり、その言葉と出合った人々の心に刻まれていきます。「人間は正直に生きる」この言葉は水俣病による差別や偏見を恐れ、逃げ続けてきた38年間に終わりを告げ、水俣病と向かい合う決心を与えてくれた言葉です。緒方さんの生き方そのものでもあります。道のりは険しいものでした。水俣病の認定申請で棄却通知を受け、自らの存在を消されたことに涙し、人間としての尊厳を踏みにじられる計り知れない苦しみを受けます。しかしその苦しみに対する怒りや憤りのまなざしは、許し感謝することへと転換します。前例がないなら自らの手で前例をつくればいい、人を変えるのではなく、自分が努力すること、正直に向き合うことの重要性を説きます。
 「私」という一人の人間存在を証明していくように、緒方さんはこの世に生を受けた人間、無念にもこの世に生を受けられなかった人間、そしてすべての生き物たちに祈りを捧げながら「いのちの大切さ」と「二度と水俣病のような悲劇が繰り返されないよう」願いを込めて、「実生の森」の木の枝からこけしを彫り、語り続けています。水俣湾を埋め立てて作られた「実生の森」の海底には、メチル水銀によって汚染された数多くのいのちが眠っています。教訓と再生のシンボルにしたいという市民の強い願いによって「実生の森」は生まれました。水俣では、壊れてしまった人と人との関係、自然と人との関係に対し、対話と協働を通じて再びつなぎ合わせる取り組みを「もやい直し」と名付けています。「祈りのこけし」には顔が描かれていません。こけしを受け取った人が自らの手で描くよう委ねられています。

 ESDとは、いのちを問いの中心に据えた教育と捉えることができるでしょう。このような教育には相互に関わり合いおかげさまで存在している実感を抱きながら、いのちの尊厳を重んじ、環境および人間関係の調和がもたらされる学びの場が必要となります。
 緒方さんの語りにあるまなざしの転換から導かれる自らの手で前例をつくる姿勢は、近年ESDにおいて重視されている「自分自身と社会を変容させることを学ぶ(Learning to transform oneself and society)」と共鳴します。こけしに顔を描いていくように自らの手で社会を創り、「もやい直し」のように分断からつながりへと紡ぎなおし、過去の教訓と未来の希望とともに今を生きていく教育が求められています。

【参考文献】
緒方正実(2016)『水俣・女島の海に生きる―わが闘病と認定の半生』世織書房