学び!と人権

2026.09.07 <Vol.33>

「障害の人権モデル」とは何か?(その4)

森 実(もり・みのる)

「障害の人権モデル」とは何か?(その4)

「人間の尊厳」をめぐって

 デグナーさんの主張でわたしにとってわかりやすかったのは、「人間の尊厳」という言葉をめぐる事柄です。社会モデルであまり出てこないのは、この「人間の尊厳」という概念や考え方だというのです。言うまでもなく、人間の尊厳という概念は、世界人権宣言をはじめ、20世紀後半になって広がった国際人権基準のなかではくりかえし登場する重要な概念です。障害者権利条約では、「尊厳」という言葉が前文で3回、条項のなかで6回、あわせて9回出てきます。「人類社会の全ての構成員の固有の尊厳」「人間としての固有の尊厳」「障害者の権利及び尊厳」「障害者の固有の尊厳」「人間の潜在能力並びに尊厳」など、さまざまな文脈がありますが、いずれも「人間としての尊厳」という考え方に沿った登場の仕方です。それに対して、世界人権宣言では前文で2回、条項のなかで3回、「尊厳」という言葉が出てきます。国際人権規約A規約(社会権規約)では、「尊厳」という言葉が前文で2回、条項のなかでは1回出てきます。国際人権規約B規約(自由権規約)では、前文では2回出てきますが、条項のなかでは出てきません。人種差別撤廃条約も同様で、前文のなかに3回出てきますが、条項のなかでは登場しません。女性差別撤廃条約の場合も、前文に3回出てきますが、条項のなかでは登場しません。子どもの権利条約では、前文で3回、条項のなかに5回登場します。このように見てくると、デグナーさんが言うとおり、障害者権利条約は「人間の尊厳」に重きを置いた条約の一つだと言えそうです。
 そうなった理由として、デグナーさんが強調するのは障害者がこれまでの歴史のなかで集団としても個人としても尊厳を冒されてきたからだということです。介助者が車いすを押して出かけているところ、他の人が語りかけ、介助者に向かって「たいへんですねえ」とか「ご苦労様です」と言葉をかけたりする。車いすユーザーである障害者に話しかけることはほとんどない。障害のある女性が、本人の意向を無視されて子宮の摘出手術を行われる。これらは尊厳の無視です。ところが、社会モデルでは、そのような点やそのときの思いがじゅうぶん強調されていないと言います。
 ちなみに、障害者差別解消法では、「尊厳」という言葉が出てくるのは第1条のなかに2回だけです。さらに、「人権」という言葉が出てくるのは1回だけです。丁寧に読めば、同法は、障害という語の定義も障害者権利条約と異なることが分かります。同法では、「障害」とは、この文章で言う「機能損傷」のことです。同法での概念を定義した第2条には、次のように書かれています。

障害者差別解消法 第2条
一、障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。

ジルララビ障害者野学にあるピクトグラム(韓国・大邱(テグ))、筆者撮影

 障害者にとっての尊厳を考えるとき、わたしには思い出される場面があります。連載の第13回でも触れましたが、わたしは学生時代から50歳を過ぎる頃まで、Aさんという脳性マヒのある自立障害者の介護に入っていました。介護といっても1ヵ月に1回ぐらいですから、ささやかな関わりです。介護者集団のなかには、毎週介護に入っている人も何人かはいました。Aさんは言語障害のある人で、言っていることを理解するのにかなり時間がかかることもあります。彼は、「介護者は障害者の手足」という考え方ではなく、「介護者が自分で考えることが大切だ」と常々言っていた人です。介護者たちとAさんは、「ぼけつっこみ」よろしく、やりとりしながら過ごす時間もありました。介護者集団は、介護に入る枠を決めるため、毎月1回介護調整会議を開いていました。あるとき、その頃は介護者集団がルーズになっていました。調整会議も、だらだらと進んでいました。そのとき、いつになく厳しい表情でAさんが声を上げました。怒っていることはすぐ分かりました。われわれは、黙りました。そして、耳を傾けました。1時間ほどしてようやくわかりました。Aさんが言っているのは「介護に来るのが嫌なら、もう来るな。ボクは一人でもここにいる」ということでした。介護者がいなくてもここにいるというのは、たとえ死んでも自立生活を続けるということです。
 このような尊厳に関わる事柄は、デグナーさんの述べる次の箇所にも通じます。

障害の社会モデルでは、障害者は、機能損傷による痛み、生活の質の低下、早期死亡、および依存症に対処しなければならない可能性があるという事実を無視しているが、障害の人権モデルではこれを認め、社会正義の理論の形成に際してこれらを考慮することを求めている。(邦訳9頁)

「機能損傷」のとらえかた

 また、社会モデルは、機能損傷と障害との関係について合理的に説明できないともデグナーさんは批判しています。個々の障害者にとっては、それぞれの機能損傷と別個に社会からの排除やさげすみの視線があるわけではありません。そうだとすれば、機能損傷に近づけつつ障害を論じてもよいはずですが、社会モデルではそうなっていないと言います。
 それだけではありません。社会モデルでは、機能損傷を肯定的にとらえないという問題点があります。デグナーさんは、ご自身が「サリドマイドで両腕欠損」という人です。パソコンも足を使って操作されます。「パソコンを使うのは手」という健常者と同じ価値観で暮らすのではありません。みずからの機能損傷を社会に合わせるのではなく、別なかたちで生きてきた人なのです。治療モデルや社会モデルでは、障害は「普通」並の生活や行動がとれるように除去もしくは無化されるべきことが前提にされています。そこでは機能損傷というのはマイナスにとらえられているばかりです。デグナーさんの主張に従えば、人権モデルでは、機能損傷はマイナスとのみとらえるわけではありません。機能損傷があるからこそ生まれる素敵なものや素敵な生き方があるという発想です。
 デグナーさんの主張に賛同するオーストラリアの障害擁護資料局(Disability Advocacy Resource Unit=DARU)は、ウェブサイト「なぜ医学的障害モデルと慈善的障害モデルは人権と矛盾するのか?」という説明のなかで「人権モデル」の第1の特徴として「人権モデルは機能損傷をembraceする(The human rights model embraces impairment.)」と述べています。embraceとは、直訳すれば「(愛情を持って)抱きしめる」となります。機能損傷というと、「通常」の機能を持っていない、もしくは「通常」の機能よりも劣った、といったマイナスの意味合いが強くなります。しかし、デグナーさんやDARUは、これを「抱きしめる」のが人権モデルだというのです。

 デグナーさんは「障害の人権モデル」(2014年)という論考の最後を次のように締めくくっています。

締約国報告の大部分は、障害の人権モデルの明確な理解を反映していない。障害の医学的モデルに頼るのは時代遅れになっているが、人権モデルへのパラダイムシフトはまだ起きていない。

 この論考が発表されてから10年以上が経つのですが、この間に世界はどれほど変化したでしょうか。

【参考文献】

  • 日本文教出版株式会社ウェブマガジン「学び!と人権」 第13回 障害者の人権と教育
  • 「障害に関する医療モデルと慈善モデルは、なぜ人権と矛盾するのか?」(DARUウェブサイト、2019.1.31)