愛知県高校生フェスティバル

1.愛知県高校生フェスティバルの沿革

図1 福島の取り組みを発表する高校生たち 愛知県高校生フェスティバルは、1980年代半ばに愛知県の私立高校の有志が、私立高校への助成拡大や高校生の権利保障を掲げて始まった運動で、現在は県立市立などの公立高校も含めた愛知県高校生のネットワークとなっており、教職員組合なども含めた広範なバックアップも獲得しています。私は若いときからこの運動に強い関心を持っていましたが、直接見聞する機会もなく現在に至り、たまたま教え子に講演を頼んだことがきっかけとなって、福島県の高校生たちと一緒にフェスティバルに参加する機会を得ることができたのです。
図2 前夜祭の様子 そもそも、福島市高校生フェスティバルのヒントはこの愛知県高校生フェスティバルから得ており、規模も思想も歴史も二桁ぐらい差があるのですが、高校生が単に受け身的に勉強するだけでなく、高校生の考えていることを自分たちの力で社会に発信することの大切さ、それによって社会や街を変えていく、という考え方では共通していると言えます。福島は震災・原発事故からの復興という、愛知にはない重要な側面も持っています。

2.高校生の生の問題を仲間と

 愛知県高校生フェスティバルは、教職員組合や賛同する高校や大学の先生、市民、行政などにも支えられ、実行委員会が中心となって年間を通して活動をしています。募金活動や教員の教育研究会、群舞と呼ばれる大規模なダンス、教員と高校生が共に学ぶイベントなども行われます。名古屋市が会場であることから規模も大きく、1万人以上も会場に詰めかけます。
図3 前夜祭に集まった各地の高校生たち その愛知県高校生フェスティバルに2019年4月の春のイベントに参加することになりました。前夜祭では、ネットワークに所属している日本中の高校生のチームが体育館に一堂に会し、地域ごとの取り組みや高校生サミットにかける思いを述べました。福島市チームも市内でのフェスティバルや台湾との交流などについて報告し、震災・原発事故の被災地の取り組みとして注目されました。その後、数名のグループを作り、密度の濃い実践交流を行いました。
 翌日は、メイン会場の南山大学にたくさんの高校生が集まりました。市内の高校生の合同学園祭、といった方がいいのではないかと思います。大小様々な露店が立ち並び、教室では様々な報告が成されました。私たちが参加した「高校生サミット」では、ネットワークの取り組みの方向性や到達点が確認されました。ある私立高校の生徒は「私立高校生はお金がある人ばかりではない。私のように公立に失敗して、経済的に厳しいにもかかわらず、私立に行かざるを得なかった人がたくさんいる。けれども、社会の多くの目は公立学校にばかりに向いてしまい、私たちに対しては失敗したのが悪い、どうせお金があるんでしょ、と捉えられてしまう。」と、つらい思いを静かに語りました。
図4 高校生サミットの会場 別の高校生は、平和学者のヨハン・ガルトゥングの考えを披露しました。「暴力には、直接的暴力と、構造的暴力と、文化的暴力がある、構造的暴力は老若何女や貧富の差といった社会的な位置づけによって自動的に生まれてしまう暴力、文化的暴力は直接的暴力や構造的暴力を正当化しようとする暴力」と、高校生なりの理解で語りました。言わば、私たちが感じている苦しさの背後にある構造や文化に目を向けないと、解決にならない、ということでした。
 こうした高校生たちの語り口に、新鮮な驚きを感じました。

3.ネットワークでつなぐ

図5 高校生のエネルギー全開!群舞 お昼には、ダンスフェスティバルを見学しました。100近くのチームが5分単位でどんどん入れ替わって自慢のダンスを披露します。コスチュームも個性的で洗練されており、音楽も、ダンスも、その熱狂ぶりも、福島では体験できないものばかりでした。
 最後は、「群舞」です。1,000人以上の高校生が自分たちの思いを一つのダンスで表現します。体育館で披露した後、最後に屋外で全体が一体となって踊りました。これこそが高校生のエネルギーと、実感した1日となりました。
図6 エネルギーを吸収した高校生と学生たち 参加した福島の高校生は、この感動を1秒でも早く福島に持って帰って伝えたい、これを次の自分たちのフェスティバルにつなげたいと、強い思いを抱きました。この後も、愛知県高校生フェスティバルとのつながりを維持し、秋の学習会では「福島の現状を伝える」分科会が設けられることになりました。

「コンフォートゾーンから出てみる」

1.クラスタースクール

図1 まずはアイスブレイク 私たちは、生徒たちをイベント屋さんに育てることを目指しているわけではありません。高校生フェスティバルはあくまでも一つのゴールであり、生徒たちが、ここまでにどれほどの現実的な問題を解決してきたのか、そして、それ以上にどのような認識を得て、深めたのかが重要です。ややもすると、活動主義に陥り、現実的な実務に追われがちですが、私たちは毎年、夏、冬、春の休みを利用し、2泊3日のクラスタースクールを開催し、生徒たちの学びを広げようと努力し続けてきました。それは、東北スクールの集中スクールから続く伝統です。(<Vol.16>地域課題に挑む生徒たち<Vol.26>デジタル・ストーリーテリング、等を参照)
 クラスタースクールは、県外も含めて可能な限り複数地域の生徒たちを集めることで、新しい出会いを実現させます。スクールの目的を明確にし、カリキュラムを学生たちと考え、全体の流れをデザインしますが、当日の状況によって大きく修正することも良しとします。また、始めと終わりにアンケートを採り、生徒たちの変化をモニタリングします。スクールは、プロジェクト全体のポンプとなります。

2.SDGsを学ぶ

図2 SDGsカードゲーム 高校生フェスティバルを終えた2018年12月、福島市といわき市の高校生、福島大学の学生と教員、ゲストスピーカーら、約40人でクラスタースクールを開催しました。「高校生フェスティバルの目的をもう一度考える」ことが目的で、フェスティバル開催が自己目的化しないよう、課題意識を呼び起こすことをめざしました。1日目から2日目にかけて、海外交流を積極的に展開するNPOのGiFTの皆さんにお越しいただき、SDGsについて学習しようと考えました。
 今でこそSDGsは、どこでも取り組まれていますが、取り組みやすい環境問題などに矮小化されやすく、そもそもSDGsとは何かを追求する必要があるように感じられます。大学の教員からは、SDGsの取り組み自体が新たな問題を引き起こしてしまう海外の事例なども紹介され、結論ありきではなく、物事を丁寧に見ていく大切さが示されます。
図3 ゲームの趣旨説明 SDGsカードゲームでは、ゲームに慣れている高校生は、要領よくゲームの趣旨を理解し、課題解決には複数の視点を必要とし、考えることの大切さを身をもって知ることができました。自分の過去や未来に思いをはせ、世界の課題を自分事にする深い議論を展開していきます。
 クラスタースクールの2日目。SDGsワークショップは続きます。まず1時間かけてチェックイン、ファシリテーターを指名することは一切せず、参加者全員が自発的に、昨日からの学びや思いを語りました。次にSDGsの17のゴールへの考えを発表し、最後にはHERO INTERVIEW。一人ひとりが2030年の成功者になりきって演じ、お互いに成功者に対するインタビューをします。SDGsそのものが目的なのではなく、SDGsを介して自分の人生を考えることに目的があったことに気づかされます。「コンフォートゾーン(心地よい場所)から一度出てみる」という言葉が、強いキーワードとして私たちの中に刻み込まれました。

図4 全員が自発的に感想発表図5 成功者になりきってインタビュー

3.愛知県高校生フェスティバル

図6 STEMのワークショップ アクセンチュアさんのSTEMワークショップでは、ロボティクスを地域課題の何に応用するかを考え、グループごとに発表しました。
図7 ロボティクスを地域課題解決に活用 夕方からは愛知の高校で指導をされているK先生に、30年も続く愛知県高校生フェスティバルの話を聞きました。K先生は筆者の後輩にあたり、2~30年一緒に活動していた間柄で、このところ連絡が途絶えていたのですが、ふとしたことがきっかけで、筆者が強く関心をもっていた「愛知県高校生フェスティバル」に関わっていることを知り、ぜひ話してもらおうということになりました。福島のフェスティバルとは規模も目的も異なりますが、高校生の活動で共通して大切なものをいろいろと教えていただきました。なかでも「重要なのは、支えてくれる大人との関係づくり」という点で、私たちの課題意識とぴったり合いました。
図8 春には愛知県高校生フェスティバルへの参加が決定 愛知県高校生フェスティバルと福島市高校生フェスティバルをつなぎ、次の愛知県フェスには福島市のメンバーも参加することとなり、福島の話を聞く分科会も設定してもらえることになりました。また一つ、ネットワークを広げることができました。

「福島市高校生フェスティバル」から学ぶこと

1.生徒たちの交流を広げる

図1 工夫が凝らされたオープニング 日本、とりわけ東北の我慢強い人々にとって「自分たちのことは自分たちで解決する」ということが美徳となっています。しかし、OECD東北スクール以降のプロジェクトをふり返ると、「自分たちのことは自分たちの力で」という狭い考え方が生徒の学びの広がりを阻んでいるように思えてなりません。「外の視点から自分たちを捉えなおす」「できないことは他人に協力を求める」「自分たちにないものは貪欲に取り入れる」というスタンスが、高校生の新しい学びを支えるのではないかと思われます。
図2 ぶっつけ本番だったトークショー 例えば次のようなことがありました。この高校生フェスティバルの成功を受けて福島市で学習会を行いました。せっかくなので、同じように探究活動に取り組んでいる他県の高校生や教師も招き、一大交流会となりました。その夜、高校生たちは深夜まで探究活動の議論を深め、すっかり友情を築きあげました。参加していた高校生の一人は「自分の学校の探究活動は計画立案に留まっており、実践まで至っていない」と問題を確信し、教員に探究活動を充実させるための要望を出したと言います。福島市のメンバーはこれにより自信を得ることになります。
 確かに、外との交流は例外なく新しい課題が生まれます。内輪でやった方がまとまりも良く、完成度も高くなることでしょう。しかし、外との交流自体が彼らにとっての学びなのです。

2.レジリエンスとしてのプロジェクト学習

OECD東北スクールからいくつかのプロジェクトを続けていて、生徒が壁にぶつかったときに気づく共通するやり方があることがわかります。それは以下の点です。

やれる人がやれるところからやっていく

できない理由を考えるのではなく、やれるようにするための知恵を出し合う

じっとしていないで動いて考える

自分たちだけでやろうとしない、大人に協力を求める

図3 一番成長したのは実行委員長! OECD東北スクールは東日本大震災の中で生まれました。混乱と絶望の中で、希望とビジョンを形づくるための教育プロジェクトです。そこには「ピンチをチャンスに、逆境をバネに変えていく」という、レジリエンスの教育実践だったということもできます。「子どもだから」「教育だから」とオブラートにくるむのではなく、退っ引きならない現実に生徒と大人が共同で取り組んでいくという「文化的実践」として捉えることが大切です。危機の中でこそ、リーダーは育ちます。それは生徒だけではなく、サポートする側の学生や大人にも言えることです。日本人は個人的な問題解決能力は強いが、集団で問題解決することが苦手と言われています。誰かが「お節介役」となって、チームワークをメンテナンスすることで、リーダーとフォロアーの関係が形づくられます。

3.伴走する学生の存在

図4 MCと打ち合わせをする大学生 OECD東北スクールの成果の一つとして極めて重要なのが、教師と生徒の間をつなぐ「学生」の存在です。学生たちは、生徒たちのホンネを受け止めることができるという意味で、大人と子どもの間を取り持つ重要な位置づけ、重要な情報のリソースとなります。数々のプロジェクトの経験者もいれば、全く未経験の学生もいますが、上記の意味ではあまり変わりありません。
 単なるサポートのみならず、生徒たちと一緒に企業やNPO、自治体へ接触することとなり、自らがプロジェクト学習の学び手となります。とりわけ教員をめざす学生にとって、早期から学校に慣れるだけではなく、学校の外の世界を知ることとなり、これが新しい教育の在り方に対する認識の形成─未来創造型学習の先取りへとつながります。地方創生イノベーション2030に参加する地域や学校は多数ありますが、教員、学生、生徒が一体となってプロジェクト学習を形づくるチームは福島のみです。
図5 フェスの成功を喜ぶ大学生サポーター このフェスティバルの成功は、OECD東北スクールから続く、地域を思う生徒や大人の思いの結晶でもあります。他方、4年前にこのイノベーションに参加した中学1・2年生だった彼ら福島市チームの「福島市の人たちを笑顔にしたい」という素朴な願いを実現するために誠実に努力を積み重ねてきた成果の一つでもあります。
 ここに「地域の魅力」が新しく一つ加わりました。

「福島市高校生フェスティバル2018」開幕!

1.高校生の力で街中ににぎわいを

図1 朝7時、絶好のコンディション フェスティバル当日の11月4日、日曜日は、これ以上望むことのできない晴天に恵まれました。早朝7時に福島市の中心部にあるまちなか広場に高校生メンバーが集まり、実行委員長を中心にその日一日の段取りを確認しました。そろいのロゴ付きのパーカーを羽織ったその姿は、自信に満ちあふれていました。午前中のリハーサルが始まり、イルミネーションオブジェの組み立て、ブースの展示、ビラまきも始まりました。
図2 前日のミーティングの様子 前日の夕方には、わざわざ北海道の札幌新陽高校の生徒や先生もフェスティバルに参加するために福島入りし、熱心に打ち合わせに参加していました。8ヶ月前に結んだ友情(札幌新陽高校と福島、参照)が確実に成長しており、お客さんを迎える福島の高校生の顔には余裕が感じられるほどでした。
 観客も続々と集まってきました。

2.福島市高校生フェスティバルの内容

図3 早朝のリハーサル フェスティバルが始まれば、ジェットコースターのようにあっという間に時間が過ぎ去りました。内容を紹介します。

図4 観衆を引き込むMCのトーク①オープニング
 実行委員長の挨拶に始まったオープニングでは、FCN(福島市を創る高校生ネットワーク)の趣旨が披露され、12枚のパネルでわかりやすく示されました。MCの二人の掛け合いも巧みで、まちなか広場に詰めかけた来客の心をつかみました。

図5 書道パフォーマンス②書道パフォーマンス
 一つの高校が披露しました。街中での開催は初めてで、大きな紙の屋外での扱いや、展示のしかたで苦労しました。たいへんな注目を浴びました。

図6 観衆を魅了したダンス、合唱、吹奏楽アンサンブル③ダンス
 三つの高校が参加しました。街中に大きなダンス音楽が流れ、道行く人を釘付けにしました。現代の高校生がダンスに夢中になる理由がわかったし、このエネルギーこそが地域の宝だと確信できました。このダンスの披露が、次の高校生フェスティバルの核になっていきます。

④合唱
 一つの高校が参加しました。全国的にも力のある高校の演奏で、震災からの復興にまつわる曲が披露されました。「合唱王国ふくしま」の名に恥じないハイレベルな演奏でした。

⑤吹奏楽アンサンブル
 三つの高校が演奏しました。それぞれに楽しく、個性的な演奏でした。楽器の輸送などで予想外の苦労がありました。

⑥防災リーダー
 別会場の屋内で行いました。避難所の運営など、探究活動で学んだ内容を披露しました。メイン会場から離れたところで、参加者が少なく残念でした。

⑦演劇
 別会場の屋内で行いました。屋外だと声が通らないため、これも屋内で行われました。

⑧バンド
 街中でのエレキギターなどの演奏が禁止されているために、防音施設のある会場で行いました。「けいおん!」などが流行っていたため、女子生徒の演奏が目立ちました。

⑨子どもの遊び
 小さい子どもたちにも楽しんでもらおうと、折り紙などのコーナーを出しました。地元で遊ばれている「松川カルタ」も披露されました。

⑩ブース
 メイン会場の周囲には本部をはじめとした多くのブースが取り囲みました。FCN本部の取り組みの説明、台湾との交流、個別高校の取り組みの紹介、高校生フェスティバルのアンケートコーナー、札幌新陽高校のブースなどが立ち並びました。

図7 東京の高校生を交えてトークショー⑪トークショー
 たまたま東京都内の二つの高校が福島市を訪れることとなり、短い時間の間で「高校生の地域づくり参加」について熟議が行われました。全体の中でも一つの目玉と位置づけられていました。当初教員が司会をする予定でしたが、直前になって生徒が「生徒じゃダメですか?」と言ってきて、すべて生徒の手によって運営されました。

図8 札幌新陽高校のYOSAKOIで盛り上がる⑫イルミネーション
 福島大学で組み立てた「希望のヒカリ」が街中に展示されました。5時ぐらいには辺りも暗くなり、光に誘われて来場者も増えました。期待通り、インスタ映えするスポットとなりました。

図9 福島市長を囲んで⑬エンディング
 SNSで友達となった福島市長が来場し、挨拶をもらいました。札幌新陽高校のYOSAKOIが披露され、大いに盛り上がりました。閉会後も、名残惜しくイルミネーションを囲んで写真を撮っている姿が印象的でした。

3.成果と課題

図10 イルミネーションを中心に 4月に構想し半年間準備を進めてきた「福島市高校生フェスティバル2018」はこのように大成功を収めることができました。高校生の頑張りを見て、「是非寄付したい」と申し出てくれた市民の方もいました。公式発表では、高校生実行委員50名、フェスティバルへの参加高校生数200名、フェスティバルへの来場者数400名、サポート学生・教員数30名、としています。フェスティバルを成功させた意義は次のようにまとめることができると思います。

高校生チーム「福島市を創る高校生ネットワーク」のメンバーに「やればできる」という自信を与え、第2回フェスティバルへの希望を獲得したこと

福島市にとっての高校生の存在を再確認し、高校生が街中ににぎわいをつくったという事実を残したこと

高校生の学校を超えたつながりをつくることができたことと、これを継続する意欲を獲得できたこと

これまでの高校間交流や台湾との交流で得た学びを活かすことができたこと

大学生との協働が高校生に力を与え、ロールモデルとなったこと

 また、課題は次のように整理できるかと思います。

成功指標を定めたがこれを目標とした動きが作れず、メンバーの入れ替わりなどもあり、貫徹することが困難だった。

リーダーグループが十分に形成できず、運営組織の考え方が十分に固まらず、リーダー個人の頑張りに頼っていた。

市民とのつながりを強化すべきところを、準備の遅れから進めることができなかった。

高校での学びをイベントにつなげられず、各校の地域活動や探究活動の成果をブースに展示するなどの工夫が必要だった。

高校とのつながりを十分に作れず、高校の先生のコミットがなく、生徒だけの活動になってしまった。

 これらは、フェスティバルの運営を改善すれバいいというだけの問題ではありません。フェスティバルの意義をどのレベルとらえるかという、高校生の認識の問題でもあると思います。

スイッチバックを繰り返す生徒たち

1.影響を与える側に

図1 クラスタースクールに新しい仲間が 福島市内には県立と私立合わせて14の高校があり、コアメンバーはその中の10校に分散して進学しています。それぞれが各校で友達に働きかけると、あっという間に50人ほどの実行委員メンバーがそろいました。新メンバーの中にはとても意識の高い生徒もおり、オリジナルメンバーの中には自分たちの非力さを痛感し、強い焦りが見られました。そのせいもあって、6月から9月の間に多くの生徒たちが入れ替わりました。
 8月には定例のクラスタースクールを実施しました。いわき市の生徒たちも「地域で高校生フェスティバルを開催したい」といって参加してきました。影響を受け続けてきた福島市の高校生たちが、外に影響を与え始めたと実感できる出来事でした。

2.本当にフェスティバルが実現するのか

図2 高校生フェスティバルの広報ビデオの撮影 生徒リーダーと大人、学生は常にLINEなどで連絡を取り、生徒の動きと大人の動き、学生の動きをすり合わせました。しかし、イベントに参加する生徒が固まらず、そのために企画書の完成も遅れ、市民や商店街にPRできない状態が長く続きました。夏休み前に決定しておく予定であった出演者は夏休みが明けても決まらず、分担した実行委員に連絡を取っても試験や部活動などの理由で対応できないなど、リーダーたちの苦悩の日々が続きます。
図3 刷り上がったビラを配る 9月になって広報体制が固まりつつありましたが、それでも確約が取れた出演者が「ゼロ」でした。本当にフェスティバルがフェスティバルになるのか、このまま開催できなければリーダーたちと動かないメンバーたちの人間関係に亀裂が入り、チームが解体し、プロジェクトが崩壊してしまうのではないかと、これまでにない危機感を覚えたのは、予定されたフェスティバルのちょうど1ヶ月前でした。
 「この半年、自分たちで何とかしようと、生徒たちはこんなに成長しました。かっこいいフェスティバルにならないかも知れませんが、絶対フェスティバルになります。生徒たちを信じましょう!」といってくれたのは、この3年間、福島市チームと歩んできた事務局のコーディネーターでした。不安を残しつつも、コーディネーターと一緒にがんばる学生たち、そして成長した高校生を信じるしかありませんでした。

3.自分たちだけで全部やる!

図4 大学のアクティブラーニングラボで会議 それからの1ヶ月は、リーダーを中心とした懸命の努力が続きました。メンバーで共有する文書を保存するGoogleDriveには、毎日のように部門別の企画書がたまるようになりました。結果的に目標の半分の数にもなりませんでしたが、ステージ発表やブース参加の団体も固まり、何度も何度も当日の出演順を書き換えました。当日使うポスターの印刷依頼も飛び込んで来るようになりました。
 夏に決めたイルミネーションづくりを実行するために、10月の土日は毎週大学に高校生が集まりました。ああでもない、こうでもないと試行錯誤を重ね、とうとう3週目に完成させることができました。その予想以上の美しさに心が躍り、一気に夢がふくらみました。
図5 本番まで数日、追い込みも佳境 3月に訪問した札幌新陽高校から先生と生徒もフェスティバルに参加し、ブースを展示してもらえることになりました。偶然開催日に福島に来る筑波大学附属高校とお茶の水女子大学附属高校の生徒たちとトークショーを開催することも決まりました。生徒たちは各校と連絡を取り合い、トークテーマ「高校生がまちづくりに参加するメリット・デメリット」も決まりました。コーディネーターは当初、大人にお願いしていましたが、開催前日、実行委員長から「コーディネーターは高校生じゃダメですか?ここまで来たら、高校生でやりたいんです!」という力強い申し出があり、土壇場ですべて高校生が運営することとなりました。
 フェスティバルを週末に控えた平日も高校生たちは市の施設に集まり、フェスティバルの準備を夜遅くまで続けました。フェスティバル前日には、大学生と高校生が一つ一つの動きを確認し、役割分担をやり直していました。大人と打ち合わせをする実行委員の言葉にすごみを感じるほどでした。誰もがフェスティバルの成功を確信できた1週間だったと思います。

4.スイッチバックを繰り返す生徒たち

 生徒たちにとって、試行錯誤できる時間と空間の存在が極めて重要です。
図6 明日は本番、大学生の力を借りて最終チェック 生徒たちの学びは決して直線的に進むのではなく、「スイッチバック」しながら進んでいることがわかります。様々な困難を前にして停滞していると必ず誰かが暴走を始めます。実現可能性の希薄なことを提案したり、一面的な視点だけで解決策を考えたりして、大抵はうまくいかず反省して引っ込めるのですが、その暴走によって停滞していた空気が動き始め、新たな気づきと可能性を見つける、ということが多々あります。
 その意味では、暴走を許さない、とか、生徒にすべてを任せる、では生徒の成長に結びつかないということになります。「暴走と反省」の繰り返しが生徒の成長の軌跡なのかも知れません。

希望のプラネタリウム

1.「福島」を伝えるイベントを

図1 大きなドームをつくる 福島市高校生フェスティバルの議論が活発になりかけた春の終わり頃、知り合いのイベント会社から、福島の復興をテーマとしたワークショップをやってくれないか、という依頼が来ました。お盆になってもどこにも行けない東京出身の子どもたちを対象としている「キッズジャンボリー」という、数万人が集まる大きなイベントです。創作的で活動的なものであればなおいい、ということなのでこれまでのアイディアをうまく活かし、しかもこれを高校生フェスティバルにつなげることはできないか、頭を巡らせました。高校生たちと話し合ったところ「ぜひやろう!」ということなので、学生や高校生と一緒にワークショップをすることになりました。

2.「希望のプラネタリウム」

図2 直径3.5mのプラネタリウムドーム完成 発想の核になったのは、「震災の日の夜は、停電で街の光が消えて真っ暗な中、星の光が煌々と照っていた」という被災者の証言でした。すぐに思いついたのは、それより20年近く前に学生たちとつくったダンボールの「プラネタリウム」(学び!とPBL <Vol.03> PBLのはじまり② 参照)でした。サッカーボールの32面体をさらに細かく分割すると180面体ができ、球に近い形ができあがります。このうち上3分の2ほどを円筒の上に載せれば、天井が球形のドームとなり、ここに蛍光色の色紙で星をつくり貼って、これにブラックライトを当てると星が輝きます。復興への希望を星の光で表すので、「希望のプラネタリウム」と名付けました。
図3 イベント当日、みんなで準備作業 今回は、イベントの後に福島市高校生フェスティバルでも使いたいので、使い捨ての紙のダンボールではなく、少々値は張りましたがポリカーボネート製のダンボールを用い、頑丈なものをつくることにしました(学び!とPBL <Vol.34> 希望のヒカリ 参照)。2種類の形の異なる三角形を計100枚以上も手でカットして、折り曲げて、ドリルで穴を空けて部品をつくります。
 教室の中で仮に組み立てたところ、直径3.5メートルのドームの巨大さに圧倒されました。これに下半分の円筒形を加え、短時間で組み立て、子どもたちの表現活動につなげる方策を検討しました。

3.福島からの発信

 しかし本題は、ここではありません。福島の人たちが東日本大震災をどう経験し、今に至っているのか、震災や原発事故をほとんど知らない子どもたちに伝えなければなりません。このテーマ性が生きてこないと、プラネタリウムもただのレクリエーションになってしまいます。

図4 福島の物語

 子どもたちに見せるスライドを、紙芝居のようにつくりました。美しい豊かな自然の福島県、少ないけれども、有名人も輩出しています。そこに東日本大震災と原発事故が起きました。そのときの風向きと降った雨のために、広い範囲で放射能が地面に定着してしまい、ふるさとを失ってしまいます。避難者たちは転校先で様々ないじめに遭い、とてもつらい思いをします。しかし、福島の人たちは負けてばかりはいません。汚染を取り除く人たち、安全な食べ物を供給する人たち、風評を払拭しようとがんばる人たち、そして、若者たちの力で教育を変えようとする人たち(OECD東北スクールのこと)、様々な人たちが以前の福島を取り戻そうと努力しています。震災の夜、停電のために街の灯りは消えてしまい、夜空には見たこともないような星の光を多くの人たちは見ました。そして星の光に救いを求め、希望を見出そうとしました。
 そのようなストーリーを考えました。

4.福島の人たちを思って星空をつくった

 8月中旬、高校生、中学生、小学生、大学生、スタッフら計10人ほどでチームを組んで東京に向かいました。半日ほどで準備を済ませ、打ち合わせをし、本番に臨みます。わずか90分の中で、テーマを説明し、100人近くの子どもたちがそれぞれ星空をつくり、それをドームに貼り合わせて完成し、照らし出した星空を鑑賞しなければなりません。10人のチームワークが肝心となります。
図5 福島を想って星空をつくる ワークショップが始まります。「福島に行ったことのある人は?」と聞くと、意外にも半分近くが行ったことがある、と答えました。「原発事故のことを知っている?」と尋ねると、わずかに数名が手を挙げただけでした。冒頭から想定外となります。
 しかしストーリーを話すと、子どもたちも、親たちも予想以上に食いついていき、黒い三角の画用紙に蛍光色紙を貼っていくという表現活動も、みんな真剣でした。わずか30分ほどで作業が終わり、これを高校生や大学生がドームの内側に貼っていきます。すべてができあがったところで、円筒形の部屋の上にドームを載せて、固定します。子どもたちから大きな歓声が上がります。
 内部に組み込んだブラックライトを当てると、100人ほどでつくった星空が美しく浮かび上がりました。子どもたちも親たちも、空を見上げ、被災地に思いを馳せました。
 後にもらった子どもたちの感想では、「福島の人たちにがんばってもらいたいと思いながら星空をつくりました」「震災や原発事故のことをほとんど知らなかったので、今日の話はとても印象に残りました。」「福島の今のことをもっと知りたいと思いました。」など、星空をつくった楽しさよりも、圧倒的に福島への思いを切々と綴ってくれた子どもが多いのが印象的でした。これを読んだメンバーは満足感で一杯になり、この取組を高校生フェスティバルに活かしたいと、エンジンがかかりました。

図6 希望のプラネタリウム内部

展開する「福島市を創る高校生ネットワーク」

1.コアメッセージ

図1 ロゴマークをつくる FCN(福島市を創る高校生ネットワーク)のコアメンバーは、自分が所属する高校を対象に高校生フェスティバルに向けてメンバーを募集することになりました。市内の高校で募集するためには、高校に対する説明書類が必要で、それぞれの高校の先生の目を経て、許可を得る必要があります。東北スクールでは、この辺りがとても分厚い壁だったので、念にも念を入れたしっかりとした目的や活動計画をつくらなければなりません。本来であれば、この辺りは、経験のある高校の先生にお願いしたいところですが、残念ながらメンバーの中には現場の先生はゼロで、この点が最後まで致命的な弱点として引きずることとなります。
 自分の学校の先生や生徒にどのように説明するのか、私たちがやりたいことは何なのか、メンバーのそれぞれに話してもらうとバラバラで、思いだけはわかっても、無駄が多く、冗長で、何を言いたいのかわからず、不特定多数の人たちに伝わるようなものではありませんでした。東北スクールの時に、ある有名企業のCSRの方から、人に伝える言葉は10秒以内、会ったそのときに伝えられないと、チャンスに逃げられてしまう、コアメッセージは吟味に吟味を重ねて、シンプルで力強いものにする必要がある、と教えられました。それも、誰が言っても同じように伝わるように統一したものが必要です。

2.FCNのロゴマークをつくる

図2 このアイディアを活かしたい 言葉を練り上げる前に、まず自分たちのチームのロゴマークをつくろう、ということになりました。やりたいことを形に表し、整理することでメッセージのコアが見えてくるのではないかと思ったからです。東北スクールの時も、代表生徒が1日かけてロゴマークをつくりました。とにかく自由に、半日かけて墨や折り紙で形を探し、矢印の形がいいのではないかということとなり、今度は何時間もかけていろいろな矢印の形を生み出し、それを地域チームの数だけそろえ、それが三重の円、すなわち、過去、現在、未来を貫くというものでした。完成したロゴは、まさに自分たちの姿そのものとなり、そのシンボルマークは今でも愛され続けています。

図3 FCNのロゴ図4 OECD東北スクールロゴ

 そのときと同じように、墨や色紙を準備し、頭ではなく手で考え、前提条件をすべて解除して、自由に形を生み出していきます。頭で考えるのはアイディアがまとまってきてからで十分です。いくつかのアイディアがまとまったところで、細長い色紙を縦横に織っていくものに関心が集まりました。福島市の様々な魅力を織り込み、未来の街をつくっていくイメージで、この方向がいい、ということになりました。
 さらに、細長い色紙の色は福島市の10の観光名所などを表し、かつ図3に示すような「10のF」の意味も盛り込み、これで行こうということになりました。

3.地域スクール

図5 大学の施設を使って 二つの中学校から始まったプロジェクトは、メンバーが高校生となり、市内のほとんどの高校に進学し、進学先で仲間を誘い合い、FCNのメンバーは増えていきました。多い時には30人以上が集まり、しかも各高校の特徴を持ち寄りながら、何ができるか話し合いは続けられました。
図6 どんどん仲間が増える 高校生に見られがちなのは、目的が決まらないと実際に取り組む内容を決めることができないという、形式論です。いや、それは正しいことなのかも知れませんが、「正しい目的」が決まってから何をやるべきなのか考えても、どうしても面白いものが生まれるとは思えません。むしろ、本当に自分たちがやりたいことは何なのか、そこから入っていった方がいいのではないかと思っています。福島市を元気づけたいのなら、まず自分たちが元気になること、学校と自宅をただ往復するだけの高校生活ではなく、その間に高校生たちが趣味や特技や、考えを持ち寄って、自分だけではできないことを実現する経験を積める「場」をつくること、そうすることで高校生が元気な街に変えていくことが目的への一番の近道ではないのか、そんなことも話し合いました。
図7 コアメンバーによる話し合いの振り返り また、個別の学校でできることではなく、学校を超えるからできることを考える、地域の高校生がやったとは思えないようなことを市民に披露し、市民を元気づけることも大切です。大人や大学生もそうなのですが、様々なアイディアが出た時に、これはこういう理由でできない、あれはああいう理由でできない、と、できない理由を並べ立てることで、やれることがどんどん萎縮してしまいがちです。東北スクールの教え、「やれない理由を考えるのではなく、どうしたらやれるようになるのか考えるために知恵を使う」ことの大切さが身にしみます。

福島市を創る高校生ネットワークの誕生②

1.多様な生徒たち

 学校の活動は、参加者数やメンバーが安定していますが、全員参加となると活動への意欲はかなり差が出ます。高校生ネットワーク(以下FCN)は、学校と学校をつなぐ地域活動で、強制力もないし、意欲の高い生徒だけが集まってくるかというと必ずしもそうではありません。メリットは生徒たちの活動が「見える」ということと、基本的に「自由」であるということです。PBLの場合、同じヴィジョンを共有しているメンバーが集まることが前提条件だと言われますが、物事はそれほど理想的には進みません。ヴィジョンはみんなでつくるもの、というのが中高生のPBLのポイントだと思います。ヴィジョンを持った偉い大人の周りに集まることではありません。
図1 チームの目的を考える FCNに集まってくる高校生の中には、理想的なリーダークラスの生徒もいれば、勢い任せの生徒、全く自分を出すことが苦手な生徒、学校の中ではお荷物となっている生徒など、様々な面々が集まってきます。私たちにとって、この多様性こそが最も重要な価値だと考えています。

2.FCNの背景

 福島県は2027年までに南東北の中で最も人口が減少する見通しで、全国でも6本の指に入る激減県です。加えて、大学進学者が県外に出て行く人が東北で最も多く(5人に4人は県外)、また約半数が首都圏に出て行ってしまうが福島県です。
図2 福島市の課題って何? そのような中でも、高校時代の3年間のほとんどが学校の勉強や部活動だけに費やされ、地域活動に参加する機会はとても少ないと言えます。そのまま首都圏に出て行けば、地元との関係は希薄なままとなってしまうでしょう。
 FCNの活動が人口流出の流れを大きく変えることはできませんが、高校生が福島市に愛着を持つ活動をつくることはでき、長期的にはそれが何かを変えるきっかけになるかも知れないと考えました。震災の影響からか、「自分たちの力で地域をなんとかしたい」と思っている高校生は意外にもたくさんいます。その思いを形にすることによって、大人たちに影響を与えることができるのでは、と思いました。

3.FCNの目的

 コアメンバーで話し合い、FCNの目的を次のように決めました。
(1)若者の地域定着だけではなく、福島市に愛着を持つ若者をつくること、そうすれば福島市を離れた後も福島市のことを考え、福島市を支援してくれることになると思います。
(2)福島市を盛り上げるための高校生ネットワークをつくり、年に一度のフェスティバルを行い、地域行事に高校生が参加するしくみをつくります。
(3)高校生がやる気を示すことで、大人に影響を与えます。
図3 大学のラーニングコモンズを使って(4)「生徒国際イノベーションフォーラム2017」(vol.30を参照)で他地域、他国の高校生たちと一緒につくった「生徒共同宣言 Our Voice in 2017」にもとづき、地域や日本の問題について実践的に学習し、「宣言」の内容を実現させます。

 「生徒共同宣言 Our Voice in 2017」には、以下のような内容が記載されています。

……生徒が、地域の問題を、地域の人々と一緒に考え、協働してその解決策を練り、実践してきました。地域を真剣に愛している大人との出会いは、学校の中ではなかなか体験できないような、興味深い学びをもたらしました。……
 私たちは、学びを「他人事」ではなく「自分事」として捉え、様々な立場・経験をもった地域の人々や世界中の人々と、いろいろな問題について熟議し、そして行動に移していくことが大切と言えます。……
 教育の概念を変えましょう。学校生活は、社会人になるための知識を身につける、単なる“準備期間”ではありません。情報の使い方を学び、生きる力、社会的な力を身につけ、2030年の社会に向けて、私たち一人ひとりが主人公であるという自覚を持って、今から働きかけていく必要があります。……

図4 やるべき課題を整理する チームから離れると言っていた一人の生徒が、いつの間にか話し合いの中心になっていました。

福島市を創る高校生ネットワークの誕生①

1.啐啄同時

 2018年4月、福島市の中学生だった生徒チームは全員高校生となり、活動の再スタートを切ることになりました。札幌新陽高校の生徒たちとの交流で刺激を受けたリーダーたちは「自分たちの力で何か新しいことを始めたい」と言いますが、大学生も入って話し合いをしても同じところをぐるぐる回るだけで、なかなか話を先に進めることができません。しかし、この機を逃すまいと考え、コアメンバーに大人の考えを提案することにしました。
図1 全員が高校生になって久々の再会 私が生徒たちに取り組ませたいと考えたのは、高校生フェスティバルでした。高校生フェスティバルと言えば「愛知県高校生フェスティバル」が有名で、高校生の感覚で楽しいさまざまなイベントを展開しつつ、高校生たちの主張を市民にアピールしていくというもので、30年以上の伝統があります(後にここともつながることになります)。2年生のリーダーの一人に「高校生フェスティバルをやったらどうか」提案すると、「私も福島市の高校生文化祭みたいなことを考えていた」と言います。大人が生徒にやってもらいたいことと、生徒自身がやりたいことが見事に一致し、これまでの滞った空気が一気に消え去りました。
 ヒナが卵からかえるときに内側から殻をつつき、親鳥が外からつついてかえるのを助けることを「啐啄(そったく)同時」と言います。生徒と大人が課題を共有する上で、この「同時性」はとても重要だと思います。

2.生徒中心か、教師中心か

図2 活動の中身を話し合う 探究活動やPBLを考えるときに、常につきまとうのが「生徒中心か、教師中心か」という永遠の課題です。一般的には、教師中心というのは古い考え方で、新しいやり方は生徒中心で行くべきだと認識される傾向が強いと思います。文字通り、生徒丸投げで教師は見守るだけ、生徒たちだけでやり遂げたから「楽しく元気にやっていた、主体的にやったのでよかった」と短絡的に考えられてしまうか、もしくは生徒たちが想定外のことをやり出して、「そこまでやっていいとは言わなかった、やりすぎだ!」と生徒たちとぶつかってしまい、やはり教師が主導するしかないと修正することになります。
 この、「生徒か、教師か」という問題は、考え方によっては、学校だから生まれてくる問題ということもできます。課題の答えは教師と生徒のいずれかが持っていて、答えを持っている側が主導すべきという考え方です。学校の中では答えは必ずどこかにあるということが前提となりますが、現実社会の中では答えを誰かが持っているとは限らず、むしろないことがほとんどです。つまり、生徒と大人が協力して答えを探さなければならないのです。この、「生徒か、教師か」を乗り越える視点が「社会構成主義」という教育観です。詳細は別の章に譲りますが、自由度が高まるPBLなどを考えるとき、この社会構成主義の視点は非常に重要です。「どこまで生徒が、どこまで教師が」という、生徒と教師のバランスの問題ではないと思います。

3.「福島市を創る高校生ネットワーク」の誕生

図3 高校生の力で福島市を盛り上げるには 高校生フェスティバルをチームに提案すると、全員が賛成してくれました。ただ、自分たちでやりたいことを楽しくやるというだけではなく、これまでやってきた、震災の風評被害を乗り越え自分たちの町を活性化させることを目的にやろうということになります。それなら新しくチームを作って、市民にアピールする方が効果的ではないか、ということになり、「福島市を創る高校生ネットワーク(F-city Creators Network、FCN)」が誕生します。福島市をF-cityとしたのは、福島の頭文字「F」から始まるさまざまなキーワード(例えばFreshやFriendlyなど)を自由にイメージし、福島市の姿を描き出そうとしたからです。
図4 徐々に課題が見えてきた 福島市は、全国のどこにでもあるような特徴の弱い街と言えます。彼らが中学生のときに福島市の観光ツアーを企画しましたが(vol.17「地域課題に挑む生徒たち②」参照)、そのときに福島市の魅力は何か、メンバーが同級生に尋ねたところ、ほとんどの回答が「ない」「わからない」というものでした。福島市の外の人たちに福島市を紹介しようとしても、何を話したらいいかわからないという人がほとんどでした。町に魅力が少ないのなら、自分たちで魅力を発見する、さらに自分たちで魅力を創り出すことがこの「FCN」の目的となりました。
 3年前に市内の二つの中学校の20人から始まった福島市チームの活動は、彼らが市内の15の高校に進むことによって、市内のほとんどの高校をつなぐネットワークができました。彼らがそれぞれの高校で仲間を広げ、FCNの会員を増やし、高校生フェスティバルに発展させることができるのではないか、期待がふくらんでいきました。

札幌新陽高校と福島

1.一か八か……

 2018年2月に福島市で、「新しい教育」をテーマとするシンポジウムを開催しました。地方創生イノベーションスクールで一緒に活動した和歌山のメンバーもお呼びし、福島市チームやふたば未来学園高校とのコラボも実現できました。メインの講演は、OECD東北スクールスターのきっかけとなる支援をいただき、東日本大震災復興支援財団の理事を務められ、東北全体の復興にたいへんな力を発揮し、現在は札幌新陽高校で校長先生(当時・現在は副理事長)をされている荒井優氏にお願いしました。
 荒井氏はいつも新陽高校のロゴの入ったパーカーとジーンズを着用して現れ、ネクタイ・背広の姿を見たことがありません。それだけでもいかに常識にとらわれない型破りの学校運営をされているか、よくわかります。講演から、いかに生徒たち一人ひとりの個性、教員一人ひとりの個性を学校づくりに活かしていくか、とてもインパクトのある内容でした。一人1台のパソコンを早々と導入し、授業もゼミナール形式で行います。
図1 生徒たちによるお出迎え 話を聞いている内に、札幌の荒井氏の学校に行きたい願望が極限に達し、講演後に交渉したところ即、快諾を得ました。福島市チームと日程について相談すると、何と3月30日しか取れないということになります。年度末の学校現場はまるで戦場で、そこにお邪魔するというのは非常識の極みなので、諦めるしかないかと思いましたが、ダメ元で交渉してみると、OKをいただいたではありませんか! しかも荒井氏は「他でもない、大事な福島が来るのなら、スケジュールを変える」といって、東京から九州に移動する日程を、「東京→札幌→九州」に変えてくださったのです。

2.いざ、札幌新陽高校へ

図2 手作りの昼食をとりながら 3月29日、私たちが札幌に到着すると早速「ようこそ札幌へ!」の横断幕でお出迎え。部活動の送迎に使っているという、新陽高校の先生の運転するかなり年季の入ったマイクロバスで学校まで送ってもらいました。
 学校に到着すると、「本気で挑戦する人の母校」の強烈な文字が迎えてくれます。十数名の生徒たちが出迎えてくれ、保護者の皆さんの手作りという昼食をとりながら、自己紹介をします。
図3 初めてのキンボール 生徒の創意による「宝探しゲーム」、新しいスポーツ「キンボール」体験など、とても楽しい一時となり、生徒たちはすっかり仲良くなりました。ここでは、生徒たちのデザインよる、企業と連携した独自のファッションブランドも立ち上げており、荒井氏がいつも身につけているパーカーやトレーナー、Tシャツなどはすべてこのブランドのものでした。他にも高校生の起業活動が活発で、福島の高校生たちにとっては驚くことばかりでした。
図4 生徒たちによるファッションブランド 札幌新陽高校の生徒たちはとても一人ひとりが生き生きしていて、その個性が形になって現れており、丁寧に育てられていることがよく伝わってきます。今回の交流も、自ら立候補した生徒たちが、すべて自分たちで企画してくれたとのことでした。ここでの生徒同士のつながりは、その後もずっと続くことになります。

3.札幌新陽高校と福島

図5 生徒たちと熱心に語り合う荒井氏 福島側のグループには佐藤君という、ふたば未来学園高校から「来週」福島大学に入学する「生徒」もいました。2日目は、「高校生の地域活動」と題した熟議を行うことになっており、新陽高校の生徒たちに福島を知ってもらうため、佐藤君にプレゼンをお願いしていました。原発被災地の富岡町の出身で野球少年だった彼は、高校時代のプロジェクトでアメリカに行ったとき、生産者と消費者が親しく交流するファーマーズマーケットに「運命的に」出会い、自分のやることはこれだと確信し、高校時代は農業の研究と、ファーマーズマーケットの実現のために汗を流し続けました。自分で交渉した農家に参加してもらったファーマーズマーケットは大雨にたたられましたが、たいへんな達成感を得ます。
図6 札幌新陽と福島の生徒による熟議 財団の理事として福島の復興やふたば未来学園高校の創設にも関わっていた荒井氏は、「大切な福島から、こんな若者が育った」と、涙を流して彼の話を聞いていました。「復興とは子どもが大きくなること」という印象的な言葉を核にして、荒井氏自身と福島の関わりを話してくださいました。これをもとにして、高校生同士、札幌の真ん中で、延々と福島の震災と復興の物語は話し続けられました。

図7 玄関で「本気で挑戦する人の母校」 帰りの飛行機の中で福島市チームの生徒たちは、「新陽高校の生徒たちに会ったら、自分たちで何か新しいことを始めたいと思うようになった」と言いました。この出会いが、福島チームの生徒たちに、決定的なバネとなったのです。