学び!と美術

学び!と美術

ルンビニこども園の学び
2021.12.10
学び!と美術 <Vol.112>
ルンビニこども園の学び
奥村 高明(おくむら・たかあき)

写真1 今、「芸術統合型学習」の研究をしています(※1)。「芸術統合型学習」というのは私たち研究グループが用いている名称で、美術を中心に多様な取り組みを行う学習を意味します。コロナ禍のため、中々、調査できなかったのですが、最近ようやく全国の学校等を訪問できるようになりました。
 今回は、その一つ、舞鶴市のルンビニこども園(社会福祉法人 瑞光福祉会)を紹介します。それは、私たちの研究テーマへ疑問を突き付けられるような訪問となりました。

1 イジメがない、クレームがない、怪我がない、離職がない

 ルンビニこども園は、以前は設定保育や一斉保育などを多く取り入れていたようですが、10年以上前に遊びを中心にした保育に切り替えました。
写真2 訪れたときは落葉の季節、園庭は落ち葉やどんぐりでいっぱい(写真2)でした。「そのままにしています」と園長先生が話してくれました。そこから子どもたちの遊びが立ち上がるからです。確かに、子どもたちの遊びを見ると、どんぐりや落ち葉、葉っぱが使われています。どんぐりをおろし金で粉々にしている子どももいました。う~んすごい……(写真3)。
写真3 興味深かったのは、遊びを中心に転換し始めると、それまで多かったことが、めっきりと減ってきたという話でした。それは「子どものいじめ」「保護者からのクレーム」「大きな怪我」そして「保育士の離職」だそうです。
 いじめやクレームがないということは、子どもも保護者も今の状態に満足しているからでしょう。怪我がないのは、園長先生によると園庭の木々を増やし、タイヤやビールケースなどが置いてあって、様々な遊び場があるからだそうです。子どもたちは穴をほったり、木登りしたりしながら遊んでいますが、それは怪我にはつながらず、むしろ運動場がある方が怪我になると言います。なるほど……。
 離職率は驚きです。厚生労働省の調査によると保育士の離職率は10.3%、私営だと12.0%、1年間に一割以上は辞めていく感じです。でもルンビニこども園は10数年で離職者は結婚に伴う転勤等のやむを得ぬ事情の2名(!)だけ。きっと保育士さんも自分たちの保育に充実感を感じているのだと思います(※2)

2 作品は「遊びの跡」

写真4 以前から、園内作品展の作品に、蕎麦、工具箱、美容室セット(写真4)など「え、そんなのが題材になるの?」という感じの作品が並ぶことは知っていました。「子どもが自分の好きなものをつくれるなんていいなあ」「活動のねらいとか方法とか、しっかり考えているのだろうなあ」と思いました。それを、保育士さんに聞くと、どうにも困った顔をするのです。
 「作品って言っても……遊びの跡ですから……」
 「あ……そうですね。」
 反省でした。私は、小学校の考え方で尋ねてしまったのです。
 ルンビニこども園では、「子どもがそのとき夢中になった跡」が、たまたま「作品」になるのであって、「作品づくり」を目指しているわけではないのです。保育士さんにとって、それは当たり前のことで、何も特別ではありません。子どもの遊びを大事にはしているけれども、作品製作のねらいや方法を共有しているというわけではないのです。その年、その年の子どもたちの「遊びの跡」が作品になるので、結果的に多様になるというだけのことでした。

写真5写真6

 園には、漁港に遊びに行った後のカジキマグロ(写真5)や、恐竜好きの子のリアルな恐竜(写真6)などがありました。展示していたというよりも無造作に「そこに置いてあった」感じで、それは「つくりたかったからつくった」という「遊びの跡」でした。毎日、「すごいケーキ」を作っている女の子に園長先生が思わず「作品展までもつかな」と言ったら、子どもは「なんで?毎日作品展や!」と返したというエピソードもあるそうです。子どもたちも分かっているのですね……。
 小学校の造形遊びでよく「作品にならなくて不安です」という声を聞きます。そこには「作品がゴールである」という考え方や、大人が子どもの「作品」を要求するという制度的な側面が隠れています。「作品」が子どもの「遊びの跡」だという言葉は、子どものつくったものを誰が「作品」とするのか、果たして子どもはそう思っているのかなど、造形遊びにも通じる問い直しの視点だろうと思います。

3 発達という鳥かご

写真7 「年中さんが会議をする」という事実にも驚きました。そのはじまりは、ある時、園庭に「手押しポンプ」を設置したことがきっかけでした。そこから川や池の遊びが広がり、一人の子どもが「池がほしい!」と言ったそうです。そこで、園庭に池をつくったのですが、遊べば池は汚れます。園長先生は思わず「池の掃除やってよ」と言ったそうです。
 その言葉をきっかけに始まったのが年長さんの「会議」でした。「会議」は、司会者も発表者もいる立派な会議で、「はい○○くん」「ぼく木曜日できる」「じゃ、○○くんと○○くんは、火曜と木曜」など、きちんと話し合って、子どもたちで順番を決めるのだそうです。それが広がって、今では、何かあると年中さんも「会議」をするようになりました。確かに、司会者がしっかりと発言者を当てています(写真7)。園長先生が近づくと「今から会議やから、あっち行ってて」と言われるそうで、自分たちでやりたいという気持ちもしっかりあるようです。
 小学校では、よく「1・2年生は二人、3・4年生は4人、5・6年生は6人、それが話し合いの妥当な人数」といわれます。でも、幼児でもちゃんと話し合いはできるのです。そういえば、国が違えば「生後11か月で、鉈を使って果物を割る」という報告もありました(※3)。発達は、あくまでその状況下での発達なのでしょう。
 私たちは子どもたちを学年や年齢で区分けし、同じ学年の中で発達する学校制度をつくりました。それはそれで成果はあったのですが、一方で、それは子どもを発達という鳥かごに閉じ込めているのかもしれないと、改めて感じた次第です。

4 地域社会というお役所言葉

 園庭には、タイヤや雨どいなどがあって、それを使って子どもたちが遊んでいます(写真8・9)。タイヤはトンネルになったり、雨樋はソーメン流しになったり、子どもたちの遊びに応じて、いろいろ形を変えるそうです。園長先生は、「これは近所の○○屋さんが……これは保護者の○○さんが……」と説明してくれます。漁協長に招待されて、子どもたちと魚河岸にいって大きなカジキマグロを見た様子なども見せてくれました(写真10)。

写真8写真9写真10

 私は思わず「地域社会と連携しているのですね!」と言ってしまいました。
 すると園長先生は「地域……ん~……」と言葉を詰まらせて、「そうじゃない感」満載の顔をしました。園長先生にとっては、いろいろな材料をもってきてくれたり、仕事場に招待してくれたりするのは、「近所のおっちゃん」や「近くの会社」ではあるけれども、「地域社会」と呼ぶような「何か」ではなかったからです(写真11)。
写真11 そうなのです。「地域社会」とは、あらかじめ学校と地域社会を分断した上で、接続しようとする「お役所言葉」に他なりません。
 ルンビニこども園から見れば、子どもも、保護者も、大人も、近所の会社も、すべて子どもの保育に必要なことで特別なことではありません。それが連続的につながり合って、展開しながら保育が続いています。それは、縁起を大切にした教育なのだろうと思います。その縁起は、題材や行事などの短いスパンだけではないようです。設定保育から遊び中心の保育へと園自体が変化し続けている10年以上の歩みそのものが、ルンビニこども園の縁起なのでしょう。

 本稿のはじめに私たちが「芸術統合型学習」の研究をしていると書きました。ルンビニこども園の姿をもとにすると、「芸術統合型学習」という言い方は教育を教科や単元などにあえてバラバラにした上で、それを連携させようという妙な話なのかもしれません。園長先生の「そうじゃない感」、保育士さんの「遊びの跡ですから……」から、もう一度、研究を見直さないといけないなと思った訪問でした。

※1:2020―2024年度「芸術統合型学習を通じた美術教育の再定義~横断的実践調査及び質問紙法による学力分析」(基盤研究(B)・20H01685)研究代表者
※2:平成27年に厚生労働省が発表した「保育士等に関する関係資料」によると、平成25年の保育士の離職率は10.3%
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/s.1_3.pdf
※3:バーバラ ロゴフ著、當眞 千賀子 訳『文化的営みとしての発達―個人、世代、コミュニティ』2006新曜社