ふたば未来学園──未来を取り戻すための学校①

1.福島県双葉郡に教育を取り戻す

図1 開校当時のふたば未来学園高校 2015年4月、地方創生イノベーションスクール2030と同時にスタートしたのが、同プロジェクトにも参加している福島県立ふたば未来学園高等学校でした。
 東京電力福島第一原子力発電所事故で被災した双葉郡内の高校は、県内8箇所のサテライト校に分散して授業をすることを余儀なくされ、おおよそ通常の高校生活とはかけ離れた生活を強いられていました。それでなくとも悲惨な避難生活を送っている生徒たちは、1時間も2時間もかけて登校し、別高校の体育館や空き教室などを使った臨時の教室に詰め込まれ、ビデオで授業を受けるなどの劣悪な状況となっており、一刻も速い救済が望まれていました。
 しかしながら、町や村の復興という大命題の重大さから教育の復興は脇に置かれてしまいがちで、とりあえずは通える高校があれば当面しのげると受け止められていました。実際、劣悪なのは高校のみならず、双葉郡の各小学校や中学校もいわき市をはじめ他の自治体の学校を間借りしてなんとかやっていましたが、施設の不足やカリキュラムの実施不能、いじめ問題、そして限界を超えた教員の健康状態……と、あらゆる面で問題が噴出していました。

2.OECD東北スクールとふたば未来学園高校

 双葉郡8町村の教育長たちは協働して、この状況を改善し、今の子どもたちがふるさとを復興する人材となるように育てるための教育復興に向けた「双葉郡教育復興ビジョン」をとりまとめる作業を始めました。地域の復興の鍵は教育にあるという信念を持って、既存の高校に代わって新設校を郡内に建造することを一つのゴールに位置づけました。避難先などに、散り散りになっている高校生や中学生、小学生を集め、どんな高校にすればいいのか子どもたち自身が考えるという前代未聞の「双葉郡子供未来会議」が3回開催され、とりまとめられたアイディアは高校生から教育長に手渡されました。
図2 双葉子供未来会議の様子 高校新設の一連の作業を進めるために奔走したのは、文部科学省生涯学習政策局の南郷市兵氏でした。南郷氏は東日本大震災発災直後から、教育に関わる被災状況を東北中から集め、単なる復旧に留まらない「創造的復興教育」を提唱し、被災地と文科省を毎日のように往復していました。「OECD東北スクール」も「創造的復興教育」の一つとして、南郷氏が文科省側の窓口となっていました。2012年から2014年にかけて「OECD東北スクール」と「ふたば未来学園高等学校」の準備作業は同時並行して進められ、その内容も含めて、両者は震災後に同時に育まれた「双子」だったのです。
図3 子どもたちが考えた新しい学校の概念 「双葉郡教育復興ビジョン」の作業はスピードが求められていました。それは一つに、現在の子どもたちを一日も早く安心できる学校で教育しなければならないこと、もう一つは、被災地の状況は常に変化しており、ビジョンを実行するチャンスを逸してしまう恐れがあったことです。高校を新設する方針が固まった後でも「以前の高校の復活希望」「高校の立地場所の不公平感」「そもそも原発被災地に高校を新設する是非」など、きわめて困難な課題は途切れることはありませんでした。しかしこれらの重い課題を乗り越えたのは、他でもない8町村の教育長たちの「子どもたちに未来を取り戻させる」情熱以外の何ものでもありませんでした。

3.ふたば未来学園高校のスタート

図4 応援団の授業(箭内道彦氏) 2015年4月にスタートした福島県立ふたば未来学園高等学校は、世界の誰もが経験したことのない悲劇を乗り越え、地域を再生させるために新設された、文字通り未来を託された高校でした。2019年には中学校も併設される中高一貫校で、校舎は地元の公立中学校を借り受けました。校長には丹野純一氏が就任し、建学の精神を「変革者たれ」とし「未来創造型教育」をカリキュラムの理念としました。副校長には南郷市兵氏が就任し、OECD東北スクールで学んだ探究型のカリキュラムやルーブリックを導入し、方々から集まってきた先生方を一つにまとめようと心血を注ぎました。教務主任には、OECD東北スクールの主要メンバーだった對馬俊晴氏が着任し、探究型授業を模索しました。
図5 2019年4月に開校した新校舎 小泉進次郎氏や秋元康氏、箭内道彦氏、平田オリザ氏ら各界から20名ほどが集まり応援団も結成されました。私はふたば未来学園高校の開校にはタッチしていませんが、それでも南郷氏とは新しくできる高校のイメージを何度話したことがあり、「ArtとWorkがコンセプトの学校になればいい」などと無責任に夢を描きましたが、この応援団は、その夢を現実にする力を持っていました。
 ふたば未来学園は地域に開かれたカリキュラムを標榜し、被災地の抱える課題を学校として、生徒として受け止め、現実と格闘する、世界中のどこにもない唯一無二の学校です。2019年4月には待望の新校舎が完成し、中学生も入学してきました。同校は、地方創生イノベーションスクール2030のシンボルの一つでもありました。

地域課題に挑む生徒たち②

1.地方創生イノベーションスクール2030で育てたい力

 地方創生イノベーションスクール2030では、OECD東北スクールと同様に、参加した教師や研究者、企業でルーブリックを作りました。プロジェクトの独自性だけでなく、学校教育との親和性を考慮した結果、評価指標が「知識」「スキル」「価値観」の3つの領域、18項目にもなってしまい、これでは多すぎて評価に手間取ると思われましたが、絞り込む時間もなく、結局現在も含めてそのまま使っています。

図1 福島クラスタールーブリック(クリックでPDFが開きます)

図2 テーマトークゲーム 毎年夏、冬、春に実施する「クラスタースクール」では、20分ほどの時間を取って、このルーブリックにもとづいて説明しながら自己評価させます。項目が多いばかりか、用語も難しく、これでは肝心の生徒たちがわからないのではないかと考え、解説書も作りました。しかし実際のところこのようなものを読んでくれることもないので、いっそカードゲームにしたらどうかと考え、後にテーマトークゲームのカードにしたところ、生徒たちはもちろん、先生方もテーマトークに没頭します。面白い事件でした。

2.自分たちの足で歩み出す中学生たち

図3 農家への訪問 さて、夏のクラスタースクールで十分な結果を出せなかった福島市チームは、地域をよくしようとしても肝心の地域を何も知らないということに気づき、残りの夏休み期間中、地元の梨農家を訪問して農家の問題をインタビューしたり、市役所の観光担当の方から福島市の観光客の実態を教えていただいたりしました。原発事故の風評被害で観光客の足は遠のいていた上に、「福島市は魅力がない、外からの人を案内するところがない」という同級生たちの声が彼らを突き動かしました。内閣府の地域経済分析システムRESASを用いて、福島市の農産物の出荷状況や人口の変化、他地域との比較などを行いました。
図4 RESASを使った地域分析 福島市チームは、農業と観光を結びつけた観光プランを作ったらどうかということになり、いっそこれを内閣府の主催する「地方創生☆政策アイディアコンテスト2015」に応募することになりました。チームの生徒たちは学校のパソコン室に集まり、RESASを使ってさらに分析を進め、それを企画案としてプレゼンテーションにまとめていきます。
図5 地方創生担当大臣賞を受賞した生徒たち 実はこの福島市チームを率いていたのは、OECD東北スクールの伊達市チームを指導した教員で、東北スクールのノウハウが随所に活かされていました。最も重視したのは、地元の中学生たちのそのままの思いだけでなく、その思いを客観的に、かつ実践的に組み立て直すかということでした。
 まとめられた福島市チームのアイディア「中学生の視点から地域の魅力を再発見し、観光プランを作る」は書類審査を通り、年末に東京大学・福武ホールで開催する最終審査のプレゼンテーションを行うことになりました。するとこのアイディアが、高校生以下の部で最高賞を獲得したではありませんか。
図6 知事への報告 「福島市に笑顔を取り戻す」と言ってはみたものの、その先に進めなかった福島市チームが、「たんにデータの分析に留まらず、自分たちの足で地域を歩き、データにない情報を集めた点が評価された」として、地方創生担当大臣賞を受賞したのです。この「事件」は、中学生たちでもやればできるという自信を獲得したばかりではなく、福島県知事が年末の会見でこの中学生の活躍を冒頭で述べたり、旅行会社が連携を求めてきたりするなど彼らを取り囲む環境も大きく変えることにつながっていきます。

3.「自分たちの力で」

図7 観光ツアーで案内する中学生たち 年末に近づいても、彼らの歩みは止まりませんでした。彼らが歩いて面白いと感じた福島市近郊の温泉地のツアーを、実際に大人や学生たちと実施します。温泉内の名所や自分たちが発見した観光スポットを中学生が説明します。参加した大学生や大人は、中学生が考えることだからと思って参加したが、本当に興味深いツアーとなった、新しい発見があった、と感想を述べていました。
 そして翌年の夏には、旅行会社を通して1泊2日の「地元の中学生が企画・案内するバスツアー 夏の福島体験プログラム」として販売されました。ツアーには17人の一般の方々が参加し、お客様から好評を得ることとなりました。
図8 生徒の企画する「夏の福島体験プログラム」 24人のチームメンバーは「映像班」「PR班」「観光案内班」の三つのグループに分かれて活動し、市のマスコットキャラクターの使用権を得るために市と交渉したり、何度も観光地を訪問して予行演習を行ったりしました。新聞社の取材を受けたり、地元のラジオ番組にも出演したりしました。本番のツアー中ゲリラ豪雨にも遭遇し、一部取りやめざるを得ない部分もありましたが、生徒たちがへこたれることはありませんでした。中学生であっても、わずか17人であっても、努力してアイディアを実現しようとがんばれば、本当にできる、という何事にも替えられない「成功体験」となったのです。

地域課題に挑む生徒たち①

1.地方創生イノベーションスクール2030・東北クラスターのスタート

 2015年8月、地方創生イノベーションスクール2030・第1回東北クラスターが福島県・国立磐梯青少年交流の家で開催されました。
 本スクールは、これから2017年夏まで展開するプロジェクトのスタートに位置するもので、次のようなねらいを設定し、ワークショップはこれらに即して組み立てられました。

①東北クラスターのチームを作ろう。
・自分のチームはもちろん、他地域の生徒同士、先輩・後輩、先生や大人も含めてチームになろう。
②先輩から学ぼう。
・OECD東北スクールで実際に活動した先輩たちと交流し、プロジェクトを進めていくポイントを知ろう。
③プロジェクトの目的を知り、見通しを持とう。
・「地方創生」や「イノベーション」「2030年」の意味を知り、プロジェクト全体のゴールに向かって何をするか考えよう。
④2030年の未来を想像し、その頃の自分の姿を思い描こう。
・これから大きく変化する世界・地域社会の姿を推測し、その頃自分はどうなっていたいか、想像してみよう。
⑤他地域のイノベーションの事例を知ろう。
・地域の中でどのような活動をして、どのように変えたのか実例を知り、自分たちのプロジェクトを組み立てる参考にしよう。
⑥自分たちの地域創生プランのアイディアを練って、発表しよう。
・自分の地域をどう変えたいのかを明確にし、どのような戦略で地域創生プランを進めていくかしっかり話し合おう。そして周りの人を納得させるような発表をしよう。
⑦当面のアクションプランをつくろう。
・スクール全体をふり返り、自分たちの地方創生プランの強み・弱みを明らかにし、地域でどのように活動するか、考えよう。
⑧何ができて、何ができなかったかふり返ろう。
・最終日に、未来への手紙を書きます。これは今回のスクールのまとめともなります。

図1 チームビルディングの野外活動 参加者は、福島市内の二つの中学校から集まった中学1・2年生の福島市チーム、この4月に開校したばかりの、同じ福島県のふたば未来学園高校の1年生、和歌山市の日高高校からも3名の生徒と先生に参加していただきました。スクールをサポートするのは、いくつかの企業や福島大学の学生、そしてOECD東北スクールのOB・OGも多数参加していました。
 さらに、このスクールは、OECD日本イノベーションネットワーク(ISN)に加盟する先生方、研究者の研修会を兼ねていました。ですから、上の階で生徒たちがワークショップを行い、先生方が下の階で研究会を行い、時々先生方が上に上がってきて生徒たちの動きを見る、というある意味理想的なスクール・研修会となりました。

2.スクールに集まってきた生徒たち

 福島市チームが二つの学校から構成されているというのは、東北スクールの教訓からです。個別の学校にお願いすると、学校の中の様子が外から見えなくなり、協働的なプロジェクトを進める上で障害になるのでは、という考えからでした。二つの学校の生徒たちで合同チームを作ることによって、活動場所や日程調整など手間は何倍もかかりますが、また逆に二つの学校の違いがよく見え、その違いを克服する様子が目に見えるようになります。
図2 福島市は中学生のチーム しかしながら、スクールに参加してきた福島市チームの生徒たちの多くは中学1年生で、ほんの4ヶ月前まで小学生だった子どもたちです。中学校でスクールへの参加希望者を集め「オーディション」をして選抜された強い意志を持つメンバーということでしたが、高校生たちと一緒に議論したり、活動したりすることができるのか、非常に不安でした。
 スクールの初日は野外炊飯でスタートしました。混合チームで炊事を行うことでチームビルディングを行うことが目的でした。このような生活集団をつくることはPBLを進めていく上で極めて重要で、これも東北スクールから学んだことです。
図3 福島県の人口推計(国土交通省) このスクールの到達目標は「地域の活動を構想して計画を練る」ということです。二日目からワークショップが始まり、まずOECD東北スクールの先輩たちから直接話を聞きプロジェクトのイメージを広げて質問する活動、次に自分たちの地域の課題を発見する活動につなげていきます。人口動態や今後AIやロボットの進歩によってなくなる職業、大震災による被害状況など様々な資料を配付し、ジグソー法に似た形で学習を進めます。生徒たちの目の色が変わったのは、県ごとの人口予測地図でした。この資料は日本全国の各県の県土を1kmのメッシュに区切り、その中の人口が今後20年間でどのように変化するのかが記されており、生徒たちは自分が住んでいる地域の未来の姿を想像します。「これはたいへんだ!」という声も聞こえてきます。
 地図から予測されるような人口減少が起きたら、自分たちの地域はどうなっていくのか、生徒たちは想像をめぐらせます。生徒たちは2日間自分たちの活動を構想して、最終日に全体の前でプレゼンを行い、OECDから出席している田熊アナリスト、新聞社の編集者、大学の教員らからコメントをもらうことになっていました。

3.生徒たちの地域課題の受け止め方

 問題の受け止め方は地域によって大きく異なります。原発事故の被災地から来ているふたば未来学園高校の生徒たちは、震災前に比べて大きく人口が減少してしまい、いかに人々に町に戻ってきてもらうか深刻な問題です。いろいろなアイディアはないわけではないのですが、あまりにも大きな現実の重さに想像力も萎縮してしまいます。「企業誘致しかない」という考え方からなかなか離れられません。
図4 タブレットやスマホで資料を探す 福島市チームもまた原発事故の影響を受けており、自分が避難生活を送っていたり、友達が転校していってしまったりという経験をしています。「福島市の人たちに笑顔を取り戻す」というのが、チームの目的となりましたが、そのためにやることというと「あいさつ運動をする」「ゴミ拾いをする」など、実際に今やられていること以上の活動を考案することができません。
 唯一、福島と同じように急激な人口減少が進行する和歌山県の和歌山チームは「老人に優しい町づくり」に焦点を絞り、高校と老人施設、自治体や企業、大学とどうつなげていくかという議論が進みます。
 最終日、それぞれのチームが審査員を前にプレゼンを行いました。それぞれの地域への思いがよく現れているものでしたが、「世界では若者の発案で光合成をする人工のグリーンカーテンが開発されている。若者だから考えられる自由な発想がもっと必要」といったコメントが出されました。
図5 最終プレゼン 生徒たちの感想では「自分の地域をこんなに考えたことはなかった。とても大切なことをたくさんの人たちから学んだ」「自分の意見をこんなに話したことはなかった。このワークショップに参加して自分が変わったような気がする」「たった4日間しか過ぎていないのに、もう一年間も一緒に学んだような感じがする。これからも一緒に頑張っていきたい」といった発言がありました。和歌山チームの皆さんが別れを惜しみ、朝から涙を流していたという話を聞き、胸が熱くなりました。
 しかしながら、これが本当にプロジェクトに発展していくのか、不安を残した船出となりました。

地方創生イノベーションスクール2030のスタート

1.地方創生イノベーションスクール2030のキックオフ

図1 シンポジウム─グリア事務総長の挨拶 2015年4月、OECDのグリア事務総長を迎えて、OECD東北スクールに続く教育プロジェクト「地方創生イノベーションスクール2030」のキックオフシンポジウムが東京大学で開催されました。本プロジェクトの目的はその名称にすべて集約されています。まず「地方創生」、人口減少はもとより様々な課題を抱える地方の課題を中高生自らが発見し、解決に向けて活動しながら学んでいきます。次に「イノベーションスクール」、VUCA(気まぐれで不確実で複雑で曖昧な)社会の課題はこれまでの学校教育の枠組みでは捉えきれないので、新しい教育システムを模索していきます。そして「2030」は、現在の子どもたちが大人になる西暦2030年を意味しており、国連も、OECDも共通に2030年にマイルストーンを置いています。
 OECD東北スクールで問題提起した新しい教育の在り方を、東北のみならず、関東や西日本まで広げ、それぞれの地域の実情に応じて組織を作り、実践していきます。ここには東北スクールで十分に取り組めなかった海外との協働(交流ではなく)も含まれます。
 「地方創生イノベーションスクール2030」は教育実践ですが、ここから研究成果を抽出し海外発信する組織が「産学コンソーシアム」で、この二つを束ねるのが「OECD日本イノベーション教育ネットワーク(略称ISN:Japan Innovative Schools Network supported by OECD)」です。代表に文部科学大臣補佐官の鈴木寬氏、共同代表に福島大学の三浦が、研究の統括を東京大学の秋田喜代美氏らが担うこととなり、事務局を東京大学に置きました。

2.プロジェクトの目的

 プロジェクトの目的をもう少していねいに見ていきましょう。
図2 SDGsの17の目標(国際連合広報センター提供) 2015年9月、国連サミットで「持続可能な開発目標SDGs:Sustainable Development Goals」が採択され、持続可能な社会をつくるための世界的な取り組みが始まりました。これは「先進国も含め、すべての国が行動」「人間の安全保障の理念を反映し、誰一人取り残さない」「すべてのステークホルダーが役割を」「社会・経済・環境に統合的に取り組む」「定期的にフォローアップ」という5つの特長を持っています。グローバル社会の課題は一国の努力のみで克服することは困難で、国際的な連携や国境を超えた努力を必要とします。公教育はもはや国内に閉じた伝統的な人格形成や自国の経済発展のためのみに機能すればいいのではなく、若者であっても海外の生徒と手を取り合い、次の社会のあり方をともに考え、創造することが求められるようになっています。日本の教育もまた、このような世界的な潮流に合流しなければなりません。
図3 鈴木寬代表のプレゼンテーション しかし、世界各国とも伝統的な教育の理念や方法は整備されてはいても、VUCA社会の中で必要な能力とはどのようなものなのか、その能力はどのような教育によってもたらされるのか、それらの教育活動はどのように評価されるのか、それらはどのような教育システムによって可能となるのか、ほとんど明らかとなっていません。いずれもが五里霧中の状態です。であるならば、世界中の様々な実践を集め、教育成果からエビデンス(証拠)を導きだし、これにもとづいて教育政策をつくっていく、というのがOECDのEducation 2030プロジェクトです。Education 2030のスタートにはOECD東北スクールも一役買っています。
 地方創生イノベーションスクール2030プロジェクトはEducation 2030と連携し、海外の先進的な教育をわれわれが一方的に学ぶだけではなく、これまであまり注目されることのなかった日本の教育を積極的に発信することもミッションに位置づけられていました。東北スクールを始めとする、東日本大震災からの教育復興も世界へのメッセージということができます。
 地方創生イノベーションスクール2030の実践は、決められた一つの方法論に立脚したものではなく、生徒たちの成長を生み出す教育方法と評価の模索以外の何物でもなく、これによって多くの生徒、教師、研究者たちは大いに悩むことになります。

3.広がるネットワーク

図4 キックオフシンポジウムに参加した高校生たち この地方創生イノベーションスクール2030の基本構想は「東北復幸祭〈環WA〉in PARIS」準備の佳境にあった2014年の6月頃から始まっており、結局立ち上げに10ヶ月ぐらいかかりました。キックオフシンポジウムには、広島県のグローバル化をめざす広島県教育委員会が「広島創生イノベーションスクール」を立ち上げ、参加してきました。OECDとも独自にパイプをつくり、既に緻密な計画をつくり上げていました。
 和歌山県からは4つの県立高校が連携し参加してきました。中心的な役割を担う日高高校は、独自にアジア高校生サミットを毎年開催するほどのグローバル力を持っています。そのサミットには、OECD東北スクールの高校生も招待されています。「教師自身が学ぶ必要がある」といって、その年の7月には日高高校から8名もの先生方が福島大学を訪問されました。
 高等専門学校の全国組織である高専機構もメンバーとなりました。高専内部では様々なPBLが実践され、きわめてポテンシャルの高い生徒がたくさんいるのだが、なかなか発信する機会がなく、この機に多くの高校等と関係を築きたいというものでした。
 東北からは、同年4月に開校したばかりの「ふたば未来学園高校」の1年生2名が参加していました。同校は、東京電力福島第一原子力発電所事故で実質的に休校に追い込まれた高校に替わる新設校で、地元の期待を一身に集めた高校であると同時に、OECD東北スクールのPBLベースの教育方針をカリキュラムポリシーに組み込んだ、OECD東北スクールをそのまま学校にしたような高校でした。つい2週間前まで中学生だった彼らの「たくさん学んで地域を復興させたい」という真剣な言葉を、200名ほどの聴衆は重く受け止めていました。

東北スクールとレッジョ・エミリア・アプローチ③

1.レッジョ・チルドレン――教育と経済的自立

図1 ローリス・マラグッツィ国際センターの外観 レッジョ・チルドレンは1994年、企業や海外との交渉を円滑に進めるために設置された外郭団体で、2003年当時は10名の職員(市の職員ではなく、正式には市の設置した株式会社の会社員)によって運営されていました。2009年に郊外のチーズ工場を「ローリス・マラグッツィ 国際センター」として大改修し、狭隘な事務所をここに移転します。2014年時点の職員数は26名です。広大な同センターの中にはレッジョ・チルドレンの事務所の他に、ミュージアムやセミナーセンター、ブックショップ、会議室、カフェ、レストランなどが入っています。館内の至る所に子どもたちの作品、例えば「群衆のプロジェクト」のテラコッタ、「シアターカーテン」の原作、自然物の構成作品などが展示されており、レッジョ・アプローチの歴史的変遷をたどる資料なども目にすることができます。
 レッジョ・チルドレンでは、本の出版やスタディツアーのコーディネート、レッジョ・エミリア・アプローチのセミナー、展覧会の企画などを行っており、近年では国内外の自治体と連携し、レッジョ・アプローチの普及やリサイクルの国際プロジェクトなども展開しています。これらから得られる収入は市からの運営費交付金を補うこととなり、市の教育水準を保つために不可欠の活動だということです。
図2 センターの内部・レッジョの教育の歴史の展示 OECD東北スクールは、プロジェクトによって生まれた成果物や教材、記録などを残し、一般に向けて普及していくためのプライベートセクター(NPO)をつくることも視野に置いていました。それは、本当に自分たちでやりたい教育をやろうとするためには行政からも自由になる必要があり、そのためには経済的自立が不可欠でした。異なる地域の生徒たちが交流し、企画をつくることでとても大きな教育成果を得ることができますが、それには資金が必要です。一般の学校では「お金がないからできない」ということになりますが、「お金がないなら自分たちでつくる」というたくましさがないと、新しい教育を開くことはできません。日本の教育は経済と切り分けて考える傾向が非常に強いと言えます。

2.レッジョ・エミリア市と東日本大震災

図3 センター内部・感覚を刺激する空間構成 2010年にインタビューのために同市を訪れた折、このセンターに初めて足を踏み入れ、著名なアトリエリスタで、現在レッジョ・チルドレンの総合ディレクターを務めているヴィア・ヴェッキ氏にもお目にかかることができました。レッジョ・エミリア・アプローチは今や、現代美術家のアルベルト・ブッリや反消費主義を唱えるポーランドの社会学者ジグムント・バウマンらと連携しながら国際展開を進めており、「驚くべき学びの世界展」として世界を回っており、2011年に日本でも開催されることなどを伺うことができました。
 その2011年に東北は東日本大震災と原発事故に襲われました。「驚くべき学びの世界展」は東京のワタリウム美術館で予定通り開催されましたが、レッジョ・エミリア・アプローチの中心人物であるカルラ・リナルディ氏の講演会は延期されました。私は多忙な震災ボランティアの日々のわずかな間隙に東京の連続セミナーに通い、それが何ものにも代えがたい希望となりました。レッジョ・チルドレンの関係者は、OECD東北スクールへの協力を承諾してくれました。しかし、2012年5月、今度はイタリア北部地震がレッジョ・エミリア市を襲い、「協力」も延期されることになってしまいました。
 今回の訪問で、EU視察団のレセプションに参加することができ、エミリア・ロマーニャ州知事に挨拶を述べることができました。「私はレッジョ・エミリア市に3度希望を与えていただいた。一つ目は、レッジョ・エミリア・アプローチに出会うことで、美術教育に希望を与えられた。二つ目は、「驚くべき学びの世界展」とセミナーによって、失意から立ち直ることができた。そして三つ目は、プロジェクトへの協力をいただくことによって、私たちの夢が実現に近づいている。」と。州知事からは「四つ目の希望を与えましょう」と、世界的に有名なチーズのお土産をいただきました。
 OECD東北スクールの生徒のストーリーを綴った「100の物語」は、レッジョ・エミリアの「子どもたちの100の言葉」から発想を得たものです。またレッジョ・エミリア・アプローチ研究の第一人者、秋田喜代美氏(東京大学大学院教育学研究科長/教育学部長/教授)や佐藤学氏(学習院大学文学部特任教授/東京大学名誉教授)にもOECD東北スクールに協力をいただきました。

3.レッジョ・エミリア・アプローチから学ぶもの

図4 センターロビーで打ち合わせ 一連のレッジョ・エミリア・アプローチの研究を通して、以下のような点は言えるかと思います。

①アトリエリスタやペダゴジスタに象徴されるような、画期的な教育システムを生み出す努力なしに、新しい教育は生まれないだろう。現状の改善だけでは限界がある。
②同アプローチでは、住民や保護者との連携を重視している。彼らを重要なステークホルダーとして位置づけることが新しい教育を開拓する上で追い風となる。
③外部との連携は不可欠である。レッジョ・エミリア市以外のイタリア国内外の自治体や企業との連携によって教育システムが成り立っていると言える。
図5 レッジョの幼児学校にはどこも手が届く範囲に材料が④経済活動、すなわち、有料のセミナーや出版物や教材の販売なども教育活動と不可分である。通常私学が行っているような活動を、公的セクターが外郭団体と共同している点は特徴的である。
⑤教師の研修プログラムも織り込まれており、「振り返り」のような特徴的な教育開発のメソッドも重要である。
⑥実践現場発の教育理論をつくり出すための、現場、行政、大学の連携が求められる。ペダゴジスタの役割を大学教員などが担うことが考えられる。
⑦出版物の普及は、新たな子ども文化、教育文化の創造である。教育業界内に留まらない、社会的な広がりをつくっていく上で、こうした文化を普及することは重要である。

 これらを、福島に生まれる地域復興を目的とした新しい高校「ふたば未来学園高校」で実現できれば、ということを考えていました。

東北スクールとレッジョ・エミリア・アプローチ②

1.プロジェクトカリキュラム

図1 群衆のプロジェクトの作品 レッジョ・エミリア・アプローチで特徴的な点を挙げるとすれば、プロジェクト型のカリキュラムを採っている点を挙げるべきでしょう。本連載で同市の教育を紹介する理由もここにあります。
 レッジョ・エミリア市の幼児教育カリキュラムは、わが国の多くの幼稚園や保育園のそれのように時間で区切られたバラバラの活動の羅列ではありません。一つの活動は次の活動のためのきっかけとなり、次の活動もまたさらなる活動へ発展させるための材料を提供することになるのです。これをレッジョ・エミリア市では「プロジェクト」と呼んでいます。一般に、プロジェクト学習は最初にゴールを設定しますが、ここでは子どもたちの関心に基づく活動の積み重ねによって構成されており、小学校低学年の生活科などに応用することができると思います。
図2 「シアターカーテン」を前に(2014年) 鏡に映した「自画像」の描写から「目」の表現、「口」の表現を通して「声」という抽象的な造形表現に発展させる「表情のプロジェクト」、市庁舎の前に立つ古いライオンの石像との出会いとふれあいからイメージを醸成して驚くほどの表現力を発露させる「ライオンのポートレート」、粘土で通りを歩く人物を表現しながら社会の多様性に気づく「群衆のプロジェクト」、オペラハウスに刺激を受け自分たちの手でシアターカーテン(緞帳)を制作する「シアターカーテン」、小鳥が遊ぶ遊園地をデザインし実際に池などをつくる大がかりなプロジェクト「小鳥の遊園地」、子どもたちの素朴な疑問を社会認識に結びつける「権利」、子どもたちの数認識の秘密に迫る「数字」、などのプロジェクトが知られています。

2.子どもと大人の協同性

 これらのプロジェクトは数名のものから10人以上によるものまで様々で、期間もまた数日のものから数年にわたるものまで多様です。プロジェクトは子どもたちの話し合いや遊びから始まります。「やりたい中身」を決めグループをつくるために、子どもたちは民主的な話し合いの方法を心得ています。グループごとのプロジェクトには教師が張り付き、子どもたちとおしゃべりをしながらアイディアを提案したり、考えさせたりしています。「シアターカーテン」や「小鳥の遊園地」などは、実際に大人の手によって本格的に設置され、社会の中にしっかりと位置づけられます。ここには子どもも大人と同じ市民として尊重されていることがシンボリックに現れています。
図3 市のシンボルのライオンの像 元東京大学の佐藤学氏は講演(2011年)の中で「一般にレッジョ・エミリア市の幼児教育はすべて子どもたちが自主的にやっているように受け止められがちであるがそれは誤りで、一連の教育活動は教師主導の結果である。子どもに丸投げしているのではなく、教師の洞察と創造性によって大きな学びを構成することに成功している。」といった趣旨の発言をしています。レッジョ・エミリア市の幼児教育は他によく見られる「子ども中心主義」ではありません。「子どもが主人公なら教師も主人公、親も主人公」というように、子どもを社会の中心に置きつつ大人が積極的に教育に参加することを理想としています。
 レッジョ・エミリア市の幼児学校の教師は「朝、ポケットにいっぱいアイディアを詰め込んで家を出る」と言われており、子どもたちの活動や思考を刺激する「道具」や「場」の設定を積極的に提案するのです。

3.ペダゴジスタとドキュメンテーション

 前回説明したアトリエリスタと並んで重要なのは「ペダゴジスタ」の存在です。レッジョ・エミリア市には11人のペダゴジスタがいて、一人あたり3~4校の学校を担当して、それぞれの幼児学校に対して教育内容や方法のアドバイスがなされます。ペダゴジスタの位置づけは日本の「指導主事」に似ていますが、その知識やスタンスは教育学者に近く、特定の教育政策にとらわれることなく自由に発言することができ、現場教師と一緒に考えてカリキュラムをつくっていきます。ちなみに幼児学校には校長先生はいません。
図4 駅の地下道には子どもたちの作品が ペダゴジスタのスタンスは、前回説明したローリス・マラグッツィの姿勢が大きく影響していると推測されます。マラグッツィは多様な教育理論を学びましたが、日々発生する現場の教育実践にもとづいて教育理念を築いたのが最大の特徴です。当時の幼児学校の教師のほとんどが高卒でしたが、彼ら彼女らとともに教育を考え、子どもたちの変化を克明に分析しながら、使えるものは何でも使い、タブーを恐れず、教育方法を展開しました。例えば、日本では子どもに観察に基づいて絵を描かせることは想像力を抑え込むとして問題視されますが、レッジョ・エミリア・アプローチでは躊躇なく描かせます。
 さらに教師たちは子どもが帰った後に、その日一日の子どもたちの活動記録を持ち寄って子どもたちの変化を分析し、翌日の指導方針をつくるということを毎日行います。この活動は今日教師教育でもっとも重視されている「振り返りreflection」のスタンダードモデルとして有名です。
 放課後教師たちが持ち寄る活動記録は「ドキュメンテーション」と呼ばれ、展覧会などでもよく展示されています。

4.環境

 レッジョ・エミリア・アプローチにおいて、「環境は第二の教師」と言われるほど重要な働きをすると考えられています。幼児学校の中はどこも子どもたちの感性を刺激する複雑な形をした枝や巨大な三枚の合わせ鏡、様々な植物、人工物などが環境の中に組み込まれておいて、教室はアトリエと呼ばれています。いずれの教室も、マラグッツィやペタゴジスタらの経験をもとに、子どもが円を描くような動きができるよう心がけて各教室を設計していると言われています。透明感があふれ、壁で仕切られていない、光の入り方なども考えられた明るい教室と、光の実験を可能とする暗室などがレイアウトされています。
 EUの視察団に交じって私たちが訪問した幼児学校では、教室の並びに厨房も配置され、発達障がいのある幼児の重要な教育環境となっています。シアターカーテンのような透明なシートに描かれた壁画はあちらこちらに見られました。区画ごとに材料庫や描画材料などの棚が配置されており、子どもたちは何か道具がほしいときにいつでも手が届くようになっています。その種類は驚くほど豊富で、これらの材料は1996年にオープンした「Remida」というリサイクルセンターで、様々に分別されたものの中から、幼児の創造力をかりたてるようなものを選別し、日常的に供給されているそうです。
 幼児学校の建築はレッジョ・エミリア・アプローチと車の両輪をなしていると言えるほど密接に関連づけられており、日本を含め、ヨーロッパの各国や米国などの多くの地域でこの方式が採られています。

東北スクールとレッジョ・エミリア・アプローチ①

1.OECD東北スクールとレッジョ・エミリア市

 東北復幸祭〈環WA〉in PARISを半年後に控えた2014年2月、OECDの教育スキル局から「EU代表団がレッジョ・エミリア市に視察に行くので一緒に行かないか」とお誘いを受けました。東北スクールの進行でどん底にいた私にとって、何より心ときめく知らせでした。
図1 レッジョ・チルドレンにて(2003年) 私がこのイタリアのレッジョ・エミリア市の幼児教育─レッジョ・エミリア・アプローチ─を知ったのは1990年の初め頃で、2003年と2010年に訪問したことがあります。時数が減ったり、小中高の教員が減ったりと、ろくなことがない美術教育に絶望しかけた頃、唯一の希望を与えてくれた教育システムでした。
 この教育は第二次世界大戦後の混乱期のイタリアで、住民の手によって築きあげられた手作りの教育システムです。今日の世界の最先端に立つ教育実践とも言われており、その教育方法は「レッジョ・エミリア・アプローチ」と呼ばれています。実践記録は外郭団体である幼児・児童教育研究機関「レッジョ・チルドレン」によって美しい本やビデオにまとめられ、世界中から愛され続けています。
 レッジョ・エミリア・アプローチは、1991年のNEWSWEEK誌に、ハーバード大学のハワード・ガードナーによって「世界一の創造性教育」と紹介され、一気に世界的にその存在が知れ渡るようになりました。これにより世界中から教育学者や幼児教育関係者が頻繁に見学に訪れるに留まらず、子どもをレッジョ・エミリア市で学ばせたいと、海外からも転入してくるようになります。
図2 レッジョ・エミリア市の教育書籍 日本では、2001年の「国際イタリア年」に、ワタリウム美術館にて「子どもたちの100の言葉展」が開催され、大きく話題となります。2003年には東京大学の佐藤学氏や秋田喜代美氏の監修によるビデオ記録「子どもたちの100の言葉 レッジョ・エミリア市の挑戦」が小学館から発売され、学校教員を中心に支持が広がります。さらに2011年には再びワタリウム美術館にて「驚くべき学びの世界展」が開催され、21世紀の新しい「レッジョ・アプローチ」の姿が披露されました。
 OECD東北スクールの中で「被災地から新しい教育を」と考えたとき、私とOECDのシニアアナリストの田熊氏が共通に思い描いたのは、まさしくこのレッジョ・エミリア市の幼児教育でした。二人の間で、「レッジョ・エミリアを超える教育を」がいつしか合い言葉となり、その志は今も続いています。「レッジョ・エミリア市の幼児教育」はOECD東北スクールの原点の一つでもあったのです。

2.アトリエリスタと「図像的言語」

 レッジョ・エミリア市の幼児教育は、1945年の第二次世界大戦終戦直後のイタリア北部の同市に生まれました。それまでのイタリアの幼児教育は、一般的には幼児をカトリックの修道女に預けて「しつけ」ればいい、という前近代的な考え方が一般的で、民衆的な子育ての域から脱するものではありませんでした。小学校の教師であったローリス・マラグッツィ(Loris Malaguzzi, 1920~1994)は、ピアジェやヴィゴツキー、デューイらの科学的な教育を学び、レッジョ・エミリア市に子どもたちの主体性を基礎とした革新的な教育をつくるために尽力し、長く市の教育を先導することになります。
図3 レッジョ・チルドレンに掲示されていた作品 レッジョ・アプローチのもっとも特徴的な点は、市内の21の幼児学校(3〜6歳)と13校の乳児保育所(0〜3歳)のすべてに美術の専門家「アトリエリスタ」を配置し、そのアトリエリスタを中心に各学校のカリキュラムを組み立てている点にあります。いずれのカリキュラムも造形的な活動を基礎に置き、これを発展させて「自然」や「社会」「言語」「音楽」「身体」などの認識へと広げていきます。子どもたちにとって描画活動は一つの言語として機能していると考えられ、「図像的言語」と呼ばれています。文字文化の定着していない幼児にとって、図像はもっとも率直に発することのできるコミュニケーション手段であり、造形活動は精神活動と身体活動が一体となった総合的な活動ということができるのです。レッジョ・エミリア・アプローチは決して狭義の芸術教育ではなく、子どもたちの認識や創造力を育む基礎に造形活動を位置づけているという点に留意してもらいたいと思います。子どもたちの素朴な作品はデザイナーの手を介して、洗練されたアートとなってわれわれの目に触れることになります。
図4 アトリエリスタのヴェア・ヴェッキ氏と(2010年) 2003年にレッジョ・チルドレンに訪問した折り、このアトリエリスタについていくつかインタビューをしています。アトリエリスタは美術の専門家であれば誰でも応募することができますが、採用後に教育学のトレーニングを受けなければならないとされています。アトリエリスタには伝統的な油彩画家もいればコンピュータ・グラフィックの専門家もいますが、彼らは表現形態すべてについて学び、それらをどう教育に生かしていくのかを研究します。近年表現形態が多様化し、アトリエリスタの研修にもダンスや演劇など様々な分野を取り入れるようになりました。アトリエリスタは意識の高い者が多いのですが、さらに常に自ら学んでいなければならない、と言っていました。近年では、小学校にアトリエリスタを配置する試みも行われていると言います。

 今回のOECDからの誘いは、EUの視察団に交じって、保育現場を実際に見られるというのですから、何があっても行かなければなりません。急遽調査チームを編成し、OECD東北スクールのサポートをしてくれている学生も加えて、イタリアに飛びました。

学校の課題・社会の課題

1.予定調和の学力

 OECD東北スクールも終盤にさしかかった頃、同プロジェクトの教員研修会の最中、1人の先生が「いろいろ話を聞いていたら、学校が目指す方向と、社会が目指すべき方向にズレを感じる。」と発言しました。「学校は社会全体が抱える課題に合わせるべきだ」とも言いました。私は内心、我が意を得たりと思って聞いていました。
 学校は子どもたちの学力を上げることに向かいますが、その学力は高校に入ったり、大学に入ったりするための学力に留まることが多く、社会が抱えている課題に即したものなのかどうか、大いに疑問が残ります。
 日本の教育は他国と比較しても、教科への依存度が高いと言われています。確かに教科教育のレベルは他国に比して非常に高いと思いますが、全ての教科を学ばせたところで、自動的に完成された人格が形成される、とは思われません。しかし多くの先生方は、教育全体の組み立てを知らなくても、自分の担当の教科や領域をしっかり教え込めば、予定調和的に子どもたちは育つと考えています。
 過去においてはそれも成り立ったのかも知れませんが、少なくとも私は、東日本大震災以降、このことについて強い疑念を抱くようになりました。いや、私ばかりか、被災地の多くの先生方や教育行政の方からも同じ言葉が聞かれました。

2.VUCA社会

 OECD東北スクールの3年間、OECD教育スキル局の日本人のシニアアナリストとたいへんな時間を費やして話をしました。OECDは日本をどう見ているのか、世界との比較で日本はどう位置づけられているのかにはじまり、東北の直前に震災に見舞われたニュージーランドのクライストチャーチの新しい教育から、イスラエルの危機管理教育までいろいろなことを教えてもらいました。
 世界はこれから2050年ぐらいまでに急激に人口が増加し100億人に迫るのに対して、日本は4分の3の1億人を割ってしまうほど、急激なスピードで減少していきます。人口が減れば経済活動も低迷し、社会のシステムも必然的に大きく変化していくことから、世界は日本がどのように対応していくのか注目しています。「日本は既に沈没が始まっているのに、それに気づく人があまりにも少なすぎる」とも言われました。
 一方で世界は今デジタル革命と言われ、18世紀の産業革命以降最大の変化を遂げようとしています。技術の進展に教育が追いつかず、あちらこちらで「社会的痛みSocial pain」が生じています。例えば、会社や自治体に必要な人材が少ない、もしくはいない、子どもが学校で学習する意義が見いだせない、何かというと学校が目の敵にされる、若者の発想を生かすしくみがない、などに現れています。とりわけ日本は教育改革が遅れている、とOECDは見ています。

図1 テクノロジーと教育のレース(OECD資料から)

 OECDは現在の子どもたちが大人になる2030年までに、どのような能力を身に付けさせ、そのためにはどのような教育をつくり、どのように評価するのか、その研究に乗り出しました(EDUCATION 2030)。OECDが若者たちのために作った2030年問題の学習資料には、

  • 移民……富裕国への移民が50年で10倍に
  • 環境……温室効果ガス排出量 BRIICS(ブラジル、ロシア、インド、インドネシア、中国、南アフリカ)がOECD加盟35カ国を越える
  • シチズンシップ……世界的に低下する選挙の投票率
  • 平和と安全……世界のテロの発生件数が2013年に年間10000件を突破
  • 就業……15~29歳のニートの割合が12%
  • 格差……ジニ係数、先進国で増加
  • 家族構成……年齢の中央値、2100年にはほとんどの国で45歳以上
  • 健康……米国の子どもの肥満率35%
  • テクノロジー……若者にとってSNSは生活の基礎

などの衝撃的なトピックが並びます。
 現代社会は気まぐれで(Volatility)、不確実で(Uncertainty)、複雑で(Complexity)、曖昧な(Ambiguity)社会、頭文字を取ってVUCA社会と呼ばれています。

3.教育改革のリアリティ

 世界では大きな災害が起きると決まって新しい教育が生まれる、日本は1000年に1度と言われる大災害に見舞われた、だからここから新しい教育が生まれるはずだ、さもなければ、日本の教育は永久に変わらない、と言われました。OECDが東北を支援しようとした最大の理由はここにあります。日本の教育が全てダメだといっているのではありません。近年まで日本は世界最高レベルの学力を全ての子どもたちに身に付けさせ、それは現在も続いています。問題は、こうした学力が、例えば東日本大震災で受けたダメージのリカバリーに、どのように対応できるのか、ということです。実際、PISAで上位をキープしているフィンランドやシンガポールなどは、PBL型の学習に大きく舵を切っています。
 この大きな違いは、教育行政や学校教員がいかに社会的課題をリアルに認識し、その解決への意欲を持つか、ということだろうと思います。ここ数年、

  • 2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう(デューク大学・キャシー・デビッドソン)
  • 2040年には全国1800市区町村の半分の存続が難しくなる(増田寛也)

図2 消滅危惧市町村896自治体(増田寛也らによる)

  • この10年ぐらいに日本の職業の半数はAIやロボットに置き換わる(野村総研)

図3 AIやロボットに置き換わる可能性の高い100の職業(野村総研による)

  • 2007年に日本で生まれた子どもが107歳まで生きる確率が50%もある(英国のリンダ・グラットン教授)
  • 2045年にコンピューターの能力が人類を越える(レイ・カーツワイル)

など、衝撃的な預言が続いています。これらを全て文言通りに信じる必要はありませんが、これまでになかった社会の激変が少しずつ起こっていることは間違いないでしょう。
 問題なのは、それぞれの変化を予測できたとしても、それらが複合すると何が起きるのか、予想することはきわめて困難だということです。日本の労働者不足をAIとロボットが補ってくれるのかどうかは、現在は全くわかりません。いずれにしても、子どもたちの世代はこのような変化の激しい社会、過酷な社会を生きていかなければならないのです。
 われわれの経験のみによって、子どもたちを育てられる時代はもう終わったと思います。「解のない問い」にチャレンジできる子どもたちを育てることの重要性を、大震災を経験した私たちだからリアルに感じられるのかも知れません。

現実の重さと二つの教師像

 プロジェクト学習は最終的なゴールを予め定めますが、ゴールに到達する方法は生徒自身が考えることになるので、時間や空間、人やお金も流動的となります。日本の学校は、予め学習計画を作成し、これを遂行することが正しい仕事と考えられています。プロジェクト学習を教育課程の中に組み込んでいくことは、計画の遂行とは別の要素が入っていくことになるわけであり、日本の学校と根本的な矛盾をはらんでいるように感じられます。しかしその矛盾を矛盾としてはねのけるのではなく、あえて矛盾を生徒が成長する機会と捉え、いかに教育改革の梃子(てこ)に使うのかという発想が必要だと思います。

1.現実の困難が生徒を育てる

 「東北復幸祭〈環WA〉in PARIS」から3ヶ月が過ぎた10月、OECDのEDPC(Education Policy Committee:教育政策委員会)でOECD東北スクールの教育成果を報告するためにパリに飛びました。報告内容を意訳すると次のようなものです。
 OECD東北スクールは、現実的な課題を用いたプロジェクト学習の実験でした。重要な点は、生徒自身が考えて行動し、自分の地域を活性化することです。
 この学習プロセスは、①チーム内部とチームの外側との対話、②深いディスカッションとディベート、③遊びの時間の活用、④全ての生徒がもっている創造性の発露、⑤学校外の現実の体験、の5つの柱から成り立っていました。
図1 OECD本部中庭で桜の植樹 一人の女子高校生の変化を述べてみましょう。彼女はふるさとを原発事故のために失い、避難のために県内外への転校を繰り返し、苦しい学校生活を送っていました。OECD東北スクールのプロジェクトに参加し、感謝の意を込めてパリにあるOECD本部の中庭に東北の生き残った桜を植えるというアイディアを提案しました。「ぜひやろう!」ということになりチームも編成されます。しかし、EUでは域外からの植物の輸入は一切認められていません。どうすればこれが可能になるのか、専門家からも助言を得て可能性を追求します。桜の苗をどうするか、どうやって運ぶのか、フランス内でどのように育てるのか、失敗したときにどうするのか、……。あらゆるケースを考えて、プロジェクトを進めていきます。直前に、フランス内の東北ゆかりの苗がすべて枯れてしまうという絶望を体験します。それでも代替プランで何とか乗り越え、OECD本部中庭での植樹のセレモニーでは、グリア事務総長の前で、その苦労話を英語でスピーチしました。彼女はプロジェクトを進めるために仲間と協力し、国内外の関係者とコミュニケーションを取り、自信をもってその苦労を講演するまでになったのです。
図2 パリで相馬野馬追を! パリ市長と もう一つは、S高校チームの取り組みです。S高校の立地するS市の相馬野馬追は、地域復興の象徴とされ、パリイベントで開催したいと生徒たちは考えました。生徒たちは資料館などに行って祭の意味を調べ、それをパリで開催することの意義を追究しました。しかし、馬を3騎運ぶだけで1000万円以上かかることがわかり、どうすれば経費が抑えられるのか必死に考えます。中央競馬会と交渉したり、パリ市内の軍馬を調教する費用を調べたり、東京で馬を歩かせ資金調達する方法などをイベント直前まで考えましたが、実現にたどり着くことはできませんでした。このように実現をあきらめざるを得なかったアイディアは、一連の取り組みの8割ぐらいかも知れません。しかしそれらは単なる時間の無駄ではなく、いずれもが生徒の成長に大きく関わることとなり、後に生徒たちは「このプロジェクトで一番よかったのは、頭ごなしにダメと言われなかったこと」と述べています。

2.二つの教師像

 一方の教員はどうでしょう。
 中学校教師のA先生は、勤務する学校の生徒会役員たちとプロジェクトに参加していました。生徒たちは放射能汚染と風評被害によって大打撃を受けた地元の果物を何とか復活させようと、赤ん坊から老人まで食べられるゼリーをつくることを思いつきました。ゼリーの開発といっても、教員がその答えをもっているわけではなく、学校の外の専門家と生徒を出会わせ、一緒に考えるしかありませんでした。父母や学校教員はこうした活動に対して懐疑的で、A先生は、父母や校長らに時間をかけて説明しなければなりませんでした。それだけではなく、このゼリー開発のプロセスにはあらゆる段階で生じる障害を乗り越えなければなりませんでしたが、彼はそれをやり遂げ、意気消沈していた大人たちを大きく勇気づけることとなりました。
図3 自分たちで開発したゼリーをPR プロジェクトに参加した教師を二つの異なるタイプに大別することができます。一つは上記のA先生のような「触媒型教師(catalyst teachers)」です。彼らは、生徒の声とアイディアを大切にし、生徒がプロジェクトを設計するのを助けます。また、教師がいつも答えをもっているとは考えておらず、生徒から学ぶことを喜びます。彼らは不確実性を恐れていません。そして地域のリーダー、NPO、企業など、学校外の他の人々とつながることに違和感を覚えません。
 もう一つのタイプが「現状維持型教師(status quo teachers)」です。彼らは生徒のために自分でプロジェクトを設計し、生徒にやり方を教えます。生徒の質問に対し答えを知らないと不安になるので、自分の知らないことを避けるようになります。彼らは自分たちで立てた計画を重視し、それを遂行することが教育実践だと考えており、不確実性を好みません。彼らは学校外の他の人々、特に民間企業と仕事をしたいとは思いません。

3.残された課題─次のプロジェクトへ─

 OECD教育・スキル局長のシュライヒャー氏から「OECD東北スクールは芸術的には成功したが、教育科学的には課題を残した」と評されました。その課題とは、一つ目に教育研究の情報発信が十分でなかったこと、二つ目に海外を舞台にしたプロジェクトであったにもかかわらずグローバルコンピテンシーが伸びなかったこと、三つ目に学校に還元する回路がつくれなかったこと、と考えています。
図4 2030年の学校を考える熟議 OECD東北スクールが終了し、これからどうするのか、その判断が迫られていました。私たちは始めから、一回切りの打ち上げ花火に終えるつもりはなく、東北の復興のために教育プロジェクトを続行するつもりでした。しかし、OECDからの知的な支援は基本的になくなり、独力で進めていかなければなりません。この後継プロジェクト「地方創生イノベーションスクール2030」は、2014年の4月頃から構想が始まっていました。そのための仕掛けは、さらにその前年から進んでいたのです。

OECD東北スクールが残したもの

 これまで述べてきたOECD東北スクールは教育改革を考える上でたくさんの材料を提供しています。それらを逐一述べると永遠に続くことになるのでひとまず区切りをつけましたが、今後も時々参照することになろうかと思います。今回は、生徒たちの成長についてエビデンスをもとに述べたいと思います。

1.OECD東北スクールの評価

図1 パリイベントを終えて記念撮影 まず、KPI(Key Performance Indicators:目標評価指標)に基づいてその変化を見てみましょう。
 ■好奇心:知らないことへの抵抗感・拒絶感がなくなった、新しいことに対する積極性が増した
 ■発想力:話し合いの中で新しい発想を生んだり気づくことができたりするようになった
 ■チームワーク力:県内外の広域にわたって、異学年、異世代で協働できるようになった
 ■マネジメント力:役割分担や計画をつくり、報告・連絡・相談やチェックする習慣が身に付いた
 ■問題解決力:粘り強く議論し、個人のみならず、チームとして問題を解決しようとする姿勢が身に付いた
 ■発信力:言葉や文集、ICTやグラフィックなどを多用し、国内外に向けて広く発信するようになった
 ■巻き込み力:学習会やイベントに誘ったり、PR活動を通して協力者を増やしたりするようになった
 ■地域力:何も感じなかった自分の地域にこだわりを持つようになり、地域の可能性を考えるようになった
 ■グローバル力:海外の来場者に積極的に接し、国外も地続きの地域と考えられるようになった
 もちろん、成長の姿には個人差があります。期待以上に成長した生徒もいれば、そうでない生徒もいます。重要なのは、そうした能力が個人の「所有物」として留まるのではなく、お互いに影響を与える「共有物」として機能したということです。実際、彼らの追跡調査で「誰に影響を受けたか」という質問をすると、挙げた名前の半分は大人ですが、残りの半分はチームの仲間です。能力を身に付けた者同士の交わりは「1+1=3」、すなわちシナジー効果を生み出します。

2.プロジェクトで伸びる力、プロジェクト後に伸びる力

図2 東北スクールKPIのレーダーチャート 約半年ごとの自己評価を集計したものが図2のレーダーチャートです。絵に描いたように波紋が広がっていますが、よく見ると「発想力」や「チームワーク力」が初期から伸びているのに対し、「グローバル力」の伸びがよくないなど、経験した内容によって伸びる力も異なることがよくわかります。
図3 スクール後に伸びたと感じる力 全体を通して「グローバル力」や「マネジメント力」が課題として残った、と自己総括しています。しかし興味深いことに、追跡調査で明らかとなったのは、これらの力はプロジェクトが終わった後で急に伸びているという点です。考えてみれば、プロジェクト学習は期間内に力を伸ばすことが基本かもしれませんが、同時にこのプロジェクトを通して自分にとって何が課題かを発見する学習でもあります。長いスパンで見れば、この期に課題意識をどれだけリアルに刻み込めたかという点の方が、若い学習者にとっては重要です。

3.異質との接触──「化学反応」

図4 自分の成長につながったと感じる学習方法

 OECD東北スクールは図4のようにきわめて多様な学習方法を準備しており、それらがどれだけ有効だったか、有効でなかったかを調査しています。
 図4は「成長につながった学習方法」をまとめたグラフです。下の方は有効でなかったというよりも、有効に働いたのは特定の生徒に限られていたということです。一方、多くの生徒たちが挙げていたのは「他地域の生徒との交流」「地域の将来・未来に対する議論・活動」「異学年の生徒との交流」「地域コミュニティとの交流」などとなっており、これらに共通するのは、一般的な学校が苦手としている学習方法という点です。さらに述べるなら、学年や学校の壁を越えて他地域、異世代、学校外と接触するということです。これらを学校が嫌うのは、混乱を招く恐れがあるからでしょう。しかし、異文化との接触には大なり小なり混乱がつきまといます。混乱のない異文化接触はありません。
 多くの学校は、混乱を避け安定した学習を保障するために、時間や空間、人を区切り、カリキュラムをつくります。これに反して、当の生徒は、人が入り交じり、時間や空間が混濁した中でこそ、今日必要とされる力(コンピテンシー)を身に付ける、ということになります。私たちはこうした異質との接触による学びを「化学反応」と呼んでいました。

4.地域間の伸びのズレ


図5 二つの地域のKPIレーダーチャート OECD東北スクールには9つの地域チームが参加しましたが、その指導形態や生徒の選出プロセスはまちまちでした。生徒の成長の様子も地域ごとに異なりました。図5の二つのレーダーチャートは、いずれも教育委員会主導で、地域の中学校の生徒会役員を中心につくられたチームの力の伸びを示したものです。もちろん元々の能力差や主観による誤差は少なくないと思いますが、それでも二つの伸びのズレには有意なものが認められます。Aチームの教師は生徒たちを積極的に外に出し、様々な活動をさせたのに対し、Bチームの教師は生徒たちの安全を重視し生徒を地域外に派遣することは最小限に留めました。またAチームの教師は結果的に3年間一貫して生徒をサポートしましたが、Bチームの教師は事情により毎年教師を変えざるを得ませんでした。これらの環境が、どのようなメカニズムで生徒たちに影響を与えたのかは、さらに考察を加える必要がありますが、指導者側の積極性や指導の継続性が生徒の力の獲得と無関係ということはできないでしょう。

5.コンピテンシーに留まらない人格形成

図6 イベントの後片付けに勤しむ生徒たち 生徒たちはいずれも、この2年半の間に学校教員のみならず、企業の最先端で働く人たちやNPOに情熱を傾ける人々と出会い、これが自分の進路を見つけるロールモデルとなりました。少なくない生徒たちが海外に留学し、進路を変更して大学に進学し、将来の夢をかなえるためにNPOを立ち上げるなどしています。まさにOECD東北スクールは彼らの人生を変えたのです。
 彼らは人生の「成長期」と東北の「復興期」を重ねて生きた希有な存在です。その重なりが彼らの反省性を深め、レジリエンス(復元力)を高めています。また、そのことがノブレスオブリージュ(高貴なる者の責任)を理解し、プライドを守り通す彼らの人間的な魅力として醸し出されています。