「人を知る、町が見える」栃木県那須高校の探究学習

 栃木県立那須高校では、2021年度から1年生を中心に「那須まち人物図鑑」の制作を行っています。生徒が地域で働き暮らす人々にインタビューを行い、その人生観や仕事への思い、地域との関わりを記事や冊子としてまとめる探究学習の取り組みです。生徒は取材先の選定やインタビューのための質問づくり、インタビューの実施、写真撮影、冊子の文章作成、編集、表紙絵の作成など、冊子制作に関わるほぼすべての活動を自分たちで行う中で、一人ひとりの「生き方」に向き合いながら地域理解を深めていきます。活動では、地域の大人たちを単なる「職業人」として捉えるのではなく、「どのような思いで地域に関わっているのか」「どのように人生を歩んできたのか」を丁寧に聞き取ることが重視されています。
 この取り組みの特徴は、生徒自身が通う学校がある地域の中で多様な価値観や働き方に触れ、自分の将来や地域との関係を考えるきっかけにしてほしいという学校側や町の思いが込められている点にあります。そのため、那須町の住民や企業・行政の全面的な協力・協働が行われ、地域の魅力発信や関係づくりにもつながっています。小規模校と位置付けられる那須高校ならではの地域密着型の学びとして、生徒の主体性や対話力、表現力を育む探究学習の実践となっています。


那須まち人物図鑑

文字と音声での表現に取り組んだ2025年度「那須まち人物図鑑」

 2025年度の「那須まち人物図鑑」制作では、これまでの活動を発展させ、新たにラジオ番組の制作に取り組みました。これまでは主に1年生が地域の大人にインタビューを行い、その内容を記事としてまとめ、冊子を制作することが中心でした。しかし活動を重ねる中で、生徒たちの中に「せっかくつくった人物図鑑を、もっと多くの人に見てほしい」「取材で出会った人の魅力を、もっと広く知ってほしい」「冊子だけでは伝えきれないことも届けたい」という思いが生まれてきました。
 そこで2025年度からは、1年生が従来どおり人物図鑑の冊子を制作し、2年生がその取材の裏側や、紙面には載せきれなかったエピソードをラジオ番組として発信する活動を行うことになりました。2年生は前年度、1年生の時に一度「那須まち人物図鑑」を制作しています。その経験を生かしながら、今年度は1年生と一緒にインタビューに同行し、取材の様子を観察し、取材相手の語りの雰囲気、1年生の気づき、冊子には収まりきらない印象的な言葉などを自分たちの声で伝える役割を担いました。


2年生のラジオ番組制作に向けた授業と活動の様子

 取材した相手の言葉を文章に起こし、読みやすい記事としてまとめることと、取材の場で起きていたことを観察し、その空気感やエピソードを自分の言葉で音声として伝えることは、似ているようで大きく異なります。文章には、情報を整理し、相手の思いを正確に伝える難しさがあります。一方で音声には、話し手の温度感や、その場の雰囲気を生かしながら、自分たちらしい言葉で届ける面白さと難しさがあります。生徒たちは、初めてのラジオ番組の台本づくりや原稿作成に戸惑いながらも、収録の場面では楽しそうに話し、取材で感じたことを自分たちなりに伝えようとしていました。


ラジオ収録の様子

 私はこの活動の中で、インタビュー取材のレクチャーや、ラジオ番組の収録・制作に携わりました。生徒たちの様子を見ていて改めて感じたのは、「那須まち人物図鑑」は単に地域の人を紹介する冊子づくりではなく、生徒たちが地域の大人を知り、その出会いを通して、自分と町との関係を見つめ直していく活動だということです。
 観光地としての側面も持つ那須町では、この高校から町内の観光施設などに就職する生徒も少なくありません。だからこそ、生徒たちが地域で働き、暮らし、活動する大人たちの思いや人生に触れることには大きな意味があります。「那須まち人物図鑑」は、これまで見えていなかった人や町の新たな顔を知る機会であり、生徒たちにとって「見える町の景色」を広げる活動なのです。

栃木県立那須高等学校ホームページ
https://www.tochigi-edu.ed.jp/nasu/nc3/

学習指導案のとおりにすれば 「考え、議論する道徳」になるんじゃないですか?〈その2〉

大人気「どうとくマンガ」の新シーズン!
「道徳教育」についてよく抱かれる疑問を取り上げ、マンガでわかりやすく解説します!

第6回は、正木先生の授業はついに山場へ!考え、議論を深める秘密は「はひふへほ~」にあり!?

【登場人物】

徳田 一道
(とくだ かずみち)

主人公。中学校にて約10年のキャリアを積み、堂戸区小学校へ転勤となった。

正木 真理
(まさき まり)

一道と同じ小学校に赴任した新任教師。

久慈 善人
(くじ よしひと)

一道の同僚となった教師。前作第11回で、一道がいた中学校との合同授業をしている。

ソフィー

「道徳」について教えてくれる妖精(仮)。かつて一道のもとにいたモモとルルの後輩であり、妖精としてはまだ見習い中。

教育変革の鍵――社会情動的学習(SEL)

 このサイトでもたびたび取り上げられてきた社会情動的学習(SEL)(たとえば「地球規模課題とSEL」Vol. 42 , Vol. 43 , Vol. 57 , Vol. 58)は、認知スキルや学力重視の教育システムが取りこぼしている重要なスキルとして近年重視されてきていますが、教育制度のメインストリーム(主流)への体系的な統合はいまだ十分とはいえない状況ではないでしょうか。

 そんな状況を打破するために、ユネスコは「教育システムにおける社会的・情動的学習の主流化:政策ガイド」(2024)(以下、政策ガイドと略)を通して、「よい教育とは、認知的な学習だけでは不十分である」というメッセージを力強く発信しています。特に、戦争や武力衝突、地球環境の悪化、格差の拡大、人種差別や偏見、ヘイトスピーチなどが増大する現代社会において、これらを解決する力を養うことを目指すESDの文脈でのSEL の重要性を、ユネスコはより強く説いています。今回はこの政策ガイドについて紹介します。
 デジタル化が急速に進む昨今では、人々の社会的スキルや協調性が低下し、学習者同士や教員との絆などが薄れつつあるといわれ、子どもたちのメンタルヘルスが脅かされています。コロナ禍はその懸念をさらに加速させました。教育に従事する私たちは今こそ、SELを体系的に学習プロセスに統合させることについて真剣に考えなければなりません。

 筆者もかつて、国連児童基金(ユニセフ)で難民の教育支援に従事していた際、SELの必要性を痛烈に感じたことがあります。赴任先のギリシャには、シリアやアフガニスタンをはじめ、20を超える国々からの難民・移民が押し寄せていました。子どもたちの多くは、内戦などの危険にさらされ、避難してきたことによるトラウマやつらい思い出を抱え、この先の未来がみえず、言葉も通じない環境に明らかに戸惑っていました。人数が多く、子ども一人ひとりの授業時間が限られた中、異なる民族が教室の中で小さな共生社会を築き、効果的な学びを促進するには、SELを識字教育などの学習プロセスに統合していくよりほかに選択肢はありませんでした。同僚たちとともに、急ピッチでSELを取り入れた識字教育の教員用ガイドを策定し、教員のトレーニングを行いました。

 冒頭で示したユネスコの政策ガイドでは、特に「変容的SEL(transformative SEL)」を促す教員の役割が強調されています。「変容的SEL」は、学習者が以下のことを可能にすることで、他者との関係性と行動のポジティブな変化を促進することを目的としています。


『変容的SEL』とは?
出典:UNESCO (2024) , p.16をもとに筆者作成

 多様性や多様な価値観に対する理解や寛容に欠け、敏感な感性や配慮が不足しがちな教育現場において、「変容的SEL」は問題の根本原因を批判的に検証するために思いやりと公平性を重視した視点を取り入れることで現場の問題に対処し、当事者同士で教育現場が抱える様々な背景を考慮してSELの意味を再定義することが重要であると、この政策ガイドは説いています(p.104)。

 教員が、対立するさまざまな考えをもった学習者間での、非常に複雑でセンシティブな状況に直面する時、内面的な戸惑いや葛藤を引き出し、学習者同士が対話し、お互いを理解し合うようなプロセスを演出するには、相当の熟練技術が必要です。

 そのために、もっとも重要なのは、教員の社会情動的コンピテンシーとウェルビーイングであり、これを実現するための教員養成、教員研修や継続的なサポートが何よりも必要であることは明らかです。

 この政策ガイドは、最新の研究成果や世界各地の実践事例(具体的なSEL実施事例を含む)を凝縮し、政策立案者やマネジメント層に対し、SELの概念化、そして教育システムのあらゆる側面への統合を促進するための予備的な指針を提供しています。
 平和で持続可能な未来に向けて、教育が解決策となるために、今こそSELの本格的な導入が必要です。このガイドがそのヒントになることを願います。

【参考文献】

6月 図工の評価が分からん……~若手先生のための「声かけ&心がけ」事例集~

新年度が始まって2か月。慣れてきたこともあれば、新しい壁にぶつかることも……。どんな状況でも子どもの学びを止めないために、また自分自身の成長のために、どのような気持ちをもって臨めばよいかを考えるシリーズ。登場人物といっしょに1年を乗り越えていきましょう。

【登場人物】

フタバ先生
フタバ先生

教師になって3年目、初めての学級担任で6年生を受け持つことに。子どもが大好き。タイパ・コスパがつい気になっちゃう。図工には苦手意識あり。

ヤドリギ先生
ヤドリギ先生

教師歴ウン十年の大ベテラン。図工が専門。ホームセンターめぐりが趣味。

【これまでのお話】

「プロセスを大切に」って言われても……

成績をつける季節が近づいてきました。図工の評価が難しいと悩むフタバ先生。ヤドリギ先生に話を聞いてみることにしました。

フタバ先生

フタバ
先生

図工はプロセスが大切って言うけど、そのプロセスがよく分からなくて。

ヤドリギ先生

ヤドリギ
先生

図工の授業って、「表現の始まり」「材料との出会い」「展開」「鑑賞」……といくつかの場面に分かれているよね。それぞれの場面で子どもたちの資質・能力がどのように発揮されたのかを観察することが大切なんだよね。

フタバ先生

フタバ
先生

観察ですか……。

図工も「はさみでこの形を切れたから●点」「きれいに作品をつくれたから●点」って数値化できれば楽なのに。

ヤドリギ先生

ヤドリギ
先生

「はさみで特定の形を切ることができる」、それはそれで大事なんだけど、技能の一面に過ぎないよね。「切った形をどのように表現に生かすか」「思いや材料の特性に合わせて用具を使い分けたり、それで自分の思ったような形をつくることができるのか」が大切なんだよね。

最初に思っていたのと違う形になったとしても、その形を生かして表現していくことを思いついたのなら、それは思考力、判断力、表現力等を発揮していること。子どもの活動の様子を見たり、子どもに聞いたりしながら、しっかりと価値づけてあげる。それがプロセスを見取るってことなんじゃないかな。

それが、図工における教員の役割だと思うんだよね。だから、観察や対話を通して子どもの思いを見取る力を鍛えないと評価できないよね。

フタバ先生

フタバ
先生

どうやって鍛えるんですか?

ヤドリギ先生

ヤドリギ
先生

それはね……

ヤドリギ流 表現のプロセスを見取る力の鍛え方

①一人ひとりの「らしさ」を引き出す題材設定を考える

どんな作品でも、その子らしさが出ます。その子が好きなものが必ず入っていたり、好きな色を使っていたり。その子らしさというのは、全員が同じような表現しかできない活動では見えてきません。だから図工の題材は、何よりも子どもたちにとって自分のイメージが自分の思いに変わって、思いが表出されるものであるべきだと思います。そのことを意識して題材を考えていけば、その子の表現からその子の思いや変化も見えてくるようになるのではないでしょうか。

そして、どの子どもも置いてけぼりにならないような設定であることも大切。手先の器用な子どもだけができるような題材ではなく、クラスみんなのことを思い浮かべて「あの子も、この子も、やる気になりそうだな」と思える題材設定になるといいですね。

②教師がめあてをきちんと理解する

題材の目標を子どもたちに分かるように伝えてあげる言葉、それが「めあて」です。

「めあて」を理解するために大切なのは、先生がその題材を楽しむこと。人は自分が楽しいと思うことにはちゃんと向き合いますよね。題材にちゃんと向き合えば「子どもにがんばってほしいこと」が見えてきます。それが、その題材の一番大切な学び、つまり「めあて」が見えてくるということではないでしょうか。

「子どもにがんばってほしいこと」が見えてくると、「子どもが決めること(子どもに委ねること)」と「教師が決めてあげること」の線引きや、導入での題材の手渡し方、材料の提案、活動中の声かけなどについても想定できるようになります。

見本をつくることも多いと思いますが、どこが面白いのか、どこで子どもたちがつまずきそうなのか考えながら、先生自身がつくることを楽しむことで、題材の本質を捉えていけるし、授業にも楽しく向き合っていけると思います。

③子どもの作品からプロセスを見取る手段を増やす

作品だけを見てその子らしさや表現のプロセスを見取るのは難しいです。子どもに作品についてお話ししてもらったり、作品カードを書いてもらったりするといいですね。ただ、作品カードや振り返りシートをつくることが目的ではないので、あまりそこに時間を取りすぎないようにもしたいですね。

わたしは長時間にわたる活動の場合、各授業の最後に、例えば絵であれば作品の裏に「きょうのタイトル」をささっと書いてもらいます。タイトルは毎週変わるかもしれないし変わらないかもしれない。子ども自身も考えが整理されるし、わたしにとって支援や評価の助けになります。

<例>

▲作品名「命の春」
▲児童のメモ
ヤドリギ先生

ヤドリギ
先生

フタバ先生も題材の目標に基づいて評価の観点をつくっているよね。

評価の観点にのっとってみれば、「はさみで決まった形を切ること」や「きれいな作品をつくること」が全てではないことが分かるよね。大切なのは「はさみを使って形を切って、くふうして表現している」というプロセス。

フタバ先生

フタバ
先生

プロセスを見取る大切さというのは理解できました。

ただ、この間、粘土で立体に表す活動をしたときに、途中までいい感じで進んでいた子が「あ、いいこと考えた!」と全部つぶしてしまって、そこで時間切れになってしまったんです。そういう場合、ヤドリギ先生ならどう価値づけますか。

ヤドリギ先生

ヤドリギ
先生

フタバ先生は、「途中までいい感じで進んでいた」ことには気づいていたんだよね。であれば、時間内に作品を完成することはできなかったけれど、こんなところにこだわってつくっていた、こんな工夫をしていたということを記録しておいて、その子に伝えてあげるといいよね。

フタバ先生

フタバ
先生

思い出の風景を絵に表す活動を、ものすごくやる気で始めたのに、途中から体調が悪くなって授業に出られなくて完成できなかった子どももいました。こういう場合はどう考えたらいいんでしょうか。

ヤドリギ先生

ヤドリギ
先生

子どもと相談して、休憩時間や放課後を使って完成させられるのなら、そのときの活動の様子も見て評価することができるよね。

それも無理ということであれば、わたしなら「評価不能」とするかな。「授業に出ていれば意欲的に活動する児童ですが、8時間のうち2時間しか授業に出られなかったので」と管理職の先生にも説明して、相談にのってもらうといいかもしれないね。

決められた時間の中で調整していくことも大切な学習。でも、評価は一つの題材だけで判断するんじゃなくて、ほかの題材での活動の様子や作品も見て、学期にまとめて評価することになる。だから、プロセスをしっかり見取って記録しておくことが大切になるんだよ。

フタバ先生

フタバ
先生

なるほどです。

子どもたちの活動のプロセスを見取れるように、わたしも図工を楽しんでいこうと思います!

今月の心がけ

評価の秘訣は「教師自身が楽しんで授業に取り組むこと」

次回は「授業改善したいけど、どうしたらいいか分からない……」です(8月公開予定)。

「教員養成課程ではこんなこと習ってない…」が溢れる図画工作の教員現場。

独創性も捨てがたいけれど、ピンチは「共創」で乗り越えられます!

今の時代だからこそ、自分の体を通した体験が実感につながります。

自分から動き出して変わることができる今がチャンスです!

田中明美(たなか・あけみ)(写真右)
静岡県富士宮市出身。東京造形大学美術学科Ⅱ類(彫刻科)卒業。埼玉県と東京都の産休代替教職員(小学校、中学校、養護学校、ろう学校)を経て、東京都の図画工作科教員・指導教諭となった。現在、品川区立立会小学校に勤務して20年目、主任教諭。東京都図画工作研究会(都図研)の副会長や第57回都図研城南大会(関東甲信越静地区造形教育連合東京大会)研究局長、品川区の研究部長などを務め、現在は都図研の研究局のアドバイザーとなる。家にはオオバタン(オウム)がおり、オートバイ好き。

手塚千尋(てつか・ちひろ)(写真左)
明治学院大学准教授。美術領域固有の探究のプロセスとSTEM領域の学びの接続点をさぐる研究に従事する。共著に『ABRから始まる探究(2)初等教育編 子どもの表現とアートベース・リサーチの出会い』(学術研究出版社)、『アート学習ハンドブック(学術研究出版社)』がある。

「機能損傷」と「障害」――「障害の人権モデル」とは何か?(その1)

 この10年間ほどのあいだに変化したことの一つは、障害者問題に関わるモデルの捉え方です。障害者権利条約策定のプロセスでは「個人モデル(individual model)」と「社会モデル(social model)」という分け方で論じられてきました。その後、障害者権利条約が完成した後、「治療モデル(medical models)」と「人権モデル(human rights model)」という二つのモデル概念が打ち出され、それに伴って「慈善モデル(charitable model/charity model)」も批判的に取りあげられるようになりました。これから5回にわたって,人権モデルを軸に据えつつ、諸モデルについて整理していきます。その延長線上に障害者問題以外についてもこれらを援用して整理する予定です。

障害者問題に関わる「個人モデル」と「社会モデル」

 今回からは、障害をめぐるさまざまなモデルとその意味についてのお話です。この問題は、障害者問題だけではなく、あらゆる人権教育について考える土台になると考えています。この連載の第15回でも紹介したところですが、障害の「個人モデル」と「社会モデル」は「障害者の権利に関する条約(以下「障害者権利条約」と略)」の作成過程で注目されるようになった重要な概念です。以下、復習の意味も込めて簡単にまとめておきます。
 「障害の個人モデル」とは、「障害は個人の側にある。その個人(や家族)のくふうや努力、治療などによって解決するべきものである」という考え方のことです。多くの場合、わたしたちが暗黙のうちにイメージしているのはこの「個人モデル」で、結果として、わたしたちは障害者に対してともすると見下したような見方をしてしまいやすいのではないでしょうか。
 それに対して「障害の社会モデル」とは、「障害は社会の側にある。社会の側のくふうや努力、改革などによって解決するべきものである」ということになります。つまり、「現在の社会は健常者中心にできていて、障害者にとってバリアがたくさんある。配慮が不平等になっているために障害者が生きづらいのだから、社会の方を変えていくべきだ」とする考え方です。「社会モデル」にしたがって社会を変えていき、すべての人が利用できるようにすることによって、ようやく社会が公平な場になるという立場です。
 「社会モデル」が前提にしているのは、すべての人には平等にさまざまな人権がある。たとえば、電車などを利用して自由に移動する権利があるということです。それにもかかわらず駅に階段しかなくて車いすユーザーなどに対応していないというのは、その人たちの人権を尊重していないということであり、社会の側に問題(障害・バリア)があるという主張となります。ただし、社会モデルでは人権をそれほど前面に打ち出していない例もあり、「社会にある、障害者にとってのバリアを取り除く」ことをおもな目的にしているととらえる向きもあります。「バリアを取り除くに止まらない。すべての人にさまざまな人権が平等にあり、それを保障することこそ課題だ」という考え方になると、それは「人権モデル」に近づきます。
 第15回の連載と重複するのはここまでです。ここからの記述はそこからさらに踏み込んだ内容です。今回から数回にわたって「障害の人権モデル」に基礎づけられた内容を論じますが、「個人モデル」からモデルが変化していく経過をていねいに紹介しようとするものではありません。諸モデルをめぐっては、さまざまな立場や考え方があり、一括して論じることは難しいのが実情です。しかし、この変化は重要で、違いを的確に捉えられるかどうかによって、問題への対応の仕方だけでなく、教育の在り方全般が違ってきます。そこで、ここでは、私がこれまでに経験してきたこととつないで諸モデルについて論じることにします。さらには、障害者問題という課題の枠を超えて幅広く人権教育に取りくむうえで参考になる点に焦点を合わせて論じます。諸モデルをめぐる経過について詳しく知りたい方は、他の方による別の論考をお読みくださるようお願いします。

英語で「障害」に当たる単語

 この問題を考えるうえで、英語を引き合いに出すのはムダではありません。日本語でおしなべて「障害」とされることばが英語では2種類に分けられています。この2種類に分けられるようになったのは、1970年代からです。
 ひとつは、functional impairment もしくは単に impairment です。このことばの日本語訳は、「機能損傷」や「機能障害」などとなります。「機能障害」という訳語を用いると、「シンプルに<障害>と言うときとどう異なるのか?」という疑問が発生しかねないので、ここでは、混乱を避けるために、「機能損傷」の方を用います。機能損傷とは、たとえば視覚になんらかの問題が発生しており、外界をよく見られなくなることです。「本人の視覚に関わる機能面での損傷により、本来ならば見ることができるはずのものを見ることができない」という状態です。ただし、functional impairment があるからと言って、かならずしも行動に支障をきたすわけではありません。視力がなんらかの原因により衰えたとしても、ある範囲であれば、めがねやコンタクトレンズで補うことができますし、それによって基本的には問題なく社会活動を行うことができるからです。こうなってくると、「損傷」というマイナスイメージのある呼称よりも「差異」などの呼称の方が適切かも知れません。この連載でも、第28回で色覚多様性を取りあげました。以前は「色盲」や「色弱」と呼ばれていましたが、現在では「色覚多様性」という概念のもとに論じられるようになり、「色覚少数者」もしくは「少数色覚者」という言葉で語られるようになりました。色覚少数者の方が、世界をより的確に見られる場合があるのです。
 functional impairment とは別に使われる、もうひとつの英語は、disability です。この単語は「障害」と訳される場合が多いと言えます。最近では、この言葉は、なんらかの機能損傷(impairment)のある人が社会から排除されている場合に用います。この点をよりわかりやすく表現しているのが disabled person という言葉でしょう。disabled person とは「disabled person(できなくされている人)=社会によってなんらかのことをできなくさせられている人」という意味です。ただ、この表現では、この言葉で表わされる人は障害者であることばかりが強調され、レッテル貼りを助長しかねません。障害者の人たち自身による「わたしたちは障害者である前に人間だ」という主張を people first運動と呼んでいます。disabled person を people first の原則に立って言えば、person with disability となります。disabled person の方も障害者が自分たちで自分たちのことを語る場合に用いる言葉です。「社会によってできなくされている」という意味合いは、disabled person の方が強いかも知れません。disabled person は、そのことを烙印とするのではなく、逆に健常者(non-disabled person)に問題提起する言葉です。障害者としてのアイデンティティを尊重した言い方です。

 このように2種類のことばが区別して用いられていれば、個人に機能損傷があることを指摘するのが functional impairment であり、社会の側に障壁があることを指摘するのが disability のほうだということになるでしょう。impairment が個人モデルと親和性が高く、disability は社会モデルと親和性が高いとも言えましょう。Impairment を「障害の個人的側面(または身体的側面)」、disability を「障害の社会的側面」と説明するときもあります。英語だとこのように仕分けて考えやすいのですが、日本語ではこれまでのところ、多くの場合、いずれに対しても同じ「障害」ということばが適用されます。その結果、個人モデルと社会モデルの違いがわかりにくくなっている面があります。

【参考・引用文献】

  • 日本文教出版株式会社ウェブマガジン「学び!と人権」 第15回 障害者の人権と教育(その3)「個人モデル」と「社会モデル」を考える、第28回 共通の課題(その2) 明治維新への着目
  • 都筑繁幸氏(東京通信大学)「個人モデル・社会モデル・人権モデルと障害者権利条約の総括所見」(2025.3、『障害者教育・福祉学研究』第21巻)