1.「交流施設をつくりたい」
三浦:マスコミにも取り上げられた、もう一つの実践について教えて下さい。
中島:前回の実践と同時並行して行っていた別のグループによるものです。廃校になった校舎を自分たちの交流スペースにつくり替えようとした実践です。私たちの町には本屋さんがないので、本好きで本屋をやりたいという生徒たちと観光客と交流できる場所がほしいという生徒たちが合同で10人ぐらいのグループになって、廃校になった分校に本屋カフェをつくろうと考えました。
図1 交渉のしかたを教える
三浦:どうして分校を使う発想になったのですか?
中島:最初は、地域おこし協力隊の人たちのアドバイスで廃屋を利用する案もありました。たまたまなのですが、学生時代にアルバイトでお世話になった方が地元の分校を使って幼児教育の拠点をつくる活動をしていて、中学校での実践を話したところ、是非つながろうということになったのです。学校でそのことを生徒たちに話すと、諸手を挙げて賛同してくれました。実際に本屋カフェを開こうとすると、本をどう集めるか、インテリアや道具をどうするか、また飲食を伴うとなると保健所対応はどうするのか、たくさんの問題が出てきました。
三浦:生徒たちは、くじけずに取り組んでくれたのですか?
中島:結構面白い発想も出てきました。本を集めるのに、町の防災無線を使わせてもらおうということになり、実際に町当局と交渉をしました。これも結果的には前回同様使わせてもらえることはできなかったのですが、この実践に関心を示した町議会議員の方も現れました。本の収集は校内で生徒に呼びかけることになり、その収集には親たちも手伝ってくれました。町の物産館から、農家の規格外の野菜を売っていいということにもなりました。
三浦:親御さんや地域の人たちが実践を手伝ってくれるということはとても重要なポイントだと思います。実践は教師と生徒でやればいいというものではなく、特にPBLとなれば使えるものは何でも使う、社会実践に限りなく近づいていくことになるので。
2.自分たちでイベントを企画する
中島:11月にはグループがその分校を使ってイベントを開くことになりました。いろいろと呼びかけたのですが、空振りに終わってしまい、グループは何がまずかったのか考え、2週間後にもう一度イベントをすることになり、そのための準備を始めました。物産館や近くの牧場から野菜やヨーグルトを出品してもらうこともできました。2回目では20~30人が集まり、工夫したこともあり、準備したゲームで会を盛り上げました。本当に小さなイベントでしたが、生徒たちは「ここまでできるとは思っていなかった」と大満足でした。やればできるという実感をつかんだようです。
三浦:それらは周りからはどう見えていたのですか?
中島:校長先生は何がどうなるのかわからないため最初は慎重姿勢で、説得に苦労した部分もありました。しかし、見通しがついてくると教育委員会につないでくれたり、後半はいろいろと力になってくれたりしました。地域おこし協力隊の人たちも、さっきの物産館の人たちやマスコミとつないでくれたりしました。
図3 町当局と交渉
三浦:中島先生はたいへんではなかったのですか?
中島:外部と交渉したり、中身をつくったりするのがとても忙しかったのですが、たいへんだとは感じませんでした。生徒たちが考えた突飛なことをやろうとすると跳ね返されてしまうので、そこをクリアするためにどうすればいいのか、いつも考えていました。
三浦:他の先生方はどうでしたか?
中島:自分は副担任の立場で探究活動を指導しましたが、自分よりも年下の担任の先生も必ず参加してくれました。最初は距離を感じていたようですが、実際に生徒たちが動くようになったのを見て、いろいろと手伝ってくれるようになりました。探究活動は難しいものと決め込んでいたようでしたが、その距離はとても縮まったようです。
三浦:生徒の活動に大人が触発されてアイディアが生まれ、またそれを見た生徒が触発されるという、相互触発モデルというのをOECD東北スクールの時に議論したことがあります。相互に影響を与え合うことになりましたね。
中島:3年生で受験を控えていたので、最初から11月で終わりということにしていました。中途半端になってしまったことは残念なのですが、長い人生の課題解決のスタートは切れたかなと思っています。現在高校生の彼らは、今でも時々集まって作戦を立てているようです。
3.インタビューを終えて
3回にわたって話を聞かせてもらいました。中島先生の勤めている学校が私の初任の中学校ということもあって、とても感慨深く聞かせていただきました。私の時代は学校が荒れていたこともあり、教育実践はほとんどゲリラ戦のようで、予め計画を立ててそれをこなすといったものではありませんでした。中島先生は私の影響も受けているので、そういった、実践のダイナミズムを知りつつも、学校や教育委員会との手続きで苦労している様子がよくわかります。
私はちょうど40年前に学校の教師になり、その頃も学校の窮屈さに辟易していて、これから20年や30年先の未来の学校は、教師も生徒も欧米並みの自由な体質に変わっていくと信じて疑いませんでした。しかし現在の学校は40年前よりもはるかに窮屈になってしまっています。学校が過剰に責任を負っており、個人情報の管理とかコンプライアンスなどが強化され、社会的寛容性がどんどん失われていることに大きく起因していると思います。教師も生徒も、試行錯誤する時間と空間があって初めて自分の頭で考えられるようになるのだと思います。教師自身が「解のない問い」にどれだけ取り組んでいるのか、それ以前に「解のない問い」をもっているのかどうか、学校のあり方を問う重要なポイントです。
中島先生は自分の学校以外にもつきあいの幅が広く、自分の学校や生徒を客観的に見る視点をもっています。学生時代から変わらず、周りを巻き込んで変えていこうとするエネルギーを感じました。