福島市を創る高校生ネットワークの誕生①

1.啐啄同時

 2018年4月、福島市の中学生だった生徒チームは全員高校生となり、活動の再スタートを切ることになりました。札幌新陽高校の生徒たちとの交流で刺激を受けたリーダーたちは「自分たちの力で何か新しいことを始めたい」と言いますが、大学生も入って話し合いをしても同じところをぐるぐる回るだけで、なかなか話を先に進めることができません。しかし、この機を逃すまいと考え、コアメンバーに大人の考えを提案することにしました。
図1 全員が高校生になって久々の再会 私が生徒たちに取り組ませたいと考えたのは、高校生フェスティバルでした。高校生フェスティバルと言えば「愛知県高校生フェスティバル」が有名で、高校生の感覚で楽しいさまざまなイベントを展開しつつ、高校生たちの主張を市民にアピールしていくというもので、30年以上の伝統があります(後にここともつながることになります)。2年生のリーダーの一人に「高校生フェスティバルをやったらどうか」提案すると、「私も福島市の高校生文化祭みたいなことを考えていた」と言います。大人が生徒にやってもらいたいことと、生徒自身がやりたいことが見事に一致し、これまでの滞った空気が一気に消え去りました。
 ヒナが卵からかえるときに内側から殻をつつき、親鳥が外からつついてかえるのを助けることを「啐啄(そったく)同時」と言います。生徒と大人が課題を共有する上で、この「同時性」はとても重要だと思います。

2.生徒中心か、教師中心か

図2 活動の中身を話し合う 探究活動やPBLを考えるときに、常につきまとうのが「生徒中心か、教師中心か」という永遠の課題です。一般的には、教師中心というのは古い考え方で、新しいやり方は生徒中心で行くべきだと認識される傾向が強いと思います。文字通り、生徒丸投げで教師は見守るだけ、生徒たちだけでやり遂げたから「楽しく元気にやっていた、主体的にやったのでよかった」と短絡的に考えられてしまうか、もしくは生徒たちが想定外のことをやり出して、「そこまでやっていいとは言わなかった、やりすぎだ!」と生徒たちとぶつかってしまい、やはり教師が主導するしかないと修正することになります。
 この、「生徒か、教師か」という問題は、考え方によっては、学校だから生まれてくる問題ということもできます。課題の答えは教師と生徒のいずれかが持っていて、答えを持っている側が主導すべきという考え方です。学校の中では答えは必ずどこかにあるということが前提となりますが、現実社会の中では答えを誰かが持っているとは限らず、むしろないことがほとんどです。つまり、生徒と大人が協力して答えを探さなければならないのです。この、「生徒か、教師か」を乗り越える視点が「社会構成主義」という教育観です。詳細は別の章に譲りますが、自由度が高まるPBLなどを考えるとき、この社会構成主義の視点は非常に重要です。「どこまで生徒が、どこまで教師が」という、生徒と教師のバランスの問題ではないと思います。

3.「福島市を創る高校生ネットワーク」の誕生

図3 高校生の力で福島市を盛り上げるには 高校生フェスティバルをチームに提案すると、全員が賛成してくれました。ただ、自分たちでやりたいことを楽しくやるというだけではなく、これまでやってきた、震災の風評被害を乗り越え自分たちの町を活性化させることを目的にやろうということになります。それなら新しくチームを作って、市民にアピールする方が効果的ではないか、ということになり、「福島市を創る高校生ネットワーク(F-city Creators Network、FCN)」が誕生します。福島市をF-cityとしたのは、福島の頭文字「F」から始まるさまざまなキーワード(例えばFreshやFriendlyなど)を自由にイメージし、福島市の姿を描き出そうとしたからです。
図4 徐々に課題が見えてきた 福島市は、全国のどこにでもあるような特徴の弱い街と言えます。彼らが中学生のときに福島市の観光ツアーを企画しましたが(vol.17「地域課題に挑む生徒たち②」参照)、そのときに福島市の魅力は何か、メンバーが同級生に尋ねたところ、ほとんどの回答が「ない」「わからない」というものでした。福島市の外の人たちに福島市を紹介しようとしても、何を話したらいいかわからないという人がほとんどでした。町に魅力が少ないのなら、自分たちで魅力を発見する、さらに自分たちで魅力を創り出すことがこの「FCN」の目的となりました。
 3年前に市内の二つの中学校の20人から始まった福島市チームの活動は、彼らが市内の15の高校に進むことによって、市内のほとんどの高校をつなぐネットワークができました。彼らがそれぞれの高校で仲間を広げ、FCNの会員を増やし、高校生フェスティバルに発展させることができるのではないか、期待がふくらんでいきました。

札幌新陽高校と福島

1.一か八か……

 2018年2月に福島市で、「新しい教育」をテーマとするシンポジウムを開催しました。地方創生イノベーションスクールで一緒に活動した和歌山のメンバーもお呼びし、福島市チームやふたば未来学園高校とのコラボも実現できました。メインの講演は、OECD東北スクールスターのきっかけとなる支援をいただき、東日本大震災復興支援財団の理事を務められ、東北全体の復興にたいへんな力を発揮し、現在は札幌新陽高校で校長先生(当時・現在は副理事長)をされている荒井優氏にお願いしました。
 荒井氏はいつも新陽高校のロゴの入ったパーカーとジーンズを着用して現れ、ネクタイ・背広の姿を見たことがありません。それだけでもいかに常識にとらわれない型破りの学校運営をされているか、よくわかります。講演から、いかに生徒たち一人ひとりの個性、教員一人ひとりの個性を学校づくりに活かしていくか、とてもインパクトのある内容でした。一人1台のパソコンを早々と導入し、授業もゼミナール形式で行います。
図1 生徒たちによるお出迎え 話を聞いている内に、札幌の荒井氏の学校に行きたい願望が極限に達し、講演後に交渉したところ即、快諾を得ました。福島市チームと日程について相談すると、何と3月30日しか取れないということになります。年度末の学校現場はまるで戦場で、そこにお邪魔するというのは非常識の極みなので、諦めるしかないかと思いましたが、ダメ元で交渉してみると、OKをいただいたではありませんか! しかも荒井氏は「他でもない、大事な福島が来るのなら、スケジュールを変える」といって、東京から九州に移動する日程を、「東京→札幌→九州」に変えてくださったのです。

2.いざ、札幌新陽高校へ

図2 手作りの昼食をとりながら 3月29日、私たちが札幌に到着すると早速「ようこそ札幌へ!」の横断幕でお出迎え。部活動の送迎に使っているという、新陽高校の先生の運転するかなり年季の入ったマイクロバスで学校まで送ってもらいました。
 学校に到着すると、「本気で挑戦する人の母校」の強烈な文字が迎えてくれます。十数名の生徒たちが出迎えてくれ、保護者の皆さんの手作りという昼食をとりながら、自己紹介をします。
図3 初めてのキンボール 生徒の創意による「宝探しゲーム」、新しいスポーツ「キンボール」体験など、とても楽しい一時となり、生徒たちはすっかり仲良くなりました。ここでは、生徒たちのデザインよる、企業と連携した独自のファッションブランドも立ち上げており、荒井氏がいつも身につけているパーカーやトレーナー、Tシャツなどはすべてこのブランドのものでした。他にも高校生の起業活動が活発で、福島の高校生たちにとっては驚くことばかりでした。
図4 生徒たちによるファッションブランド 札幌新陽高校の生徒たちはとても一人ひとりが生き生きしていて、その個性が形になって現れており、丁寧に育てられていることがよく伝わってきます。今回の交流も、自ら立候補した生徒たちが、すべて自分たちで企画してくれたとのことでした。ここでの生徒同士のつながりは、その後もずっと続くことになります。

3.札幌新陽高校と福島

図5 生徒たちと熱心に語り合う荒井氏 福島側のグループには佐藤君という、ふたば未来学園高校から「来週」福島大学に入学する「生徒」もいました。2日目は、「高校生の地域活動」と題した熟議を行うことになっており、新陽高校の生徒たちに福島を知ってもらうため、佐藤君にプレゼンをお願いしていました。原発被災地の富岡町の出身で野球少年だった彼は、高校時代のプロジェクトでアメリカに行ったとき、生産者と消費者が親しく交流するファーマーズマーケットに「運命的に」出会い、自分のやることはこれだと確信し、高校時代は農業の研究と、ファーマーズマーケットの実現のために汗を流し続けました。自分で交渉した農家に参加してもらったファーマーズマーケットは大雨にたたられましたが、たいへんな達成感を得ます。
図6 札幌新陽と福島の生徒による熟議 財団の理事として福島の復興やふたば未来学園高校の創設にも関わっていた荒井氏は、「大切な福島から、こんな若者が育った」と、涙を流して彼の話を聞いていました。「復興とは子どもが大きくなること」という印象的な言葉を核にして、荒井氏自身と福島の関わりを話してくださいました。これをもとにして、高校生同士、札幌の真ん中で、延々と福島の震災と復興の物語は話し続けられました。

図7 玄関で「本気で挑戦する人の母校」 帰りの飛行機の中で福島市チームの生徒たちは、「新陽高校の生徒たちに会ったら、自分たちで何か新しいことを始めたいと思うようになった」と言いました。この出会いが、福島チームの生徒たちに、決定的なバネとなったのです。

普段着の国際協働へ ―未完―

1.台湾協働の新段階

図1 台中高女で打ち合わせ 2019年11月、私たちスタッフは台中市台中女子高級中學(台中高女)を訪れました。立人高級中學の学園祭で知り合った台中高女のPTAの方の招きによるものです。氏は台中市(日本の行政区分では「県」)とも太いパイプを持っており、当日の打ち合わせには台中県の教育局長も出席していました。
 事前の打ち合わせでは、台中市の都市部だけではなく、山間部と交流・協働することも考えてほしいとのことでした。この台中高女は台中市の都市部に位置し、全台湾でも5本の指に入るほどのエリート校で、いずれの生徒の家庭も上流階級ばかりです。しかし、これが台湾のすべてなのではなく、東の山間部には台湾原住民の血筋の人々も暮らしており、経済的にも恵まれているとは言えない、都市部の子どもたちは家族旅行で日本に行くことも珍しくないが、山間部の子どもたちのほとんどはそのようなチャンスがない、ということでした。
 「私たちの協働のねらいは、各地のありのままの姿を受け入れ、生徒同士が力を合わせる機会をつくっていくこと」と伝え、台湾側からの提案を歓迎しました。

2.三つの高校と

図2 100周年を迎える台中高女にて 2019年12月、私たちは台湾に向かいました。福島側の生徒もほぼ新しいメンバーに入れ替わり、語学が得意な生徒や中国語が堪能な生徒もいれば、プロジェクトで元気を取り戻しつつある不登校気味の生徒もおり、バラエティに富んでいました。彼らは皆、福島市高校生フェスティバルでチームワークを築きあげたメンバーでした。
 事前に、各校で発表するプレゼンテーションを準備し、英語や中国語でスピーチの練習をしたところ、確実にこれまでのものよりも1段階以上レベルが上がっていました。「希望のヒカリ」を友情の印に各校に寄贈する計画を立て、直径60センチ程度の小型のものを再設計し、週末の度に集まっては部品を作りました。学習会を開き、台湾の歴史や文化を、日本との残酷な関係も含めて学び合いました。
 今回訪問するのは、前述した市の中心部に位置する台中高女と、東の山間部にある新社高級中學の二つの高校です。これまで交流を続けてきた立人高級中學には今回は訪れませんが、パートナーたちが夕方生徒たちを夜市に誘ってくれました。
図3 立人高中のパートナーたちと 台中高女はこの日創立100周年の式典があり、私たちはそのセレモニーに招かれました。100年前に日本人が設立した高校で、制服が緑色である理由を尋ねると、戦時中周りの緑に溶け込み、空からの攻撃を避けるためと説明され、言葉に詰まりました。創立記念日には、本校を卒業した各界のセレブが集まり、台中市長(県知事)も出席して挨拶をしました。
 校内を案内してもらうと、ある部屋には3Dプリンタやレーザー彫刻機などが自由に使えるように複数セットされており、生徒の創造性を育むことに役立てているとのことでした。日本との差を痛感しました。交流の場面では、一定程度日本語が理解できるパートナーを集めていただいていたので、コミュニケーションはほとんど障害がありません。生徒たちはあっという間に仲良くなり、SNSの交換などをして別れました。

図4 福島の今を伝えるプレゼン図5 親しくなった高校生たち

3.被災者と支援者

 翌朝早く、東の山岳部にある新社高中にバスで向かいました。急な山道をバスで登っていくと、突然、まるで山奥の桃源郷のような風景が広がります。新社高中は1999年の台湾大地震で校舎を失った高校で、20年を経てやっと元に戻ったと校長先生が説明していました。ここは普通科と農業科が一つになった学校で、広大な農場を持っています。台湾でサトウキビの栽培を始めたのがこの高校とのことです。
 ここでは、日本語や英語はほとんど使えず、中国語のできる通訳が唯一の頼りでした。両国の生徒や先生方と植物の種を揉んで作るゼリーを体験し、校内を歩いているうちに、生徒たちはここでもすっかり仲良くなりました。新社の生徒たちはとりわけ人なつっこく、福島の不登校気味だった生徒も、わずかな時間で仲のよい友達を作りました。再会を約束して学校を後にすると、出発したバスの後を高校生たちが走って追いかけて来るではありませんか。

図6 ゼリー作りを一緒に図7 バスを追いかけてくる生徒たち

 震災と原発事故の被災地福島を知ってもらうために始めた台湾との交流・協働事業でしたが、台湾もまた解決しなければならないさまざまな課題を持っています。自分たちの力だけでは日本に来ることの難しいここの生徒を日本に招待できないか、そのためにクラウドファンディングを始めてはどうか、日本への帰路でそんなことを本気で考え始めました。
図8 新社高中の仲間たちと しかし、2020年が明けて新型コロナウイルスが広がり始めるとすぐに、台湾はいち早く国境を封鎖し、自由な行き来ができなくなってしまいました。生徒同士、メッセージのやりとりは続いていますが、次のプロジェクトに取りかかるには、もうしばらく時間がかかりそうです。

台湾・立人高級中學学園祭!

1.学園祭前夜

図1 福島ブースの準備 2019年3月27日、準備を万端に整えた私たちの一行は台湾に向け出発しました。成田で一泊し、深夜まで学生と生徒の打ち合わせが続きました。中国語に通じた学生や院生のサポート体制は頼もしい限りでした。
 学園祭の前日の29日、台中市の立人高級中學に到着すると、すでに祭の準備は始まっていました。同校の私たちのパートナーは、そのような忙しい合間に会いに来てくれ、再会を喜ぶ間もなく、すぐにブースと「希望のヒカリ」の準備に取りかかりました。
図2 「希望のヒカリ」の組み立て 「希望のヒカリ」は、同校の校史資料室に置いてもらえることになり、そこで組み立てていくと、オブジェがイメージしていたものよりはるかにより大きく、高さが天井ギリギリとなってしまいました。「迷惑にならないか」と校長先生に聞きましたが、「大きいことはとてもいいことだ!」と喜んでくれました。一部の生徒らは傍らで、本校に贈呈する折り鶴による「福」の文字を組み立てていました。校長先生は、一連の作業を興味深そうに見ていました。
図3 福島ブースに集まる台湾の高校生 外では、福島の生徒たちに台湾のパートナーたちが手伝う形で福島のブースの展示の準備に大わらわでした。持ち運びできる展示物にしようと、ポスターをタペストリーの形にまとめそれらの配置を考えました。その中身ではネイティブのチェックを端折ったために、意味の通じない言葉を指摘され、慌てて修正しました。気がつくと、福島のブースの周りには人だかりができており、パートナーたちが内容を説明してくれました。
図4 校史資料室にて 生徒たちが最も力を入れていたのは、ダンスの発表です。割り当てられたリハーサルの時間を一杯に使い、登場から退場まで入念に打ち合わせをし、音楽のチェックにも余念がありませんでした。
 その夜、PTA理事会のレセプションに大人と生徒代表が招待され、挨拶をしました。校長先生は懐から、「日本の生徒からもらった鶴だ」として取り出し、とても嬉しそうに周りに披露していました。

2.学園祭――3600人の前で

図5 運動会に参加して 当日は、これ以上望めないほどの学園祭日和となりました。入場行進や運動会にも参加が許され、クラスごとに団結の旗を手にして入場し、最後に赤いシャツで揃えた福島チームが紹介され、全校生からの大きな拍手が青空に響き渡りました。開会式では、全校生3600人の前で「希望のヒカリ」の目録を贈呈し、「私たちは世界的に悲劇の地として知られた福島からやってきた。立人高級中學の先生や生徒たちにエネルギーをもらって、今日の日を迎えることができた。これからも絆を強くしていきたい」と挨拶をしました。
図6 台湾の高校生とコスプレ 来賓の交流の席では、この交流の元を作ってくれた楊思偉先生が福島との交流の意義を、丁寧にスピーチしてくれました。「日本の福島は、大震災を経験して新しい教育プロジェクトを始めた、OECDなどの国際機関といっしょに次世代の新しい教育をつくり出そうとしている。台湾も視線を外に向け、生徒たちに必要な教育を創っていかなければならない」という趣旨でした。これを聞いた、台中女子高級中學のPTAの方が「是非本校とも交流していただけないか」と、日本語で親しげに近寄ってきました。いろいろ話していると、私たちがやろうとしていることと重なることが多く、新しい方向性が見え隠れするものでした。実際これは、翌年実現することとなります。
図7 福島のためにメッセージを書く高校生たち その頃、生徒たちは参加していた運動会で四苦八苦していました。ボールを道具でリレーするゲームでは見事に最下位となり、大笑いとなります。

3.「魚ではなく釣り竿を」

 福島のブースには、大勢の生徒や大人が詰めかけました。チームの中国語が話せる生徒は、この日のために作ったパンフレットをあちこちに配り歩き、ブースに台湾の生徒を連れてきました。このような状態でしたから、福島市チームのブースは人が絶えませんでした。
図8 福島市チームのステージ発表 午後のステージでは、日本風にアレンジしたダンスが生徒たちの好評を博しました。直前のアトラクションが、台湾の生徒による「銃さばき」のパフォーマンスです。台中でも高評価をもらっているそうで、台湾には徴兵制があることを思い起こさせられました。これらの指導は軍人が行っており、台湾の生活指導も軍人が担当します。
図9 台湾伝統の「銃さばき」 学園祭の1日も始まれば、あっという間に終わってしまい、後片付けを終えた生徒たちは心地よい疲労感に包まれていました。閉会式では、運動会の成績が紹介され、福島チームも大きな拍手の中で記念のペナントを受け取りました。私たちはこの日の内に、台中から台北に移動し、翌朝の便で日本に帰らなければなりません。先生方や生徒たちに何度も何度も感謝のご挨拶をし、そそくさと立人高級中學を後にしました。
図10 閉会式で紹介される福島市チーム その夜、ホテルで一連の取り組みの振り返りを行いました。ガイドさんからも「日本人でここまでがんばる生徒は初めて、感動した」と言ってくれました。「台湾と交流している日本の高校はたくさんある。けれどもここまで関係を築いて、いっしょに協働できている学校はとても少ない。やろうとする意志力が一番大切」と言いました。留学生のスタッフ院生は「魚を与えられるのではなく、釣り竿をもらって釣り方を覚えることが大切。生徒のみんなはもらった釣り竿を上手に使わなければならない」と、言いました。
 思えば、これまで4年間活動をしてきた高校2年生は第一線を退くこととなり、これがほぼ最後の活動となります。ずいぶん、遠くまで来てしまったな、と改めて思いました。

希望のヒカリ

1.子どもたちに希望を与えた「光」

 福島市の高校生チームは、2018年の秋頃から、翌年3月開催予定の台湾・立人高級中學の学園祭参加の準備を始めました。
 しかし、彼らは台湾との交流・協働事業だけでなく、もうひとつこの年の秋に予定されていた「福島市高校生フェスティバル」の企画も行っていました(これについては別に報告することとします)。高校生が市内ににぎわいを取り戻すという目的のもとに準備が進められ、夜、会場にイルミネーションを展示するというアトラクションが企画されていました。
図1 希望のヒカリの制作① 実行委員会と大学生、そして大学の教員とで話し合い、「インスタ映え」する、高校生のレベルを超えたものを飾りたいということになり、2018年の夏1ヶ月かけて、いろいろなアイディアを持ち寄り、ああでもない、こうでもないと日曜日の度に集まって試作を繰り返し、最終的に球体(180面体)の巨大なイルミネーションのオブジェが完成しました。このイルミネーションの発端が、大学生が被災地の子どもたちに元気を出してもらいたいと作ったオブジェだったことから、「希望のヒカリ」と名付けました。

2.仲間に「希望のヒカリ」を贈りたい

図2 希望のヒカリの制作② さて、台湾との交流・協働を進めるにあたって、このイルミネーション「希望のヒカリ」を先方の立人高級中學に贈呈したいということになりました。台湾は贈り物の文化が盛んで、私たちの交流を進める度にたくさんのプレゼントをいただいています。福島を訪問された時の記録をまとめた豪華な写真集を頂戴するに及んでは、何をお返しすればいいのか途方にくれるほどでした。それなら、先方の学園祭に参加させていただくお礼に、私たちの手作りのイルミネーションを友情の証として差し上げたいということになったのです。
図3 希望のヒカリの制作③ しかし、この「希望のヒカリ」は、もともと屋外用に作った、直径1.6mの球形のオブジェで、分解して部品の状態で台湾に空輸しなければなりません。それらの材料や工具を海外に送れるのかどうかもわかりません。また、一度組み立ててしまうと動かせないので、どこにこれを設置するか予め許可を得なければなりません。組み立てるにも丸1日かかります。部品が欠ければ、その時点でアウトとなります。先方の校長先生からは受け入れを快諾してもらいましたが、これを実現させるためにはたくさんの課題をクリアする必要がありました。

3.力を発揮するリーダーたち

図4 台湾で発表するダンスの練習 そもそも、学園祭への参加はステージとブースが基本でした。ステージでは福島チームの発表の時間が既に確保されており、その練習を続けていました。また、ブースは福島の真実を伝えるという内容で、震災と原発事故の事実や現在の課題をポスターで伝えるというものでした。これについても、話し合いと準備の時間に多くの時間が割かれ、春休みに入るや、毎日これらの準備に追われることとなりました。
図5 立体で作った人工ピラミッド これを取り仕切っていたのは、既に終了していた「高校生フェスティバル」で育ったリーダーたちでした。先方の高校とも自分たちで連絡を取り、ステージの時間や演目、準備物なども詳細に確認していました。当初予定していた演目が場にそぐわないとされ、急遽変更することとなり、ダンスの振り付けを友達に頼み、一からやり直すことになりました。ブースに展示するポスターは中国からの留学生に協力を得つつ、何を台湾の仲間に主張するのか、そのためのパンフレットも必要だから作ろう、その原稿を誰が担当するのか、いつまでにやるのか、人口問題を考えるための人口ピラミッドを立体で作ったらもっと伝わるのではないか、そのようなことが自分たちで考えられるようになってきました。
図6 完成した希望のヒカリ 「希望のヒカリ」はポリカーボネート製のプラスチックダンボールでできており、LEDの光の不思議な拡散を楽しむ構造となっています。ダンボールを切って90枚の部品を作り、機械で折って、ドリルで穴を空けて、数百箇所をボルトで留めて、中にLEDを仕込みます。大学生の力も借りながら、ようやく準備は整いましたが、現在使っているボルトの材質が輸出規制対象となっていることが直前にわかり、全部ボルトを買い直すことになります。たくさんの部品や道具を限られた容積に収めなければならず、それはもう立体パズルのような複雑な思考も要求されました。
 これらの作業には、海外で実施したOECD東北スクールのノウハウが活かされていました。生徒と大学生、大人たちとの協力体制も万全で、これなら成功を勝ち取れるという確信を持つことができるようになりました。

日本と台湾、そして福島

1.「とんでもないこと」

図1 立人高級中學にて 台湾の仲間が台湾に戻った直後に、「とんでもないこと」がわかります。台湾は、韓国や中国を抜き、世界で最も福島の食べ物に不安を感じる国、およそ9割人たちが不安を感じる国だったのです。そのことを福島市チームのメンバーに知らせると、彼らはすぐに台湾の仲間に「本当にそうなのか」を尋ねました。結果は、その通りでした。
 生徒は次のように書いています。「パートナーたちが特に喜んでいたのは福島のりんごを使ってアップルパイとパウンドケーキを作ったことです。台湾ではあまり料理をしないという文化の違いや異国の地の食べ物を食べるという壁を越えて私たちは交流をしました。台湾では法律によって福島の食べ物は輸入できない状況にあります。私たちは特に意識することなく、彼らが普段汚染されていると聞かされていた福島の食べ物を差し出してしまいました。しかし、ためらいながらも手を伸ばし、「おいしい」と笑顔で言ってくれた彼らにとってそれがどれだけ勇気が必要なことだったか私たちは知りませんでした。彼らが台湾へ帰国した後、その事実を知ってとても泣きたい気持ちになったことを私は今でも忘れません。」

2.台湾という国

図2 中正記念堂の蒋介石像 実際、福島の放射能の問題は、始めからその影がつきまとっていました。初めて台湾を訪問し、生徒たちが福島の食べ物は検査が徹底しており、安全であることを発表すると、そこにいたマスコミ関係者に「これは政治的な利用か」と疑問を持たれてしまいました。「安全です」と言って「そうか、安全なのか」と納得する人はいません。私たち自身が台湾の仲間に信頼されて初めて、メッセージは通じるようになります。
 そもそも、「親日的だ」と一般に理解されている台湾という国の文化や歴史の知識を、私たちはほとんど持ち合わせていませんでした。台湾の友達が、日本語の歌を練習して歌ってくれましたが、私たちは台湾の歌を少しも知りません。台湾の街中を歩くと、「日本統治時代」(1895年から1945年まで)に建てられた建造物を目にすることができますが、それを台湾人はどう見ているのかわかりません。1930年には、映画「セデック・バレ」の元となった「霧社事件」など、現地人による日本への激しい抵抗運動が頻発します。台湾に行くと必ず見学する中正記念堂に鎮座する開国の祖「蒋介石」。彼によって1947年から1987年までの40年間、世界一長い戒厳令が敷かれ、その間に多くの知識人が虐殺されました。今日この時代は「白色テロの時代」と呼ばれ、このことを自由に話せるようになったのは最近のことです。東日本大震災には250億円もの支援金を提供し、国連の幸福度ランキングでは3年連続東アジア1位ですが、国連やOECDなどの国際機関には加盟できず、日本との国交もありません。
 その国を単純化して理解することは、しっかりとした関係を作る上ではむしろ障害になります。お互いのありのままを理解すること、社会の複雑さを共有することがグローバルな理解で大切な点ではないかと思います。

3.「いっしょに汗を流したい!」

図3 いっしょに何をやりたいか? 2018年1月4日から8日にかけて、福島市チームは2度目の台湾訪問をします。今回の訪台の目的は、これから台湾の仲間と「やること」を決めることです。再会を果たした両国の生徒たちは、これから協働でどんなことをやりたいのか、話し合い、まとめたものを発表し合いました。いくつかのグループからは、福島のわらじまつりを台湾でやりたい、台湾の夜市を福島でやりたいなどのアイディアが出ました。いずれも、「楽しいこと」をいっしょにやりたいという方向でまとまりそうでした。
図4 921地震博物館の見学 本連載のvol.31で書いたように、台湾は日本と同じ地震大国です。特にこの台中市では1999年9月21日に大地震に襲われました。その地震で破壊された小学校を「921地震博物館」として保存し、その地震の凄まじさを伝えています。生徒たちは博物館を台湾の生徒たちと見学しました。幸い地震発生時が夜間であったため、ここでは一人も亡くなっていません。翌日は小雨の中、台中市の海岸部を見学しました。ここには「台湾のウユニ塩湖」と呼ばれる「高美野生動物保護区」があり、正月それも雨模様だというのに裸足で海に入ることができます。最終日は高雄まで南下し、そこで生徒たちはグループ別の自由行動となります。
図5 正月なのに海に入れる! その年の秋、生徒代表は三度立人高級中學を訪れました。翌年3月の学園祭に福島市チームを参加させてもらいたいというお願いをしに来ました。校長先生から快諾をいただき、ここから台湾との交流事業は、協働事業へと発展していきます。
図6 3度目の台湾訪問 仲間が迎えてくれる 生徒は次のように述べています。「翌年、再び台湾を訪問した私たちは、これまでの「交流」から「協働」へと関係を変えたいと提案しました。私たちが住む福島と彼らが住む台中市では人口も都市化の進み具合もまるで違いますが、学生の進学、就職による人口流出、急速な人口減少、少子高齢化が進んでいること、そう遠くないうちにそれが大きな問題となって私たちに降りかかってくることが背景にあります。私たちは手を取り合い、未来に向かって一緒に考えて行く必要があると思ったからです。この交流は現在でも続いており、2019年3月に行われる立人高級中學の創立記念をお祝いする学園祭への参加が決まり、それに向けて準備を進めています。」

Fukushimaに海外の「仲間」を呼びたい!

1.台湾の「仲間」に、福島に来てもらいたい!

図1 台湾の生徒の到着を待つ福島の生徒たち 台湾と交流を始めたプロジェクトのメンバーは、次のステップを考えました。その結論は「福島に台湾の友達に来てもらう」というものでした。福島は、2011年の原発事故で世界的に知られた地名で、親日的だからといって、原子力の放棄を決めた台湾の人たちが、ハンディキャップを持つこの地に「行きたい」といってくれるかどうかわかりません。呼ぶための資金をどうしたらいいのか、そもそも福島に来て何を見て、何をしてもらうかもわかりません。
 まず資金は、福島県が進めていた旅行客の誘致事業に合致し、何人を呼ぶか人数にもよりますが、可能性が見えてきました。立人高級中学の教務の先生に相談したところ、「日本に興味のある生徒はたくさんいる、日本に行ったことのある生徒もいる、福島に行くかどうか聞いてみる」と言ってくれたことで、にわかに可能性がふくらんできました。

2.「交流」ではなく「協働」を!

図2 生徒たちのバスが到着した! 私たちの福島市に来てもらいたい、しかし、福島市は皆無ではないにしろ、外国の方がめざしてくるような観光資源があるわけではありません。「福島市」にこだわらず「福島県」に広げれば、外国からも人気のある「会津」もあります。それなら、いっそ、立人高級中学の生徒たちに「見たいもの」「やりたいこと」を直接聞けばいいということになり、日本に来てくれることになった生徒たちとの間で、LINEの翻訳機能などを使ってやりとりが始まりました。
図3 交流事業開会式 観光地をただ見学するだけではなく、私たちの目的は「交流」ではなく「協働」なんだ、いっしょに何かをやりたいということになりました。このプロジェクトも両国の高校生の協働による手作りのツアーとして設定しました。LINEのやりとりで、台湾の人たちは家の中で料理をつくったりする機会が少ないということがわかり、それなら福島の名産であるリンゴを使って、みんなでアップルパイをつくろうということになりました。
 滞在期間も2017年11月3日から6日の4日間(正味2日と少し)と決まり、限られた予算と時間の中でのスケジュールや宿泊先の決定、見学先の下見、開会行事の中身、福島の生徒たちが所属している学校との調整などを慌ただしく進めました。ここには、生徒たちが2年前に企画実施した「福島市の観光ツアー」(学び!とPBL<Vol.17>「地域課題に挑む生徒たち②」参照)の経験が如実に生きていました。
 海外への旅行経験が、提携先のオーストラリアの1回のみの立人高級中学の劉校長先生が2度目の海外、初めての日本の旅行先として、私たちの福島市にお越しいただくことになりました。福島と立人をつないでくださった楊先生もツアーに参加してくださることになりました。

3.粗末な接待だけど意味のあるものに

図4 会津日新館の前で 11月3日夜、台湾を早朝に発った台湾の仲間たちが、列車、飛行機、バスを乗り継いで福島の飯坂温泉に到着しました。生徒14人と劉校長や楊先生、教務の先生、日本語の先生、外部協力者の大人5名もいっしょでした。それを迎える福島側は、福島市の中高生(高校生は初対面、中学生は高校受験を控えているために1日だけの参加)20人や先生方、福島大学のスタッフらです。

図5 交流で距離が縮まる関係 決して豪華とは言えない温泉旅館を拠点に、これから3日間が始まります。事前に知らされていなかった日本の「温泉」の入り方に、生徒たちは声をあげて驚いており、見かけは私たちと何ら変わりない彼らとの間に大きな文化の違いがあることを実感させられました。開会式は、1日の旅行の疲れもあり、感動の再会も控えめにして、翌日の準備に備えました。

図6 鶴ヶ城の前で沸き立つ生徒たち 2日目は、台湾の生徒からのリクエストに応えて、会津に向かいました。江戸時代の藩校である「会津日新館」、会津を代表する名城「鶴ヶ城」、宿場町の装いをそのままに残す「大内宿」などを見て回りました。寒暖差が少ない台湾の風景に慣れていた客人たちは、いずれも日本の鮮やかな紅葉を楽しんでいました。途中冷たい雨にたたられ、温暖な気候しか知らない台湾の方々が心配されましたが、初めて見る日本の歴史的な佇まいに感動している様子でした。交流を積み重ねていく1日の中で、少しずつ福島側と台湾側とで打ち解けていく様子が、手に取るようにわかりました。とりわけ、日本語が話せるひょうきんな男子生徒が人気で、場をなごませてくれました。

図7 みんなで浴衣を着て 旅館に戻ると、夕食の後、みんなで浴衣に着替え、延々と写真を撮影し続けました。予算の都合上、本当に粗末な接待しかできませんでしたが、その不足分を生徒たちの互いの思いやりで埋め合わせてくれているようでした。

図8 福島市民家園 説明も生徒が行う 翌日は、福島市内の体験活動となります。伝統的な木造建築群の「民家園」では、機織りや囲炉裏など日本古来の文化を体験しました。昼食は味噌を使った料理でしたが、味噌文化を知らない台湾の生徒たちは手を出そうとはしませんでした。

図9 みんなでアップルパイを作る 午後は、リンゴの選果場を見学し、いかに安全管理がしっかりしているか説明してもらいましたが、台湾の生徒たちにはちんぷんかんぷんの様子でした。そこでいただいたリンゴを使って、両国の生徒たちがアップルパイをつくります。言葉が通じませんでしたが、見よう見まねで作業が進み、そのプロセスで生徒たちの絆も築かれていきました。

図10 紅葉を楽しむ生徒たち 夕方の自由時間には、福島近郊でショッピングを楽しみました。日本の医薬品がとても人気があり、先生方も買い込んでいました。劉校長先生は、お孫さんのためにバックパックを品定めしていました。
図11 お別れ会の夜 生徒たちが自分たちで企画したツアーも、今晩のお別れ会で終了となります。大人が考えれば、もっとこうなったのではないかと思いながらも、生徒たちが自分でつくった「おもてなし」には、別の魅力と学びがあります。お別れ会ではみんなでつくったアップルパイを食べ、いっしょにピコ太郎の「PPAP」をやって大いに盛り上がり、両国の生徒たちでお互いに感謝の言葉を交わし、日本側から写真入りのメッセージを贈り、台湾での再開を約束して、感動的に終わりました。翌朝早くに、台湾の生徒たちは福島を発ち、その日の内に台湾に戻ります。

 台湾の仲間が帰国した数日後、「とんでもないこと」が判明し、このツアーの意味を考えさせられることになります。

ささやかな「国際交流」の始まり

1.1%の望みもムダにしない

 生徒国際イノベーションフォーラム2017の終了によって、地方創生イノベーションスクール2030プロジェクトの第1期は終了となり、第2期の活動についての議論が始まりました。
 その一方で、福島市チームはそれらとは独立して動いていました。「福島」はOECD東北スクールからの流れを絶やしてはならず、地域の課題をずっと背負い続け、取り組みを継続していかなければならないと考えていたからです。
 福島市も他地域と同様に国際交流を始めたいと考えていましたが、そのきっかけをつかめずにいました。東北スクールの関係で、ヨーロッパのあちらこちらに知り合いはでき、フランスの農業高校やブルガリアの日本人学校などを紹介してもらいましたが、実際に始めるとなると大きなお金が必要になりますし、語学を含めて私たちの力量にも不安が残ります。2015年から翌年にかけて、ずっと決めあぐねていました。
図1 中央に楊思偉先生、右に劉校長先生 そのような折、ふと20年以上も前に交流しその後連絡が途切れていた台湾の先生を思い出し、「ダメ元」で古いメールアドレスにお願いのメッセージを送りました。すると翌日には「台湾の高校を紹介できる、どんな高校がいいか?」と返信が返ってきたではありませんか。OECD東北スクールで得た大きな教訓の一つに、「チャンスは決してムダにしない」というのがあります。少しでも望みがあるなら、そこから大きく花開くかも知れない、だから安易に捨ててはいけないと教えられ、それがまた一つ実証されました。

2.台湾へ

 台湾は、20年以上前に日本カリキュラム学会の研究旅行で、1週間程歩いたことがありました。1997年に訪問した当時は、民主化されてから日も浅く、バスから見える風景は雨後の竹の子のように高層ビルの建設ラッシュで、街中は「アジア」そのものでした。
図2 立人高級中學 今回お世話になった楊思偉先生はそのときに知り合った方で、日本留学の経験もあり、日本の教育事情を熟知している教育学者でした。台中教育大学の学長を終え、現在は私立大学にお勤めになっています。
 2016年の10月、私たちスタッフは3人で台中市を訪れ、楊先生と、紹介いただいた台中市立人高級中學校長の劉先生と打ち合わせを持ちました。立人高級中學は、台湾全土でも5本の指に入る程の有名私立高校で、全校生3,600人のマンモス校で、学習のみならずあらゆることで大きな成果を出している高校でした。こちらとしては、ここまで「立派」な高校は望んでおらず、恐縮してしまいました。OECDとの教育プロジェクトの話をすると、楊先生にはよく要領を理解し、それを劉校長先生に説明していただき、私たちとの交流を受け入れてくれました。
図3 高校生に英語で福島を紹介する中学生 東日本大震災の折には250億円もの義援金をいただくなど、台湾は親日的で、楊先生のように日本のことをよく理解してくれる方が大勢います。その一方で、中国との関係では極めて厳しい事情を抱えており、その「影」は常につきまといます。

3.福島市チームの初めての海外交流

図4 福島からの生徒を歓迎してくれる 帰国早々、立人高級中學の教務の先生とやりとりをし、2017年2月19日から4日間、中学生が台湾を訪問することに決まりました。予算の関係で、参加できる中学生は14人、その他スタッフや通訳、学生サポーターなどを決めます。中学生ですが、本連載のVol.16Vol.17で紹介した生徒たちの多くは中学3年生で受験直前であるため、今回はすべてその下の2年生としました。
 「海外交流」と書きましたが、実は東北スクールの時から「交流はお金があれば誰でもできる、持続できる信頼関係を作って、いっしょに考えたりいっしょに汗を流したりする『協働』でなければ意味がない」と決めていました。だから、今回の台湾渡航は「交流」ではなくこれからの「協働」に向けた下地づくりという位置づけとなります。
図5 外国人と初めてのコミュニケーション 立人高級中學では、私たちのために日本に強い興味を持つ生徒や日本語が話せる生徒を集めて、私たちの訪問を歓迎してくれました。まずは、中学生が英語で自分たちのこと、東日本大震災や原発事故のことを紹介し、理解を深めました。その後通訳やスマホなどのツールを介して生徒同士の自己紹介、おしゃべりとなります。予想通りかなり生徒たちは難儀していましたが、それでも中国の留学生や日本語を話せる立人の高校生のお陰で、とてもいい雰囲気で交流することができました。彼らの数人とは現在も交流が続いています。
図6 観光地で記念撮影 翌日は台中市近郊の観光施設を、両国の生徒たちがいっしょに回ります。日本から見た台湾といえば台北市や高雄市など、北と南が有名で、あまり台中市のイメージがありません。もっとも、台中「市」といっても、日本の「県」と同じ行政区分となっており、人口は280万人で福島県よりも大きく、中心部は新興都市で、繁栄を極めています。また、台湾は日本同様地震大国で、1999年9月21日に台中一帯が大地震(921地震)に襲われ、2,400人以上の犠牲者を出しています。このあたりも台湾と福島が連携する重要なテーマでした。
図7 別れを惜しむ両国の生徒たち 夕方、わずか2日の交流のささやかな「お別れ会」をしました。日台両方から期待以上の「学び」を感じることができ、次への発展を確信させてくれるものとなりました。なにより、別れ際に抱き合って涙を流す姿が、それを象徴していました。

生徒国際イノベーションフォーラム③

1.生徒共同宣言

図1 生徒共同宣言を読み上げる生徒たち 生徒、教師、研究者ら400人の参加による生徒国際イノベーションフォーラム2017(ISIF’17)は、ほぼすべてのスケジュールを終え、閉会式を残すばかりとなりました。閉会式では、メッセージで一杯になったシンボルバルーンが全体の前に掲げられ、生徒たちの熱い思いを感じることができました。参加した各国の代表から感想が発表され、メインイベントとなる生徒共同宣言が、三日間の写真をバックに和歌山チームの3人から朗読で提案されました。
図2 生徒共同宣言の概念図 「生徒共同宣言Our Voice in 2017」は、日本国内のみならず海外のパートナーの声や考え方も反映されたものでしたが、議論を踏まえ付け加えてもらいたい事例なども直前に提案され、基本的な枠組みは拍手で了承されましたが、細かい表現については後日再確認するという取り扱いが認められました。
 主な枠組みは、社会の現実的な課題を解決するための「生徒中心の学び」が必要で、これは学びの変革と生徒の自覚からなる、具体的には「コミュニティへの参加」「国際協働」が提案されており、この学びには「生徒ならではのパワー」「国内外の仲間との結びつき」「強い意志・計画・行動」「未来に対する共通のヴィジョン」が必要、失敗と成功を繰り返し、イノベーションを起こし、「私たちが望む世界」に近づいていく、というもので、OECDのEducation2030の趣旨にも沿った内容となっています。

図3 ISIF’17全体のつながりを示す図

2.ISIF’17を終えて

 何はともあれ、2年と4ヶ月前にスタートしたISN(OECD日本イノベーション教育ネットワーク)のもとで、「地方創生イノベーションスクール2030」が各地で実践され、ISIF’17として結実させることができました。資金や運営体制をはじめ、必ずしも十全な環境でなかったにもかかわらず、ここまでたどり着けたのは、参加した生徒や教師の情熱と、関係者の日夜を分かたぬ努力の賜だと思います。
図4 司会の大役を務めた生徒たち 本プロジェクトは、「OECD東北スクール」後の日本発の国際共同プロジェクトとして、大げさに言えば、各国の内向きな教育を外向きに変えていく方策を探る野心的な取り組みと言うことができます。私たちにとっては、「日本」と「海外」という棲み分けられた関係を、それぞれが同じ世界の一部として捉えなおす、認識の転換を含んでいると言えます。
 以下、本フォーラムのホスト国としての日本から見た総括を記しておきたいと思います。
 まず、最も重要な視点は、「2030年の教育」を生徒と大人が協働して探究することができたかどうかという点です。それは、生徒達が生きる近未来の課題を客観的に理解し、自分事として引き受け、問題の所在を探り、自分たちにできることを発見し、他者と協働し、実践することによって学ぶという、一連のプロセスによって実現されます。多くの参加者はフォーラムまでに各地域で実践を重ねており、ポスターセッションからスムーズにグループワークに移行したと言えます。ではそれが、教育のイノベーションに結びつけることができたかどうかは、今後の生徒や教師の実践に委ねられます。率直に言えば、「イノベーション」の一語は往々にして置き去りにされがちです。
 国際協働はいかに組み立てられたのでしょうか。本フォーラムは日本がホストとなり、各国をつなぎながら作業が進められました。各国・各地機によって生徒と教師の関係はまちまちであるため、一律に作業を委ねることはできませんでした。
 しかし、協働宣言のとりまとめでは、和歌山チームが中心となって内容を組み立て、各地域からレビューをもらいながら、何度も書き直し、そうした苦労によってオリジナリティあふれる宣言にまとめ上げることができたと言えます。ここには生徒達の生の姿が反映されており、生徒の主体性を探る重要な手掛かりを残したと言えます。
図5 閉会式の様子 国際間のコミュニケーションはどうだったでしょうか。ホスト国である日本の英語力は他国に比して弱く、コミュニケーションでは相当な困難が予想されたことから、メモ書きや図表、写真など、グラフィカルなツールを利用したコミュニケーションを目指しましたが、国際会議に必要なレベルの語学の獲得は一朝一夕には成しえません。
 本フォーラムの最大の特徴は、大人が枠組みを決めるのではなく、大人の援助を受けながらも生徒達が会議を組み立てるということでした。そのメリットは開閉会行事や異文化交流セッションなどに顕著に表れています。大人とは異なる生徒の視点が、本フォーラムの成否の鍵を握っていたと言っても過言ではありません。生徒が議論し、決定し、準備し、具体化するには通常とは全く異なる複雑なプロセスと時間が必要です。この試行錯誤の自由が許された環境こそが、生徒達を大きく成長させる条件だということを強調しておきたいと思います。

図6 フォーラムを終えて全員で記念撮影

3.生徒たちの成長

 このプロジェクトはISNの共同研究も兼ねており、クラスターごとに評価指標を設定し、生徒の能力の変化を継続的にモニタリングしてきました。本フォーラムにおいても参加者に対して、多様な形で調査を行い、クラスターや国を超えた共通の指標で生徒の成長の様子を描き出そうと努力しています。
 Word Cloudで示された図7は、生徒ラウンドテーブルで「多様な他者と協力しながら課題を解決するために大切な力」は何かを問うた結果です。出現頻度によって大きさや色が異なっていますが、「スキル」においては圧倒的にコミュニケーションの必要性が際立っています。「価値観」においては、「他者」「思考」「尊敬」「試行」「差異」などの言葉が目立ちます。スキルと価値観を合わせた「全体」でも、やはり「コミュニケーション」が大きく、日本人の英語能力が反映されているのがわかります。

図7 課題解決に必要な力Word Cloud

 図8は、一連のプロジェクトによって、どの様なコンピテンシーが伸びたのかを自己評価してもらい、その集計をグラフ化したものです。「新規性への関心」「異文化理解志向」「役割とチーム貢献」「意見の表明」などが伸長している反面、「偏見排除志向」「インクルージョン」などの複雑なものは伸びていないことがわかります。

図8 成長した力

生徒国際イノベーションフォーラム②

1.グループワーク

図1 ファシリテートするマヤさん(オバマ前大統領の妹) 「生徒国際イノベーションフォーラム2017」2日目は、ハワイのEast-West Centerプログラム開発ディレクターのナムジ・スタイナマンさんのファシリテーションで混在グループによるワークショップ「Shaping the Future We Want」を実施しました。集団で、マインドマップのような「問題/解決策の木」を創る作業を通して、何が原因でどのような問題が起きて、どんな解決策があるのかを話し合うというものです。ディスカッションのテーマは、①気候変動、②エネルギー問題、③難民と移民の危機、④変わりゆく時代における教育、⑤メディアのあり方、⑥少子高齢化、の6点です。
図2 グループワークの活発な様子 それぞれテーマごとの問題とその解決方法について、グループで「Your Issue」「Causes of Issue」」「Effects of Issue」「Solutions to Issue」の順で話し合い、その成果を模造紙にとりまとめました。英語で行ったこともあり、自分の言いたいことを発言できないもどかしさを感じた生徒も多かったようですが、言語サポーターやファシリテーションの方の援助で、なんとか自分たちの意見をまとめていた様子も見られました。むしろ英語力以上に「表現できる自分の思い」を持っているかどうかが勝負になることに、多くの生徒達が気づいたようでした。

2.生徒ラウンドテーブル

図3 ラウンドテーブルには丸いダンボールが用意された 生徒ラウンドテーブルは、地方創生イノベーションスクールの取り組みを通して、これまでの学びの過程と、そこで培った(もしくは培えなかった)力を語り合い、聴き合うコーナーです。33テーブルで約230人の中高生たちが自らの学びの軌跡について報告し、全ての生徒が学びと省察を通して自らが身につけた、伸ばした、気づいた能力を語り見つけました。テーブルのチームは全て、国も地域も異なる生徒7、8名で構成し、生徒たちの英語レベルを加味して日本語報告のミックスチームも構成しました。異文化を背景にもつ中高生たちが互いの学びと省察を交流し、共有し合うことで、グローバル・コンピテンシーの萌芽を感得する機会となりました。
 活動の最後に、トルコの生徒が「英語を恐れずに話そう! 間違えてもいいではないか!」と声を発しました。英語力を磨くこともグローバル社会では重要ですが、それ以上にグループにどう貢献できるかを考える、自分の意見を述べるために翻訳機を使ってでも表現するなど、いろいろなスキルを発揮していくことの方が大事なのではないかと考えます。

3.異文化交流パーティー

図4 異文化交流パーティーの様子 異文化交流パーティーは、東北クラスターが企画を担当し、Skypeで連絡を取り合いながら、各国、各クラスターからダンスなどの出し物や写真の提供を求めるなどして、進めてきました。交流のために、本フォーラムを構成する3色のTシャツや飲食物、リストバンドなどが準備されました。
 1日目夜はウェルカムパーティーとして、アイスブレークを行い、各国の伝統文化を知り、その後のフォーラム全体のコミュニケーションを円滑に進める目的で企画されました。
図5 エストニアの高校生によるダンス 当日は、230人もの生徒達が一堂に会し、始まる前からパーティーへの強い期待が感じられました。会う人ごとにハイタッチをして挨拶をするハローゲーム、各国の歴史や文化を知るクイズ、ダンスパーティーでは、トルコやエストニア、ドイツなどの伝統的なダンスが紹介され、全員で楽しく踊りました。
 会場は3色のTシャツの華やかさで満ち、若者達のエネルギーを実感する一時となりまた。2日目夜のパーティーは、各クラスターの出し物を披露するメインイベントでした。
図6 ニュージーランド高校生によるハカ ニュージーランドチームの出し物は、民族衣装に身を包んでの本格的なハカの披露で、会場は圧倒的な迫力で満たされ、全員で教わったハカを踊りました。また、福井大附属中チームからは合唱が、福井高校チームからは元気なダンスが、和歌山─トルコクラスターや隠岐島前─エストニアクラスターからは日本と各国の高校生が入り交じって日本の伝統芸能などが披露され、国際協働を象徴する場となりました。
図7 福井県高校生のダンス 一通りの出し物が終わり、次に白いバルーンとTシャツへのメッセージの書き込みタイムとなりました。あっという間にメッセージで埋め尽くされたこのバルーンへの書き込みは次のフォーラムへの道標となるはずです。生徒達は限られた時間の中で1人でも多くの仲間にメッセージを託そうとし、また、メッセージを受け取っていました。
図8 互いのTシャツにサインする高校生たち 2階の一室には、2日間を通して交流スペースを開設しました。日本の伝統の畳の間が準備され、いつでも寝そべることができました。また、けん玉や紙風船などの日本の伝統的な遊びが紹介され、各地から持ち寄った観光などに関する本のコーナーも設けられました。

4.フォーラムとパネルディスカッション

図9 白い球体に全員でサイン フォーラムでは、研究者・教員などの大人チーム、そしてクラスターごとの生徒チームに分かれ、これまでの議論をふまえて、「生徒共同宣言」の内容について意見をまとめました。生徒共同宣言は、和歌山チームが中心となって原案を作成し、各クラスターの意見を集約し、作成したものです。宣言の内容は各クラスターの活動がふまえられており、議論しやすい内容となりました。
 最後のパネルディスカッションでは、鈴木寬代表のモデレートにより、この前のフォーラムの代表者が議論された内容を報告し、「生徒共同宣言」に関して議論しました。各代表からは宣言を充実させる積極的な意見が多数出され、後日共同宣言に盛り込まれることになりました。ステージのバックにはICT機器によってリアルタイムに参加者のコメントが表示され、会場が一体となりました。