学び!と美術

学び!と美術

美術鑑賞の現在地~中編(2000~2010)
2021.05.10
学び!と美術 <Vol.105>
美術鑑賞の現在地~中編(2000~2010)
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 前回に引き続き、筆者の見えた風景を振り返りながらまとめます。今回は2005年に文部科学省初等中等教育局教育課程課の教科調査官(※1)として学習指導要領の作成に携わった時期のエピソードを二つ紹介したいと思います。

 教科調査官というのは、簡単にいえば教科の専門的な知見をもとに学習指導要領の作成や解説、指導助言などを担当する仕事です(※2)。教育現場の人間が、いきなり行政に関わることになり戸惑いはありましたが、頼もしい同期採用も大勢おり、村上尚徳教科調査官(※3)という心強い旧知もいて、すぐになじむことができました。
 文部科学省内の図画工作・美術ファンを広げようと、教育課程課の課長以下、大勢で東京国立博物館の「北斎展」に押しかけて、勝手に鑑賞会をしたり(※4)、省内で「美術倶楽部」をつくって鑑賞法の解説や絵の描き方などを体験する活動をしたりするなど(※5)、学芸員や美術教諭の経験を生かした活動も行いました。

富嶽三十六景 凱風快晴 ギメ美術館富嶽三十六景 凱風快晴 東京国立博物館

 上の「初摺(しょずり)」は浅い色合いですが、下の「後摺(あとずり)」はかなり強くまるで夕焼けに見えます。木版の欠けや潰れもみられます。朝焼けという解釈や、快晴の下で富士山の茶色い山肌を表現したなどの意見は「初摺(しょずり)」で確認できます。

学習指導要領や指導主事を起点にした鑑賞教育の動き

 2005年は、まだ「鑑賞って何ですか?」「鑑賞の授業したことありません」という声が聞かれた時期です。平成10年(1998年)の学習指導要領改訂で「鑑賞の独立」と「美術館の連携」が示されたこともあり、年に2回ほど行われる全国指導主事会(※6)でも、鑑賞教育に不安に感じている指導主事の先生が多くいました。
 全国指導主事会では、各自のレポートをもとにしたグループ協議や学習指導要領の解説などが行われます。解説では、対話的な美術鑑賞やアートカードの他、全国から収集した「美術品を時代劇の配役に喩える実践」「複数の器の中から唐津焼を選び出す実践」「美術品の前でアーティストになりきる実践」など様々な鑑賞教育の実践や、その学習効果などを説明しました。
「どれが100円?」佐賀大学教育学部附属小学校杉原世紀先生(現:唐津市立外町小学校校長) 指導主事の先生たちはこれを持ち帰って各都道府県の指導や実践に生かしたはずです。それは、各都道府県のレポートが、年々豊かになっていったことからも分かりました。散発的だった鑑賞教育の実践は、全国指導主事会を通して面のように広がったのだろうと思います。
 このような行政的な取組みは、教育実践や研究の陰に隠れがちですが、鑑賞教育の普及に果たした役割は大きいと考えています。
 私たちの仕事で特に重要だったのは、学習指導要領の解釈と解説です。当時、村上調査官と毎日のように次期改訂の方向について話し合っていました。鑑賞教育に関しては、この時、定義の更新が行われています。それは、村上調査官の「鑑賞教育は創造活動と解釈できる」という指摘からです。
 平成10年版の学習指導要領の教科目標は以下です。

図画工作
 表現及び鑑賞の活動を通して、つくりだす喜びを味わうようにするとともに造形的な創造活動の基礎的な能力を育て、豊かな情操を養う。
美術
 表現及び鑑賞の幅広い活動を通して、美術の創造活動の喜びを味わい美術を愛好する心情を育てるとともに、感性を豊かにし、美術の基礎的能力を伸ばし、豊かな情操を養う。

これを図のように解釈することができると言ったわけです。

 それまで、表現活動を中心とする図画工作・美術において「つくりだす喜び」や「創造活動の喜び」は、描いたりつくったりする喜びとほぼ同義でした。また観点別評価の位置づけも、鑑賞は「知識・理解」事項でした(※7)。しかし、教科目標の理解として「鑑賞教育は創造活動」という解釈は妥当ですし、何より宮崎県立美術館で出会った子どもたちの姿とも一致します。確かに彼らは創造的に鑑賞を行っていました。
 それまでにも「鑑賞は鑑賞者の創造的な行為だ」とする指摘はありましたが(※8)、学習指導要領の解釈としては行われたのはこの時が初めてでしょう。その結果、少なくとも指導主事の先生たちの間では「鑑賞は思考や判断などを含む創造活動」とされ、児童・生徒の能力を伸ばすために必要不可欠な学習活動だという共通理解が形成されたのです。
 この考え方については教育以外でも認める声がありました。例えば、筆者の新聞インタビューを読んだ映画監督の羽仁進氏は、著書の中で以下のように述べています(※9)

 帰ってきたら、新聞に「小中学校、美術館と連携強化」という興味深い記事が出ているのをみつけた。
 単に美術館の見学をするのではなく、そこから生徒たちが新しいものをみつけ出す行為を、双方が力をあわせて探りだそうということらしい。
 お役人であるだろう国立教育政策研究所の調査官の方も、「見ることはつくることと一つ」という素敵な談話をよせている。
 「鑑賞は自分を発見する行為であり、作品の創造ともつながっている」。子どもたちの姿の中に「すっと作品に身を重ねて、自分の世界から鑑賞する」姿を見た、と言う。
 これはなかなかの急所だ、と僕は思う。

 今では、当たり前のように思われている「鑑賞は創造活動」について、当時このような経緯があったことは、鑑賞教育が現在に至るまでの一つの側面でしょう。

国立美術館を起点にした動き

 2005年は美術館の民営化も議論されていた時期でした(※10)。簡単にいえば「美術館はお金がかかるから指定管理者に任せたら」という意見です。
 国立美術館の民営化は、東京藝大平山郁夫学長や河合隼雄文化庁長官(いずれも当時)など関係者の尽力もあって避けることができたようです。ただ「国立」としての役割をもっと果たすべきではないかという声もあり、専門者会議として「国立美術館の教育普及事業等に関する委員会」が立ち上がります。私は突然その座長を担うことになり(※11)、短期間でメンバーを集めて提言をまとめることになりました(※12)
 提言の一つは、鑑賞教育活性化のために鑑賞教材の開発・普及を行うことでした。当時の教材カタログを開けば分かりますが、鑑賞用の教材は掲示用作品や画集しか掲載されていません。教師の能力は、単独で成立するものではなく、教科書や教材など様々な資源から成り立っています。その意味で、鑑賞教材の不足は鑑賞教育を豊かにする方向に働いていませんでした。
 提言の後、委員会は「国立美術館アートカード」を作成します。国立美術館5館の名品が13枚ずつセットになった65枚の鑑賞教材です(※13)。アートカードにした理由は、アートカードが様々な鑑賞法をすぐに実践できる汎用性を持っていたからです。
 他に教材として「鑑賞の理論を構築し、それをテキストという形で提供する」という意見もあったのですが、それは「実践や知見が十分ではなく時期尚早」ということで断念します(※14)
 今、美術館の収蔵品にそった様々なアートカード・セットが各地で作成され、民間でも販売されています(※15)。当時、アートカードを活用していた美術館は数館程度でしたから「国立美術館アートカード」は、鑑賞方法の多様化に貢献したのではないかと考えています(※16)
 提言のもう一つは、国立美術館は地方の実践をつなぐ結節点やハブとして機能すべきというものでした(※17)。当時の鑑賞教育の状況は、優れた実践が地方で個人的、局所的に起こっていました。委員会では「何か理想的なモデルをつくって現場に示すよりも、優れた実践をつなぎ合わせることが大事だ」「指導者を育成することが必要だ」という意見が大勢でした。
 それを具現化したのが「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修(※18)」です。全国の都道府県・政令指定都市から指導主事、教諭、学芸員などが集まって、お互いに実践を発表し合ったり、対話的な美術鑑賞やアートカードなどを体験したり、講演を聞いたりする研修会です。結果的に、参加者がそこで得た成果を各地に広げてくれるのではないか、というわけです。
 手探りで始まった研修会は、少しずつ手ごたえを感じられるようになります。報告される実践の内容は毎年充実し、研修会をきっかけとして参加者同士のネットワークも形成されました。研修会に参加できるまで数年の予約待ちという先生もいるほどの都道府県も生まれます。当初、10年程度で役割を終える予定だった「指導者研修会」は、国立美術館内での事業評価も高く、今も継続されています。
 当時の状況をまとめた簡単な報告を書いているので再掲したいと思います。

「今だからこそ言えるが、当事者として、この研修がどのような成果を生むか半信半疑だった。(中略)しかし、年を経るごとに徐々に「自分の地域ではこのような実践を行っている」「鑑賞教育はこの点が大事ではないか」という意見が聞かれるようになった。(中略)参加者が各地で発表をしたり、実践を広げたりしているという方向も相当見聞きした。先日はその現場を調査してきた。当時の参加者が鑑賞教育の熟達者として研修会をリードしていた。(中略)学校と美術館の制度や立場の違いを理解し合って協力するという姿勢も見られる。何より「子どもを育てるために学校や美術館は何かできるはずだ」という考え方が形成されつつあると思う。」(※19)

 2000年から2010年は、鑑賞教育がいわばブームのようになった時代です。対話を用いた鑑賞方法は「対話型鑑賞」と呼ばれ盛んに実践されるようになりました。鑑賞に関する研究会(※20)や研修会も様々な場で行われます(※21)。海外の高名なエデュケーターを招聘して講演会を開催したり、教育普及の展覧会を企画したりすることも行われました(※22)
 海外から実践を積んで帰国し活躍している研究者や学芸員、編集者なども次々と現れます。作家サイドの動きも活発になり、例えば国画会では、作家自身が自分の作品の前でギャラリートークをする「トークイン」を2007年から全部門に広げ、毎年国立新美術館で実施しています(※23)
 このような流れの中で、保守的な性格のある教育現場に対して、文部科学省や指導主事、国立美術館等が、鑑賞教育の実践を後押ししたり、考え方を整理したりしたのは一つの事実でしょう。

 後編は、2010年から2020年にかけて見えた風景についてまとめ、美術鑑賞の現在地にたどり着きたいと思います。

※1:専任は国立教育政策研究所の教育課程センター教科課程調査官であり、文部科学省初等中等局の教科調査官はあくまで併任となります。
※2:ほぼ10年ごとの学習指導要領改訂にあわせて、全国から指導主事や研究者など担当者が集められます。
※3:現:環太平洋大学副学長。平成10年版図画工作指導要領や解説書の作成で一緒に仕事をしました。
※4:「北斎展」は世界中から北斎の浮世絵を500点以上集めた大回顧展。初摺は海外に保有されていることが多く、国内で後摺との比較ができる貴重な展覧会でした。しかし、大勢で来館し、勝手にギャラリートークをしていくのですから、今思えば冷や汗ものです。平成館 特別展示室 2005年10月25日(火)~2005年12月4日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_calender/index.php?date=2005-11-20
※5:宮崎大学附属小時代に知り合い、同学年ということで親しかった教育課程課の吉冨芳正課長補佐(現:明星大学教授)のアイデアで始まりました。対話型鑑賞のワークショップ、国立新美術館開館記念「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」の作品解説、5秒で描ける年賀状イラストなどその時々で内容を工夫して半期2~3回程度実施しました。
※6:俗称です。時期によって「新教育課程説明会(中央説明会)」「各教科等担当指導主事連絡協議会」など内容や名称が異なります。
※7:観点別学習状況の評価では音楽や図画工作・美術の「鑑賞の能力」は「知識・理解」に位置づけられていました。〔共通事項〕を設定したことから扱いがやや変更されますが、正式に「思考・判断・表現」として評価されるようになるのは平成29年の改訂からです。
※8:例えば、1957年にマルセル・デュシャンは講演で鑑賞者の創造的行為に言及しています。「要するに、芸術家は一人では創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造過程に参与するのである」マルセル・デュシャン著 ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳『マルセル・デュシャン全著作』未知谷 1995
※9:羽仁進「僕がいちばん願うこと エピクロス的生活実践」岩波書店 2007 pp.96-97
※10:当時の状況は http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/gakujutu/siryo.pdf などに詳しい。
※11:当時の国立美術館理事長は初等中等教育局長だった辻村哲夫氏、全国の指導主事先生の結節点でもある教科調査官が有効だと思われたのだろうと推測します。
※12:「国立美術館の教育普及事業等に関する委員会」第1回目2005年12月22日開催。その後、1月19日、2月4日、2月14日と立て続けに委員会を開き、3月3日付けで「座長提言」を取りまとめ、指導者研修の大枠が決定されました。
※13:鑑賞教材「国立美術館アートカード・セット」
http://www.artmuseums.go.jp/kensyu/art_card.html
※14:個人的な心残りから出版したのが、ロンドン・テートギャラリー編 奥村高明・長田謙一監訳 酒井敦子 品川知子訳『美術館活用術 鑑賞教育の手引き 』美術出版社 2012です。美術鑑賞の理論や、様々な鑑賞活動が紹介されています。

※15:美術出版サービスセンターの教材SCOPE
https://www.bijutsu.biz/bss_bsc/scope/
日本文教出版の指導書付録にも含まれており学校現場で活用されています。
※16:学び!と美術<Vol.60>「アート・ゲーム再考」2017.08.10
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art060/
※17:当時千葉大学教授の長田謙一委員が理論的な支柱でした。
※18:国立美術館「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」
http://www2.artmuseums.go.jp/sdk2018/
※19:奥村高明「5年間の指導者研修を振り返って」『平成22年度 美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修』独立行政法人国立美術館 2011 140p
※20:例えば、美術科教育学会第7回西地区研究会〈シンポジウムin〉京都概要集「これからの鑑賞教育—美術を身近なものにするために、学校と美術館がいま、できること—」平成15-17年度科学研究費補助金(基盤C)鑑賞教育研究プロジェクト(代表者:石川誠)2004
※21:例えば、京都造形芸術大学福のり子教授が中心となって実施しているアートコミュニケーション研究センター「ACOP」。
https://www.acop.jp/
※22:例えば、岡山県立美術館。
https://okayama-kenbi.info/ 2005年度-館ニュース(69-72)/
※23:第13回国展トークイン
https://kokuten.com/32885