学び!とシネマ

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馬を放つ
2018.03.15
学び!とシネマ <Vol.144>
馬を放つ
二井 康雄(ふたい・やすお)

 もう6、7年前になるが、キルギスの映画監督アクタン・アリム・クバトが監督・主演した「明りを灯す人」という映画を見た。小さな村で、「明り屋さん」と呼ばれている電気工の夢は、風車で村じゅうの電気をまかなうこと。その夢を実現しようとした明り屋さんは、変化する時代の荒波に翻弄されていく。
 このアクタン・アリム・クバトが脚本を書き、監督・主演した新作が「馬を放つ」(ビターズ・エンド配給)で、昨年の東京フィルメックスのコンペティション部門で上映された。このほど、あらためて見直したが、何度見ても、すばらしい映画と思う。
 ケンタウロスと呼ばれている男が、「明りを灯す人」の明り屋さんと同様、時代の荒波、変化に翻弄されていくが、翻弄されるだけではない。ケンタウロスは、キルギスの騎馬民族としての「誇り」を示そうとする。
 キルギス。地図をご覧になると分かると思うが、カザフスタン、中国、タジキスタン、ウズベキスタンに国境を接している。ソ連崩壊に伴い、1991年に独立した共和国だ。
 キルギスでは、ソ連時代から映画が作られていて、映画のなかに、トロムーシュ・オケーエフ監督の「赤いりんご」のポスターが出てくる。また、あちこちに映画館があったようで、インド映画のラージ・カプール監督「合流点(サンガム)」の話がでてくる。
 夜、ある男が、厩舎から馬を連れだし、その馬に乗り、両手を広げて、天を仰ぐ。馬を盗まれて怒った馬主のカラバイ(ボロット・ティンティミショヴ)は、容疑者らしい男を捕らえるよう、警察に話している。
 村人から、ケンタウロス(アクタン・アリム・クバト)と呼ばれている男がいる。ケンタウロスは、ギリシャ神話に出てくる半人半獣の種族で、上半身が人間で、下半身が馬である。
 ケンタウロスは、妻マリバ(ザレマ・アサナリヴァ)と、5歳になる息子ヌルベルディ(ヌラリー・トゥルサンコジョフ)と、粗末な部屋に住んでいる。かつては、映画館で映写技師をしていたケンタウロスだが、いまは遊牧民の末裔として、細々と暮らしている。
 言葉の話せないマリバは、ケンタウロスに手話で訴える。「あなたが息子に話しかけて。あなたの話しか聞かないから」。
 ケンタウロスは、古くからキルギスに伝わる言い伝えを、息子に話す。「かつて、敵なしだったキルギスの騎馬戦士。強さの秘密は、騎馬戦士を乗せた馬。馬に翼を与えたのは馬の守護神、カムアルバタだ」と。
 馬を逃がした容疑で、サディル(イリム・カルムラトヴ)という男が捕まるが、サディルは否定する。やがて、カラバイの馬が見つかり、カラバイは、馬が見つかるように祈ってくれた伝道師たちに感謝する。
 容疑の晴れたサディルは、真犯人を捕まえるべく、カラバイにある提案をもちかける。
 もうお分かりだと思うが、馬を放った犯人は、ケンタウロスである。馬主のカラバイの遠縁になる。カラバイは、馬を放った理由をケンタウロスに問いただす。「ある晩、夢を見た。白馬に姿を変えた馬の守護神カムアルバタが言った。“はるか昔、私たちは人間を友と信じ、この地に生きてきた。ところが、お前たちは自分を神だと思い込み、自然を壊し、富と権力を手に入れるために……”」とケンタウロス。そして、ケンタウロスは、自らの罪をあがなおうとする。
 まだ、キルギスには雄大な自然が残っている。それでもケンタウロスにとっては、騎馬民族としての文化や誇りは、すでに喪失している。なぜ、ケンタウロスが、馬を放ったか。映画は、その答えを観客に委ねる。5歳の息子ヌルベルディは、いまだ話せないままである。映画は、キルギスという国の行方を暗示して、閉じられる。
 ことはキルギスだけではない。いまや、世界の多くが、文化や伝統を喪失しつつある。ケンタウロスが馬に乗り、両手を広げ、天を仰ぐ。突出した映像美。古来、キルギスのことわざで、「馬は人間の翼である」と言われている。多くの寓意に満ちた、すばらしい映画だ。

2018年3月17日(土)より、岩波ホールico_linkほか全国順次公開
<岩波ホール創立50周年記念作品第2弾>

『馬を放つ』公式Webサイトico_link

監督・脚本・主演:アクタン・アリム・クバト
出演:ヌラリー・トゥルサンコジョフ、ザレマ・アサナリヴァ
2017年/キルギス・フランス・ドイツ・オランダ・日本/89分/2.35:1(シネスコ)/DCP/カラー/5.1ch
原題:CENTAUR
配給:ビターズ・エンド

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