「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その4) 「コンヴィヴィアル」

Convivial(コンヴィヴィアル)という英語は、「宴会」や「ごちそう」、そして「共生」を意味するラテン語conviviumから派生した形容詞です。食べたり飲んだりすることと、共に生きることは、つながっています。それだけでなく、雰囲気が陽気だったり、友好的なこと、心地よかったりすること、という意味もあります。「ムーミン」の世界には、季節を通して、いろんな食べものが登場しますが、それを取り巻く環境やフィーリングは、「コンヴィヴィアル」であふれています。(中略)多様な価値観が隣あってせめぎあう現代の社会にあって、各々の「個」をしっかりと保っているのになんとなく共生しているムーミン谷の仲間たちの生き方と「コンヴィヴィアル」という概念に、これからの時代を生きていくための示唆を見いだせるかもしれません。

埼玉県飯能市ムーミンバレーパーク
展示施設内コケムス企画展
ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展
(2021年7月10日‐2022年10月23日)より
©Moomin Characters™

祝宴の時間

 今号で取り扱うキーワードは「コンヴィヴィアル」です。多くの読者にとってはなじみのない言葉なのではないでしょうか。もとは、ラテン語のcon-vivere、つまり「共に」を表すconと「生きる」を意味するvivereが合わさった言葉です(*1)。しばしば「共生」と訳されますが、後述のとおり、コンヴィヴィアルはとても含蓄のある言葉です。
 たまたま信州の旅行先で「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展」を観たことがあります。リンゴやパンケーキ、コーヒー……、ムーミンの家族や個性ある仲間たちが美味しさにあふれる食卓を囲んで相互につながり、和気藹々とした時間を過ごす様子が伝わってくる原画や食事に関する会話を集めた展示で、上記のタイトルに添えられた副題は「食べること、共に生きること」でした(*2)。展示の解説には、コンヴィヴィアルは「共生」のほか、「ごちそう」や「パーティなどの楽しく心地よい雰囲気」を意味する言葉である、と記されていました。ドンチャン騒ぎの宴会のような時間ではなく、安心できる場所で一緒に食べる喜びを分かち合い、相互につながり、信頼感を育む祝宴のような時間であると言えましょう。

図1図2

出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

他者への想像力

 コンヴィヴィアルにはもうひとつの意味が内包されています。そこでのキーワードは「他者」です。コンヴィヴィアルとその名詞形であるコンヴィヴィアリティという概念を広めた立役者であるイヴァン・イリッチは、制度や道具に搾取されて暮らす現代人を批判的に捉え、人間が本来もつ創造性を生かしながら「自立共生」することの重要性を唱えました(*3)
 ここで大切なのは、訳語としてしばしば使われる「自立共生」は個人の自立だけでなく他者との共生も同時に含まれ、自立した者同士が、たとえ立場や考えや文化的な背景が違っていたとしても共に暮らしていくという意味合いです。この共生にとってさらに重要になるのは、たとえ生活を共にしていなくても、他者への想像力、特に苦しみと共にある遠い他者に対しても思いをはせることであると言えましょう。
 カード型教材の「コンヴィヴィアル」は上記の2点、つまり和気藹々とした時間をもつことの大切さと、しんどい状況に置かれた他者への共感共苦を念頭につくられましたが、カードの上部に書かれた意訳の言葉「人の痛みを 自分の痛みとする/共に生き生きと互いに活かしあう」は昨今の世の趨勢を踏まえて後者が前面に出されています。

カード上の3つの問い

 さて、今回のカードにも3つの問いが掲載されています。

あなたが誰かと一緒に生き生きとしたり、ワクワクしたりする時はどんな時ですか?
人の心の痛みが自分の痛みとなる共感共苦(コンパッション)を経験したり、聞いたりしたことはありますか?そのとき、どのようなことを感じましたか?
競わされるような関係性ではなく,和気藹々と互いに活かしあう(コンヴィヴィアルな)関係性を学びの場でつくるためには、どうしたらよいと思いますか?

 初めの問いは個人に向けた問いです。これまでのカードを用いたワークショップでは、ムーミン一家のように楽しい食卓の時間を挙げる参加者もいれば、家族で温泉旅行に行く時や仲間とダンスで汗を流す時を挙げる参加者もいるなど、十人十色の回答がありました。
 打って変わって、次の問いは、他者の痛みを直接・間接に感じる経験について問いています。作成過程では、沖縄の伝統的な言葉「ちむぐくる」(他者への思いやりや深い共感)を問いに盛り込むという案も検討されました。おそらく世界各地でこうした言葉は継承されてきたのでしょう。また、原文に出てくるコンパッションの訳出も議論に議論を重ね、「同情」や「愛」や「慈愛」などが検討されたものの、他者への思いを重視して「共感共苦」という訳語を採用しています。実際のカードを用いたワークショップでは、いじめで自死に追い込まれてしまった子どもの話や戦争で家を失ったガザやウクライナの人々のニュースを聞いていたたまれなくなったという話などが共有されていました。
 さらに社会的な制度/システムの課題を想定したのが3番目の問いです。学校や社会は受験など、とかく競わされる制度に支配されています。たしかに全ての競争が悪いというわけではありませんが、競争が過度になると弊害が出てきます。学びの場では競争の原理以外の原理をどう生かしていくのか、まさにこのカード型教材の諸々の原則をいかに具現化するのかが問われているのです。

キーワードとしての「共感」

 コンヴィヴィアルという概念を世に広めたイヴァン・イリッチは、人間の自立・自律性を剥奪するような制度への従属を問題視していました。彼は、人間が道具を使うのではなく、道具に支配されるような状態をコンヴィヴィアルの対極に描いていたのです。
 こうした思想を現代社会と重ね合わせるとどうでしょう。イリッチの思想が広まったのが1970年代ですが、その後の半世紀ほど、私たちは道具を主体的に使ってきたのか、それとも支配されてきたのか、どちらでしょう。この問いは、AIが席巻するようになった昨今、急速にその重要性を帯びています。再びコンヴィヴィアルに注目することは、ディストピア小説『1984』でジョージ・オーウェルの描いた「思想(思考)警察」に支配される世界に突き進んでしまうかもしれない人類を救う一助となるのでしょうか。
 ここまでコンヴィヴィアル及びコンヴィヴィアリティという含蓄のある言葉の多義性に注目しながら、本稿では大別されるふたつの意味を扱ってきました。多様な人々が集う「食卓」で安らぐ心持ちと苦しい状況下に置かれた他者を思う気持ち…。前者を「宴会」と訳し、後者を「同情」という言葉で括ってしまうと、この言葉の深みは一気に失せてしまうように思われます。これからの時代は、両者を別個のものとして捉えるのではなく、相互に深く関わり合っているという視点こそ重要であると言えるでしょう。筆者は両者を架橋するキーワードは「共感」であると捉えています。共感は同情とは異なり、他者の苦しみだけでなく喜びにも思いをはせ、分かち合うことを意味しているからです(*4)
 なお、今回のカードの裏面は「隣人意識」や「帰属感」「互恵性」「コンパッション」「ケアと連帯の倫理」など、重要なキーワードのオンパレードです。これらの概念についても具体例を共有するなど、ぜひ話し合ってみてください。

「コンヴィヴィアル」イラスト解説

このイラストは空から落ちてくる涙とそれを受け止める人の手を描いています。

誰もが「痛み」を抱えて生きています。
それでも、その「痛み」を誰かと分かち合うことができたとき、
人はまたそこから生きていける。
その「希望」のようなものを表現したいと思って描いた1枚です。

©Kei Ikeda

【参考文献】

  1. イヴァン・イリッチ(1977)(東洋・小澤周三訳)『脱学校の社会』東京創元社
  2. イヴァン・イリッチ(2015)(渡辺京二・渡辺梨佐訳)『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫
  3. ジョージ・オーウェル(2021)(田内志文訳)『1984』角川文庫
  4. 日本総合研究所|井上岳一・石田直美(2025)『コンヴィヴィアル・シティ:生き生きした自律協生の地域をつくる』学芸出版社
  5. ローマン・クルツナリック(2019)(田中一明・荻野高拡訳)『共感する人:ホモ・エンパシクスへ、あなたを変える六つのステップ』ぷねうま舎
  6. 「わたしたちがつくる平和・人権・持続可能な開発:日本のエデュケーターのための14のエッセンスと42の問いかけ(ユネスコ教育勧告カード型教材)」聖心女子大学グローバル共生研究所 / 日本国際理解教育学会
    https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

*1:冒頭のボックス内に記載のconviviumは「饗宴(きょう・えん)」という意味の名詞であるのに対して、本文で書いたconvivereは動詞であり、両者ともに語源は一緒です。
*2:「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展―食べること、共に生きること―」小海町高原美術館(2024年6月15日〜10月6日)
*3:コンヴィヴィアルには「自律協生」(日本総合研究所|井上岳一・石田直美 2025)など、他にも様々な訳語が用いられています。
*4:ローマン・クルツナリック(2019), p. 51.

「持続可能な開発」を問い直す ~開発教育の反省から

 これまでESDの課題について回を重ねて扱ってきましたが、今回はやや根幹的な課題にアプローチしてみたいと思います。つまり、ESDのD(開発)に関する課題です。言うまでもなく、ESDの正式名称は「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)」ですが、そもそも「持続可能な開発」とは何でしょうか。皆さんは、どのように説明しますか?

「持続可能な開発」の定義

 国際的に広く認められている説明は、国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」(通称:ブルントラント委員会)が1987年に公表した報告書「我ら共有の未来(Our Common Future)」で示された次の定義です。

“Sustainable development is development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.”
「将来の世代の欲求を満たしつつ,現在の世代の欲求も満足させるような開発」(外務省訳)

 これまでのように欲求や発展のみを追い求めていては、いつか破綻が来る。世代を超えた視野をもとう、という呼びかけでした。言い換えれば、「持続可能な開発」という概念は、「右肩上がりの開発」を当然視してきた私たちの認識を問い直しているともいえるでしょう。
 しかし現在でも、「開発」や「発展」は、より高みを目指すものだというイメージが一般的ではないでしょうか。このような開発観を前提とした「持続可能な開発」は、市場主義や人類中心主義を維持していても環境保全が可能であるかのような幻想を生み出してしまう、という指摘もあります。
 では、「右肩上がりの開発」とは異なる開発観には、どのようなものがあるのでしょうか。

開発教育の反省と「開発」の多様な捉え方

 ESDでは環境・経済・社会の3つの要素の学びが求められています(*1)。そのうち社会的な問題として「開発」に正面から向き合ってきた教育に、開発教育があります。開発教育は、「私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正で持続可能な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動」で、主に英国をはじめとする欧州で展開され、日本でも参加型教材や実践が数多く蓄積されてきました(*2)。この開発教育において、「開発」という概念は批判的に問い直され、多様な観点からの開発観が提示されてきました。

 1960年代、英国などの欧州諸国は、かつて植民地として支配していた地域の「開発」や経済成長を支援する取り組みを進めました。当時の開発教育には、そうした活動への世論からの支持を得るために、「開発途上国」の現状を伝えて人々の意識を高めたいという政府や関係機関の意図が反映されていました。
 このような開発教育と「開発」の捉え方は、その後厳しく批判されます。ポストコロニアリズムの立場からは、欧州諸国の上昇志向的な開発観を基盤とした、一方的な「開発支援」に異議が唱えられました。「開発途上国」の人々は、無力で援助を待つ存在ではない。「貧しい人々を助ける」という、ある種の優越感を伴った視点そのものが、格差を再生産している――そのような鋭い指摘がなされたのです。
 こうした反省を踏まえ、批判的視点や、グローバル・サウスと呼ばれる地域からの視点など、さまざまな立場や声を大切にした開発教育が発展していきました。それに伴い、「開発」という概念も、多角的に検討されるようになります。

 例えば、「開発」を多様な視点から捉え直す教材として、「Learning to Read the World Through Other Eyes」(*3)があります。この教材では、直線的・上昇志向的な「はしご型」の開発観と、循環を重視する「エコロジー型」の開発観を対比しながら、複数の視点が提示されています。さらに次のような学習の流れを通して、学習者自身の「開発観」を批判的に省察する工夫がなされています。

  1. 自分なりの「開発」の定義を文章化して振り返る
  2. 「開発」に対する一般的な捉え方を振り返る
  3. それとは異なる論理や考え方を知る
  4. 「開発」に対する多様な意見を読み、考察する
  5. 具体的な開発問題の事例と、さまざまな立場の意見を知り、考察する

 「開発」のように曖昧で、価値判断を伴う言葉については、常に批判的に内容を吟味していく姿勢が求められるでしょう。当たり前のように「よい」と思っていることも、別の角度から見ると異なる側面が浮かび上がってくるかもしれません。

「持続可能な開発」を問い直す

 「学び!とESD」<Vol.08>で紹介したように、「開発」や「持続可能な開発」について問い続けることは、ESDでも重要であると論じられています。ESDが目指す「持続可能な開発」とは何でしょうか。ブルントラント委員会の定義に立ち返るならば、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」とは、何を意味するのでしょうか。

 戦後復興と高度経済成長期からの「開発」によってもたらされた豊かな生活を私たちは享受してきました。同時に、その過程で生み出された環境問題も受け継いでいます。今求められているのは、破綻ではなく再生へと舵を切り、次の世代へ引き継ぐことでしょう。現代を生きる私たちは、次の世代である子どもたちや若者とともに、改めて「開発」の意味を問い直す必要があるのかもしれません。

【参考文献】

  • 外務省(2015)『地球環境―持続可能な開発(Sustainable Development)』
    https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/sogo/kaihatsu.html(2026年1月26日閲覧)
  • 永田佳之(2020)「ESD for 2030’を読み解く:「持続可能な開発のための教育」の真髄とは」『ESD研究』第3号、5-17頁
  • 永田佳之(2024)「教育の人類中心主義を問い直す:再想像力ではぐくむ惑星意識(第2章)」吉田敦彦、河野桃子、孫美幸編著『教育とケアへのホリスティック・アプローチ』勁草書房、31-46頁
  • 文部科学省国際統括官付日本ユネスコ国内委員会(2021)「持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引」
    https://www.mext.go.jp/content/20210528-mxt_koktou01-100014715_1.pdf(2026年1月26日閲覧)
  • ダグラス・ボーン著、湯本浩之、奈良崎文乃訳 (2025)『開発教育の理論と実践:グローバル社会正義のための教育学』せせらぎ出版
  • United Nations (1978) Our Common Future: Report of the World Commission on Environment and Development.
    https://www.brundtland.co.za/other-publication/brundtland-report-1987-our-common-future/(2026年1月26日閲覧)

図1 出典:文部科学省国際統括官付日本ユネスコ国内委員会「持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引」
*1:日本ユネスコ国内委員会作成の「持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引」にも、ESDの基本的な考え方として、「環境、経済、社会の統合的な発展」と題した図があります(図1)。この考え方は、前述の「Our Common Future」で提唱されたものです。学び!とESD <Vol.55><Vol.56><Vol.64>も併せてご参照ください。
*2:開発教育協会のウェブサイトから、日本の開発教育に関する情報を得ることができます。
https://www.dear.or.jp/org/2056/(2026年1月26日閲覧)
*3:Andreotti, V. and Souza, M. (2007) “Learning to read the world Through Other Eyes”
以下のウェブサイトよりダウンロードできます。また、このウェブサイトではその他複数の教材が紹介されています(英文)。
https://decolonialfutures.net/toe/(2026年1月26日閲覧)

「ホールスクール・アプローチ」:スリランカ発!学びを生きる学校づくり

 これまで「学び!とESD」Vol.14Vol.46 において紹介してきた「ホールスクール・アプローチ」について、本号では取り上げていきたいと思います。
 「ホールスクール・アプローチ」はESDの包括的な取り組みとして「機関包括型アプローチ」と訳されていますが、分かりやすく馴染みやすい「学校全体アプローチ」または「学校まるごとアプローチ」などの呼称でも知られています。「国連ESDの10年」(2005-2014)が終わり、「グローバル・アクション・プログラム(GAP)」(2015-2019)に引き継がれた時に、5つの優先行動分野のうちの一つとしても位置付けられました。
 「ホールスクール・アプローチ」とは、体系的・統合的・批判的視点を用いて教育を持続可能なものへと再方向付けする試みの一つです(Wals et al., 2024)。これは不確実性が常態化する時代において、答えのない問いを前に、学校に関わる多様な主体が相互に学び合いながら教育の在り方そのものを捉え直していく実践的枠組みを指します。言い換えれば、効率性や迅速性、正確さや成果を重視されてきた従来の教育観を前提とするのではなく、教育を一つの「生きた営み」として捉え直し、その健全さを取り戻すために、組織全体の在り方を整えることが求められていると言えます(永田, 2022)。近年では国際機関や各国からも期待が寄せられており(*1)、多様な実践および研究が蓄積されつつあります。
 次にこれまで永田研究室において実践してきたスリランカでのプロジェクトの一端を紹介します(*2)

スリランカの公立学校における「ホールスクール・アプローチ」実践

 スリランカ中部に位置する古都キャンディの郊外にある小さな村の小学校(第1~5学年)をフィールドに、2023年2月から2025年2月までの2年間にわたりプロジェクトが実施されました(*3)。スリランカの各地域においても課題の一つとして直面しているゴミ問題に焦点を当て、プロジェクト型学習や若者の主導性に重点を置きながら、さまざまなアクティビティを実践しました。

プロジェクト冊子の表紙
出典:Illustration by Sri Arts

 以下では本プロジェクトをふり返り、「ホールスクール・アプローチ」がどのようなプロセスを経て実践されてきたのかを紹介します。

ホールスクール・アプローチを実践するためのジョイフル・ラーニング:6つのステップ

傾聴:子どもたちの声を聴く文化を育む。
対話:子ども同士、大人同士、子どもと大人の双方向のコミュニケーションを奨励する。
焦点化:対話を通して、扱いたいトピックを選ぶ。
解決策の特定:創造性を活かして、協働で可視化する。
探究:最も実現可能性のあるものを選び、学校の外へ出てアイデアを実現する手助けとなる協力者や地域の資源を見つけ出す。
アクションとふり返り:一人ひとりの学びが協働を通じて地域全体の励みになり、互いの学びを認め合い、称え合う文化が育まれていく。

 上記の6つのステップを経て、学校では若者を中心とした「グリーンユース」が設立され、学校菜園も誕生しました。学校菜園で収穫された野菜などの収益は学校運営費の補助に充てるなど、持続的な活動の基盤が築かれました。また、行政や企業との連携体制が整い、現地の大学院生やコーディネーターによる自律的かつ主体的な運営も生まれました。こうした取り組みは、生徒や保護者、教員、プロジェクトメンバーそれぞれのライフスタイルや意識の変化を促すとともに、学校を中心とした地域社会のエンパワメントを後押しすることにつながりました。以下は本プロジェクトに参加した生徒の保護者の声です。

「捨てられていたボトルを切り刻み、タイヤの破片に植物を植える。経済的に少し稼げたし、唐辛子作りなど毎日必要なことができたし、幸せを感じた。私と子どもは、学校でのこのプロジェクトを通じて農業についての知識と理解を得ることができました。」

 本プロジェクトの「ホールスクール・アプローチ」実践は、子どもを通して保護者の暮らしにも変容がもたらされた一方で、教員研修の充実や制度改革の推進、学校外における学習機会の拡充といった課題を浮き彫りにしました。こうした成果と課題を通して、本プロジェクトはスリランカの教育改革の移行期とも重なり、学校教育の在り方や生徒と教員の関係性、教育の役割そのものを捉え直す重要な契機となりました。国境を越えた今回の取り組みが、持続可能な社会の実現に向けてささやかながらも希望ある未来への一助となることを願っています。

【補記】
昨年末まで続いた「ユネスコ教育勧告のエッセンス」シリーズは本年3月から再開の予定です。

【参考文献】

  • 永田佳之(2021)「脱炭素社会の時代における学校づくり―ホールスクール・アプローチという手立て―」『中学校』第818号,pp.8–11.全日本中学校長会
  • 永田佳之(2022)「気候危機の時代を生きる学校―ホールスクールで足元から地球規模課題に挑むー」『教育』第919号, pp.62-69.旬報社
  • 永田佳之(2023)「やってみよう、学校まるごとSDGs! ~豊かな関係性をもたらすESDならではのアプローチ~」『中等教育資料』令和5年8月号,pp.26–31.学事出版
  • Wals, A. E. J., Eikeland, I., Bjønness, B., & Sinnes, A. (2024). It takes a whole school: An introduction. In A. E. J. Wals, B. Bjønness, A. Sinnes, & I. Eikeland (Eds.), Whole school approaches to sustainability: Education renewal in times of distress (pp. 1–6). Springer.

*1:国連欧州経済委員会(UNECE)やスコットランド政府の教育政策などにおいて、「ホールスクール・アプローチ」は重要な取り組みとして位置づけられています。
*2:プロジェクト成果物でもある冊子は次のURL(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/srilanka-pj/ )より入手できます。英語とシンハラ語、そしてプロジェクトで使用した活動集やワークシートも掲載されています。
*3:本プロジェクトはJICA草の根協力支援型事業「公立学校を拠点としたゴミ問題解決のためのグリーンユース・コミュニティ形成事業」による助成金を得て実施されました。この2年間の取り組みは、両国の相互理解が深まっただけではなく、ESDの理論を手がかりに地域コミュニティの新たな可能性を模索する歩みでした。本プロジェクトにご協力いただいたすべてのみなさまに、心より感謝申し上げます。

「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その2) 「ヒューマン・ライツ」

わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。
ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。
だからたがいによく考え、助け合わねばなりません。

「世界人権宣言第1条」谷川俊太郎訳

 1年半ほどの長丁場になりますが、ユネスコ教育勧告(*1)の「14の主導原則」を、カード教材を用いて1つずつ紹介するシリーズが前号からスタートしました。毎回、各カードに添えられたイラストを描いて下さった池田系さんによる「イラストに込められた想い」も綴っていただきます。紹介文と併せて読んでいただければ幸いです。

図1図2

出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

長い歴史を経て醸成された人権意識

 新シリーズ「ユネスコ教育勧告のエッセンス」の第2弾のテーマは「人権(ヒューマン・ライツ)」です。人権ほど古くて新しい課題はないと言っても過言ではないほどに、それは人類史を通して意識化されてきた重要な共通課題の1つです。
 まず、カード表(おもて)面(図1参照)の「超訳」に注目したいと思います。これは裏面(図2参照)に書かれた原文を意識してつくられたものですが、同勧告を親しみやすくするために大胆な訳出がなされています。「人類は長い時間をかけて約束事をつくってきた」の中の「長い時間」については、国王の専制からの自由を主張した「マグナカルタ(大憲章)」(1215年)以来という見方もできれば、法のもとでの秩序を唱えたとされる「ハンムラビ法典」(紀元前18世紀)まで遡るべきという見方もできるでしょう。幾重の苦難を経て人類が獲得したこれらの「約束事」は受け継がれ、17世紀以後の啓蒙思想を経て「フランス人権宣言」(1789年)、さらには国家や文化を超えてすべての人に適用される「世界人権宣言」(1948年)へと結実していきます。
 ところが、こうした「約束事」を唱えても人権侵害は依然として続いているという見方をされても仕方ないほどに人類の体たらくは目に余るものがあります。そこで「教育によって人権に命がふきこまれる」という一文が重要になります。つまり、人権宣言などをお題目に終わらせず、私たちの暮らしの中で具現化するのに何よりも大事なのは教育なのです。
 ちなみに、半世紀ほど前に採択された元祖「国際教育勧告」(*2)(「学び!とESD」Vol. 50参照)でも「人権」は最も強調された概念のひとつでした。今回の改定版もその姿勢は不変であり、次のような表現が使われています。

教育では、戦争、侵略、あらゆる形態の暴力、人権侵害を防止し、それに対処することの重要性が強調されなくてはならない。(中略)教育はまた、人種差別主義、外国人嫌悪(ゼノフォビア)、あらゆる不寛容、ならびに差別、暴力を扇動するあらゆる行為やイデオロギーと闘う活動を推進すべきである。(参考文献6.)

 さして遠くない時期にこの勧告の実施状況が評価されることになっています。各国で自国(民)第一主義が闊歩する時代になりましたが、そうした国々に対しても言わずもがな、その国々で行われている人権に関する教育が上記の毅然とした文章と照らし合わされ、評価されることになっているのです。

日本の諸課題

 人類は悲痛な大戦を潜り抜けて人権という意識を醸成してきましたが、上で述べたとおり、それをいかに自分ごととして次世代が捉えられるようになるのかが学校の課題となっています。このカード(2024年版)は、まず教師をはじめとする大人たちが人権という意識を自身に引きつけて考えるためにつくられており、次の3つの問いを設けています。

身の回りで人が大切にされていないと感じるのは、どんな時ですか?
国連機関によって日本は人権に関して改善すべき点があると指摘されています。あなたはどう考えますか?
「子どもの権利条約」を活かす学びの場にするためには、どうしたらよいでしょうか?

 これまでに実施したカード型教材を用いたワークショップでは、①の問いに対して、車内で席がなく立ち続けているお年寄りや駅の改札機を通る時に苦労を強いられる左利きの人などの日常場面から、ネット上の誹謗中傷まで色々な意見が挙げられていました。
 3つの問いは徐々に日本、そして世界の問題へと意識を広げる構成になっています。日本の問題に関しては、一般にはそれほど知られていないようですが、国内の子どもや女性、さらには移民・難民に至るまで、国際機関から実にさまざまな改善の必要性が指摘されてきました。近年でも総括所見という、条約を守るために各国がすべきことを示した勧告が日本にも出されています。例えば、2019年に「国連子どもの権利委員会」が日本の子どもの相対的貧困率の高さを指摘しています(参考文献1.参照)。さらに、2022年には国連の障害者権利委員会が障害者権利条約の条文と日本の政策や法制との隔たりを指摘しています。加えて、2024年に国連女性差別撤廃委員会は、差別禁止に関する包括的な法律や人権機関が日本国内に存在しないという問題点をあげました。また、各国の男女格差を示すジェンダーギャップ報告書において、日本が146カ国中118位と、依然として低迷状態が続いていることも問題視されています(参考文献2.参照)。
 旧勧告も数年おきにレビューが行われていましたが、既存の法律制度の存在をもって「対応済み」と回答されるなど、問題点が残されているにもかかわらず現状が是認される傾向は否めませんでした。新たな勧告文に194カ国が合意した現在、これまでの半世紀を繰り返さないためにもカードの意訳にある「命がふきこまれる」努力を続けることが重要になります。
 たしかに勧告や総括所見そのものには法的拘束力がないという指摘もあります。しかし、一方で日本国憲法第98条には締結した条約や国際法を「誠実に遵守」すると記されています。ユネスコ教育勧告に関して、問われるのはまさにこの「誠実さ」だと言えましょう。

「ヒューマン・ライツ」イラスト解説

エッセンスの文中にある「命」という言葉を読んだ時、
直感的に植物の芽が浮かびました。
二本の指で挟まれた小さな芽からは細い根が伸びています。
この芽と根に「人権の命」、全ての生きとしいけるものの命、
そして宇宙全体の生命をイメージしています。
このイラストのタイトルを「sprout(芽)」としました。

©Kei Ikeda

【補記】

このカード教材の「先輩」として、アムネスティ・インターナショナルによる世界人権宣言を学ぶ教材や、ユニセフによる子どもの権利を学ぶ教材があります。いずれも人権の大切さを伝える優れた媒体であると言えましょう。上記の3つ目の問いにある「子どもの権利条約」については、参考文献3.をご覧ください。また冒頭に掲げた文章は、世界人権宣言を大胆に意訳した詩人、谷川俊太郎によるものです。詳細は参考文献4.をご覧ください。

【参考文献】

  1. 公益財団法人 日本ユニセフ協会「国連子どもの権利委員会「最終見解」(2019年2月)」
    https://www.unicef.or.jp/osirase/back2019/1902_12.html
  2. 内閣府男女共同参画局「ジェンダーギャップ指数(GGI)2025」
    https://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html
  3. 公益財団法人 日本ユニセフ協会「カードで学ぼう!子どもの権利条約第1〜40条」
    https://www.unicef.or.jp/crc/card/
  4. アムネスティ・インターナショナル日本「わかりやすい世界人権宣言(谷川俊太郎訳)」
    https://www.amnesty.or.jp/lp/udhr/#
  5. 「わたしたちがつくる平和・人権・持続可能な開発:日本のエデュケーターのための14のエッセンスと42の問いかけ(ユネスコ教育勧告カード型教材)」聖心女子大学グローバル共生研究所
    https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/
  6. 「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シティズンシップおよび持続可能な開発のための教育に関する勧告」(日本国際理解教育学会有志による暫定訳(修正版))
    https://kokusairikai.com/wp-content/uploads/2025/03/提出版再再修正.2023年ユネスコ勧告「暫定訳修正版」.pdf

*1:正式名称「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シチズンシップ、持続可能な開発のための教育に関する勧告」
*2:正式名称「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告」

「ユネスコ教育勧告」のエッセンス(その1) 「共通善(コモン・グッド)」

世界の多くの場において国家や非政府の多様な関係者が協力して
公教育の公共性を保障していることを忘れてはなりません。

(UNESCO 2021, p.109.)

 今号から新たなシリーズをはじめます。2023年のユネスコ総会で半世紀ぶりに改定された「ユネスコ教育勧告」(正式名称「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シチズンシップ、持続可能な開発のための教育に関する勧告」)には、勧告のエッセンスとも言える「主導原則(guiding principles)」が14あります。今号から、カード型教材(日本国際理解教育学会と聖心女子大学の有志による共同開発)を用いて一つひとつの原則に解説を添えていきます。また、すべてのカード教材には素敵なイラストが描かれており、その一つひとつの作品についてもイラストレーターの池田系さんに解説をしていただきます。
 このカード型教材は、表(おもて)面(図1参照)に、主導原則のキーワードと同勧告の該当箇所の意訳、3つの問いを載せ、裏面(図2参照)に各主導原則の原文(英語)と邦訳を載せています。カードによっては、参考になる情報の二次元コードが載せられているものや表面の作品をもとに描かれたイラストが添えられているものもあります。

図1図2

出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/

 今号は第一弾の「コモン・グッド」です。このカード(2024年版)には次の3つの問いが記載されています。

誰もが受けられるはずの教育を受けられない人々がいます。どんな人々でしょうか?学校のほかで教育を実現する場にはどのような所がありますか?(裏に資料)(*1)
近年、民間の情報産業や企業が公教育に大きな影響力をもち、サービス産業化されているという見方がなされるようになりました。あなたはこのことについてどう考えますか?
近ごろ、教育は私的なものという考え方が広まっているように見受けられます。教育を社会の共通の財産(common good)としていくためには、どうしたらよいのでしょうか?

 さて、皆さんはこれらの問いにどのように答えるでしょうか。ここでは、この教材を用いて実施した、一般市民対象のワークショップで実際にどのような答えが共有されたのかをお伝えします。
 ①の問いに対しては「インドで労働を強いられている少女」「戦禍のガザで暮らす少年」「日本語習得が不十分なまま日本の公立学校に通う外国籍の子ども達や不登校の子ども達」が具体例として挙げられていました。世界には飢餓状態や戦争などで教育が受けられない子どもたちがいる一方で、日本では教育を受ける権利が保障されているにもかかわらず自ら学校教育を受けない子ども、つまり不登校の子どもたちが34万人以上もいるのはなぜだろう、という更なる問いへと誘われたグループもあったようです。また学校以外の教育の場としてはフリースクールの他、お寺なども挙げられていました。確かに江戸時代など、寺子屋としてお寺は各地で重要な役割を担ってきました。
 ②と③の問いになると、回答者は社会全体のトレンドに視野を広げることが求められます。特に巨大なIT企業が学習用のアプリやAI教材を提供し、自治体もそれを公的に採用する例が増加している状況は、グローバルな課題を生んでいます。1人1台のタブレット端末が普及したことは利点もある一方で、公教育がEdTech産業の顧客囲い込みの場になっているのではないかという批判もあります。
 以上から、「共通善」や「公共財」と訳され(同勧告では「公共かつ共通の善(public and common good)」も使用されています)、カード上では「社会の共通の財産(タカラモノ)」と解釈されている「コモン・グッド」は複数の文脈で語られていることが分かります。つまり、人間らしい(decent)生活を送るための基盤となる教育が保障されているかどうかという、しばしば途上国や貧困地域の教育課題として語られる文脈と、市場が及ぼす教育への影響によって公正性が担保されなくなるのではないかと懸念される文脈です。これらの「共通善」をめぐる情勢はかつての先進国と途上国という境界線が曖昧になった現在、テクノロジーの進展も相まって、やや複雑な様相を呈しています。

 人類が進歩すれば、誰もが教育を受けられるようになり、平和な社会も築かれる。そう信じて、ユネスコをはじめとした国際機関は学校教育の普及に努めてきました。ところが、近年、学校は普及したにもかかわらず、教育が保障されていない子ども・若者が地域によっては増えています。
 日本も例外ではありません。全国の隅々まで学校は普及しましたが、皮肉なことに、通学・就学を拒む子ども・若者は増加の一途を辿っています。特にコロナ禍を機に不登校の子どもは急増し続けており、義務教育段階で35万人近くの子どもが、高校段階も含めると41万人以上の子ども・若者が学校に通っていません。
 世界的に、質の高い教育を受けられる層とそうでない層との格差が広がる傾向が指摘されています。教育機会が等しく人々に保障されていないという問題は、コロナ禍以前から国際的に指摘されていました。ユネスコ教育勧告が採択される2年前にユネスコが刊行した画期的な報告書『私たちの未来を再想像する』(「学び!とESD」Vol. 31)では、中国、インド、北米、ロシア等、各国内における不平等の拡大に関する問題に焦点が当てられており、大半の国々で資本が公的な所有から私的な所有にシフトしてきた結果、貧しい人々が社会的に排除されてきた問題が強調されています(UNESCO 2021, p. 24)。こうした格差や不平等は、特にコロナ禍の時期に顕在化し、だれも取り残されないことを標榜するSDGsなど、予断を許さない情勢にあるといえましょう。
 このような状況下で前述の報告書では、共通善としての教育の原則はグローバルな責務と密接に関わっていることが強調されています(p.136)。COVID-19へのワクチン開発においては科学者らの協力を通して従来にないほどの迅速さをもって対応できたにもかかわらず、その分配においては全く公平性を欠く事態がそこかしこに見られました。報告書では、同様に、教育支援についても格差が生じてしまったことに対して厳しく問いています。
 ユネスコ教育勧告の審議がスタートしたのはコロナ禍の只中、つまり教育へのアクセスの不平等や教育格差の拡大が世界的に問題視されている時でした。14の主導原則(このシリーズでは「エッセンス」と称します)のうち、条文の中で最初に掲げられているのが共通善であることは、こうした時代背景を踏まえると首肯できます。
 以上は、国家による教育への平等なアクセスと質保証の問題ですが、他方で市場からの教育への影響力も近年、急速に増大しており、各地で育まれてきた「タカラモノ」が崩されてしまうのではないかという懸念も広がっています。特にITやAIを通した教育のサービス産業化の結果、利便性の促進、思考過程の効率化、関心事の個別最適化などが進み、本質的に手間暇のかかる人間形成や民主主義の構築、共生などの教育の本質的とも言える課題意識が後退する可能性が指摘されています。
 このカードのイラストに描かれた書物をめくる手の行為や時間をかけて知識を内在化していく学びのあり方、そしてその過程で育まれてきた民主主義や協力・協働などの価値観はますます希少性を帯びていく時代になるのかもしれません。

「コモン・グッド」イラスト解説

最初のエッセンスに綴られた「タカラモノ」という言葉を
「本(書物)」として読み解き、このイラストを描かせていただきました。
人類は古代よりあらゆる「知」を書物に記し伝承してきました。
「紙を指で捲る」という尊い行為を次の世代に、
そして未来に繋いでいけたらという思いを込めて
このイラストのタイトルを「BOOK」としました。

©Kei Ikeda

【参考文献】

*1:「日本国憲法」条文抜粋
https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a002.htm

EFAとの比較から浮き彫りにされるESDのかたち 〜いまふり返るESDの重要文献(その1)〜

 ESDが国連のフラッグシップ事業としてスタートして以来、かれこれ20年が経ちました。「国連ESDの10年」(以下、「10年」と略)以後の歴史をふり返ると、注目度は決して高くはなかったものの、そこに込められた主張やキーフレーズがESDの今後を吟味していく上で貴重であるという論文や報告書がいくつかあります。‘ESD for 2030’(「学び!とESD」Vol.07, Vol.08, Vol.09)も後半に差し掛かった現在、それらをいま一度吟味することは大事な作業となるでしょう。これまでの「ヒューマンとノンヒューマン」等のシリーズに加えて、「いまふり返るESDの重要文献」も不定期のシリーズとして今号から始めます。
 「重要文献」のトップバッターは「EFAとESDの対話」(原著:EFA-ESD Dialogue: Education for a sustainable world (Education for Sustainable Development Policy Dialogue No.1) , UNESCO)です。EFAとは ‘Education for All’ の略記であり、通例、「万人のための教育」または「教育をすべての人に」と訳されます。すべての人々に基礎教育の機会を保障することを目指し、ユネスコ、ユニセフ、世界銀行、UNDP(国連開発計画)などの協力のもと、各国政府や自治体、民間組織が共に学校教育や成人識字教育を世界的に広めていった運動です。1990年にタイのジョムティエンで開催された「万人のための教育世界会議」でその重要性が宣言されました。SDGs(持続可能な開発目標)の4番目の目標として掲げられたESDやジェンダー教育などの比較的新しい教育が推進できるのも、EFAによって築かれた基盤があってこそである、という見方もできるでしょう。
 さて、なぜ60ページにも満たない上記の冊子が重要なのでしょう。それは、ESDの本来の特徴がEFAとの比較によって明らかにされているからであり、またESD誕生から20年以上経った今、その本義をいま一度確認することが必要になってきた世界情勢下に、私たちが置かれているからだと筆者は捉えています。
 著者はロス・ウェードとジェニス・パーカー。共に英国の大学で研究する教育学者です。ウェードは2011年に来日し、ユネスコアジア文化センターによるESDの会議で講演したこともある、国際的にも活躍する論客です。
 この冊子が刊行されたのが2008年ですから、すでに「10年」がスタートして4年が経っており、運動としてもその特徴を広くアピールしてより拡充していきたい時期にあったと言えます。
 冊子の基調トーンは、EFAという「先輩」に敬意を表しつつも、ESDをより明確に特徴づけて、その意義を広めることに見出せます。その表現は丁寧ではありますが、EFAの旧態依然たる性格を所々で批判している論考でもあります。EFAに比べてESDの特徴はその守備範囲の広さであると述べ、それは持続可能な未来に向けた態度・価値観・行動の変容を前提としているため、量的拡大のみならず質的拡充も優先される、とESDを特徴づけています。
 ここでEFAは決して量的拡大のみに終始した実践ではなかったことは、筆者もその一端に民間組織の識字運動に携わった経験からも強調しておかねばなりません。とはいえ、その運動は全体として、量的な指標が大きな影響力を持ち、就学率や識字率という数値目標が政策を左右したことは否めず、ウェードらが教育の質を強調するのも理解できます。
 さらに、EFAは「開発モデル」として目されるがゆえに、どうしても支配的な開発のあり方、つまり経済成長というモデルの影響から逃れられない。その一方で、ESDは開発のあり方や方向性そのものに対して疑義の眼差しを向けるところにその特徴がある、と指摘しています。これは「学び!とESD」Vol.08でお伝えしたスターリンの主張とも重なり、先を見通した主張だと言えましょう。
 EFAは教育を通した貧困削減を目標に掲げる一方で、ESDはそれだけでなく貧困予防も視野に入れた教育である、とも述べられており、以下の表のように各々の特徴が区分けされています。ウェードらは建設的にEFAとESDの特徴を共に活かすことでシナジーを生み出すことを強調していますが、教育機会を万人に保障することが最も優先された時代に、教育の方向性や質を強調したESDは、物議を醸すようなメッセージをもって生まれた時代の申し子だったのです。

EFA

ESD

価値

人権に関する価値

人権も含めた諸々の価値

スキル

職業上の基礎技能

批判的思考やシステム思考、世代間や未来に関する思考

表1 貧困問題の解消をめぐるEFAとESDの特徴
出典:Wade and Parker (2008), p.17をもとに筆者作成

 こうしたESDならではの特徴をユネスコスクールはじめ、ESDを実践する学校や地域活動が体現できているのかどうか、いま一度、確かめてみる必要があるのではないでしょうか。
 このようなメッセージを内包した教育運動であったESDはさぞかし理想をもって勇猛果敢に推進されたように思われるかもしれませんが、当時、ユネスコ本部の国際委員会のメンバーであった筆者からすれば、実際は決してそうではありませんでした。その推進過程は常に試行錯誤だったと言えます。以下に記すように、上記のような批判の対象ともなっていたEFAの専門家にESDの論客たちが助言を求める場面もあったのです。

 今となっては教育運動としてのESDの逸話になるのでしょうか、ESDはEFAに助けられた場面もありました。というのは、筆者が「国連ESDの10年」のモニタリング評価専門家会合(MEEG)のメンバーとして日本政府から年に2回の定期会議に派遣されていた頃は、ESDが各国であまりにも広まらない(知られない)という課題に同会合は直面していました。「学び!とESD」で引用されてきたスターリンやウォルスなど、世界で知られるESDの論客が集まってもなかなか乗り越えられない難題でした。
 そこに、ユネスコ本部事務局の取り計らいで、EFAを牽引してきた先達の専門家が同会合の会議室に来て助言をしたことがあったのです。曰く、「あなたたちにはピンポイント(ウリ)がない」と。EFAは就学率や識字率の向上というターゲットが共通の認識になっていたがゆえに、教育運動としてやるべきことが明確でしたが、上記の変容を目指すESDの成果は目に見えにくいし、価値観の変容という成果を実感できるまで数年単位の時間がかかるのだ、と。そこで伝えられた具体的なアドバイスは、前述の「守備範囲の広さ」ゆえに「なんでもあり」になってしまいがちなESDを焦点化することでした。具体的に挙げられたのは、「気候変動、生物多様性、防災(災害リスク削減)」という3本柱を掲げるアクチュアルな運動の推進です。その後、「10年」の後半に入り、この3点が強調されながらESDは推進され、地球温暖化の深刻化も相まって、気候変動教育がESDを凌駕するほどに重視される時代になっていったのです。当時、国際的な運動の渦中にいた筆者にとって、それは「親子が逆転」したかのような印象を受けたのでした(「学び!とESD」Vol.18 を参照)。

【参考文献】

  • Wade, Ros and Parker, Jenneth (2008) EFA-ESD Dialogue: Educating for a sustainable world.
    (Education for Sustainable Development Policy Dialogue No.1). UNESCO

ノンヒューマンから教わる超越と根源の感性 ~ヒューマンとノンヒューマン~(その7)

根源を照らす月の光

 前号に続いて紹介する「ノンヒューマン・シリーズ」(*1)の絵本『つきはかがやく』は、ドイツの人気作家ブリッタ・テッケントラップによる「しかけ絵本」です。夜空に浮かぶ月が、森や草原、海や空など、さまざまな場所を静かに照らしながら、物語は展開していきます。ページをめくるごとに月は満ち欠けし、ラメ加工によって金色にきらめきながら登場します。自然界のリズムや命の循環を象徴する月が、読み手に穏やかな感覚を呼び覚ましてくれるのです。
 本作では、優しい文章と繊細なイラストによって、月明かりのもとに息づく動物たちや生き物の姿が描かれています。夜の静けさに包まれた世界の営みを通して、私たちはふだん見過ごしがちな自然や命の根源的なつながりに触れることができます。詩情あふれる一冊が、読み手の感性にそっと語りかけてくれるでしょう(*2)

『つきはかがやく』ひさかたチャイルド、2023年
パトリシア・ヘガティ(文)、ブリッタ・テッケントラップ(絵)、
木坂 涼(訳)

 月は古来より、世界のさまざまな文化において、神秘や変化の象徴とされてきました。満ち欠けを繰り返し、潮の満ち引きをもたらすそのリズムは、私たちの心にも静かに響きます。この絵本は、そうした月の光を通して、人間もまた自然の一部であることを、そっと思い出させてくれるのです。
 月明かりに照らされる木々や虫たちの営みは、目に見える世界の背後に脈打つ、根源的な生命のリズムを映し出します。こうした感覚は、私たちが地球という生命の大きな流れの中に生きているという気づきを促し、すべての命に向けた謙虚なまなざしを育ててくれるでしょう。

「ブタヤマサン」にみる超越的な存在

 一方、長新太の人気作品『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』は、私たち人間の身近な世界に潜む、目に見えない不思議な力を感じさせてくれる絵本です。蝶々とりに夢中なブタヤマさんの後ろには、虫や鳥、さらにはオバケまでもが現れ、ブタヤマサンの名前を呼びながらついてきます。特に劇的な出来事が起こるわけではなく、彼らは不気味さと親しみが入り混じる不思議な存在として、終始静かに描かれます。物語の終盤、ブタヤマさんは「なあに どうしたの なにか ごよう」と呼びかけますが、そこには誰の姿もなく、ただそよ風だけが吹いています。声なき声に耳を傾けるようなこの結末は、読み手に深い余韻を残して終了します。

『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』文研出版、1986年
長 新太(著、絵)

 この絵本を愛した臨床心理学者・河合隼雄は、京都大学退官時の最終講義でその魅力を紹介し、理屈では説明できない力や、心の深層にある不思議な世界とのつながりの大切さを語りました。因果では割り切れない感情や経験が、人間の心の営みにおいて大きな意味をもつように、絵本に描かれた「誰とも知れぬ存在」との出会いは、超越的なものへの畏敬や信頼の感覚を呼び覚まします。そうした感覚は、私たちの精神の深みを豊かにし、生きる力の源になるのです。

絵本が教えてくれるもの

 これまでの「ノンヒューマン・シリーズ」でも繰り返し取り上げてきたように、環境教育やESDの学びには、ノンヒューマン的な世界を尊重する感性が欠かせません。『つきはかがやく』と『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』の両作品は、私たちに見えない世界を感じることの大切さや、自然や人間を超えた存在と出会う感性をやさしく示しています。これらの絵本を通じて、子どもたちは生命の神秘や世界を取り巻く多様な存在に対して、畏敬の念や親しみの気持ちを育んでいくことができるでしょう。
 しかしながら近代社会においては、自然を単なる資源として捉え、客体化・操作可能な対象とみなす態度が広がったことが、人間と自然の断絶や環境破壊の一因となっています。だからこそ今の教育には、『つきはかがやく』や『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』に表れているような、超越性や根源性を感じ取る感性が重要になります。見えないものに耳を澄ませ、存在を信じる力を育むことは、世界の深い響きを感じ取る力を養い、科学的知識に劣らない、持続可能な未来に向けた学びの土台となるのです。
 人間を超えた存在に触れる経験は、現代教育で軽視されがちな「非科学的」な価値を見出し、単なる知識や技能の習得を超えて世界との関係性を深く見直す機会となります。こうした感性は、私たちが自然から切り離された機械的な世界観を乗り越え、命の響きを手がかりに持続可能な社会を築くうえで、欠かせないものなのです。

*1:「学び!とESD」<Vol.49> <Vol.52> <Vol.53> <Vol.59> <Vol.60> <Vol.67> に続くシリーズ。
*2:ひさかたチャイルドホームページの絵本紹介より:
https://www.hisakata.co.jp/book/detail.asp?b=049286

【参考文献】

  • 河合隼雄著(2013)『こころの最終講義』新潮文庫
  • Pang, H., & Hegbrook, T.(2019)The Moon, 360 Degrees

「センス・オブ・ワンダー」でひらくノンヒューマンの世界 ~ヒューマンとノンヒューマン~(その6)

嵐というノンヒューマン

 人間と「ノンヒューマン」たちとの関係性をESDの視点から考える絵本シリーズの第6弾は、「ある嵐の日のおはなし」から始めましょう。絵本『あらしとわたし しぜんのなかでいきる』は、嵐という自然現象を、私たちの暮らしのすぐそばにある当たり前のものとして描いています。雷鳴に続いてやってくる嵐は、決して「悪者」ではありません。避けて通ることのできないそれは、むしろ日々の暮らしの中に当然のように現れ、そっと寄り添う存在として、この絵本の中では静かに受けとめられています。

『あらしとわたし しぜんの なかで いきる』評論社、2022年
ジェイン・ヨーレン・ハイジ E.Y. ステンプル(作)、まつかわ まゆみ(訳)、
クリスチャン&ケビン・ハウデッシェル(絵)

“しぜんは ちからづよくて、いきいきしている。
でも、わたしも ちからづよくて、いきいきしている。” (*1)

 他にもこの絵本には、竜巻や吹雪、山火事といった自然の脅威が描かれています。そうした出来事にさらされながらも、「わたし」と家族は日常を手放すことなく、静かに暮らしを紡いでいきます。停電の夜には、家族そろって地下に身を寄せ、懐中電灯のほのかな明かりのもとで本を読んだり、ゲームを楽しんだりして時間を過ごします。雪や氷が吹き荒れる日には暖炉に火をともし、その温かさに包まれながらホットドッグを焼き、家族でマシュマロを楽しみます。外の脅威とは対照的に、家の中では人々のぬくもりとつながりが息づいています。
 自然をおそれながらも、目の前の暮らしを丁寧に続けようとする人間の静かな強さが、この物語のテーマです。抗うのではなく、身近にあるものとして自然に寄り添いながら共に生きていこうとする営みの中で、与えられた環境の中で生きる意味を「わたし」は受け入れていきます。その根底にあるのは、自然を「対象」ではなく、私たちと共に生きる「存在」として受けとめる感覚です。つまり、人間以外のものである〈ノンヒューマン〉を感じ取るセンスです。そこには、あのレイチェル・カーソンが語った「センス・オブ・ワンダー」と響き合うような、自然への深い感動と畏敬の念が宿っています。

自然と人間―その境界を見つめてきた文学の力

 環境文学や自然詩といった「エコクリティシズム(ecocriticism)」(*2)の視点は、環境教育が重視してきた自然保護や自然体験といった啓発的アプローチでは残念ながら届かなかった領域に深く切り込み、より根源的な問いを社会に投げかけてきました。カーソンの『沈黙の春』や石牟礼道子の『苦海浄土』は、自然破壊や公害問題への鋭い警告として、多くの人々に差し迫った危機の現実を突きつけ、その意識に揺さぶりをかけました。これらの作品が訴えかけたのは、知識や情報ではなく「感じる力」です。おそれや敬いのまなざしを失えば、人間は世界の深い秩序を見失い、破局へと向かうのではないかという本質的な問いが刻まれています。カーソンの『沈黙の春』は化学物質の危険性を訴える書として広く知られますが、その本質は科学を超えています。綿密な調査に裏打ちされながらも、全体に流れるのは、命あるものすべてへの静かな敬意と、知識だけでは捉えきれない世界に向き合うための「感じる力」を取り戻すことへの緊急性を訴える深い警鐘です。
 こうした感性の必要性は、カーソンのもう一つの名著『センス・オブ・ワンダー』に最も端的に表れています。この本は自然の美しさを称えるだけでなく、人間の力ではどうにもできない世界の存在に気づき、〈いのち〉に深く触れる感性を子どもと共に育むための書です。大人にとっても、自然への感受性を回復する「解毒剤」として切実な意味を持ちます。カーソンの二つの名著に共通するのは、「人間にはどうすることもできない世界がある」という事実への畏敬です。それを無視して突き進めば、私たちを待つのは崩壊の未来です。彼女は限られた命のなかで、この認識を〈いのちのセンス〉として未来を生きる者たちに手渡そうとしました(*3)

“感じること”から始まるESD

 教育の現場では、つい「行動変容」や「意識啓発」といった分かりやすい目標や成果に目を向けがちです。しかし、人間中心主義を相対化する「ノンヒューマンの視点」や、世界と自分が深くつながっている感覚が育まれなければ、いくら知識を詰め込んでも根本的な変容には至らないでしょう。ESDに今求められているのは、こうした〈いのちのセンス〉に根ざした学びのあり方です。絵本『あらしとわたし』は、その第一歩を示しています。自然を対象ではなく存在として受け入れる瞬間、私たちは自然や他者、自分と世界とのつながりをひらくことができるのです。
 この〈いのちのセンス〉を未来へつなぐことは、カーソンの強い願いです。私たちはその願いを、物語や詩が持つ溶け合った文学的なまなざしのように、学びの場にも息づかせていく必要があります。彼女が「知ることは、感じることの半分も重要ではない」と語ったのは、自然の美しさに出会い、知識を学ぶだけでは不十分だからです。そこからさらに、人間の力ではどうすることもできない自然の脅威に直面し、あらゆる〈いのち〉に包み込まれるような感性を育まなければなりません。私たちは、そうした「感じるESD」のアプローチを、もっと追求できるのではないでしょうか。

*1:評論社ホームページの紹介より
https://www.hyoronsha.co.jp/search/9784566080867/
*2:人間と環境との関係をめぐる文学研究。学び!とESD<Vol.60>も参照。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/esd/esd060/
*3:『センス・オブ・ワンダー』を執筆した時期は、自身の癌との闘病中であった。

【参考文献】

  • レイチェル・カーソン作、森田 真生作・訳(2024)『センス・オブ・ワンダー』筑摩書房
  • 上遠 恵子監修、レイチェル・カーソン日本協会編(2021)『13歳からのレイチェル・カーソン』かもがわ出版
  • 結城 正美著(2023)『文学は地球を想像する エコクリティシズムの挑戦』岩波新書
  • 若松 英輔著(2022)『いのちの秘義 レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』の教え』亜紀書房

「ユネスコ教育勧告」の誕生(その4) ユネスコ教育勧告と教員/スタッフ研修

 前号では、「ユネスコ教育勧告」(正式名称「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シチズンシップ、持続可能な開発のための教育に関する勧告」)のエッセンスを知り、学びを深めるためのカード型教材を紹介しました。今号では、「ユネスコ教育勧告」を活かすために欠かせない研修について記します。カード型教材を用いて行われた学校での教職員研修や、NPO職員や地域の活動家、教育委員会職員、保護者らを対象にした研修を紹介しながら、その重要性について書いてみたいと思います。
 カリキュラムや教材など、多様な教育課題について言及がある「ユネスコ教育勧告」では、研修についても次のように書かれています(*1)

加盟国は、「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シティズンシップおよび持続可能な開発のための教育に関する勧告」の目的にかなう教育活動が、さまざまな段階や種類の教育や知識、修養、学習、研修といったカリキュラムにおいて配置され、首尾一貫して統合的になされるように取り組むべきである。(第19項)
(加盟国は)本勧告に示されているスキルを教員が身につけるため、対面での研修やオンライン、遠隔、ハイブリッド方式を含め、継続的な専門的力量形成の機会を奨励し、促進すること。(第42項)

 以上のように、「ユネスコ教育勧告」ではその目的、すなわち平和や持続可能な社会、さらにはこのシリーズの「その1」(Vol.51)と「その2」(Vol.52)で示したような「インクルーシブ」や「グローバル・シティズンシップ」等の理念を実現するために多様な取り組みが奨励されており、研修も重視されています。
 前号で紹介したカード型教材も勧告の「目的にかなう教育活動」のためにつくられましたが、それを生かすには研修を通した「継続的な専門的力量形成の機会」が不可欠です。試験的ではありますが、カード型教材とセットで研修も継続的に実施されてきましたので、その骨子をお伝えします(*2)

研修の概要

 研修プログラムの基本的な構成は次のとおりです。

「ユネスコ教育勧告」が改定された背景、その特徴や意義、「14の主導原則」に関する講義(20分程度)
5人前後から成るグループごとのカードを用いたワークショップ(30〜40分程度)
グループ内での話し合いの要点をシェアする全体会(20分程度)
まとめとアンケート(10分程度)

 上記の研修プログラムで中心となるのは②のグループごとの活動です。表紙を含めて15枚から成るカードを自由に手に取り、感想を伝え合うところから始めます。カードの中から1枚を選んで(またはファシリテーターが指定をして)、そのカードに書かれている意訳を読み上げ、3つの質問に皆で答えることを通して主導原則のエッセンスを学んでいきます。研修では一般に「えんたくん」と呼ばれる丸型の段ボールを5人ほどの研修生が膝に乗せて話し合うことが多かったのですが、机の場合もありました。いずれにせよ複数枚のカードを広げて見るスペースが必要です。
 これで30分ほどかかりますが、時間のある場合は、2枚目のカードを選んで同様の学び合いの時間を持つこともできます。このほか、カードの使用についての解説はデジタル版からダウンロードできます(参考文献1.参照)。

研修の感想

 次に、カードを用いた研修に参加した教職員や地域の人々の実際の声を共有したいと思います。
 まず、ユネスコという国連機関の決議した勧告は難解に捉えられがちですが、抽象的なトピックも実は学校や地域の現場と関わっているということが実感できたり、研修が自身の悩みの解決の糸口となったりする効果がもたらされることがわかりました。(強調=下線は筆者)

「おそらく非常に難しい内容が英語で書かれているものをわかりやすく噛み砕いて訳して下さっていて、とても頭に入ってきやすかった。人間としてあたり前に持っているはずの道徳心を自分の言葉にして表すことは良い経験になると思いました。」(高校教員)

「ユネスコ教育勧告」は少し難しそうに感じてしまうかもしれませんが、14の課題のどれもが現場と直結する内容であると思いました。グループで選択したのは『コンヴィヴィアル』と『エシックス・オブ・テクノロジー』だったのですが、まさに常々どうしたらよいか?と考えてしまう事柄の上位を占める内容です。今日お話しできたことで困りごとの整理も少しできたのかな?と思います。」(街づくり協議会/地域活動家)

 たとえユネスコスクールに認定されていても、日々の生活の中で視野を世界に広げたり、世界的に課題となっている教育のフロンティアに意識を向けることは、忙しい生活の中では決して容易ではないでしょう。しかし、次に示すように2時間ほどの研修を設けることで、世界とつながり、視野が広がることもあるようです。

「本校がユネスコスクールに認定されていることは知っていたが、ここまで詳しく勧告文を読んだことがなかった。今日の教育において重要にすべき視点を改めて認識することができた。」(高校教員)

「私は以前、国際バカロレアの調査・研究に関わり、以来、一方通行な授業への疑問、知識のみを、しかも(単語で)問うテストへの懐疑を持ってきました。そうだよね、世界はその方向にやはり進んでいる、と思いました。」(高校教員)

世界に目を向ける機会を与えていただき、ありがとうございました。」(教育委員会職員)

 また、教員にとって多忙な日々の中でも取り組む実践が、主導原則のような抽象的なキーワードを通して改めて意義づけられることは、教員人生の中でも重要な体験となると言えるでしょう。カード型教材を用いた研修はそうした機会を提供する時間でもあったようです。

「新しい取り組みをしなければならないというより、私達が行っていることがユネスコスクールの取り組みにつながっており、それを深めていくことが世界平和や人権問題の改善にもつながっていくことを認識することができた。」(中学校教員)

「教育現場だけでなく、家庭教育にも活かせそうなテーマが多かったので、自分の子供達とも話してみたいです。私がなんとなくこうかな??と思っていた事が言語化されたようで嬉しかったです。」(中学校職員)

自分の選択はまちがっていなかったんだと思えたひとときでした。」(保護者)

 これらのほか、以下のように今後への期待や課題などについても述べられています。

「PTAでもやっていけたらいいなと思いました。」(PTA会長)

「子供向けのもの(小・中・高・大とそれぞれのレベルに合わせたもの)もあっても面白いと思いました。」(中学校職員)

「学校での成績評価、入試、テスト等があるために創り出す余裕・時間が現実的にないため理想と現実のギャップを感じた。」(学年等無記載)

「教育に関わるすべての人、枠組みが協力して変わっていくことが必要だと感じた。日本で言えば、中高の教育のゴールが『大学受験』になっていることで、理想とする教育と現実との差が激しいと感じる。そもそもの受験の仕組み・意識を、もしかしたら社会全体でどうにかしていかなければならないのではないか。」(ユネスコスクール教員、学年等無記載)

 以上の課題は、今後のさらなる可能性を拓くコメントとして受け止めているところです。これからは、「14の主導原則」のみならず、勧告の他の項目にも注目してその普及に努めていく必要があるでしょう。また、カード型教材は教員などの大人を学習者として想定してつくられた教材ですが、いくつかのアンケート回答に書かれていたのは、中高生、場合によっては小学生にも「ユネスコ教育勧告」を学んでほしいという声であり、子どもや若者を対象にした教材づくりも今後の課題と言えます。なお、このシリーズは、少し間を空けることになりますが、「その2」で紹介した「14の主導原則」の1つひとつについて解説をしていく予定です。その間、皆さんもカード型教材をダウンロードしたり、プリントしたりして、ぜひ試してみて下さい。

*1:ここで用いる邦訳は参考文献2.の暫定訳からのものである。
*2:一連の研修は、文部科学省による「令和6年度ユネスコ活動費補助金」による「『ユネスコ教育勧告』普及のための教材開発及び教員研修モデルの構築」事業の一環として実施された。

「ユネスコ教育勧告」の誕生(その3) これからの教育になにが大切かを考える教材づくりの第一歩

 今号では「学びとESD!」Vol.50Vol.51で紹介した「ユネスコ教育勧告」(正式名称「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シチズンシップ、持続可能な開発のための教育に関する勧告」)の「その後」の一端をお伝えします。「ユネスコ教育勧告」は2023年11月に採択されましたが、その後は欧州やアジア等の地域レベルで、そして国レベルで推進していく方向へとシフトしつつあります。アジア太平洋地域でも同勧告に明記された理念を各加盟国が実現していくためのロードマップができるなど(*1)、世界各地で取り組みが徐々に始まっています。そして、日本でも具体的な活動が見られるようになりました。その1つが教材開発や教員研修にフォーカスを当てた事業です(*2)

「ユネスコ教育勧告」と教材

 教材について、「ユネスコ教育勧告」には「加盟国は、すべての教員および学習者が、本勧告に規定された主導原則が盛り込まれた、マルチメディア・コンテンツを含む質の高い教授と学習の教材・リソースにアクセスできるよう取り組むべきである。 / これらの実物およびデジタルフォーマットの教材へのアクセスは、オープンな教育リソースの共有をすすめることや実際のおよび / またはデジタルのリソース・センターを設置することによって促進される。」(第35項)と記載されおり、各国で「ユネスコ教育勧告」を広めるための教材開発が期待されています。ここで紹介する教材開発はこうした勧告文の要請に応えようとする試みであり、国連のメッセージと学校内外の教育現場とを架橋するための事業でもあります。このシリーズの「その1」(Vol.50)及び「その2」(Vol.51)で述べたように、この勧告の標題にESDが明記されていますので、自然環境のみならず、人権など社会的な側面にもフォーカスを当てたこの教材はESDに対する見方にバランスをもたらす効果も期待できるでしょう。

カード型教材の概要

 条約や勧告などの国連文書を教える際、通例は、抽象度が高く形式ばった文章に解説を加えて伝えることが少なくありませんでした。そうしたやり方も重要かもしれませんが、実際に教育を変えていく効力をもたらすには、より広く理解してもらえるような工夫が求められると言えます。
 そこで上記の事業では、伝統的な教材とは異なる、複数の問いを用いて対話を重ねるカード型教材の作成に挑みました。「学びとESD!」Vol.51で述べた「14の主導原則」の1つ1つに焦点を当て、カードの(おもて)面では簡潔な意訳(導入文)を載せ、そこからこぼれ落ちてしまう知見や視点を補完したり、他者との対話を通して理解を深められたりするように、1枚のカードにつき3つずつの問いを付置しています。さらに裏面では原文(英文)の該当箇所を、その日本語訳とともに掲載し、必要に応じてさらなる関連の情報を二次元コードで加えています。さらに、「ユネスコ教育勧告」に親しみをもってもらえるようにイラストも加えてデザインし、計42の問いを含めた15枚(表紙も含む)のカードができました。
 一例を挙げてみましょう。14の主導原則の1つ1つのキーワードについては「学び!とESD」Vol.51を参照していただくことにし、ここではその中の1つである「ライツホルダー」を取り上げます。「ユネスコ教育勧告」におけるその文章は次のとおりです(*3)

人種、皮膚の色、世系、ジェンダー、年齢、言語、宗教、政治的意見、 民族的、種族的 (ethnic) および社会的出身、出生に関わる経済的・社会的条件、障害、その他いかなる背景にかかわらず、国際人権法で規定されているように、 教育において、また教育を通じて、差別されないこと、インクルーシブであること、公正であることを確保し、同時に学習者を権利をもつ者 (rights-holders) としてエンパワーする。

 このままでは理解は容易ではないので、この教材では次のように意訳をしています。「どんな違いがあろうとも / だれもが差別されない権利をもっている / 学びによってすべての人を『権利をもつもの』として力づける」。
 人種や皮膚の色など個々の用語についてはいっさい省き、条件抜きで差別は許されないという気骨なメッセージをシンプルに伝えるように意訳されています。形式的なステートメントを親しみやすいものにする効果を狙った導入部分です(図1参照)。
 さらに、勧告文のエッセンスを理解するための3つの問い、すなわち「何気なく偏見をもったり差別したりしていた自分に気づいたことはありますか?」という身近な問い、「なぜ偏見や差別は生まれるのでしょうか?」という根本的な問い、さらに「学習者の誰もが、自分が「権利をもつもの」なんだと自覚できるようになるためには、どうずればよいのでしょうか?」という行動を促すような問いが載っています。
 これらを4〜5人ほどのグループで各質問に答えながら対話を重ね、1つ1つの原則に対する理解を深めていくという構成です。ちなみに、上記のカードには裏面に追加情報として、国内外の政策に関連する情報、すなわち「子どもの権利条約の考え方」に関するURLと、「こども基本法」に関するURLにアクセスできるようにしています。

図1 カード型教材(表面)図2 カード型教材(裏面)

 これらの教材を使用して試験的に行ったユネスコスクールでの教職員研修では、次のような声が聞かれました。

  • 世界で求められている教育の方向性がどのようなものであるのかを知ることができた貴重な機会でした。それをただ知識として学ぶだけでなく、話し合いの中で体験的に学んだのも意義があったと思います。
  • やはり問いの形は大切だなと感じました。今回の議論は生徒たちとの話し合いや授業の中でも活用できそうです。
  • 14のエッセンスについて自分のグループで話し合わなかったものについて、他グループの発表を聞けて、少しでも理解を深められたことはよかったです。

 さらなるカード型教材の詳細については、参考文献の1.にアクセスしてみて下さい。解説文と共に実際のカードをダウンロード及び印刷できるようになっています。次号では、こうした教材と教員や職員等を対象にした研修の課題を含めてお伝えしたいと思います。

*1:詳細は次の英文サイトを参照のこと。
https://articles.unesco.org/sites/default/files/medias/fichiers/2024/09/Road%20Map%20for%20Asia-Pacific%20of%20the%20UNESCO%20Recommendation%20for%20Peace_Human%20Rights%20and%20Sustainable%20Development_0.pdf
*2:文部科学省による「令和6年度ユネスコ活動費補助金」によって実施された「『ユネスコ教育勧告』普及のための教材開発及び教員研修モデルの構築」事業(聖心女子大学及び日本国際理解教育学会(協力団体))として実施された。
*3:ここで用いる邦訳は参考文献2.の暫定訳からのものである。