年間指導計画にワクワクを ~みんなでつくると楽しくなる~

 来年度から使われる新しい教科書に合わせて、新しい年間指導計画をつくる準備されている地域や学校の先生方も多いのではないでしょうか?
 日々の業務が忙しいと「どうせ計画だしあまりつくりこんでも……」「去年と同じものでも……」と思ってしまうこともあるかもしれません。
 しかし、実は「年間指導計画」は丁寧につくればつくるほど、とても楽しい「生きた年間指導計画」ができるんです。
 今回は横浜市立緑小学校 校長の寺澤みゆき先生に、「年間指導計画」でワクワクする秘訣についてお話を伺いました。

まずは資料を参考にしよう

――そもそも「年間指導計画」とはどういうものなのでしょうか?

 学習指導要領解説の図画工作編第4章は「指導計画の作成と内容の取扱い」となっています。ここには「指導計画」について「教科の目標や各学年の目標の実現を目指して、各学年の指導の充実を図るために、年間計画や指導内容の選択、題材の設定などを検討し、創意工夫して作成するもの(※1)と示されています。さらに読むと、A「表現」とB「鑑賞」の関連を図ることや、絵や立体に表す授業時数と工作に表す授業時数についておよそ等しくなるようにすることといった、年間指導計画を立てる際に踏まえる必要がある事項が示されています。
 それらをすべて踏まえたうえで、図画工作科の目標に示された資質・能力を育成するために、1年間のいつ、どのような題材に何時間で取り組むのか、そのときにどのような材料や用具を使うのかなどについて次年度が始まるまでに立てる計画が「年間指導計画」です。

――要素がいろいろあって大変そうですね……。

 教科書を見ながら一からつくっていけるとよいですが、最近は年間指導計画のスタンダードを提示している自治体も多いですし、教科書会社が公表している作成例も充実していますから、それらを活用すればよいでしょう。ただ、そのまま使うのではなく、子どもたちや学校の実態に合わせてカスタマイズすることが大切ですね。

▲日本文教出版株式会社 令和6年度版「図画工作」の年間指導計画例(内容解説資料より)(※2)
※クリック or タップでPDFが開きます。

――子どもたちや学校の実態に合わせるというのはどういうことでしょうか。

 少しイメージしやすいように、子どもの実態と学校の実態を、それぞれ実施時期、題材の時数という視点から説明しますね。

実施時期を考える

1 子どもの実態から実施時期を考える
 年間指導計画では題材の実施時期を決めていくことになりますが、その際には子どもの成長の状況を考え合わせる必要があります。
 以前、1学期の初めの頃に、木版画を行うという話を聞いて驚いたたことがありました。子どもの手の巧緻性や用具の扱いなどを考えると、1学期では十分な活動にならないのではないかと思ったのです。実施する理由を尋ねると「冬は用具を洗うのに水が冷たいから」と。それは本当に子どものことを考えた実施時期とはいえないですよね。子どもの体や心がその題材に取り組むのに適している状況にあるのかを踏まえて、実施時期を判断しないとなりません。
 先日研究授業の講師に招かれた際に、学習内容としては、1学年下の学年で取り組むような題材を扱った授業に出会いました。「あれ?」と思ったのですが、指導計画の児童観を読むと、そこに「ここ数年はコロナの影響で共同してつくりだす活動が制限されていたこと」「授業で扱う活動や材料などが未経験であるため、あえて取り入れたこと」など、書かれていて納得しました。このように児童の経験や実態に応じて題材内容自体を検討することも必要ですね。

2 学校の実態×実施時期
 題材を実施する時期は、学校の実態も考え合わせる必要があります。例えば高学年は年間の授業時数が50時間しかありません。年間でまんべんなく時数を配当してもよいですが、運動会の練習の時期などのように練習を集中的に行う時期には、子どもが造形活動に落ち着いて取り組むことが難しくなることが考えられます。であれば、思い切って時期をずらしてしっかり取り組めるようにすることも検討しましょう。反対に、周年行事などを控えている場合は、行事と図画工作科の授業を関連付けて行うことにより、学習が深まる場合もあります。
 もう一つ、これは学校というより地域差かもしれませんが、気候や天候の特徴で自然の材料を使った造形遊びに取り組みやすい時期というのも違ってきますよね。
 また、これは実際の実施時期にならないと分からないことですが、今年のように暑い日が続くようであれば、野外の活動時期を考え直すということも必要です。気候や気温はなかなか想定しにくいですが、他の学級の先生や管理職などと話し合って時期をずらすようにしましょう。
 「計画」というと「計画通りにせねばならぬ」というイメージをもってしまいますが、子どもの安全や健康のことも考えて柔軟に対応することが大切です。

時数を考える

3 子どもの実態×題材の時数
 1つの題材にどのくらいの時間をかけるのかを決めなくては、年間の計画を立てられません。もちろんこのときも子どもの実態を踏まえる必要があります。使ったことのない用具を扱う題材であれば、慣れるためにも少し時間を長めに設定した方がよいでしょうし、中心となる材料や活動内容に十分に慣れているようであれば、短めで設定することもできるでしょう。初めて担当する学年や、初めて出会う子どもたちであれば、前年までに取り組んだ先生から助言を受けたり、子どもたちの経験などを確認したりしながら、各題材の時数を検討しましょう。

4 学校の実態×題材の時数
 最近は小学校でも教科担任制や教科の分担が進んでいます。そうすると、やってみたら少し時間がかかりそうだから延長しよう、というような調整は難しくなります。また、活動場所を確保するためにも時数をはっきりさせておく必要があります。逆に言うと、確保できる時間の中でどのようにして学習を成立させることができるのかを考えることになります。個別の学習の指導計画をつくる際に考えることですが、年間指導計画をつくる際にもある程度イメージしておくとよいでしょう。
 ポイントの一つは、導入をどうするのかです。例えば授業を行う前の週の週末、材料集めを提案するタイミングで導入したり、さりげなく次の題材につながるようなものを教室に置いておいたり、朝の会の時間などを活用したりして、子どもたちが自分の表したいことを考える「あたため」の時間を授業時数以外のところに設定すると、スムーズに学習に入れますし、子どもたちが活動する時間を十分に確保できます。私はこれを「0時間の活用」と言っています。
 時間を有効に使うという意味ではICT機器も積極的に活用しましょう。材料や用具の使い方などは、実際に演示するよりも映像の方が見やすいこともありますし、自分が必要とするタイミングで、子どもたちが繰り返し確認できるようにすることで効果的な学習が期待できます。
 限られた時間の中で子どもたちが表現に向かえる時間を、できるだけ多く確保するための工夫はしてあげたいですね。

▲4つの視点から検討しましょう

――時間外をうまく使うというのは目から鱗です。とはいえ計画を立てるとき、時数は長めに設定したくなりそうですね。

 各題材の時数をしっかり検討しておくことはとても大切なのですが、年間指導計画を立てる時期は子どもと出会う前、という場合も多いですから、思ったようにいかないことはあります。4月に子どもたちと出会ったときに、「あ、まだこの題材に取り組めるほど絵の具の経験ができていないな」と感じることがあるかもしれません。そのときは、材料に親しむ時間を加えるなど、時数を調整しましょう。決めた時数に無理やり収めようとすると、子どもが学びづらくなります
 逆に「時間が余ったらどうしたらいいですか」と相談されることもあります。そのときは必要だと考えて時数を設定したのだから、まずはその時間で実施してみること。そして、その子の表したいものと発達の段階を照らし合わせて、まだ表現を深められると感じたら指導する。子どもも満足して十分に資質・能力が発揮できたと先生も感じられたらそこで終えてよいと思います。それで時間が余った場合は次の題材の導入を行うなど、教師が子どもたちの学びの状況を見ながら少しの時間を大切に、でも自由に使えるように事前に準備しておく必要があることなどを伝えるようにしています。
 「計画通しせねばならぬ」ではない。4時間計画したら4時間しないといけない、というのもちょっと違うんですよね。

先生同士で相談し合える関係が一番

――視点があると考えやすいですね! ただ、これだけのことを事前にすべて一人で考えるのはやっぱり相当難しそうですね……。

 緑小学校では、実施時期や時数も含めて、指導計画に変更があったら朱入れをして次年度に申し送るようにし、みんなでよりよい年間指導計画にすることを心がけています。
 でも、何といっても先生同士で相談し合えるようになっていることが大切です。学年を引き継ぐときは、どの題材を学習したかだけでなく、子どもたちがどういう活動が得意だったのか、どの用具の扱いが苦手だったのかなど、学習の様子についてもしっかり共有しておくことで、より実際的な計画を立てられるようになります。
 経験の少ない先生も多くなってきています。分からないことはどんどん相談してほしいですし、相談を受ける側の先生も、自分の経験の範囲でよいのできちんと答えてあげるようにしてほしいです。
 相談相手を見付けるには、研究会に参加するのもおすすめです。始まるまでの時間や休憩中に、他の学校の先生との会話で「次、この題材をしようと思うんです」「それ、この前、授業でやったよ」というようなやり取りが生まれることもありますし、会場の教室やそこに行くまでの廊下に展示されている作品を見て「こんな材料もありなのか」「うちの学校と全然違う!」というような気付きもあります。そういうやりとりや気付きから相談する相手を見付けられることもありますからね。

並べてみると見えてくる

――申し送りがあったり、相談し合う環境があったりすると、それだけで安心感が高まりますね。なんだかつくれそうな気がしてきました。

 緑小学校は子どもの数が多いので、図工室の使用に優先順位が決まっています。図工室でなければできない、例えば電動糸のこぎりやのこぎり、金づちなどの用具を扱う学年から先に、図工室の使用順が決まります。適切な時期に、適切な場所で学習するためには、6学年分の年間指導計画を並べて、題材配列の調整を行う必要があるんです。
 このこと自体は必要に迫られてなのですが、そのおかげで「この時期に5年生がこの題材をするなら、4年生も同じ時期にしよう」と意図的に題材を配列することもできます。本来ならごみとして捨てるところを、端材を融通し材料として活用するといったことも可能になります。子どもたちの発想を広げるのに使えそうな材料が、思いもよらず手に入ることもあります。年間指導計画を縦にみると、案外いいことがあるんです。
 同じ用具を使うのであれば時間を連続させることで、準備と片付けを学級で分担して、活動時間を確保することもできます。全学年分を並べてみることで、より効果的な学習活動へのヒントがもらえます

▲令和6年度版「図画工作」題材系統表も参考に(内容解説資料より)(※2)
※クリック or タップでPDFが開きます。

丁寧に立てて、柔軟に対応する

――「柔軟に対応する」ということも何度か強調してくださいました。

 事前に完璧な計画を立てるのはそもそも不可能だと思います。子どもたちは生きて日々成長していますし、さまざまな要因によって変更せざるを得ないこともあります。にもかかわらず一度立てた計画だからこの通りにやるのだ、というのでは本末転倒になってしまいます。
 だからと言っていい加減な計画でよいわけはありません。丁寧につくるからこそ見えてくることがたくさんあります。完璧さにこだわるのではなく、子どもたちにどこまで寄り添うか、という意味で丁寧につくると、自分自身の見通しになりますし、逆によく分からないことがはっきりします。また、他の人からヒントをもらえるチャンスにもなります。いろいろな先生方と連携するきっかけにもなるんです。
 みんなで協力しながら、そういう「生きた年間指導計画」をつくって、臨機応変に運用するのがいいですね。

「自分らしさ」を育てていこう

――まさにみんなで「創意工夫して作成する」といいんですね。わいわいと話し合いながらつくる様子は、想像すると楽しそうです。そうやって学ぶ図画工作の授業で、先生たちに意識してほしいことは、どんなことでしょうか?

 図画工作で培う資質・能力で一番大事なのは、子どもが形や色に触れ、いいなと思う経験を繰り返していく中で、感性が育っていくところだと思います。そういう「自分らしさ」を育てていくのが小学校の図画工作だと思います。子どもたちが、自分がどんなものが好きだとか、何に心地よさを感じるのかとかいったことに気付く時期なんです。さらに、友だちの好きにも出会えるし、題材を通して好きになる幅も広がっていきます。
 つくることや表すこと、見ることによって自分を育てる、自分の内面を充実させているということだと思います。先生方には、図画工作はそういう学びの時間だと思ってもらえると嬉しいですね。


寺澤みゆき(てらさわ・みゆき)
横浜市立緑小学校 校長。
横浜市教育課程研究協議会委員。
平成4年横浜市立小学校教員として採用され、横浜市立小学校副校長、横浜市教育委員会指導主事、横浜市立桂小学校校長を歴任。
令和4年度より横浜市小学校図画工作教育研究会会長を務める。

令和6年度版「図画工作」の年間指導計画作成のための題材別カリキュラム、評価規準例は以下からご覧いただけます。
https://www.nichibun-g.co.jp/r6es_textbooks/zuko/#zuko05

※1:学習指導要領(平成29年告示)解説「図画工作編」p104
※2https://www.nichibun-g.co.jp/r6es_textbooks/zuko/よりご覧いただけます。

生成系AI時代にこそ図画工作・美術が学びの核になる ~STEAMの“A”を読み解く~

 情報化社会における学びのあり方を研究されている山内祐平先生に、STEAM教育や生成系AIと学校のあり方についてお話を伺いました。最近話題のChatGPTをはじめとする生成系AIは、さまざまな面で私たちの生活に大きな影響を与えることになりそうです。教育現場での学び方や働き方はどうなるでしょうか。

芸術は孤立した科目

――美術科教育学会でのご講演「STEAM教育・学際的な学習におけるアートの可能性」を拝聴しました。STEAMのA(Art)の役割をたいへん分かりやすく説明されてました。

 STEAM(スティーム)教育は日本でも最近は教育政策用語としてよく使われるようになりました。前身としてSTEM(ステム)教育、つまりScience(科学)・Technology(技術)・Engineering(工学)・Mathematics(数学)があって、理工学分野の教育の拡充と理工学を応用した職業への誘導が趣旨でした。日本でもよく「今からの時代は理系の教育をもっと」と言われてますよね。
 そしてSTEMに“A”が加えられたのですが、「リベラルアーツ」つまり教養を意味する場合と「芸術やデザイン」を指す場合があって、必ずしも定義が一致しているわけではありません。STEAMの“A”の位置付けは人の数だけあっていいと思います。でも、もちろん“A”のとらえ方次第で授業のあり方は大きく変わります。

――山内先生はアートをどのようにとらえられているのでしょうか。

 私は芸術系の教科は、今まで他の教科から孤立する傾向にあったと思っています。でも、今後を考えると、芸術が他の教科とどう共同していくかということが、とても大事なテーマだと考えています。
 アートは、現代の状況を批判的にとらえることができる独自の視点をもっています。それを生かせば、アートならではの新しいSTEAMの形ができると考えて、「体と触覚で考える遠隔コミュニケーション」というワークショップを行いました。
 今、メディアアートでは身体性を意識したり伴ったりした表現が自然になってきています。それに対して、現状の情報コミュニケーションは言語にものすごく依存している。
 ワークショップでは、触覚技術(ハプティクス)を使って、例えば遠隔地で寝ている人を、電話ではなく、遠隔で手を動かすと顔に何かが当たるようにして起こしたり、「ありがとう」「どういたしまして」をスポンジのふわふわした感じで伝えたりしました。それで、振り返りをすると、「既存の方法より触覚のほうが伝わることもある」とか「触覚による伝わり方は自分と相手の関係性によって異なることが分かった」という意見も出て、ワークショップを通じて、コミュニケーションとして今まで当たり前だと思っていた方法に対して「本当にそうなの?」というところに目を向けることができた。アートによって現状を相対化していく視点の獲得ができたかなと思います。

ワークショップ「体と触覚で考える遠隔コミュニケーション」 活動の様子

試行錯誤が許される贅沢な時間

――「芸術という教科が孤立している」と言われました。われわれも現場の先生と話す中で「図画工作って何を学べるの?」という話をよく耳にします。

 つくってみて初めて分かることがあって、それが、図画工作の一番強いところだと思うんですよね。
 工学系でモックアップ(模型)をつくる場合、仕様を決めて機能を組み込んでいきます。アートの場合は目標に向けて一直線ではなく行きつ戻りつ作品をつくります。図画工作でもプロセスの中で新たな問い返しが生まれて、その気付きをアウトプットすることで他の教科とつながっていくことができる。さっきのワークショップの例でいえば、「触覚による伝わり方は自分と相手の関係性によって異なる」ということに気付けたら、もう教科を越境し始めているんですよね。そこからは、例えば、国語の先生が引き取ってコミュニケーションについて考えてもいいし、社会科の先生が情報通信社会について学ぶほうにもっていってもいいわけです。そうやってつなげるじゃないですか。
 試行錯誤の中で何かをつくり出す。その贅沢が許されている教科が図画工作だと思います。その強みを生かしてつなげていくことが、これからの子どもたちの教育にとても必要なことだと思います。
 そのためには、やっぱり実践が必要です。日本の先生は忙しすぎるという大きな問題がありますが、ただみんなやる気はあって、国際的に見てもレベルは高いと思うんです。だから図画工作と他の教科を越境するような実践が増えてくれば、「面白そうだから私もやってみたい」という先生も増えるんじゃないでしょうか。
 だから、そこを是非、教科書をつくっている日文さんが意識していただけると(笑)、だいぶ変わっていくんじゃないかなって気がしますね。

――ですね(笑)。教科書には「未来にこんな学校があればいいな」というのを想像して、試行錯誤しながら身近な材料でつくって提案するという題材があります。

 それはいいですね。図画工作の先生と他の教科の先生が自然に連携するといいですね。

アートの本質は「生きることのとらえ直し」

 他の教科でプロジェクト学習すると、現実の社会課題に直結した「これを解決しましょう」みたいな感じになると思うんです。それは悪いことではありません。だけど、あまり現実の課題ばかり突きつけられると、子どもはしんどいじゃないですか。確かに将来的に子どもが解いていかないといけない課題ではあるのだろうけど、環境問題や地域紛争ばかりがずらっと並んでいたら「もう、かんべんしてよ、先生」ってことになりますよ。
 もうちょっと、つくりだすことが楽しくて、前向きになれる夢のあるプロジェクトがあってもいい。図画工作で、とりあえず未来について自由に想像して、「こういうのがあったらいいな」っていうのを積極的にやるところから始めて、「でも、実際のところどうなの」っていうところを他の教科へ落とし込んでいくというやり方はあるのかなと思うんですよね。
 今まではどちらかというと、そういうプロジェクト型の学習みたいなものは、他の教科が主導して、図画工作はお手伝いみたいなところがあったかもしれない。
 大事なのは、STEAMでは「アートと現代的課題との架橋」すなわち「人間が生きることのとらえ直し」ができるというところです。そもそも、なんで人はアートをやるのかっていうと、作品を売りたいっていうよりも、自分のモヤモヤ、生きることに対するなんだか分からない思いをとらえ直すために、絵をかいたり音楽や詩をつくったりしてるんじゃないかと思うんですね。だから、「とらえ直す」という次元に達すると、もはやそれはアートの本質なんだと思うんですよ。そう考えると、アート、“A”はSTEMに隷属しなくて、主体性を担保できる。だって、ずっと私たち人間はアートによって生きることをとらえ直してきたんだから。

他の知とつながるための「振り返り」

――アートの重要な役割として「感覚から思考へ」ということをおっしゃっていました。このあたりは授業へどう落とし込んでいけばよいでしょうか。

 図画工作の時間、明らかに子どもたちは楽しんでいて、ある種の「感覚」を得ていることは間違いないと思います。そこで終わらせることなく、方向性をもった「思考」へ展開させるところが、これからの図画工作の教育ですごく大事になってくる。
 感じるだけで終わるんじゃなくて、それをなんらかのアウトプット、さっきのワークショップの例だと「コミュニケーションって、こんなやり方があったんだな」と考えるところまでいけるような授業をたくさんして、他の教科とつなげていってもらうということがとても大事。やっぱり「感覚から思考への展開」っていうことを、授業の中にどんどん取り入れていく必要があると思います。

――図画工作の振り返りは言語じゃないといけないのかという議論もありますが。

 どんなに短くても振り返りの時間はとったほうがいいですし、時間をとれないのであれば何かに書いて、壁に貼って共有するというのもいいと思います。ある作品を自分でつくったときに「何を考えたのか」「何を感じたのか」をあらためて考えて言葉にすることが次につながる新しいブレイクスルーを生み出すのだと思います。
 それは、図画工作で学んだ感覚的な意味のネットワークみたいなものを、他の知と接続するためのインターフェース部分になるんですよ。それを図画工作の授業で用意してあげることは、子どもたちが培ってきた意味ネットワークを、将来、成長してから他の知につなげていくときにとても重要なんです。図画工作的には絶対やったほうがいい。

図画工作の授業における「感覚から思考へ」(山内先生への取材を基に編集部作成)

写真:日本文教出版 令和2年度版教科書『図画工作5・6下』p.46-47「ドーリーム・プロジェクト(一部)」

「感覚から思考へ」は人間にしかできない

 これはちょっとお話ししたほうがいいと思っていて。みなさんご存知のとおり、世間は生成系AIで大騒ぎです。
 ChatGPTは、みんなが書いたものを切り貼りして読書感想文を生成できますが、「わたし」のつくった作品の感想は書けないんですよ、だってつくってないから。「自分がこういうものをつくりました」「それに対して私はこう思いました」って文章は自分の感覚、自分の経験から生まれてきた言葉ですよね。それは、AIでは生み出すことができない。
 図画工作でも、きれいな絵をかくだけだったらAIの画像生成を使ってできちゃうわけで(笑)。要するに、形式的に記号を操作して、きれいな作文や絵ができればいいっていう時代は終わりつつあります。これからは、形式的に記号が操作できるだけでは、教育としては不十分ってことになるんじゃないでしょうか。
 これからAIが台頭するからこそ大事にしなきゃいけないことって、「人間の人間らしい部分」、まさにこの「感覚から思考へ展開していく」ってところです。物事の後ろ側にある感覚とか意味みたいなものを、子どもたち一人ひとりが可視化できるようになるということがとても大事になってくる。活動を通じて感覚と思考をつなげていって、その意味が統合されるというところが、図画工作や美術で一番大事なところなんだろうなという気がします。
 そういう意味でも、具体的な経験をもって、この過程を後押しできる図画工作は、今後のカリキュラムの核になりうるポテンシャルを秘めています。とても大事なポジションにあると思いますよ。

ブルーからホワイト、そしてカラフルへ

――大人の意識改革も、大事ですよね。

 せっかく現場の先生がすごくいい授業をしても、保護者の方に伝わらないということもあります。結局、受験に通らないんですよねって言われちゃう。まだまだ大学に行って就職したら一生安泰、というようなイメージも強いですからね。社会全体の意識が変わるには、わりと時間がかかるかもしれない。でも先生方にはぜひその先のことを意識してほしいですね。
 ホワイトカラーはAIの影響を確実に受けます、この10年くらいで。これはもう避けては通れない。だってAIが医師国家試験に通っちゃうレベルなんですから。もちろん間違いもあるけど、学習量を増やせば、どんどん完璧に近づいていく。そこで勝負する時代はもう終わるんだと思うんです。
 大量のホワイトカラーが雇用を支える時代は終わる。でもそれは昔、大量のブルーカラーが雇用を支える時代が終わって、大量のホワイトカラーが発生したのと同じように、大量のホワイトカラーの時代が終わって……何か別の色、何色になるかは分からないんですけど。一人ひとりの個性を生かしてより人間的な仕事がAIと共存する、カラフルな色になるといいですね。


山内祐平(やまうち・ゆうへい)
東京大学大学院情報学環 教授。
大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程中退後、茨城大学人文学部助教授を経て現職。博士(人間科学)。情報化社会における学びのあり方とそれを支える学習環境のデザインについてプロジェクト型の研究を展開している。情報学環・福武ホールの学習環境デザインに対して2008年度グッドデザイン賞受賞。主な著書に『学習環境のイノベーション』(単著、東京大学出版会)、『ワークショップデザイン論 ―創ることで学ぶ』(共著、慶応大学出版会)、『デジタル教材の教育学』(編著、東京大学出版会)、『学びの空間が大学を変える』(共著、ボイックス)などがある。

※令和2年度版小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。

「こうしたい」と思う気持ちが、力になる〜特別支援学級の図工指導を通して〜

 東京都の公立小学校で長年にわたり図画工作専科教諭として多くの子どもたちと関わってこられた南育子先生。昨年度定年を迎えられ、その後は特別支援学級で図画工作と音楽を指導されています。この1年で子どもたちと過ごす中で感じたことを語っていただきました。

「表現すること」とは?

 特別支援教育について語るには経験が少なすぎますが、子どもが表現するということについては、図画工作専科教諭としての経験を基に、特別支援学級の子どもと向き合い、考えてきたことをお話しすることができると思います。

 同じ教室に学年も特性もいろいろな子どもがいる中で指導を行っているので、その子がどこで自分の表現を出せるかっていうところを見極めるよう心がけています。「まだまだやりたそうだな」という子どももいるし、「もうここで精一杯」っていう子どももいますから、様子を見ながら一人ひとりに必要な手立てを直観的に判断し示すことが必要になってきます。

 それは通常学級での図工と変わらないことなのかもしれません。ただ特別支援学級は人数が少ないので、一人ひとりに向き合える時間がより長くなる分、よりその子のことを感じ取ることができるゆえ強く感じるのかもしれません。

表現と喜びが結びつく

 音楽の授業でも、リズムや拍、曲の流れなど、音楽の表現要素が楽譜通りではないけれど、「めちゃくちゃ楽しい」っていうことを子どもは表現するのです。

 『アルプス一万尺』を、みんなで手振りもつけてやってみようと提案しました。伴奏とタイミングはなかなか合わないのですが、できることそのものが楽しくて仕方ないという様子で、楽しさが全身にあふれているのです。見ている人に「楽しいんだなー」っていう気持ちが伝わるっていうのは、やっぱり表現なのですよね。もちろん友だちと手を合わせたり、みんなで歌ったりすることを楽しむよさもあります。楽しさのポイントが子どもに刺さると、気持ちをのせて全身で表現します。周りの音が聞こえるようになると合わせる楽しさにも気付きます。もっとすてきな演奏をしたくなります。

 楽しそうな子どもを見て、先生も喜んで「楽しいね」って素直に言葉にすると、その子は「自分がやっていることで、みんなも楽しくなっている」って気付くのだと思います。だから先生の、子どもを感じ取る力って大事なのだと思います。

「思い」の入り口に連れていく「指導」

 もちろん、楽しければ何でもいいってわけじゃなくて、指導することも必要です。ただ、一から十まで教えるということではありません。

 例えば彫刻刀を使うなら、安全指導をした上で、持ち方や角度といった「コツ」のようなものや、彫っているときの振動が手から伝わる楽しさに、子ども自身が気付いて楽しんでほしい。そういったことを感じ取れる入り口まで連れていくのが指導で、そこから何を感じてどう表現するかは、それぞれの子どものものだと思っています。

 表現するってすごいことで、絵をかきながら自分の中の混沌としたものが「こういうことだったのか」って気付くことがあります。かきながら「あれはどういうことなんだろう」ってどんどん掘り下げていくことだってあるのですよ。自分が自分のまま作品と向き合って、自分に問いかけて、そこから自分がまた表現することで考えが深まっていく。でも、いきなり「ここを目指しなさい」って言われると、そこに向かっていくだけになっちゃう。それはもったいないと思います。

 子どもは、障がいがあってもなくても、何かを感じて「これをこうしたい」という気持ちが生まれ、それを形や色などで表現していきます。そこを教師はしっかりと見極めて、受け止めて指導していくことが大事です。

 のこぎりで角材をどんどん切る授業をした時のことです。切った木片をやすりでスベスベにしてみようと提案しました。私としては、子どもが木片を触りながら、トゲで少しチクっとするとか、ザラザラしてるけど嫌じゃないなとか、子どもたちが自分の心地よさを探してほしいと思っていました。だけど支援員の方が、子どもが切った木片を一つひとつチェックして、磨けてないところをチョークで塗っていたのです。私が言った「スベスベにしよう」という提案を補助してくださったのだと思いますが、それだと大人が自分の目で確認して触ってスベスベかどうかを判断してしまうことになってしまいます。

 スベスベかどうかを判断するのはその子自身なので、自分で触ってガサガサしてるなと思ったらそこを磨けばいいし、もっとスベスベにしようと思ったらすごく頑張って超スベスベにすればいい。「ほっぺ貸して」ってスベスベにした木片で子どもの頬にやさしく触れると、「本当だ!気持ちいい~」ってみんな喜ぶのです。手で触って、目で見て、「本当だ」って分かる。視覚と触覚が繋がる感覚がないまま、指示されて磨くのは、ただの作業ですよね。
 支援員の方にそのことをお伝えしたら、すぐに納得してくださいました。その方も子どものことを思い、行為の結果を求めた行動だったのだと思います。

思い通りにはいかない

 そんなふうに子どものことを思う先生ほど「きちっとやらせたい」と思うのかもしれません。でも、それだけだと先生には「させるための力」が身に付いてしまいます。私もそういうことはあったのですけど、途中で「思い通りにはいかないんだ」って諦めたのです。そうしたら、子どもの中にある面白さや魅力に気付くことができて、うれしくなりました。無理にさせようとすれば、お互いに苦しくなってしまいます。
 先生と子どもが人間として、表現する人として対等であることを大切にしたいです。すごく集中している時に声をかけるのは失礼ですよね。それは子どもも同じです。なので、声はかけずに「すごいね」「こんなに集中するんだ」とか、聞こえるかどうかくらいの音量で呟きながら後ろを通り過ぎてみます。子どもが何をしているのか分からないときは「すごいオーラを感じるのだけど、何をしているの?」って聞くと、教えてくれます。自分のやりたいことや、思っていることを夢中になって話してくれます。大人が見て、何をしようとしているのか分からなかったり、ちょっと変な感じがしたりしても、子どもが一生懸命やっている時には、やりたいことが明確にあるのです。

 だから、「やりたい」って思うことが子どもにとって大きな力になります。特別支援学級の子どもたちは「やりたくなければ動かない」っていう感じが、通常学級よりも顕著かもしれません。つまらないことはやらない。そこは本当に正直で、教師の提案が魅力あるものなのかどうか判断される厳しさがあり、私のやる気もでます。

子どものよさを素直に伝える

 図工を好きな子どもが多いのは、自分のままいられる心地よさがあり、自分のすてきな姿に出会える時間だからかもしれません。家庭でも、学校でも大人がこうなってほしいという思いが強いと、子どもが楽しくて幸せな気持ちでいるのに大人が気付けず、子どもは認めてもらえないってことがあります。子どもが夢中になっているときは、そこには何かいいことがあるのだと思います。忙しいのにそんなのんきなことは言っていられないかもしれませんが、宝探しのように探って感じてみるといいです。見つけたよさを言葉にして伝えることで子どもの輝きが増すのではないでしょうか。

表現することは自分自身をつくること

 紙を使って工作をした時、始めはセロハンテープで二つの紙をつなげることもぎこちなかった子どもたちが、2時間目、4時間目と時間が経つうちに指の動きが変わってきました。つくりたい形や試してみたい仕掛けなど、発想と気持ちがつながり、それをやり遂げたい気持ちで、指で支えたりつまんだりひねったり、指先をフルに動かしているのです。

 先ほども述べましたが、形や色などで表現する中で子どもはあたりまえのように考えたことや感じたことなどを作品として残していきます。色を選んだり、材料を選び使い方を考えたり、手や体を動かし自分に問いかけ、自分で決断していきます。これを自分自身で行うのですから、表現はその人そのものなのです。

 子どもが自分自身に向き合う、そこを見極めることに私は向かっています。

作品紹介

 インタビューの中で、子どもたちの作品を見せていただきながらたくさんのエピソードを教えていただきました。

 最初の4枚の作品は、最初クレヨンでかいた後、絵の具を塗ってスクラッチなどをする活動を想定していたそうです。でも子どもはクレヨンを手にして色のよさを感じた途端、表したいものをイメージしどんどん描いていく展開に。予定していたスクラッチはやめ、子どもたちの活動を見守ることにしました。

 「こちらが違う提案をしていても、女の子をかきたいという気持ち、自分でやりたいという気持ちが強くてどんどん突き進む感じです。子どもがかきたい、やってみたいことを見つけられるように教師側はいろいろなことをしているのです。こうやって子どもがかきたいものを生みだしているのだから、その表現を見守ることで素敵な子どもの姿に出会うことができました。」


上:『ハワイの夜』
下:『グーグルマップで見たハワイ』

 「この2枚の絵は同じ子がかきました。上の絵はハワイの海に光が反射してるんですって。白い部分は海で、月の光が海に反射しているんですね。下の絵はGoogleマップで見たハワイ。今時の子という感じで面白い表現だなと思います」

『またあえて うれしくて ないている人』
 「自分の絵の具もどんどん使っていいよと伝えたんですが、この子は「これは青だけでいいの。猫が死んじゃって、死んじゃった猫とこの子が再会したの。嬉しいけど寂しいから、この色でいいの」って。また会えて嬉しくなって泣いている人なんですね。よく見るとなんとなくシルエットもわかる。周りの青は雨か涙かわからないけど、そのような気持ちも表現されていて印象に残っています」

 こちらは渡り鳥を追ったドキュメンタリー映画を見た後、子ども一人ひとりが「鳥の家族の〇〇な一日」というテーマを決め、版に表していく活動です。

『大雨でたいへんな一日』
 「映画では、場所についての字幕はあるけれど、鳥同士の会話があるわけではないので、よく見ていないと面白くないよ!と伝えました。そうすると、子どもたちも真剣に見て「がんばれ」とか「あぶない!」とか、いろいろつぶやいていましたね。
 この作品は、雨で巣が濡れないように枝や葉が守っているのです。よく見ると、雨を表すのに彫り方を変えていることがわかります」

「子どもとつくる図画工作」
南育子(みなみ・いくこ)
2022年3月まで東京都公立小学校図画工作専科教諭として勤務。東京都図画工作研究会元研究局長、元副会長として研究を推進。著書「子どもとつくる図画工作」(日本文教出版)、「小学校図工の授業づくり はじめの一歩」(明治図書出版)など多数。

アニメーションづくりを通して、世界とつながる

 今回はKOMA KOMAの生みの親である布山タルト先生にアニメーションづくりでの学びについてお伺いしました。「動き」を表現することは、世界とつながる実感を得ることだと、布山先生は語られます。

2020年12月に国立新美術館で実施した、JAAアニメーション・キャラバンのワークショップ会場にて

人と人をつなぐアニメーションづくり

――布山さんがKOMA KOMAを開発することになったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

 私は1990年代からアニメーション作家として活動していたんですが、2002年に当時住んでいた岐阜県で「飛騨国際メルヘンアニメ映像祭(2002~2010年)」が開催されることになって、仲間と一緒にアニメーション制作のワークショップを企画しました。そこでつくった装置の一つが、ちゃぶ台の上でコマ撮りアニメをつくる「コマドリアニメテーブル」で、カラフルなボタンなどは今のKOMA KOMAとよく似ています。
 その装置はすごく好評で、何時間もそのちゃぶ台を囲んで楽しそうに作品をつくっている家族もいました。その様子を見ているうちに、なんだか生活とアニメーションが地続きにあって、アニメーションをつくることが人と人をつないでいるように感じられて、自分はこういう場を求めていたんだと気づいたんです。

コマドリアニメテーブル

 それがきっかけで、次第に作品制作からワークショップ実践に活動の主軸を移すようになったんですが、10年間ほどそれを続けるうちに、来場した人しか体験ができないワークショップという形式に、普及の面で限界を感じるようになりました。そんな折、ちょうど文化庁の「メディア芸術クリエイター育成支援事業」の募集が始まって、当時考えていた「アニメーションと教育をつなぐ」というコンセプトのアートプロジェクトを提案して、それが運良く採択されて開発したアプリが、KOMA KOMAの最初のバージョンです。

――「アニメーションと教育をつなぐ」ということでしたが、そのときの教育というのは学校教育をイメージされていたのでしょうか。

 生涯教育のような、もっと広いイメージでした。アニメーションというと、普通は娯楽として受け止められると思うんですが、アニメーションをつくること自体にはさまざまな「学び」がある、ということを提案したかったんです。だから正確には「アニメーションと学びをつなぐ」と言ったほうが適切かもしれませんね。
 ただ、当時の漠然とした野望みたいなものとして、文字の読み書きと同じように、アニメーションをつくることを、すべての人が表現のベースとして学べるようになったら面白いだろうとは思っていました。もし小学校の授業で全員がアニメーションづくりを体験するようになれば、日本の義務教育を受けた人たちは、みんな一度はアニメーションをつくることになりますよね。そんなことを考えていた気はします。
 だから今回、KOMA KOMAをウェブアプリにする話をいただいたとき、日本文教出版という、教科書会社がもつであろう学校に普及させるノウハウに対する期待はありました。

自分でアニメーションの面白さを見つけてほしい

――布山さんがワークショップをされるときに大切にしていることはどんなことですか。

 自分が先生になって教える、という形にはあまりしないようにしています。場だけを提供して、あとは子どもたちに自分でアニメーションの面白さを発見してほしいんです。
 実際、ワークショップでは教えるというより子どもから学ぶことのほうが多いと思っています。子どもたちと接していると、アニメーションにはこういう可能性があったのか、と気づかされるような表現と出会うことがよくあります。たとえば、たった4枚の絵で人類の進化を表現しちゃう子がいたり、カメラをモニターに向けてフィードバックする映像をコマ撮りする子がいたり。素直にすごいなあと思う。はじめから「アニメーションとはこういうものです。」と言ってつくり方を教えたら、そういう表現はなかなか生まれないと思うんです。

カメラで画面を撮影する子

 アニメーションをつくろうとするときに、自分の好きなテレビアニメを模倣することも否定はしませんが、もっといろいろな可能性のある自由な表現だということに気づいてもらいたい。KOMA KOMAが機能的にずっとミニマムなままなのも、自由に使っていい道具としてデザインしているからです。「あなたが工夫すればいくらでも面白くなるけど、工夫しなければ何も始まらないツールだよ。」というメッセージを、アプリに忍ばせているわけです。そういうツールを使ってもらうことで、自然と「アニメーションは自由であっていいんだ。」と気づいてもらえるのが理想です。

「動きの造形遊び」のように考える

 それと大切にしたいのが、鑑賞の時間ですね。完成作品だけでなく、製作途中の映像を確かめてみる鑑賞の時間も大事だと思っています。コマ撮りアニメでは、目の前でいじっているモノと、動かしてみた映像とのギャップがあるほど面白かったりするのですが、まずはそんな驚きを感じてほしい。そしてその動きの意味が、みんなの解釈によって「あんな動きに見える」「こんな動きに見える」というように、作者の意図を越えてどんどん広がっていくのが、鑑賞の面白さ。いわば「動きの見立て遊び」ですね。
 もちろん意図的に動かして意図通りに伝わる、ということにも意味はあります。でも、それはどちらかといえば表現の技術的なこと。専門的にアニメーションを学ぶのであれば必要なことですが、図画工作や美術の教育では、意図しなかった動きや、うまくいかない表現も含めて楽しむ方が、表現へのやる気を後押しすると思うんです。できるだけ偶然性を楽しむ、ということを大切にしたいです。
 あと注意したいのが「コマをたくさん撮ってすごい」というほめ言葉。根気よく頑張った子の努力をほめたい気持ちは分かるんですが、それだけが物差しになると、少ないコマ数で面白い表現をしようとする子が軽んじられてしまいます。表現の価値は、コマ数という量の多さで評価されるべきではないでしょう。少ないコマ数の制約の中で、自分なりに工夫して動きの表現を追求するアニメーションの奥深さに、先生たちにも気づいてもらいたいです。

――「偶然性を楽しむ」とか「自分で面白さを発見する」というのは、「造形遊び」と考え方が似ているように感じました。

 まず1コマ撮影してみて、変化したことを基にして次のコマの展開を決めるというプロセスは、たしかに造形遊びに近いと思います。KOMA KOMAによるアニメーション制作は、いわば「動きの造形遊び」なんですね。
 ちょっと専門的な話になりますが、アニメーションの動きのつくり方は大きく2つあります。まず動きの中の重要なポーズをかいてから間を埋めていく「ポーズ・トゥー・ポーズ」。分業による商業アニメは基本こちらです。一方、KOMA KOMAのようなコマ撮りアニメーションでは、頭から順に撮っていく「ストレート・アヘッド」になります。どちらがいいとか正しいということはないんですが、基本的に前者は計画的で、後者は即興的になりやすい。そして私としてはやはり、即興性のほうが好きなんですね。
 だから子どもたちにアニメーションを教えるときにも、はじめにストーリーを考えさせて、きっちり絵コンテをかいてから撮影するといった、プロの制作工程を真似た指導はあまりしません。それよりも最初は即興的な「動きの造形遊び」を入り口として、そこから少しずつ「動きを見る目」や、動きをつくる奥深さを理解していく。そんな流れがいいと思ってます。KOMA KOMAというツールは、そうした流れの入り口のところの体験を後押しすることに特化して、デザインしているわけです。

世界とつながる実感を得る

――「動きを見る目」というのは、面白いですね。確かにアニメーションづくりをしていると、身の回りのものがどう動いているのか見る目も変わってきそうです。

 「動きを見る目」は、身の回りの動きに関心をもつようになると解像度が上がります。そして、もっと解像度を上げるためには、知識も必要になる。私はアニメーションというのは、アートとサイエンスをつなぐものだと思っているんです。たとえば猫の動きをアニメーションでリアルに表現したければ、猫の習性や骨格といった科学的な知識も必要になってきます。アニメーションをつくることが、そういう勉強のきっかけになればいいなと。
 でも最近ではAIがアニメーションを自動生成するようになってきて、そのうち猫のアニメーションも簡単に生成できるようになるはずです。そういうAIの表現に違和感がなければ、きっとそれで満足してしまって、わざわざ科学的知識を調べようとは思わないでしょう。違和感に気づくためにも「動きを見る目」は大事だと思います。
 今後はアニメーションの表面的な質の高さ――例えば絵が整っているとか、動きが滑らかとか、ストーリーで言えば起承転結がはっきりしていてオチがあるとか、そういう「プロっぽい」表現は、AIを活用すれば誰でも簡単にできるようになるでしょう。だからこそ、これからの図画工作や美術の教育では、先生が表面的な質の高さに目を奪われないように気をつけて、もっと根本的な、表現を通して世界を理解することや、世界とつながる実感を経験させることに、注力すべきだと思います。
 アニメーションづくりで「世界とつながる」というのは、人間だけじゃなくさまざまなモノともつながりを感じるという意味です。何かが動くときの感じ――私はそれを「動感」と言っていますが、コマ撮りで動感の表現に没頭しているとき、私たちは動かす対象と自分の身体を重ねて、一体化しているような感覚になる。それがアニメーションになって「動いた!」という喜びは、自分の身体が世界とつながったという実感なんだと思っています。「アニメーションは絵空事だから」といって、自分が日常的に経験している世界の身体性と切り離してしまえば、世界に対して背を向けた表現になりかねません。私としては、あくまでも世界とつながりながら、アニメーションの表現を楽しんでほしいんです。

――「KOMA KOMA×日文」の開発では、どんなことを意識されましたか。

 まずは、iPad版のKOMA KOMAでやってきたことを維持して壊さないことですね。KOMA KOMAは、とにかく手軽に、アニメーションづくりへの敷居をできるだけ下げることがねらいだったので、今回それがウェブアプリになったことで、インストールしなくてもすぐ使えるというメリットは、とても大きいと思っています。
 ただ、ウェブアプリはネットにつながっていないと使えません。学校によっては、ネットワークが不安定な教室もあるだろうと考え、一度ネットにつなぐと、アプリが端末に一時的にダウンロードされて、ネットが切れても使える仕様にしました。ただそうすると、ウェブブラウザの少ないメモリ容量しか使えないので、コマ数の上限を99コマにしています。コマ数が少なすぎるという意見も聞きますが、それは表現の工夫を促す制約として、ポジティブに受け止めてもらえるとうれしいです。
 あとは今回、色の設計もユニバーサルデザインを意識して改善しました。特別支援教育の専門家である大内進先生のご助言をいただいています。すそ野を広げるという観点から、いろいろな人にとって、より使いやすいツールになることは、私としてもありがいことです。

――多くの人を惹きつける「KOMA KOMA」の魅力とは、どんなものでしょう?

 アニメーションをつくることを表す「アニメイト」という言葉には、元気づけるとか活気づけるという意味があります。アニメーションをつくることは、文字通り人々を元気づけ、活気づけてくれるのです。KOMA KOMAの意義は、そうしたアニメーションのもつ潜在的なパワーに、誰でも手軽に触れられるようにしたことだと思います。「KOMA KOMA×日文」に150万もアクセスがあったのも、きっとそんなアニメーションづくりの魅力に、たくさんの人たちが気づいたからでしょう。

――今後の展望などをお聞かせください。

 今は画像だけじゃなく、音も一緒にコマ撮りできるアプリ「KOMA OTO」を開発しています。目の見える人も見えない人も、一緒に楽しめるアプリです。これからはインクルージョンも念頭において、さまざまな人たちが共にアニメーションづくりを楽しめるようなツールや教材を開発していきたいと思っています。

「KOMA KOMA×日文」は、以下のサイトからどなたでもご活用いただけます。
https://www21.nichibun-g.co.jp/komakoma/

「KOMA KOMA×日文」を含めた、令和6年度版「図画工作」で使用できるQRコンテンツに関しては、こちらからご覧ください。
https://www.nichibun-g.co.jp/r6es_textbooks/zuko/qr/


布山タルト(ふやま・たると)
アニメーション研究者・東京藝術大学大学院教授。
岐阜県のIAMASでメディアアートの研究・教育に従事した後、フリーの映像作家として活動。2000年代以降は国内外で多数のワークショップを実践し、昨今は初等中等教育におけるアニメーション教育やインクルーシブ教育のためのツール開発等に取り組む。2012年公開の『KOMA KOMA for iPad』は累計400万ダウンロードを超える。2021年に日本文教出版と共同でWEBアプリの『KOMA KOMA×日文』をリリース。日本アニメーション学会事務局長。日本アニメーション協会理事。一般社団法人日本アニメーション教育ネットワーク理事。『アニメーションブートキャンプ』ディレクター。博士(学術)。

体が動くと、心が動く~ずこうたいそうのススメ~

 新しい教科書では、QRコードから「ずこうたいそう」が見られることをご存知ですか?「図画工作」で「体操」とは、一体どんなものなのでしょう。「ずこうたいそう」の企画・製作に関わっていただいた3名にお話をうかがいました。

※ずこうたいそうの動画はこちらからご覧になれます。
https://www21.nichibun-g.co.jp/r6es_qr_contents/zu/12a/p4/video_01/
(上記URLは、2023年9月16日まで閲覧可。)

左から 宮内愛先生、近藤良平さん、西村德行先生。

なぜ、図工で「体操」?

西村:最初は、宮内先生の「子どもたちはいろんな気持ちを抱えて図工室にやってくる」というお話がスタートでしたよね。
宮内:そうですね。例えば月曜日の1・2時間目はまだまだ気分が乗っていなかったり、休み時間に友だちと大喧嘩してものすごく泣いたあとで来たり。だから、一回気持ちをリセットできるような体操があるといいのかなと思いました。
西村:私は「ぼーっとするたいそう」が好きで、革命的だなと思います。学校生活で、「ぼーっとしましょう」って言われる場面ってないじゃないですか。普通は、ぼーっとしていたら怒られますよね(笑)。でも今は小学生も忙しい。なので、ぼーっとする時間をあえてとる、というのは切り替える意味でも実はとても大切だと思います。「なやむたいそう」もそうなんですが、今すぐ答えを出さなきゃ、やらなきゃ!じゃなくて、自分のペースでいいんだって思えて、子どもたちが楽になれる気がします。

ぼーっとするたいそう

近藤:悩むことを肯定する、ってことですよね。むしろ、大いに悩もう!と。
宮内:悩むの大事ですよね。材料はどれがいいかな、って選んだり。
西村:「いいこと考えた!」につながりますよね。「試行錯誤しなさい」って言われても、子どもたちはピンと来ないですし。ずこうたいそうは、今まで先生方が「言葉」で伝えようとしてきたことを、違う方法で子どもたちに伝える新しい提案だと思います。投げかけをしたり、モノを見せたり、これまでいろいろな方法で伝えようとしてきたことと、内容は変わらなくて。まずは、子どもの心が動かないと始まらない。だから、心を動かすために、まずは体を動かしてみる。そこに特化したのがずこうたいそうなのかなと思います。

「筆になる」と、体も心もほぐれていく

ふでになるたいそう

近藤:仕事でワークショップや振付をしているときもそうなんですけど、すごく緊張していて体がガチガチになっている人に、いくら外から「力を抜け!」って言っても、絶対に無理なんですよね。でも、道具である筆をもつと、途端に気持ちが楽になって、スーッと体が動いたりします。「自分が筆になる」っていうのは、自分の気持ちを大きく変える仕掛けのようなもので。自分の中にイメージが持てると、体の芯から力が抜けていく感じがします。
西村:やってるうちに、子どもも筆になっちゃうんですね。ちっちゃい子がミニカーで遊んでいるとき自分もミニカーになっている、あれと同じですね。
近藤:そうそう。「筆」っていうのもポイントで、「えんぴつ」だとやっぱり違う。硬いイメージがありますからね、鉛筆は。筆は動き自体にカドが立たないというか。緩やかに、しなやかに動き出せそうな感じがします。
宮内:そのお話を聞いていて思い出しました。体を使うのが苦手で、ホチキスでちゃんととめたりする動作が難しい子がいたんです。その子がある日、筆を持ったことで力が抜けて、すらすら~ってかけるようになったんです。筆は優しい道具だったんだなぁって気が付きました。

筆をもつことで、体の力が抜けた子どもがかいた作品。

近藤:よく、インタビューなどで「振付をどうやって考えてるんですか?」って聞かれるんですけど、最初から確定しているわけじゃなくて。例えば「雨」を表現しようとしたときに、なんとなく手や体を動かしていって、「あ、この動きがいい!」みたいな感じで、不確定要素の中からふわっと出来上がる感じなんです。粘土をぐにゅぐにゅやってるうちになんとなく形やイメージが生まれてくるのと似てるかも。頭の中のふわっとしたイメージを、立体に、体に、落とし込んでいく感じ。体を動かすってこと自体に、創作がいっぱい含まれていると感じます。
西村:自分の中でいろいろイメージして、こういう意味があるかもしれない、って自分で世界をつくっていくところが、図画工作と同じですよね。筋道を立てて考えたりつくったりするのもいいけれど、やってみてやっぱり戻ってもいい。そこも大切にしたいですし、子どもたちに伝えたいですよね。
近藤:そこで「なやむたいそう」ですね(笑)

一人ひとり違う動き、だから「優しい」体操

宮内:たいそうをつくっていく過程で、これ実際に40人でやったらどうなるのかな?って想像が膨らんでいきました。子どもたちは、誰を見ながらやるのかな?って。映像なのか、友だちなのか、先生なのか。仲のいい子が隣にいたらまた変わってきそうですし。
西村:場の設定も影響しそうですよね。全員先生の方を向いているのか、となりの友だちや班で向かい合っているのか、とか。
近藤:いきなり「映像を見てやってみよう」となると、置いてけぼりになる子どももいるかもしれない。先生が「ぼーっとするって、どんな感じ?」とか問いかけて、それぞれ思い付く動きをやってみるといいかも。映像はどうしても一方通行な情報になってしまいがちなので、もっと応答的な関わりが生まれるといいんじゃないかな。子ども同士で見せ合ったり、教え合ったりするのもいいですよね。
西村:そもそも「ずこうたいそう」は「体操」なのに一人ひとり違う動きですからね(笑)。近藤さんのナレーションからイメージを広げて、自分なりに動きをつくりだしていくわけです。それって優しい体操ですよね。
近藤:そうそう。映像の中で見せている動きは、正解とか完璧なものとかでは決してなくて。登場している人の動きもあえて揃えてなくて、みんなバラバラ。この映像をきっかけにして、実際に教室や図工室でたいそうをやってみて、そしたらこんなたいそうが生まれました!みたいな反応があったらぼくはすごく嬉しいです。
宮内:あなたのずこうたいそう募集します、いいですね(笑)こんな動きになりました、とか見てみたいですね。
西村:いいですね!ずこうたいそうは今までとは違う新しいアプローチなので、先生方も最初は「これは一体なんだ?」とびっくりされるかもしれませんが、まずは研修などで体験してほしいですね。

最後に3人で、「ぼーっとする」をやってみました。

<撮影:池ノ谷侑花(株式会社ゆかい)>

近藤 良平(こんどう・りょうへい)
コンドルズ主宰。さいたま芸術劇場芸術監督。振付家。ダンサー。
コンドルズは世界30ヶ国以上で公演、ニューヨークタイムズ紙絶賛、NHKホール公演を即日完売にした日本を代表するダンスカンパニー。TBS「情熱大陸」、NHKBS1「奇跡のレッスン」などに出演。第67回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。南米育ち。愛犬家。

西村 德行(にしむら・とくゆき)
東京学芸大学教職大学院 准教授
東京都公立中学校、筑波大学附属小学校を経て、2014年より現職。平成20年の小学校学習指導要領解説図画工作編の作成に関わる。専門は美術科教育学及び鑑賞教育。著書に、『図画工作・みかたがかわる授業づくり』(東洋館出版社、2005)などがある。日本文教出版令和6年度版小学校図画工作科教科書著者。

宮内 愛(みやうち・あい)
中野区立桃花小学校 教諭
東京都図画工作科専科教員。品川区、清瀬市を経て、現在は中野区の小学校にて勤務。子どもの作品に合わせた展示台をつくるのが得意。日本文教出版令和6年度版小学校図画工作科教科書著者。

※西村先生、宮内先生に執筆協力いただいた「子どもとつくる図工の時間」はこちらからご覧になれます。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/e-other/e-other016/

今、改めてどうつきあう? 「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編」

山添joseph勇さん大泉義一 先生

 今回は、「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編」とのつきあい方についてです。
 「学習指導要領等の改善に係る検討に必要な専門的作業等協力者」のお一人である早稲田大学教授の大泉義一先生(※1) と、教育者外からの視点で「学習指導要領解説『図画工作編』をていねいに読む」という配信を行っていた美術家で深沢アート研究所の山添joseph勇さん(※2)から伺ったお話を、4つの視点でお伝えします。
 皆さんも、ぜひ解説を片手にお読みください。
※本記事の中では学習指導要領の本文を「本文」、同解説を「解説」と表記します。
※脚注は対談に同席した編集部にて作成しました。

① 一つ一つの言葉をていねいに読もう

山添:2016年に教科書に関わるようになって初めて学習指導要領の存在に触れました。「解説」は読むたびにいろいろな考えや想いがめぐる、とてもいい本なんですよね。
大泉:「本」って(笑)。読むたびにいろいろな読み方ができるというのは、「解説」の内容を委員で考えあった時にも大切にしたことですね。使っている言葉の意味を規定しすぎないようにしていました。
様々な箇所に山添さんのメモが書かれている
山添:きれいな言葉やいい言葉がたくさんあるんですよ。「光あふれる広場」(p26)(※3)とか。本当はただの「広場」という言葉でいいし、もしくは光あふれない広場でもいいけど、読んだ人が気持ちよくなる、こういう言葉が大切だと思いました。

大泉:これは平成20年度版にもある言葉ですけど、「光あふれる広場」と書かれていれば、先生だったら子どものいる姿が思いうかびますよね。触発されて活動のイメージが広がるような言葉は入れていますね。
山添:技能についてのところで「はさみを使う行為から動きやリズムをつくりだしたり、無心になって用具を使う中から形を見付けたりするなど(略)」(p47)(※4)とあるのもよくて。使い方を学ぶだけじゃなくて、使えるようになるからまた新しいことが思い付くっていうのが、「造形遊び」じゃなくて「絵や立体、工作に表す」の中で書かれるのがいいです。
大泉:これも前からありますね。「技能」は平成20年度版までは「創造的な技能」と呼ばれていたんですが、改訂全体の方針でどの教科も「知識及び技能」に統一することになった。でも「創造的」であることは変わりないので、この説明は残して、山添さんのおっしゃるように、行為や発想・構想との間に往還が起こるようなことが「技能」ですよ、と解説してるんですよね。
山添:これは「本文」の言葉ですが、「情操」(※5)にもすごく感動したんです。「美しいな、きれいだな、いいな」って子どもたちが純粋に思う時の心を「情操」って言っているのかなと。いわゆる「いい作品」とかじゃなくて、子どもたちがストレートに感じる心を指していて、とてもいいと思いました。
 「解説」では一つ一つの言葉をすごく丁寧でやさしく定義していたり、逆にあえて言い切ったりしているところもあってすごく配慮している。ちゃんと議論した上で、説明したりしなかったりしてるんでしょうね。

大泉:説明していないと言えば〔共通事項〕で示されている「イメージ」(※6)ですね。もう少し説明をした方がよいのでは?という議論もあったんですが、一般の人が使う「イメージ」以上でも以下でもない解釈にしておこう、ということになりました。説明されていない言葉については、文字通りの意味で解釈すればいいんですよね。
山添:そういえば、「など」を使っているところも多いですよね。「など」は大切にして読んだ方がいい(笑)。

――大切な指摘です。〔共通事項〕には「形や色など」という言葉がありますが「形や色」と略されていることをたまに耳にすると気になります。『学び!と美術』の125回目(※7)でも書いていただいたように「触った感じ」はとても重要だと思うんですが、「など」に入っているので取りこぼされがちだと感じることも多いです。

大泉:触った感じや材質感(※8)は「など」の例として書かれている。ここを見落とすと図画工作がビジュアルな側面に寄ってしまう。小学生にとっての「触った感じ」はとても重要なんだけどな。
 本文で「など」があったら、「解説」を読んでみる。そこに解説されていることが結構重要だったり、子どもの姿の具体だったりするんです。

編集者メモ
・好きな言葉を探して読むと、見え方が変わってくる。
・解説されていない言葉は、字義通りに受け止めればよい。
・「本文」に「など」と書かれているところは、「解説」でしっかりチェック。

② 子どもたちの「あるある」を探してみよう

大泉:学習指導要領は、現場の先生方がつくっているものです。学習指導要領の改訂前には実施状況調査(※9)というのを行います。そこで、子どもたちの学習の実態や先生方の指導の実態を捉えたうえで、「こういう実態だったら、ここを変えてもっと子どもたちがよりよく育つようにしましょう」と考えて次の学習指導要領をつくっていく。なので、どこかで勝手につくられているのではなく、現場の先生方の実践、子どもたちの姿からつくられていくんですよね。改善の方向を子どもたちや現場の先生方に教えてもらいながら考えていくんです。
山添:そういうことって、普通は知らないですよね。
大泉:協力者の会議の時『子ども(の姿)から離れないようにしよう』というのを合言葉のようにしていました。だからこの本には、子どもが豊かに表現や鑑賞の活動に取り組む姿が散りばめられているんですよ。
山添:いつも子どもを見ている先生にとっては「当たり前」と思うようなことが書かれているってことですか。

大泉:そうですね。その「当たり前」が教育においては尊いと思います。先生方の現場に学習指導要領の「真実」があるんです。
山添:へ~「真実」ってなんか重っ。
 そうそう、私が比較的専門とする造形遊びの方の技能では「並べる、つなぐ、積む」に加えて「重ねる、かぶせる、丸める、(中略)たらすなど」(p44)(※10)というように子どもの姿もすごく具体的に書かれていますよね。こういうところもいいなと思うところです。
大泉:ここは今回の改訂で明確化したところですね。授業で見られる子どもの姿からより具体化している。解説で書かれてることは「子どもあるある」なんですよ。
山添:学習指導要領で学ぶんじゃなくて、「ああ分かる分かる」って思って読むといいですね。
大泉:逆引きみたいに子どもの姿を見てから解説を読んで「あー、あるある」って確認する使い方もいいかもしれない。「こんな姿も出てくるはずなのか。だったらこういう活動も……」のように使うのもありですね。
山添:そうやって読むと、学習指導要領に追われるんじゃなくて、子どもの成長をちゃんと見ることができますね。子どもに寄り添える。

編集者メモ
・学習指導要領は、子どもたちの実態を基に改善が図られている。
・なので「解説」で書かれている子どもの姿は、図画工作での「子どもあるある」だと思って読むと、共感的に読んでいくことができる。

③ 逆説表現に注目しよう

山添:「絵や立体、工作に表す」のところには「作品として残したいという意識も生まれてくる」(p27)(※11)とあるんですけど、これも素敵な言葉ですよね。
大泉:造形遊びとの違いを説明するための記述(※12)の中の表現だと思うけど、それでも初めから作品ありきではなくて、子どもに「作品として残したいという意識」があるから作品になるってことを言ってる。
山添:今ので思い出しましたけど、「~ではなく」(※13)とか「一方で」のような逆説的な表現も結構あって、それもなんかいいですよね。工作の説明で「一方、『工作』とは、意図や用途がある程度明確で」(p27)(※14)と書かれているのが好きで。
造形遊び、絵、立体、工作それぞれの距離感もちゃんと示されているんですよね。

――「本文」だけだとこの辺の距離感は分かりにくいですよね。文字通り「解説」で解説している部分ですね。

大泉:目標の(3)に「楽しく豊かな生活」(※15)ってあるじゃないですか。これについて解説してある6行の文章は大切なところなんです。「その生活は図工における児童の学習生活をはじめとして、学校生活、家庭生活、社会生活へと広がりをもつものであり、そのような社会では、一人一人の児童が楽しさや豊かさの実感をもって生きていくことができる」(p16)(※16)。社会が先にあってそこに子どもが合わせるんじゃなくて、子どもたちの豊かさがあって、それが連綿とつながった先に社会が構成されるべきだ、という考えを表明しているんですよね。
山添:ここでも逆説が出てきますね。「物質的な豊かさだけではなく、一人ひとりの児童が楽しいといった心情を抱いたり、充足感を得たりするような、豊かさを実感できる自分の生活のこと」(p16)(※17)って。要は、豊かさとは金では無い!という結構挑戦的で現実的な言葉。こういう書き方があるからこの本が堅く見えないんですよね。

編集者メモ
・「解説」には「~ではなく」や「一方」といった、逆説的な表現が結構ある。
・そう表現されているところには意味があるので、「~ではなく」「一方」前後の対比をしっかり読む。

④ 書かれていないことに思いをはせよう

山添:目標の「つくりだす喜びを味わう」(※18)ってとてもいい言葉だけど、ものづくりや作品には苦しさや、見られたくないっていうような一面もあると思うんです。そういうことは書かれていない。
山添さん所有。喜びを味わうの箇所に「苦しみ」と書かれている
大泉:これは教育全般に言えることだと思うんだけど、成功的なことしか見せない傾向はありますよね。実際の子どもたちのことを考えると、90分の授業でずっと集中してるわけでもないし、上手くいかないことや、形に残らなかったこともあると思うんですが、そういうところをすべて示し切るのは難しい。やはり子どもの実態が第一です。
山添:「つくりだす喜び」の横に「苦しみ」ってメモを衝動的に書いちゃっていましたよ(笑)その「苦しさ」が美しくないかというとそんなこともないですしね。
大泉:つくりだす過程でいろいろなことが起こる。そういうものをひっくるめての「つくりだす喜び」なんだって言わないといけないですね。
山添:「解説」の最初にある総説の改訂の経緯なんかには結構しんどい未来予想図が書かれてるんですけどね(笑)。実際の授業の中には、苦しい絵をかく子もいると思うんです。でもその子がその絵をかいたというのは、そういう表現をだせる空間になっていたってこと。そういう時期を過ごすから健全になっていける子どももいると思います。
大泉:学習指導要領で示す言葉の限界も知りながら読まないといけないですね。さっきも言いましたけど、現場の方に真実があるというのをしっかり踏まえておくことが大事ですね。

――「よさ」に気づいたということは「よくなさ」にも気づいてるってことなんでしょうけど、「両方を記述しきるのは現実的には不可能ですよね。

大泉:例えば「よさや美しさ」は一気に捉えられるわけではなくて「ああでもないこうでもない」という失敗を含む探索や試行錯誤を通じて捉えられるものですからね。「つくり、つくりかえ、つくる」(p10など)(※19)には、そのようにいろいろやっていいんだよ、というメッセージも込められているんです。

――「つくり、つくりかえ、つくる」は「広くとらえれば図画工作科の学びそのもの」(p27)(※20)って書いてますしね。

大泉:造形遊びに限らず、図画工作の学習全体でこういう姿を大切にしたい、ということで加えられた一文ですね。
山添:造形遊びは本当によくできた分野だと思っていて。本当は形にならなくても活動の中で力が育っていればそれでいいんだけど、そういうこともなかなか示されないですよね。
 造形遊びって本当に難しくて。子どものどこを大切にするかで変わりますよね。「解説」で具体的に示されている部分だけに引っ張られすぎると、整えてしまうんですよね。リラックスして鼻歌交じりにするぐらいが本当はいいと思います。結果的に表現になっちゃった、というぐらいが大事だと思うんですけど。
大泉:学習指導要領の「言葉だけ」にまじめに向き合うほど、形や色などの造形的側面にこだわってしまうかもしれない。そこに示し切れていない子どもの姿って、当たり前だけどたくさんあるから、そのことを踏まえておかないといけないですね。活動の最後に形に残っていなくても、活動の中で資質・能力が働いていたら学習としては成立しているんです。

――「感覚や行為」(※21)の「行為」ってそういうことですよね。

大泉:もちろん、子どもの一つ一つの行為まで教師が規定して指導するってことじゃなくて、子どものあらゆる行為には資質・能力の発揮が表れているから、大切に見てあげましょう、ってことですよね。「解説」で示している「あるある」は子どもの行為を制限するものじゃなくて、ほんの一例。むしろここに書ききれていないものが、先生方の目の前にたくさんある。繰り返しますが、何より学習指導要領の真実は教育現場にある、と思いながら読んでほしいですね。
山添:「本文」だけだと全然頭に入ってこないけど、「解説」は豊かな言葉で書かれているから読んでて楽しいんです。けどこれを読んで、目の前にいるその時々の子どもに教師としてほぼ毎日接し、さらに子どもたちの6年間の成長を意識して判断して授業をしてると思うと、やっぱ先生たちはすごいですよね。

――教科書をつくる時もこれを目指せばいい、という感じになってしまいがちですが、「解説」を含めてこの学習指導要領からどれくらい子どもの姿を豊かに想像できるか、というのが大切ですね。本日はありがとうございました。

編集者メモ
・「解説」は「あるある」だけど、書ききれていない子どもの姿もたくさんある。
・書かれていることを現実の授業に戻す時(教科書をつくる時)には、書かれていないことにも思いをはせることが大切。
・学習指導要領の「真実」は教育現場にある!


大泉 義一(おおいずみ・よしいち)
早稲田大学 教育・総合科学学術院 教授
東京生まれ。博士(教育学)東京学芸大学教育学研究科。
都内公立中学校教諭、東京学芸大学附属小学校文部科学教諭、北海道教育大学准教授、横浜国立大学准教授を経て2019年より現職。美術科教育学会副代表理事。専門は、美術教育、デザイン教育、ワークショップ論。
主著に『子どものデザイン その原理と実践』(単著、日本文教出版、2017)、『美術教育学の歴史から:美術教育学叢書(2)』(共著、学術研究出版、2019)、「造形ワークショップの評価に関する実践研究:〈実践デザイン=評価デザイン〉と〈日常生活への延長〉」(単著、『美術教育学研究』第47号、大学美術教育学会、2015)など。
2011年に、学生とともに取り組んでいるワークショップ・プロジェクト『アートツール・キャラバン』で第5回キッズデザイン賞(フューチャーアクション部門)受賞、2013年には、教育現場との連携に基づく図画工作・美術科の授業における教師の発話に関する研究で第10回美術教育学賞受賞。
大泉義一研究室ホームページ:http://www7b.biglobe.ne.jp/~oizumi-labo/


山添joseph勇(やまぞえ・じょせふ・いさむ)
美術家/深沢アート研究所
東京造形大学絵画科卒/静岡福祉大学非常勤講師。
インスタレーションや空間、平面、立体、映像などの作品を制作や、現代アートを基軸としたこども造形教室やこども造形ワークショップの企画・実施などを主な活動とする。
<活動略歴>食と現代美術(BankART1929、2005~2021)/造形プログラム提供(CANVAS、吉本興業など(2004~)) / 横浜市民ギャラリーあざみ野『夏のこどもぎゃりぃ』(2006~2008)/十和田市現代美術館『親子のためのスクール』(2017)/ SONYプログラミング教育キット教育プログラム開発KOOV(2019)/BankARTSchool子ども造形ワークショップ(2004~)/KAATキッズサマーパーティー(2018、2019)/受賞:キッズワークショップアワード最優秀賞(2020)/令和二年度版図画工作教科書共同著者
著書『こどもがたのしくつくるはじめてのこうさく』(高橋書店刊)/ころころコース世界〇〇旅行へん(コクヨ)など。
『深沢アート研究所』は、カブ(アーティスト・緑化研究者)と山添joseph勇のコンビによる、現代アート・子ども造形・緑化の研究などを主な活動とするアーティストユニット(2003~)。

※1:平成20年の改訂の際には「小学校学習指導要領解説図画工作編作成協力者」のお一人。
※2: 第1回:A表現(1)(2)の(ア)造形あそびをする活動の内容 https://youtu.be/WKxzkkv_yjw(p26、p39-p40、p44-p45、p62-p63、p67-p68、p85-p86、p90-p91)
第2回:A表現(1)(2)の(イ)絵や立体、工作に表す活動の内容 https://youtu.be/x_24rT6vFJk(p27-p28、p41-p42、p46-p47、p64-p65、p69-p70、p87-p88、p92-p93)
第3回:B鑑賞の活動の内容「見方・感じ方」https://youtu.be/vBx8F5ScFiU(p31-p32、p50-p51、p73-p74、p96-p97)
第4回:A表現(1)(2)とB鑑賞を通しての共通事項(ア)(イ)https://youtu.be/_EcI4IaArV8(p32-p34、p54-p55、p77-p78、p100-p101)
第5回:図画工作科の目標 https://youtu.be/39AYVKAD2yY(p09-p16)
第6回:道徳と幼稚園教育要領と中学校美術の目標(ねらい)と内容 https://youtu.be/s5AvGtcDjDA(p160-p163、p175-p179、p150-p153)
※3:学習指導要領(平成29年告示)解説「図画工作編」p26。平成20年告示の学習指導要領解説(以下平成20年版)ではp20。
※4:前掲書p47。平成20年版ではp37。
※5:教科の目標(3)「つくりだす喜びを味わうとともに、感性を育み、楽しく豊かな生活を創造しようとする態度を養い、豊かな情操を培う」。解説は前掲書p16。「美しい物や優れたものに接して感動する、情感豊かな心をいい、情緒などに比べて更に複雑な感情を指すものとされている。」とあり、更に「よさや美しさなどのよりよい価値に向かう傾向をもつ意思や心情と深く関わっている。それは、一時的なものではなく、持続的に働くものであり、教育によって高めることで、豊かな人間性等を育むことになる。」と解説されている。
目標の(3)は指導する事項と直接対応していないが、非常に重要なことが記述されている。

※6:前掲書p33、55、78、101。いずれの箇所でも「イメージとは、児童が心の中につくりだす像や全体的な感じ、又は、心に思い浮かべる情景や姿などのこと」と記述されており、発達の段階に合わせた変化などへの言及はない。平成20年版ではp26。
※7:学び!と美術 <Vol.125> 触ることから始まる 群馬大学共同教育学部 教授 林耕史 https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art125/
※8:前掲書p54。第1学年及び第2学年の目標の〔共通事項〕についての解説の中で、「形、線、色、触った感じなど」として記されており、その後にさらに具体的な子どもの姿の例が記述されている。ちなみに平成20年版の第1学年及び第2学年の内容における〔共通事項〕の記述では「形、線、色、質感など」(p41)。
※9:学習指導要領実施状況調査。国立教育政策研究所の教育課程研究センターが実施する、実際の教育現場において、学習指導要領で示されたことがどのように実現されているかを調査するもの。
平成20年告示の学習指導要領についての調査は平成24年度、25年度に実施された。
※10:前掲書p44。「他にも、重ねる、かぶせる、丸める、破る、巻く、つるす、潜り込む、垂らす、などが考えられるが(略)」。「本文」で「並べる、つなぐ、積む」を取り上げて示している理由についても示されている。なお平成20年版では「重ねる~」以降の記述はなく、対談で述べられているように今回の改訂でより具体的な表記になっている。
※11:前掲書p27。平成20年版では「作品と呼べるようになる」(p22)。「解説」の文章の追記や削除は公開されるわけではないためこうした変化は気付きにくいが、より子どもの心情に寄り添った重要な変化だろう。
※12:前掲書p21では「『造形遊びをする』は、結果的に作品になることもあるが、初めから作品をつくることを目的としない」とある。つまり造形遊びをする活動の中で「作品」になること自体は否定されていない。が、作品にならなくても「資質・能力」が発揮されていればよいということ。
※13:前掲書を検索すると「ではなく」は総説を含めて39か所。「一方」は7か所。
※14:前掲書p27。「絵や立体」との違いについて記述されている。
※15:脚注(※5)参照。
※16:前掲書p16。
※17:前掲書p16「物質的な豊かさだけではなく(略)」として逆説表現が使われている。一般に「豊かさ」というと「物質的な豊かさ」をイメージしてしまうことに対する警鐘か。
※18:脚注(※5)参照。
※19:前掲書p10、26、40、63、75、86、106。主に造形遊びをする活動の中で使用されているが、p10は教科の目標(1)について、p106は主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善についての記述の中で使用されており、対談中でも言及されたように、図画工作の学びを貫く子どもたちの姿と言えそうである。なお平成20年版ではA表現(1)造形遊びをする活動についての解説の中で一度使用されている。
※20:前掲書p27。
※21:教科の目標(1)「(前略)造形的な視点について自分の感覚や行為を通して理解するとともに(後略)」。平成20年版では目標に記述はなく〔共通事項〕(1)アに「自分の感覚や活動を通して(後略)」と記述されている。

子どもから学ぶことを楽しもう!! ~4月から先生になる、先生を目指す皆さんへ~

 中学校教員として8年、小学校教員として13年間の勤務を経て、現在は大学の教育学部で教員を育てる立場にもある西尾正寛先生。これまでの経験をふまえて、教員は子どもたちとどう向き合えばよいのか、語っていただきました。

いろいろな人との関わり

 僕はのんびりした高校時代を過ごして、小学校教員を養成している大学を受験しました。結果は不合格。でも、1年浪人したおかげで、大阪教育大学の美術科を受けるチャンスができました。それが、今につながっていると思います。
 大学卒業後は、大阪府の中学校に赴任しました。前任の先生もよい先生で、地域全体も美術教育がさかんでしたから、非常にいい環境に入ることができたと思っています。
 学生のときから自分で新しいことをしたいという思いがあって、新任のころから自分で題材をつくっていました。今から思うと粗削りだったんですが、「おもしろい」と言ってくれる先生がいて、地域の研究会に声をかけてもらいました。「美術教育をさかんにせなあかん」と非常に熱心な先生で、研究会には同じような考えの人がいっぱいいました。そういう人たちに囲まれていたから、のびのびとやらせてもらえたんだと思います。
 他の学校の先生方と月に1回くらい集まって、夜な夜な教材について話をしていたのも、新任5、6年目までの時期です。この時期にいろいろな人たちと関われたことは、教員として成長するために、とてもよかったと思っています。

子どもと育ち合う

 若いときはできないことが多い。それでも昔の保護者には、慌てている若造の姿をおもしろがるみたいなところもありました。今は社会全体が、「失敗しないように」という感じになっていますよね。だからなのか、いわゆるハウツーを求める人もいるように思います。けれど、目の前の子どもたちは一人ひとり違う人間だから、ハウツーでは当然うまくいかないですよね。もちろん授業は一回一回がとても大事ですから「なんでもやっていい」とは言えませんが、焦らずにいてほしい。先輩の先生方や保護者の方々も、温かく見守って、励まし合えるようになるといいですよね。
 親子関係で、「子どもと親は育ち合い」という言葉がありますね。子どもが育つと親も育つ、親が育つと子も育つ。子どもから学びながら親として成長していく。子どもと教員も同じで、最初から完璧な先生がいるわけではなくて、子どもに指導する中で自分も育っていくんだ、という感覚をもつといいと思います。

小さい幸せが生まれる授業

 図画工作や美術は、子どもとの育ち合いを実感しやすい教科だと思います。子どもに「ここにおいで」って言って、やって来たら「ああ、来れたね、がんばったね」というものじゃなくて、子どもを見ていて「え、そっちに行くの?! すげえ」って思える教科です。つまり、子どもが自分の想像を超えてくることを喜べる。そこに教員としての成長があると思うんです。
 よく、「図画工作って、答えが一つじゃないんです」っていいますが、それはたぶん図画工作の答えって「幸せ」だからだと思います。何を「幸せ」と感じるかって一人ひとり違うじゃないですか。図画工作で「こうしたい」という思いをもつことや、それを実現していくことって、その子の「幸せ」なんだと思います。その手伝いをわれわれがするわけです。「先生はこれが幸せやと思うからやってごらん」ではなくて、「みんなが幸せやと思うことをやってごらん。困ったことがあったら言ってね」と。ある子は小さい幸せを実現し、別の子は実現できなくても「ええこと思いついた!」って言う。本当に小さい幸せかもしれませんけど、そこに立ち会えた自分がよかったなと思うんです。
 子どもが困ったときに、困ったことを乗り越えることが、その子の育ちになる。子どもがちょっと背伸びしようと思ったら、困るときも絶対出てきますから、そのときに、背中をきちんと押してあげられる先生でいてほしいなと思いますね。

自分を豊かにするために

 大学に入学したての学生には、「今からまっすぐ先生にならんでいいよ」という話はしますね。「先生になるために何が必要ですか」「採用試験を通るためにどんな勉強をしたらいいですか」というような質問をしてくる子もいるんです。そんなときは「今は自分を豊かにすることを考えたほうがいいよ」と言います。
 実際、30人の子どもがいたら、30通りのパーソナリティがあるわけですから、自分がその30通りのパーソナリティを受け入れられるような豊かさをもってないといけないだろうと思います。採用試験の勉強は3年生からでも十分間に合う。音楽を好きになったり、美術を好きになったり、たくさんの景色を見に行くとか、歴史のことを知るとか、そういう、自分が幸せになれるような可能性をたくさんつくってほしい。小さな幸せを見つけて、「いいな」と思う瞬間をたくさんつくれるといいねという話をしています。

「縁」を大切に

 これから先生を目指す学生の皆さんも、この春から先生になる皆さんも、人との「縁」を大切にしてほしいですね。いろいろな人との関わりが、自分を豊かにしていくと思います。先輩の先生や、保護者、そして一人ひとりの子どもたちとの出会いの中で、少しずつ「先生」になっていくんだと思います。
 もちろん「運」もあって、どうしてもしんどいということもあると思います。でも教員は異動で環境を変えられますから、いざとなったらそういう選択肢もあります。
 ただ、いずれにしても一人で閉じこもっていては広がらない、先輩の先生に相談したり、いいなと思う勉強会に参加したりして「縁」を広げていってほしいですし、何より、子どもとの「縁」は本当に一期一会です。最初から100点じゃなくてもいいから、目の前の子どもたちと一緒に学んで、ともに成長していくことを楽しんでほしいと思います。


西尾 正寛(にしお・まさひろ)
畿央大学教育学部現代教育学科教授
大阪府河内長野市出身。兵庫教育大学大学院修士課程修了 修士(教科教育学)。大阪府公立中学校、大阪教育大学附属平野小学校勤務を経て、2006年より現職。小学校教育実習指導、幼児の造形表現、図画工作科指導法などの授業を担当。日本教育美術連盟事務局長、文部科学省「図画工作科で扱う材料や用具」の作成協力者、大学がある奈良や出身の大阪で現職教員の力量形成のための学習会の代表を務める。図画工作科の教材開発、授業の導入の在り方などを研究。趣味は散歩のようなユルいランニングとスマホでの風景写真。著書は『かく たのしむ ひろがる クレパスのじかん』(サクラクレパス、2021)、「初めて学ぶ教科教育6 初等図画工作科」(ミネルバ書房、2018、共著)など。日本文教出版小学校図画工作科教科書編集委員。

図工でつなごう! 幼保小の育ちと学び

 「幼保小接続はじめの一歩~図工でつながる育ちと学び~」が新たに発行となりました。本冊子を監修いただいた丁子かおる先生に、近年の幼児教育を取り巻く状況と、小学校との円滑な接続についておうかがいしました。

世界中が幼児教育に注目?

 欧米を中心に世界では少し前から、幼児教育に人やお金をかける動きが見られています。なぜかというと、様々な研究や調査から、幼児期に受けた教育の質が将来を大きく左右することが分かったからなんです(※1)
 日本でも幼児教育の重要性が見直されてきましたが、2021年からは新たに文部科学省から「幼保小の架け橋プログラム」(※2)が示されました。5歳児から小学校1年生までの2年間を重要な「架け橋期」と捉え、幼小が互いに連携しカリキュラムを円滑に接続していくことが求められています。

幼児期にこそ「非認知能力」の土台づくりを

 人間の脳は、6歳ごろまでに9割がつくられるといわれているんです。心身ともに著しい発達を遂げる乳幼児期にどんな経験をするかはとても重要で、その後の人間形成に大きな影響を与えるといわれています。
 複数の研究から分かっていることなのですが、幼い頃に一生懸命勉強して特定の知識を詰め込んでも、子どもが勉強嫌いになったり、小学2年生くらいになると差がほとんどなくなったりしてしまうそうです。限りある乳幼児期に、あとからでも増やしていくことが可能な知識を詰め込むのは、子どもにとっても辛いし、ちょっともったいない気がしますよね。それよりも、人間形成の基盤となる「非認知能力」を育てることが重要である、と近年の幼児教育では考えられています。
 非認知能力には様々なものがありますが、幼児教育で特に伸びるので大切にしたいのは「自己調整力」と「社会性」の2つです。「自己調整力」は、「ただ、大人の言うことを聞いて我慢」ということではなく、子ども自身がやりたいと思ったことを実現するために、我慢したり自分で自分に折り合いをつけたりしていくことです。例えば、自分がやりたいこと、友達との遊びの場面などで育っていきます。

5歳児の遊びの様子。複数人でイメージを共有し、アイデアを出し合ったり、折り合いをつけたりしながら協働してつくっています。(冊子p.12-13より)

 非認知能力は、他者との応答的な関わりの中で育まれるので、大人が「○○しなさい」「○○しちゃだめ」と強制するのでは育っていきません。周囲の大人や先生が、一人一人と丁寧にコミュニケーションをとり、「その子なり」を肯定的に受け止め、よいところを認めることで、子どもはしてよいことや自分のよいところを理解し、安心感から自分を表したり自己発揮したりできるようになります。自己肯定感や、人への信頼や愛着といった基盤がなければ、その先へ進むことはできませんよね。だから、乳幼児期に土台となる非認知能力をしっかりと太らせることが大切なんです。それが、子どもたちの学習を支える、頑張る力など、あと伸びしていく力にもなるんです。
 また、幼児教育では場の「環境設定」もとても重視しています。保育室や園庭には、先生たちが意図的に配置した素材や用具などがたくさんあります。赤ちゃんの頃からそうなんですが、人って「モノ」に興味が湧くんですよね。いろんな素材、材質、形やいろんな色があったら、「あれなんだろう?おもしろそう!」と興味をもってハイハイして近づき、手を伸ばします。知的好奇心を働かせながら、実際に見たり触ったりして、たくさんの実体験を積み重ねていきます。幼児期に経験から得た「気付き」は子どもの中に蓄積されて「学びの芽生え」となって、小学校の学習に結びついていきます。

入学当初、子どもは期待と不安でいっぱい

 小学校に入学すると、学校生活や勉強への期待はあるのですが、授業が割り振られた時間割があったり、長く椅子に座ってないといけなかったりして、子どもたちは変化に戸惑います。学校のシステムは園での過ごし方とは大きく異なりますから、急には合わせられなくて当然です。
 園と小学校では、先生の話し方も少し変わってきます。園の先生は園での生活での出来事を基に「○○ちゃん、聞いてるかな?」と一人一人に話しかけるような話し方をするんですが、小学校では、経験していない話を学級全体に向かって話す場面が多いですよね。そうなると、子どもはイメージできなかったり、「自分に話されている」と初めは理解できなかったりします。
 また、立ち歩いてしまうなど、目立つ子や気になる子ばかりに目が行きやすいのですが、実は「ちゃんとしている子」も辛いんです。本当は辛いけど頑張っている。そういう子にもしっかりと「先生は見てるよ!」と目を向ける気配りを忘れないでもらいたいなと思います。
 とはいえ、バラバラな35人を一つのクラスとしてまとめてなければならない担任の先生は、困ったり焦ったりしてしまいますよね。入学後は、小学校の先生がすべて抱え込んでしまう場合が多いように感じているのですが、「○○ちゃんって、幼稚園ではどうでした?」とか、気軽に園の先生に相談してみてほしいなと思います。園の先生方も、ずっと近くて見てきた子どもたちですから、小学校で元気に過ごしているか心配ですし、好きなことや得意なことも聞ける。相談してもらえたらかえって安心すると思います。

入学したての1年生には、子どもの視点に立って気持ちを想像しながら、関わることが大切です。(冊子p.26-27より)

子どもは「図工」が大好き、自信を持っています

 入学したての1年生も、図工の時間は大好きですよね。やったー!図工だ!と張り切っている姿が思い浮かぶと思います。なんでそんなに図工が好きなのかというと、「やったことがある」「楽しいって知ってる」からなんです。かいたりつくったりする活動は、幼児期にもたくさん経験しているので、子どもも自信をもっています。小学校の生活や勉強は「初めて」だらけで、学ぶ楽しさはあっても「できるかな、分かるかな」という不安を常に感じています。そんな中、安心して自分の気持ちや考えたこと、思い付いたことを自由に表現できる図工の時間は、自分を取り戻すことができるオアシスみたいなんです。
 先生にとっても、図工の時間は特別なものになるのかなと思います。1年生だと子どもを叱らなければならない場面がどうしてもありますよね。図工の時間なら、気になる子どもも、どの子の発想やアイデアも「すてきだね!」と伝えることができます。ちょっと失敗しても、先生も一緒に考えて乗り越えていくこともできますよね。そうした関わりの中で、子どもとの関係を築いていって、先生も驚いたり喜んだりして、楽しんでもらいたいなと思います。子どもも信頼できると先生が大好きになるし、「頑張りたい、挑戦したい」という気持ちが持続し、学習への意欲にもつながっていきます。

 実際にたくさんの幼児と接して実感しているのですが、子どもはみんな、「いろんなことができるようになりたい」という強い気持ちを持っています。勉強も一緒で、字が書けるようになりたい、算数の計算ができるようになりたい、すてきな1年生になりたい、と心から思っているんです。「勉強が楽しみ」って、大人の感覚からするとちょっと意外ですよね(笑)。子どもたちが本来もっている好奇心や意欲を、小学校でも中学校でも、その先の人生でも持ち続けられるように、わたしたち大人が協力し合って、みんなで子どもを育てていきたいですね。

表紙の写真は、和歌山市の幼稚園の5歳児です。入学が楽しみで、自分だけのランドセルをつくりました。中には、勉強で使うアイテムがたくさん入っています。

■幼保小接続はじめの一歩 ~図工でつながる育ちと学び~
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/e-other/e-other063/

丁子 かおる(ちょうじ・かおる)
和歌山大学教育学部 准教授
神戸市出身。筑波大学大学院博士課程修了、博士(芸術学)。神戸市立小学校(図画工作科専科)などでの勤務経験があり、大阪国際大学短期大学部、福岡教育大学を経て、2012年より現職。保育内容(造形表現)、図画工作科、美術科の指導法などの授業を担当。日本美術教育連盟理事、美術科教育学会 乳・幼児造形研究部会事務局などを務める。造形による幼保小接続などを研究。趣味はヨガと沖縄旅行。著書は『造形表現・図画工作』(建帛社、2014)など。

※1:ジェームズ・ヘックマン教授等によるペリー就学前プロジェクトでの長期追跡研究を根拠に、幼児教育が人生に与える影響について述べている。幼児期に質の高い教育を受けたか否かによって、14歳時点での基礎学力、将来の高校卒業率、年収、持ち家率、逮捕率などに差が出ること、それは幼児教育における非認知的能力の高まりが影響したと考えられた研究結果等が明らかになっている。参考書籍:「幼児教育の経済学」(東洋経済新報社、2015)
※2:文部科学省 幼保小の架け橋プログラム
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youchien/1258019_00002.htm

触ることから始まる

 昨年12月に前橋で開催された「見えない人、見えにくい人、見える人、すべての人のー感じる彫刻展ー ミルコト ミエナイコト サワルコト」の企画に関わり、ご自身でも作品を出品している林耕史先生。展覧会で感じたこと、図画工作・美術での「触れる」ことの意味について、お話を伺いました。

誰もが一緒に楽しめるものを

 今回の展覧会は、ご病気で視力を失った彫刻家の三輪途道(みわみちよ)さんが中心となり、視覚に障害がある方もない方も一緒に楽しめるような美術展を提案したいというところから始まりました。彫刻は「触れて楽しむ」ことがしやすいですし、私自身、これまで触れてもらうことを前提として作品をつくってきたというのも大きな理由です。飾ってあるものを見て楽しんでもらうというより、触れる・座るなど、生活とともにあって楽しんでもらえるような「ともにある」作品を目指しています。

意外と「触って」もらえない

 会期中に印象に残ったのは、意外と触れてもらえなかったことです。主旨を知っていて来場した人も、小さい子がどんどん触るようには触っていかない。触ること自体にハードルがあるというような印象です。
 それを見て考えたのは、触ることに「始まる」という感覚があるかないかということでした。晴眼者の場合は視覚情報が大きいため、触れることは確認と分析の作業になってしまうことが多いのではないでしょうか。あらかじめ答えを想定していて、確かめるために触れているような……。一方、視覚に障害がある人は、触れることによって「始まる」という感覚があるように感じます。予想できる答えを確かめるのではなく、触れた指先から作品鑑賞が始まっていくという感覚です。
 もちろん、確認するために触るということが悪いのではないですし、そういう鑑賞もあってよいと思います。でも、作品を触ることから広がる世界があるのに、その手前で止まってしまう、或いは、それをバイパスして理解へと飛んでしまうのはもったいないと思いました。

 触れて「わかる」感覚は、視覚だけで「わかったつもり」になるよりも、一段階上の理解になるような気がします。細長いものを触った時に「どこまで続くんだろう」とか、「意外に細いな」などの、感覚を伴う経験ですね。子どもを見ると、ごく自然に行っていることですが、大人はなかなかそうならない。触れることを「面倒くさがらない」「忌避しない」という子どもの姿勢を、私たち大人も残しておかなくてはならないのではないかと思います。

触ることで自分事に

 もう一つ、触ることについて考えたことがあります。ただ見ている時は、鑑賞する彫刻が「あれ」「それ」という感覚ですが、触れた瞬間に「これ」になる感覚です。もっと言うと、三人称のものとして彫刻を見ている状態から、触れたり撫でたり座ったりした瞬間に、「わたしと彫刻(あなた)」という実感を伴った二人称になるんですね。他人事だったものが、自分事になるということです。最初は傍観者的に「深く切り込みが彫ってあるな」って思っているけど、触れることで「切り込みに手がどんどん入っていくな」って感じますよね。相手はモノだけど、「わたし」と「あなた」の関係になっていく。鑑賞している「わたし」が本当に当事者になる、ということです。物事を感じ合うとか考え合うとか、協同(または協働)で何かしようという時に「触れる」がどこかに入っていないと、本当の当事者同士にはなれないのかもしれません。

「触る」が理解を支えている

 子どもは、具体物に触れたり撫でたり、時にはなめたりしながら確かめる行為を通して「これはこういうもの」という知識を獲得していきます。そして知識を積み重ねることによって、記号や言語でものを表現できるようになっていく。子どもがしていることだからか、触れること=プリミティブな低次元のもので、記号や言語での表現が高次元であると誤解しやすいんですね。

 でも「触れる」ような実感を伴うことの上に記号化や言語化が乗っかっていないと、それ自体がふわふわで宙ぶらりんなものになってしまう。実際に、使ったり座ったりすることで、つまり、触れる・接触することで初めて価値の全体を知ることができるものが、社会の中には結構たくさんありますよね。でも私たちは言葉や見た目といった、ある意味記号化・データ化されたものだけで理解したと安心しがちです。子どもたちは、低次元だから触っているわけではなく、全ての理解のために必要があるから触っているんです。

図画工作で「触る」ことの意味

 図画工作では、知識、〔共通事項〕として「形や色などの造形的な特長を捉える」と示されています。これを「形や色」といった視覚的なものだけで考えると、ただ情報として伝達するものになりかねません。でも、「など」には「触った感じ」や「材質感」が含まれています。何より知識は「感覚や行為を通して」捉えるものであると書かれています。そうした、実感を伴うものであることをしっかりと押さえておくことで、図工における「知識」がどういうものなのかが見えてくるように思います。見ることや言語化はもちろん大切ですが、「触る」ことが図工の中で位置づけられている意味を、そして「触る」ことが「つくる」や「表現」につながるという、他の教科にはない図工・美術がもつ大きな意義を、もう一度立ち戻って考えたいですね。

 現代は特に「言語で理解する」「見てわかる」を「わかる・理解する」ことだと捉え、それが「できる」につながると考える風潮が強くなっているように思います。そんな時代だからこそ、子どもたちには「触る」経験をさせてあげたいし、それによって全体を感覚的に捉えることを価値づけてあげたい。「触る」ことがすべての感覚の基盤であり通奏低音になっているという体感・実感を伴う経験や機会を、もっと増やしてあげてほしいなと思います。

林 耕史(はやし・こうし)
群馬大学共同教育学部教授・国画会会員・彫刻家・日本文教出版 令和2年度『図画工作』教科書代表著者。
国展、グループ展出品の他、個展多数。中之条ビエンナーレには2011年から連続して出品。その作品は現在も継続展示されている。「集合体の形態で構成する彫刻による『場』の生成」が目下の研究課題。

対談:「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ ひらめきの生まれるところ」(後編)

日本体育大学 教授 奥村高明 先生筆者

 9月にご紹介した「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ」をめぐる対談の後編です。なぜ今「ひらめき」なのかといったことや、図画工作・美術における「ひらめき」といったことについて話を深めていったお二人。今回は、いよいよ本書の重要なキーワード、「縁起」についてのお話です。
 前編はこちらから。

縁起の共同性


筆者:次に、本書の到達点である「縁起」についてです。有元先生が言うように「ひらめき」は人と人との間にあって、一人が考えるのではなく、人と人との関わりのなかで様々なアイディアが生まれると述べられています。それは分かるのですが、それをあえて「縁起」と称する意味は何ですか?「縁起」とはどのようなものでしょうか?
奥村:う~ん……「ひらめきが縁起だ」と断言したいわけではないのです……。私たち編著者が「ひらめき」について考えたり、対談したりしていたら「縁起」にたどり着いたというのが正直なところかなあ。
 少々、おおげさな言い方ですが、編著者自身が縁起という概念を獲得して「開眼(ひらめいた)」したので、縁起という言葉を用いていると言ってもいいかもしれません。「あえて」縁起と言う理由は、まさにその縁起を体験し、実感したからでしょうね。
 「縁起」というのは、「()りて起こること」、もろもろの現象が相互依存の関係にあるということです(※1)。「ひらめき」だけでなく、全ての物事は縁起の中にあって、因果だけでは語れないと言ったのはお釈迦様ですね。修行しながら最初にひらめいたのが縁起で、「世の中ってのは『縁起』であって、実存というのは『空』だ」というのが仏教のおおもとらしいです(※2)
 世界最高の名画モナ・リザもそうでしょう。Wikipediaにも掲載されている盗難直後の写真を見ると、この時、モナ・リザは他の多くの絵の一枚にしか過ぎないことがよく分かります(※3)。その後の盗難やパロディなどの「縁起」がモナリザを世界一の名画に仕立てたことは多くの人が指摘しています。まあ、そもそも盗難されたままだったら名画になり得てないわけですから、名画が縁起であることの一つの典型かもしれません。
筆者:人間は社会的な生き物ですので、その中での人との出会いや新たな気付きによって、それぞれの考えが更新され、新しい人として生まれる。名画もしかりで、即興性の繰り返しなのだというのは分かります。一方で、本書に示されている「ひらめきストレッチ」というエクササイズは、即興的なものというより、かなり計画性の匂いがするんですね。これまでのものと何が違うのでしょうか?

ひらめきストレッチ「カウントアップ」(本書p.130-131)

奥村:「縁起」が、計画性や即興性を否定しているわけではないのです。計画は必要だけど、計画的でないことも大事で、「ひらめき」はその間にあると考えています。
 おそらく何か一つエクササイズをやってみれば分かると思うのですが、どれも簡単なんですが、たぶん思うようにいかないはずです。方向として計画はあるけど、実際に取り組むと計画的にはことが進まないわけです。そこを感じてほしいというのはあります。
 指導案もそうですよね。指導案は、どれだけ綿密に準備するか問われますが、指導案に書いた通りに授業が進むわけではありません。私たちは、クラスが違うと成果は異なることや、ほんの一つの言葉や出来事が授業の流れを変えてしまうことを知っています。だから、私たち教師は、指導案という「案」、つまり計画は「因果律」を準備するけれども、いざ、授業が始まったら「縁起律」の流れに身を投じます。それは、その場に身をゆだねているような、緩やかな、自分自身が「ほどよく流されている感覚」というか、そうしながら子どもを感じるというか、そういうのが授業ですよね。
 結局、「因果」には限界があって、「縁起」は「修行」というか、ワークショップでこそ実感できる性質がある。そこで「ひらめき」を感じるために「ひらめきスケッチ」というエクササイズを取り入れました。
 同時に、「ひらめきストレッチ」は大事な側面も担っていて、本書のもう一つの到達点、<私>より<みんな>を味わってほしいということです。
 おそらく、多くの人は、創造性を個体主義でとらえてしまって、蛸壺にはまっているのでしょう。創造性が誰かの頭の中で起きた閉じた出来事だと仮定しているわけです。すると「この子の創造性ってなんだ?」「独創性をどう評価するんだ」と考えただけで、頭が痛くなります。でも、「ひらめき」がたった一人ではなく、他者がいてはじめて獲得できるものだとしたらどうでしょう?
 教育の現場に立てばすぐ分かることですが、図画工作だけでなく、算数でも、国語でも、実際は、<みんな>ひらめいているし、みんな<で>ひらめいています。それを、エクササイズを通して、「すごいぞ私」ではなく「すごいぞ私たち」を味わう、IよりもWeを体感するという感じです。
 結果的に、私たちが本の中で示した理屈にそって実行するというよりも、縁起と共同性の働く「ひらめきストレッチ」を通して、その理屈を問い直してほしいというというか、それもこれまでの本のつくりとは違うかなと思います。

縁起と授業

筆者:「ひらめき」がたくさん生まれる社会の「作り方」などというのはないと思っているので、この本がそういうノウハウ本、啓発本でないことは分かって、安心しました。本書の主張「実がなることよりも耕すのが大事」もその通りだと思います。その上での「あえて」ですが、「こんな成果を出すために、これだけの準備をするので、予算をください」「この成果(失敗)は、過程の分析結果から、この様な因子があったから」などが猛烈に求められる社会です。そんな世の中で本書をどう伝えますか?
奥村:今日は「あえて」が連続しますね(笑)。そもそも我々は因果を否定しているわけではなく、因果律の中だけに閉じ込められてしまうことの恐ろしさ、つまり果実だけ求める「がっつき」の危険性を訴えたいのです。世界は因果律だけでは動きません。縁起律が働いているのです。そうであれば、因果は認めつつも、縁起的な姿勢で実践を進める方が大事だと思うのです。
 でも、実際は「先生方は縁起を自覚するのが結構苦手」(※4)です。例えば指導案に書いたことはうまく話せるけど、実践報告となるとうまく書けない傾向があります。その先生が大事にしているのは、何でも言い合える子ども同士の心理的安全性や遊びように取り組める雰囲気などで、それが授業の成立に欠かせなかったりするのに、それを語ってくれないのです。それは指導案というトートロジー(※5)やPDCAの因果につかり過ぎているからかもしれませんね。
 「自分としては、完璧で綿密な指導案をつくったつもりなのに、うまくいかない、、、」その<うまくいかなさ>こそ大事なんです。完璧に資源を配置した指導案という計画性は大事かもしれないけど、何が起こるか分からない現場に身をゆだねながら、何とか授業をよりよいものにしようと縁起と格闘している姿が実際の先生たちの姿だろうと思います。それこそが教師の正直なあり方で、人々が織りなす学びの貴重な側面だと思います。本書はそんな人々への応援歌かなと思っています。
筆者:最近は子どもたちの学習を確かなものにしながら、学習状況をより正確に知るために、「ワークシート」がどの教科でも用いられています。確かに子どもたちの学習を通した変化や気付きを、少しでも多く知ることは大切なことです。でもそのワークシートに頼りすぎではないかと危惧しています。私たち教師は、授業中に「この子はOKだ!」「この子は大丈夫かな?」と、作品だけでなく子どもたちの姿からも学習の状況をとらえています。これは教師だからこそできることであって、一番大切にしたいことですね。きっとこれも大事な縁起の一つなのだと思います。対談を通して、子どもたちの「ひらめき」は、その学習状況を教師がどのようにとらえるかにかかっていると思いました。
 もう一つは、最近、授業が指導案にしばられてまったく柔軟性がない、台本をなぞっているだけのような人と人とのやりとりになっていることが気になっています。もう、最初にめあてを書くのはやめたらどうかとさえ思います。図画工作で題材という世界に誘う時に「はい、こっちですよ!」と教師が出過ぎたら、ずっと「教師が子どもにさせる授業」で終始してしまいます。もちろん授業はどこまでいっても教師の計画だとは思うのですが、あるところにくると、子どもはそんなこと忘れて「私が僕がやりたかったこと」になっていきます。先生の姿はどこかに消えて「先生、これみて面白いよ」と教師に子どもが題材を紹介する状況が生まれます。結局のところ、授業は教師と子どもがやりとりを楽しみながら、いっしょに作っているのだと思っています。そのことを本書を読んで感じた次第です。今日はありがとうございました。

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Vol.98 対談:生存価としての図画工作・美術
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Vol.103 「ひらめき」が生まれる授業

西村 德行(にしむら・とくゆき)
東京学芸大学教職大学院准教授
1971年、京都市生まれ。都内中学校、筑波大学附属小学校を経て、2014年より現職。専門は美術科教育学、鑑賞教育。日本文教出版小学校図画工作科教科書編集委員

※1:水野弘元「仏教用語の基礎知識」173p 1972
※2:前掲註1 224p
※3:Wikipedia「モナ・リザ 盗難と破損」
https://ja.wikipedia.org/wiki/モナ・リザ#盗難と破損

※4:前掲註1 225p
※5:前掲註1 238p