学び!とESD
学び!とESD

「学び!とESD」の連載も5年間続けさせていただき、60回を超えました。2025年という新たな年を迎えたこの節目の回に、私たちの社会は持続可能な未来へ向かっているのか否かについて、立ち止まって考えてみたいと思います。
ここに1つの図があります。2005年3月26日に一ツ橋町記念講堂で文部科学省及び国立教育政策研究所の主催によって開催された平成16年度教育改革国際シンポジウム「持続可能な開発と21世紀の教育」の基調講演「タイムリー・ウィズダムを育む―現代教育の最重要課題―」で示された図です。このイベントは、まさに日本政府による「国連ESDの10年」のこけら落しとして開催された第一歩であり(*1)、その基調講演者として抜擢(ばってき)されたのはハンガリー生まれで、世界賢人会議「ブダペストクラブ」の創設者として知られるアーヴィン・ラズロでした。ラズロは壮大な歴史と宇宙空間から地球の現在を捉え直し、私たちに示唆を与えてくれる未来学者でもありました。
図1 人類存続に関わる2つのシナリオ(1990年代以後)
出典:E.ラズロ「タイムリー・ウィズダム(いまこそ必要な知恵)を育む:現代教育の最重要課題」p.19.
この基調講演でラズロは人類の歴史をたどり、2005年当時の人間社会がいかに重要な分岐点に立たされていたのかについて詳述しています。ここでいう分岐点とは、持続可能性に向けて歩むブレークスルー(局面打開)か、人類を破局へと追いやるブレークダウン(崩壊)かという、まさに人類存続に関わる分かれ目を指しています。
図中の「初期条件」とは、人口増加や貧困、格差、宗教的不寛容など、当時の国際社会が直面していたグローバルな課題を指し、その先、つまり、上記のシンポジウムが開催された2005年である「国連ESDの10年」初年以後には、2つのシナリオを描くことができると述べています。1つは、対立が対話となり、平和・環境運動が拡大し、持続可能な未来に向けた地球規模の制度変化が起こり、平和・協調的なライフスタイルが生まれ、そして持続可能性が達成されるという希望へのシナリオです。もう一方は、対立が対決となり、経済・政治・文化的領域における分極化が進み、暴力がエスカレートし、持続不可能な無秩序の状態となるという破局へのシナリオです。
さて、この図が描かれてから20年後の新年を迎えた私たちは前者と後者のどちらのシナリオを歩んできたのでしょう。今世紀に入った頃から深刻化した格差や社会的な不寛容、世界中で常態化した気候危機、この数年で起きたウクライナやガザでの戦争などを勘案すると、残念ながら後者のシナリオを歩んできたと回答する人は少なくないのではないでしょうか。ちなみに、ラズロ(2006)は「軍事力を背景にグローバルな経済・政治目標を達成しようとするアメリカの明らかな覇権主義的野心」の台頭についても述べていますが、まさに自国第一主義を掲げるトランプ政権の誕生を未来学者は予見していたかのようです。
分岐点でいわば「救世主」として期待されたのがESDであり、上記のシンポジウムは「国連ESDの10年」がスタートするにあたり、その気運を高めるために日本で開催された最初の大がかりなイベントでした。ESDを通してタイムリー・ウィズダム、つまり「新しい持続可能な文明にふさわしい倫理」を人々が身に付け、前者のシナリオに沿った変化を起こしていくことが望まれていたのです。
ところが、20年を経た現在、これまでを振り返り見ると、そうはならなかったと言わざるを得ません。日本を含めた各国が傾注してきたESDは失敗であったのでしょうか。
確かにそれは微力であり、大きな流れを変えることはできなかったのかもしれませんが、無力ではなかったと筆者は捉えています。もし「国連ESDの10年」のような努力がなければ、持続不可能性の方へと疑いもなく突き進んでいたかもしれません。学習指導要領の前文や総則に「持続可能な社会の創り手」が明記された日本などが好例ですが、国際的なESDという教育運動は各国内においてある程度の抑制力として機能してきたという見方もできるでしょう。
ただし、昨今の気候危機など、その力は不十分であったと言わざるを得ない現状は直視しなくてはなりません。持続可能な未来へのシナリオへと舵を切らずにこの20年と同様の社会システムやライフスタイルを継承するのであれば、無秩序へのシナリオに示されている諸問題はより切実さをもって私たちの日常に迫ってくるでしょう。ではどうすればよいのでしょうか。
ラズロは、この危機的状況に対して「宇宙船地球号の倫理」を提唱しました。つまり、地球を運命共同体としての宇宙船に見立てて、次の3点が重要であると指摘したのです。
- 他の乗組員が生活し働くことができるように行動すること
- 宇宙船がうまく機能する状態が維持されるように行動すること
- 全てのシステムが持続可能な発展を続けられるように行動すること
しかし、上記の3点のいずれも否定されたかのような体たらくをこの20年間の歩みは示しています。宇宙船地球号の乗組員同士は争いを続け、気候危機や急速な生物多様性の消失によって宇宙船そのものの存続が危ぶまれています。SDGsの達成度の低迷は目を見張るばかりであり、制度や社会の仕組みは十分に持続可能な未来に向けてシフトしていません。20年前に明示された未来学者の警鐘をどれだけ真剣に受け止めて歩んできたのか、ふたたび今、立ち止まって考える必要があると言えましょう。
次号では、人類共通の問題に対する解決の示唆を得るために、この連載でも何度か登場したESDの論客であるS・スターリンの主張を紹介し、アポリアの解決に向けた糸口にしたいと思います。
*1:当時、筆者は国際シンポジウムの事務局を務め、基調講演者の選出から報告書作成までを担いました。この報告書(和文・英文)は国立教育政策研究所のウェブサイトからダウンロードできます。
https://www.nier.go.jp/symposium/jouhou20050326/j.pdf
また、ラズロをはじめとした登壇者の講演や討議については参考文献『持続可能な教育社会をつくる:環境・開発・スピリチュアリティ』を参照されたい。
【参考文献】
- アーヴィン・ラズロ(2006)「タイムリー・ウィズダム(いまこそ必要な知恵)を育む:現代教育の最重要課題」(日本ホリスティック教育協会(吉田敦彦・永田佳之・菊地栄治)編『持続可能な教育社会をつくる:環境・開発・スピリチュアリティ』せせらぎ出版)10-31頁).
- 国立教育政策研究所(2005)『教育改革国際シンポジウム報告書「持続可能な開発」と21世紀の教育:未来の子ども達のために今、私たちにできること―教育のパラダイム変換―』.