誰でも簡単!ポップアップで紙工作

 紙は折るだけで立体になり、ずらすだけで動きが出るなど、いろいろな面白さがあります。本稿では、紙を使ったポップアップ紙工作を紹介します。

「飛び出す絵本」との出会い

 ポップアップ紙工作は以前からよく教科書に題材として掲載されています。図画工作や美術の先生であれば、一度はその飛び出す仕組みを調べたことがあるでしょう。
 私も子どもの頃から「飛び出す絵本」が好きでした。カトリック系の幼稚園だったので、クリスマスになると「受胎告知」や「東方の三博士の来訪」などの場面が園内に展示されていました。人物や背景が前後するだけの簡単な仕組みでしたが、奥行きに惹かれて、のぞきこんでいた記憶があります(※1)

洋書を集めて、サブダに驚く

 大人になってからは、「飛び出す絵本」を少しずつ購入しました。
 1980年代、「飛び出す絵本」はそれほど多く出版されていなかったので、本屋さんで見かけては和書や洋書を購入していました。「飛び出す絵本」といってもいろいろな種類があります。飛び出すだけでなく、めくることで絵が変わったり、舞台になったりするものもあります。内容は、童話や物語を題材とするものと(※2)、科学や歴史を解説するものに大別されます。ナショナルジオグラフィックのAction Bookシリーズは仕掛けが巧妙な上、解説も興味深く、我が子と一緒に読んだものでした(※3)


 1990年代には、ポール・ジャクソンの“The Pop-Up Book”に出会いました(※4)。シングルスリット、ダブルスリットなどポップアップの仕組みが分かりやすく解説されていて、実技講習会でずいぶん活用させてもらいました。デビッド・カーターの“The Elements of Pop-Up”も便利でした(※5)。飛び出す、回る、音が出るなど「飛び出す絵本」で用いられるほとんどの仕組みが実際に動くしかけで紹介されており、夏休みの自由研究で娘と一緒につくった思い出があります。


 2000年代になると、ロバート・サブダが、次々と高度な「飛び出す絵本」を発表します。“Encyclopedia Prehistorica”シリーズは、ページを開くたびに大きな恐竜やサメが飛び出してくるので驚きました(※6)。彼のクリスマス・シリーズは、デザインや動きが洗練されており、その美しさに魅了されました(※7)。彼の本は、「飛び出す絵本」を研究する学生がよく参考にしていたものです。


 2010年代は、コンピュータの発達でペーパークラフト自体の技術水準が上がり、様々な紙工作の設計図がWeb上に掲載されるようになりました。ポップアップの作り方も数多く公開されており、誰もが簡単に、おしゃれで高度なポップアップを楽しめる時代になったようです(※8)

ポップアップに挑戦

 みなさんも、ひとつ挑戦してみましょう。必要なのはハサミと紙だけ。例題は、ポール・ジャクソンの“The Pop-Up Book”の表紙作品「鳩」を小さく簡単にしたものです。数十秒程度でできあがります。
 イメージするのはカモメです。

<1>
まずA5版の紙を半分に折ります、色画用紙程度の厚みであれば十分ですが、コピー用紙でもOKです。

<2>
クチバシからハサミを入れます。「折り目」と平行になるくらい小さい角度で切り込むのがコツです。角度が大きいと、開いたときに野太いクチバシになってしまい、カモメにはなりません。

<3>
クチバシから、頭にかけてふくらませます。あまりふくらませすぎると大きな丸い頭になって鳥らしくありません。開いたときには倍の幅になりますから、それを想像しながら細目に切ること、頭よりも首の方をほんの少し太くすることがコツです。

<4>
首まで切ったら、90度程度紙を回して、羽を切ります。カモメですから長い羽にしましょう。ここは「長すぎるかな」と思うくらいでちょうどいいでしょう。

<5>
大きな波を描くように先端まで切ったら、クルリと紙を回して、胴体まで戻ります。先ほど描いた曲線に呼応するように波型に切っていきます。

<6>
羽の終点は、「折り目」からの距離が「首とほぼ同じ幅」のところです。そこからクルリと紙を回して、雲を切り出します。二、三度ふくらませれば雲になります。

<7>
雲の端までいったら、クルリと紙を回して、「折り目」までもどります。このとき「折り目」に直角に進むのではなく、斜めに進みます。立てたときに安定する角度になります。「折り目」の先まで切り落としましょう。

<8>
切り取った紙を持って、尾羽の切り込みを入れます。「折り目」から切り始め、途中で「く」の字に曲がります。カモメは尾羽が短いので、比較的胴体から近い位置から切り始めます。

<9>
切り込みの終点は、先ほどの羽の終点(雲のスタート地点)よりも、少し「折り目」に近いところです。

<10>
「尾羽の切り込みの終点」と「羽の切り込みの終点」をつないだ直線が胴体となります。ここを、手前に折ります。

<11>
最後に、雲を一枚だけ向こう側にもっていって、雲の部分を山折りすると…。

<12>
できあがり!
※慣れないうちは下描きしてから切るとよいでしょう。もちろん下描きなしに一気に切っていく方がかっこいいですよ(^^)。

 クチバシや頭の形、羽や尾羽の長さを変えることで、いろいろな鳥ができあがります。
 生物は基本的に左右対称ですから、同じ方法で、ウサギやクマなどの動物、蝶やカマキリの昆虫なども制作できます(※9)


 ポップアップのような紙工作は、一見簡単に見えますが、設計図通りにつくらねばうまくいかなかったり、仕組みが複雑で慣れるまで時間がかかったりします。すぐに「図画工作や美術の学習に取り入れられる」というものではありませんが、もっと注目されていいジャンルかもしれません。

※1:写真はメリーゴーラウンド・えほん「クリスマスのおはなし」大日本絵画(1985)。
※2:写真はJ.M.バリー作 角田光男訳「ピーターパン」西村書店(1985)と、ルイス・キャロル著 うえのかずこ訳「ふしぎなくにのアリス」大日本絵画(1988)。
※3:大日本絵画から『熱帯雨林の探険』『クジラ―力持ちの海の巨人たち 』『恐竜―大むかしの生物』などが翻訳出版されています。宇宙や人体をテーマにしたものもあります。ジョナサン・ミラー、デビッド・ペラム著 大利昌久訳「ヒトのからだ 立体・人体構造図」ほるぷ出版(1985)等。
※4:写真はPaul Jackson , Paul Forrester “The Pop-Up Book : Step-By-Step Instructions for Creating Over 100 Original Paper Projects” Henry Holt & Co(1994)。『ポップアップの作り方』(大日本絵画)として翻訳出版されています。
※5:写真はJames Diaz , David A. Carter “The Elements of Pop-Up” Little Simon(1999)。『実物で学ぶしかけ絵本の基礎知識ポップアップ』(大日本絵画)として翻訳出版されています。
※6:写真はRobert Sabuda , Matthew Reinhart “Encyclopedia Prehistorica : Dinosaurs” Candlewick(2005)。その他に “Sharks and Other Sea Monsters”(2006) , “Mega-Beasts”(2007) , “Gods and Heroes”(2010) , “Dragons and Monsters Pop-Up”(2011)などがあります。大日本絵画から『太古の世界 恐竜時代』『シャーク―海の怪獣たち』『絶滅した獣たち メガビースト』『神々と英雄―エンサイクロペディア神話の世界』などが翻訳出版されています。
※7:写真はRobert Sabuda “The Christmas Alphabet” Orchard Books (2004)。その他 “Winter’s Tale” Little Simon(2005) , “The 12 Days of Christmas Anniversary Edition” Little Simon(2006)など。大日本絵画から『クリスマス・アルファベット』『クリスマスの12日』『冬ものがたり』などが翻訳出版されています。
※8:洋書では美術をテーマにしたものが多く出版されています。写真はDavid A. Carter “White Noise”(2010)。
※9:ウサギはオリジナル。カマキリはペーパークラフト作家の北岡謙典さんの作品を参考にした記憶があります。口の切り込みを入れるだけで頭部と胴体が分かれるところが秀逸なアイデアです。(北岡謙典「ペーパースカルプチャー―新しい紙の造形 」三晃書房(1975)、北岡謙典「紙の芸術」日本文教出版三晃書房(1997)等)。

問いが生まれる知識の構造~バンコク調査報告(2)~

 「私たちは、何を根拠にどれが芸術で、どれが芸術でないと判断しているのか」。国際バカロレア教育においてこのような問いが生まれる背景には、独特の知識の捉え方があります。大学入学前の生徒を対象としたディプロマプログラムの、中核となる必修用件であるTOK(Theory of knowledge)を通して見ていきましょう(※1)

知の理論TOK

 TOKは「知識の理論」「知の理論」などと訳されています。知識とは、簡単に言えば「私が知っていること」や「みんなが知っていること」です。
 自分の経験や感覚を通して知っていることもあれば、科学のように遠い所で組み立てられた知識もあります。数学のように世界共通のものもあれば、歴史や倫理のように住んでいる国で価値観が違うものもあります。宗教のように哲学的だったり、芸術のように独自性が大切にされたり、知識はいろいろです。
 TOKでは、このような表面的な「知識の内容」については重視しません。そのかわり「知識について考える」ことを重視します(※2)

贋作は芸術か?

 具体例で考えてみましょう。
 例えば、芸術の世界には贋作という問題があります。古い顔料を使い、巧妙につくられた贋作を見分けることは専門家でも難しいことです。1割から4割が贋作のまま流通しているという推計もあります(※3)。美術館に贋作が収蔵されているかもしれないのです(※4)
 有名な贋作者にトム・キーティングがいます。数千点もの見事な贋作で、彼は一躍有名になります。テレビ番組にまで登場し、そのテクニックを披露します。その結果、コレクターや有名人がキーティングの作品を集め、彼の贋作は現在数百万円とか……(※5)
 さて、ここまでは「知識の内容」です。ここから「知識について考える」ために問いが必要となります。
 まず、芸術に関する問いです(※6)

  • もし、同じ題材で、まったく同じ絵を描いたら、どのような理由で、片方の絵の価値がもう一枚の絵の価値よりも高くなるのだろう。
  • 社会はどのようにして、どの芸術家を尊重し、どの芸術家を無視するのかを決めるのだろう。

 トム・キーティングの描いたレンブラントの贋作と、レンブラント自身の絵の違いは、知覚的に判別が可能でしょうか。トム・キーティングよりレンブラントが尊重されるのは本当に公正なことなのでしょうか。作品の値段は何を根拠に生まれるのでしょう。
 さらに、芸術を離れて問いが立てられます(※7)

  • 私たちの信念を正当化することの重要性は、知識の領域によってどのように異なるのだろうか。
  • 私たちはどの程度まで、証拠の質ではなく証拠の量によって説得されるのだろうか。

 芸術で正当性を確かめるやり方を科学で用いることは可能でしょうか。証明するための証拠の量は多ければ多いほどよいのでしょうか。
 このような問いに対し、生徒は芸術や科学の発展の歴史を調べ、自分の知覚や感情を確かめ、あるいは専門家の意見などを参考にしながら考えていくのです。

知識の構造を問う

図1 このように、TOKは「知識そのもの」よりは、知識の成り立ちや特徴など、「知識の向こう」を問います。図で考えれば、芸術という知識そのものは問わず(図1:矢印1)、芸術を成立させる枠組みや芸術という知識を得る方法などを問うのです(図1:矢印2)(※8)
図2 同じことは、数学でも科学でも言えるはずです。そこで、図1を数学や科学などに置き換え、それぞれの領域を重ね合わせてみましょう。すると、表面には数学や芸術という領域的な知識が並び、その奥には共通する知識の構造が現れます(図2)。まるで脳のような形です。
 おそらく、TOKは、知識そのものではなく、自分の中にある(同時に共有されている)知識の構造を問う力を身に付けようとしているのでしょう。そうだとすれば、TOKは、学問の領域をこえて「共有された脳」を獲得する学習と呼べるのかもしれません。
 4月から小学校で始まった学習指導要領の完全実施。図画工作や美術などを単体で捉えるだけでなく、カリキュラム全体で考えるカリキュラム・マネジメントが求められています。バンコク調査を通して、今一度、知識や学びの仕組みを見直してみようと思った次第です(※9)

※1:本稿は泰日協会学校(バンコク日本人学校)で行われた協議会資料をもとに、新たに書きおこしたものです。
※2:Sara Santrampurwala他著 田原誠 森岡明美訳「知の理論」国際バカロレア(IB)スキルと実践 オックスフォード出版局(2016)p.5
※3:同上書p.24及び 「有名絵画は「偽物」、放射性炭素年代測定で判定」(2014.2.7) https://www.afpbb.com/articles/-/3007932
※4:「衝撃の鑑定結果 収蔵品の60%が偽物 南仏の美術館に打撃」(2018.4.30) https://www.afpbb.com/articles/-/3173052
※5:『トム・キーティング』 https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Keating 及び トム・キーティング他、滝口進訳『贋作者』新潮社(1979)
※6:前掲書1 p.24
※7:前掲書1 p.25
※8:図1は、TOKで知識を検討する際に用いられる「知るための方法(知覚、感情、理性、想像、記憶、直感、言語等)」や「知識の枠組み(範囲・応用、方法論、発展の歴史等)」をもとにイメージした図であり、厳密なものではありません。
※9:本稿は美術教育における国際バカロレア教育の研究者である横浜国立大学の小池研二教授の監修を受けています。

国際バカロレア教育とバンコク・アート&カルチャー・センター~バンコク調査報告(1)

 とあるご縁(※1)から「日本人学校が国際バカロレア教育導入を考えている」と伺いました。その経緯や教育資源を調べるために、バンコクを訪問しました(※2)。2回にわたって報告します。

国際バカロレア教育って何?

 国際バカロレア教育(IB:International Baccalaureate)は、1968年にスイス・ジュネーブで設立された国際バカロレア機構(IBO)が実施する教育プログラムです。認定校で学び、最終的に認定証書(ディプロマ)を獲得すれば、そのスコアに応じて、世界中のIBを認めている大学に入学できます。世界的に大変価値の高い資格で、すでに日本国内で76校の学校が認定され、文部科学省も普及・拡大を進めています(※3)
 「IBの使命」を具現化したものが「IBの学習者像」です。「探究する人」「挑戦する人」「信念をもつ人」など国際的な視野をもって活躍できる人材が想定されています。この学習者像を目標に(※4)、統合的で構造的な学習が行われます。高等学校の場合、数学や理科、芸術など6つの教科と、論文や体験学習など3つのコア(課題)をクリアすると、ディプロマ取得のための最終試験が受けられるシステムになっています(※5)

 このプログラムで欠かすことができないのが芸術です。といっても「芸術を学ぶ」というものとは異なります。むしろ芸術を通して、より深い知の構造を獲得しようとするものです。芸術を統合的に用いた教育に関心のある筆者としては興味深いところで(※6)、その可能性を調べるべく、国際バカロレア教育の研究者小池研二先生(横浜国立大学教授)と一緒にタイに向かいました。

美術館に似顔絵屋さん?

 今回の調査では、学校だけでなく国際バカロレア教育にふさわしい教育資源についても調査しました。その一つが、バンコク・アート&カルチャー・センターです。日本人学校関係者から勧められたまま(※7)、理由もよくわからず訪問しましたが、行ってみると「なるほど!」という施設でした。
 まず1階は一般的なイベント会場、2-4階には大小のギャラリースペース、ショップや飲食店などの商業スペース、そして5階以上が企画展等の会場です。ニューヨークのグッゲンハイム美術館のようならせん状の建築で、なかなかおしゃれです。
 「どんな作品が見られるのかな」「タイの美術状況はどうなのだろう」などと思って入ったとたん、面喰いました。2階に上がって真っ先に出会ったのは「似顔絵屋さん」なのです。「え……」日本でも馴染みの、観光地やお祭りでよく見られる、あの「似顔絵屋さん」です(※8)。そのほか、手作りの小物売り、お土産店、怪しいフィギュア屋さんなど屋台的な商店が、エスカレータの両側の通路に並んでいるのです。ここ、一応、美術館ですよね……。
 気を取り直してギャラリーに進むと、2階から4階は市民や学生の作品などが展示されています。一般の方が多く出品している印象ですが、アカデミックな経験のある作家さんの展示もありました。
 5階以上は企画展示室です。訪問時はLGBTについての現代作家展が行われていました。水墨画のような伝統的な手法、現代的なインスタレーションなど様々な表現方法の作品が展示され、中にはショッキングな表現でタイ社会におけるジェンダーの在り方を問い直そうとする作品もありました。「敬虔な仏教徒の多いタイで大丈夫?」と心配するほど、挑戦的な展覧会だと思いました(※9)
 つまり、階を上がるにつれて「市井のアート」からいわゆる「芸術」までが一堂に観覧できるのです。このような方法が世界的に見られないわけではありませんが、少なくとも日本で「似顔絵屋さん」を常設する美術館やアートセンターを知りません。なんとも不思議な「?」が残るバンコク・アート&カルチャー・センターでした。

バンコク・アート&カルチャー・センターから生まれる「問い」

 バンコク・アート&カルチャー・センターを教育資源として活用するという側面から考えてみましょう。路地のアートから、市民の文化活動、さらに芸術まで、同時に観覧できる施設から、どのような「学習の問い」をつくれるでしょうか(※10)

  • 私たちは、バンコク・アート&カルチャー・センターで、どれが芸術で、どれが芸術でないと判断しているのだろうか。
  • 倫理的に批判されるかもしれない作品を芸術だと見なし、公的資金を投入しているとしたら、その根拠は何だろうか。
  • きわどい主張をしたり、見る人に衝撃を与えたりするのは芸術といえるのか。
  • 個人の好みや感情、思想などだけで芸術は成立するのだろうか。etc.

 おそらく、子どもたちは次のような議論するでしょう。

  • なぜ我々は似顔絵を芸術として認めないのか。私たちが作品を芸術として判断する根拠は何か。
  • 似顔絵がアートでないとすれば、その理由は価格か、テクニックか、作家のメッセージか、専門家の言説か、あるいは私たちの感情や感覚か。
  • 公的資金を用いて購入したり、支援したりする作品とそうでない作品の境目は何か。
  • 人にショックを与えることで反応を引き出し、社会的メッセージを広めるのは芸術家にだけ許された特権だろうか。
  • 芸術は「個人的な知識」だけで成立しているわけではない。文化、歴史、信仰など「共有された知識」と切り離して理解することはできない。etc.

 公立美術館においては、いまだに児童作品や市民の作品展示を拒絶する‟敷居の高い“美術館があります。一方で、美術館に遠足で訪れているだけという例も多く見られます。どちらも、もったいないと思います。「芸術を知る」「美術に親しむ」などの範囲で終わり、美術が成り立つ構造自体を問い直すような資質を獲得するには至っていないからです。
 国際バカロレアディプロマ資格取得プログラム(IBDP)の中核的な特徴の一つに「知の理論(TOK:Theory of Knowledge)」があります。あえて簡単に述べれば「何かを知っている」ということよりも、「自分が知っている」ことの根拠を確かめる学習です。
 バンコク・アート&カルチャー・センターで感じたのは「美術館自体を学習の資源にすることで、自分が知っている(と思っている)ことを問い直すような根源的な問いに向かう学習が組織できるかもしれない。」ということでした。おそらく、バンコク日本人学校の関係者は、それをねらってこの施設を調査対象として提案したのでしょう。国際バカロレア教育導入の理由の一端が見えたような気がしました。
 次回は日本人学校の有志が学習した「知の理論(TOK:Theory of Knowledge)」ついて検討します。

※1:青森県上北地方小学校教育研究会図画工作科部会に所属し、「人とのつながりをつくりだす版画教育 」で第50回教育美術・佐武賞を受賞した執筆者の一人野坂佳孝先生(現在泰日協会学校 第1小学部 教頭)です。
※2:泰日協会学校(バンコク日本人学校)は、1926年創立の盤谷日本尋常小学校を前身とするタイ国認可の私立学校(日本国文部科学省在外教育施設認定校)。公立学校よりも予算や教育内容の自由度が高く、海外派遣された家庭の子どもたちが数多く通っています。 https://www.tjas.ac.th/
※3:文部科学省IB教育推進コンソーシアム https://ibconsortium.mext.go.jp/
現在、候補校等を含むと国内IB認定校等数(2019年11月11日時点)150校。多くは高等学校やインターナショナルスクールですが、小中学校や幼稚園もあります。
※4:10の学習者像 https://ibconsortium.mext.go.jp/wp-content/uploads/2019/04/IB学習者像.pdf
※5:センター試験のような選択問題ではなく、小論文のような記述式の問題です。
※6:『学び!と美術』では、これまでも大分県立美術館や三ケ島中学校の実践を取り上げてきました。
学び!と美術<Vol.65>『美術を核にした教育プログラム』(2018年1月)
学び!と美術<Vol.66>『「朝鑑賞」で学校改革』(2018年2月)
※7:日本人学校ディレクターのオーラスム・トリーアモーンラット女史に推薦してもらいました。ディレクターについては、https://www.tjas.ac.th/bkkgaiyo
※8:「似顔絵屋さん」、近年は集合施設や商店街などでも散見されるようになってきました。
※9:9階はメインの企画展やイベントが行われる場所ですが、訪問した日はクローズでした。
※10:問いと答えの例は下記文献を参考にしています。Sara Santrampurwala他4名著、田原誠・森岡明美訳『Theory of Knowledge 知の理論 スキルと実践』オックスフォード大学出版局(2016) 及び Wendy Hedorm Susan Jesudason著、Z会編集部訳『TOK(知の理論)を解読する ~教科を超えた知識の探究~』Z会(2016)

「ラウンド・ダイアローグ(役割交代鑑賞)」

 近年、美術鑑賞は、対話的なディスカッションあり、鑑賞アクティビティあり、知識解説型ギャラリートークありと、すっかり多様になってきました。本連載でも、これまでいろいろな鑑賞方法を紹介してきました(※1)。今回は、最近考案した、役割を交代しながら対話が進む「ラウンド・ダイアローグ」を紹介します。

対話には4つのタイプがある(※2)

 対話というと、ファシリテータも参加者も「しゃべらないといけない」「発言が続かないといけない」などの強迫観念にとらわれがちです(※3)。でも「積極的に発言する人」もいますが「人の意見を聞いているだけの静かな人」もいる、それが普通の対話です。
 全米の指導的立場にいるフリック美術館のリカは、対話と呼ばれる鑑賞には、「自由にとりとめもなくおしゃべりする会話(Conversation)」「リーダーから与えられたテーマや質問について考える授業のような議論(Discussion)」「問いや結論を生み出す主体が参加者にあり、即興的でオープンに進む対話(Dialogue)」の「三つのタイプ」があると言います(※4)。その中で、参加者は4つの役割を果たしており、みんな適切にふるまっていると指摘します。4つの役割とは以下です。

 ①どんどん意見を言う推進役(Mover)
 ②推進役から出た意見を補強、補充する補佐役(Follower)
 ③意見は言わないけど、みんなの発言を聞きながらうなずいている傍観役(Bystander)
 ④意見に反対したり、不同意を示したりすることで、対話を活性化する反対役(Opposer)

 確かに、そうだなと思います。「自分はどの役割を果たしているのだろう」と考えると面白いでしょう。研修会などで挙手してもらうと、推進役や反対役は少数派で、傍観役が最も多いようです。ただし、「黙っている」から「考えていない」わけではありません。じっと友だちの意見を聴きながらいろいろなことに思いを巡らせています。また、反対役や推進役は傍観役を見ながら意見を言います。傍観役にうなずかれることで安心したり(連携)、妥当性を確かめたり(判定)しています。大勢いる傍観役はまとめでは決定権ももちます。対話や話し合いで大切なのは推進役や反対役だけではなく、傍観役も大事。すべての役割が必要なのです(※5)

すべての役割を実感する「ラウンド・ダイアローグ」

 鑑賞において重要な目標の一つは参加者の変容でしょう。「すべての役割が大事」だとすれば、対話における役割を体験するアクティビティもありだと思いました。そこで以下のような「ラウンド・ダイアローグ」を考案しました。

  1. 4つの役割に、司会の役割を付け加えた5枚のカードを用意します。表面には役割、裏面には役割の解説が書いてあります。(写真参照)
    ①推進役(Mover)
    ②補佐役(Follower)
    ③傍観役(Bystander)
    ④反対役(Opposer)
    ⑤司会役(Facilitator)
  2. グループの成員に役割カードを配ります。5人以上のグループでは傍観役を増やします。
  3. グループ全員で同じ絵を鑑賞します(※6)。ただし、自分の役割を踏まえて。例えば、傍観役のカードをもらったら、傍観に徹してもらいます。たとえ、推進役の性格であったとしても!
  4. 5分話し合ったら、役割カードを回して役割を交換します。これを5分おきに繰り返し、鑑賞を続けます(※7)
  5. 全員が役割を果たした頃、全員で鑑賞した内容をまとめて、グループごとに発表します。

役割カード
役割カードをもらって、役割について考えている姿

 鑑賞に一種の役割演技を組み込んだ活動ですが、これまで企業や教員の研修で実践して以下のような効果を感じています。

  • 自分を発見する~自分の特性を知ることができる、自分は傍観するタイプと思っていたのに反対役の素養があるに気付く、等。
  • 他者の重要性を理解する~意見を言う人だけが大事ではないことが分かる、対話に他者が欠かせないことを理解する、役割と対話の関係を実感する、等(※8)
  • ヒエラルキーのない議論ができる~役割演技という申し合わせがあるため利害関係なく自由に発言できる、美術作品の多様性がヒエラルキーを解消する、等。
  • 美術鑑賞のよさが実感できる~美術作品の持つ多様性が反映された対話の楽しさを味わえる、何を言ってもよいという安心感をもてる、等。

 「ラウンド・ダイアローグ」は他の教科等でも可能なアクティビティですが、美術作品の多様性や鑑賞の自由さゆえに活発な活動になるように思います。ぜひ美術鑑賞がつくりだす対話と役割を体験してはいかがでしょうか。

※1:学び!と美術<Vol.78>「ラウンド・スケッチ~人気の鑑賞アクティビティ」
※2:以下の調査成果に基づいています。科学研究費補助金基盤研究(B)平成24-26年度「科研費美術館の所蔵作品を活用した鑑賞教育プログラムの開発」研究代表者:一條彰子
※3:武蔵野美術大学の杉浦幸子は、視覚思考法とも言うべきVTSが対話型と訳されたことに起因しているのではないかと指摘している。
※4:Rika Burnham, Elliott Kai-Kee, “Teaching in the Art Museum-Interpretation as Experience” (2010) ちなみに、リカは、次々と質問されたり、意見が強要されたりするディスカッション・タイプは嫌いだと言っていました。
※5:原著を翻訳するとこうなりますが、日本語では「傍観役」は「共感役」、「反対役」は「創造役」の方が適切という意見もあります(愛知県深谷孝之先生)。実際に、傍観に徹して共感を忘れたり、反対に徹して創造に貢献できなかったりする例も見られます。役割名は柔軟に考えた方がよいでしょう。
※6:アートカードやプロジェクターを用いています。
※7:司会役はラウンドさせず固定する場合もあります。
※8:アクティビティをした後の鑑賞活動に、相手の意見や存在を尊重しようとする態度が見られることもあります。

造形・美術教育の意味~おばあちゃんが教えてくれたこと~

 昨年11月、一人のおばあちゃんとの出会いから作品展や研究大会、美術教育の意味を考えることができました。これからを見つめる新年を祝い、ご報告します。

作品展でおばあちゃんに出会う

 名古屋の全国大会(※1)2日目昼休みのことです。私は授業と研究会の合間をぬって、名古屋市博物館で児童生徒の作品展(※2)を観覧していました。作品は各地区からそれぞれ学校の先生が選んできた絵が地区ごとにまとめられ展示されています。このような作品展は地域の造形教育の状況を知ることができるので、大変勉強になります。ただ、30分後には研修会場に戻るため、10室以上に分かれた会場を急ぎ見て回らねばなりませんでした。
 平日にも関わらず会場には数十名の人々がいます。ほとんどは高齢者や女性。子どもや孫の絵を見に来ているのでしょう(※3)。2つ目の部屋に入ったときのことです。受付の方から、おばあちゃんの声が聞こえます。「孫の絵を見にきたの。どこにある?」。でも、山のような作品が展示されています。「探すのに苦労するだろうな、地図やQRコードがあるといいけど無理だし、保護者が子どもの作品を探すのは永遠の課題かな……」と思いながら、3つ目の部屋に入りました。
 そのとき、目の前を一人のおばあちゃんが独り言をいいながら通り過ぎます。「孫の絵はどこにありますかね……」。おそらく先ほどの声の主でしょう。探してあげたいのは山々ですが、時間が限られています。私はその声に気づかないふりをしました(ごめんなさい!)。
 でも、おばあちゃんは、すっと戻ってきて、直接「孫の絵はどこですか?」と話しかけたのです。日頃「教育現場の出会いに偶然はない。必然。何か意味がある」と思っているので、ずいぶん反省し、腰を落ち着けて対応することにしました。幸い、一緒に探し始めると、絵はすぐ見つかりました。おばあちゃんが「あった!」と指さした先には、子どもの顔とトランプとがかいてあります。これで「お役御免」……いえいえ、ここからが本番です。

おばあちゃんの物語

 おばあちゃんは、まず孫の絵について語り始めました。
 「口のところはよくかけているわ」
 「歯もかいてある。気持ちがよく表れているわ」
 「ババか何か引いてしまってね、『あ~っ』と思ったのよ」
 「ほかの絵は、ほら、口は簡単にかいてあるでしょう」
 周りの子どもたちの絵と比較しながら、孫の絵から読み取ったことを鑑賞しています(※4)
 題名は「トランプからのこうげき!」。トランプを切っている動作もかかれています。トランプが襲ってくる物語の絵でしょうか。
 おばあちゃんは、トランプ遊びをしていて、ジョーカーをひいて暗い気持ちになったのだと言います。女の子の大きく開いた口が不安な心情を表しているそうです。
 「息子とよく似ているわ」
 話は、孫の父親である息子さんの話に移りました。息子さんは幼稚園の頃、「お母さんの顔」を細かなところまでかいてくれたそうです。40年ほど前の話です。おそらく母の日か何か、園で絵をかく時間が設けられたのでしょう。
 「その頃、私、働いていたからね。アイラインを付けていて、それもかいてあったのよ」
 「口には歯をかいててね、ほら、孫の絵もそうでしょう?」
 「息子は、24色のクレヨンすべて使って、服の色を塗ってね、ストライプにしてね、丁寧にかいたのよ」
 おばあちゃんは、目の前の孫の絵と、記憶の中にある40年前の息子さんの絵をつなげて鑑賞します。そして、共通するかき方から、丁寧さや根気強い性格がよく似ているというわけです。
 そこから、話は家族のことに移ります。おばあちゃんが苦労して二人の息子さんを育てたこと。息子さんは野球を頑張っていて、自分は働いていたので、弁当をつくってあげるしかできなかったこと。今は二人の孫がいるけれど、どちらも女の子なので、なんでも初めてで楽しいこと。おじいちゃんが今竹工芸にはまっていることなど。
 おばあちゃんは、自分も絵が好きだったそうです。昔、学校で、外に出かけて建物などの絵をかくことがあったことを話してくれました。昭和30~50年代、盛んにおこなわれていた「校内スケッチ大会」のことでしょう。
 でも自分はかく場所を決めるのに時間がかかって、どこからかこうか悩んでいるうちに、友達は半分くらいかき終わってしまうこと。しょうがないから、自分は下絵だけかいて、彩色は、そこにあった色を画面にチョンチョンと置くだけにして学校に戻ったこと。そして「先生、残ってかいていいですか」と放課後、教室でじっくりかいたこと。それはクラスに展示されて、先生によくほめられたこと。
 話は、孫の絵から、自分の息子の思い出、現在の家族の様子、園や学校で行われていた教育など、次々と広がっていきました。たった一枚の絵から、時代や場所、家族や人生などがつながりあっていくのです。

「子どもの思い」と造形・美術教育

 話は広がりながらも、たびたび孫の絵に戻ります。おばあちゃんは、孫が自分の気持ちをよくかいたことを何度も何度も強調していました。そして、周りにある絵をぐるりと指して、こう言ったのです。
 「きっと、ここにあるどの絵もそうなんでしょう?」
 「みんな、自分の思いをかいた絵なんでしょう?」
 私は言葉を失いました。「子どもが自分の思いをかく、その当たり前のことが大切だ」と言われたように感じたからです。小学校で造形的な要素や構造的な授業を目指すあまり大事な「子どもの思い」を忘れていないか、中学生に自分の主題をきちんと選ばせているのか、そんなことを指摘されたように思ったのです。
 幸い、目の前に展示されている絵は、どれも子どもの思いがあふれるものでした。展覧会だけではありません。名古屋大会が目指したのは「特別ではない普通の授業」でした。見栄えを追求せず、当たり前の学習内容を、不要な相互鑑賞やまとめを極力廃して、その子が、その子らしい資質や能力を発揮できるようにしたそうです。
 中でも、私が参観した授業は、おじいちゃんやおばあちゃん(!)が喜ぶ笑顔を思いながら工作する授業でした。ある子どもは、おばあちゃんの喜ぶ笑顔を思いながら、材料を工夫したり、動きを加えたり、先生や友達と相談しながらつくっていました。


 「トランプからのこうげき!」は、その後の取材で「トランプのカードを切ろうとしたときに、はじけて飛んでしまったことに驚き、トランプが自分に向かって攻撃をしてきたように勢いがあったこと」を表した絵だと分かりました。驚いて怖がっている表情が主題なのです。おばあちゃんの「不安を表している」という解釈は、見事にその通りでした。おばあちゃんは、まるで作品展の審査員のように、子どもの思いと表現の工夫を読み解いたのです(※5)

 一枚の絵が大事なのです。当たり前に子どもが自分の思いをかく、つくる、そのことが一番重要なのです。私たちがやってきた造形・美術教育は、「その子が、その子らしく絵をかく」という「当たり前の時間」です。私たちは何十年もそれを授業として継続してきました。研究会や展覧会で学び合いながら、「当たり前の時間」を守ってきたのです。それは子どもだけに終わるのではなく、家族や世代と時代をつないでいます。そのかけがえのなさを、たった一人のおばあちゃんが温かく教えてくれました。おばあちゃん、ありがとうございます。

※1:2019年11月21・22日『全国造形教育連盟 日本教育美術連盟 合同研究大会 愛知大会 2019(第72回全国造形教育研究大会、第70回造形教育・図画工作・美術教育研究全国大会、第55回愛知県造形教育研究協議会、第59回名古屋市造形研究発表会)』、主催:全国造形教育連盟・日本教育美術連盟・愛知県造形教育連盟
※2:第41回姉妹友好都市児童生徒書画展・第64回名古屋市児童生徒造形作品展
※3:児童生徒の作品展は、子どもの作品一枚展示すると4名ほど観覧に来てくれるので、美術館側としてはけっこうありがたいイベントです。
※4:確かに周りにある絵は主題が人ではないため、描かれている顔の口元は単純な曲線で記号的に描かれていました。
※5:全国審査では、子どもの思いと、それを描いたプロセスを一つ一つ確かめながら、まるで絵から子どもの声を聴くように審査します。それは審査員だけでなく、おばあちゃんのような普通の市民が当たり前に行う行為なのでしょう。

OriHimeから考える「デザイン」~その2

 前回検討した「OriHimeカフェ」のデザインについて、今回は吉藤代表の言葉を手掛かりに考えてみましょう。

休んでいるロボット

 「私は、『分身ロボット』はつくっていません。同じ釜の飯を食べるという時間をつくっています」
 吉藤代表はそう語り、カフェの端を指さします。そこには、リザーブ用のロボットが二台置いてありました。よく見ると一台のロボットは首や手を動かしています。私たちが見たことに気がつくと、そのロボットはこちらを見て手を振ってくれました。時には、二台のロボット同士でおしゃべりし合っていることもあるそうです。
 吉藤代表が指さしたのは、ロボットを操作するパイロットが「休んでいる」姿でした。そして、自分は分身ロボットよりも、その時間をつくっていると言うのです。

「休み時間」をデザインする

吉藤代表と筆者 「『休み時間』が大事なのです」
 吉藤代表はかつて不登校で学校にいけない時期がありました(※1)。その経験から、勉強以上に休み時間や給食の時間の方が大切だと思うようになったそうです。確かに、学校は勉強だけでなく、休み時間に一息ついたり、放課後に友達と無駄話をしたりする空間でもあります。自分を振り返っても、そのときに笑いあったことや、些細な会話を今でも覚えています。休み時間や放課後は、勉強以上に、私が私として存在するために必要な、そしてうれしい時間だったかもしれません。
 「休み時間が大事だ」という吉藤代表の発言は、それが意識的につくられていることを表しています。「休み時間」は人が人として成立するために大切で、それを見失ってはならないし、その時間こそ、ちゃんとデザインするべきだということでしょう。
 前回、「OriHimeカフェ」は「不登校」や「ALS」などの「外出困難者という概念を消すデザイン」であり、「新しい社会参加を創造するデザイン」だと書きました。吉藤代表の言葉からすれば、そこに働く人々が「人として成立する喜びを味わう場所」という視点を加える必要がありそうです。
 「新しい社会参加を創造するデザイン」「外出困難者という概念を消すデザイン」さらに「人が人であるための時間と空間のデザイン」……「OriHimeカフェ」は、やはり「外出困難な方たちに社会参加の道を切り拓く(※2)」だけではなく、固定的な概念の問い直しや働く人の存在にも関わって、幾重にも意味や価値を練りこまれたデザインだったのです。

デザインという概念

 「デザイン・シンキング」という言葉がここ数年もてはやされています。「ロジカル・シンキング」の合理的分析と論理的思考の限界に対して、新しい価値の創造を目指す発想や問題解決のプロセスという意味で用いられているようです(※3)
 大切にされているのは、問題の発見や解決のプロセスです。人々の行動を共感的に観察し、そこで得たアイデアを発散と収束を繰り返しながら練り上げ、実際にプロトタイプをつくって実験やテストを繰り返し、有用性や実現性などを確かめます(※4)
 ここでも、デザインという言葉は、単に形や色を美しく整えるという意味では用いられていません。デザインしているのは人々の在り方や新しい生活スタイルなどです。
 「OriHimeカフェ」や「デザイン・シンキング」が教えてくれるデザイン。その概念は図画工作・美術科の題材や指導において十分活用できるように思います。

※1:株式会社オリィ研究所共同創設者 代表取締役 CEO吉藤 健太朗 
https://orylab.com/about/
※2:「分身ロボットカフェ DAWN ver. β 2.0」 https://robotstart.info/2019/10/07/dawn2019-open.html
※3:デザイン思考とは、シリコンバレーのデザインコンサルティング会社IDEOが提唱した概念。ティム・ブラウン著 千葉敏夫訳「デザイン思考が世界を変える イノベーションを導く新しい考え方」早川書房
※4:スタンフォード大学d.school「デザイン思考の5段階」 https://ferret-plus.com/5532

OriHimeから考える「デザイン」

 デザインとは、どのような概念でしょう。美術教育では「文字やマークをデザインする」「ポスターやキャラクターをデザインする」のように使われます。そのため「形や色、バランスなどを整える」「広告や関連グッズを考える」などの意味で捉えられているように思います。
 でも、それは狭い捉え方です。デザインに関わっている人々は、もっと別の意味で用います。例えば、ポスターを描いたとしても、デザインしているのはポスターを見るという『行為』や、チケットを購入するという『行動』です。ポスターをきっかけに成立する『コミュニティ』の場合もあります。デザインという言葉は、ポスターの向こう側にいる『人』や『社会』をつくりだすという意味で使われるのです(※1)
 具体例を検討してみましょう。取り上げる実践は、オリィ研究所が運営する「分身ロボット・カフェ」です(※2)

ロボットに“人”を見る?

 「分身ロボット・カフェ」、ご存じの方も多いと思います。ALSや重度障害などによる寝たきりの人が、遠隔操作で、「OriHime」や「OriHime-D」を操作し、カフェで接客や給仕を行うのです。NHKで紹介されたことをきっかけに私も知ることができました。ただし「人の代行ができるロボット」「体の動かない人が働くカフェ」程度の解釈です。
 実際にカフェに行ってみると、その解釈が実に薄っぺらだったことに気づかされました。
 2019年10月、会場は大手町にある3×3Lab future(※3)。イベントなどで用いるサロンはテーブルが6つほど並ぶカフェになっていました。それぞれのテーブルには小さなロボットが設置されています。
 ロボットの第一印象は「無表情な宇宙人」です(失礼!)。ロボットには名札の画面が付いており、その人がロボットを操作するオペレーターのようです(※4)
 ロボットは“きな子さん(仮名)”という名前でした。“きな子さん”は“体がうまく動かない病気を抱えている大学生”でした。注文できるまで少し時間があったので、私たちは、しばらく“きな子さん”と会話を楽しみました。なんだか、今どきの「カフェ」というより、お店の人と雑談できる「喫茶店」のようです。
 ロボットは“きな子さん”の動作に合わせて動きます。首を動かして他の方向を向いたり、視線を外したり、手をあげる動作もします。これらの動きが、会話と同時に現れます。
 会話はごく普通の内容です。会話というものは、行先は不明で、その都度の興味がある話題で展開するものです。他愛のない話をしたり、相手の言うことに頷いたり、相槌したり、ときに笑ったり。
 そのうち、私たちは“きな子さん”の視線を感じるようになりました。しばらくすると“きな子さん”の笑顔や表情が見えるようになっていきます(目の前にあるのは無表情なロボットなのに!)。そこに「いる」のは、ただの“きな子さん”なのです。同時に“少々思い込みのある私たち”も、ただの“お客さん”になっています。そして、いつのまにか「病気」という概念や、「体がうまく動かない病気を抱えている大学生」は消えていたのです。

“会話”がつくりだす“人”

 私は、日本に相互行為分析を紹介した西阪の論考を思い出しました。彼は「人が会話をするのではなく、会話が人をつくりだすのだ」という意味のことを述べています(※5)
 私たちは、あらかじめ決められた存在ではありません。その都度の状況、環境、使用可能な資源などによって変化する可変的な存在です。たとえば「子どもがいる一人の男性」は、自宅に居れば「お父さん」ですが、会社に出勤しているときは有能な「社員」かもしれません。人の在り方は、その場の人やもの、出来事などの組み合わせ、いわば状況によって変わるのです(※6)
 「分身ロボット・カフェ」では、「ロボット」「カフェという場所」「語り合う行為」「時間」などによって、普通の“きな子さん”と当たり前の“お客さん”をつくりだしていました。では、“ALSの人”や“重度障害の人”、あるいは“不登校の子ども”が成立するというのは、どういうことなのでしょう。「分身ロボット・カフェ」の知見からすれば、“ALS”や“不登校”などは、その人の固有の性質というよりも、校舎や教室、制度などによって作り出された限定的な状況といえるのではないでしょうか。
 そう考えると、「外出困難な方たちに社会参加の道を切り拓くデザイン(※7)」は、「外出困難者という概念を消すデザイン」「新しい社会参加を創造するデザイン」と言い換えた方がよいように思います。実際に、「分身ロボット・カフェ」をつくった吉藤代表も「私は、『分身ロボット』はつくっていません。」と明確に語っています。詳しくは次回(^^)。

※1:「美的感覚」「機能」「コスト」のバランスという指摘もありますが、どちらにしても、単に「形や色をきれいにする」という意味だけでは用いられません。
※2:「分身ロボットカフェ DAWN ver. β 2.0」2019,10/07~10/23 https://robotstart.info/2019/10/07/dawn2019-open.html
※3https://www.ecozzeria.jp/about/facility.html
※4:オリィ研究所はパイロットと呼んでいます。
※5:西阪仰「2章「日本人である」ことをすること 異文化性の相互行為的達成」『相互行為分析という視点~文化と心の社会学的記述~』金子書房 1997 pp.73-103
※6:奥村高明『マナビズム―「知識」は変化し、「学力」は進化する』東洋館 2018 pp.47-52
※7:前掲註2

鉄道と美術教育 その2

 前回、新幹線の「0系」を「子ども」に置き換えて、学びについて考えてみました。子どもの学びはシステムとして成立しているので、システムを構築する資源とその全体に目を向けることが学習改善に有効だろうという話でした。
 今回、もうちょっと話を進めてみましょう。ポイントは、システムと個人は同時に発達するということです。

1.発達するシステム

 新幹線に歴史という軸をあててみましょう。
 戦前、「弾丸列車」という新幹線計画がありました。時速150km~200kmの高速列車(※1)で、東京~下関間をつなぐのです。東京~大阪間を4時間半で走る予定でした。トンネル建設や用地買収などが進みましたが、戦局の悪化で計画は挫折します。
 戦後、東海道線の輸送量は著しく増大し、新幹線の計画が再び持ち上がります。1964年に開業した新幹線は、東京~新大阪を3時間10 分(※2)、最高速度220km/hで結ぶことに成功します。戦前の「弾丸列車計画」で買収されていた横浜~小田原間の土地や日本坂トンネル、線路の設計や駅の位置なども活用されました。
 現在、新幹線は九州から北海道までつながっています。最高速度は東北新幹線の宇都宮~盛岡間320km/h、東京~新大阪の所要時間は2時間30分です。今建設中の「リニア中央新幹線」にいたっては、最高速度500km/h、東京~大阪間を最短1時間7分程度で移動できるようになるそうです。
 歴史という視点を重ねると、新幹線は常に変化するシステムであることが分かります。車両の速度だけとっても時速200km、320km、500kmと更新を続けています。同時に、線路や運行のプログラム、チケット購入方法なども、時代とともに新しい形へと生まれ変わっています。鉄道というシステムは常に発達し続けているのです。

2.個人とシステム

 個人の能力と鉄道のシステムを関連付けてみましょう。
 例えば、私の孫は、ドアの閉まる音で電車の新型と旧型を見分けます。最も使う東急電鉄の新型車両は「ドアが開く音が違う」というのです。よく聞くと、確かに、ドア開閉時のチャイム音が新型と旧型で異なっていました。
 調べてみると、東急の新型のチャイム音はJR山手線と同じでした。東急とJR山手線の新型車両は、形は全く違うのに、中身はほとんど同じ電車だったのです(※3)。背景には、東急の車両をつくっていた会社が事業を継続するためにJR東日本の子会社になったことがあります。部品等の共通化のため、チャイム音が同じということが起きていたのです。
 すると、孫の「電車を音の違いで見分ける能力」と「それを見つける大人の姿」は、鉄道事業の変化によって成立したといえるかもしれません。
 列車の絵で知られる作家の本岡さんの場合はどうでしょうか(※4)。彼は列車の正面顔だけを追求して表現します。列車は、正面から表すと鼻の長さなどがつかめません。そのため、ただ似たような列車を並べているだけのように見えます。

「電車」本岡秀則(協力:社会福祉法人 愛成会)
「電車(部分)」(日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作 1・2上』p.6)
「電車(部分)」

 ところが、一つ一つ見ていくと色、マーク、前照灯などが微妙に異なっていることに気づきます。電車とディーゼル車の違いも判別できます。「これはキハ283」「新幹線E2系」「485系のレッドエクスプレス」と、北海道から九州まで様々な電車が描き分けられているのです。列車の顔だけを広範囲に撮影した資料はないので、これを描くために相当な知識と経験が必要だったことが分かります(※5)。鉄道好きにはたまりません。
 昔は日本全国、似たような列車が通っていましたが、今、鉄道車両の色や形は実に多様です。それが本岡さんの能力を引き出すとともに、本岡さんの作品を楽しむ人々も生み出したのではないでしょうか。

3.個人とシステムは同時に発達する

 車両や線路など様々な資源が絡み合った鉄道というシステムは今も発達を続けています。それに並走するかのように、孫の能力が成立し、本岡さんの作品が生まれています。
 教育関係者は、よく単独で子どもの発達や成長を述べるのですが、発達や成長という現象は、子どもだけに起こるわけではありません。教育や社会のシステムも発達し、そこに関わる人々も常に更新されています。
 その証拠の一つは、「学びと美術」で紹介している児童画です。技術の発達や環境意識の拡張などを通して、子どもたちの絵は確実に変化しています(※6)
 もう一つは、ほかならぬ私自身です。まったく鉄道に興味のなかった私が、孫の発達や本間さんの作品について分かるようになったのです。「還暦すぎても、まだ成長できるかも?」そう思わせる鉄道のお話でした(いや、Nゲージ購入の言い訳でしょう、、、)。

※1:電車と蒸気機関車の併用。写真は昭和初期に南満州鉄道が開発したパシナ型蒸気機関車。最高速度120km/hで営業運転しました。もし、開通したら、このような列車が走っていたでしょう。
※2:当初は4時間でしたが、路盤が固まった1年後に3時間10分となります。
※3:週刊ダイヤモンド編集部『JR東傘下入りの旧東急車輛製造、1両1000万円のコスト減に成功した秘策』2018.10 https://diamond.jp/articles/-/181543
※4:Art Brut from Japan ヨーロッパ巡回展とは『本岡秀則(もっと伝えたい、アール・ブリュット。)【ポスター連動企画】』 http://www.artbrut.jp/news/2014/01/000042.html
※5:最近、電車の正面顔だけを集めた図鑑がベストセラーになっています。江口 明男『電車の顔図鑑 JR線を走る鉄道車両 旅鉄BOOKS』天夢人2017
※6:ドローンで撮影したような絵『学び!と美術 <Vol.72>』、幼児が遠足の体験を3Dで表した絵『学び!と美術 <Vol.76>』、生態的な意識の広がりを示す絵『学び!と美術 <Vol.77>』

鉄道と美術教育

 私の孫は「電車のおもちゃで遊び、電車に乗るのが大好き」な「子鉄」です。
 ベビーカーに乗っている頃から電車利用が多く、鉄道は身近な存在でした。「ママ」「ジジ」が言えるようになった頃に「じぇーあー(JR)」と言い出しました。小さい頃はJRのマークやRを含むロゴなどを見るたびに、「じぇーあー、じぇーあー」と声を上げていたものです(※1)
 片言で話せるようになったときから始まった「なんで?」攻撃は、今もジジを困らせています。
 孫「これは?」 ジジ「パンタグラフ」
 孫「なんで?」 ジジ「電気が、電車に入るところ」
 孫「なんで?」 ジジ「電車は……電気で動くから……」
 孫「なんで?」 ジジ「……(絶句)……」
 納得するまで「なんで?」が続くのです。
 孫の「なんで?」に答えるため、ジジは本を買ったり、調べたり、Nゲージを買ったり(?)と、鉄道を勉強します。鉄道は、車両、路線図、駅など奥が深く、「にわか鉄ちゃん」には困難な道ですが、続けるしかありません(いや喜んでるでしょう……)。
 がんばっているうちに、仕事に役立つこともでてきました。最近、講演でよく使う鉄道ネタを紹介しましょう。汎用性があるので、いろいろな場面で使えるのではないかと思います。

新幹線は車両じゃない!?

 新幹線と言えば、多くの人は「あの車両」を思います。ジジの世代では「0系」、子どもたちには緑の「E5系」、それとも「ドクター・イエロー」か……。しかし、それは電車や車両(※2)であり、新幹線ではないのです。
写真1:山陽新幹線0系(photolibrary 新幹線とは、「その主たる区間を列車が200キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(全国新幹線鉄道整備法第2条)のことです。幹線というのは、道路や鉄道、航空路などの主要な路線のことで、その幹線鉄道の中で高速車両を専用に走らせる新しい鉄道が「新・幹線鉄道」、つまり新幹線なのです。
 新幹線を構築する資源は多様です。まず、時速200kmで走る車両が必要です。でも、それだけでは動けません。安全を担保しながら正確に運行するプログラムが必要です。踏切がない線路、レールの保守点検、駅の整備も大事です。全国の人々が共通にチケットを購入できるコンピュータシステムは必須条件です。どこで買ったとしても、指定席にきちんと乗れることが保証されなければなりません。そのうえで多くの人々が利用して、会社として採算が取れることが大切です。さらに安全な運航のためには、法令等や行政の支援も欠かせません。これらが、ただ一つ欠けても新幹線は成立しないのです。
 世界初の高速鉄道として開業した0系新幹線の車両は、当時すでにあった技術の寄せ集めであり、決して新しいものではなかったという指摘もあります(※3)。最近ようやく世界中で新幹線が走るようになりましたが、各国がなかなか追いつけなかったのは、車両よりも新幹線というシステム全体だったのです。

子どもの学びとは何か

 この話を、教育に転用してみましょう。
 まず、前述の「0系」を「子ども」に置き換えて、学びについて考えてみましょう。まず学校の成立には先生や友達、指導案や年間指導計画、教材や教科書、教室や校舎、保護者や地域、学校制度、憲法や教育基本法、学習指導要領などの法令等、多様な資源が必要です。そのうえで造形遊びであれば、材料、空気や光、広さ、高さ、友達、先生、指導案や教科書などの資源が必要となります。これらの全てがバランスよくそろって初めて「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」が育まれるのです。新幹線の話は学びを構成する資源を明確にしながら教育を改善する話として応用できるでしょう。
写真2 学びの分析にも役立ちます。写真2は、孫が遊ぶ写真です。車両、レール、踏切、ホームドアなどがあります。孫は、「次は大崎、大崎、お出口は右側です。湘南新宿ラインはお乗り換えです。」とつぶやいています。その後に、わけのわからない英語(!)と鼻歌(駅メロ)が続きます。車両を並べるときには、数を数え「12両編成!」と宣言します。脇に置かれた、路線図や鉄道事典は遊びを補完しています。一人で遊んでいるかというと、そうではなく、時折「なんで?」が飛んできます。遊びを見守っている大人が必要だということでしょう。
 孫は、単に「車両」と遊んでいるのではなく、「色、形、言語、音楽、数字、記号、周囲の人々などの絡み合った全体」を遊んでいます。頭の中では、多様な資源を活用した「新幹線のようなシステム」が働いているのかもしれません。

 私たちは「新幹線=車両」というように、物事を単独でとらえがちです。でも、実際は資源と実践が結びついた全体が「子どもの学び」です。学習の改善においては、学びをシステムとしてとらえ、多様な視点から検討していく必要があるのでしょう。

※1:「じぇーあー」の言語的な分析については、奥村高明『マナビズム―「知識」は変化し、「学力」は進化する』東洋館 2018を参照してください。
※2:正しくは「営業用新幹線電車」あるいは「高速鉄道専用車両」と呼びます。
※3:「実はすごくない初代新幹線「0系」 なぜ世界初の「すごい高速運転」実現できたのか?」 200kmで走る電車は明治36年にドイツが実現し、自動列車制御装置(ATC)は営団地下鉄が1961年に採用していることなどが紹介されています。 https://trafficnews.jp/post/81324

子どもと大人をつなぐ場所

 「子どもと大人が同じ気持ちになる」それは教育のスタートです。でも大人と子どもの世界はけっこう違っていて、これがなかなか難しい。簡単な方法はないのでしょうか?

「なぜ」を繰り返す子ども

 文化に染まりきっていない子どもにとって、身の回りの世界は不思議だらけです。
 電車が生き物のように動くのは謎だし、車のドアが自動で開くのも不思議、象のように大きな動物がいるのも驚きです。「どうして電車は動くの?」「なぜ象は大きいの?」子どもの「なぜ?」に答えられず、困った大人も多いでしょう。
 そのため、常に自分の知識や経験を総動員しながら世界を見つめ、答えを探そうとします。足元の水たまりに「なぜこんな色をしているのだろう」とのぞきこみます。道端のひび割れから顔を出す雑草に「どうして、こんな所から生えるのだろう」と座り込みます。道路で不審な動きをしている子どもの姿はそういうことでしょう。
 日々「なぜ」「どうして」を繰り返しながら世界と交流しながら、その都度、その子なりに意味や価値をつくりだしている生き物、それが子どもです。

子どもから大人に

 でも、年齢を重ねるにつれ、世界に対する理解は積み上がり、社会的な概念が形成され、他者と価値を共有しながら話し合えるようになっていきます。
 同時に、電車が動くとか、象がいるなどは当たり前のこととなり、水たまりや雑草に驚きを感じることも減っていきます。身の回りの世界に対する不思議さは表れを潜め、晴れて「物事の分かっている大人」になるのです。それは、何を見てもたいてい意味が分かり、何に触れても経験をもとに判断できるようになった「大人な姿」です。
 その頃に、自分がもはや子どもではないことに気づきます。かつては子どもだったけれども、目の前にいる子どもと感じ方が違うのです。時には、同じものを見ているはずなのに、別のものを見ているような感覚にすらなります。「とうとう大人になってしまったなあ」と自覚をするのです。

大人が子どもに戻る場所

 そんな大人たちが子どもに戻れる場所があります。
 例えば家族旅行などで行く山や川、海などです。山道で粘土を見つけ、海辺で砂山をつくり、河岸から川に飛び込む……それらの行為そのものに夢中になります。草むらで不思議な虫や花を見つけて喜び、水中眼鏡を着けて魚やサンゴに出会い、その美しさに吸い込まれる……その気持ちや感覚に大人と子どもの違いはありません(※1)
 美術館もそのような場所の一つでしょう。ツンと澄ましたような外観で、中に入ると薄暗く、広い空間が広がっていて……入館するときに、少しばかり不安な気持になります。進んでいくと、いくつもの部屋に分かれ、そこには見たこともない形、不思議な色、驚くほど精緻な描写など様々な美術作品が展示されています。意味や価値が分からず、方向感覚も失い、まるで迷子のような気分になります。
 美術館で味わうそのような気持ちや感覚は、子どもが身の回りの世界に感じていることに似ています。言い換えれば、子どもにとっては、身の回りの世界が不思議で満ち溢れた美術館なのです。
 美術館を大人が子どもに戻れる場所としてとらえたとき、そこで、知的な好奇心を高めたり、新鮮なアイデアを思いついたり、世界を編み直したりできれば、美術館で行われる教育活動としては大成功でしょう。

大人と子どもをつなぐ「教科書美術館」

 図画工作や美術の教科書にも、美術館のようなページが用意されています。題材としては示されていませんが、一定のテーマをもとに構成された展覧会や美術館のようなページです。
 例えば「教科書美術館」。ページを開くと、いろいろな形や色(1・2上)、石の輝きや月のクレーター(3・4下)、びっしりと並んだ電車(5・6上)など、「これは何?」と戸惑い、不思議な気持ちになります。土や石などの自然物、不思議な道具、過去から現代の美術品、様々な児童作品など幅広い対象が山ほど盛り込まれています。開くだけで「なにこれ?」「これ不思議!」などワンダーランドに入ったような気持ちになれるといったら言い過ぎでしょうか?

日本文教出版 2020年度版教科書
『図画工作 1・2上』p.6 「教科書美術館 すきな かたちや いろ なあに(一部)」

日本文教出版 2020年度版教科書
『図画工作 3・4下』p.2 「教科書美術館 しぜんの形(一部)」

日本文教出版 2020年度版教科書
『図画工作 5・6上』p.2 「教科書美術館 身近なものを見つめて(一部)」

 その気持ちのまま、子どもたちに話しかけてみましょう(※2)
 場面は、ある日の休み時間、先生の机の周りを数人の子どもたちが取り囲んでいます。開くのは3年生の図画工作の教科書美術館(3・4上「しぜんの色」)、ページを開くと、試験管に入った色砂がずらり……。

日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作 3・4上』p.2-4 「教科書美術館 しぜんの色」

 先生「これ全部、土なんだって?!」
 子ども「え~土~?!」
 子ども「知っている!神社の下がこの色!」
 子ども「そう、アリジゴクがいたところ!」
 先生「みやぎ、かごしま、さいたま……いろんな県があるんだね」
 子ども「鹿児島のおじいちゃんちの近くの砂浜がこの色だった!」
 子ども「運動場の色に似てる~」
 次々と展開する会話から、自然には「いろいろな色」があるという気づきが生まれ、色と場所の概念が広がっていきます(※3)
 この後、「いろいろな土の色を集めてみよう」と提案し、身近な環境から土を集めたり、知人や親せきなどから土を送ってもらったりしながら、「土の図鑑」をつくる活動もできるでしょう。その土を用いて、簡単に描くのもよいでしょう(※4)


 ページを開くだけで、大人を子どもに戻し、大人と子どもで創造的な学習活動をつくりだせるとしたら、「教科書美術館」は、子どもと大人が同じ気持ちになれる最も簡単な方法かもしれません。

※1:少しばかり非日常的な場所、新鮮で、不思議な空間に囲まれたとき、大人は子どもと同じ気持ちになれるのだと思います。
※2:教科書は授業を行うためだけでなく、気軽に子どもたちとおしゃべりするために使うという視点もありかなと思います。
※3:おそらく保護者と子どもが開いても同じような会話ができるでしょう。
※4:目黒区五本木小学校 鈴木陽子先生の実践。『図工のみかた』第10号(日本文教出版)