学び!と歴史

学び!と歴史

歴史に何を想い描きますか
2012.11.12
学び!と歴史 <Vol.58>
歴史に何を想い描きますか
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前-歴史に向きあいたいもの

 日本と中国の関係は、国交回復40年の現在、政府の尖閣国有に反発する反日デモにみられますように、かってないほどの厳しい状況に追い込まれています。中国政府は、日本の歴史認識の欠落、日本が近代化をめざすなかで中国をはじめとするアジア近隣諸国に何を為したかについて全く認識していないことを問い質しています。この告発は、中国のみならず、韓国政府も共に糾弾していることです。この歴史認識をめぐる問題は、過去の出来事を現在(いま)どのように己の問いとして受けとめ、明日を思い描くかということにかかわることで、日々の判断の根を規定するもとにほかなりません。日本人は、この知的営みが稀薄である、己の歩みを見つめてない、歴史に無知なる民族との烙印をおされたといえましょう。ここには、日本における歴史教育が過去の出来事を歴史事項として教え、その知識を覚えさせることにのみ意を尽し、過去の営みが何を問いかけているかについての眼が欠落していることがもたらした歴史への無知が読みとれます。その無知が露呈したのが今回の「国有化」問題といえましょう。
 国有化を公表するのにあたり、関係者はどれだけ起こりうる問題を検証したのでしょうか。9・18は、柳条湖の爆破にはじまる満洲事変がやがて盧溝橋事件へと、中国との全面戦争となり、中国が「国恥記念日」として民族の誇りを確認し、日本の侵略、列強に支配されてきた自国の歴史を実感し、偉大なる中華の民たる明日を想い描く原器になるものです。中国の民は、このような9・18の前夜に日本の「国有化」を聞いたわけで、「日本帝国」への悪夢、再び「侵略」との感情に火をつけたといえましょう。野田首相はじめ関係閣僚は9・18に想い致していたのでしょうか。全く無知だったのではないでしょうか。
 為政者に問われるのは、歴史への知であり、歴史を知ることで己の統治を検証し、いかなる明日を構築するかに想い致す構想力です。荻生徂徠は、今の世に生まれて数千年の昔のことを読み取り、見聞広く事実を認識する学問が歴史であるとなし、事実をふまえた想像力が為政者には問われていると、為政者が身につけるべき知に歴史への眼を説いております。毛沢東は二十四史を読むことで、その権力を維持しました。昨今の為政者にはこのような歴史に学び、己の統治を検証し、その判断をする人物が見い出せません。たしかに「美しい国」日本を言挙げする人物はいますものの、神話と歴史の区別もなく、神話に酔い痴れているのみの貧困な知性に哀れを感じるだけで、こんな漢に代表される日本に困惑する昨今です。

歴史に遊ぶこころみ

 こんな愚痴をこぼしたくなる昨今だけに、歴史に遊ぶ―時空間を旅し、現在からほぼ一世紀、90余年前の1920年に時代人が見た百年後の世界をながめてみることとします。『日本及日本人』は、「百年後の日本」を各界諸名士に問いかけ、臨時増刊(第780号 1920年4月5日)を刊行。この1920年は、第1次世界大戦による労農ロシア-ソヴィエトの登場による世界秩序の再編下、戦後恐慌がはじまり、労働社会問題が時代をゆるがせるなか、「栄光」の明治を体現した明治天皇を祀った明治神宮が東京代々木に完成し、明治という時代が「神代」になっていく年です。この「百年後の日本」という問いかけは、前代の栄光がもたらした翳にどう向き合うかを問いかけるこころみなのでしょうが、応答者は時代の空気をどのように読み取り、明日を思い描いたのでしょうか。なお、雑誌『日本及日本人』は、1907年に『日本人』と新聞『日本』が合併し、三宅雪嶺が主宰した雑誌。
 ソヴィエト誕生を目にした社会主義者堺利彦、大逆事件後の厳しい冬の時代を売文社によって生きのびた「主義者」の「頭目」には、明るい明日、搾取のない世界が展開しています。

「一百年後の日本」は社会主義の経済的変革が成就されてから、もう余ほど長く立つた頃でせう。愛国主義者や、国粋主義者や、国威国光宣揚主義者や、有らゆるウヌボレ者、偽善者が跡形もなく消えうせてゐるでせう。そして貧富の別もなく、都会と田園との別もない、筋肉労働と脳力労働の別もない、平和な社会が現出してゐるでせう。

 社会主義者は、労農天国と喧伝されるソヴィエト出現に明日の世界を楽天的に謳歌し、現実を見つめることがないようです。それは、山川菊枝が「幸福な男女の生活」を「貧民窟もなければ富豪の城郭もなく、あるものは美しい自然と、簡素な、そして気持ちのいゝ個人の家と、壮麗な会堂や美術館」と、思い描く世界にも見られます。ここには、国家の強権による厳しい監視下に生きる「主義者」にとり、人民の天国を説く社会主義を信仰として生きるしか術がない姿がうかがえます。
 このような「主義者」の信仰に対し、現実を受けとめることで一歩先取りした文学者菊池寛は、「幸福になるか疑問」となし、「人類の真の幸福と云ふものは、社会改造論者などの手で、ヒョイヒョイと生れるものでせうか」と、痛烈な一矢を放っています。この菊池の眼が現在求められます。そのためには、時代を突破する想像力が問われましょう。そのような言説は文学者に読みとれます。詩人である室生犀星は、「明るい女が殖える」と己の想いを投影し、「総ての女性が食物の進化(主として肉類などから)に順つて非常に美しい繊細(デリケート)な明るい女が殖えるだらうと思ひます」「思想的にももつと自由で、もつと肉感的(文明的)な女がふえるだらう」と、現在巷を闊歩しているような女性像を描いています。

現在を手にするために

 百年後を語ることは、現在生きている場から明日を予見する営みだけに、己の信仰や想いが端的に吐露されます。学者では、後に「風土」論で日本を位置づける若き和辻哲郎は「私には解りません」とし、「想像に浮ぶ未来の日本」を「非常に盛大になつた日本と滅亡した日本とが共に想像」できるが、「馬鹿々々しから止します」と。ここには現在をどう読み、いかなる明日をめざすかという想像力の断念がうかがえます。
 このような応答に読みとれる人間の歩みとは何なのでしょうか。人間の歩みは、「人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることができない」(エレミヤ)ことを自覚し、大いなる存在に向きあうなかに過去の営みを見つめ、問い質し、時代を切る裂くことで明日を手にしうる世界ではないでしょうか。それは、「百年後」の語りではなく、己が築くべき明日を歴史に読み解き、現在を手にする営みです。この作法は、混迷の渦に呑込まれることなく、私の場を確かなものとしましょう。