学び!と人権

2026.06.05 <Vol.30>

「機能損傷」と「障害」――「障害の人権モデル」とは何か?(その1)

森 実(もり・みのる)

「機能損傷」と「障害」――「障害の人権モデル」とは何か?(その1)

 この10年間ほどのあいだに変化したことの一つは、障害者問題に関わるモデルの捉え方です。障害者権利条約策定のプロセスでは「個人モデル(individual model)」と「社会モデル(social model)」という分け方で論じられてきました。その後、障害者権利条約が完成した後、「治療モデル(medical models)」と「人権モデル(human rights model)」という二つのモデル概念が打ち出され、それに伴って「慈善モデル(charitable model/charity model)」も批判的に取りあげられるようになりました。これから5回にわたって,人権モデルを軸に据えつつ、諸モデルについて整理していきます。その延長線上に障害者問題以外についてもこれらを援用して整理する予定です。

障害者問題に関わる「個人モデル」と「社会モデル」

 今回からは、障害をめぐるさまざまなモデルとその意味についてのお話です。この問題は、障害者問題だけではなく、あらゆる人権教育について考える土台になると考えています。この連載の第15回でも紹介したところですが、障害の「個人モデル」と「社会モデル」は「障害者の権利に関する条約(以下「障害者権利条約」と略)」の作成過程で注目されるようになった重要な概念です。以下、復習の意味も込めて簡単にまとめておきます。
 「障害の個人モデル」とは、「障害は個人の側にある。その個人(や家族)のくふうや努力、治療などによって解決するべきものである」という考え方のことです。多くの場合、わたしたちが暗黙のうちにイメージしているのはこの「個人モデル」で、結果として、わたしたちは障害者に対してともすると見下したような見方をしてしまいやすいのではないでしょうか。
 それに対して「障害の社会モデル」とは、「障害は社会の側にある。社会の側のくふうや努力、改革などによって解決するべきものである」ということになります。つまり、「現在の社会は健常者中心にできていて、障害者にとってバリアがたくさんある。配慮が不平等になっているために障害者が生きづらいのだから、社会の方を変えていくべきだ」とする考え方です。「社会モデル」にしたがって社会を変えていき、すべての人が利用できるようにすることによって、ようやく社会が公平な場になるという立場です。
 「社会モデル」が前提にしているのは、すべての人には平等にさまざまな人権がある。たとえば、電車などを利用して自由に移動する権利があるということです。それにもかかわらず駅に階段しかなくて車いすユーザーなどに対応していないというのは、その人たちの人権を尊重していないということであり、社会の側に問題(障害・バリア)があるという主張となります。ただし、社会モデルでは人権をそれほど前面に打ち出していない例もあり、「社会にある、障害者にとってのバリアを取り除く」ことをおもな目的にしているととらえる向きもあります。「バリアを取り除くに止まらない。すべての人にさまざまな人権が平等にあり、それを保障することこそ課題だ」という考え方になると、それは「人権モデル」に近づきます。
 第15回の連載と重複するのはここまでです。ここからの記述はそこからさらに踏み込んだ内容です。今回から数回にわたって「障害の人権モデル」に基礎づけられた内容を論じますが、「個人モデル」からモデルが変化していく経過をていねいに紹介しようとするものではありません。諸モデルをめぐっては、さまざまな立場や考え方があり、一括して論じることは難しいのが実情です。しかし、この変化は重要で、違いを的確に捉えられるかどうかによって、問題への対応の仕方だけでなく、教育の在り方全般が違ってきます。そこで、ここでは、私がこれまでに経験してきたこととつないで諸モデルについて論じることにします。さらには、障害者問題という課題の枠を超えて幅広く人権教育に取りくむうえで参考になる点に焦点を合わせて論じます。諸モデルをめぐる経過について詳しく知りたい方は、他の方による別の論考をお読みくださるようお願いします。

英語で「障害」に当たる単語

 この問題を考えるうえで、英語を引き合いに出すのはムダではありません。日本語でおしなべて「障害」とされることばが英語では2種類に分けられています。この2種類に分けられるようになったのは、1970年代からです。
 ひとつは、functional impairment もしくは単に impairment です。このことばの日本語訳は、「機能損傷」や「機能障害」などとなります。「機能障害」という訳語を用いると、「シンプルに<障害>と言うときとどう異なるのか?」という疑問が発生しかねないので、ここでは、混乱を避けるために、「機能損傷」の方を用います。機能損傷とは、たとえば視覚になんらかの問題が発生しており、外界をよく見られなくなることです。「本人の視覚に関わる機能面での損傷により、本来ならば見ることができるはずのものを見ることができない」という状態です。ただし、functional impairment があるからと言って、かならずしも行動に支障をきたすわけではありません。視力がなんらかの原因により衰えたとしても、ある範囲であれば、めがねやコンタクトレンズで補うことができますし、それによって基本的には問題なく社会活動を行うことができるからです。こうなってくると、「損傷」というマイナスイメージのある呼称よりも「差異」などの呼称の方が適切かも知れません。この連載でも、第28回で色覚多様性を取りあげました。以前は「色盲」や「色弱」と呼ばれていましたが、現在では「色覚多様性」という概念のもとに論じられるようになり、「色覚少数者」もしくは「少数色覚者」という言葉で語られるようになりました。色覚少数者の方が、世界をより的確に見られる場合があるのです。
 functional impairment とは別に使われる、もうひとつの英語は、disability です。この単語は「障害」と訳される場合が多いと言えます。最近では、この言葉は、なんらかの機能損傷(impairment)のある人が社会から排除されている場合に用います。この点をよりわかりやすく表現しているのが disabled person という言葉でしょう。disabled person とは「disabled person(できなくされている人)=社会によってなんらかのことをできなくさせられている人」という意味です。ただ、この表現では、この言葉で表わされる人は障害者であることばかりが強調され、レッテル貼りを助長しかねません。障害者の人たち自身による「わたしたちは障害者である前に人間だ」という主張を people first運動と呼んでいます。disabled person を people first の原則に立って言えば、person with disability となります。disabled person の方も障害者が自分たちで自分たちのことを語る場合に用いる言葉です。「社会によってできなくされている」という意味合いは、disabled person の方が強いかも知れません。disabled person は、そのことを烙印とするのではなく、逆に健常者(non-disabled person)に問題提起する言葉です。障害者としてのアイデンティティを尊重した言い方です。

 このように2種類のことばが区別して用いられていれば、個人に機能損傷があることを指摘するのが functional impairment であり、社会の側に障壁があることを指摘するのが disability のほうだということになるでしょう。impairment が個人モデルと親和性が高く、disability は社会モデルと親和性が高いとも言えましょう。Impairment を「障害の個人的側面(または身体的側面)」、disability を「障害の社会的側面」と説明するときもあります。英語だとこのように仕分けて考えやすいのですが、日本語ではこれまでのところ、多くの場合、いずれに対しても同じ「障害」ということばが適用されます。その結果、個人モデルと社会モデルの違いがわかりにくくなっている面があります。

【参考・引用文献】

  • 日本文教出版株式会社ウェブマガジン「学び!と人権」 第15回 障害者の人権と教育(その3)「個人モデル」と「社会モデル」を考える、第28回 共通の課題(その2) 明治維新への着目
  • 都筑繁幸氏(東京通信大学)「個人モデル・社会モデル・人権モデルと障害者権利条約の総括所見」(2025.3、『障害者教育・福祉学研究』第21巻)