「文化の舌」と図画工作・美術

 先の見えにくい世の中、様々な人々から「これから何が大事ですか」と尋ねられます。「グローバルに展開する中では、違いや独創性が問われます。それをつくりだすのは、自分たちの『文化の舌』でしょう」と話しています。

地元の舌

 私の郷土、宮崎では「地鶏の炭火焼き」が有名です。炎を上げながら、骨付きのモモ肉を一気に焼き上げます。そのままかぶりついてもよし、切ってたべてもよし、炭の香りと鶏のジューシーな味わいが特徴です。
 他の土地でも「地鶏の炭火焼き」は食べられます。それはそれで美味しいのですが、どこか違和感があります。どうしても「これじゃない感」が残るのです。
 理由は私が宮崎出身の人間だからでしょう。「地鶏の炭火焼き」は宮崎の人々の「地元の舌」と密接に関係しています。「地元の舌」は、海や山の恵みが豊富な土地、全国有数の農産物生産地、香りや味に対する好みなど、様々な資源から構築されています。
 「地鶏の炭火焼き」はこの「舌」から生み出されました。当然、宮崎で提供される「地鶏の炭火焼き」には「地元の舌」にふさわしい味が求められます。それが、他の地域で出される「地鶏の炭火焼き」との微妙な違いになるのでしょう。
 「博多のとんこつラーメン」「広島のお好み焼き」「仙台のバラ焼き」なども同じです。「地元の舌」に鍛えられた「地元の名物」が、その土地ならではの味を醸し出すのです。

文化の舌

 同じことが食以外の文化にも当てはまります。
 例えば、私たちは、庭や植物に詳しいわけでもないのに、洋画に出てくる日本庭園の微妙な違和感に気づきます。着物を着たり、仕立てたりした経験がないのに「着物の着方は正しいか」「場の雰囲気と合っているか」などが分かります……。いずれも長年の経験を通して形成された、いわば文化的な「舌」のおかげでしょう。
 「日本人でないと分からないのだ」と強調したいわけではありません。独立して存在する文化は一つもなく、私たちの文化も、これまで取り入れてきた多くの文化によって成り立っています。日本茶は海外で流行っているようですし、国内で行われる盆栽の世界大会には海外の愛好家やバイヤーが大勢集まります(※1)。文化の多様性、文化の融合や調和などは今後ますます大切になる視点です。
 ただ、我が国の伝統や文化に関わる作品や演奏などが、それを理解する多くの人々によって支えられてきたのも事実です。文化が生み出された気候や風土を味わい、歴史や社会を感じ、そこで培われた感覚や感性を共有する人々の「文化の舌」こそが、文化的な質や水準などを保証しているのです。

図画工作・美術と「文化の舌」

 「文化の舌」という観点から、図画工作の題材を検討してみましょう。

画像1:日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作 5・6下』p.10-11

 第6学年の教科書に「墨と水から広がる世界」という題材があります(画像1)。墨のかすれやにじみなどを生かしながら、動きや構成、空間や奥行きなどを表現する学習です。
画像2 学習過程に目を向けたとき、例えば、子どもが濡れた紙に墨を一滴置いて、そこで広がるにじみに「これ、いいな!」と思った瞬間、その子の背後に書道や美術の文化が広がっているはずです(画像2)。同じように、筆のかすれにカブトムシを見付けたときに夏休みの昆虫採集が思い起こされ(画像3:作品画像)、筆のぼかしに木々を感じたりしたときに霧や雨の多い気候が(画像4:作品画像)立ち上がるのでしょう。

画像3:ヘラクレスオオカブトの戦い画像4:のどかな風景

 造形活動は生態系のような文化的ネットワークによって成立します。子どもたちの一瞬一瞬は、自分自身に働いている文化との対話であり、その表現を通して感覚や感性を育んでいるのです。
 学習指導要領の解説書には以下の説明があります。

 我が国の伝統や文化について取り扱う場合は,人々が前の世代から受け継ぎ,維持,変化させながらつくりだしてきたことや,生活の中で今も生きて働いており自分たちの感じ方や見方を支えるものであることを踏まえる必要がある。自分たちのよさを再発見するような視点で行い,これを大切にしたり,芸術や自然の美しさを味わったりしていこうとする態度の素地となることが重要である。(※2)

 我が国の伝統や文化は子どもたちの感じ方や見方の中にしみこんでいます。同時に、その感覚や感性によって我が国の伝統や文化は成立しています。伝統や文化を取り扱うときには、それを特別なものとせず、身近であり、常に生きて働いている機能としてとらえていくことが大切なのかもしれません。

※1:『「世界盆栽大会 in さいたま」大盛況レポート! BONSAIはすでに世界的アートでした』 https://www.ark-gr.co.jp/blog/sekai-bonsai-taikai2017/ 2017.6.12
※2:文部科学省「第5学年及び第6学年 「B鑑賞」(1)ア」『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編』98p

教科書と図画工作

教科書とは

 教科書(※1)は、子どもたちが用いる中心的な学習教材です(※2)。義務教育無償の精神を実現するために、国が購入し、子どもたちに無償で給与されています(※3)
 教科書は学習指導要領や学習指導要領解説などをもとに作成されます。学習指導要領に込められた願いや目指すべき姿、学習の方法や評価などが具体的な形で実現されています。教科書をもとに授業をすれば学習指導要領を外れることはありません(※4)。どの教科の、どの出版社の教科書も、安心して使用できます。そのうえで、先生たちは適切に教材を活用しながら学習指導を進めています(※5)。日本において、全国的な教育水準の維持向上と教育の機会均等が図られている理由の一つには、良質な教科書があるからではないでしょうか。

教科書と教材

 教科書には様々な教材が掲載されています。教材とは内容的な素材のことで、長い間、様々な検討や批判を経て、現在の内容にたどりついています(※6)
 時代とともに次々と生まれますが、消えたものもあれば、何度も繰り返されるものもあります。国語の「ごんぎつね」や「大造じいさんとガン」などは今も多くの教科書で用いられています。これらの教材が日本の子どもたちの感じ方や考え方に与えた影響は大きいでしょう。
 図画工作も同様です。図画工作の時間に、粘土や木、絵の具など多様な材料・用具を用いた経験は、多くの人々が共有しています。それは日本人のモノづくりに対する感性の形成に役立っているのではないでしょうか。
 教材を通して、子どもの感じ方や考え方、日本人の感性などが育てられているとすれば、教材の塊である教科書は、単に水準の維持や機会均等以上の意味があるように思います。

教科書と題材

 教材は、それだけでは学習になりません。目標や方法、学習計画や評価などと一緒に「単元」という「学習活動のまとまり」になって、はじめて教材として成立します。
 図画工作では「単元」を題材と呼んでいます(※7)。教科書を開いたときに飛び込んでくる見開き2ページを題材だと考えてよいでしょう(※8)。そこには、子どもの作品だけでなく、学習へ案内してくれる題材名、育む力を示す「三つのめあて」、子どもの姿を見せる活動の写真、作品へのコメントや子どもの言葉、材料や用具、学習後の評価のポイントなど様々な要素が組み込まれています。
 そのため、教科書を開いたらすぐに「ああ、この題材は、このような目標で、このようにスタートして、このように終わるのだな」「こんな作品ができて、こんな力がつくのだな」など、学習の全体が分かります。子どもだけでなく先生にも分かりやすい構成になっている教科は他になく、図画工作・美術教育がたどり着いた一つの安定形だと思います。

■日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作』 内容解説動画
「主体的な学びを支える『学習のめあて』」
北海道教育大学岩見沢校教授 阿部宏行先生

題材の豊かさ

 仕事柄、工夫して開発された「すばらしい題材」に数多く出会います。ただ、誰がやってもうまくいくかというと必ずしもそうではありません。実践してみると子どもが動けなかったり、現代的で新しいのに子どもがついてこなかったりします。題材は、案外、教師の個性や児童生徒、学校や地域の実態に頼る部分が大きいのです。
 一方、教科書に掲載されている題材は、おおむね誰もが安心して取り組めます。極端に言えば、ページを開いただけで子どもが動き出しそうな感じです。それはなぜでしょう。
 教科書は、教育現場の実践に詳しい研究者や先生などが協力して編集します。まず、何年も教育現場で実践され、鍛えられたものの中から、題材が選ばれます。次に、学習指導要領との関連が十分に検討されます。絶対に変わってはいけない不易の部分を大切にしながら、一方で時代や子どもたちの状況に応じて変化しなければならない部分を確かめます。目標、材料、用具、評価、何より子どもたちが流れるように学習できるのか、、、様々な点から妥当性が検討されます。その精錬の結果が、一つの題材となるのです。
 誰もが取り組めるけど、豊かな学習活動が展開する。それが教科書に掲載されるべき題材であり、教科書の生命線でしょう。その研究と実践の歴史が一冊の教科書になっているといっても過言ではないと思います。

■日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作』 内容解説動画
「題材ページを授業で活用しよう」
鳴門教育大学教授 山田芳明先生

教科書と写真

 図画工作科の教科書の大きな特徴が、子どもの活動を撮影した写真です。昔の教科書では作品だけが羅列されていたものですが、今は作品とともに3~10枚程度の子どもの写真が掲載されています。その理由は、現在「作品を通して資質や能力を育成すること」が重視されているからでしょう。
 教科書に掲載されている写真を見てください(画像1)。作品と一緒に笑うだけの「記念写真」は、ほとんどありません。一枚一枚が、今まさに、その子が感じ考えている「意味ある写真」です。

画像1:日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作 3・4上』p.22-23

 そのため、子どもがどのような資質や能力を発揮しているのか、写真を見ればとらえることができます。吹き出しやコメントも参考にしながら「このような場面を授業中に大切にすればいいのか」「この様子を評価すればいいのだな」などが分かります。
 授業の前に、作品をチェックするだけでなく、写真からどのような資質や能力が発揮されるのか考えるのは授業の準備として有効でしょう。

■日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作』 内容解説動画
「子どもの心を動かす写真」
群馬大学教授 林耕史先生

教科書と〔共通事項〕

 前回の改訂で、図画工作・美術の内容には〔共通事項〕が加わりました。どんな場面でも共通に働いている資質や能力であると同時に、先生たちの学習指導の手掛かりとして示されました。
 今回の改訂で、〔共通事項〕は三つの柱にそってより明確に整理されました。小学校では、形や色などの造形的な特徴に関する「知識」と、「思考力、判断力、表現力等」にかかわる自分なりのイメージの二つに整理されました。中学校では、形や色彩などの性質のみならず、自他のイメージも知識として扱えるようになる発達の特性を踏まえて「知識」として整理されました(※9)。ただ、〔共通事項〕を文字として理解することは難しい面もあります。

画像2:日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作 5・6下』p.10

 教科書から、〔共通事項〕を理解するという方法もあります。例えば、「三つのめあて」に「墨と水のつくる形や色のとくちょう」と示されている題材があります(画像2)。教科書を見ると、墨と水で生まれるにじみ、墨が垂れる独特の動き、筆先の使い方を工夫したギザギザの線など、子どもが自らの感覚や行為を通して生みだした造形的な特徴が紹介されています。それによって、この題材で取り扱う知識が、視覚的にとらえられます。あるいは、「さわる」「ならべる」「組み合わせる」など、子どもたちが自らの感覚や行為を通して形や色などを理解するページもあります(画像3)。

画像3:日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作 3・4下』p.34-35

 「学習指導要領の内容を、ビジュアルに展開された教科書から理解する」それも教科書活用の方法の一つでしょう。

■日本文教出版 2020年度版教科書『図画工作』 内容解説動画
「発想が広がる『ひらめきポケット』」
横浜国立大学准教授 大泉義一先生

 学習指導要領は20年、30年後の未来を見つめて作成されています。20年、30年後に活躍し、未来の社会を創り出しているのは、今の小・中学生だからです。教科書も同じでしょう。教育こそが未来を創る、その願いを共有して教科書を活用したいものです。


※1:正式には「教科用図書」
※2:「教科書は教育活動の中心的な教材として、子供たちの教育に重要な役割を担っています。我が国の教科書制度は、検定制度と無償給与制度を柱として運用されており、関係者の努力によって、毎年質の高い教科書が安定して供給されています」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/main3_a2.htm
※3:教科書無償給与制度
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901/1235098.htm
※4:「我が国の学校教育においては,各学校が編成する教育課程の基準として文部科学省が学習指導要領を定めており,教科書は,この学習指導要領に示された教科・科目等に応じて作成されています。」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/010301.htm
※5:前掲註5
※6:粘土や画用紙、道具、標本、栽培用植物、資料、副読本、ドリル、物語や音楽など、学習に用いられるすべての材料が教材といえます。本稿では教材という言葉を単元や題材などと区別して用いています。
※7:単元と題材の違いについては、学び!と美術<Vol.47>「図画工作の授業(2)~指導案の書き方」
※8:複数ページや1ページなどの場合もあります。
※9:もちろん、ここでいう「知識」は、「色の三属性を暗記する」ような「事実的な知識」ではありません。答申では、各教科等で習得する知識は「個別の事実的な知識のみを指すものではなく、それらが相互に関連付けられ、さらに社会の中で生きて働く知識となるものを含む」(『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』平成28年12月21日、中央教育審議会28-29p)と示されています。言い換えれば「ネットワーク化した構造的な知識」「意味理解を伴った知識」「転移性の高い知識」としてとらえることが求められているのでしょう。今回の学習指導要領が示す「知識」は、年号を「イイクニ鎌倉」と覚えた世代の知識観とは異なることがポイントです。旧来型の知識観を振りかざした「知識アレルギー」にならないことが肝要かもしれません。

美術館を開く~台湾、北師美術館の挑戦~

 「かつて美術品は地域の中にありました。地域全体を美術館と考えてはどうでしょうか?」
 宮崎県立美術館の学芸員だったころ、とある美術館の学芸課長から学んだことです。今回、台湾調査でその現代的な事例を知ることができました。

美術館に収蔵されるのは美術品だけではない

 本来、美術品は地域の中で保有されていました(※1)。掛け軸や屏風、茶器や仏像、刀剣などは、それぞれの家や蔵、神社等に保存されていたわけです。同時に、それらの美術品をいつ入れ替えるか、修復はどこに頼むのか、誰から購入するかなどのノウハウも地域にありました。
 ところが「美術館」が生まれると、地域の代表的な美術品は美術館が購入したり、寄贈や寄託されたりします。同時に、保存や修復、展示や購入などの美術品に関するノウハウやネットワークも「収蔵」されます。その証拠は、私たちの周りから「床の間の掛け軸をいつ替えるべきか」「保存に適した場所はどこか」などの知識やスキルなどが消えていることで証明できるでしょう。
 これは学校によく似ています。学校は勉強を教える場所として明治時代に生まれ、貴重な働き手であった子どもたちを昼間、一時的に預かります。そして、いつの間にか、勉学だけでなく道徳心、礼儀作法、躾や掃除などもつかさどる空間になっていきます。学校は、子どもに関するあらゆるノウハウやネットワークを「収蔵」するシステムでもあるのです。
 仕事や学問などを細分化、分業化していく近代化のせいなのですが、そうなってしまうと、逆に学校や美術館を地域に開くための取り組みが必要になってきます。学校ではPTAや学校評価委員会、地域開放イベント等、美術館ではボランティアや外部団体との連携等が組織されることになります。ただ、簡単な実践ではなく、組織、個人など様々な面でいろいろ難しいことがあります(※2)

台湾美術館を開く

 今回、科研の台湾調査(※3)で印象に残る実践に出会いました。国立台北教育大学北師美術館のOPMプロジェクトです。それは、美術館の保有する美術品を、ノウハウごと美術館の外に持ち出してしまう取り組みでした。
写真1 A.Busti「Bresciaの戦い」レリーフ(ミラノ公爵の墓所装飾) 1515年 北師美術館は、故宮博物院長から国立台北教育大学に復帰した林曼麗館長が中心となって2012年に設立された比較的新しい美術館です(※4)。「人間の存在や価値が大事。教育のわかる美術館にしたい(林談)」という言葉通り、教育普及を中心に、実験的な展示と手法による実践を続けています(※5)
 OPMはOne Piece Museumの略です(※6)。美術館が収蔵する「ワンピース」を学校などに展示し、美術館の支援を受けながら、美術史、教育、展覧会などの活動を展開するものです。
 林先生の考えは「美術館は倉庫だが、保存には金がかかる。保存するより、ばら撒こう」でした。ちょうど手元には、メトロポリタン美術館が放出した19世紀の石膏像や石膏型(※7)がありました(写真1)(※8)。そこで、学校と美術館が協力してこれを活用する空間を学校につくりだす取り組みがはじまったのです。
写真2写真3 例えば、まず学校が主体となって石膏像や石膏型などを選びます。次に、学校で展覧会や展示室を企画します。美術館は、その内装、デザイン、展示方法、開会式のノウハウなどを提供します。学校の教員を対象にした研修会も必須です。美術館が講師を提供し、作品の修復や、作品にまつわる美術史などについて学びます(※9)。それらの結果として、子どもたちが石膏像を通して、文化財の修復や歴史などを学ぶ総合的なカリキュラムや、石膏像や石膏型と一緒に子どもたちの作品も一緒に展示される学校美術館などが生まれるというわけです(写真2、3、4)。
 学校との連携は個別的で、パッケージ化はされておらず、個別的で、1年で終わるものもあれば、ずっと続くものもありますが、おおむね、一つのプロジェクトに2、3年かかるそうです。気になるのは経費ですが、各学校が地域の教育委員会や企業に働きかけて用意するそうです。OPMを通して学校自身が強靭化される側面もありそうです。現在、OPMは好評で、学校だけでなく新台北市の文化局などからも申し込みが相次いでおり、商業施設内にある北師美術館の分館をOPMのセントラルキッチンとして機能させていく計画だそうです(※10)。(写真5)

OPMの哲学と21世紀の美術館像

写真4写真5 たった1点であっても、方法次第では多くの人々に美術が役立つというOPMプロジェクト、その背景には、美術館と学校教育を貫く哲学があるように思います。
 歴史を振り返れば、美術館はクローズな王侯貴族のコレクションでした。その後、18世紀の啓蒙的な美術館、19世紀の文明儀式としての美術館、20世紀の社会教育的美術館と、次第に開放的な公共空間へ変化します。その過程で、美術館は排他性より包容性が求められるようになり、関心の対象は収蔵品という「モノ」から、来館者へという「人」に移ります(※11)
 教育も、一部のエリートが獲得する資源という位置づけから、万人が平等に参加できるシステムに変化し、現在は、一人一人が能力を十全に発揮し、創造的に生きる力を身につけることが求められています。台湾のナショナルカリキュラムも日本同様に、子どもたちに創造力、思考力、探求力、コミュニケーション力などをつけようとしています。その手段の一つとして美感教育が重視されていますが、北師美術館は新しい学校の連携としての美感教育基地を目指しています。
 林館長は「21世紀の美術館は、知識の創造と価値の革新が求められる」と指摘しています。北師美術館は「夢をつくる場所としての美術館」であり、「無限の可能性を持つ未来を、美術館が創造する」のが願いだそうです。それは、現代の日本においても、学校と美術館の双方を貫く共通のテーマであるように思います。


※1:もちろん「何が美術か」については「まなざし」の問題で別の議論となりますが、本稿では取り上げません。
※2:一部の人々の特権化や組織的な協力の困難、参加の在り方などが問題になっています。
※3:基盤研究(B)「美術館の所蔵作品を活用した探究的な鑑賞教育プログラムの開発」 研究代表者:一條 彰子、研究分担者:寺島 洋子、室屋 泰三、東良 雅人、奥村 高明(2016~2019年度)。今回の台湾調査のリサーチ・コーディネーターは端山聡子横浜美術館主任学芸員。
※4http://montue.ntue.edu.tw/study
※5:私たちが訪れたときは、京都の大学美術館と連携した『京都・大学博物館連盟特展「京都好博学!」』が開催されていました。http://montue.ntue.edu.tw/study/show/31。日本と台湾の大学に残る講義資料や教材掛図、教具など多様なコレクションを用いて「大学の美術館・博物館とは何か」「台湾の歴史や民族文化、アイデンティティとは」などを問い直す展覧会です。それぞれの来館者が価値を発見できるようにするために、展示物からキャプションをなくし、代わりに入口に作品解説カードを置いて、このカードをコレクションしながら鑑賞する展示スタイル(人の収集的な本能を刺激し主体的な体験を組織する方法)をとっていました。
※6http://montue.ntue.edu.tw/onepiece
※7:啓蒙が目的だった創成期の公共美術館では、その収蔵品は石膏像がほとんどでした。「本物」が購入できるようになると、不要になった石膏像は世界中に「輸出」されます。東京芸術大学の石膏室にある石膏像は出自がはっきりしていますが、そのほとんどが明治40年代から昭和ひとケタに、ボストン美術館、ルーブル美術館、大英博物館とそうそうたる美術館から輸入したものです。北師美術館の収蔵品は、最近メトロポリタン美術館が放出したものです。世界中の多くの美術館に声がかけられたそうですが、北師美術館も120点程度を受け取り、11点を選定して2012年に第1次修復を行い、その後、2013年からは東京芸術大学の森純一先生の指導の下に学生と修復をするプログラムを取り入れ修復、展示を行っています。
※8:写真2、3は林曼麗館長のOPMの説明資料より引用。写真1、4、5は調査による写真。
※9:林先生は「美術館に児童生徒がくるという関係を逆転させ、美術館と学校で共同作業を行う」「美術館にたくさんの学校がくるのではなく、美術館がたくさんの学校に出かければいい」と述べています。昔から言われてきたことですが、なかなか実現できることではありません。
※10:商業施設内にある新板橋ギャラリー(台湾の商業建築の中には行政機関が使用できる空間が建蔽率で決められている)。文化財保存をテーマに展示やワークショップを行っています。
※11:林曼麗館長のOPMの説明資料より引用。

「おえかき」が「壁画」に!~第3回フィリピン・カシグラハン調査報告~

 フィリピン、カシグラハン地区での「おえかきプログラム」調査(※1)も足掛け4年。低学年だった子どもたちも、もう中学年。今回はNPOソルトパヤタスの支援のもと、子どもたちが「壁画」に挑戦します!

壁画に残したい!

 2月初旬、共同研究者の真野先生からメールが届きました(※2)。調査協力校KVES Unit 1の校長先生(※3)からの申し出です。
 「おえかきプログラムに参加した子たちに、校舎の壁に絵をかいてほしい。ソルトパヤタスのプロジェクトの足跡を永久に残したい」
 なんと光栄な話でしょう。同時に普通の壁画とは違うアプローチが必要だとも感じました。

  • 本プロジェクトの目的は「子どもの学力向上」です。下絵を決め、部分を分担してかく内容ではプロジェクトの目的と合致しません(※4)。壁画をかいている時間にも子どもは成長します。現場で、子どもの学力が伸びていくような実践であるべきだと思いました。
  • 壁は、その前を子どもや親など多くの人々が通り過ぎます。通る人々は立ち止まって、子どもの発想に共感し、技能の伸びを感じ、教育の大切さに気付いてくれるのでしょうか。それを少しでも実現することが、他ならぬ子どもたちが壁画をかく意味だと思いました(※5)

 日程的に、子どもたちのかく時間は数時間程度しかありません。そこで、2年前に実施した「おえかきプログラム」の中から題材を選ぶことにしました。子どもたちに経験がありますし、「おえかきプログラム」の題材は20分程度で終わるように作られています。壁画で実施したとしても、何時間もかかるわけではありません。「魔法のタネ」、「アルファベットで動物」など、複数の案を提案しました。
 実際の交渉や準備、進行などは真野先生とソルトパヤタスの現地スタッフが進めました。KVES Unit 1の本校KVES Mainでも実施したいと希望があり、二人の校長先生にコンセプトを概ね理解してもらったそうです。
 でも「よくある壁画ではないので理解してもらえるかな…」「果たしてうまく展開できるかな…」など不安を感じながらフィリピンに向かいました。
 着いた翌日、校長先生と打ち合わせを行い、目的やねらいを説明し、快諾をいただきました。次に壁の大きさや表面、参加人数、使える時間などを確認し、題材は「魔法のタネ(※6)」にしました。期待するメリットは以下です。

  • 発想を楽しむ中学年にふさわしい題材である。
  • 「造形遊び」的な側面があり、子どもたちがそれぞれの思いで展開できる。
  • 植物が伸びるように絵が展開するため、鑑賞者が発想の変化や技能の伸びなどを追体験することが容易である。
  • すでに実施しているため、ソルトパヤタスと指導のイメージが共有しやすい。

 その後、スタッフと「魔法のタネ」を机上で実施し、「子どもの発想を認めるように言葉をかけること」「安全に配慮すること」など指導方法や配慮事項などを確認し、ペンキや梯子の準備物の追加を行って、翌日を待つことにしました。

さあ、壁画に挑戦!

写真1 実施一日目、最初の学校、KVES Unit 1の壁は階段の踊り場です(写真1)。
 学校についたら、まず壁面の下部に種をかきました。形は、フィリピンの名産ココナッツをイメージしています。色は、何かが生まれるマグマのような赤にしました。
 「これはね、魔法のタネ、ここから不思議な植物が伸びてくるよ…何が出てくると思う?どんな色かな、どんな形かな?」
 子どもたちは、説明を受けるとすぐにかきはじめました。なかなかかき始めなかった低学年の頃と大違いです。
 植物が伸び始めると、光のような植物が生まれたり、ロケットが登場したりするなど、すぐに自分らしい展開になりました。
 しばらくすると、友だちの実践を取り入れはじめます。現地校の先生たちも一緒に参加してくれましたが、そのかき方を取り入れる子どももいました。
 想定よりも早く「植物」は育ち、開始から45分程度で壁の上まで届きはじめました。

写真2写真3写真4

 難しいのは、止めるタイミングです。一般的には、

  • 子どもたちが疲れた様子を見せる
  • 線や面が荒れてくる
  • 6割から8割の手が止まり始める

などがサインとなります。
写真5 壁面の限界と、子どもたちの様子を見て「もう時間ですよ」と伝えましたが、やる気スイッチの入った子どもたちは中々やめてくれませんでした。完成した様子が写真5になります。
 実施二日目は、本校KVES(Main)。今度は、子どもたちが登校時に通る校舎の壁です。
 前日の反省をもとに、ソルトパヤタスが、袋でつくったスモックやビニールの手袋、たっぷりの水(※7)、幅の狭い筆などを用意してくれました。
 展開は、前日とほぼ同じでしたが、発想そのものを楽しむ子どもたちの多かったKVES Unit 1に比べると、重色や立体感など丁寧に技能を開発していく傾向が見られたように思います(写真6~10)。筆などの学習環境の違いによるものだろうと思います。

写真6写真7写真8

写真9写真10

新しい「ぼく、わたし」

 本題材は、ジャズやロックのインプロビゼーションのような即興性が特徴です。即興性は日本の図画工作の教科的な特徴の一つです。「造形遊び」を筆頭に、図画工作の多くの題材に取り入れられています。子どもたちは、友だち、先生、絵の具、壁、空間、光など、そこにある学習資源の全てと対話しながら、表現します。発想の上に発想を重ね、技能から技能を生み出し、その場でプランを組み立てながら、表現を展開させていきます。
 同時に成立するのが「ぼく、わたし」です。「ぼく新しいかき方見つけたよ」「私の花すてきでしょう」など新しい発想や技能の開発が起こるということは、そこに新しい「ぼく、わたし」が生まれたということです。
 ポイントは、「ぼく、わたし」が、「学習資源と相互行為して能力を発揮した」と考えないことです(※8)。友だち、先生、絵の具、壁など、その子から見える学習資源の全体が「ぼく、わたし」です。表現と自分は、その拡張した空間において、同時に成立するのです。その繰り返しが成長だろうと思います。
 横浜国立大学の有元先生は、発達を以下のように定義づけています。

(前略)自分の外で、自分の意思で統御できない他者・世界と共に、自分の輪郭を越えた振る舞いをするうちに、やがてそうした自分が「この自分」というものになっていくプロセス(中略)自分の輪郭がいやおうなく描き直されていく、この自分の外に開かれた共同を、発達と呼ぼう(※9)

 私たちは誰一人として、あらかじめ決められた存在ではありません。そのつどの状況、環境、使用可能な資源などによって変化する可変的な存在です。学びにおいて、子どもや先生は、常に新しい自分になることが開かれているのです(奥村2018)(※10)
 今回の実践で、それが叶ったのであれば、きっと壁の横を歩く友だち、学校に来た親なども、成長や発達、教育などについて考えてくれることでしょう。地域の教育を改善したいという願いから始まった本プロジェクト、その目的に少しでも近づければ幸いです。


※1:本調査は、NPOソルトパヤタスと、アジア開発銀行チーフエコノミスト澤田康幸先生、慶應義塾大学総合政策学部中室牧子先生、一橋大学経済学研究科真野裕吉先生達が中心になって進めています。現時点では、低学年「おえかきプロジェクト」、中学年「読み聞かせ」、高学年「Eラーニング」の介入を実施し、「親には教育の重要性を伝えるとともに、子どもの進学に備えて貯蓄を促し、子には教育プログラムを実施するグループ」「子どもに学習プログラムを実施するグループ」「何も実施しないグループ」で、学力や生活態度などの変化をランダム比較試験(*)という方法で調査中です。筆者の担当は「お絵かきプロジェクト」のプログラム開発です。クレヨンと紙だけでできる比較的簡単な「魔法のたね」「クレヨンでおしゃべり」など20以上のプログラムを実施しました。
*ランダム化比較試験(RCT:randomized controlled trial)とは、ある介入(試験的操作)を行うこと以外は公平になるように、対象の集団を無作為に複数の群に分け、その試験的操作の影響・効果を測定する。http://jspt.japanpt.or.jp/ebpt_glossary/rct.html
これまでの経緯は、以下で報告しています。
学び!と美術<Vol.43>「フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性」(2016.03.10)
学び!と美術<Vol.53>「おえかき」から学力を伸ばす ~フィリピン貧困地域カシグラハン調査報告:第2回~」(2017.01.10)
※2:今回のプロジェクトのコーディネイトは一橋大学真野准教授です。
※3:調査対象校の一つ、カシグラハン地区の公立小学校KVES Unit 1。
※4:それは手順がしっかりして、先も読めますが、あまりに作業的過ぎます。
※5:「まあ、きれいね」であれば、大人が描けばいい事です。「すべて先生の指示通りにかかせる壁画」でも無理なことです。大人の思う「子どもらしさ」や「たどたどしさ」を愛でるような壁画も避けたいところです。
※6:「魔法のタネ」に似たアプローチを持つ教科書題材に、低学年「ふしぎなたまご」、中学年「まぼろしの花」などがあります(新版教科書日本文教出版より)。
※7:この時期、カシグラハンは取水制限と水不足だったのです。
※8:評価や法的には全くそうなのですが。
※9:香川秀太・有本典文・茂呂雄二 編著『パフォーマンス心理学入門 共生と発達のアート』新曜社(2019)144p
※10:奥村高明『マナビズム―「知識」は変化し、「学力」は進化する』東洋館(2018)64p

高齢者アートで才能開花?

 以前から、生涯学習の名のもとに高齢者を対象にした美術的な取り組みが数多く行われています。ただ、医療面の改善や福祉的な効果が中心的に語られ、彼ら自身の可能性に関する言及は少ないように思います。そんな中、「ICTの活用を通して、高齢者の才能を発揮させる」という実践に出会いました。

ただの「ぬり絵」が、タブレットPCを使ったら…!

写真1 シニアの学びを提供するのは、元ソニーの技術者草野将さん。テレビやプロ用ディスプレイ、世界初・曲面型有機ELテレビの開発などに関わってきました。現在「あのころコミュニケーションズ」代表として、高齢者が様々な方法でシニアライフを楽しめる活動を行っています(※1)
 草野さんに紹介されたのは、お手本の絵を輪郭線にした画像にタブレットPCで色をつける「ぬり絵」です(写真1)(※2)
 驚いたのは、重色や強調、筆のタッチなどを工夫した「表現」でした(写真2~3)。少なくとも、単純に、お手本通りに塗る「模写」ではないようです。
 「最初は、色鉛筆を使って塗っていました」
 ただ、高齢者には鉛筆を一定の角度で持ち続ける指の力、鉛筆の動きをコントロールする腕の力、塗り込む筆圧などが問題となり、多くの人がうまく描けなかったそうです。
 「タブレットPCを取り入れることで、身体的な問題は解決しました」
写真2 確かに、タブレットペンを握れれば、色を塗ったり線を描いたりするのは容易です。線の太さや筆先のかすれ具合をアプリケーションで選んだり、多くの色から自分の好きな色を選んだりしながら描けます。色ごとに鉛筆を持ち替えたり、色に制限されたりすることもなくなります。
 その結果、高齢者の能力が十全に発揮され、点描を繰り返したり、筆のカスレを生かして重色したりと、一人ひとり違った表現が成立したのではないでしょうか。

感性や創造性の成長を保証する身体拡張

 描いているのは、認知症や老化などで「うまく手が動かない」「滑らかに言葉が出ない」人々です。私たちは、そのような人々を見るとつい「頭も衰えている」と捉えてしまいます。でも、できあがった絵を見ると、感性や創造力が衰えたようには思えません。
写真3 草野さんは、「健康寿命には衰えがきますが感動寿命は変わりません。むしろ伸びていくのではないでしょうか」と述べます。引用するのは聖路加国際病院の院長だった日野原重明さんの言葉です。

「僕は最近絵画を習い始めましたが、これがとっても楽しいのです。(中略)何歳になってもこれまで知らなかった自分の姿を知れるということ。それが感動することにつながるのです。(中略)最近僕は「運動不足」より「感動不足」の方が深刻なのではないかと感じています。(※3)

 確かに、身体的に健康ではないからといって、感性や創造性まで不健康だろうというのは変な話です。
 人は数字や数式、言語、車など様々な道具を使います。道具と一緒に考え、道具と一体化して世界を知覚する生き物です。古代には文字や数式、そして鍬や鋤、近年はテレビ、現代はコンピュータ、ドローンやロボット、道具は発展を続けています。ずいぶん前にマクルーハン(※4)が指摘した通り、人間の知覚や思考は拡張を続けているのです。
写真4 その影響を「学び!と美術(2018年12月号)」幼児画のケースで指摘しましたが(※5)、高齢者にも起こっているのかもしれません。身体的な衰えはやってきますが、身体拡張を通して、美的な感性や創造力の成長は可能ではないでしょうか(※6)
 草野さんは、現在、「ICTを活用した高齢者アート事業」を展開しています。できあがった絵を絵葉書やSNSで活用し、感動を共有するつながりを再構築することなどに挑んでいます。いつか、高齢者の感性や創造性の豊かさを証明してくれるのかもしれません(※7)
 人の限界は身体や皮膚ではなさそうです。様々なテクノロジーで促進される人間の拡張が、そのテクノロジーによって立証され、さらに人間の可能性をも拡張させてくれることを期待したいと思います。

※1:草野将、株式会社あのころコミュニケーションズ代表。草野さんに出会ったのは前号で紹介した『ビジネスパーソンもアートを学んだ方が良いですか?』の講演がきっかけです。草野さんや「あのころコミュニケーションズ」については、以下を参照してください。
http://www.anokoro.co.jp
作品発表(小説&エッセイ)や写真整理など様々なワークショップを実施しています。
※2:新おとなのぬり絵教室「ぬり絵セミナー」株式会社あのころコミュニケーションズ。2017年9月から2018年11月までに、実施回数は30回、参加人数は248名(最高年齢:100歳)。主な場所は企業系の高齢者住宅や高齢者向け体操教室など。
※3:日野原重明『生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉』幻冬舎 2017 158p~160p
※4:マーシャル・マクルーハン “Understanding Media: the Extensions of Man” McGraw-Hill 1964。翻訳は、後藤 和彦・高儀 進 訳『人間拡張の原理』竹内書店 1967、栗原 裕・河本 仲聖 訳『メディア論―人間の拡張の諸相』みすず書房 1987
※5学び!と美術 <Vol.76>「子どもの絵の見方 ~田川図画展の実践から~」
※6:以下は、草野さんの紹介する記事です。
https://livepast100well.com/ja/クリエイティブエージング—成長アート/
https://www.artsy.net/article/artsy-editorial-wellness-movement-empowering-older-adults-artists
※7:背景には、人間とテクノロジーが一体化して、人間の能力を拡張させる人間拡張学があるそうです。拡張する能力の範囲は、知覚能力・認知能力・身体能力・存在感や身体システム(健康)まで幅広く捉えられています。視線を認識するウェアラブルコンピュータ、ドローンやロボットによる体外離脱視点を用いたトレーニング支援、人間の体験をウェアラブルセンサーやネットワークにより他の人間と共有・接続する人間=人間接続型テレプレゼンスなどの研究が行われています。ニュースリリース『ソニーと東京大学「ヒューマンオーグメンテーション(人間拡張)学」を始動』
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201703/17-0313/ 2017.3

ラウンド・スケッチ~人気の鑑賞アクティビティ

 仕事柄、学校教育、企業等、様々な場所で講演をしますが、40~50名程度の研修会では少人数を生かして、できるだけアクティビティを取り入れることにしています。本稿では参加者に好評なアクティビティ「ラウンド・スケッチ」を紹介しましょう。

テート美術館「美術館活用術~鑑賞教育の手引き」との出会い(※1)

 ラウンド・スケッチを知ったきっかけはテート美術館の「美術館活用術~鑑賞教育の手引き(※2)」です。2007年に酒井敦子(※3)さんから原書を紹介されました。日本にはなかった本で、混沌としていた鑑賞教育に役立つ本だと思いました。さっそくテート美術館から版権を取得し、2012年出版に至ります(※4)
 「美術館活用術~鑑賞教育の手引き」は学校の先生が教育目的で美術館を活用するためのハンドブックです。美術史、美術館の歴史、鑑賞活動の理論(※5)、アクティビティなどが章ごとに分かりやすくまとめられています。
 アクティビティは例えば火、水、土、空気などの言葉と相性のいい作品を選ぶ「言葉の相性」、お互いに見ていない作品を説明し合う「解釈コミュニケーション」、作品そのものではなく取り囲んでいる空間に着目してスケッチする「周りの空間」などが紹介されています。どのアクティビティも当時日本で行われていない新鮮なものでした(※6)

ラウンド・スケッチの方法

 実際に活用して評判がよいのがラウンド・スケッチです。「美術館活用術~鑑賞教育の手引き」ではドローイング・アクティビティ(※7)の一つ「視点の違い/見方の違い」として紹介されています。

「床の上に、彫刻を取り囲むように紙を置きます。子どもたちは一つの場所から絵を描きます。それから他の場所に移動して絵を描きます。そして最後にそれらの絵を比較します。これは、グループ活動として行うこともできます。子どもたちはローテーションで次の人の絵に行って描き加え、最後に共同制作の感想を述べ合います(※8)

 これを筆者がラウンド・スケッチとして名付け、実施しやすい方法に整理したのが以下です。

(1)彫刻版ラウンド・スケッチ
~彫刻など立体作品の周りを回りながらスケッチする方法
国立美術館「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」2018国立西洋美術館。詳細は http://www2.artmuseums.go.jp/sdk2018/
①彫刻を取り囲むように、人数分の画用紙を置きます(※9)
②最初の1分間は、自分が選んだ一つの場所から絵を描きます。
③1分たったら描くことを中断し、隣の参加者がいた位置に移動します。
④そこにある画用紙を手に取り、描き加えます。
⑤これを繰り返し、最終的に自分の場所に戻ったら終了です。
⑥まとめ~自分の絵を描き加えて完成させる、気付いたことや考えたことについてディスカッションするなどが考えられます。

(2)アートカード版ラウンド・スケッチ
~アートカードを用いてスケッチする方法(※10)

研修会での活用の様子。『ビジネスパーソンもアートを学んだ方が良いですか?』主催(共催)3×3Labfutureアート倶楽部一般社団法人企業間フューチャーセンター(写真・企画協力 阿佐ヶ谷学園TERAPRO)
①アートカードの中から、作品(カード)を一枚選びます(※11)
②最初の1分は、自分の選んだ作品を画用紙に描きます。
③1分たったら描くことを中断し、隣の参加者に作品と画用紙を渡します。
④自分の目の前に来た作品と画用紙を手に取り、描き加えます。
⑤最終的に作品と画用紙が戻ってきたら終了です。
⑥まとめ~彫刻版に同じです。作品を選ぶときにテーマを設けた場合は、それについて話し合うのもよいでしょう。

ラウンド・スケッチの効果

 彫刻版では、彫刻やインスタレーションならではの動勢や空間を多方向から確かめることができます。アートカード版では作品が変わるので、その都度、新たな見方が要求されるとともに、「細部を見る人」「大胆に動きをとらえる人」など個々の特徴があらわになります(※12)
 どちらにも共通しているのは、「作品と他者の視点を見比べる」という行為です。スケッチに描かれているのは、他者の視点です。大きさ、動き、質感など見方には多様な視点があります。ときには強調や省略が行われたり、思わぬ部分が描かれていたりするなど、実に様々です。その視点を目の前の作品と比べながら確かめる行為が、5人で行えば5回繰り返されるわけです。
 また、自分の絵に戻ったときに味わえるのは「自分から始められた絵」が変容している姿でしょう。そこにある絵は、確かに自分の痕跡を残しつつも、自分だけでは気付かなかった他者の視点が取り入れられています。複数の人々が描いているのに、なぜか不思議と調和し、うまく融合しています。
 個人の思いについてはどうでしょう。あらかじめテーマを決めて共同制作する場合、「協力」が強要されたり、一部を担当するだけの「分担作業」になったりして、個が喪失してしまうことがあります。一方、ラウンド・スケッチでは、まず「私の視点」が立ち上がり、そこから発展するので、参加者が喪失感や埋没感を感じることはないようです。
 美術教育では個人性が強調されすぎることがあります。でも実際は個人の制作であっても、個に閉じ込められているわけではなく、友達や先生など多様な視点が取り入れられています。
 ラウンド・スケッチは、自分をきっかけとしつつも協働的に発展する実践を味わうにはよい活動でしょう。
 ラウンド・スケッチを企業で行う場合は、「自分らしい仕事は決して単独で行われるものではなく、多様な見方や考え方、実践などが重なり合う中で高められ、完成することを体験できる」と説明しています。
 今年は国立美術館研修のグループワークや(株)アフラックの人事部研修などに取り入れてみました。参加者は「気付かないことに気付けた」「自分の視野が広がった」「思わぬ作品になったが、やはり自分の作品だった」などあります。みなさんもぜひチャレンジしてみませんか。

※1:出自を明らかにすることは、自分の意見や考えの成立にどのような人々が関わっているかを明らかにすることになるので重要です。本連載においても註が多いのはそういう理由です。
※2:ヘレン・チャーマン、キャサリン・ローズ、ギリアン・ウィルソン著 ロンドン・テートギャラリー編、奥村高明、長田謙一監訳、酒井敦子、品川知子訳『美術館活用術 鑑賞教育の手引き』2012美術出版社(現在絶版)。翻訳にあたってテート側の条件は「本の装丁やページごとのデザインを変えない」というものでした。デザインにこだわりのある美しい本です。
※3:当時、国立西洋美術館の学芸課研究補佐員をしていました。現在は研究員です。
※4:出版許諾は『基盤研究(B)「対話による意味生成的な美術鑑賞教育の地域カリキュラム開発」 研究代表者:上野行一(帝京科学大学)、研究分担者:奥村高明(国立教育政策研究所)、一條彰子(東京国立近代美術館)、三澤一美(武蔵野美術大学)の成果でもあります。テート美術館での通訳は直江俊雄(筑波大学)先生の協力をいただきました。出版にあたっては発行人である美術出版サービスセンターの大下正悟社長の英断と広隆社の水越弘さんの尽力が不可欠でした。
※5:現在、テート美術館では用いられていないようですが、鑑賞者である「私」を基盤に「対象への扉」「主題への扉」「文脈への扉」という三つの扉から鑑賞するという理論枠組みは鑑賞活動の分析に役に立ちました。
※6:「背中合わせ鑑賞」「作品にインタビュー」など多くの美術館で取り入られている鑑賞活動もあります。
※7:他に、彫刻そのものではなく彫刻が取り囲む空間をスケッチする「周りの空間」、ファインダーを使って彫刻や絵画の小さな一部分を描く「ディテール」などが紹介されています。
※8:前掲1 103p
※9:円のように画用紙を置いてもいいですし、距離や角度が変わる位置においてもよいでしょう。対象とする彫刻やインスタレーションの作品に応じて工夫します。
※10:アートカードについては、学びと美術<Vol.60>「アート・ゲーム再考」2017を参照。研修会場によっては彫刻作品がないことも多いのでよくアートカードを用います。当初テーブルの上にアートカードを一枚おいて、参加者が回る方法でスケッチしていました。あるとき参加者が画用紙を回したので、その方が効率的だと思い現在の方法に改善しています。
※11:作品の選び方は、ランダムでもよいですし、「自分の好きな作品」「描きたくない作品」「春を感じる作品」などテーマを設けてラウンド・スケッチ後にディスカッションするのもいいでしょう。
※12:そのためやや学習活動としては高度になります。中学生以上が適切でしょう。

新年雑感~図画工作・美術が今できること

 本連載「学びと美術」のテーマは「図画工作・美術が今できること」です。これまで「図画工作・美術にできることは何か」「子どもの何に役立つのか」などを様々な事例や取材などをもとに考えてきました。すでに77回、7年目に突入しています。本稿では、今まで述べてきたことを振り返りながら、図画工作・美術の未来について考えます。

論理的な思考力や学びの姿勢

世界に対する視野の広がりを示す児童画(※30) 連載当初述べていたのは「美術が論理的な思考力を育成する」「学力向上に効果がある」「図画工作・美術で子どもや学校は変わる」ということでした(※1)
 担当していた全国の研究指定校や大会の発表校からは「学力テストの算数B問題が向上しました」「非行や問題行動が半減しました」「遅刻率が減少しました」などの声が届いていました(※2)。小学校では「図画工作を研究すると、一人ひとりの子どもを先生たちが見るようになる。それは国語や算数に広がる」と言われ、中学校では「美術鑑賞を学校全体で取り組んだら、先生同士が話し合うようになって職員室の雰囲気が変わった。子どもはお互いを認め合うようになり人間関係が改善した(※3)」と教えてもらいました。
 「指定校や発表校ではどんな教科でも起こることだ」と返されそうです。確かに指定校や発表校では先生たちは頑張ります。教育委員会の支援や地域の協力なども手厚くなります。その他様々な原因が考えられます。それを、図画工作・美術だけに絡めとってしまうのは間違いだと思います。
 でも、子どもから見れば、図画工作・美術はせいぜい週に2時間。それに取り組んだからと言って、子どもや学校が大きく変容するのも不思議な話です。子ども一人ひとりの自分らしさが認められること、先生の子どもに対する姿勢が変わることなどが連鎖的に起こっているのではないでしょうか。
 図画工作・美術は、単にものをつくったり描いたりする時間ではありません。「いきいき」や「自由で楽しい」という言葉がよく用いられますが、実際は子どもがしっかり考え、多様な資源の中で格闘する学習です。作品をつくり上げることを要求され、途中であきらめさせてはくれません(※4)
 子どもの発揮した学力が確実に伝わってくるものの一つが作品です。学校に展示されている作品の多くから「自分の力を存分に出せたよ」という声が聞こえれば、「一人ひとりが資質や能力を発揮しながら学習した」と判断できます(※5)。そのような学校であれば、子どもは自分の「自分らしさ」が認められているでしょう。子ども側から学習を考え、指導改善や評価を行っている学校だろうと思うのです。
 もちろん推測であり明確に証明されていません。ただ、近年、芸術教育と学力に関する統計的な分析が行われるようになってきました(※6)。学力と美術を結び付けるタイトルの本も出版されています(※7)
 何より、学習指導要領の目標が三つの柱で統一されました。図画工作・美術が、知識や技能、思考力などの確かな学力を育成することは、制度的にも成立したのです(※8)
 今後一層、美術と学力の関係は普通に語られるようになるでしょう。統計や技術の発達で将来的に成果も明確になっていくと思います。

美術教育とビジネス

 一方、美術館などを通して美術教育が多くの人々に役立つことについても書いてきました(※9)
 きっかけの一つは2013年3月にニューヨークの美術館調査で早朝の美術館に並ぶビジネスマンの姿を見たこと(※10)、もう一つは2014年に海外企業がMBAではなく美術学校に社員を派遣し研修させる話を知人から聞いたことです(※11)。一瞬「?」と思いましたが、美術館で見る子どもたちの姿や教育普及活動などから考えれば、容易に理解できます。人々は、美術を通して資質や能力の覚醒と十全な発揮を求めているのでしょう。それを2015年に本にまとめました。
 その後、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートがグローバル企業の幹部トレーニングを行っていること(※12)、ロンドン芸術大学の中のカレッジの一つ、セントラル・セント・マーチンズが2016年MBAコースを開設したことなど(※13)、世界的にはビジネスマンがアートスクールに通うのは珍しいことではなくなってきました。
 日本でも2017年には経済誌の週刊ダイヤモンドが美術特集を行い、「創造性を養うのにアートは不可欠」「AI時代に必要なものは感性」などを指摘します(※14)。ビジネスと美術を結び付けたタイトルの本も次々と出版されています。2018年の9月から10月に出されただけでも10冊近くあり、「ビジネスの限界はアートで超えろ(※15)」「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?(※16)」など百花繚乱です。課題がないわけではありませんが(※17)、いずれも美術の社会的な効果を述べようとしていることでは共通しています。
 ビジネスと美術を結び付けた実践の先駆者であるニール・ヒンディは、企業が期待するアートの効果として以下のような内容を挙げています(※18)

  • 様々な角度から物事を観察し解釈する
  • 無関係と思われているものを結び付ける
  • 新しい視点やアイデアを生み出す
  • 人と異なる発想をしようとする態度
  • 新たな意味や価値をつくりだし、それを社会に発信する

 変革の激しいAI時代、ビジネスモデルが一夜にして崩れ、急速に業界再編が進む社会的な状況で、違いを生み出そうとアートに期待するのは当然かもしれません。
 しかし、ヒンディの挙げるメリットは、すべて図画工作・美術の時間で実現されていること、あるいは目指されていることではないでしょうか?(※19)
 芸術は歴史的な遺産で、それが教養だというだけではなく、人間の根源性や哲学、科学などを提示し、常に私たちの見方や考え方に変革をせまります。美術館は、落ち着いた心持ちになるだけではなく、記憶が活性化し、思考力が働き、創造性が発揮される空間です(※20)。図画工作・美術のゴールも同じでしょう。
 美術に対する期待は、年々高まっています。2018年末には患者と介護者が無料で美術館を訪問するプログラムがはじまったこと(※21)、難民をツアーガイドやコミュニケーターとしてトレーニングしていること(※22)などのニュースが飛び込んできました(※23)。今後、美術は社会全体の問題解決へと幅を広げ、成年層や働き盛りを対象とする流れが強くなるでしょう(※24)。同時に、美術教育の効果はより鮮明になり、以前よりも重視される方向に向かうだろうと思います。
 そのような動きは、遠からず日本に到来するはずです。何より私自身、美術教育とビジネスに関する仕事が増加しています(※25)。昔閑散としていた金曜夜の美術館も、最近は背広姿でいっぱいになってきました。

これからの図画工作・美術

 図画工作・美術教育は、これからどこへ向かっていくのでしょう。
 科学技術の進展や社会の変化は加速度的です。今はスマートフォンを肌身離さず持っていますが、10年もすれば、「iPhoneをみんな持っていたよね」という時代がやって来るでしょう(※26)
 美術館ではオーディオガイドではなくスマートグラスを身に付け、自分の視点の動きに応じてデータが出てくる方法で鑑賞したり、スマートスピーカーで複数のAIとディスカッションする鑑賞が行われたりするでしょう。そのデータは高速通信(5G)やAIで即座に解析され、美術館のバーチャル空間化も伴って、美術鑑賞の場所や時間、方法は飛躍的に変化・拡張していくでしょう(※27)
 学校では、画面化した机上で、多様なコンテンツをもとに構図や場面展開を工夫しながら表現しているでしょう。ドローンやAR等なども用いているでしょうし、困ったときには友達ではなく手元のAIに相談しているかもしれません。短期的には、図画工作や美術を中心としたカリキュラムマネジメントや学習プログラム開発などが進展し、教科を越えた学習効果を測定する研究も促進されると思います。
 同時に子どもの学力も変化します。
 「知識、技能、思考習慣……私たちの学力は、社会や時代の影響を受けながら進化し続けています。同時に、変化を果たしたときに、それ以前の世代と、今の世代では、お互いの学力がかなり様相の異なるものになっています。」(※28)
 おそらく今の子どもたちの頭の中には3Dやドローンが入っています(※29)。世界に対する視野は広がっています(※30)。そう思わなければ理解できないような絵もすでに現れてきています。子どもの学力は進化を続け、身体感覚も変容し、それにどう対応していくかは図画工作・美術においても大事な課題でしょう。
 ただ、そのような未来を思い浮かべるほど、子どもが普通に絵を描いたり、粘土で何かつくったりする実践とその経験が、やはり大切だという気持になります(※31)
 図画工作・美術に含まれている行為性や身体性、多様な価値観、環境や社会との相互作用、論理的な思考力、感性や創造力、独創的な態度形成などが変わるとは思えません(※32)。子ども一人ひとりの自分らしい思いや願い(※33)、自らの行為を通して学ぶこと(※34)なども根源的な性質としてますます大切になると思います。
 2019年は学習評価の年、簡素で無理のない評価、子ども自身が発揮した資質や能力を自覚できる評価、保護者や地域との評価の共有などが議論されるでしょう。でも、どんな評価をしようとも、子どもを温かなまなざしで見つめることは図画工作・美術で大事なことです。
 絵や粘土、工作、造形遊び、デザイン、工芸など、当たり前の実践の中で、子どもを見つめ、認め、支えることは、これからも求められます。そこで展開される子どもたちの姿と、先人たちが大切にしてきた教育実践の中に未来の図画工作・美術の姿が探せるように思います。

※1:『学び!と美術 <Vol.05> 造形活動が育てる学力』『学び!と美術 <Vol.04> 図画工作・美術で学力が伸びる?』
※2『学び!と美術 <Vol.03> 「子どもの学力が伸びる」という「言説」』
※3『学び!と美術 <Vol.66> 「朝鑑賞」で学校改革』
※4『学び!と美術 <Vol.28> ホントは厳しい図画工作・美術』
※5『学び!と美術 <Vol.36> 子どもの絵の見方』
※6『学び!と美術 <Vol.61> 美術への期待と学力のエビデンス』、C.リッテルマイヤー『芸術体験の転移効果―最新の科学が明らかにした人間形成の真実』東信堂 2015、OECD教育研究革新センター編著『アートの教育学 革新型社会を拓く学びの技』明石書店 2016、『学び!と美術 <Vol.43> 「フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性」』『学び!と美術 <Vol.53> 「おえかき」から学力を伸ばす ~フィリピン貧困地域カシグラハン調査報告:第2回~』
※7:例えば、フィリップ ヤノウィン著 京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター訳『学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・ シンキング・ ストラテジーズ:どこからそう思う?』淡交社 2015
※8『学び!と美術 <Vol.55> 新学習指導要領の要点(1)』『学び!と美術 <Vol.56> 【インタビュー】新学習指導要領の要点(2)~中学校美術科 環太平洋大学副学長 村上尚徳教授』『学び!と美術 <Vol.57> 新学習指導要領の要点(3)~構造的・関連的に理解する』など
※9:主に国立近代美術館一條彰子学芸員が代表の科学研究費による成果です。『学び!と美術 <Vol.33> これからの美術鑑賞~「文脈」と鑑賞教育』『学び!と美術 <Vol.34> 探求的な鑑賞~探究活動を基盤とする美術鑑賞「Inquiry Based Appreciation」』『学び!と美術 <Vol.62> 放課後スクールの充実~エスポー美術学校の調査報告から』など
※10:科研費研究「美術館の所蔵作品を活用した鑑賞教育プログラムの開発」研究代表者:一條彰子(東京国立近代美術館)、研究分担者及び協力者:今井陽子(東京国立近代美術館)、上野行一(帝京科学大学)、岡田京子(国立教育政策研究所)、奥村高明(聖徳大学)、寺島洋子(国立西洋美術館)、藤田千織(東京国立博物館)、細谷美宇(東京国立近代美術館)、室屋泰三(国立新美術館)の調査から。
※11:女子美術大学前田基成教授の話から。
※12:山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』光文社新書 2017
※13:ニール・ヒンディ著、長谷川雅彬監修、小巻靖子訳『世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること』クロスメディア・パブリッシング(インプレス) 2018
※14:週刊ダイヤモンド「美術とおカネ全解剖 アートの裏側全部見せます」(ダイヤモンド社) 2017年4月1日号
※15:増村岳史『ビジネスの限界はアートで超えろ!』ディスカヴァー・トゥエンティワン 2018
※16:岡崎大輔『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』SBクリエイティブ 2018
※17:美術史や美術の理解、タイトルという問いに対する答えなどに課題を感じます。「同じようなテーマで、同じような視点の商品を、同じようなルートで売る」ことを批判する識者もいます。
※18:前掲書13を筆者がまとめました。
※19:ただし、画一的な作品主義や教師の指示通りに描く学習方法では難しいと思います。
※20:美術館を出たときに、世界に対するまなざしが変化した自分を発見したことはないでしょうか。
※21https://www.theartnewspaper.com/news/oxford-museums-train-refugee-guides-and-curators
※22https://www.theartnewspaper.com/news/oxford-museums-train-refugee-guides-and-curators
※23:アートアマナプランナー上坂真人さんから提供されています。
※24『学び!と美術 <Vol.44> アール・ブリュットの鑑賞実践報告』『学び!と美術 <Vol.69> アール・ブリュットにどう向かう?~「全部はみえない展」』
※25:例えば、市長、社長、頭取などが参加する経済界の研修会、上場企業の社員向け講演会、企業や高齢者介護NPOの人材研修プログラム開発などが増えてきました。
※26:この原稿を書いていたら、中国バイドゥCEOが「スマートフォンは20年以内に消える」という予言をしたニュースが入ってきました。https://www.businessinsider.jp/post-182805
※27:2020年にサービス提供が予定されている5G(次世代無線通信システム)によって、膨大なデータやり取りが可能になり、AIの進化や利用も加速します。詳しくは「スマート化する世界-5G+AIが生み出す新たな価値」https://news.mynavi.jp/article/20180926-697578/
フェルメールの作品、全36点がGoogleのアプリ「Meet Vermeer」のバーチャルミュージアムで見られるようになりました。https://artsandculture.google.com/project/vermeer
※28:奥村高明『マナビズム―「知識」は変化し、「学力」は進化する』東洋館出版社2018
※29:ドローン的な画像については『学び!と美術 <Vol.76> 子どもの絵の見方 ~田川図画展の実践から~』を参照してください。
※30:掲載画像は、ドコモ未来ミュージアム2018小学校3~4年の部のドコモ未来大賞シルバー『Future Global Summit』髙田瑛太さんの作品。ドコモ未来ミュージアム2018より。「未来の動物会議」はこの展覧会の定番のように描かれるテーマですが、動物だけでなく、微生物、植物とそのまなざしが広がってきています。http://www.docomo-mirai.com/detail.php?id=17_8
※31:ケヴィン・ケリーは未来予測として結果や物よりも流れや動きがより重要になると指摘し「経験の価値は上がり続けている」と述べています。ケヴィン・ケリー著、服部桂訳『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』NHK出版 2016
※32:より具体的に解明され、現代的な解釈にはなるでしょう。
※33『学び!と美術 <Vol.06> 「その子らしさ」の図画工作・美術』
※34『学び!と美術 <Vol.09> 行為に浸り、私を実感する図画工作・美術』

子どもの絵の見方 ~田川図画展の実践から~

 児童生徒の作品展は、題材開発、指導法研究、教師力向上などいろいろな意義のある実践です。本稿では、今年度参加した山形県の第53回田川児童生徒図画作品展・第22回田川地区中学校美術部員展(以下:田川図画展(※1))の実践を取り上げ、絵の見方の研修という側面からみていきましょう。

田川図画展

 田川図画展は53年前に発足しました。昭和30年代、児童画ブームが起こり、学校に限らず様々な場で児童画展が開かれた頃です。各教科の教育団体による教育研究や研究発表会が盛んな時期でもあったので、田川地区でも先生方が教育水準の向上を目指して始めたのだろうと思います。
 児童画展の作品選定にはいくつかの方法があります。一般的には、各学校が選定した作品をみんなで審査し合って、ある程度選抜したり、優秀賞を決めたりして展示します。この場合、審査を行うことが、題材や指導法の妥当性などについて考える研修となります。
 一方で、出品された作品は審査せず、全て展示するという方法もあります。田川図画展はこのタイプで、研修は招聘した講師による講評やギャラリートーク(※2)、講義等によって行われます。筆者も何度か講師を経験しましたが、幼稚園や保育所、学校などが自信をもって送り出す作品との出合いが楽しみな展覧会です。指導した先生に作品の背景について説明してもらったり、なぜこんな表現になったのだろうとみんなで頭を抱えたり、いろいろな発見ができるからです。その一部を幼児の絵を取り上げて紹介します。

城南幼稚園 「みんなで はなびみたよ」
年中 つちだ かんな さん

 花火の絵です。真っ暗な中に鮮やかな色の花火が描かれるのが定番です。ところが、この絵は人の周りだけが四角く塗られていません。確かに花火を見ているときは、視覚的には暗くても、お互いの顔を見て楽しく語り合っているはずです。それを「黒く塗る」ことは、現実の感覚とは異なります。夜だからといって全て暗く塗り込む方が不自然かもしれません。
 かいた子どもに聞いてもらいました。緑のシートの上に座って、みんなで花火を見たそうです。そして「全部塗ると(みんなが)見えなくなるので、いやなので、塗らなかった」そうです。子どもが自分の思いを大切に描いていることに、あらためて気づかされた絵でした。

いなば幼稚園 「うんどうかい~リレーがんばったよ~」
満3歳児クラス おおい あさひ さん

 題名からは、リレーの体験のようです。囲むような円が、リレーのコースでしょう。中にオレンジや茶色で何か描かれていますが、さっぱり分かりません。でも「何か」意図をもって「描かれて」います。まるで「君たちにこの絵のよさが分かるかな?」と問いかけられているようでした。
 取材すると、水色の線はボンボン、真ん中は自分の顔、黄土色は髪です。紫色の線が表しているのは半周のリレーコースでした。なるほどそれで紫色の線は丸く閉じておらず半円なのです。子どもがかきたいことをかき、そのよさや価値を認め、園で生まれた「ありのまま」の絵を出す(※3)。それができる田川児童展のよさを感じました。

鶴岡幼稚園 「たいへんだった いしだんのぼり」
年長 さいとう ゆうり さん

 田川児童展では、石段を上る絵に毎回出合えます。「羽黒山の石段のぼり」を行事に取り入れている園や学校が多いからです。同じテーマであっても、それぞれかき方が異なるので、かいた様子や理由を考える楽しさがあります。
 画面左に描かれている木は国宝五重塔の隣に立つ樹齢1000年の「爺(じじ)杉」、真ん中のギザギザは紙垂(かみしで)のついたしめ縄でしょう。青い柱は「須賀の滝」、お茶屋さんやおばあちゃん、石段はいくつもの石が組み合わさってできています。この子が歩きながら、周りにあるいろいろな資源と対話していることが分かります。
 子どもの絵は、単に絵としてだけでなく、幅広い教育活動の一環としてとらえる必要があります。一枚の絵は、一年間の教育活動の中から生まれるのです。この絵からは、地域とつながりをもって行われている幼稚園の教育や、行事を通して子どもを育てる姿勢などが見えてくるようです(※4)

大山保育園 「えんそくでみたよ おとがきれいな すがのたき」
年長 たかはし ようた さん

 これも「羽黒山の石段のぼり」です。ただ、自分の体験だけでなく、須賀の滝を石段の上から眺めた様子も一緒に表しています。先導する先生、膝の曲がり具合、丸くそったアーチ状の祓川橋(はらいかわばし)を歩く幼児の後ろ姿、滝のふもとが石垣でまっすぐになっている部分、須賀の滝と池、橋の位置関係……その正確さは、まるでドローンで見下ろしたかのようです。
 以前は3D的な表現する幼児は、それほど多くなかったのですが、これからは増えていくでしょう。なぜなら、私たちは道具と一緒に考えたり、感じたりする生き物だからです(※5)。すでに幼児は、多様な描画材が選択できる環境にあり、ゲームやテレビなどを通して3D的な映像世界に浸っています。私たちと異なる世界を生きており、これから起こる社会や文化の発展とともに発達します。幼児の現代的な能力を感じさせる絵だと思いました。

 このように、ギャラリートークでは、一枚の絵の前に立ち止まっては、ああでもない、こうでもないと話をしながら進んでいきます。それは、講師が何かを教えるというよりも、講師も一緒になって語り合う場です。子どもの絵を通して、絵の見方や、発達の変化、教育の今後などを考える貴重な研修会なのです。全国的に、ますます盛んになってほしい実践だと思います(※6)

※1: 主催は、山形県田川学校教育研究会の造形専門部。昭和30年代に、各種の研究団体を組織的にまとめた田川学校教育研究会の専門部の一つとして、1965年3月3日に、田川地区小中学校教育の研究を深めその振興を図ることを目的に置かれました。現在の専門部長は山形県田川造形連盟会長の本間積校長(鶴岡市立渡前小学校長)。会場は2005年開館の鶴岡市の鶴岡アートフォーラム。
※2:以前は講師から「よい絵」についてコメントをもらって、それをまとめた「短評」を絵に付けていたようですが、10年以上前からギャラリートークを行っているそうです。
※3:例えば、展覧会に出される絵の多くは、幼児や低学年でもしっかり背景が塗り込まれています。発達から考えると、背景という立体空間を、平面として塗り始めるのは10歳くらいからですから、見栄えの観点から「塗りなさい」と言われたのでしょう。ただし、審査に影響を与えることはありません。なぜなら、発達を越えた指導については、審査員が頭の中で除外するからです。その上で、その子の発想や工夫などを見ていくので、背景の「ある、なし」が審査に関係することは少ないと思います。
※4:行事や年間の教育計画を考慮せず、絵だけ取り上げて「かき方がどうだ」と語ることには慎重であるべきでしょう。
※5:ここでいう道具とは、コンピュータ、テレビ、絵の具のような文字通りの道具だけでなく、記号、文字、数、筆算、公式なども含む広い意味の道具です。
※6:以前(学びと美術39号40号)も書きましたが、児童生徒の作品展は、地域社会に対するメッセージという機能も持ち合わせています。

写真は地域社会を変える?

 写真はシャッターを「押すだけ」。数十年前にカメラの宣伝で繰り返された言葉が日本において写真という行為や活動、あるいはそこで発揮されている資質や能力を浅いものにしてしまったのかもしれません。これを問い直すような展覧会について紹介します。

写真とまちづくり

 広告等企業向けビジュアル制作の世界でNO.1企業・アマナの執行役員上坂真人さんは、写真によるまちづくりの成功例として2例をあげています。
 一つは、フランス北西部ブルターニュ地方の街「ラ・ガシィ(La Gacilly)町」で15年前から行われている写真フェスティバルです。毎年招待国が変わり、それが写真展のテーマになるのですが、2016年の招待国は「日本」でした。ラ・ガシィ町長からアマナに相談があり、多くの日本人作家の作品が展示されることになったそうです。
写真1 この写真フェスティバルの特徴は展示のほとんどを屋外で行うことです(写真1)。建物の外壁に巨大な写真、森の中や木陰に写真パネル、原っぱの中や、町の歩道脇など、町まるごとが写真で覆われます。人口2205人(2013年)の町に40万人訪れ、写真を通して歴史や社会、人種などが新鮮な問いとして浮かび上がるそうです。身近な写真が、国を超えて多くの人をつなげる事例だと思われます(※1)
 もう一つは北海道東川町の実践です。
「地域再生をねらいにした様々なアートプロジェクトがあります。表面的には村や町を訪れる人は増えていますが、実は人口増にはつながっていません。本質的なまちおこしにはなっていないのです。ただ、東川町だけは例外です。(上坂談)」
 上水道普及率0%で生活は全て伏流水、「予算がない・前例がない・他でやってない」を言わない役場のポリシーなど、様々な特徴を持つ東川町ですが、その中核になったのが写真です(※2)。人口が減り続けた1980年代に『東川町国際写真フェスティバル』を導入し、それが『全国高等学校写真選手権大会 写真甲子園(1994)』『高校生国際交流写真フェスティバル(2015)』へ発展します。町は、様々な節目に日々の様子を写真に残すことを奨励し、写真文化を通した活力のあるまちづくりをめざします。2014年には「写真文化首都」を宣言し、2015年に国際化戦略として日本初の公立日本語学校を設立、その他にも写真の町条例、写真の町・記念写真プレゼント事業など様々な事業に取り組んでいます。その結果、人口6000人台だった町は2018年現在で8313人、国内外からの定住者が増え世帯数は約1500から約3500へ増加しました。
 誰もが撮れる写真だからこそ、自然と人、文化や社会、人と人などを容易につなぐことができたのでしょう。小さな町であっても、世界中の写真に出会い、人々と触れ合うことは可能です。写真を撮ることの広がりを通して、まちが元気になったのだろうと思います。

浅間国際フォトフェスティバル

写真2 上記の二つの特徴を一体化するような取り組みが、現在、長野県の東部、浅間山の裾野に広がる御代田町で進行しています。
 御代田町は、東川町を超えるような写真文化を通したまちづくりをめざしています。閉館したメルシャン軽井沢美術館(※3)の跡地や施設を活用して、将来的に写真美術館が設立される予定です。その準備として、今夏は、写真の魅力や楽しさをまち全体で感じ考える場として「浅間国際フォトフェスティバル」が行われました(※4)
 まず、会場に行くまでに、駅の階段や駅舎、市役所前など思わぬ場所で写真を目にします(写真2)。会場につくと、自然の中に溶け込むような写真展示に驚かされます。
写真3 例えば、落ち葉の広がる広場に展示されたジェシカ・イートンの作品は、一見CGに見えるのですが、アナログ撮影で生み出された写真です。カメラの中で創り出された鮮やかで幾何学的な色彩は、カメラが絵筆と同じような創造的な道具であることを感じさせます(写真3)。
写真4 マッシモ・ヴィターリと谷尻誠は、小さなプールの中にビーチの俯瞰写真を沈めます(写真4)。その日の天気や自然環境、鑑賞者が水に触れる行為などによって写真の見え方は変化し、そこに新しい風景が生まれます。その結果、わざわざ夕方の時間、雨の日などを選んで、リピーターが来たそうです。
写真5 展示室は一転して美術館のような空間です。四角い写真が並ぶ一般的な写真展のイメージとは異なり、これは写真?と思うような展示が行われています(写真5)。例えば、藤原聡志の作品は5×25メートルの布のような素材にプリントされ、カーテンのように垂れ下がっています。「写真が平面」という概念は崩され、空間や動きが迫ってきます。
 ホンマタカシはホテルの部屋をカメラオブスクラにして、のんびりと一日かけて浅間山を撮っています。展示されているカメラオブスクラの中に入ると、シャッターを切る一瞬が、光で描く(Photo-graph)行為であることに気づかされます。
 見終わった後、「光で撮影した写真を、光に戻す」「空間をとらえた写真を、空間に返す」など、光や影、時間や空間を存分に味わったように感じました。また広場で走り回る子供たち、造作物を担当した地元の工務店の社長さんなど、そこに集う人々の姿も印象的でした。写真は、単に印画紙にプリントされた何かではなさそうです。撮るという行為は、時代や社会、人々の結びつきの上に成り立つことなのでしょう。

 日本は世界中のカメラのほとんどを製造するカメラ大国です。しかし、写真作品を購入したり、正当に評価したりする側面が弱く、野外展覧会も数えるほどだと上坂さんは指摘します。それに対する成果として、今回、都心から離れた場所で、50日程度の会期であるにもかかわらず、2万人の来場者が集まったことは画期的でしょう。
 1888年にロールフィルム・カメラの特許を取得したコダックの本当の発明は、カメラ、フィルム、現像ラボ、サービス網などを一体的に構築したシステムだと言われています。「あなたはシャッターを押しさえすれば、後は我々がやります(”You press the button, we do the rest”)」という有名なCMは、写真が「押すだけ」でないことを物語っていました(※5)。すでに、現代は、スマホやインターネットで多くの人がグローバルに写真や動画、3D画像を共有し、新しい人間関係や社会をつくりだしています。
 フェスティバルの実行委員長でもある茂木祐司町長は、「多彩な文化や知恵、感性と写真を融合させながら、来るべき時代に向けた新しい価値を皆様と一緒に創造していきたい」と語っています(※6)。人、社会、文化など、写真から広がる様々な可能性にふれることのできた展覧会でした。

※1:パリ郊外の街でアート写真を体験する「Festival Photo La Gacilly」現地レポートより。https://imaonline.jp/articles/global_news/20170623la-gacilly_1/
※2:玉村 雅敏・小島 敏明(編著)「東川スタイル―人口8000人のまちが共創する未来の価値基準(まちづくりトラベルガイド)」産学社(2016)
※3:日本の酒類メーカー・メルシャンが1995年(平成7年)に開館した私立美術館。2011年(平成23年)に閉館。2020年に写真美術館として再興する予定です。
※4:2018年8月11日~9月30日 詳細はhttps://asamaphotofes.jp/
※5:土橋臣吾・上野直樹編『科学技術実践のフィールドワーク ハイブリットのデザイン』せりか書房(2006)p9
※6:展覧会図録のあいさつから。IMA編集「浅間国際フォトフェスティバル2018」図書印刷(2018)p4

藤本智士インタビュー(後編)~美術作品と社会

 藤本智士さん(※1)のお話、第2弾です。後編は、作品の見方や地域に根差した美術教育などについて考えるヒントになる内容です。

ローカルというアドバンテージ

奥村「講演では『秋田というローカルだからこそアドバンテージがある』というお話がありました。地方はサイズが小さいから、巨大な都会ではできないことができる。そういう面白さが味わえるという意味でしょうか?」
藤本「かつては都会に正解があって、田舎にいる人たちは都会のようになりたいと思っていました。しかし時代は変わって、都会の人の方が地方での暮らしに憧れていたり、疎ましく感じていたはずのコミュニケーションを求めたりしている。そういう意味で、もはや『面白さ』というか、多くの人が『魅力』だと感じることが、都会よりも田舎に多くあるんじゃないかと思います。だからこそ様々な地方で暮らす人々が、自分たちの中で考えや慣習に自信を持つことが大事です。東京のやり方は田舎では通用しないけれど、秋田で考えたことは島根でも使えるとか、そういう地方と地方のつながりの先にあるクリエイティブに僕は今とても興味があります。」
奥村「『のんびり(※2)』というフリーマガジンもそれがポイントですか?」
藤本「『のんびり』というタイトルには、少子高齢化No.1の秋田だけれど、価値観が変化しつつあるいま、自分たちを卑下して、『ビリ』だなんて思わなくていいんじゃないか? つまり『NONビリ』という意味をこめています。経済指標とは違った数値では表せない豊かさの指針を探りたいと思ってつくっていました。」
奥村「都会の価値観で泳いでいたらだめなんですね。それは地方の教育を考える上でも役立ちそうです。今ある地域の人や暮らしの中から、その学校のカリキュラムを考えることが大切かもしれません。」

暮らしの中で生きる作品

奥村「『のんびり』の特集がきっかけで再評価される木版画家、池田修三(※3)も同じ視点から生まれているのですか?」
藤本「そうですね。池田修三さんの作品にはじめて出合ったのは、秋田で泊めてもらった友達の家でした。リンゴを持った女の子の目に影があって、どこか哀しげで、単にかわいいだけではない表情が独特で、そこに秋田を感じたんです。秋田の冬の厳しさとか辛さとか、それでも生き抜く強さとか……。それで『これは誰の作品?』と友達に聞いてみたら『池田修三』という名前と秋田県にかほ市出身であることを教えてもらいました。やっぱり秋田の人だ!と思った僕は、まわりの友達に池田修三さんって知ってる? と聞いて回ったんですが、みんな知らないっていんです。だけど絵を見せた瞬間に『知ってる!』って。それどころか『結婚式のとき送ってもらった』『新築祝いに購入して贈った』など、秋田のひとたちの暮らしの中に池田修三作品があった。なのに名前を知らないっていうのが余計に暮らしへの浸透を感じて驚いたんです。」
奥村「都会の価値観とはちょっと違いますね。」
藤本「美術作品はときに、投資として作品を購入し、大事にしまわれてしまいます。だけど、人の目に触れないのは、作品として、作家として幸せとは言えないように思います。池田修三さんの作品は、手頃な価格で購入され、贈り合われ、実際に家庭に飾られています。それが池田さんの『作品の価値』なのです。実際に、池田さんは『広く持っていただきたい』と言って価格を上げようとしなかったようです。一般的に作品価値があがることが、作家の価値だと思われているけど、そうではないこともあるんだと伝えたくて、のんびりで特集を組み、展覧会を編集し、作品集を出版しました。」
奥村「反省します。自分も簡単に○○億だ、貴重だとかで、作品を語ってしまいます……」

作品とエピソードは不可分

藤本「町役場の広報の表紙に、池田さんの版画が使われたことがあるんですが(※4)、その際、修三さんの絵に今川洋さんという詩人の詩が毎回よせられていました。あるとき今川さんが、その版画と詩を一冊にまとめて自費出版することになったときに、デザインの都合で『作品を反転させて、人物の向きを変えたい』といわれたそうです。」
奥村「いや、それはダメでしょう。」
藤本「ところが修三さんの答えは、『いいですよ』だったそうです。池田さんのおおらかさが感じられるエピソードですよね。」
奥村「素敵なエピソードですね。」
藤本「こういった修三さんご自身に関するエピソードもそうなんですが、それ以上に作品をお持ちの方のエピソードがたくさんあるんです。最初に池田修三さんのを取り上げることになった『のんびり』の特集の締めに、僕はこんな提案を書きました。①池田さんの作品は自分で購入するのではなく、贈られることに意味がある、②作品の価値は作品だけでなく、そこに生まれるエピソードにある、③だから、あまりに高い池田作品が現れても買わない方がいい、と。」
奥村「その提案は美術教育の示唆になります。子どもの作品づくりだけが目指されて、作品が生まれるプロセスや、作品が生み出すエピソードには、大人も先生も無頓着であることが多いのです。作品のエピソードも大事にしていきたいですね。」

 作家の作品も、子どもたちの作品も、社会の中で生きてこそ作品なのでしょう。それぞれの地域や学校にエピソードがあり、それが子どもたちの美術や作品を成立させていることを私たちは忘れがちです。美術で育てたい力は何か、美術と社会はどのような関係にあるのか、自戒をこめてもう一度考え直してみたいと思います。藤本さんのインタビューは、インタビューをする側が、自分の浅はかさを恥じることを感じさせるような深さのある時間でした。ありがとうございます。

※1:有限会社りす代表取締役/編集者 藤本智士。1974年生。兵庫県出身。雑誌Re:S[りす]編集長を経て、秋田県発行フリーマガジン「のんびり」、webマガジン「なんも大学」の編集長。著書「魔法をかける編集」インプレス、「風と土の秋田」「ほんとうの日本に出会う旅」リトルモアほか、手掛けた書籍多数。
※2:秋田からニッポンのびじょんを考えるフリーマガジン『のんびり』。
詳しくはhttp://non-biri.net/about/index.html
※3:池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922- 2004年)。秋田県象潟町生まれ。版画家。子どもをテーマとした多色刷りの木版画が多い。1980年代に秋田相互銀行やNTT、日本生命などの企業のカレンダーなどに作品が使用されている。2012年に秋田県発行のフリーマガジン「のんびり」第3号で特集を組まれたことをきっかけに再評価が進み、作品集の出版などが行われた。
※4:象潟町役場の広報「きさかた」昭和60年4月から2年間用いられた。