学び!と共生社会
学び!と共生社会
はじめに
2024年10月29日から11月3日まで、有楽町駅近くにある東京国際フォーラムを会場に「クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー『だれもが文化でつながる国際会議2024』」が開催されました(*1)。
「だれもが文化でつながる国際会議2024」は、国内外のさまざまな視点から文化と居場所について考え議論するカンファレンスで、東京都の芸術文化政策の下で事業を展開している「アーツカウンシル東京」によって実施されたものです。
多様化・複雑化する現代社会では、私たちの誰もが「居場所」を必要としていて、「安心していられる居場所」があることを「ウェルビーイング」のひとつのあり方ととらえて「文化と居場所―アートが開く新たな未来」というテーマで開催されました。国内外のアーティストの作品展示、ワークショップやトーク、参加者・来場者の交流、コミュニケーションのあり方の探求という4つの柱で構成されていました。
筆者も展示の一部に関わっていたのですが(*2)、来年、「東京2025デフリンピック」が開催されることから、このイベントでも「ろう文化」に焦点が当てられていました。
そこで、今回は「ろう文化」とくにその言語に焦点を当ててインクルーシブ教育を取り上げることとしました。
デフリンピックについて
東京2025デフリンピックは日本で初めての開催となります。2025年11月15日~26日に開催されることになっています。
本題に先立って、デフリンピックについて、その概要を日本ろうあ連盟のホームページ(*3)を参考に整理しておきます。
デフリンピック(Deaflympics)
- 身体障害者のオリンピック「パラリンピック」に対して、きこえない・きこえにくい人のオリンピックとして、夏季大会が1924年(フランス)で、冬季大会が1949年(オーストリア)で初めて開催された。
- 障害当事者であるろう者自身が運営する、きこえない・きこえにくい人のための国際的なスポーツ大会で、また参加者が国際手話によるコミュニケーションで友好を深められるところに大きな特徴がある。
- 国際ろう者スポーツ委員会(International Committee of Sports for the Deaf)によって運営され、104の国が加盟国している。
デフリンピックとパラリンピック
- 国際ろう者スポーツ委員会は、国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee)の発足当初(1989年)は、同委員会に加盟していた。
- デフリンピックの独創性を追求するために、1995年に組織を離れた。現在は、ろう者はパラリンピックに参加していない。
- デフリンピックの独創性は、コミュニケーション全てが国際手話によって行われること、競技のスタート音や審判の声による合図を視覚的に工夫すること。
- それ以外は、オリンピックと同じルールで運営されている。
- パラリンピックがリハビリテーション重視の考えで始まったのに対し、デフリンピックはろう者仲間での記録重視の考えで始まったという点で異なっている。
- 現在は、両方とも障害の存在を認めた上で競技における「卓越性」を追求する考えに転換している。
我が国での聴覚障害教育と「ろう文化」
ヘレン・ケラーは、「目が見えなければ物事から切り離され、耳が聞こえなければ人々から切り離される…耳が聞こえなくなるということは、まさに孤立するということ。」(*4)と記していますが、デフリンピックとパラリンピックの関係が示すように、聴覚障害のインクルーシブ教育については、その「障害特性」に配慮して丁寧に進めていく必要があることがわかります。
日本の学校教育システムは、インクルーシブ教育を志向しつつも、特別支援教育が必要だという立て付けになっていますので、学校教育においては、障害の特性に応じた対応を重視しているということになります。
しかしながら、聴覚障害教育について深掘りすると、「障害の特性」に配慮するという観点からすると、「ろう文化」の基盤とされる「手話」の使用が長い間制限されてきたという歴史があります。
大正時代末期以降、口話法によるろう教育が主流となり、特に1933年(昭和8年)の全国聾学校校長会で、当時の文部大臣鳩山一郎が「各校は口話教育に奮励努力せよ」と訓示したあと、その傾向は顕著になりました。
そうした流れの支えとなったものの一つに、川本宇之介の手話否定論があります。川本宇之介は、『聾唖教育学精説』の中で、以下のような手話批判論を展開しています(ほぼ原文のまま引用)(*5)。
- 手話語は自然表出運動に基づき、人類の言語としては最も初歩的で、幼稚なるものである。
- 手話語は多義であり変化し易い。随(したが)って意義が曖昧になる惧(おそ)れが多い。
- 手話語は直観的であり思想を直截簡明に、絵画的に表現することは容易であるが、抽象概念を表現することは困難である。
- 手話語は思考を論理的になすことを困難ならしめ、随(したが)って文を論理的になすことを困難ならしめ、論理的表現を完全ならしめない。
- 手話語はそれ自身には、一の語法があるかも知れぬが、その語法は如何なる国語とも一致することはない。
- 手話語は殊に時間空間、原因、結果等の事物の関係、物の属性殊に人間の関係を明瞭に表現すること困難である為、甚だしきは、その文は文をなさず、語法の紛更を来し、屡々単語の羅列となることがある。故に聾唖児の思考力を発達させることに貢献することが少い。
- 斯くの如くであるから、手話語は各国の国語とは、全くその体系を異にする。異種の体系語と結合して教授しても聾児の使用する国語は、恰(あたか)も木に竹をついだ様になる傾向が甚だ強い。随(したが)って自ら、聾児に文の理解力を盛にし、読書力を発達させることを、甚だ困難ならしめる。
こうしたとらえ方もあって、口話法を中核にすえた聾教育の方針は戦後も貫かれてきました。「聾学校には『健聴者の社会に生きていくためには音声言語によるコミュニケーションは必要であり、音声言語の獲得が聴覚障害児の社会参加や健聴者社会での自立の可能性を広げることにつながる』という発想もある」(*6)と指摘されているように、聴覚障害児を健聴児に近づけるための教育的営みが重視されていたことの表れだったと言えるのかもしれません。しかし、時を経て、児童生徒の実態や社会情勢の変化に対応して、少しずつ手話を含めて他の手法も利用されるようになってきました。
そして、1993年文部省専門家会議報告書において、手話に関する見解が公に示されるに至りました。それまでの60年の長きにわたり学校現場で手話使用は公然とは認められていなかったということになります。
なお、聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議の報告には、次のように記されています(*7)。
聴覚障害児が社会参加・自立したのちのコミュニケーション手段については,国語(話し言葉と書き言葉)と手話や指文字等による補助及び併用を行うこと,場面や相手等に応じたコミュニケーション手段の使い分けを行うことが必要になるであろう。
そして、1996年には、木村らによってろう文化宣言が発せられます(*8)。
「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」
―これが、私たちの「ろう者」の定義である。
こうした経緯を経て、現在の聴覚障害教育では、口話一辺倒ではなく、手話も含め手話、指文字などのさまざまなコミュニケーション手段が導入されるようになってきています(*9)。
また、上農(*10)は、近年の盲学校の実情を次のように整理しています。
①従来通り口話法を堅持している聾学校(一部の私立聾学校や公立聾学校)
②口話法と対応手話を併用している聾学校(大部分の公立聾学校)
③日本手話と初期日本語のバイリンガル教育を実施している聾学校(私立明晴学園)
なお、文部科学省からは、聴覚障害教育における「言語指導」について解説した「聴覚障害教育の手引─言語に関する指導の充実を目指して─」(以下「手引」)が発行されています(*11)。
また、手話には、日本手話、日本語対応手話などさまざまな形態があるのですが、本稿ではそこまで言及できませんでした。このことについては、「手引」に記載されている内容に対する日本ろうあ連盟の意見を参照してください(*12)。
フルインクルージョン体制における聴覚障害への対応
フルインクルージョン体制をとっている国では、聴覚障害児の言語について、どのように対応しているのでしょうか。筆者は、これまで、イタリアのインクルーシブ教育について調べてきていますが、聾学校がなくなったイタリアでは、聴覚障害児者の教育という面では、さまざまな課題に直面しながら現在に至っていると受け止めています。
口話法が国際的に採択されたのは、1880年にミラノで開催された聾教育者会議においてでした。圧倒的多数で口話法が採択され,その後の各国の教育方針に多大な影響を与えたということですが、当然、イタリアでも口話法が採用されるようになりました。
しかし、1970年代になって、イタリアの教育はフルインクルージョン体制にシフトしました。原則として聴覚障害がある子どもも通常の学校で学ぶようになり、状況が一変しました。聴覚障害のない保護者は通常の学校への入学を希望したものの、インクルージョンへ転換後しばらくは、聴覚障害を保障する環境は不十分な状態にありました。
また聴覚障害のある保護者は、聾学校での教育を強く希望し、学校や教育行政機関が苦慮するという事態も少なくなかったようです。実際、2000年代初頭に筆者がボローニャの関係機関やモデナの学校を訪問した際、そうした対応に取り組んでいる場面に出会ったことがありました。
こうした混乱期を経て、いくつかの聾学校は健常の児童生徒も受け入れる「逆」統合型の学校として認可を受け、聴覚障害がある子どもに配慮のある教育を行うようになってきました。それらの教育機関では、コミュニケーションツールとして手話の有用性が評価され、広く使用されるようになっています。授業がイタリア語と手話の二つの言語で行われている学校もあるようです(*13)。
また、通常の学校の中で、バイリンガルモデルを取り入れる地域も出てきています。ピエモント州のコサットという地域では、聴覚障害がある子どもの教育を通常の学校で保障するために、聴覚障害のない子どもも第2外国語として手話を学ぶというプロジェクトに取り組んでいます。このプロジェクトは1994年に保育園から開始され、その後、小学校、中学校に継続され、近年では、高等学校において数十人の聴覚障害がある生徒が、このプロジェクトの恩恵を受けているということです(*14)。
さらに、Raffaella Carchioの論文(*13)からは、ミラノでも2008年に総合学校(保育園、小・中学校)で同様のプロジェクトが開始されていることがわかりました。このプロジェクトはさらに進化して、同じクラスに複数のろう児を在籍させて、通常の学校でのインクルージョンを促進しようとしているところに特徴があります。イタリア語と手話のバイリンガルな環境の下で、ほぼ全時間にわたってコミュニケーションアシスタントが教室に存在するともに、聴覚障害担当教師が専門的に指導にあたっています。また、聴覚障害担当教師は、ろう児と直接関わるだけでなくクラスの子どもたちや教師にも手話を教えているということです。
まとめ
「東京2025デフリンピック」の開催を契機に、今回は聴覚障害とインクルージョンの話題についてトピック的に取り上げました。
「パラリンピック」と「デフリンピック」が別々に開催されている現状からは、融合を求めながらも、聴覚障害の特性に合わせた現実的な対応の難しさが浮き彫りになってきました。しかしながら、それはインクルージョンの限界を示すものではありません。インクルーシブ教育は、すべての児童生徒にとって、有益であることをゴールとして目指すものであって、そのプロセスが重要な意味を持っています。障害特性に合わせた配慮をしながら、個別最適な環境をどう整えていくかということがとても重要になってきます。
近年になって「ろう文化」の理解が進み、手話が聴覚障害教育の分野だけでなく社会でも市民権を得るようになってきています。インクルーシブ教育を充実させていくためには、このことをさらに推し進めていく必要があります。インクルーシブ教育は、「同じ場」で、「共に過ごす」ことだけを求めているものではありません。聴覚障害を含めてさまざまな障害特性を超えて、すべての児童生徒にとって「個別最適な学び」と「協働的な学び」を充実させていくことが目指されなくてはなりません。そのためには、通常の学級や社会の側が発想の転換を図っていくことが不可欠です。それにどれだけ柔軟に対応できるか、イタリアでの展開は、そのための一つの処方箋を示してくれているように思います。
*1:だれもが文化でつながる国際会議2024「文化と居場所 アートが開く新たな未来」
https://www.creativewell-conference.jp/
*2:<ふれてみる>ってどういうこと?
https://www.creativewell-conference.jp/attendees/#communicationlabo_02
*3:日本ろうあ連盟
https://www.jfd.or.jp/sc/deaflympics/games-about
*4:Christie J. Helen Keller. In: Gallaudet Encyclopedia of Deaf People and Deafness. Vol 2. New York: McGraw-Hill; 1987:125.
*5:川本宇之介(1940)『聾教育学精説』、信楽会、p.492-493
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1440192
*6:我妻敏博「聾学校における手話の使用と障害認識」
https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_b/b-181/b-181_03_01.pdf
*7:文部省 聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議
「聴覚障害児のコミュニケーション手段について(報告)」 平成5年3月22日
https://www.nise.go.jp/blog/2000/05/b2_h050322_01.html
*8:木村晴美・市田泰弘(1996)「ろう文化宣言 言語的少数者としてのろう者」、現代思想,24(5)、青士社、p.8-17
*9:我妻敏博「聾学校における手話の仕様と障害認識」
https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_b/b-181/b-181_03_01.pdf
*10:上農正剛(2020)「総説 聾教育における手話と書記日本語の問題 現実の中で議論するために」手話学研究,29-2、p.74-93
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasl/29/2/29_74/_pdf/-char/ja
*11:文部科学省「聴覚障害教育の手引─言語に関する指導の充実を目指して─」令和2年3月
https://www.mext.go.jp/content/20230228-mxt_tokubetu01-000027851_01.pdf
*12:「手話の捉え方」について
https://www.mext.go.jp/content/20230228-mxt_tokubetu01-000027851_02.pdf
*13:Raffaella Carchio Storia dell’educazione dei sordi(聴覚障害者教育の歴史)
https://psicologiadellasordita.weebly.com/uploads/1/6/9/9/1699542/01-storia_dei_sordi.pdf
*14:Informagiovani Cossato
https://www.informagiovanicossato.it/settori-informativi/salute-e-benessere/sordita/