学び!と人権

2026.11.05 <Vol.35>

「障害の人権モデル」とは何か?(その6)

森 実(もり・みのる)

「障害の人権モデル」とは何か?(その6)

三つのモデルが教育実践にとってもつ意味

 前回まで、5回にわたって「自己責任モデル」「慈善モデル」「人権モデル」という三つのモデルについて論じてきました。ここで、最後にもう1回、これらの諸モデルが教育実践にとってどのような意味をもつのかを述べておきます。合理的配慮に関わる観点から考えるとわかりやすいと思います。前回は、合理的配慮についての政府のウェブサイトを紹介するに止まっていたので、それを補足する意味もあります。

車イス体験とその問題点

 1990年代から、障害者問題について考えるために「車イス体験」や「アイマスク体験」が活用されるようになりました。これらに関わって、その問題点や可能性を考えてみたいと思います。
 まず「車イス体験」についてです。ときとして、子どもたちが「車イスに乗ってしばらく過ごすことによって、障害者、とりわけ車イスユーザーの思いを理解することができる」という発想の教育実践がおこなわれることがありました。これはいくつもの意味で問題を含んでいます。
 まず、長くても1~2時間ぐらい車イスに乗って行動するだけで、車イスユーザーの思いがわかったような気になるという問題です。「車イス体験」の問題点の第一は、そのような気にさせてしまいかねないという点にあります。実際に車イスを使って日々生活している人にとって、短時間「車イス体験」をすることが自分たちの気持ちを理解することになるとは思いがたいと言われます。それにも関わらず、車イスに乗ってみることが学習としておこなわれているのです。
 では、何が発生しているのでしょうか。一つは、車イスユーザーに対する勝手なステレオタイプの形成です。自分が車イスに乗って感じたことを実際の車イスユーザーも体験し同じような思いを抱いているはずだと考えてしまうことで、そうと気づかないままに、実際の車イスユーザーの体験や思いとは外れた認識を持ってしまうということです。それは、多くの場合、「たいへんなんだなあ」ということです。
 もう一つは、「だから助けてあげなくちゃ」という意識を助長するということです。この連載を読んでこられた読者にとっては、「だから助けてあげなくちゃ」という意識が「慈善モデル」につながる可能性が高いことはわかりやすいのではないでしょうか。人権学習のはずが、人権の大切さを考えて、障害者の権利を保障するという発想ではなく、「助けてあげよう」という意識を強めてしまっているのです。
 合理的配慮との関係で言えば、「助けてあげる」ことが配慮なのだから、相手を助ける行為こそが大切ということになります。個々の車イスユーザー本人がどう思い、どんなサポートを求めているかはお構いなしになりやすくなります。残念ながら、これでは、いま求められている障害者の権利保障には結びつきにくいと言わざるをえません。

「アイマスク体験」とその問題点

写真:共同通信社

 「アイマスク体験」にも、同様の問題があります。「アイマスク体験」とは、二人組になって、ひとりが目隠しをして、その目隠しした人をもうひとりの人がガイドして、数十分程度歩いて回るという活動です。「車イス体験」と同様に、この疑似体験によって目の見えない人たちの思いがわかるかのような学習をしている例があります。その場合、多くは、経験者たちの感想を出し合って、それをもって「目が見えない人はこんなにたいへんなのだから近くにいたら、助けてあげましょう」という結論に導こうとするのです。
 これが、目が見えない人に対するステレオタイプを助長し、「助けてあげよう」という慈善モデルにつながりやすいことも容易にわかるのではないでしょうか。

「アイマスク体験」を意義あるものとするには

 「アイマスク体験」を意義あるものとするための一つの方法は、「アイマスク体験」の学習活動のあとで視覚障害者に体験や意見を話してもらうことです。
 わたしが担当した学習のなかで、次のような例がありました。あるとき、50人ばかりのおとなが集まって人権研修をしたときのことです。その場では、参加型学習の意味を考えることが目的とされていました。ちょうど参加者のお一人が視覚障害者だったこともあって、その研修がおこなわれていた校舎を使って「アイマスク体験」をしました。視覚障害者の方には、活動内容を説明したうえでこの活動に参加するかどうかの希望を聞いて、その場では参加しないということになりました。あわせて、あとのふりかえりの話し合いのなかで、コメントしてくださいということもお願いしました。これは快く引き受けてもらえました。20分程度「アイマスク体験」をして、その後ペアの逆の人が目隠しをして歩いて回りました。
 終了後に、どのように感じたかを参加者に話してもらいました。出てきたのは、「ガイドしてもらってもよくわからない」、逆にガイドしている人の側は「自分が『2メートル先に下りの階段があります』と説明しても、見えないからか、少しずつ片足を前に出して、なかなか歩いてくれなかった。自分は信用されていないのかと思った」などの感想がありました。あるいは、「遠くで多くの人が話していると、その人たちがどれぐらいの距離のところにいて、何を話しているのかわからず、不安でたまらなかった」などです。全体としては、「とても怖かった」「とても不安だった」「目が見えない人はたいへんなんだと思った」などの声が多かったと言えます。
 これを聞いた後、視覚障害のある参加者に発言してもらいました。その人が言ったのはこういうことでした。「自分にとって、この校舎を歩くことは、何でもない。怖くもなければ不安でもない」と最初に言いました。そのうえで、「わたしは中途失明で、中学生のときに失明した。わたしにとって一番困難だったのは、その状況を受け容れることだった」と話したのです。
 これは、体験者だからこそ話せる事柄で、多くの参加者はこの発言に思いを新たにすることとなりました。もしも、その人の発言がないままにアイマスク体験の学習活動が終わっていたら、「かわいそうだから助けてあげよう」という結論で終わっていたかも知れないのです。
 わたしが思うのは、もしもそういう疑似体験を実施して、いわゆる当事者からの話を抜きに感想を出し合って終わるならば、むしろその学習は問題を広げるだけになるのではないかということです。一口に視覚障害者といっても、様々な人がいます。そのことを抜きにして、「視覚障害者は○○だ」というステレオタイプを育て、強めるのです。実際には、生まれたときから目が見えない人もいれば、前述の方のように中途失明者もいます。目が見えないといっても、明るさなどぼんやりとわかる人もいますし、全く明るさなども感じることのない人もいます。
 残念なのは、当事者からのコメントなしに終わってしまう疑似体験学習が多く見られることです。その場合、自分が疑似体験を通して感じたことをもとに、視覚障害者を見かけたら、相手の希望などを抜きにして支援しようとしてしまいかねません。

*「アイマスク体験」を障害者問題に関わっておこなうのではなく、他の人をガイドするうえでどんなことを考える必要があるかを考えるためにおこなう場合があります。その際には、ここで述べているのとは異なる留意点や工夫が求められます。

疑似体験学習と合理的配慮との関係

 すでに述べてきたように、2006(平成18)年に「障害者権利条約」が国連総会で採決され、日本も2014年に批准しました。「障害者権利条約」によると、障害者とは、「長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な機能損傷を有する者であって、さまざまな障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられることのある者を含む」とされています。日本では、この条約の批准を受けて、「障害者差別解消推進法」が制定され、2016年に施行されました。
 前回、政府のウェブサイトを参照しつつ説明したように、「障害者権利条約」や「障害者差別解消推進法」では「合理的配慮」(reasonable accommodation)という概念を提案し、それを定義しています。「障害者権利条約」では、「合理的配慮」とは「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」で、それをおこなわないことは差別にあたるとしたのです。現在では、「障害者差別解消推進法」にもとづいて、民間企業もその基準で差別に取り組むこととなっています。これは、「人権モデル」による解釈です。
 けれども慈善モデルによって解釈する人たちもいます。つまり「障害者の人たちは参加できず、かわいそうだからバリアをなくしてあげよう」と言うのです。日本政府が「合理的配慮」という訳語を用いたため、この傾向は強まりました。「合理的配慮」(reasonable accommodation)のなかの「配慮」のもとになったのは、英語のアコモデーション(accommodation)です。これは、「調整すること」といった意味です。一方の「合理的」のもとになった英単語はリーゾナブル(reasonable)です。この文脈で言えば、これは「相互に納得ができるような」といった意味になります。つまり、「合理的配慮」とは、「相互に納得できるような調整をおこなうこと」といった意味なのです。相互に納得できるような調整をおこなうためには、互いの置かれた状況や希望についての交流や交渉が必要になります。この点は、前回紹介した政府のウェブサイトで記されています。
 もしも疑似体験を使った障害者に関わる学習が、ステレオタイプを強めて終わるならば、そのような発想とは結びつきにくくなります。また、障害者の人たちを「たいへんでかわいそうな人たち」と思わせて終わるならば、「慈善モデル」に立った意識や行動を助長する可能性があるのです。

「人権モデル」にたった学習であるために

 障害者問題に関わる学習が「人権モデル」についての認識を強めるものであるためには、以上のように、障害者との交流を位置づけておく必要があります。それに加えて、本来はすべての人が参加できる社会でなければならないということを示す必要があります。
 疑似体験学習活動も、「大変なのだ」「助けてあげなくちゃ」で終わるのではなく、ステレオタイプの問題を意識し、同情的な見方の問題点を自覚できるように組み立てられなければなりません。そのうえで、障害者権利条約などを参照しながら、人権モデルに近づくような学習へと進むのです。
 障害者権利条約には、虐待からの自由、社会参加権、移動権、表現の自由、プライバシーの尊重、家族の尊重、教育権、健康享受権、就労権、余暇権などが含まれており、それらを保障する責任が社会、とりわけ政府にはあります。障害者にとってこれらの権利は、健常者以上に守られていない現実があります。保障するためには、現状に見られる問題点を確認し、それを克服する必要があるのです。そのような点に広げていくことが求められています。