学び!とESD

学び!とESD

持続可能な開発のための教育(ESD)とは ―「祈りのこけし」に込められた想い―
2020.05.15
学び!とESD <Vol.05>
持続可能な開発のための教育(ESD)とは ―「祈りのこけし」に込められた想い―
神田 和可子(永田研究室大学院生)

「祈りのこけし」と緒方さんからのメッセージ

あなたはこのこけしにどのような表情を描きますか。
そして、どのように生きて、どのような社会を描きますか。

 いま世界は経済活動を牽引してきた大都市を中心に新型コロナウィルス(COVID-19)による未曾有の危機に直面しています。この危機は私たちに何を語りかけているのでしょうか。そして、このような時代にどのような教育が求められているのでしょうか。

「実生の森」がある「エコパーク水俣」から望む不知火海

 私たち永田研究室は2月下旬に水俣を訪問しました。冬が終わり、菜の花が咲き誇り、甘夏みかんがたわわに実る、いのちが芽吹き春の訪れを感じる季節でした。
 日本は戦後復興の中で急速な経済成長を遂げ、物質的な豊かさを享受してきた一方で、環境破壊、家族や地域文化の分断、そして社会の対立構造を生み出しました。その歪みは、あらゆる生き物の「いのちの叫び」として水俣の地で巻き起こりました。水俣病はグローバル化の波が押し寄せ、いのちや人々の健康よりも経済成長を優先する社会構造のゆがみから生じた問題だとされています。
 水俣病の原因は、日本窒素肥料(のちに「チッソ」)の水俣工場による排水に含まれていたメチル水銀です。1930年代から無処理の排水が水俣湾に排出され、1950年代には貝類の減少、魚や猫の変死が多発。その被害は人間へと及びました。1968年に政府が水俣病を公害病と認定してから半世紀以上が経ったいまも訴訟が続き、差別や補償をめぐる問題が終わっていません。

 私たちは語り部、緒方正実さんのお話を伺う機会を与えていただきました。緒方さんの語りにはESDの本質、教育のあり方、ひいては生きる意味を問う深甚なるメッセージが込められています。
 緒方さんは建具店を経営する傍ら語り部として12年間活動しています。過去の問題ではない今も続く水俣病問題を「人間は正直に生きる」という信念を貫き語り続けている緒方さんの言葉は、心の奥深く魂に響きわたり、その言葉と出合った人々の心に刻まれていきます。「人間は正直に生きる」この言葉は水俣病による差別や偏見を恐れ、逃げ続けてきた38年間に終わりを告げ、水俣病と向かい合う決心を与えてくれた言葉です。緒方さんの生き方そのものでもあります。道のりは険しいものでした。水俣病の認定申請で棄却通知を受け、自らの存在を消されたことに涙し、人間としての尊厳を踏みにじられる計り知れない苦しみを受けます。しかしその苦しみに対する怒りや憤りのまなざしは、許し感謝することへと転換します。前例がないなら自らの手で前例をつくればいい、人を変えるのではなく、自分が努力すること、正直に向き合うことの重要性を説きます。
 「私」という一人の人間存在を証明していくように、緒方さんはこの世に生を受けた人間、無念にもこの世に生を受けられなかった人間、そしてすべての生き物たちに祈りを捧げながら「いのちの大切さ」と「二度と水俣病のような悲劇が繰り返されないよう」願いを込めて、「実生の森」の木の枝からこけしを彫り、語り続けています。水俣湾を埋め立てて作られた「実生の森」の海底には、メチル水銀によって汚染された数多くのいのちが眠っています。教訓と再生のシンボルにしたいという市民の強い願いによって「実生の森」は生まれました。水俣では、壊れてしまった人と人との関係、自然と人との関係に対し、対話と協働を通じて再びつなぎ合わせる取り組みを「もやい直し」と名付けています。「祈りのこけし」には顔が描かれていません。こけしを受け取った人が自らの手で描くよう委ねられています。

 ESDとは、いのちを問いの中心に据えた教育と捉えることができるでしょう。このような教育には相互に関わり合いおかげさまで存在している実感を抱きながら、いのちの尊厳を重んじ、環境および人間関係の調和がもたらされる学びの場が必要となります。
 緒方さんの語りにあるまなざしの転換から導かれる自らの手で前例をつくる姿勢は、近年ESDにおいて重視されている「自分自身と社会を変容させることを学ぶ(Learning to transform oneself and society)」と共鳴します。こけしに顔を描いていくように自らの手で社会を創り、「もやい直し」のように分断からつながりへと紡ぎなおし、過去の教訓と未来の希望とともに今を生きていく教育が求められています。

【参考文献】
緒方正実(2016)『水俣・女島の海に生きる―わが闘病と認定の半生』世織書房

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